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2013年11月30日 (土)

メディアックス発行・小生執筆の『初心者にもわかる百人一首』のお知らせ

『初心者にもわかる百人一首』
発行:株式会社メディアックス
定価:838円+税
ISBN 978-4-86201-454-2
四宮正貴が、百人一首全百首の解説・解釈・鑑賞・語釈を執筆いたしました。...
全国の書店で販売しております。
興味のある方はどうぞご購入下さいませ。

四宮正貴拝
『初心者にもわかる百人一首』
発行:株式会社メディアックス
定価:838円+税
ISBN 978-4-86201-454-2
四宮正貴が、百人一首前百首の解説・解釈・鑑賞・語釈を執筆いたしました。
全国の書店で販売しております。
興味のある方はどうぞご購入下さいませ。

四宮正貴拝

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日本國體と「国民主権論」

 西洋の国法学説でいう「主権」とは、近代中央集権国家がフランスに初めて成立する過程において国王の権力の伸長を国内外に主張し、絶対王政を正当化するための理論的武器となったものである。それは「朕は国家なり」という言葉でも明らかな如く、国王は何ら制約を受けない最高絶対の権力者とされ、国民は国王に信者の如く絶対服従するものとされ、国王と国民とは二極の対立概念として理解されているのである。

 

 西洋の国民主権論は、もっとも徹底した「反君主制」の理論として確立されたのである。そしてかかる反君主制の思想が、敗戦後戦勝国によって憲法の中に盛り込まれたのである。

 

 こういう史的・思想的背景を持つ西洋の主権概念は、日本國體とは絶対に相容れない。なぜなら日本では、古来西洋のような闘争の歴史は無かったからである。日本の歴史と伝統は、天皇を中心として君民一体となって民族共同体・信仰共同体を形成し発展させてきた。天皇と国民、国家と国民の関係は、相対立するものではなくして、不可分一体の関係にある。天皇と国民を、氷炭相容れない対立関係と見るのは、西洋流の考え方に立っており、日本の伝統ではない。

 

 我々がここで確認しておきたいことは、国民主権は決して人類普遍の原理ではないということである。前述したように、国民主権という考え方は国王・皇帝と国民が対立し抗争した歴史を持つ西洋諸国の考え方である。十七世紀のヨーロッパにおける国王と人民との争いの中で、ルソーが理論化した考え方が国民主権であるといわれている。国王の権力の淵源は国民の委託にあるのだから国民に主権があり、国民の意向に反する君主は何時でも打倒できるという考えである。

 

「主権」という言葉は西洋の国法学の影響により、国家における最高の政治権力と一般に解せられており、権力至上主義の臭みが濃厚である。「主権」という言葉が古来無かった日本は、主権が君主にあるとか国民にあるとかを成文憲法に記す必要はない。事実、『大日本帝国憲法』には「主権」などという思想も言葉もないのである。

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千駄木庵日乗十一月二十九日

午前から午後にかけて、諸雑務。

午後三時過ぎ、病院に赴き、母に付き添う。九十四歳の母の頑健さに驚く。医師と今後のことについて相談。

帰宅後は、資料の整理など。

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2013年11月29日 (金)

呉善花さんの講演内容

十月七日に行われた『一水会フォーラム』における呉善花さんの講演内容は次の通り。

 

「来日して三十年、まだ日本的なものに慣れない部分がある。その一つが発音。濁音の発音が韓国人にはやりにくい。聞くことも出来ない。日本は儒教国家ではない。それは敬語の使い方に現れている。韓国人と日本人は顔だけ見ると見分けがつかない。だから親近感を持ち、外国人という感覚を失い、トラブルの原因となる。日本・韓国・中国には違いがある。この違いを徹底的に検証すべし。

 

韓国ドラマが日本に定着したきっかけはペ・ヨンジュン。あんなナヨナヨした男の何処が良いのかと韓国女性は言っていた。イ・ヨンフンの方が、人気がある。儒教は上下関係かはっきりしている。徹底した階級社会。男尊女卑社会。日本は表面上、男権社会。しかし、それは表面だけで、実際は女性か支えている社会。強く完璧な男に限りなく魅力を感じるのが韓国女性。日本社会には母系社会の名残がある。女性神の存在が強い。

 

朴槿恵(パク・クネ)は外国に行くたびに日本の悪口を言いまくっている。韓国マスコミも日本の悪口を言いまくっている。今年の四月から物凄くなっている。KBSは『安倍政権=軍国主義、安倍=悪魔』と放送した。拓殖大学の学生たちは戦争など出来そうもない顔をしている人が多い。韓国ではこの情報化時代に、反日を言えば言うほどその人は評価される。

 

韓国は国民の半分がクリスチャン。『日本はキリスト教を信じていないから東日本大震災で天罰を受けた』と主張する。キリスト教は愛の宗教なのに世論は『よくぞ言った』と反応する。反日を言っているために、韓国は経済的にどれだけ損をしているか分からない。九十四歳のお年寄りが公園で、『日本統治時代の方が良かった』と言ったら、若者に殴り殺された。韓国世論は『よくぞ親日派を殺してくれた』と言う。靖国神社放火犯を英雄視する。日本統治時代を評価しない。韓国人の性格がよく表れている。親日派=売国奴。

 

