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2013年12月31日 (火)

谷口雅春先生の『占領憲法無効論』

『現行占領憲法』は『大日本帝国憲法』を改正したことになってゐる。しかし、「天皇大権」が占領軍の隷属の下にあった占領期間中の改憲は、『大日本帝国憲法』の第七十五条の「憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス」といふ条項に明確に違反してゐる。『帝国憲法』第十七条二項の規定により、摂政が置かれている間は、法律の裁可、条約の締結、議会の招集などの大権は摂政が天皇の名に於いて行ふ。しかし、第七十五条の規定により、憲法及び皇室典範の改正は摂政を置くの間はこれを為し得ない。摂政が置かれてゐたどころか、国全体が占領下にあり、天皇の統治大権も国家主権も戦勝国の隷属下にあった時の『帝国憲法』改正は無効である。谷口雅春先生が生前一貫して主張された「現行憲法無効論」は正しい。

 

谷口雅春先生は次のやうに論じてゐる。

「明治憲法第七十五条で『憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス』と定めています。摂政とは、天皇が政治を直接とり給うのに支障を生じた場合、天皇に代って政治を行う者とか、あるいは天皇に助言を与えて政治を行うような資格者をいいます。今の日本国憲法が定められる時には、マッカーサー元帥が天皇の上に立って助言を与え、天皇の自由意志を表現することができないという状態の時で、まさしくマッカーサーが摂政の役目をしておったわけです。勿論、外国人ですから、摂政という名前はつけなかったが、事実上摂政に等しい。その『マッカーサーという摂政を置くの間』に憲法及び皇室典範を変更したわけですから、現憲法も現典範も明治憲法第七十五条違反であり根当然無効ということになります」(『諸悪の因現憲法』)。

「占領軍の占領政策として無理にサーベルの壓迫下に於いて定められた憲法は、日本の獨立、そして占領の停止と共に停止せられるべきものであり、それを後生大事に護ってゐる如きはまことに嗤うふべき時代錯誤であり、かかるサーベルの壓迫下ですたれさせたところの法精神、法制度も自然の理に背くが故に、その壓迫がなくなると自然にそれが復興し来るのは當然であって、日本精神の復興も當然と云はなければならないのであります」(『限りなく日本を愛す』)。

 

講和発効後も、「サーベルの壓迫下ですたれさせたところの法精神、法制度」が「自然の理に背くが故に、その壓迫がなくなると自然にそれが復興し来る」ことがなかったことが、今日の混迷の根本原因の一つである。

 

法理上の正義である「『現行占領憲法』が無効である」といふことを、国民一般に周知徹底せしめ、国会において内外に確認し宣明することによって、真の法治国家日本が再生するのである。

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千駄木庵日乗十二月三十日

午前は、諸雑務。お正月の準備。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

夕刻、病院に赴き、母に付き添う。帰ろうとするとも「一緒に帰る」と言うのが非常につらい。

帰宅後も、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆の準備など。

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2013年12月30日 (月)

今日の危機打開と復古即革新

日本国民は、ことの結果に対して潔く責任を負い、恥を知る道義心を持っていた。武士道精神がその典型だが、武士だけでなく、農民も、商人も高い道義心を持っていた。日本の文化は、「名と恥の文化」といわれる。日本人は本来、名誉を重んじ名がすたることをもっとも忌み嫌い、恥を知る民族である。

 

 わが国には古来から武士道精神は、「忠」「孝」「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「克己」という徳目がその内容となっている。わが国国民の正邪・善悪の観念は、武士道精神に基づくといっても過言ではない。

 

 武士道精神の核となるのは、「忠孝精神」「名誉の感覚」「廉恥心」(心が清らかで、恥を知る心)である。

 

長い日本の歴史の中で、須佐之男命・日本武尊という神話時代の英雄、さらに中古中世の鎮西八郎為朝、源義経、楠正成、さらに近世・幕末における赤穂四十七士、井伊直弼を撃った水戸脱藩浪士の行動、さらに大東亜戦争における特攻隊員を始めとした兵士たちの行為などは、「武士の鏡」「英雄」と讃えられた。しかし、戦後日本は、そうした英雄の行為を「非合法」「反ヒューマニズム」として裁き日蔭に追いやった。

 

「國のため敵を撃つ」「大君の御為に身命を捧げる」「仇なすものを討つ」などということは、「平和と民主主義」と絶対相容れない「行為」として、「日蔭」に追いやられ続けている。

 

 君に忠、親に孝、廉恥心が、わが国の道義心の根幹である。善悪の観念を喪失した現代の子供たちにこの心を植えつけなければならない。

 

 武士道を否定し、「生命の尊重」が最高の道徳とされ、「平和と民主主義」を謳歌している今日の日本において、戦前どころか有史以来見られなかった凶悪にして残虐なる犯罪、殺人事件が続発している。

 

大化改新・明治維新という国家的危機を救った大変革は「復古即革新の原理」によって断行され、国家民族を再生せしめてきた。わが国が国難を乗り切った歴史の根底には、伝統的な道義精神を正しく保持しつつ、改革を実現し、現状を打開してきた。わが国の伝統精神を回復し、天皇を敬い、国を愛し、神仏を尊び、先祖及び護国の忠霊を敬い、親や家族を大事にする心を取り戻すことが大切である。今日の危機を打開するためには、日本伝統精神に回帰し、それを開顕することが大切である。

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千駄木庵日乗十二月二十九日

午前は、諸雑務。

午後は、資料の整理。

夕刻、病院に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、書状執筆、原稿執筆の準備など。

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2013年12月29日 (日)

安倍総理の靖国神社参拝について

偏向メディアはあまり報道していないようだが、安倍総理が靖国神社参拝に対する国民の支持が高くなっているようである。支那や韓国やアメリカの内政干渉、不当な批判に対する反発が強いということであろう。

 

韓国は、いつ何時、北朝鮮が「無慈悲に予告なく」戦争を仕掛けて来るか分からないのにわが国を敵にまわしている。馬鹿な国である。共産支那は、共産党一党支配体制が何時崩壊するか分からないくらいに国民の不満が高まっているのに、報道官が「最後の勝利は我が方にある」などと強がりを言っている。ともかく、この二つの國は、日本に逆らったらろくなことにならないことを肝に銘ずるべきだ。

 

独立國家の宰相が何時何処に参拝しようとそれは完全に内政問題であり、外國政府が反対するのは、不当・不法なる内政干渉である。わが国政府はもちろん、国民が一致結束して、支那韓国そしてアメリカの不当な干渉を撥ね退け、祖国の独立を守らねばならない、

 

問題なのは、わが國内の偏向マスコミ・亡國政党・売國的學者文化人などの反日分子が、支那及び韓國の内政干渉を煽動していることである。國内の反日分子は、支那共産政府・韓國という反日國家の外圧=内政干渉を利用して、わが國の尊厳性・誇りそして日本民族の國民的自覚を喪失せしめ、窮極的には、天皇中心の日本國家の崩壊を目論んでいるのである。 

 

我々日本人が「A級戦犯」という呼称を使うことは絶対にやめるべきである。昨日も書いたが、「A級戰犯」といわれる人々は、人類の貴重な法文化たる法原則=「罪刑法定主義」の原則に全く反して被告を断罪した「東京國際軍事裁判」、つまり、裁判とは名ばかりの非常の野蛮で公平性を全く喪失した戰勝國による一方的な復讐劇=リンチの場において、「有罪」と断罪され、「絞首刑」に処せられた人々である。

 

「平和と人道に対する罪=侵略戰争遂行の犯罪」「共同謀議の罪」を新たに作り、勝者が敗者を問答無用的に断罪した「東京國際軍事裁判」は、“法の真理”に照らして完全に間違ったものであった。

 

戰勝國は、「戰争は非人道的な行為だ」と主張しながら、「軍事裁判」の「法廷」では、かつてのわが國の指導者を罵倒し、巣鴨拘置所に収容した「被告」たちには、それこそ非人道的な処遇を強要した。それはあまりにも残虐にして一方的な処遇であった。そして「絞首刑」という名の非人道的なリンチ虐殺が行われたのである。

 

戰勝國は、復讐のためにいわゆる「戰争犯罪人」を捕らえ「裁判」にかけたのである。戰勝國による復讐の軍事裁判は、見せしめのための裁判であった。そして、わが國に侵略國家の汚名を着せそれを全世界に宣傳したのである。アメリカに、安倍総理の靖国神社参拝に対して「失望した」などという資格は金輪際無い。

 

何回も書くが、「A級戰犯は戰争責任者だから靖國神社に祭られてはならない」とか「A級戰犯が祭られている靖國神社に総理大臣が参拝するのは侵略戰争を讃美することになる」などという議論は、戰勝國が行った法律なき「軍事裁判」即ち非人道的にして残虐無比な復讐を肯定することとなる。

 

「A級戰犯」という呼称はあくまでも戰勝國側の呼称であって、わが日本においては「昭和殉難者」と称するべきである。昭和殉難者は、まさに英靈であり戦没者である。だから、靖國神社においては「昭和殉難者」「戰死者」として祭られているのである。 

 

靖國神社に祭られている英靈は、國のために命を捧げられたばかりでなく今日唯今もわが祖國をお護り下さっているのである。

 

 それは皇后陛下が「終戰記念日」と題されて、

 

「海陸(うみくが)のいづへを知らず姿なきあまたの御靈國護るらむ」

 

 と、詠ませられている御歌を拝しても明らかである。

 

 また、沖縄戦で自決された牛島満陸軍中将は、 

 

「矢弾盡き天地染めて散るとても魂がへり魂がへりつゝ皇國(みくに)護らむ」

 

 という歌を遺された。繰り返し言う。靖國の英霊は今日唯今も祖国日本を護って下さってゐるのである。わが國及びわが國民は、靖國神社そして各県の護國神社に鎮まりまします護國の英靈によってお護りいただいている。であるが故に内閣総理大臣をはじめ全國民は、靖國の英靈に対して感謝・報恩・顕彰の誠を捧げるのは当然である。安倍総理の今回の参拝は高く評価されなければならない。

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千駄木庵日乗十二月二十八日

午前は、諸雑務、お正月の準備。

午後は、書状執筆。ある老人医療の施設に赴き、母の転院について相談。病院に赴き、母に付き添う。咳が出て苦しそうである。

この後、谷中寺町の酒房で、地元の友人と懇談。

帰宅後も、書状執筆、原稿執筆。

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2013年12月28日 (土)

小沢一郎の「総理の靖国神社参拝」に関する発言は非道である

「生活の党」の小沢一郎は、「安倍首相の靖国神社参拝について」と題して次のようなコメントを発表した。

 

「平成251226日 生活の党代表 小沢一郎

本日、安倍首相が靖国神社を参拝した。戦没者を慰霊追悼するために国民が自由意思に基づいて靖国神社を参拝することは何ら問題がない。しかし戦争犯罪人が合祀されている現在の靖国神社に、総理大臣が参拝するべきではない。少しでも早く靖国神社を元の姿に直して、総理はもとより天皇陛下、政治家が参拝できるよう改めるべきである」。

 

小沢は、平成十七年十月二一日号の『夕刊フジ』においてもっとひどいことを言った。即ち「東条英機元首相以下、当時の國家指導者たちは日本國民に対して戦争を指導した重大な政治責任を負っている。」「彼らは戦争中、一般将兵に対して『生きて虜囚の辱めを受けず』『死して悠久の大義に生きろ』と教え、特攻や自決を強要した。沖縄やサイパンでは民間人まで自決している。その張本人たちが、おめおめと生きて『虜囚の辱めを受けた』うえ、不名誉な戦争犯罪人として裁かれた。とんでもない話だと思う。國家指導者としての責任感、使命感のなさに激しい憤りを感じる。この人たちは靖國神社に祀られるべき人々ではない。彼らは英靈に値しないと考えている。ただ、『東条元首相らは立派だ』と思う人がいるなら、自分で神社を建てて靖國神社から分祀して祀ればいい。僕はその価値はないと思うが、それは自由だ。靖國神社は『一度、合祀した御靈は分祀できない』と主張しているらしいが、靈璽簿に名前を記載するだけで祭神とされるのだから、単に抹消すればいい」と。

 

まづ第一に、わが国には「昭和殉難者」はおられても、「戦争犯罪人」は一人もいない。この根本認識が小沢一郎にはないのである。東條英機氏らを裁いた「極東軍事裁判」はその名の示す通り「軍事裁判」なのであり、日本人自身による公正な裁判では決してなく、戦争行為の継続であり敵國の復讐であった。そこにおいて「絞首刑」の「判決」なるものを下され執行されたということは文字通り戦死であり殉難である。日本には戦勝國の戦争行為・復讐戦の戦死者・殉難者は存在しても、唯の一人も「戦争犯罪人」は存在しない。

