« 千駄木庵日乗十一月十日 | トップページ | 千駄木庵日乗十一月十一日 »

2013年11月11日 (月)

国難に晒されてゐる今日において偉大なる「勅撰和歌集」が撰進されるべきである

和歌は、天皇・皇室を中心に継承されて来た。古来、わが國に於て幾度か『勅撰集』が編纂され撰進された。和歌の中心に常に天皇が存在し、和歌集の多くは勅撰によって成立した。

 

天皇の國家統治の基本に和歌がある。和歌は天皇の國家御統治と一體である。天皇國家統治をやまとことばで「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の御心を民に示し、民の心を天皇が知り給ふために實に和歌が重要な役割を果たしたのである。天皇の國家統治は和歌と切り離し難く一體である。天皇の國家統治は、西洋や支那の皇帝・國王のように権力・武力によって國民と國土を支配するのではない。日本天皇は、まつりごとと和歌といふ二つの信仰的精神的営為によって國民と國土を統治されるのである。

 

本居宣長は「もののあはれを知るといふことをおしひろめなば、身ををさめ、家をも國をも治むべき道にわたりぬべきなり。…民のいたつき、奴のつとめをあはれとおもひしらむには、世に不仁なる君はあるまじきを云々」(『源氏物語玉の小櫛』)と論じてゐる。

 

宣長は「もののあはれを知る」心が日本人の道義精神の原理であり、さらには政治の原理であるとしてゐるのである。天皇が和歌を詠ませられるとともに、『勅撰和歌集』の撰進が行はれたのは、まさに御歴代の天皇が「もののあはれを知る心」を養ひたまふことを國家統治の基本とされてきた事を証しする。

 

今日において、まさに、「国風文化」が復興しなければならない。大化改新といふ大変革・壬申の乱といふ大動乱の時に『萬葉集』が生まれ、平安中期の国風文化勃興の時に『古今和歌集』が生まれたやうに、国難に晒されてゐる今日においても、偉大なる「勅撰和歌集」が撰進されるべきであると信ずる。それが言霊の復活であり、世の乱れを正す大いなる方途である。

|

« 千駄木庵日乗十一月十日 | トップページ | 千駄木庵日乗十一月十一日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/58552860

この記事へのトラックバック一覧です: 国難に晒されてゐる今日において偉大なる「勅撰和歌集」が撰進されるべきである:

« 千駄木庵日乗十一月十日 | トップページ | 千駄木庵日乗十一月十一日 »