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2013年12月16日 (月)

室谷克実氏の講演内容

十月二十二日に行われた『三島由紀夫研究会公開講座』における室谷克実氏(評論家)が「安重根と三島の精神の差違ー韓国はなぜ駄目なのか」と題する講演の内容は次の通り。

 

「私は高校時代に『文化防衛論』を読んだが、何だかわからなかった。『潮騒』を讀んだだけ。安重根は韓国で愛国者の代表。三島先生も日本では愛国者の代表。しかし両者は全く違う。日本にも安重根を讃える人がいるが、韓国で三島は全く相手にされていない。

 

安は1879年、両班(ヤンバン)の家に生まれた。両班とは収奪型貴族。1894年、日本の韓国に対する内政干渉によって、身分制度である両班を廃止させた。安重根の家も特権を失った。

 

李王朝は600年続いた。今日の韓国の精神的問題点はすべて李王朝から発する。現在、アラブ諸国で聖職者が絶対的地位にあるように、李王朝は儒教を絶対視する支配構造であった。儒教を読みこなす人が偉いという支配構造。

 

高麗の時代から身分階層があり、貴族である両班しか漢字の読み書きができなかった。そして、李王朝になって儒教の国教化が進むが、漢字を読めたのは男性貴族だけであり、彼らが自動的に支配者になっていく。当時の李王朝では科挙に合格しなければ官職に就けなかったが、官職の数は非常に少なかった。

 

現在、韓国の大学進学率は7割台であるが、就職口は限られており、大学卒業者の半分は就職浪人。大財閥に入れるのは全産業人口の2パーセントにすぎない。45歳までに取締役になれなければ肩たたきにあう。しかも、この肩たたきはそれより前から始まっている。大学を卒業し入社してから3年ほどすると、日本の課長補佐と係長の中間に相当する『代理』という役職が与えられる。その発令対象は半数程度であり、この地位に就けなければ皆辞めてしまう。

 

これは李王朝時代からのなごり。李王朝時代は科挙に合格してもポストがなかったため、派閥を作ってポストを得ようとする運動が展開された。そして、警察権・裁判権を有する地方の郡長になると、その職権を濫用して金を貯める。警察権・裁判権を持ち、その上強盗だった。こうした李王朝時代の支配文化がそのまま今日の韓国に持ち越されている。

 

李王朝時代は両班、中人、常民、奴婢、白丁という順に厳しい身分支配構造が形成されていたが、その中で経済や物づくりの技術はほとんど発達することはなかった。

 

室町幕府四代将軍・足利義持の頃、朝鮮通信使が初来日している。その首席代表が帰国後、国王に報告した内容が李王朝実録に掲載されている。すなわち、日本では貨幣経済が発達し、貨幣があれば旅ができる。街道、旅館に加え、川には橋があり、橋を渡る通行税を徴収することで橋の修繕に使われていたことが記されている。日本には屋根のある商店があり、棚に品物が置いてあることや、公衆浴場があることで人々が清潔を保っていることも述べている。韓国も貨幣経済を導入すべきであることや、屋根や棚のある商店街を作るべきことを提言している。

 

これは当時の朝鮮では土の上に魚を置いて売っていたためである。また、この首席代表が最も驚いたのが揚水水車であり、随行した学生にその設計を学ぶように指示している。そして、朝鮮帰国後は世宗国王に水車の模型を見せて、村々に水車を作るべきことを提言している。しかし、この水車を作るために必要な木材をまっすぐに切れるような鋸が朝鮮にはなく、水車を作ることはできなかった。

 

また、もう一つの重要な理由として、当時の科挙合格者は幼少期から漢字の勉強ばかりしており、働くという経験がなかった。このため、汗をかく労働は卑しい仕事、身分の低い人の仕事であると見なされ、物づくりをする下人も自らの仕事に誇りを持っていなかった。

 

江戸時代、12回の朝鮮通信使が来日しており、1748年来日の第10回朝鮮通信使の書記官が日記を残している。そこには淀川の水車が大変素晴らしく、これを朝鮮でも作れないかということが書いてある。つまり、1400年代に国王が命じた水車作りが1700年代の朝鮮でも実現されていなかった。しかも、1400年代に国王が水車作りを命じたという記録が1700年代の朝鮮通信使に記録情報として国民に伝わっていない。没情報化時代にあった。

 

一方、日本は江戸時代から情報化社会。長崎には出島があり、対馬藩は朝鮮に租界地を有し、琉球は中国と交易があった。識字率も高かった。徳川幕府の下で300年に及ぶ鎖国政策は穴だらけだった。だからこそ、オランダから貴重な情報が入ると、それは文字情報として全国に伝わった。当時の朝鮮人にとって、朝鮮・中国・日本の情報しかなかった。

 

ハングルは世界全ての発音を正確に表記できるという話は誤りである。しかし、韓国の言語学者たちは、ハングルが世界で最も進んだ文字であると主張している。これは朝鮮にとっての世界が中国と日本という範囲に限られていたためである。当時、朝鮮の上流階級は漢文を使い、公文書も漢文であった。そこで、漢文の分からない下級役人たちは漢字の音を借りて朝鮮語を表す方式をとっていたが、朝鮮語の発音を正確に表すことはできなかった。こうした環境の中で、世宗王は下層階級のためにハングルを作り宣布した。下級役人にとって、ハングルは朝鮮語の発音をすべて表せるものであり、やがて世界全ての発音を表記できるという妄想につながっていくのである。

 