日本統治時代に韓国は近代化された。農地改革を総督府が行ったので、生産量が二倍になった。一九一〇年の日韓併合以来三十年間で、人口は二倍近く伸び、一千二百万になった。これが結論。日本が略奪し、迫害したのなら人口が伸びただろうか。

 

私は売国奴とされ、李明博時代は入国できたのに、今年七月末入国拒否された。韓国のマスコミは『呉善花入国拒否は当然』と書いた。言論を大事にしなければならないマスコミが言論を弾圧している。日本人観光客が減った。中国人観光客が多いが、韓国にとってプラスにならない。朴槿恵大統領は日本に背を向け、中国に向いている。これはとても危険。中国はアジアで嫌われている。韓国は経済的に中国に頼らざるを得ない。中国と手を組んで日本をやっつけようとしている。済州島の土地を中国が買っている。日本の力を落とすのが中国の目的。韓国はそれに協力。中国の懐に入ってしまった。

 

以前は、韓国の方が中国より経済的に上だった。韓国は中国を上から目線で見下ろしていた。馬鹿にしていた。しかし今日はかなわないと思って中国にすり寄っている。中国の経済もそう長くはない。

 

儒教では、人間以外を拝むのは野蛮。自然神、山の神、樹木の神は拝まない。拝むのは迷信。日本人はわけの分からない神を信じている。未開の血が日本人に流れている。だから叩いておかないと何をされるか分からないと思っている。それほど日本のことが分かっていない。私の本は一冊も韓国で翻訳されていない。日韓の知的レベルは天と地ほどの開きがある。日本は野蛮人と思っている。李氏朝鮮は文の国・平和の國、日本は戦国時代ら近代まで武の国・戦争の國と思っている。刀を尊重する国はいやしく野蛮と思っている。だから韓国では、刀を作る人は身分が低い。日本人は刀を藝術品として尊重。

 

みっともないという発想は韓国人にはない。日本人は韓国人が考え方・価値観が違う人種であることを知っていないと大変に目に遭う。李氏朝鮮の時代に韓国は仏教を捨てて朱子学のみになった。日本は同じ時期に様々な仏教が生まれた。五百年間これが信仰になっている。この脳波は五年や十年では変わらない。貧富の格差がなく、治安の良い日本。世界各国にないものが日本にある。朴槿恵大統領は反日の気持しかない。

 

人間関係を作ろうとした時、韓国人は距離感をなくすのがポイント。日本人は距離を置こうとする。間を置く。儒教は死後の世界を語らない。韓国にはシャーマニズムが沢山ある。シャーマンの役割をキリスト教が果たした。福音派が大きい影響力を持つ。『どこの教会に行くと利益がある、病気が治る』と言う。韓国は不安な社会。

 

一人の人間の中に親日と反日がある。反日の人でも日本に来たり、日本のものを使う。昼は反日、夜は親日。マスコミも政治もそこで成り立っている。日本人に接触した七十歳以上の人々は親日。反日教育を受けた六十歳以下の人々はイデオロギー的に反日感情。二十歳以下の日本に来ている人も増えている。韓国は弱いものをいじめる。事大主義。日本人は強い顔をした方がいい。韓国に対して強く出た方がいい。日本の若者たちはまともになって来た。嫌韓感情を持つようになってきた。愛国心を持つようになってきた」。

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千駄木庵日乗十一月二十八日

午前は、諸雑務。

午後は、原稿執筆の準備。

この後、病院に赴き、母に付き添う。いろいろと話をする。

帰宅後は、原稿執筆。

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2013年11月28日 (木)

明治維新後の「脱亜入欧」「文明開化」路線について

 明治初期に岩倉使節団に参加して欧米を視察した大久保利通の基本的観念には、第一に、欧米の文明に対する高い評価があり、第二に、アジアに対する蔑視とは言わないまでも欧米に比較してアジアは未開であるという認識があり、第三に日本の発展は、アジアから脱して欧米に入ることによって達成されるという考え方である。そして大久保・岩倉などは、その能力がわが日本にはあると確信した。これはまた、『五箇条の御誓文』の「知識を世界に求め大に皇基を振起すべし」という大御心に沿うものであると考えたであろう。

 

 大久保は、明治七年に書いた『殖産興業に関する建議書』には、「必ずしも英國の事業に拘泥して、之を模倣す可きにあらずと雖も、君民一致し、其國天然の利に基き、財用を盛大にして國家の根抵を固(かと)ふするの偉績に至りては、我國今日大有為の秋に際して宜しく規範と為すべきなり、況や我邦の地形及天然の利は、英國と相類似するものにあるに於ておや、……」と記している。わが國と國柄および天然自然条件が類似する英國を規範として殖産興業につとめるべきであるという主張である。

 

 東洋の伝統を否定あるいは軽視して西洋型の帝國としての日本帝國を建設せんするこの大久保路線は、反対者によって『西洋覇道路線』とも名付けられる。そしてこの路線は、大久保の死後、伊藤博文・大隈重信・山県有朋・福澤諭吉らによって継承される。

 

 さらに「脱亜入欧」「文明開化」の論理は、体制側・権力側の基本姿勢であっただけでなく、反体制運動にも踏襲されその思考の型となった。マルクス主義などの西洋革命思想による日本の変革運動がそれである。

 

