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2014年1月31日 (金)

日本は神代以来「言靈」によって護られる國である

言葉ほど大切なものはない。言葉は人間の心を表現する。言葉のない生活は考へられない。言葉は、共同体において生活する人と人とを結合させ、人と人との間をつなぎ相互に理解を成立させる。言葉は、人間生活そのものを体現し、共同体は基本的に言葉によって成立する。

 

「言葉の乱れは世の乱れ」といはれる。今の日本は乱れてゐる。乱世である。その原因は、言葉の乱れが重大な要素になってゐると考へる。

 

日本民族は古来、言葉を大切にし、言葉には不可思議にして靈的な力があると信じ、言葉を神聖視してきた。『萬葉集』の歌に「言靈」といふ言葉がある。「言靈」とは言語精靈、言葉に宿る靈力のことである。古代日本人は言葉に精靈が宿ってゐると信じ、言靈即ち言葉に内在する靈的力が人間生活に大きな影響を与へると信じた。

 

古代のみならず今日の日本人にも、言葉に宿る神秘的な力によって禍福が左右されると信じるのみならず、「言靈」によって護られ栄えゆく國が日本國であると信じてゐる人は多い。信仰を持ってゐる日本人は、言葉に靈が宿ると信じ、言葉を唱へることによってその靈の力が発揮されると信じてゐる。故に言葉を慎み、畏敬する。

 

神道で「祝詞」を唱へ、仏教で経文・経典を読誦し題目や念仏を唱へるのは、それらの言葉に神秘的にして不可思議な力が宿ってゐると信ずるからである。

「祝詞」は人間が神への訴へかけた言葉であり、「歌」も人間の魂の他者への訴へである。「祝詞」にも「歌」にも魂が込められてゐる。祝詞を唱へ歌を歌ふと、そこに宿る言靈が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶのである。これが「言靈の幸はふ」といふことである。神に対してだけでなく、恋人や親や死者など他者に対する何事かを訴へかけが日本文藝の起源である。

 

折口信夫氏は、「(言靈信仰とは)古くから傳ってゐる言葉の持ってゐる靈力・魂といふものを考へてゐるのであり、それが言靈、つまり言語の精靈である。祝詞には勿論これがあると信じてゐた。…言葉そのものに威力・靈魂があると考へた。それが言靈である。それは唱辭(トナヘゴト)以外、…抒情詩其他のものゝ上に皆あると信じたのである。古い物語を語るとその内の靈魂が動き出す、歌を歌ひかけると、その歌のうちにひそんでゐる靈魂が働きかけると信じてゐたのである」(『古代人の信仰』)と論じてゐる。

 

他者に対して何事かを訴へるものが「歌」であり、何事かを語りかけるものが「物語」である。「うた」の語源は、神様に何事かを「訴へる」といふところから来てゐる。神に自分の心・神への願ひ事を訴へることが歌の起源である。

 

「言靈の幸はふ國」といはれるわが國においては、「祝詞」や「歌」は何よりも大切な神への捧げものとされた。日本文藝の起源は、神への訴へかけである。「やまとうた・和歌」は神聖な文藝であると考へられてゐた。

 

『萬葉集』に歌はれた「言靈の幸はふ國」とは、言葉の靈が栄える國、言葉の靈の力によって生命が豊かに栄える國といふ意である。「いふ言の恐(かしこ)き國」とは、言葉におそるべき力が宿る國であるといふ意である。「言擧せぬ國」とは、多弁を慎む國といふ意である。

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