 

東条英機元総理は、決して「おめおめと生きて『虜囚の辱めを受けた』」のではない。『生きて虜囚の辱めを受けず』『死して悠久の大義に生きろ』の信念を貫徹せんとして、自決を図られたのである。この歴史的事実に目をそむけ、東條氏冒瀆した小沢の発言は断じて許すことはできない。

 

「A級戰犯」といわれる人々は、「罪刑法定主義」の原則に反した裁判とは名ばかりの戰勝國による一方的な復讐の場であった「東京國際軍事裁判」で、「絞首刑」に処せられ「法務死」された二十五人の方々である。まさに戰没者であり、殉難者である。ゆえに、わが國政府は、「戰犯」として処刑された方々を、「戰死者」として扱い、その遺族に對する軍人恩給、遺族年金などの支給を、衆参両院で全會一致で決議し実行してきている。そして、靖國神社には昭和殉難者として祭られているのである。

 

「A級戦犯は靖国神社に祀られるべきではない」という主張は全く誤りである。これは復讐劇であった「東京裁判」を肯定するばかりでなく、亡くなった方々を慰霊するというわが国の伝統的な倫理思想を否定する議論である。靖国神社は戦死者すなわち敵によって殺された人々をお祭りする神社である。戦死者がたとえ戦争についての責任があろうとなかろうとそれは全く関係がないのである。「戦争責任と「戦争犯罪」とは全く異なる。

 

東條英機氏等十四人の方々を「絞首刑」に処した戦勝國こそ「人道に対する罪」を犯したのである。同じ日本國民として東條氏を戦死者・殉難者として靖國神社に祀らねばならぬのである。それが日本人の道である。

 

小沢の「A級戰犯が祀られている靖國神社に総理大臣が参拝してはならない」「國家指導者としての責任感、使命感のなさに激しい憤りを感じる。この人たちは靖國神社に祀られるべき人々ではない。彼らは英靈に値しない」などという主張は、戰勝國が行った無法な「軍事裁判」即ち非人道的にして残虐無比な復讐を肯定する議論であり、亡くなった人々を慰靈するというわが國の傳統倫理を否定する議論である。さらに言えば、昭和殉難者に対する重大なる冒瀆である。

 

昭和二十八年、わが國政府は当時の國會決議を踏まえて戦勝國即ちかつての敵國の言う「戦争犯罪人」を戦死者と認定し、その遺族に「戦没者遺族等援護法及び恩給法」の適用を通達した。いわゆる「戦犯者」は戦没者であるというのは國家意思と言っても良い。今になって「戦犯」は戦死者ではないから靖國神社に祭るのは間違っているなどと言う小沢の主張はまさしく歴史への冒瀆である。

 

小沢一郎は、昭和六一年四月二日に開かれた参議院地方行政委員會で自治大臣として次のように答弁した。

 

「靖國神社は一般的に常識的に言って戦没者を祭っておる、その追悼ということでだれもが自然な気持ちで行くべきものであろうと思います。したがって、私もいわゆる自分のそのような気持ちがわいてきたとき、そして時間が許せば靖國神社の参拝は今までもしておりましたし、するつもりであります」「基本的に、お國のために一生懸命、その是非は別といたしまして戦ってそれで亡くなった方でありますから、そういう戦没者に、参拝することによって誠の気持ちをあらわす、また自分なりにそれを考えるということであろうと思います。したがいまして、A級であろうがB級であろうがC級であろうがそういう問題ではないだろうと思っております。たまたま敗戦ということによって戦勝國によって戦犯という形でなされた人もいる。あるいは責任の度合いによってABいろいろなランクをつけられたんでありましょうけれども、その責任論と私どもの素直な気持ちというのはこれは別個に分けて考えていいんではないだろうかというふうに思っております」

 

ほぼまともな考え方である。しかるに、小沢は、今日、「戦争犯罪人が合祀されている現在の靖国神社に、総理大臣が参拝するべきではない」などと主張しているのである。こういうのを「以前言ったことと今言ったことが違う」即ち「自語相違」と言う。結果的に「嘘」をついたことになる。また「昨是今否の詭弁を弄した」と言う。小沢一郎は、その人間性が基本的におかしいと断ぜざるを得ない。小沢の一連の発言を見て来ると、彼が如何に人としての「死者を悼む心」のない非道な人間であるかを証明する。

 

 

 

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2013年12月27日 (金)

千駄木庵日乗十二月二十七日

午前は、諸雑務。

午後は、正月の準備など。

この後、ある病院に赴き、副院長と母のことについて相談。

帰宅後は、書状執筆。

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内閣総理大臣の靖国神社参拝について

 安倍総理が、靖国神社参拝を行ったことに敬意を表する。テレ朝・朝日新聞などの偏向メディアは、支那韓国の不当不法な内政干渉を誘発している。許し難い。

 他界に生きている死者の靈を祭り報恩感謝の誠を捧げると共に、現世に生きる者たちを護りたまえと祈ることがわが傳統信仰として今日まで生き続けているのである。こうした日本民族の傳統的死生觀から、よみがえりの信仰・七生報國の志が生まれてきたのである。また、仏教の輪廻転生思想受容の下地にもなった。

 

 先祖の靈魂は、お盆や正月や春秋のお彼岸に子孫のいる家へ帰って来るという信仰が今日にも年中行事として生きている。肉體の「死」を人間の全存在の消滅とは考えず、祖靈・死者の魂を身近に感じているのがわが民族の死生觀である。 

 

 ともかく、祖靈・死者の魂を尊びこれをお祭りすることは、日本民族の傳統信仰の基本であり、道義心・倫理觀の根幹である。わが國民は、鎮守の神を敬い、亡くなった祖先の御靈を崇め、その御加護を祈ってきた。これが我々日本民族の生活の土台であった。しかるに、大東亜戰争敗北後、この「敬神崇祖」の精神が次第に希薄になってきている。

 

 その原因は、金や物さえ豊かならいい、今生きている自分さえよければいい、という金銭至上主義・唯物功利の考え方の横溢、そして制度さえ変革すればすべてが良くなるという左翼革命思想=共産主義思想に氾濫などであろう。その結果、今わが國の亡國への道を歩み続けているのである。

 

 内閣総理大臣が、靖國神社に参拝し、戦没者の靈に対して感謝の誠を捧げ、國家の安泰と世界の平和を祈ることは、道義が頽廃し、様々の面で混迷の極にあるわが國の再生・改革のためにまことに大切な行事である信ずる。

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千駄木庵日乗十二月二十六日

午前は、諸雑務、『伝統と革新』編集の仕事。

午後も、『伝統と革新』編集の仕事。

夕刻、病院に赴き、母に付き添う。

帰宅後は、書状執筆。

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2013年12月26日 (木)

日本の伝統精神の復興と和歌

日本人の思想精神を正確に自己にものとするには、古代から現代に至るそれぞれの時代に生きた人々の心情・まごころに直結することが大事である。それは、古代から現代に至るまでの日本人のまごころを歌ひあげた『和歌』を読むことによって可能となる。

 

中河氏は「和歌が国風(四註・飛鳥・奈良・平安初期にかけての唐風文化に対して、平安中期から後期にかけてみられた、主に公家を中心とする文化活動の総称)と呼ばれて来たったことには深い理由がある…和歌こそその発想に根本於て、わが民族の生命と共にある…時代が進めば進むほど、古代と現代とを結ぶものとしての和歌の意味はむしろ重大になってくると考へられる。ヨーロッパでは叙事詩がまづ存在し、抒情詩がそれにつづいた。然し抒情詩こそ人間感情に最も直接的なものであり、日本人はその根本的なものから詩歌を始めた。それは情緒の表出、感情の爆発として特色をもち、人間感情を直接に訴へるものとしてのその形式を持続した。」(『中河与一歌論集』)と論じてゐる。

 

今日の日本は、文字通り内憂外患交々来るといった状況である。かうした状況にあって、我々の維新の情念を訴へる「言靈のさきはへ」が今こそ必要なのである。和歌の復興が大切である。現代日本において和歌を詠む人は多いが、変革の情念、特に日本人の深層精神において継承して来ている民族の共同精神を表白し訴へるものとしての和歌を詠んでゐる人は少ない。真の意味において和歌が復興した時代こそが維新の時代であると言っても過言ではない。我々は、和歌の力といふものの偉大さを今こそ実感すべきである。

 

そもそも愛国心・尊皇心は抽象的人工的な「理論」「理屈」ではなく、この日本に生を享け、日本に生きる者が抱く素直な感情であり自然な心である。さらに言へば日本人の「道」であり「まごころ」である。したがって愛国心・尊皇心は理論や教条によって表現されるよりも、和歌によってよく表白されてきた。現代に生きる我々は古人の歌によってその志・まごころ・道を学ぶべきである。

今こそ危機を脱出する方途として、単に政治体制の革新のみではなく、国民精神の革新・日本の伝統精神の復興を期さなければならない。そしてその中核が和歌の復興なのである。

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千駄木庵日乗十二月二十五日

午前は、『伝統と革新』編集の仕事・諸雑務。

午後は、原稿執筆。

夕刻、病院に赴き、母に付き添う。医師と今後のことについて相談。

この後、平河町の『月刊日本』事務所で開かれた忘年会に出席。多くの方々と懇談。

帰宅後も原稿執筆。

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2013年12月25日 (水)

『萬葉集』の精神と現代

 今日の日本は、日本民族の主體性・誇りを喪失しつつある。また、戦後日本は祖國の良き傳統を軽視あるいは否定し来た。これがわが國が今日、精神的思想的頽廃が末期的様相を呈している根本原因である。わが國は日本喪失の精神状況から脱出して、日本民族の誇りと矜持を取り戻さねばならない。わが國本来の政治と道義と國の姿を回復することが必要である。

 

 それは偏狭な排外主義的と独善に陥ることでは決してない。わが國のすぐれた古典であるところの「記紀・萬葉の精神」への回帰による精神の救済を図るといふことである。「神話の精神・萬葉の精神」の復活によってこそ祖國日本の再生が行はれると確信する。

 

『萬葉集』は神話の時代来の「日本の中核的な傳統精神」をうたいあげた真の意味の「古典」であり國家変革・激動・外患の危機の時代の歌集である。

 

『萬葉集』は、大化改新・壬申の乱・白村江(はくすきのえ)の戦ひ(唐新羅連合軍と日本百済連合軍の戦ひ)の敗北という國家変革・激動・外患の危機の時期の歌集である。『萬葉集』が生まれた時代は、明治維新の時期とよく似ている時代であり、今日の日本の状況ともよく似ていた時代であった。

 

『萬葉集』の時代は、わが國が外国の思想・文化・政治制度・法制度を受容した時代であった。わが國が異質の文化(特に仏教・儒教という精神文化と唐の政治法律制度の受容)に遭遇した激動の時期であった。これに対峙するためにわが國傳統的精神文化が興起した結晶が『萬葉集』である。 

 

変革の意志のないところに価値のある文藝は生まれない。『萬葉集』は復古即革新=日本的変革の歌集である。古代日本の律令體制下において、文化革新・文化維新を希求した歌集である。現代においてもそのような文化維新が望まれる。

 

 わが國は白村江の戦い・元寇・明治維新・大東亜戦争など、國家的危機の時に、ナショナリズムが燃え上がった。そしてそれ一體ものとして「まごころを歌ひあげる言の葉」としての和歌が勃興する。それが『萬葉集』であり、幕末維新の志士の歌であり、大東亜戦争で散華した英靈たちの歌である。

 

『萬葉集』は、決して平和安穏の世の文藝ではない。内憂外患交々来るといった國難状況の時に生まれた歌集である。今日の日本も萬葉時代と同じようにわが國には朝鮮半島及び支那大陸からの外患が迫って来ている。精神的・経済的・政治的・軍事的苦悩を強いられてゐる現代においてこそ、『萬葉集』の精神の復興が大事である。『萬葉集』に歌われた精神の回復によって現代の危機を乗り越えなければならない。混迷の極にある現代においてこそ『萬葉集』の精神へ回帰するべきである。

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千駄木庵日乗十二月二十四日

午前は、『伝統と革新』編集の仕事。

午後は、諸雑務。郵便局、床屋などに行く。床屋さんのご主人が、近くの汐見小学校で起こった悲惨な事件について、色々話してくれる。汐見小学校は、小生の母校の千駄木小学校の隣の学校。昔、東京湾が見えたという汐見坂(今は団子坂と言う)のそばにある学校。この近くの森鷗外の家があり、そこは観潮楼と言った。床屋さんの並びのマンションで家宅捜査が行われたという。このところ、各地で何とも陰惨と言うか悲惨な事件が相次いでいる。どうしたことであろうか。

