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2013年12月17日 (火)

神國思想について

「神國」という語が文献にあらはれたのは、『日本書紀』の「神功皇后の巻」に新羅の王が日本軍を迎へて「吾聞東有神國。謂日本。亦有聖王。謂天皇。其國神兵也。」と述べたと書かれてゐるのが最初である。

 

『平家物語』(鎌倉前期の軍記物語)には、「さすが我朝は辺地粟散の地の境(註・辺鄙な所にある粟を散らしたやうな小國といふ意)とは申しながら天照大神の御子孫、國の主とし…猥(みだのがは)しく法皇を傾け参らせ給はんこと、天照大神、正八幡宮の神慮にも背き候ひなんず。日本は是神國也。神は非礼を受け給はず」と書かれてゐる。

 

日本國が天照大御神の御子孫が統治される神國であるといふ思想は、武家政権が確立した鎌倉時代においても変る事なく継承されてゐるのである。『平家物語』は琵琶法師によって広く世間に広められた物語であり、天皇を君主と仰ぐ神國思想は、当時の國民の共通の認識であったと考へられる。

 

鎌倉時代中期以後の民衆の意識が反映されているといふ「謡曲」には、天皇を君主と仰ぐ日本國の理想と傳統が濃厚に示されてゐる。『弓八幡』といふ作品では「君が代は千代に八千代にさざれ石の、巖となりて苔のむす、…君安全に民敦く、関の戸ざしもささざりき」とあり、天皇が統治する日本國の平和と開放性を称へてゐる。

 

和辻哲郎氏は、「関の戸を閉ざさないということは、天皇の統治のもとに全國が統一され、どこにも武力による対立がないことを指し示す」(『日本倫理思想史』)と論じてゐる。この時代において、天皇を中心とする統一國家意識が正しく確立されてゐたのである。

 

そして、蒙古襲来により日本國民はナショナリズムを燃え立たせ神國意識を益々強固ものとした。そして、

 

「西の海寄せくる波も心せよ神の守れるやまと島根ぞ」(春日若宮社の神職・中臣祐春の歌。『異國のこと聞こえ侍るに神國たのもしくて』との詞書がある。日本國が神國であるとの信念を吐露した歌)

 

「勅として祈るしるしの神風に寄せ来る浪ぞかつくだけつる」(藤原定家の孫・藤原為氏が亀山上皇の勅使として蒙古撃退・敵國降伏を祈願するために伊勢にお参りした時の歌)

といふ歌が生まれた。

 

禅宗の僧侶・宏覚も蒙古襲来といふ國難の時期にあって六十三日間蒙古撃退の祈願を行ひその祈願文の最後には、

「末の世の末の末まで我國はよろづの國にすぐれたる國」

といふ歌を記した。

 

かうしたナショナリズムの勃興がやがて建武中興へとつながっていく。このやうに日本民族は古代から・中古・中世・近世へと脈々と神國思想及びそれと一體のものとしての尊皇心を継承して来たのである。

『神皇正統記』(南北朝時代の史論。北畠親房著。延元四年成立)の冒頭には、「大日本者神國(おほやまとはかみのくに)也、天祖(あまつみおや)ハジメテ基(もとゐ)ヲヒラキ、日神(ひのかみ)ナガク統ヲ傳給フ。我國ノミ此事アリ。異朝(いてう)ニハ其タグヒナシ。此故ニ神國ト云(いふ)也。」とある。

 

この文章に「わが國は、神が護り給ふ國であるだけでなく、天照大御神の生みの御子が統治し給ふ國である」といふわが國の傳統的國家観・天皇観が端的に示されてゐる。國體の危機の時にこそ尊皇思想が興起し、國難の時にこそ神國思想が勃興するのである。今日のおいてもさうであるし、さうであらねばならない。

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