 こういった近代日本の体制側・反体制側に共通する「脱亜入欧」「文明開化」の論理に対抗したのが、明治初期においては西郷隆盛に象徴される伝統護持派である。さらにその西郷路線を継承したのは、明治十四年(一八八一)福岡に創設された玄洋社などの在野の國民の側即ち草莽の士の愛國維新運動であり、明治二十一年に三宅雪嶺・志賀重昂・杉浦重剛らによって結成された國粋主義文化団体・政教社(雑誌『日本人』を刊行)であり、そしてそれに続く大正維新運動・昭和維新運動なのである。    

 

 そして、「脱亜入欧」「文明開化」の論理の克服は、大東亜戦争の敗北とその結果としての現代日本の様々な矛盾の根本的原因にも関わる今日的課題なのである。

 

明治第二維新は、西郷隆盛、江藤新平、島田一郎などが命を捧げたが、未完に終わった。その精神と行動を継承する玄洋社は、明治十四年二月、福岡に創設された。「皇室を敬体戴すべし」「本国を愛重すべし」「人民の権利を固守すべし」の三箇条を憲則に掲げた。

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千駄木庵日乗十一月二十七日

午前は、諸雑務。

昼、知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。都知事選が近く行われることになるのではないか、というのが二人の共通認識。年内になるか来年になるか、今の都知事が再び立候補するか、或いは元防衛大臣の女性議員が立候補するか、また、今の都知事のことに関して検察が動くかどうか、などが話題になった。ともかく一日も早く決着しなければならない。

この後、病院に赴き、母に付き添う。平熱に戻った。今週中に退院出来るかどうかは、金曜日の検査次第とのこと。医師及び看護師の方々に感謝する。

帰宅後は、資料の整理。

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2013年11月27日 (水)

仏教の融合について

日本人が外来宗教・文化・思想をおおらかに包容した態度をいい加減でルーズな態度だと批判する人がいる。しかし、日本人は決してルーズではない。むしろ潔癖な民族である。仏教の受容も、日本の固有信仰と適合する部分についてのみ受容され信仰された。仏教の受容によって、日本固有の信仰を捨て去ることはなかった。仏教は日本の中に深く根づいたが、仏教受容以来千五百年近くにならうとする今日においても、外来宗教と言はれてゐる。

 

しかし、神と仏は日本人の生活の中で溶け合ってゐる。日本人は仏教受容以来今日まで、神と仏を自然な形で融合させ、信仰してきている。それは理論理屈の世界ではなく、生活の中で文字通り自然な形で神仏が融合してゐる。

 

 稲作生活を基盤として生まれた日本の地域共同体には、自然を神と崇め祖霊を祭るといふ固有信仰が、太古以来今日までの脈々として生きてきてゐる。日本人は「自然に宿る霊」と「祖先の霊」を八百万の神として尊崇した。そして八百万の神々に現世の幸福(五穀の豊饒・病気の治癒など)を祈するための祭りを行ってきた。

 

 さういった日本の固有信仰に仏教が融合したのである。仏教の受容については、多少の反対はあったものの、祈祷宗教として採用された。現世の幸福を仏に祈祷することは、日本の神々への祭りによって現世の幸福を祈祷するのことと同じである。といふよりも、日本人の仏教信仰の実態は日本人の固有信仰が仏教といふ表皮をまとったものなのである。

 

 日本の一般的な家庭では、家の中に神棚と仏壇が共存している。毎朝、神棚にお灯明をあげ柏手を打ってお参りする。次の仏壇にお灯明をあげ線香を立てて合掌礼拝する。神棚には国の主神である皇祖神(皇室のご先祖の神)である天照大神そしてその地域の産土神が祭られてゐる。

 

そして、各家庭の仏壇には、その家が檀家になってゐるお寺の宗派の本尊が、安置されている場合もあるが、それは一般的ではない。それよりも仏壇には必ずその家の先祖の位牌が祭られてゐる。各宗派の本尊は安置しなくても先祖の位牌だけ祭られてゐる家が多い。

 

つまり日本の家庭に安置されてゐる仏壇の「仏」とは祖霊のことであり、仏壇とは祖霊の祭壇なのである。「近い先祖は仏様。遠い先祖は神様」といはれる所以である。また、結婚式などの慶事は神式で行ひ、葬式などの祖霊への慰霊は仏式で行ってゐる。

 

日本人の大多数は深く緻密にして難解な仏教の教義を学び信じてゐるのではなく、祖霊への崇拝と感謝を仏教祭壇の形態を借りて行ひ、現世の幸福を祈祷してゐるのである。

 

 そもそも、人間に対して厳しい気候風土のインドに生まれた仏教は、現世を実在とは考へず苦界と見、人間が現世から超越して解脱の境涯に入ることを理想とする宗教である。本来厭世的な宗教と言っていい。

 

 一方、明瞭な四季の変化があり、四方環海にして山が多く平地が小さい日本列島は、人間に対してやさしい気候風土である。さういふところに生まれた日本の固有信仰は、現世を肯定し、人間生活を謳歌するところの明るく大らかな信仰精神である。『古事記』を見てもわかるやうに日本人は厭世思想とは無縁である。仏教が大分浸透した後に編纂された『萬葉集』にも仏教の厭世思想に関係があると思はれる歌はきわめて少ない。

 

さういふ面では日本固有信仰(神道)と仏教思想は全く異なった性格を持つ。しかし、日本人は仏教を生活の中で融合してしまってゐる。それは祖霊信仰と自然信仰に共通したとこがあるからである。

 