夕刻、病院に赴き母に付き添う。私が行くと母は涙を流して喜んでくれる。何ともやるせない。おでんが食べたいと言うがどうすることも出来ない。医師と今後のことについて相談。この病院で年を越すことになりそうである。早く家に帰ってきたもらいたい。

帰宅後は、原稿執筆。

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2013年12月24日 (火)

本日感激したこと

 

宮内庁は、天皇陛下の八十歳のお誕生日に合わせ本日、ご近況を紹介するお写真を公表した。

 

初公開のお写真は、宮中祭祀の「秋季神殿祭の儀」に衣冠束帯で臨まれるお姿や、伊勢神宮での式年遷宮に合わせ二十年に一度、夜に行われる「遙拝の儀」、安倍総理が政策などを直接、陛下のご説明申し上げる「内奏」のご様子などが収録されている。また、皇族方と皇居内の稲田で稲刈りをされるご様子も収録されている。

 

同時に撮影した映像や、幼少時やご成婚時などのご様子も含め80年を振り返る60分のDVD「天皇陛下 傘寿をお迎えになって」も製作したという。

 

テレビニュースでその一部を報道していた。宮中祭祀や内奏のご様子を映像で公開したことは、天皇陛下が日本国の祭祀主であらせられ、且つ、国家元首であらせられることを知らしめることとなり、大変有意義である。また、稲刈りを、皇太子殿下、秋篠宮殿下をはじめ皇族方がお揃いで行われることに感激した。悠仁親王殿下が楽しそうに稲刈りをされているご様子を拝し、感激した。

 

わが国は、古代祭祀国家の祭祀の道統を継承される聖なるお方が、今日唯今の日本国の君主として君臨されている。太古以来の信仰共同体・伝統信仰が今も生きていて、その祭祀主たる神聖君主・日本天皇が、国家国民の統合の核となっている。こうした國は世界に国家多しと雖も、わが国のみである。まさにわが国の國體は萬邦無比である。

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千駄木庵日乗十二月二十三日

午前は、諸雑務。

靖国神社参拝。多くの人々が参拝に来ていた。

午後十二時より、靖国神社境内靖国会館にて、『天長節を祝ふ会』開催。奉祝式典(皇居遥拝・国歌斉唱・教育勅語奉読・奉答歌奉唱・天長節の歌奉唱・聖壽万歳・小田村四郎会長式辞・来賓祝辞)、記念講演(宮本雅史産経新聞編集委員)が行われた。この後、直会が行われ、談論風発。

病院に赴き、母と会う。しばらく付き添う。私が来たことを喜んでくれる。

銀座にて、友人と懇談。銀座通りを歩いていると、韓国人・支那人が韓国語、支那語で大声で話しながら歩いている。以前はそれほどでもなかったが、最近はどうもなんとなく腹立たしくなる。いけないことなのだろうか。靖国神社境内にも支那人らしきグループがいた。こういう人々が、日支、日韓で一朝有事の時、我が国内で破壊活動を開始する恐れはないのだろうか。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事、書状執筆など。

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2013年12月23日 (月)

『大東亜会議七十周年大会』における登壇者の発言

十一月六日に永田町の憲政記念館にて開催された『大東亜会議七十周年大会』における登壇者の発言は次の通り。

 

渡部昇一氏「私が中学一年生の時に『大東亜会議』が開かれた。『起つやたちまち撃滅の 凱挙がる太平洋 東亜侵略百年の 野望をここに覆す 今決戦の時来る』という歌詞の『大東亜決戦の歌』という歌を教えられた。『広辞苑』は大東亜会議について『アジアの日本に親和的国が集まった会議』と書いた。当時、日本と仲の悪い政権は、蒋介石政権しかなかった。スカルノは正式メンバーとして参加できなかったが、昭和天皇は皇居に招いた。大東亜会議は重光葵が発案し、『戦争目的を世界に宣言せねばならない』と言った。昭和天皇も喜ばれた。昭和十七年に開かれればよかったが、一年遅れた。アッツ島玉砕の後で、敗色が表れていた。この二週間後に、米英中によるカイロ会談が行われた。重光葵は本当の愛国者。鳩山内閣の外務大臣として国連加盟を果たした。重光は日本の国連加盟が認められたことに対する加盟受諾演説で、『日本は東西の架け橋になりうる』という大演説を行った。帰国後死去。『東京裁判』におけるA級戦犯なんてなくなったのだ」。

 

 

 

スルヤ・ボース氏「重光葵外相はアジアの英雄。ネタジ・スバス・チャンドラ・ボース自由インド仮政府国家主席兼インド国民軍最高司令官は、大東亜会議にオブザーバーとして招かれた。『インドの独立なくしてアジアの独立なし。この会議が日出づる國で開かれたことに意義がある』と演説した。光明を東洋に求めねばならない。頭山満先生は、東條首相にボースと会う事を急がせた。日本の存在そのものが、インドに精神的感化を与えた」。

 

 

 

ヘンリー・ストーク氏「大東亜会議は有色人種によって行われた最初のサミット。インドのみならず全世界の非抑圧民族解放を目指した。第一次大戦後の『パリ講和会議』で、日本は人種的差別撤廃提案を行った。オーストラリアの首相は署名を拒否して『帰国する』と言った。ウイルソン米大統領は日本に撤回を求めた。日本の次席全権大使・牧野伸顕は採決を求めた。十六か国中十一か国が賛成して可決された。しかし全会一致ではないとして無効として葬られた。一五九六年以来インドネシアはオランダの植民地だった。日本はインドネシアの青年に軍事訓練を施した。日本がインドネシアを侵略したのならそんなことするはずがない。日本の旭日がまた昇ることを祈る」。

 

 

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千駄木庵日乗十二月二十二日

午前、花房東洋氏のお見送りを受け、岐阜駅を出発。帰京。

帰宅後は、諸雑務。『政治文化情報』発送完了。購読者の皆様には連休明けにお届けできると思います。

夕刻、近所に住む落語家ご夫妻と懇談。

夜は、原稿執筆、『政治文化情報』編集の仕事。

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2013年12月22日 (日)

千駄木庵日乗十二月二十一日

午前は、『政治文化情報』発送作業。

午後、岐阜に向かう。花房東洋氏のお出迎えを受け、大夢館へ。暫し歓談。

午後七時より、大夢館にて、『さむらい塾』の勉強会開催。小生が「やまと歌ともののふ」と題して講義。続いて、歌会開催。全員が一首歌を詠み、小生が講評。

この後、直会。小生は午前一時に就寝するも、翌朝まで続けられたようである。

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2013年12月21日 (土)

天皇・皇室と和歌

和歌は傳統の継承と創造とは一體である。歌を詠む人は、先人の和歌を手本として學ぶ。和歌の原点を常に顧みながら新しい創造を行なってきた。即ち傳統と創造が一體になってゐる。ここに和歌文學の特質がある。日本人は傳統の継承から創造を學んだ。和歌はその典型である。傳統と創造が渾然一體となっているのが和歌である。

 

これは、皇位継承・伊勢の神宮の御遷宮と相似である。日本天皇の肉身はやがてお隠れになられるが、皇位は不滅であり皇統連綿であり萬世一系である。先帝がお隠れになると新帝が即位の大典を執行され大嘗祭を行はれることによって、新しき肉體であらせられながら邇邇藝命以来の靈統を継承される。伊勢の皇大神宮は、御祭神の天照大御神の御神靈は永遠であるが、神殿は二十年ごとに造り替へられる。

 

傳統を継承しながら、常に新たなる生命が甦るといふのが、わが國の皇位であり、伊勢の神宮であり、和歌なのである。これは他國には見られないわが日本の特質である。まさにわが國體は萬邦無比なのである。

 

和歌は天皇・皇室を中心に継承されて来た。古来、わが國に於て幾度か『勅撰集』が編纂され撰進された。和歌の中心に常に天皇が存在し、和歌集の多くは勅撰によって成立した。

 

天皇の國家統治の基本に和歌がある。和歌は天皇の國家御統治と一體である。天皇國家統治をやまとことばで「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の御心を民に示し、民の心を天皇が知り給ふために實に和歌が重要な役割を果たしたのである。天皇の國家統治は和歌と切り離し難く一體である。天皇の國家統治は、西洋や支那の皇帝・國王のように権力・武力によって國民と國土を支配するのではない。日本天皇は、まつりごとと和歌といふ二つの信仰的精神的営為によって國民と國土を統治されるのである。

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千駄木庵日乗十二月二十日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。明日の講義の準備。

夕刻、病院に赴き、母に会う。

帰宅後も、明日の講義の準備。

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2013年12月20日 (金)

日本は古代から続く祭祀主を君主と仰ぐ共同体国家である

 祭祀国家日本の祭り主である日本天皇は、常に国民の幸福を祈る祭り主なのであるから、国民と相対立する存在ではないし、日本天皇は国民を力によって支配し隷従せしめる存在ではない。国民と共に神に祈り、神を祭り、神の意志を国民に示し、また国民の意志を神に申し上げ、国民の幸福の実現を最高の使命とされるお方が天皇である。つまり天皇と民は「和」「共同」の関係にあるのであり、対立関係ではない。こうした天皇中心の日本の国柄を「君民一体の日本国体」というのである。このような日本の国柄は、歴史のあらゆる激動を貫いて今日まで続いてきている。

 

ところが外国では、太古の王家も古代国家もそして古代民族信仰もとっくに姿を消し、その後に現れた王家は武力による征服者であり、その後に現れた国家は権力国家であり、その後に現れた信仰は排他的な教団宗教である。古代オリエントや古代シナにおいては、祭祀を中心とする共同体が武力征服王朝によって破壊されてしまった。共同体を奪われ祭りを喪失したよるべなき人々は、貨幣や武力に頼らざるを得なくなり、権力国家・武力支配国家を形成した。

 

 それに比してわが日本は、古代からの祭祀主を君主と仰ぐ共同体国家が、外国からの武力侵略によって破壊されることがなく、今日も続いている唯一の国なのである。皇室祭祀だけでなく、全国各地で一般国民が参加する祭祀が続けられている。まことにありがたき事実である。

 

 そして今日においても、神話の世界のままに、天の神の祭り主の神聖なる御資格を受け継ぎ給う天皇を、現実の国家元首と仰ぎ、国家と民族の統一の中心として仰いでいる。これは日本の麗しい自然と稲作生活が完全に滅びない限りつつくであろう。こうした事実が、西洋諸国やシナと日本国との決定的違いである。

 

 長い歴史において様々な変化や混乱などを経験しつつも国が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇という神聖権威を中心とする共同体精神があったからである。日本という国は太古以来の伝統を保持する世界で最も保守的な国でありながら、激しい変革を繰り返して来た国なのである。その不動の核が天皇である。

 

天皇国日本の「成文憲法」は、こうした日本國體の本義に基いて制定されなければならない。西洋権力国家において生れた「国民主権論」は排除されなければならない。

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千駄木庵日乗十二月十九日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』発送の準備。

この後、病院に赴き、母と会う。必要なものを届ける。早く自由の身にさせてあげたい。

午後五時半より、新橋の新橋亭にて、『呉竹会拡大忘年会』開催。広瀬義道氏が司会。国民儀礼。頭山興助氏が挨拶。桜井宏衆院議員、宮本雅史産経新聞編集委員、中村信一郎氏などそして小生がスピーチ。同志の皆さんと歓談。

帰宅後は、書状執筆。

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2013年12月19日 (木)

最近感じたこと

最近感じたことを記します。

 

一、出処進退の難しさ。相当年齢を重ね、学識もあり、多数の著書を出した人でも、自分の事となると、なかなか適切な判断ができなくなるものだということ。問題発覚時に、辞職すれば再起の可能性も皆無ではなかったと思う。

二、攻撃型の人間や組織は、守りに弱いということ。

三、病院特に大病院というのはそれほど儲かるものなのか。政治家などにウン千万円渡せるほど、資金力があるのが不思議。医療は国民が払った保険料で成り立っているのだから、営利追求は程々にすべきであろう。また病院はそれほど政治権力とつながっていなければならないのか、ということ。

四、後継者はどうなるのか。私は、取り沙汰されている人々に、明日辞意を表明するであろう人よりも優れた人はいないように思う。知名度だけはあるが、自民公明の言いなりになる人、あまり政治家としての能力がない人になるのか。それが自民・公明への「おもてなし」なのか。そういう意味でも、今度のことは大変に残念であった。

五、人徳というか、他人様にどういう評価が得られているかがとても大切だということ。窮地に陥った時に身に染みると思う。明日辞任表明する人は、私も何回か会ったが、そんなに悪い人ではない。著書も大変に勉強になった。しかし、腰が低い人ではなかったことは確か。ただ背の低い人はどうしても話している相手を見上げることになるので頭が高いと言われることがある。

