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2013年12月 5日 (木)

『江戸の狩野派――優美への革新展』参観

今日参観した『江戸の狩野派――優美への革新展』は、「狩野派は、始祖の正信が、室町幕府の御用絵師の地位に就任し、次代の元信が堅固な流派体制を築いて以来、桃山・江戸時代~幕末明治期まで、日本画壇の中心的な存在であり続けた一大画派です。本展では、京都から江戸の地に進出した探幽(160274)以降の“江戸狩野”に焦点をあてます。“家法一変”させたといわれる探幽の優美・瀟洒な絵画様式を継承しながら、さまざまな個性が活躍した江戸狩野の魅力に迫ります」との趣旨で開催された。

 

狩野探幽像(傳桃田柳栄)・鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)降誕図(狩野探幽)・猛虎図(狩野尚信)・波濤水禽図屏風(狩野常信)・竹林七賢・香山九老図屏風(狩野探幽)・源氏物語 賢木・澪標図屏風(狩野探幽)・江戸城本丸等障壁画絵様(狩野養信)・富岳図(狩野探幽)・猿曳・酔舞図屏風(狩野尚信)などを観る

 

狩野派は、支那の宋・元・明時代の絵画などを手本とした「漢画派」といわれる。日本伝統の「やまと絵」にも学び、和漢融合した自派の様式を創ってきたという。たしかに支那の景色や人物を題材とした絵画よりも、富士山など日本の景色を描いた作品に見事なものがあった。大画面の屏風作品は特に美しかった。

 

狩野探幽は徳川幕府の御用画家であるから、江戸城内に障壁画など見事な作品を描いたであろう。しかし、本丸も西の丸も火災に遭い、探幽の作品は残っていない。不思議に思うのは、明治維新の時の江戸城明け渡しの際、そこにあったはずの絵画などの美術品はどこに移されたのか、明らかになってゐないように思われることである。あるいは、私だけ知識が不足しているだけなのかもしれない。名古屋には徳川美術館というのがあった尾張徳川家伝来の美術品が保管・展示されている。しかし、栄華を極めたはずの德川宗家=江戸城にあったはずの美術品を所蔵し展示している美術館は存在しない。

 

同時に展示されていた「古九谷焼」がまた素晴らしかった。

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