日本人が外来の仏教を日本人の精神生活に合致するように包み込んだといふことなのである。これは日本人の寛容性であり、包容力であると共に、日本人の強靱さと言ってもいいだらう。

 

 

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千駄木庵日乗十一月二十六日

午前は、『伝統と革新』次号の最終的な編集作業。諸雑務。

夕刻、病院に赴き、母に付き添う。食事ができるようになった。有り難い。看護師に様子を聞いたのだが、つっけんどんな返事なので困惑する。看護師も人によっていろいろである。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆の準備。

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2013年11月26日 (火)

『契約国家論』は三千年の歴史を有する祭祀国家・日本とは絶対に相容れない

國民一人一人の福祉・自由・生活のゆとり・文化的生活そして平和を求めることは大いに結構である。しかし、その前提になるのは、日本國という共同体であり、日本國民の自覚という同胞意識である。それなくして國民一人一人の幸福どころか生存もありえない。しかし、戦後日本は「愛國心」とか「國家への忠誠」ということを「悪」として否定して来た。ここに今日の混迷の根本原因がある。

 

 國家意識の喪失とは、「國家」とは何かという基本問題に対する理解がおかしいために起こって来た問題である。大東亜戦争の敗北によって、「國家悪」というものが強調され、國家は國民を抑圧し、國民を搾取する権力機構であり、國民あるいは人民・市民に相対立する存在であるという、考え方が支配的になった。そして、「國を愛する」とか「國家に忠誠を尽くす」ということは犯罪的行為であると言う考え方に國民の多くが汚染されてしまったのである。

 

 戦後日本は戦勝國によって西洋の國家観を押し付けられた。西洋の國家観は、契約思想に基づいている。西洋は、神と人間とが契約を結ぶキリスト教という宗教がその基盤にある。ゆえに國家もそれを構成する人々の合意と契約によって成り立っていると考えられている。西洋近代國家論の歴史的淵源はキリスト教の聖書である。『旧訳聖書』とは神と人との古い契約のことであり、『新約聖書』とは新しい契約のことである。近代思想家のロックにしろ、ルソーにしろ、社會契約説を唱える場合、必ず聖書の契約を持ち出している。 

 

しかし、國家社會が人間と人間との契約によって成り立つという考え方は、全く架空の観念でありフィクションである。原始社會において人間が社會や國家を作ろうと合意して契約を結ぶなどという馬鹿げたことはあり得ない。家庭・社會・共同体で育てられない人間は狼少年になる以外にない。

 

 ところが、この「社會契約説」はアメリカ合衆國という國を作り出すためには大きな役割を果たした。アメリカという國は、建國以前は全く法律のない「新天新地」であり、言ってみれば無法地帯であった。そこには天から天降った君主もいなければ、総督もいなかった。だから植民者が。自らが自らを治める以外になかった。こうしたことが、契約國家論がアメリカにおいて受け容れられた原因である。

 

メイフラワー号(一六二0年にイギリスからアメリカに上陸した清教徒の船。清教徒とは、十六世紀後半、イギリス國教會に反抗して起こった新教徒の一派。清浄に生活することを主張した。ピューリタン)で結ばれた『メイフラワー憲章』には、「主権在民」「信託による統治」「法の下における平等」が謳われていた。「現行占領憲法」の原理の淵源がここにある。

 

 今日のアメリカは「自由民主主義國家」の見本のように言われているが、かつては、メイフラワー号で渡米して来た清教徒たちの子孫が特権階級となっていた。メイフラワー号の子孫にしても、最初から船に乗っていた純粋な清教徒は四十一名とその家族だけで、途中から乗船した残りの人たちはいわゆる「ならず者」「刑余者」であった。清教徒たちはセインツ(聖者)として尊敬され、残りの者たちはデヴィル(悪魔)として差別された。 

 

そして、アメリカで一六四一年に制定された『マサチューセッツ法』では、「第一条 異神(キリスト教以外の神)を信じたものは死刑。第二条 魔女も死刑。第三条 神も死刑」と規定されていた。また「インディアンと一緒に住んだ者は三年の懲役」という規定もあったという。さらに、マサチューセッツでは、知事をはじめとした役人は必ず何処かの教會に属するクリスチャンでなければならなかった。

 

 これは一神教の排他独善性、残虐性が如実に現れた法律である。アメリカがキリスト教國家であるイタリアやドイツには原爆は落とさなかったが、非キリスト教國家であるわが國には原爆を二発も落とし、東京に大規模な焼夷弾攻撃を行い、大虐殺を敢行したのも、一神教の排他独善性、残虐性及び有色人種への差別意識にその原因があると思われる。

 

 「現行占領憲法」の骨格となっている思想である「自由と民主主義」、そして「契約國家論」の淵源である「アメリカ建國の精神」及びキリスト教というものは、このような恐ろしき性格を有していたことを我々は正しく知っておくべきである。          

 「自由・平等・博愛」そして「民主主義」というものは白人のキリスト教徒にのみ与えられた特権だったのである。このような残虐にして差別的なアメリカ製民主主義・國家論は、未開の荒野であった北米大陸では受容されても、三千年の歴史を有する祭祀国家・日本とは絶対に相容れないのである。

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千駄木庵日乗十一月二十五日

午前は、諸雑務。母がいないのがさみしい。

午後は、病院に赴き、母に付き添う。医師、看護師の話を聞く。嚥下能力を確認した後、普通の食事に戻し、何とか今週中に退院の方向に持っていきたいとのこと。有り難い。ベットに寝たままでいると、歩行することができなくなるのを恐れる。しかし、無理に歩行させると転倒の恐れがある。誠に難しい。看護師さんがよくやってくれるようなので安心する。