以上、自戒と自己反省を込めて記しました。

 

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千駄木庵日乗十二月十八日

午前は、諸雑務。

午後一時半より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。この後、六本木にて忘年会。

帰途、病院に赴き、母に付き添う。母に車椅子に乗ってもらって病院の廊下を一周。母は家に帰りたがり、『このまま玄関へ行ってくれ』と言う。やや元気を取り戻してきたのが有り難い。

帰宅後は、『政治文化情報』発送の準備、資料の整理。

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2013年12月18日 (水)

日本の『神』とは

 「かみ(神)」の語源は、「カ」は接頭語であり、「ミ」は語根。「ミ」は漢字で「實」「身」と書かれるやうに、中身・實在そのもの・力のある存在・無形のカオス(天地創造以前の世界の状態。混沌)・靈威ある存在のことである。神は「上」の方にゐる存在だから「カミ」といふとの説は國語學的には誤りであるとされる。

 

 神には、自然神・呪物神・人格神・祖神がある。日本の神々は、自然神と祖靈神とに大きく別けられる。この両方の性格を具備してをられる神が天照皇大御神であらせられる。天照皇大御神は、太陽神といふ自然神であると共に皇室の御祖先神であらせられる。

 

 日本の神々とは何か強い力を持ってゐる存在をいふのであって、必ずしも完全円満な存在ではない。荒ぶる神も出現する。まして唯一絶対無謬神ではない。 

 

 「神」の枕詞は「千早振る」である。「チ」とは靈のこと。「ハヤ」は「疾風(はやて)の如く」といふやうに激しい状況。「フル」は震へるといふ意。だから「千早振る」とは、神靈が激しく震へるといふ意である。また「フル」は體に触れる・密着するといふ意味もある。 

 

 折口信夫氏は、「いつ(靈の権威・力)といふ語は、音韻変化してウチとも又イチともなります。ちはやぶるといふ枕詞は、いちはやぶる・うちはやぶるなどといふ語の第一音の脱落した形です。古事記の倭建命の東征の條にも、『うちはやぶる人』といふ語が出て來ます。亂暴する人といふことです。はやぶるといふのがその意味で、威力ある靈魂が暴威を發揮することがちはやぶるです。…神の中に暴威を振ふ神が多い。…さういふ觀念から、枕詞として、ちはやぶるが出來ました。」(『神々と民俗』)と論じてゐる。

 

 「神」とは、人知では計り知れない靈妙なる存在のことである。日本人は古代より、祭祀や祈りの対象とされるかしこき存在を「神(かみ)」と仰いだのである。

 

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千駄木庵日乗十二月十七日

午前は、『伝統と革新』編集の仕事、諸雑務。

昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

夕刻、病院に赴き、母と会う。昨日よりは、意識がはっきりしていた。

帰宅後は、資料の整理。

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2013年12月17日 (火)

神國思想について

「神國」という語が文献にあらはれたのは、『日本書紀』の「神功皇后の巻」に新羅の王が日本軍を迎へて「吾聞東有神國。謂日本。亦有聖王。謂天皇。其國神兵也。」と述べたと書かれてゐるのが最初である。

 

『平家物語』(鎌倉前期の軍記物語)には、「さすが我朝は辺地粟散の地の境(註・辺鄙な所にある粟を散らしたやうな小國といふ意)とは申しながら天照大神の御子孫、國の主とし…猥(みだのがは)しく法皇を傾け参らせ給はんこと、天照大神、正八幡宮の神慮にも背き候ひなんず。日本は是神國也。神は非礼を受け給はず」と書かれてゐる。

 

日本國が天照大御神の御子孫が統治される神國であるといふ思想は、武家政権が確立した鎌倉時代においても変る事なく継承されてゐるのである。『平家物語』は琵琶法師によって広く世間に広められた物語であり、天皇を君主と仰ぐ神國思想は、当時の國民の共通の認識であったと考へられる。

 

鎌倉時代中期以後の民衆の意識が反映されているといふ「謡曲」には、天皇を君主と仰ぐ日本國の理想と傳統が濃厚に示されてゐる。『弓八幡』といふ作品では「君が代は千代に八千代にさざれ石の、巖となりて苔のむす、…君安全に民敦く、関の戸ざしもささざりき」とあり、天皇が統治する日本國の平和と開放性を称へてゐる。

 

和辻哲郎氏は、「関の戸を閉ざさないということは、天皇の統治のもとに全國が統一され、どこにも武力による対立がないことを指し示す」(『日本倫理思想史』)と論じてゐる。この時代において、天皇を中心とする統一國家意識が正しく確立されてゐたのである。

 

そして、蒙古襲来により日本國民はナショナリズムを燃え立たせ神國意識を益々強固ものとした。そして、

 

「西の海寄せくる波も心せよ神の守れるやまと島根ぞ」(春日若宮社の神職・中臣祐春の歌。『異國のこと聞こえ侍るに神國たのもしくて』との詞書がある。日本國が神國であるとの信念を吐露した歌)

 

「勅として祈るしるしの神風に寄せ来る浪ぞかつくだけつる」(藤原定家の孫・藤原為氏が亀山上皇の勅使として蒙古撃退・敵國降伏を祈願するために伊勢にお参りした時の歌)

といふ歌が生まれた。

 

禅宗の僧侶・宏覚も蒙古襲来といふ國難の時期にあって六十三日間蒙古撃退の祈願を行ひその祈願文の最後には、

「末の世の末の末まで我國はよろづの國にすぐれたる國」

といふ歌を記した。

 

かうしたナショナリズムの勃興がやがて建武中興へとつながっていく。このやうに日本民族は古代から・中古・中世・近世へと脈々と神國思想及びそれと一體のものとしての尊皇心を継承して来たのである。

『神皇正統記』(南北朝時代の史論。北畠親房著。延元四年成立)の冒頭には、「大日本者神國(おほやまとはかみのくに)也、天祖(あまつみおや)ハジメテ基(もとゐ)ヲヒラキ、日神(ひのかみ)ナガク統ヲ傳給フ。我國ノミ此事アリ。異朝(いてう)ニハ其タグヒナシ。此故ニ神國ト云(いふ)也。」とある。

 

この文章に「わが國は、神が護り給ふ國であるだけでなく、天照大御神の生みの御子が統治し給ふ國である」といふわが國の傳統的國家観・天皇観が端的に示されてゐる。國體の危機の時にこそ尊皇思想が興起し、國難の時にこそ神國思想が勃興するのである。今日のおいてもさうであるし、さうであらねばならない。

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千駄木庵日乗十二月十六日

午前は、『伝統と革新』編集の仕事。次号の執筆依頼。

昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。母のことについてとても心配して下さる。有り難し。

午後も、『伝統と革新』編集の仕事。

夕方、病院に赴く。病室に入ると拘束されている母が、『氷を下さい』とうめいている。水差しでお茶を飲ませてあげる。ナースステーションの看護師に「担当の医師か看護師に話がある」と告げると、その看護師はパソコンをいじりながら、つっけんどんな応対をする。無礼千万である。きつく叱る。一体、東京厚生年金病院の看護師教育はどうなっているのか。担当の医師と看護師に母の容態について聞く。一日も早く退院か転院をさせなければならない。

帰宅後は、資料の整理など。

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2013年12月16日 (月)

室谷克実氏の講演内容

十月二十二日に行われた『三島由紀夫研究会公開講座』における室谷克実氏(評論家)が「安重根と三島の精神の差違ー韓国はなぜ駄目なのか」と題する講演の内容は次の通り。

 

「私は高校時代に『文化防衛論』を読んだが、何だかわからなかった。『潮騒』を讀んだだけ。安重根は韓国で愛国者の代表。三島先生も日本では愛国者の代表。しかし両者は全く違う。日本にも安重根を讃える人がいるが、韓国で三島は全く相手にされていない。

 

安は1879年、両班(ヤンバン)の家に生まれた。両班とは収奪型貴族。1894年、日本の韓国に対する内政干渉によって、身分制度である両班を廃止させた。安重根の家も特権を失った。

 

李王朝は600年続いた。今日の韓国の精神的問題点はすべて李王朝から発する。現在、アラブ諸国で聖職者が絶対的地位にあるように、李王朝は儒教を絶対視する支配構造であった。儒教を読みこなす人が偉いという支配構造。

 

高麗の時代から身分階層があり、貴族である両班しか漢字の読み書きができなかった。そして、李王朝になって儒教の国教化が進むが、漢字を読めたのは男性貴族だけであり、彼らが自動的に支配者になっていく。当時の李王朝では科挙に合格しなければ官職に就けなかったが、官職の数は非常に少なかった。

 

現在、韓国の大学進学率は7割台であるが、就職口は限られており、大学卒業者の半分は就職浪人。大財閥に入れるのは全産業人口の2パーセントにすぎない。45歳までに取締役になれなければ肩たたきにあう。しかも、この肩たたきはそれより前から始まっている。大学を卒業し入社してから3年ほどすると、日本の課長補佐と係長の中間に相当する『代理』という役職が与えられる。その発令対象は半数程度であり、この地位に就けなければ皆辞めてしまう。

 

これは李王朝時代からのなごり。李王朝時代は科挙に合格してもポストがなかったため、派閥を作ってポストを得ようとする運動が展開された。そして、警察権・裁判権を有する地方の郡長になると、その職権を濫用して金を貯める。警察権・裁判権を持ち、その上強盗だった。こうした李王朝時代の支配文化がそのまま今日の韓国に持ち越されている。

 

李王朝時代は両班、中人、常民、奴婢、白丁という順に厳しい身分支配構造が形成されていたが、その中で経済や物づくりの技術はほとんど発達することはなかった。

 

室町幕府四代将軍・足利義持の頃、朝鮮通信使が初来日している。その首席代表が帰国後、国王に報告した内容が李王朝実録に掲載されている。すなわち、日本では貨幣経済が発達し、貨幣があれば旅ができる。街道、旅館に加え、川には橋があり、橋を渡る通行税を徴収することで橋の修繕に使われていたことが記されている。日本には屋根のある商店があり、棚に品物が置いてあることや、公衆浴場があることで人々が清潔を保っていることも述べている。韓国も貨幣経済を導入すべきであることや、屋根や棚のある商店街を作るべきことを提言している。

 

これは当時の朝鮮では土の上に魚を置いて売っていたためである。また、この首席代表が最も驚いたのが揚水水車であり、随行した学生にその設計を学ぶように指示している。そして、朝鮮帰国後は世宗国王に水車の模型を見せて、村々に水車を作るべきことを提言している。しかし、この水車を作るために必要な木材をまっすぐに切れるような鋸が朝鮮にはなく、水車を作ることはできなかった。

 

また、もう一つの重要な理由として、当時の科挙合格者は幼少期から漢字の勉強ばかりしており、働くという経験がなかった。このため、汗をかく労働は卑しい仕事、身分の低い人の仕事であると見なされ、物づくりをする下人も自らの仕事に誇りを持っていなかった。

 

江戸時代、12回の朝鮮通信使が来日しており、1748年来日の第10回朝鮮通信使の書記官が日記を残している。そこには淀川の水車が大変素晴らしく、これを朝鮮でも作れないかということが書いてある。つまり、1400年代に国王が命じた水車作りが1700年代の朝鮮でも実現されていなかった。しかも、1400年代に国王が水車作りを命じたという記録が1700年代の朝鮮通信使に記録情報として国民に伝わっていない。没情報化時代にあった。

 

一方、日本は江戸時代から情報化社会。長崎には出島があり、対馬藩は朝鮮に租界地を有し、琉球は中国と交易があった。識字率も高かった。徳川幕府の下で300年に及ぶ鎖国政策は穴だらけだった。だからこそ、オランダから貴重な情報が入ると、それは文字情報として全国に伝わった。当時の朝鮮人にとって、朝鮮・中国・日本の情報しかなかった。

 

ハングルは世界全ての発音を正確に表記できるという話は誤りである。しかし、韓国の言語学者たちは、ハングルが世界で最も進んだ文字であると主張している。これは朝鮮にとっての世界が中国と日本という範囲に限られていたためである。当時、朝鮮の上流階級は漢文を使い、公文書も漢文であった。そこで、漢文の分からない下級役人たちは漢字の音を借りて朝鮮語を表す方式をとっていたが、朝鮮語の発音を正確に表すことはできなかった。こうした環境の中で、世宗王は下層階級のためにハングルを作り宣布した。下級役人にとって、ハングルは朝鮮語の発音をすべて表せるものであり、やがて世界全ての発音を表記できるという妄想につながっていくのである。

