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2013年12月23日 (月)

『大東亜会議七十周年大会』における登壇者の発言

十一月六日に永田町の憲政記念館にて開催された『大東亜会議七十周年大会』における登壇者の発言は次の通り。

 

渡部昇一氏「私が中学一年生の時に『大東亜会議』が開かれた。『起つやたちまち撃滅の 凱挙がる太平洋 東亜侵略百年の 野望をここに覆す 今決戦の時来る』という歌詞の『大東亜決戦の歌』という歌を教えられた。『広辞苑』は大東亜会議について『アジアの日本に親和的国が集まった会議』と書いた。当時、日本と仲の悪い政権は、蒋介石政権しかなかった。スカルノは正式メンバーとして参加できなかったが、昭和天皇は皇居に招いた。大東亜会議は重光葵が発案し、『戦争目的を世界に宣言せねばならない』と言った。昭和天皇も喜ばれた。昭和十七年に開かれればよかったが、一年遅れた。アッツ島玉砕の後で、敗色が表れていた。この二週間後に、米英中によるカイロ会談が行われた。重光葵は本当の愛国者。鳩山内閣の外務大臣として国連加盟を果たした。重光は日本の国連加盟が認められたことに対する加盟受諾演説で、『日本は東西の架け橋になりうる』という大演説を行った。帰国後死去。『東京裁判』におけるA級戦犯なんてなくなったのだ」。

 

 

 

スルヤ・ボース氏「重光葵外相はアジアの英雄。ネタジ・スバス・チャンドラ・ボース自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官は、大東亜会議にオブザーバーとして招かれた。『インドの独立なくしてアジアの独立なし。この会議が日出づる國で開かれたことに意義がある』と演説した。光明を東洋に求めねばならない。頭山満先生は、東條首相にボースと会う事を急がせた。日本の存在そのものが、インドに精神的感化を与えた」。

 

 

 

ヘンリー・ストーク氏「大東亜会議は有色人種によって行われた最初のサミット。インドのみならず全世界の非抑圧民族解放を目指した。第一次大戦後の『パリ講和会議』で、日本は人種的差別撤廃提案を行った。オーストラリアの首相は署名を拒否して『帰国する』と言った。ウイルソン米大統領は日本に撤回を求めた。日本の次席全権大使・牧野伸顕は採決を求めた。十六か国中十一か国が賛成して可決された。しかし全会一致ではないとして無効として葬られた。一五九六年以来インドネシアはオランダの植民地だった。日本はインドネシアの青年に軍事訓練を施した。日本がインドネシアを侵略したのならそんなことするはずがない。日本の旭日がまた昇ることを祈る」。

 

 

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