午後六時半より、赤坂の日本財団ビルにて、『アダム・シーガル氏講演会・東アジアのサイバーセキュリティと日米同盟』(米国大使館・笹川平和財団共済)開催。モデレーターの土屋大洋慶應義塾大学大学院教授が挨拶、アダム・シーガル氏(米国外交問題評議会上級研究員)が講演。活発な質疑応答が行われた。後日報告します。

帰宅後は、たまりにたまった資料の整理。

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2013年11月25日 (月)

三島由紀夫氏の自決は日本の文化意志の発現だった

 三島由紀夫氏は、「『文武両道』とは、散る花と散らぬ花とを兼ねることであり、人間性の最も相反する二つの欲求およびその欲求の実現の二つの夢を、一身に兼ねることであった。……本当の文武両道が成り立つのは死の瞬間しかないだろう。」(『太陽と鉄』)と論じている。三島氏は自己の実人生でそれを実現した。

 

 

 三島氏の自決は日本の文化意志の発現だった。三島氏にとって、「武」と「死」とは同義語であった。三島氏がドナルド・キーン氏に宛てた遺書で、「ずっと以前から、小生は文士としてではなく、武士として死にたいと思ってゐました」と書いた。文士ではなく武士として死にたいというのは戦時下の三島氏の武士(国のために身を捧げる軍人)への憧れから来ている。

 

 

 三島氏は「文士」という言葉をよく使った。今はこの「文士」という言葉すら死語になってしまった。「文人」を「文士」ということはあるが、「商人」を「商士」とはいわない。「士」とは立派な男子という意味である。「文士」とは文を書くことに最高の価値を求め、他を顧みない男児というほどの意味が含まれる。

 

 

 三島氏は、言葉の真の意味において「身分の高貴さ」を顕示しつつ死ぬことに憧れていた。この「身分の高貴さ」とは、死を恐れない武士のことである。

 

 

 日本民族の文化意志において、切腹はまさに美の実現であった。『忠臣蔵』の浅野内匠頭や大石蔵之助等四十七士の切腹を、江戸時代以来のわが國の庶民大衆が讃美し続けているように、切腹とは、日本人にとって『美』であった。それは武における美の実現の最高の形態と言って良い。

 

 

 詩歌などの『文』は、いうまでもなく『美』を求める。切腹や特攻隊の自爆などに見える散華の美とは、『文』が求めてやまない『美』の極致である。三島氏はその美の極致を少年期より求め続け、割腹自決によって実現したと言える。

 

 

 愛するものへ命を捧げることを、清水文雄氏は、「『死』をもてみやびする」と表現した。三島氏の自決も、「死をもてみやびしたのだ」と、岡保生氏は言う。

 

 

 

 割腹自決は名誉ある死であると共に、克己心が必要な苦しい死である。三島氏が理想とした美の極致としての自決は、絶望と苦しさから逃避するための現代日本の自殺の横行とは全く別次元のものである。

 

 

 戦後の『平和と民主主義』の時代は、三島氏の理想とした美を全く否定してきた。できるだけ平和のうちに長生きし、苦しまないで死ぬことを希求する。戦後の政治も文化も、散華の美とは全く対極にある。人生に行き詰まり、絶望して死を選ぶ人は多いが、おのれの美學のために死ぬなどということはない。三島氏は芥川龍之介の自殺にふれて、「文學者の自殺を認めない」と断言した。三島氏の自決は自殺ではない。いわんや文學者の自殺ではない。

 

 

 三島氏の自決の決意は、「檄文」の「共に立って義のために共に死ぬのだ。……日本だ。われわれの愛する歴史と伝統の國、日本だ」という言葉に示されている。それは十代の三島氏が信じたものであったに違いない。三島氏の言う「鼻をつまんで通りすぎただけ」の戦後社会以前の源泉の感情が死を決意させたと言える。

 

 

 三島氏は、死に遅れたというよりも生き残った人々が生活し構築した戦後社会を醜悪なるものとして嫌悪し、許せなかったのであろう。そして國のため天皇の御為に身を捧げた青年たちの散華の美を憧憬しその人たちの後を追ったのであろう。「もののふ」の崇高さと誇りと美を体現したのが三島氏の自決であった。

 

 

 三島氏は、戦争で死ぬことができなかったという思い、死に遅れたという悔恨の思いを持ち続けた。感受性の強い三島氏にとって、十代後半における祖國への献身・天皇のために身を捧げることの美しさへの感動を源泉の感情として生涯持ち続けたと推測される。

 

 

 戦後日本が虚妄と偽善と醜悪さと道義の頽廃に満たされ続けたから、三島氏の「源泉の感情」はより激しいものとなったのであろう。三島氏はそういう意味で、戦後を否定し拒否した。

 

 「生命尊重のみで魂が死んでしまっている戦後日本」においては、三島由紀夫氏自身が疎外者だった。文学もそして変革も、疎外者・流離者から生まれる。現実から受け入れられない人、疎外された人、あるいは自ら現実から脱出した人がすぐれた文学を創造し変革を行う。

 

 