 

なお、李王朝時代の下層民である奴婢は両班の一家が食べ残したものを雑穀にのせて、唐辛子味噌を混ぜて食べていた。それが現在のビビンバである。また、「韓国のちゃんこ鍋」といわれているものにブテチゲがある。ブテは部隊、チゲは鍋物の意味である。これは朝鮮戦争当時の米軍の残飯をドラム缶に入れ、それに唐辛子味噌を入れて煮立てたものが起源である。このように韓国の人々は捏造や言いくるめの上手。

 

李王朝は600年間、発展なしに続いた国。庶民は麻や綿、カラムシなどで作った白い服を着ていたが、これは顔料を作る技術がなかったためである。インターネットで検索すると、李王朝末期の画像が出てくるが、まさに未開の人々の生活であった。

 

戦後、日教組の教師たちは朝鮮半島から稲作が伝えられたと教えてきたが、稲のDNA分析の結果、半島由来でないことが確認されている。高麗王朝時代には、国王が病気なので日本に医師を派遣してくれと言って来た。医療も日本の方が進んでいた。

 

豊臣秀吉の朝鮮出兵以降、朝鮮通信使たちは日本から帰国しても事実を報告しなくなっていく。その理由は日本が優れているとの報告をすれば、地位を失う恐れがあったためである。それが今でも韓国の対日観に続いている。

 

安重根が若い頃、東学党の乱が起きている。のちの裁判で安自身は大韓義軍中将を自称しているが、そのような組織があったのかも明らかではない。

 

伊藤博文暗殺の15か条の理由を供述している。そこには伊藤が孝明天皇弑逆した、閔妃暗殺事件を指令したとある。当時の伊藤は宮中に入れるほどの身分ではなかった。安は、没情報化社会にあって噂に支配されていた。安は処刑前に「東洋平和論」の執筆を手がけており、その序文には朝鮮、中国、日本が手を組んで欧米に当たろうという旨が書いてある。安の言う「東洋」はこの三国のみであり、これが李王朝時代の鎖国政策下で培われた知識であった。彼は東洋を文の国とし、欧米を武の国と位置付けているが、当時の朝鮮の識字率は数パーセントに過ぎなかった。その意味で朝鮮は文の国ではなかったのであり、むしろ識字率は日本のほうが上であった。丁稚でも漢字が讀めた。文の國は日本のみ、しかし、安はこうした日本の実情を知らず、世界を知らなかった。

 

安重根は大韓義軍中将であることを理由に、戦時国際法に基づく処分を求めるが、これは一種の命乞いであった。おそらく安は戦時国際法の存在は知っていても、その内容を細部までは知らなかったはずであり、こじつけとして持ち出したものであった。当時、看守として安の周囲にいた人々の中には彼を人格者として評価する者もおり、処刑後、日本で追悼式が行われる。そこに在日韓国人が入ってくることで、業績の捏造が始まった。現在、安については本当に暗殺実行犯であったのか、疑問説も提示されている。

 

中国では明の時代になると、儒教を知らない指導者・将軍が登場してくるようになり、朝鮮の側は明を見下すようになる。また、日本についても、最初から島国の盗賊集団として下位に位置付けているため、必然的に自分たちを最上位に位置付けるようになる。

 

韓国は告げ口社会であり、権力者の有力な側近はすぐに腐敗し、告げ口により失脚している。そして、告げ口により、旧悪を追い出し側近になった者がすぐに新悪になる。そういう歴史が今でも続いている。彼らにすれば、告げ口文化も含め、自分たちが最も優れた民族であるとの意識がある。だからこそ、朴槿恵大統領は海外の首脳との対談で日本を批判する発言を行っているのであり、外交慣例に反する悪い行為であるとの自覚はないのである。

 

最近、朴大統領はユーラシア共同体構想を提唱し、韓国メディアもそれを大々的に取り上げている。少なくとも南北統一を実現してから言うのならまだしも、日本からすれば、馬鹿げた発想。安重根の発想と同様、あくまでも韓国を中心とした世界観が流れている。

 

現在、韓国軍では様々な兵器の事故が続発しているが、これは李王朝600年の伝統によるもの、技術軽視に由来する。すなわち、物づくりをする人々を下位と見なし、上流階級は書を読み耽るという伝統である。安重根はその伝統にどっぷりと浸かっていたのであり、その影響が今でも様々な形で出ているのである。たとえば、プラントのメンテナンスに携わる中卒もしくは高卒の作業員は、韓国の労働統計でも明らかなように、入社から1年後に3分の1が離職している。

 

韓国は技術の進歩がない。ものづくりが駄目。自動車・武器に不良品多し。最新のプラントのメンテナンスには高度な技術を要するが、彼らはマニュアルを覚えきる前に辞めていく。日本の中小企業は汎用工作機械を独自に改良して長く使っているが、韓国にはそれがない。その背景には物作りを下人の仕事と見なす発想がある。ものつくり・汗をかく仕事は下人のやることと思われ、ものづくりに携わっている人の士気が上がらない。

 

日本文化に比して韓国文化が産業の発展に適さなかったのは、詰まるところ、儒教と両班に彩られた歴史が長すぎたためである。安重根はそうした文化の中に生まれ、情報の真偽を確かめることもなかった。彼は没情報化の鎖国の国に生まれた人物の一人であり、そうした人物を今でも英雄にしなければならないことは不幸であると言わねばならない。

 

甲午の改革、身分制度撤廃は日本の干渉によって行われた。だから独立運動家の九割は両班。安重根の李承晩も然り。国民の多くが漢字が讀めないので韓国政府は助かっている。ウソがばれない」。

 

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千駄木庵日乗十二月十五日

午前は、諸雑務。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

夕刻、母が入院している病院に赴く。日本茶をナースステーションに預ける。母に少しの時間だけ会う。母は喜んでくれる。「一緒にご飯を食べよう。今日はここに泊まってくれ」と言う。そして泣く。本当に切ないし、母が可哀想でならない。一日も早く退院させなければならない。今日は医師が休みなので相談ができない。

帰宅後は、書状執筆。『伝統と革新』編集の仕事。

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2013年12月15日 (日)

やむにやまれぬ大和魂

 

 

 かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂

 

 吉田松陰の安政元年、二十五歳の時の歌である。江戸獄中より郷里の兄杉梅太郎に宛てた手紙に記されていたという。同年三月、伊豆下田にてアメリカ艦船に乗り込まんとして果たせず、江戸へ護送される途中、四月十五日高輪泉岳寺前を通過した時詠んだ歌である。赤穂義士は吉良上野之介義央を討てば死を賜ることとなるのは分かっていても、やむにやまれぬ心で主君の仇を討った。松陰自身もまさしくやむにやまれぬ心で米艦に乗ろうとした。ゆえに赤穂義士に共感したのである。幕末志士の歌で結句を「大和魂」にした歌は多いが、この歌が最も多くの人々の心を打つ。あふれるばかりの思いとはりつめた精神が五・七・五・七・七という定型に凝縮されている。かかる思いは和歌によってしか表現され得ないであろう。

 片岡啓治氏は「詩的精神、いわば自己自身であろうとし、もっとも固有な心情そのものであろうとする心のあり方が自らを語ろうとするとき、日本にもっとも固有な詩の形式を借りたのは当然であろう。そこには、自己自身であり、日本に同一化することがそのまま詩でありうるという、文学と現実の幸福な一致がある」(維新幻想)と論じている。日本固有の文学形式によって自己の真情が吐露できるということは、日本人が神から与えられたまさに最高の幸福である。

 明治維新において神武建国への回帰が新しい日本建設の基本理念になった如く、現代維新も復古即革新が基本である。日本の大いなる道と大いなる命にいかに目覚めるかが、今日の変革の基本である。その意味において、現代において維新を目指す者は、明治維新を目指して戦った志士たちの悲しい志を自己自身の上に回想しわが血を沸き立たせることが大切なのである。そのためにも志士たちの詠んだ詩歌を学ぶべきであるし、自己自身も歌心をもつべきである。明治維新は革命ではなかった。革命とは日本の道統を否定した変革である。近代においては共産主義革命思想がそれである。共産主義革命運動からは美しい日本の歌は決して生まれなかった。

 近代文学において日本の道統への回帰を基本とした現状への抵抗と変革の精神を継承したのが、与謝野鉄幹でありそれに続く日本浪漫派の人々なのである。

 復古とは決して時計の針を逆に戻すことでもない。永遠に新しい命を持つところの「先人の道」を踏み行うことである。復古即革新は永遠の日本的変革の原理である。そしてそれはやまと歌によって継承されていくのである。

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千駄木庵日乗十二月十四日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、病院に赴き、母と会う。看護師から母が日本茶を飲みたかっているという連絡があったので、ナースセンターに日本茶を届ける。病院側の意向により、長く付き添っていることができないのが本当に残念。母は、私の影がカーテンに映っただけで、私が来たとわかってくれた。寒いと言うので掛布団をもう一枚かけてあげる。母は、「何処に行っていたの」と聞く。私は「家だよ」と答える。母は、「正貴は良い子だから好きだよ」と言って、泣き出した。本当に切ない。たとえ二、三分しか会えなくてもやはり毎日来るべきだと思う。

午後論六時より、新宿にて、『民族革新会議』忘年会開催。犬塚博英議長が挨拶。阿形充規氏の音頭で乾杯を行い、清宴に移った。

帰宅後は、書状執筆、資料の整理。

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2013年12月14日 (土)

張成沢銃殺に思う

昨日、張成沢が銃殺されるかもしれないと書いたら、今日本当に銃殺されてしまった。北朝鮮は何とも恐ろしい国である。北朝鮮は金日成の時代から、粛清を繰り返してきた国である。人を殺すことを何とも思っていないのが、金日成とその子孫たちなのである。突如三十八度線を突破して、韓国に攻め入り、多くの無辜の民を殺戮したのも北朝鮮金日成一族だ。

 

これは、金日成とその一族、そして北朝鮮という専制国家の特異体質なのであろうか。そうとも考えられるが、旧ソ連、そして共産支那、さらにカンボジアという共産革命によって成立した国家も粛清、殺戮を繰り返した。また、日本国内の共産革命勢力も、内ゲバを繰り返してきている。日本共産党も例外ではない。日本共産党が国家権力を掌握していたら、同じようなことをしたであろう。

 

北朝鮮は李氏朝鮮時代以来の封建的専制権力支配の体質を引きずっていると共に、共産主義革命集団の殺戮・粛清・内部抗争の体質も併せ持っているということなのであろう。

 

張成沢粛清のニュースを見ていると本当に胸糞悪くなる。会議場から連行される写真、手錠をかけられ首根っこを押さえられ憔悴しきった姿の写真を掲載しテレビで流すなどという事を臆面もなく行うという常軌を逸した残虐さには言葉もない。そうした国が今わが国のそばに存在しているのである。

 

もっとも、薄熙来を監獄にぶち込んだ共産支那も同じようなものであろう。文化大革命の時、毛沢東は時の国家主席劉少奇、元国防部長彭徳懐など多くの『革命の同志』を迫害しなぶり殺しにした。北朝鮮と全くその体質は変わらない。

 

われわれ日本人は、共産支那、北朝鮮という専制独裁国家そして国内の共産主義革命勢力及びその同調者・協力者への警戒を決して怠ってはならない。

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千駄木庵日乗十二月十三日

午前は、諸雑務。

午後からは、原稿執筆など。

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2013年12月13日 (金)

南北朝鮮そして支那とてもまともな国にはあらず

「近隣国家南北朝鮮そして支那とてもまともな国にはあらず」

 

最近詠んだ歌です。共産支那は、革命の第一世代の薄一波の息子を獄に放り込んだ。金正恩は自分の義理の叔父を公開の場で逮捕し粛清した。義理の叔父は銃殺されるかもしれない。朴槿恵は、自分の失政を糊塗するために反日言動を繰り返している。

 

こういうどう見てもまともではない三つの国が文字通りわが国の近隣国家なのだ。

 

福沢諭吉は『脱亜論』を説いたが、その気持ちも分かるような気がする。ただ、日本は全アジアと縁を切るわけにはいかない。まともな国とは友好関係を築いていくのは当然だ。

 

わが国は、朝鮮半島と支那大陸との外交関係全く絶つわけにはいかない。徳川幕府による鎖国時代でも、明と李氏朝鮮とは外交関係があった。しかし深入りすることはなかった。大陸と半島に深入りするとろくなことがなかったことは歴史が証明している。

 

今後の日本も、支那・朝鮮とは決して緊密な関係を築くべきではない。韓国に対して『日韓基本条約』締結以来、どれだけ経済技術援助をして来たか分からない。共産支那に対しても『日中国交回復』以来どれだけ経済技術援助をしてきたが分からない。