なお、李王朝時代の下層民である奴婢は両班の一家が食べ残したものを雑穀にのせて、唐辛子味噌を混ぜて食べていた。それが現在のビビンバである。また、「韓国のちゃんこ鍋」といわれているものにブテチゲがある。ブテは部隊、チゲは鍋物の意味である。これは朝鮮戦争当時の米軍の残飯をドラム缶に入れ、それに唐辛子味噌を入れて煮立てたものが起源である。このように韓国の人々は捏造や言いくるめの上手。

 

李王朝は600年間、発展なしに続いた国。庶民は麻や綿、カラムシなどで作った白い服を着ていたが、これは顔料を作る技術がなかったためである。インターネットで検索すると、李王朝末期の画像が出てくるが、まさに未開の人々の生活であった。

 

戦後、日教組の教師たちは朝鮮半島から稲作が伝えられたと教えてきたが、稲のDNA分析の結果、半島由来でないことが確認されている。高麗王朝時代には、国王が病気なので日本に医師を派遣してくれと言って来た。医療も日本の方が進んでいた。

 

豊臣秀吉の朝鮮出兵以降、朝鮮通信使たちは日本から帰国しても事実を報告しなくなっていく。その理由は日本が優れているとの報告をすれば、地位を失う恐れがあったためである。それが今でも韓国の対日観に続いている。

 

安重根が若い頃、東学党の乱が起きている。のちの裁判で安自身は大韓義軍中将を自称しているが、そのような組織があったのかも明らかではない。

 

伊藤博文暗殺の15か条の理由を供述している。そこには伊藤が孝明天皇弑逆した、閔妃暗殺事件を指令したとある。当時の伊藤は宮中に入れるほどの身分ではなかった。安は、没情報化社会にあって噂に支配されていた。安は処刑前に「東洋平和論」の執筆を手がけており、その序文には朝鮮、中国、日本が手を組んで欧米に当たろうという旨が書いてある。安の言う「東洋」はこの三国のみであり、これが李王朝時代の鎖国政策下で培われた知識であった。彼は東洋を文の国とし、欧米を武の国と位置付けているが、当時の朝鮮の識字率は数パーセントに過ぎなかった。その意味で朝鮮は文の国ではなかったのであり、むしろ識字率は日本のほうが上であった。丁稚でも漢字が讀めた。文の國は日本のみ、しかし、安はこうした日本の実情を知らず、世界を知らなかった。

 

安重根は大韓義軍中将であることを理由に、戦時国際法に基づく処分を求めるが、これは一種の命乞いであった。おそらく安は戦時国際法の存在は知っていても、その内容を細部までは知らなかったはずであり、こじつけとして持ち出したものであった。当時、看守として安の周囲にいた人々の中には彼を人格者として評価する者もおり、処刑後、日本で追悼式が行われる。そこに在日韓国人が入ってくることで、業績の捏造が始まった。現在、安については本当に暗殺実行犯であったのか、疑問説も提示されている。

 

中国では明の時代になると、儒教を知らない指導者・将軍が登場してくるようになり、朝鮮の側は明を見下すようになる。また、日本についても、最初から島国の盗賊集団として下位に位置付けているため、必然的に自分たちを最上位に位置付けるようになる。

 

韓国は告げ口社会であり、権力者の有力な側近はすぐに腐敗し、告げ口により失脚している。そして、告げ口により、旧悪を追い出し側近になった者がすぐに新悪になる。そういう歴史が今でも続いている。彼らにすれば、告げ口文化も含め、自分たちが最も優れた民族であるとの意識がある。だからこそ、朴槿恵大統領は海外の首脳との対談で日本を批判する発言を行っているのであり、外交慣例に反する悪い行為であるとの自覚はないのである。

 

最近、朴大統領はユーラシア共同体構想を提唱し、韓国メディアもそれを大々的に取り上げている。少なくとも南北統一を実現してから言うのならまだしも、日本からすれば、馬鹿げた発想。安重根の発想と同様、あくまでも韓国を中心とした世界観が流れている。

 

現在、韓国軍では様々な兵器の事故が続発しているが、これは李王朝600年の伝統によるもの、技術軽視に由来する。すなわち、物づくりをする人々を下位と見なし、上流階級は書を読み耽るという伝統である。安重根はその伝統にどっぷりと浸かっていたのであり、その影響が今でも様々な形で出ているのである。たとえば、プラントのメンテナンスに携わる中卒もしくは高卒の作業員は、韓国の労働統計でも明らかなように、入社から1年後に3分の1が離職している。

 

韓国は技術の進歩がない。ものづくりが駄目。自動車・武器に不良品多し。最新のプラントのメンテナンスには高度な技術を要するが、彼らはマニュアルを覚えきる前に辞めていく。日本の中小企業は汎用工作機械を独自に改良して長く使っているが、韓国にはそれがない。その背景には物作りを下人の仕事と見なす発想がある。ものつくり・汗をかく仕事は下人のやることと思われ、ものづくりに携わっている人の士気が上がらない。

 

日本文化に比して韓国文化が産業の発展に適さなかったのは、詰まるところ、儒教と両班に彩られた歴史が長すぎたためである。安重根はそうした文化の中に生まれ、情報の真偽を確かめることもなかった。彼は没情報化の鎖国の国に生まれた人物の一人であり、そうした人物を今でも英雄にしなければならないことは不幸であると言わねばならない。

 

甲午の改革、身分制度撤廃は日本の干渉によって行われた。だから独立運動家の九割は両班。安重根の李承晩も然り。国民の多くが漢字が讀めないので韓国政府は助かっている。ウソがばれない」。

 

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