戦後日本の救済・革新のために、日本の文化的同一性と連続性の体現者たる神聖君主・日本天皇への回帰を求めた。一切の頽廃を清め、虚妄を打破するために、道義の回復を求めた。それは彼の少年時代の源泉の感情への回帰であった。祖國への献身、天皇への捨身である。

 

 三島氏は歴史の中に生きた高貴な魂であった。日本の文化意志・日本の神々の御稜威を、身を以て体現した三島氏の魂は、今日の日本の日本人の魂を奮い立たせ覚醒せしめる永延の存在である。三島氏自身もまた日本の神々の一柱になられたのである。

 

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千駄木庵日乗十一月二十四日

午前は、『政治文化情報』発送作業、作業完了。購読者の皆様は明日にはお届けできるかと存じます。

午後二時より、市ヶ谷健保会館にて、『三島由紀夫・森田必勝両烈士追悼 野分祭』執行。祭詞奏上、祭文奏上、「英霊の声」拝聴、「檄文」朗読、遺詠奉唱、玉串奉奠などが執り行われた。この後、中山嶺雄氏が記念講演をされた。しかし小生は大変残念ながら以下の事情で聴くことができなかった。

母が入院している病院より連絡があり、母が病院内で転倒し、ケガをしたとのことであった。恐れていた事態が起こったと思いつつ、急遽病院に赴く。レントゲンや脳波の検査をしていた。特に異状はないが、しかし二十日間ぐらいは様子を見るべしとの診断であった。家に帰りたがる母をなだめる。入院させたがらない病院の医師は、個室しか空いていないと言った。仕方がないので、料金が非常の高い個室にした。ところが、母はたった一人で部屋に置いておかれるだけである。これでは慣れない病室の中で九十四歳の病人が転倒するのは当然だ。病院側の対応はまことにおかしい。

帰宅後は、書状執筆、資料の整理。

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2013年11月24日 (日)

所功京都産業大学名誉教授の「橋本左内(景岳)」と題する講演内容

十月十二日に靖国神社の啓照館にて行われた『第八回先哲に学ぶ会』における所功京都産業大学名誉教授の「橋本左内(景岳)」と題する講演内容は次の通り。

 

「式年遷宮が行われた今年、本来の日本を伝えて行こうという心が澎湃として起こっている。日本の夜明けが始まったのではないか。内政外交の難しい問題を乗り越えてゆける、断固乗り越えてゆこう。今日の午前、南千住・回向院の橋下左内先生のお墓に参拝した。格別立派にまつられている。大きな顕彰碑もある。安政六年十月、左内の最期は非常な厳しいものであった。松平永芳先生がお元気な頃、景岳会が毎年墓前祭を行った。再び墓前祭が行なうことができれば有難い。昭和三年没後七十年祭が行なわれた。景岳先生は二十五歳と半年で亡くなった。養子が家をつなぐのが最も多い国が日本。血縁がなければ家の伝統を養子でつなぐことが行われた。橋本左内は幼少期、母親の非常に大きな影響を受けた。弟にのち陸軍軍医総監となった橋本綱常がいる。十五歳の時、自分の覚悟・志を記した『啓発録』を著した」。

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わが國は一致団結して支那の侵略に備えねばならない

共産支那国防省は23日、尖閣諸島(沖縄県石垣市)上空を含む空域に、戦闘機が警告のため緊急発進(スクランブル)する際の基準となる「防空識別圏(ADIZ)」を設定したと発表した。

 

さらに、同日午後、支那軍の情報収集機1機が、支那が「防空識別圏」を設定したと発表した沖縄県・尖閣諸島付近の上空を飛行し、尖閣諸島の北の領空から約40キロの空域まで接近した。航空自衛隊の戦闘機が緊急発進(スクランブル)したと発表した。領空侵犯はなかったが、同省は警戒監視を強化している。 

 

愈々共産支那は、わが国に対して軍事的攻勢を強めて来た。尖閣諸島そして沖縄へ侵略を開始するのであろうか。

 

以前、日本に来ている支那人と語り合った時、その人は、「中国人の多くは、先の戦争で中国が勝ったとは思っていない。アメリカとソ連が日本をやっつけてくれたと思っている。だから中国自身が日本と戦って日本をやっつけたいと思っている」と語った。

 

日本を一度は力で屈服させたいと思っている支那人が多いことは事実だろう。わが國は一致団結して支那の侵略に備えねばならない。

 

 

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千駄木庵日乗十一月二十三日

午前は、諸雑務。

午後は、病院に赴き、母に付き添う。母は点滴を受けていた。昨日よりはいくらか良くなっているように思える。

この後、銀座に出る。銀座通りはすっかりクリスマス気分。

帰宅後は、書状執筆、原稿執筆。

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2013年11月23日 (土)

この頃詠みし歌

 

デパートの下着売り場でLLのシャツを買ひたり肥えたる我は

 

とんかつを食してうれしきこの夕べ上野松坂屋で買ひ物せし後

 

外つ國の乙女が隣に座りゐる居酒屋で呑む酒うまきかな

 

日本史を学びゐるといふアメリカの乙女の姿しばしとどめむ

 

佳き人の笑顔に心癒されて今日の燗酒なほうまきかな

 

太りたるわが身いとしみ今日もまた体動かし部屋を掃除す

 

煌々と照る月影の美しさスカイツリーのきらめきの上

 

母上がテレビを見つつ笑顔にて過ごしたまへば嬉しかりけり

 

わが母が守り来りし観音堂われも有難く守り行くべし

 