 

今日の韓国・共産支那の経済発展は日本の協力のお蔭である。しかし、この二つの國は、その事に感謝しないどころか、国民にもその実態を知らせない。

 

それどころか、経済発展とともに強化してきた軍事力によって、わが国の竹島を占拠し続け、尖閣沖縄に侵略の牙を向けている。絶対に許すことはできない。

 

まともに国になるまでは、支那や朝鮮とは、政治関係はもちろん、経済関係も出来るだけ少なくするべきだ。ただ、まともな国になるのは文字通り「百年河清を俟つ」が如きことであろう。

まともではない近隣国と対峙している日本は、自主防衛力・軍事力を強化する以外にない。それが正しく整備され実現するまでは日米軍事同盟を強化するしかない。さらに、国内の親支那・親朝鮮勢力を厳しく糾弾すべきである。

特に間違った情報・国を危うくする情報を流し続ける偏向マスコミ、亡国メディアを叩き潰さねばならない。彼らは、意識するとしないとにかかわらず、日本を侵略し支配下に置こうとする国の手先である。社民・共産両党は、中国共産党、朝鮮労働党と同根の共産主義革命政党である。

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千駄木庵日乗十二月十二日

午前は、諸雑務。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

夕刻、飯田橋の東京厚生年金病院に赴き、担当の医師と今後のことについて相談。母と会う。病院側の意向で長時間の付き添いができなのが何とも悔しい。今回の院内感染が原因となった長期間の入院で、母の肉体面・精神面の老化が進んでいる。病院側の責任は大きい。私には母の苦しみができるだけ少ないことを祈ることしかできない。

帰宅後も原稿執筆、脱稿。

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2013年12月12日 (木)

この頃詠みし歌

客引きの姿ばかりが目立ちゐる上野広小路を通り過ぎたり

 

荒々しき心鎮めて過ごさむと明るき部屋で経を誦しゐる

 

咳き込みで苦しめる母の小さき背(せな)さすりつつ神の癒しを祈る

 

母上の咳き込み苦しみ姿をば見る辛さをばこらへるほかなし

 

苦しめる九十四歳のわが母の入院拒否する医師の憎しも

 

理不尽な医師の言葉に激怒して思はず大きな声を出したり

 

懐かしき友の笑顔の浮かび来てこれの世にゐまさぬことをさびしむ

 

そのかみの青年学徒も白髪の老人となりてわが前に座す

 

朗々と祝詞の声の聞こえ来るみ霊鎮めのみまつりの庭

 

ねむくなりし深夜に一人ものを書くうつらうつらと夢の如くに

 

母と子と語らひてゐる病室の窓より見ゆる赤き月影

 

苦しめる九十四歳のわが母の入院拒否する医師の憎しも

 

絶対に許せざる心燃えたぎる医師の無責任なその言の葉に

 

ベランダの上の満月まさやかに浮かぶ姿を飽かず見てをり

 

清らけきみささぎの空青くして大いなる日本を寿ぐ如し

 

 

聖陵を拝ろがみまつる秋の日に日の本の國を護らせと祈る

 

暗殺と粛清の歴史今に続く南北朝鮮は悲しき国か

 

救急車に横たはる母の手を握り励ますほかにすべなかりけり

 

何としても一日も長く生きませと祈る心の切なかりけり

 

拘束されベッドによこたはる母の手を握り励ます夜の病室

 

病室に入り来れる我を見て母は涙を流したまへり

 

点滴を受けつつうめくわが母の額を撫ぜるほかにすべなし

 

病室で母の手をとり慰めの言葉をかければ頷きたまふ

 

孫よりもまだ若き看護師が母の面倒を見てくれてゐる

 

平成生まれの看護師さんがわが母と語らひてゐる夕べの病室

 

これの世に我を生みまししわが母はあつき病ひに苦しみたまふ

 

サイレンの音が聞こえる夜の更けに病院にゐる母を思へり

 

愛しくてならぬ母ゆゑ逢へぬ日の長くなりぬれば悲しかりけり

 

近隣国家南北朝鮮そして支那とてもまともな国にはあらず

 

九十四のわが母が次第に弱り行く姿を視るはつらく悲しき

 

馴染みの店に来りて何時ものもつ焼きを食してうれしきこの夕べかも

 

時計台に立て籠もりたる若きらの姿今なく公孫樹耀ふ(安田講堂)    

 

 

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千駄木庵日乗十二月十一日

午前は、諸雑務。

昼は、診療所に赴き、医師及び看護婦長と、母の今後のことについて相談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が柿本朝臣人麻呂の歌を講義。

帰途、出席者と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

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2013年12月11日 (水)

國難打開の道

わが國は、天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體の真姿を隠蔽し、政治・外交・経済・軍事などの國家の根幹に関はる面で自主独立性を喪失してゐる。今こそ復古即革新すなはち維新の戦ひを断行し、日本のあるべき姿を回復し、國難を乗り越えなければならない。

 

神代以来の祭祀國家・信仰共同体たる日本の真姿の中心におはしますご存在が、祭祀主たる天皇であらせられる。天皇がおはしまさずして、真の日本はあり得ない。祭祀主であらせられ、神の如くに清浄なるご存在であり、尊厳性・道義性の体現者であらせられる天皇に帰一する日本を復興することが、國體の開顕であり明徴化である。

 

我が國國民の心の底にある國體精神を蘇らしめ、それを核として強大な統合力を生み出し、混迷せる状況に対して革新の行動を起こすことが今求められてゐる。

 

わが國は日本喪失の精神状況から脱出して、日本民族の誇りと矜持を取り戻さねばならない。それは偏狭な排外主義・独善に陥ることでは決してない。「神話の精神の復活」によって精神の救済を図るといふことである。

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千駄木庵日乗十二月十日

午前は、諸雑務。

午後二時、千代田区内の先輩の事務所訪問。内外の諸情勢について意見交換。

この後、平河天満宮参拝。境内で多くの人が喫煙をしていた。

帰宅後は、明日の『萬葉集』講義の準備。『政治文化情報』の原稿執筆。

松本健一氏著『畏るべき昭和天皇』を読了しました。昭和天皇に対する敬愛の念がひしひしと伝わってくる本でした。昭和天皇がいかに日本国の安泰のために努力され祈られてきたかが克明に描かれています。三島由紀夫氏の天皇観に対する批判は、小生とは意見が少し異なります。また、「天皇の祭祀」についての言及が少ないことが残念でした。

今日から読み出した本は、ルース・ベネディクト著『菊と刀』です。この本は長い間詠みたいと思っていたのですが、機会がなくて読めませんでした。

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2013年12月10日 (火)

天照大御神について

天照大御神は、『古事記』によると、伊耶那岐命が、筑紫の日向の橘の阿波岐原で禊祓へされた時、左のみ目を洗ひたまひし時になりませる神である。右のみ目を洗ひたまひし時になりませる神は月読命、鼻を洗ひたまひし時になりませる神は須佐之男命である。

 

『日本書紀』には、「伊耶那岐命・伊耶那美命、共に議(はか)りて曰(のたま)はく、吾すでに大八洲國及び山川草木を生めり。いかにぞ天の下の主たる者を生まざらむや、と。ここに共に日神(ひのかみ)を生みます。大日孁貴(おほひるめのむち)と號(まを)す。此の子(みこ)、光華明彩(ひかりうるは)しくして、六合(くに)の内に照り徹る」と記されてゐる。

 

古代日本人は太陽を崇めた。天孫・邇邇藝命が天降られた地は、「朝日の直(ただ)刺す国、夕日の日照る国なり。故(かれ)此の地はいと吉(よ)き地(ところ)」(『古事記』)と記されてゐる。『萬葉集』の「人麻呂歌集」には、「ひさかたの 天つみ空に 照れる日の 失せなむ日こそ 我が恋やまめ」といふ歌がある。

 

古代日本人の素朴な太陽への信仰・崇拝の心が、次第に純化し太陽の光明温熱によって万物万生が生成化育するといふ、その尊い事実を神格化して太陽を最高尊貴な人格神として拝むようになったのである。

 

古代日本人は日の神の永遠性を信仰してゐた。ゆへに、日の神たる天照大御神は、最尊最貴の神と仰がれる。天照大御神は、高天原の主神であり、日の神である。その日の神を祀る祭祀主を共同体の「おほきみ」と仰いだ。そして日の神を「おほきみ」の祖神と信じた。天照大御神は、日神と穀靈に五穀の豊饒を祈る祭祀主である「おほきみ=天皇(すめらみこと)」の御祖先神としても仰がれるやうになったのであらう。天照大御神は、大日孁貴尊(おほひるめのむちのみこと)とも申し上げる。太陽を神格化した御名である。「ヒルメ」は光り輝く意で、「メ」は女神の意である。天照大御神は、日の神=自然神と、皇祖神=祖先神との二つの面を持つ女性神であられる。

 

 天照大御神は、女性神であるから武を尊ばれないといふ事は絶対にない。弟神の須佐之男命が高天原にお上りになって来た時、「善(うるは)しき心ならじ」と思し召され、弓矢で武装され、大地を蹴散らして雄叫びの声をあげられた。

また、女性天皇も、斉明天皇などは戦ひの先頭に立たれた。

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千駄木庵日乗十二月十日

午前は、諸雑務。病院との連絡など。医師の話によると、なかなか食事が進まないので点滴をやめるわけにはいかないとのこと。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆、そして書状執筆など。

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2013年12月 9日 (月)

日本国の統合と安定と平和の基礎

祭祀主はたる日本天皇は、神と人との間に立たれ、神の御意志を民に伝へ、民の願ひを神に奏上する役目を果たされる。故に天皇は、神の地上における御代理即ち現御神・天子・上御一人と仰がれる他に並びなき御存在である。

日本國は本来、農耕生活を基本とする文化國家であり祭祀國家である。武力・権力を基本として成り立ってゐる権力國家ではない。また多くの人々が契約を結んで成立した契約國家でもない。

天皇の國家統治の基本は農耕生活から生まれた平和な信仰精神である。天皇の國家統治は、祭祀を中核とする平和的な農耕生活・稲作文化が基本である。

天皇が日本國の統治者であらせられるといふことは、天皇が政治権力や軍事力によって國民を支配し服従させるといふことではない。ただし、天皇が政治権力や軍事力と全く無縁であるといふのではない。日本国の政治権力や軍事力の権威と道義の源泉は天皇の神聖性にある。

武力・権力・財力による支配は、相対的支配である。故に、興亡常なき支配なのである。源氏・平家・徳川などの覇者の歴史を見れば明らかである。

天下を武力で統率した武家政権=幕府権力は、祭祀主たる神聖君主・天皇の御親任を得ることによってはじめてその正当性を獲得した。それは今日においても同じである。最大多数の政党が内閣を構成しても、天皇によって親任されることによって「大臣」としての地位を得る。かうした仕組みが、日本国の統合と安定と平和の基礎である。

 

 

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千駄木庵日乗十二月八日

午前は、諸雑務。

午後は、親族などと今後の母のことなどについて相談。

このあと、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2013年12月 8日 (日)

「元初の清浄なる日本」に帰ることが維新である

「神話の精神」は今日唯今、「天皇の祭祀」に脈々と継承され生きてゐる。太古の神話の精神が今日も生き続けている民族は日本民族のみである。ゆゑに、わが國體は萬邦無比なのである。

 

わが國には、「今即神代・神代即今」「高天原を地上へ」といふ言葉がある。

西田幾多郎氏は、「神皇正統記が大日本者神國なり、異朝には其たぐひなしといふ我國の國體には、絶対の歴史的世界性が含まれて居るのである。我皇室が萬世一系として永遠の過去から永遠の未来へと云ふことは、単に直線的と云ふことではなく、永遠の今として、何処までも我々の始であり終であると云ふことでなければならない。天地の始は今日を始とするといふ理も、そこから出て来るのである。慈遍は神代在今、莫謂往昔とも云ふ(旧事本紀玄義)。日本精神の真髄は、何処までも超越的なるものが内在的、内在的なるものが超越的と云ふことにあるのである。」(世界新秩序の原理・「西田幾多郎全集 第十二巻」所収)と論じている。

 

「日本精神の真髄は、何処までも超越的なるものが内在的、内在的なるものが超越的と云ふことにある」といふことが非常に重要である。わが民族は、神代・天上の理想國を地上・今の代と隔絶した存在とは決して考へなかったのである。神代は時間を超越した實在である。今此処が神代なのである。「神代今に在り、往昔と謂ふ莫れ」とはさういふことを意味する。それは観念的論議ではない。日本の天地自然の中に神々は生きてゐたまふといふわが國の傳統信仰である。

