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2013年11月25日 (月)

三島由紀夫氏の自決は日本の文化意志の発現だった

 三島由紀夫氏は、「『文武両道』とは、散る花と散らぬ花とを兼ねることであり、人間性の最も相反する二つの欲求およびその欲求の実現の二つの夢を、一身に兼ねることであった。……本当の文武両道が成り立つのは死の瞬間しかないだろう。」(『太陽と鉄』)と論じている。三島氏は自己の実人生でそれを実現した。

 

 

 三島氏の自決は日本の文化意志の発現だった。三島氏にとって、「武」と「死」とは同義語であった。三島氏がドナルド・キーン氏に宛てた遺書で、「ずっと以前から、小生は文士としてではなく、武士として死にたいと思ってゐました」と書いた。文士ではなく武士として死にたいというのは戦時下の三島氏の武士(国のために身を捧げる軍人)への憧れから来ている。

 

 

 三島氏は「文士」という言葉をよく使った。今はこの「文士」という言葉すら死語になってしまった。「文人」を「文士」ということはあるが、「商人」を「商士」とはいわない。「士」とは立派な男子という意味である。「文士」とは文を書くことに最高の価値を求め、他を顧みない男児というほどの意味が含まれる。

 

 

 三島氏は、言葉の真の意味において「身分の高貴さ」を顕示しつつ死ぬことに憧れていた。この「身分の高貴さ」とは、死を恐れない武士のことである。

 

 

 日本民族の文化意志において、切腹はまさに美の実現であった。『忠臣蔵』の浅野内匠頭や大石蔵之助等四十七士の切腹を、江戸時代以来のわが國の庶民大衆が讃美し続けているように、切腹とは、日本人にとって『美』であった。それは武における美の実現の最高の形態と言って良い。

 

 

 詩歌などの『文』は、いうまでもなく『美』を求める。切腹や特攻隊の自爆などに見える散華の美とは、『文』が求めてやまない『美』の極致である。三島氏はその美の極致を少年期より求め続け、割腹自決によって実現したと言える。

 

 

 愛するものへ命を捧げることを、清水文雄氏は、「『死』をもてみやびする」と表現した。三島氏の自決も、「死をもてみやびしたのだ」と、岡保生氏は言う。

 

 

 

 割腹自決は名誉ある死であると共に、克己心が必要な苦しい死である。三島氏が理想とした美の極致としての自決は、絶望と苦しさから逃避するための現代日本の自殺の横行とは全く別次元のものである。

 

 

 戦後の『平和と民主主義』の時代は、三島氏の理想とした美を全く否定してきた。できるだけ平和のうちに長生きし、苦しまないで死ぬことを希求する。戦後の政治も文化も、散華の美とは全く対極にある。人生に行き詰まり、絶望して死を選ぶ人は多いが、おのれの美學のために死ぬなどということはない。三島氏は芥川龍之介の自殺にふれて、「文學者の自殺を認めない」と断言した。三島氏の自決は自殺ではない。いわんや文學者の自殺ではない。

 

 

 三島氏の自決の決意は、「檄文」の「共に立って義のために共に死ぬのだ。……日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の國、日本だ」という言葉に示されている。それは十代の三島氏が信じたものであったに違いない。三島氏の言う「鼻をつまんで通りすぎただけ」の戦後社会以前の源泉の感情が死を決意させたと言える。

 

 

 三島氏は、死に遅れたというよりも生き残った人々が生活し構築した戦後社会を醜悪なるものとして嫌悪し、許せなかったのであろう。そして國のため天皇の御為に身を捧げた青年たちの散華の美を憧憬しその人たちの後を追ったのであろう。「もののふ」の崇高さと誇りと美を体現したのが三島氏の自決であった。

 

 

 三島氏は、戦争で死ぬことができなかったという思い、死に遅れたという悔恨の思いを持ち続けた。感受性の強い三島氏にとって、十代後半における祖國への献身・天皇のために身を捧げることの美しさへの感動を源泉の感情として生涯持ち続けたと推測される。

 

 

 戦後日本が虚妄と偽善と醜悪さと道義の頽廃に満たされ続けたから、三島氏の「源泉の感情」はより激しいものとなったのであろう。三島氏はそういう意味で、戦後を否定し拒否した。

 

 「生命尊重のみで魂が死んでしまっている戦後日本」においては、三島由紀夫氏自身が疎外者だった。文学もそして変革も、疎外者・流離者から生まれる。現実から受け入れられない人、疎外された人、あるいは自ら現実から脱出した人がすぐれた文学を創造し変革を行う。

 

 

戦後日本の救済・革新のために、日本の文化的同一性と連続性の体現者たる神聖君主・日本天皇への回帰を求めた。一切の頽廃を清め、虚妄を打破するために、道義の回復を求めた。それは彼の少年時代の源泉の感情への回帰であった。祖國への献身、天皇への捨身である。

 

 三島氏は歴史の中に生きた高貴な魂であった。日本の文化意志・日本の神々の御稜威を、身を以て体現した三島氏の魂は、今日の日本の日本人の魂を奮い立たせ覚醒せしめる永延の存在である。三島氏自身もまた日本の神々の一柱になられたのである。

 

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