傘さして警察署へと急ぎたり落としたる財布を受け取らんとて

 

うら若き女性警察官に礼を言ひ警察署より出でて来しかな

 

若冲の強烈なる美にわが心圧倒されつつたたずみてゐる

 

大手門の古き石垣に手をふれて遠き歴史を偲ぶ秋の日

 

客引きの姿ばかりが目立ちゐる上野広小路を通り過ぎたり

 

荒々しき心鎮めて過ごさむと明るき部屋で経を誦しゐる

 

咳き込みで苦しめる母の小さき背(せな)さすりつつ神の癒しを祈る

 

母上の咳き込み苦しみ姿をば見る辛さをばこらへるほかなし

 

苦しめる九十四歳のわが母の入院拒否する医師の憎しも

 

理不尽な医師の言葉に激怒して思はず大きな声を出したり

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千駄木庵日乗十一月二十二日

午前は、入院している母のところに持って行く物の支度など。この後、原稿執筆。

午後三時、入院している病院に、母に付き添う。咳が出て苦しそうである。医師及び看護師に治療、今後のことについて説明を受ける。真面目で明るい感じの若い医師と看護師であった。

長期にわたる父の入院を経験しているので、現代の医療の問題点が、体験的に認識できた。医療技術は発達しているのかもしれないが、医療機関の体質、そして医療の携わっている人々の資質に大きな問題があるのは事実である。長かった父の入院生活でそれを実感した。いずれ文章にしてみたいと思っている。

帰宅後は、資料の整理。

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2013年11月21日 (木)

日本の朝鮮統治について

日韓併合条約は、日本、ロシア、支那三国間パワーバランスの中で、欧米列国もこれをすすめ、支持したものであり、当時韓国内に百万人の会員がいた一進会が韓国皇帝、韓国首相、日本統監宛に併合嘆願書や韓国十三道からの併合嘆願書と共に、皇帝の御沙汰書により内閣も一人を除く全員が賛成して実現したのである。

 

また当時の国際法では政府代表に直接明白な強制がない限り、正当かつ対等に成立したものとされたのである。日韓併合は法的形式的に有効に成立しており、国際法上無効などということは金輪際あり得ない。日韓併合条約は国際法上有効であった。また日本の韓国統治は西洋諸国の行った植民地統治とは全く異なるものであった。

 

当時の日本が朝鮮を併合・統治し近代化したのは、日本の国益のためであり朝鮮の利益は全く無かったという議論はまったく誤りである。そうした主張は、アメリカが朝鮮戦争に参戦したのは共産主義の侵略阻止というアメリカの国益のためという側面もあったから韓国のためには一切役立っていないというのと同じ議論であり、きわめて一方的である。

 

 日本には日本の歴史があり、父祖が心血をそそいだ光輝ある歴史は、我々自身が守り抜かねばならない。韓国には韓国の歴史認識と立場があるように、日本にも日本の歴史認識と立場がある。「朝鮮併合は全く日本が悪かった」という韓国側の歴史認識をわが國に押し付けようとする韓国の態度は全くおかしい。

 

明治維新を断行したわが国は、李氏朝鮮を援けて清国の侵略を排除した。また朝鮮半島を侵略しようとしたロシアの野望を撃破した。この二つの戦いが日清・日露両戦争である。当時の朝鮮半島が独立国家として自立していれば、わが国は、日清・日露両戦争をする必要もなかったし、朝鮮を併合する必要はなかったのである。しかし、朝鮮が支那やロシアに対して「事大主義」(支那・ロシアという勢力の強い国に従って言いなりになること)に陥り、支那・ロシアの属国となってしまう危険があった。朝鮮半島がロシアの支配下に入れば、次は日本である。「朝鮮併合」はわが国の独立と自存のための止むを得ざる選択であったし、当時の国際世論の認めるところであった。

 

 併合後は、わが国の指導と投資により、南北縦貫鉄道の施設、多角的港湾の設定、多種多様の殖産興業、教育の普及、保健衛生施設の拡充、水利灌漑施策の充実等々、近代化建設はめざましいものがたった。つまり、わが国の朝鮮統治は西欧列強の植民地支配とは全く異なる性格のものである。日本の朝鮮統治は日本が投資と開発・教育の普及を行うことによって、朝鮮と共存・共栄の道を歩んだ一大偉業であった。

 

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千駄木庵日乗十一月二十一日

午前、母が高熱を発したので、診療所に赴く。種々検査の結果、肺炎に侵されているとのことで入院すべしということになり、その診療所の紹介により、厚生年金病院に赴く。

医師の診察を受けている間、家に戻り、母の保険者証を持って、病院に赴く。

ところが萩原栄一郎という医師が、母が点滴や血液検査そして入院することを嫌がっているとして、入院させられないという。とんでもない言い草である。事実上の入院拒否である。小生は強く抗議した。肺炎患者、しかもすでに正常に判断ができなくなっている高齢者が何を言おうと、手段を尽くして血液検査・点滴をー行い、入院させるのが医師の義務であり医療機関の使命である。それを拒否して帰らせるなどということがまことに理不尽であり、絶対に許されざることである。小生の強い抗議により、医師は前言を翻し、入院を受け容れた。しかし、私はこの医師そして病院の対応は納得できないので、今後追及する決意である。