「神代即今」「今即神代」の理想を継承し顕現させることによって、現代を祓ひ清め変革することが真の「復古即革新」すなはち維新である。「復古」の「古」とは「元初の日本」「永遠にして常に新しい神代」のことである。

 

現状の穢れを祓ひ錆を落とすために、「元初の清浄なる日本」に帰ることが維新である。今日の危機的状況を維新変革の好機ととらへねばならない

 

大東亜戦争敗北以来、わが國は、天皇を祭祀主と仰ぐ日本國體の真姿を隠蔽し、政治・外交・経済・軍事などの國家の根幹に関はる面で自主独立性を喪失してゐる。今こそ復古即革新すなはち維新の戦ひを断行し、日本のあるべき姿を回復し、國難を乗り越えなければならない。

 

神代以来の祭祀國家・信仰共同体たる日本の真姿の中心におはしますご存在が、祭祀主たる天皇であらせられる。天皇がおはしまさずして、真の日本はあり得ない。祭祀主であらせられ、神の如くに清浄なるご存在であり、尊厳性・道義性の体現者であらせられる天皇に帰一する日本を復興することが、國體の開顕であり明徴化である。

 

我が國國民の心の底にある國體精神を蘇らしめ、それを核として強大な統合力を生み出し、混迷せる状況に対して革新の行動を起こすことが今求められてゐる。

 

わが國は日本喪失の精神状況から脱出して、日本民族の誇りと矜持を取り戻さねばならない。それは偏狭な排外主義・独善に陥ることでは決してない。「神話の精神の復活」によって精神の救済を図るといふことである。

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千駄木庵日乗十二月七日

朝、母が入院している東京厚生年金病院から連絡があり、リハビリパンツを持ってきてくれと言われる。何故病院で用意できないのであろうか。一階のコンビニで売っているではないか。また本来リハビリパンツくらいは病院で用意しておくべきではないのか。全く病院というのはおかしなところである。リハビリパンツを自宅近くの薬局で購入し、病院に赴く。病院側の要請により付き添うことができない。母は眠っていたが、頬を撫でて「頑張って」と言ったらうなずいてくれた。私が来たことをわかってくれたのであろう。切ない。

午後十二時、自宅近くの診療所に戻り、医師・看護師・ケアマネージャーの方々と今後のことについて相談。家に帰ることができればいいが、そうではないと大変である。院内感染によってかかる事態になったのである。何とも悔しい。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。潮匡人拓殖大学日本文化研究所客員教授が「二〇二〇年のアジアと日本」と題して講演。質疑応答。

帰宅後は、原稿執筆。

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2013年12月 7日 (土)

木造建築及び煙草について

以前、『日経』のコラム欄に、佐伯一麦という作家の方が。大要次のようなことを書いていた。

 

「鉄筋コンクリートの床があらわになった空間は、人の声を硬く撥ね返し刺々しくする。木造家屋で話をすると自分の声が天井などに柔らかく吸収され、自然な口調になる。学校でのいじめ問題も、校舎が鉄筋コンクリートになったため、声が硬く反響する空間で、苛立ちや拒絶が倍加するのではないか」。

 

小生の小学校時代は、戦後建てられた木造モルタル造りの校舎で、冬は石炭やコークスを使ったストーブで暖をとった。窓などから隙間風が入って来た。子供たちの殆どは手の平や耳たぶにしもやけが出来ていた。給食も不味かった。一クラス五十人以上のすし詰め学級だった。

 

勿論、いじめっ子は致し、いじめもあった。しかし今のような陰惨ないじめはなかった。自殺に追い込むというような歯止めのきかないいじめはなかった。

 

校舎が立派になり鉄筋コンクリート、冷暖房付きなり、給食がうまくなり、「教育施設」が充実しても、決して子供たちが伸び伸びと明るく健全に育っているというわけではないようである。これは、学校に限ったことではない。人類全体が、科学技術が進歩発展し、生活が快適になっても、人と人との争い、国家民族同士の戦争は、ますます激化しとどまるところを知らない。むしろ科学技術が進歩発展しているだけに、戦争の惨禍がよりひどくなっている。

 

日本の建物を全部木造に戻すということは不可能だが、内部だけでも出来るだけ木と紙を使った建物にしてほしい。

 

先日、神田学士会館の喫煙コーナーに煙草を吸いに入ると、お年を召した男性の方が煙草を吸っておられた。その方曰く「煙草を吸う民族や地域はあまり争い事や戦争は起らない。アメリカは禁煙大国だが戦闘的だ。コーヒーは心を落ち着かせる効能持つ。煙草とコーヒーはむやみに抑制すべきではない」という意味のことを言っていた。ご職業を聞くと、ある有名なコーヒーメーカーの元社長・現顧問とのことであった。

 

のみ過ぎは良くないに決まっているが、煙草は決して百害あって一利なしとは言えない。精神を落ち着かせる効能がある。ただし、煙草を吸う人は戦闘的ではないというのには少し疑問がある。共産支那の初代皇帝・毛沢東も、北朝鮮の初代皇帝・金日成も愛煙家であったが、残虐さ・戦闘的という面では比類がない人物であった。

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千駄木庵日乗十二月六日

朝、母が元気がない。ベッドからも起きてこないし、食欲もない。診療所の医師と看護師が来宅。脱水状況がひどくなる恐れがあり、自宅で点滴をすることは不可能なので、入院させるべしとの結論に達し、昨日まで入院していた東京厚生年金病院に入院依頼をすることとなる。

午後、東京厚生年金病院が再入院を許諾したので、救急車で母と共に病院に赴く救急車に連れて行こうとすると、母が嫌がり、抵抗したのには本当に困った。

病院に到着し、母は点滴を受けてから病室に入る。点滴を受ける時も母は非常に痛がっていた。可哀想でならない。医師と今後のことについて相談。同病院内で院内感染したのであるから、同病院の責任は非常に大きい。医師はともかく、看護婦長にはその責任自覚が乏しいように思える。母が入院し治療を受けるのだから、あまり病院と摩擦を起こしたくないだが、我慢にも限界がある。病院側は付き添いは避けてもらいたいという意向なので、仕方なく病院を出る。母が苦しまないように祈るのみである。九十四歳の母が苦しむのは息子にとって本当につらい。

午後六時より、溜池山王にて、憲法問題の専門家の方など数人の同志と懇談。

帰宅後は、原稿執筆の準備。

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2013年12月 6日 (金)

 「もののふ」の原義

「もののふ」とは、武人・武士のことをやまとことば(和語すなわち漢語や西洋などからの外来語に対し、日本固有の語)で言った言葉である。

 

「もののふ」の原義は、「宮廷を守護する者」即ち「物部」の音韻が変化した語が「もののふ」である。「もの」とは「もののけ」の「もの」と同じで、不思議な霊力がある存在のことである。物部氏という氏族は、もっとも有力な「もののふ」だったという。

 

「物部」の原義は、宮廷の妨げをするものを平らげ鎮める働きをする部(世襲的に一定の職業に従事した団体)のことである。物部氏は、古代の氏族の一つで、朝廷の軍事・刑獄のことを司った。古代日本では、霊的力即ち巫術を以て戦場に臨み、敵軍を守る精霊を抑圧するものが「もののふ」(物部)であった。

 

「もののふのみち」=武士道は、物部、大伴の二氏によって明確なる史実として表現せられた。

 

物部氏は饒速日命の後裔で武勇を以て聞こえた家柄で、神武天皇に奉仕し、御東征の折に大和で長髄彦を討って勲功があった。大伴氏と共に宮門を護衛し、軍事を担当した。これが後世武士の起こる濫觴とされている。用命天皇の崩御直後(用命天皇二年・五八七)、仏教受容を唱えた蘇我氏の馬子と物部守屋が争い破れて物部氏は滅びた。

 

もののふの道(武士道)とは、古代日本においては、宮廷を守護すること即ち皇室に忠誠を尽くすという精神である。それが原義である。日本武尊の御生涯にそれは明らかである。

萬葉歌人・笠金村は、

 

「もののふの 臣(おみ)の壮士(をとこ)は 大君の 任(まけ)のまにまに 聞くといふものぞ」

(三六九・もののふとして朝廷に仕える男は、大君の仰せの通りに御命令の通りに聞き従うものであるぞ)

 

という歌をのこしている。

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千駄木庵日乗十二月五日

午前は、東京厚生年金病院に赴き、母の退院手続。担当の医師及び看護婦長に色々と話を聞く。自宅に帰った方が良いとのこと。母と共に帰宅。介護の方と共なり。

午後は、母に付き添うとともに、必要なものを買いにゆく。たしかに自宅に戻った母は、病室にいる時よりもやや元気になったようである。ケアマネージャー来宅、今後ことについて相談。

午後六時より、麹町にて『日本再生同志の会役員会』開催。中村信一郎氏が司会。小田村四郎会長が挨拶。西村真悟衆院議員・加瀬英明副会長がスピーチ。そして全員が意見を述べた。

帰宅後は、母に付き添う。書状執筆など。

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2013年12月 5日 (木)

『江戸の狩野派――優美への革新展』参観

今日参観した『江戸の狩野派――優美への革新展』は、「狩野派は、始祖の正信が、室町幕府の御用絵師の地位に就任し、次代の元信が堅固な流派体制を築いて以来、桃山・江戸時代~幕末明治期まで、日本画壇の中心的な存在であり続けた一大画派です。本展では、京都から江戸の地に進出した探幽(160274)以降の“江戸狩野”に焦点をあてます。“家法一変”させたといわれる探幽の優美・瀟洒な絵画様式を継承しながら、さまざまな個性が活躍した江戸狩野の魅力に迫ります」との趣旨で開催された。

 

狩野探幽像(傳桃田柳栄)・鸕鷀草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)降誕図(狩野探幽)・猛虎図(狩野尚信)・波濤水禽図屏風(狩野常信)・竹林七賢・香山九老図屏風(狩野探幽)・源氏物語 賢木・澪標図屏風(狩野探幽)・江戸城本丸等障壁画絵様(狩野養信)・富岳図(狩野探幽)・猿曳・酔舞図屏風(狩野尚信)などを観る

 

狩野派は、支那の宋・元・明時代の絵画などを手本とした「漢画派」といわれる。日本伝統の「やまと絵」にも学び、和漢融合した自派の様式を創ってきたという。たしかに支那の景色や人物を題材とした絵画よりも、富士山など日本の景色を描いた作品に見事なものがあった。大画面の屏風作品は特に美しかった。

 

狩野探幽は徳川幕府の御用画家であるから、江戸城内に障壁画など見事な作品を描いたであろう。しかし、本丸も西の丸も火災に遭い、探幽の作品は残っていない。不思議に思うのは、明治維新の時の江戸城明け渡しの際、そこにあったはずの絵画などの美術品はどこに移されたのか、明らかになってゐないように思われることである。あるいは、私だけ知識が不足しているだけなのかもしれない。名古屋には徳川美術館というのがあった尾張徳川家伝来の美術品が保管・展示されている。しかし、栄華を極めたはずの德川宗家=江戸城にあったはずの美術品を所蔵し展示している美術館は存在しない。

 

同時に展示されていた「古九谷焼」がまた素晴らしかった。

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2013年12月 4日 (水)

千駄木庵日乗十二月四日

午前は、諸雑務。

午後、丸の内の出光美術館にて開催中の『江戸の狩野派――優美への革新展』参観。

帰宅後は、『月刊日本』連載中の「萬葉集」解釈原稿執筆・脱稿・送付。

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最近寄贈していただいた書籍

最近寄贈していただいた書籍をご紹介申し上げます。
ご寄贈いただいたす方々に心より御礼申し上げます。

ケント・ギルバート氏著 『不死鳥の国ニッポン』 日新報道 発行所より

黄文雄氏著  『もしもの近現代史』 扶桑社 著者より

戸矢学氏監修 『初心者にもわかる神社とご利益』 メティアックス 監修者及び発行所より
四宮 正貴さんの写真
四宮 正貴さんの写真
四宮 正貴さんの写真

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最近寄贈していただいた書籍

最近寄贈していただいた書籍をご紹介します。
ご寄贈いただいた方々に心より感謝申し上げます。

宮崎正弘氏著 『取り戻せ!日本の世紀』 並木書房 著者より

ベン・アミー・シロニー氏著 『日本の強さの秘密』 日新報道 発行所より
四宮 正貴さんの写真
四宮 正貴さんの写真

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萬葉古代史研究會 のお知らせ

萬葉古代史研究會

小生が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

日時 十二月十一日(毎月第二水曜日) 午後六時半より 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円  

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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祭祀と維新

 神道の基本行事は、神を祭ること即ち祭祀である。「祭り」とは神に奉仕(仕え奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従い奉ることである。つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓いする行事である。

 

 人は、はじめから神に生かされ、神と離れた存在ではなく神と一體の存在であった。しかし、様々の罪穢が神との一體観・神と共に生きる姿勢と心を隠蔽してしまった。禊によって罪穢を祓い清め、祭りと直會(神と共に供え物を食する行事)によって神との一體観を回復する。これが神道行事の基本である。

 

 つまり人の本来の姿を回復することが祭りの原義である。『古事記』に示されている「天地の初発(はじめ)の時」(天地宇宙の始まりの時)に回帰する行事が祭りである。

 

 混迷の度を深めている我が國も、「天地の初発の時」即ち神がお生みになった日本國の最初の時の姿を回復することによって、この危機的状況を打開することができるというのが、我が國の傳統的な信仰である。

 

 「維新」とは、実に罪穢を祓い清め國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿を回復することである。したがって、今日行うべきことは罪穢を祓い清めることである。

 

 國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿とは、遥か彼方にある天國とか極楽浄土ではない。今此処に、日本人の本来の生活と信仰とを戻すことである。

 

 今日唯今も実際に全國各地で毎日のように行われている禊と祭祀は信仰共同體日本の本来の姿を回復する祈りが込められている行事である。

 

 日本傳統精神を世界に発展させて、混迷せる現代世界を救済する役目をわが日本は担っているのである。日本傳統信仰の精神が世界の國と民を永遠の平和と幸福に導く道である。これが「八紘為宇の精神」である。

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千駄木庵日乗十二月三日

午前、諸雑務。

午後、書状執筆。母が入院している病院の医師より連絡があり、食事ができるようになり、快方に向かっているので、今週中に退院できるとのこと。安堵す。

午後四時より、西荻のたちばな出版にて、『伝統と革新』次号の編集会議。次号のテーマ、執筆者について討議。この後、出席者の懇談。

帰宅後は、資料の整理など。

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2013年12月 3日 (火)

力がない國は侵略され、滅ぼされる

「わが國は侵略戦争をした悪い國であり、中國や南北朝鮮からどんなに主権を侵害されても、内政干渉をされても、文句を言ったり反撃してはならない」という観念が「現行占領憲法」の基本精神である。「現行憲法」前文には「日本國民は…政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうに決意し…平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。

 

これは「日本は東條内閣の行為によって侵略戦争を起こしましたが、二度とそのような事はしないことをお誓いします。今後はアメリカ様、ソ連様、中國様など戦勝國の皆様の公正と信義に信頼して、侵略を行なった悪い國であるわが國とわが國民の生存と安全を保持してまいります。今後は何をされても決してお手向かいを致しません」という『詫び証文』である。

 

この『わび証文』の精神を実践しているのが今日の日本の外交である。「憲法守って國滅ぶ」という言葉はまことに真実である。「現行憲法」否定なくして真の主権回復はあり得ない。

 

祖国の歴史への正しい認識と國を守る心を常日頃持っていなければ道徳心は起ってこない。大東亜戦争は誇りある戦いである事を正しく認識し、子々孫々に語り伝え、負け犬根性から脱却しなければならない。

 

「現行占領憲法」は、戦勝国によって日本の弱体化を目的として、銃剣の圧力のもとに国際法に違反して押し付けられた憲法である。「占領憲法」のいわゆる「国際協調主義」「恒久平和主義」なるものは、日本の自存・自衛の戦い・アジア解放の戦いであった大東亜戦争が日本の一方的侵略であったとする戦勝国の一方的「断罪」を基礎としている。このような自虐的な「恒久平和主義」が戦後の日本の混迷と堕落の根本原因なのである。

 

わが国は、このような欺瞞的・亡国的「平和思想」から一日も早く脱却しなければならない。

 

まして最近、何を今更という感じであるが、支那も韓国もまともな国ではないということを再認識した。馬鹿な国である。馬鹿につける薬は無い。まともに相手にしてもしょうがない。馬鹿が相手だから祖国防衛の固めはしっかりとすべきである。

 

北方領土は、ソ連が武力によって侵略し占領した。竹島は、韓国が武力によって侵略し占領した。尖閣・沖縄も、支那が武力によって、侵略しようとしている。

 

弱肉強食・強い者勝ちが冷厳な国際社会の原則である。『占領憲法』前文に書かれている「人間相互の関係を支配する崇高な理想」などというものは、少なくとも南北朝鮮・支那は持ち合わせていない。

 

力がない國は侵略され、滅ぼされるのである。

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千駄木庵日乗十二月二日

午前は、諸雑務、この後、『伝統と革新』編集の仕事。

午後、東京厚生年金病院に赴き、母に会おうとしたが、しばらく待たされた後、看護婦長から「ノロウイルスに感染しており、まだ下痢が完全に止まっていないので、感染する恐れがあるので、今週中は面会はできない」と言われる。電話で連絡してくれればいいものをと思う。仕方なく帰る。母は私が来るのを楽しみにしており、昨日は涙を流して喜んでくれた。本当に悲しいことだ。一日も早く全快し、退院できることを祈るのみ。

午後六時より、赤坂にて、先輩同志諸氏と会食、懇談。主催してくださった先輩に心より感謝申し上げる。

帰宅後は、資料の整理など。

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2013年12月 2日 (月)

渡邉允氏(前侍従長)の講演内容

十月十九日に行われた『武藤記念講座』における開催。渡邉允氏(前侍従長)の「天皇皇后両陛下のお仕えして」と題する講演の内容は次の通り。

 

「外務省に三十六年間奉職。その後、宮内庁十八年奉職。両陛下のおそばで雑用をしていた。長い次巻、陛下のおそばにいた。東京五輪招致運動に、皇室も関わっていただきたいとの御話しもあった。高円宮妃殿下の投票前にスピーチが強い印象を与えた。この事について宮内庁は終始一貫招致運動の一環ではないではないと言った。政府もそういう建前をとった。宮内庁の言っていることはもっともだと言う人は少ない。大げさに言うと『天皇は日本国の象徴であり、国政に関する権能を有しない』という憲法の規定に深くかかわる。オリンピック招致運動は三つの都市の争い、選挙運動。現実の政治的活動。『天皇は国政に関与しない』ということに抵触するのではないかが、宮内庁の問題意識。天皇・皇室は争いごとに組しない。

 

今上陛下は、自己抑制的であられる。皇位継承問題で、皇室の意見を伺うべしという意見がある。陛下は『皇室典範』という法律の問題なのでご自分の意見は言われない。しかし意見がないというのとは違う。

 

両陛下は、身体障害者・高齢者に心を寄せておられる。『福祉の対象になる人々、普通の人々より重い荷物を背負いくるしい思いをして生きている人々に寄り添うのが私たちのつとめ』と仰せになっている。

 

両陛下の物事のなさり方は非常に丁寧。陛下は、『象徴』とは何をどうすればいいのかという事を毎日考えておられる。ぼんやりとしておられる時がない。何時も何かを考えておられる。一つ一つ手を抜かれるということはない。

 

皇位継承の事で、旧皇族の方々の復帰という議論がある。そういうものではないと思う。血の一滴がつながっていることが大事なのか、陛下がやっておられることをずっと見ていることが大事なのかということ。男系が続いたのは、一夫多妻制だったから出来た。

 

私がお仕えしてきた感じから言えば、陛下は小泉信三氏、バイニング夫人だけでなく、多くの人々の教育も受け、話も聞かれた」。

 

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千駄木庵日乗十二月一日

午前は、今日の講演の準備など。

午後二時より、春日の文京区民センターにて、『日本の心を学ぶ会』開催。渡邉昇氏が主催者挨拶。小生が「いはゆる『皇室の政治利用』について考へる」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。政治権力とメディア権力の皇室に対する冒涜行為について語らせていただいた。

終了後、忘年会を兼ねて懇親会が行われたのだが、大変申し訳ない次第だったが、欠礼して、母が入院している病院に赴き、しばらく付き添う。病院内でノロウイルスに感染してしまったのだが、昨日よりは良くなっている感じである。小生が病室に入って行ったら、涙を流して喜んでくれた。こうしたことは初めてである。

帰宅後は、書状執筆など。

今、読んでいる本は、橘孝三郎氏著「神武天皇論」、そして野村秋介氏の「獄中日記―千葉編」。どちらも魂に響く本である。知識をひけらかし理屈をこねた本ではない。命懸けの文章と言ってもいい。

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2013年12月 1日 (日)

式年遷宮について

 今年もあと一カ月である。今年は、伊勢の神宮の第六十一回式年遷宮の年であった。伊勢の式年神宮は、二十年に一度、御正殿以下御垣内の諸社殿を全て新しく造り替え、御正殿内の御装束御神宝の一切を新しく調進して、新しい御正殿の御神座に大御神の御移りを願うという、『古事記』『日本書紀』そして『萬葉集』が編纂された時代である飛鳥時代に、天武天皇が定められ持統天皇の御代から始められた伊勢の神宮の重要な祭祀である。もっとも鄭重にして特別の神嘗祭(その年の稲の初穂を天照大神および豊受大神に捧げる祭)であるといわれている。ゆえに大神嘗祭(おおかんなめさい)とも称されている。持統天皇の四年(六九〇)に天照大神をお祭りする皇大神宮、同六年に豊受大神をお祭りする豊受大神宮の第一回の式年遷宮が行われたと承る。式年とは定まった年という意である。

 

 式年遷宮は、ただ単に「社殿などが古くなったので作り替える」という行事ではない。神をお迎えしお鎮まり頂く神殿を、二十年に一度の周期で新たならしめることによって、神域全体ひいては天地宇宙を更新し、神の威力を益々発揮して頂くという意義がある。もちろん我々日本国民も霊的宗教的に新たに生まれ変わるのである。

 

 日本伝統信仰の祭りとは、人の霊・心・肉そして天地一切を更新し清浄化する行事である。そもそも祭りとは神人合一・今即神代を実感する行事である。恐れながら、天皇御即位の御時の大嘗祭もしかリである。天皇の肉身は変わられても現御神(あきつみかみ・天照大神の地上的御顕現)としての天皇の御本質は不変で、新たなる天皇の肉身に神霊が天降られ天孫降臨が繰り返されるという信仰の祭儀であるところの大嘗祭と伊勢の御遷宮(大神嘗祭)は相似である。

 

 真弓常忠氏は「神宮の遷宮は二十年一度の大神嘗祭であり、…皇祖の大御神の神威に新たな甦りを仰ぐ最大最重の厳儀である。それは、宮中の大嘗祭に相相応する大儀である。このことは、皇居においても、御代ごとに遷宮する例であったのが、持統天皇の藤原京より恒久的な皇居を営まれたことも照応する。昔から伊勢の遷宮を『皇家第一の重事、神宮無双の大営』(『遷宮例文』)といわれてきた所以がここにある。それは始源においては、大嘗祭と表裏一体の相対応する大儀であった」(大嘗祭の世界)と論じておられる。

 

 常に全てを祓い清めて新生を繰り返し永遠の生命を甦らしめるというのは、日本伝統信仰の根本である。日本は長い歴史を有する国であるが、ただ古さを誇りとするのではなく、伝統を顧みつつ常に新生を繰り返してきたところに素晴らしさがあるのである。単に歴史が長いというのなら支那・朝鮮・エジプト・ギリシアなどの国々も長い歴史を有している。しかし、それらの国々の古代民族信仰は皆滅びたり、大きく変質し、今日残っている神殿なども廃墟と化し、ただ観光施設として見物の対象になっているのみである。

 

 ところがわが日本おいては、これだけ科学技術が進歩し物質文明が豊かになっている今日においても、古代信仰・民族信仰が脈々と生きており、伊勢の神宮をはじめとした全国各地で神社で毎日のようにお祭りが行われている。のみならず日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられている。そしてその祭り主たる日本天皇は日本国家の中心者として君臨あそばされている。このようにわが祖国日本は永遠の生命を保ちつつ革新を繰り返してきている国である。これが世界に誇るべき日本の素晴らしさである。

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千駄木庵日乗十一月三十日

午前は、諸雑務。

午後は、明日行われる『日本の心を学ぶ会』における講演の準備など。

夕刻、病院に赴く。昨日あれ程回復していた母が、院内感染により、下痢症状を起こしていた。月曜日に退院の予定だったが、延期となった。母が衰弱し、苦しむ姿を見るのは本当につらい。こういう時には病院の責任は甚だ大きいと思う。医師は苦し紛れに家族から伝染したようなことはを言った。病院に訪れている家族は私である。私からから感染するはずがない。まことおかしな態度である。責任回避をしているとしか思えない。食事をしていたのに、また点滴に戻ってしまった。本当に残念だし、母が可哀想である。

帰宅後も、明日の講演の準備と諸雑務。

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