午後六時より、隼町のグランドアーク半蔵門にて、『創刊二〇〇号・「月刊日本」を叱咤激励する会』開催。坪内隆彦編集長が挨拶。伊吹文明・鈴木宗男・佐藤優・亀井静香の諸氏らが祝詞を述べた。小生も一言祝辞を述べさせていただいた。

この後、厚生年金病院に赴き、母に付き添う。母は咳込みが激しい。小生に気を使ってくれる。早く回復することを祈る。

帰宅後は、原稿執筆、『政治文化情報』発送準備。

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日韓併合は植民地支配ではなかった

 韓国は江華島条約(明治八年)から日韓併合(同四十三年)に至るまでの歴史を、一貫して日本の計画的意図に基づく侵略と見ているが、このような史観は我々日本人には到底受け入れることはできない。明治の父祖が心血をそそいだのは、欧米列強からいかにして祖国の独立を守り抜くかということであった。そして隣接する朝鮮とその周辺が強大国の支配下に入ることは日本の安全を脅かされるものとされた。日本自体が朝鮮半島へ進出すべきだというのではなく、朝鮮が第三国の属国にならないようにするというのが、『朝鮮独立』を目指した明治前半期の日本の対朝鮮政策であった。日本が国運を睹して戦った日清、日露両戦争が韓国の独立保全を目的として戦われたことは両戦争の宣戦の詔書に明らかに示されている。

 

 日韓併合以前の朝鮮は混乱の極にあった。朝鮮併合の翌年支那に辛亥革命が起こり、清朝が滅亡している。李王朝は専制政治だった。勢道政治(一族政治)などの言葉も残っている。それが日本との併合によって安泰を得た。日韓併合前の朝鮮即ち李王朝政府は名のみのものであって、その実力は全く失われ、当時の朝鮮は独立国家の体をなしていなかった。

 

 日露戦後、韓国は日韓協約により我が国の保護国とされ、伊藤博文が初代統監に就任した。この協約締結に際しての伊藤博文の態度は今日批判を受けているが、その伊藤も本心は韓国を名実伴う独立国にすることにあった。韓国皇太子・李王垠殿下は伊藤博文を追慕して「伊藤は『自分は今、韓国を立派な国に建て直すために懸命の努力を払っておりますが、殿下はやがて韓国の帝位にお就きになる方ですから、それに相応しい御修行にお励みになりますように』と常々申していた」と語ったという。

 

 しかしそうした伊藤公の真摯な心を韓国民は理解することができず、ついにハルピン駅頭において伊藤公は安重根の銃弾によって暗殺され、日韓併合の至るのである。

 

 日韓併合にに対して、韓国側は「日帝三十六年の植民地支配」として非難攻撃しているが、日韓併合は決して植民地支配ではなかったし、単なる領土拡張政策でもなかった。それは、明治四十三年八月二十九日の『韓国併合に付下し給へる詔書』に「民衆は直接朕が綏撫の下に立ちて其の康福を増進すべし産業及貿易は治平の下に顕著なる発達を見るに至るべし」と仰せられ、また、大正八年三月一日の独立運動事件の後に出された『総督府官制改革の詔書』に、「朕夙に朝鮮の康寧を以て念と為し其の民衆を愛撫すること一視同仁朕が臣民として秋毫の差異あることなく各其の所を得其の生に聊(やすん )じ斉しく休明の沢を享けしむることを期せり」と宣せられたところに示されている。

 

 従って、朝鮮、台湾、樺太を外地と呼ぶことはあったが、植民地と呼ぶことは政府によって排された。事実、民法、警報を始め大半の法律は内地と同一内容で施行され、各種の開発や公共事業も進み、医療衛生制度や教育制度も整備され、内地の政府民間の負担も相当の額に達した。そして乱脈だった李朝末期の韓国社会を正し法治社会をもたらした。これは欧米列強の植民地支配・愚民政策・搾取行為とは全く異なるものであった。

 

 また日韓併合と同時に多くの朝鮮人が雪崩を打って日本に来た。二百万人近くやって来た。その上毎年何十万という朝鮮人が出稼ぎに来た。日本の方が朝鮮の植民地になったと言っても過言ではない。

 

 日本統治時代に韓国に大きな投資を行ったために、韓国が惨めだった状況から一足飛びに近代化したことは歴史的真実である。日本が韓国統治において一方的な収奪したというのは大きく事実に反する。

 

 もちろん、韓国人の独立運動も国内外において続けられたが、一般の民衆から孤立し、限定されたものであった。韓国人の多くは日本統治体制に協力し、多くの有為な韓国人青年が日本軍将校として志願した。日本に協力し日韓融合に努めた多くの青年達が、韓国が独立した後、大統領・首相・閣僚・参謀総長・企業家・高級官僚・学者をはじめとする国家指導者となった。朴正煕もその一人である。こうした事実を否定することはできないし、否定することはかえって韓国人の誇りを傷つけることとなる。朴槿恵の愚かなる反日行動・侮日行動は歴史の真実を無視するばかりでなく、自分の父親を否定し傷つけることになる。

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千駄木庵日乗十一月二十日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。母と小生が風邪をひいてしまった。

午後二時半より、三田の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備、『伝統と革新』原稿校正など。

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2013年11月20日 (水)

日本文化と現代の混迷

混迷の時期にある現代世界において、東西両文明の融合、物質文明と精神文化の調和、各民族宗教の融和による現代の救済を実現するために、強靱ではあるが柔軟性と寛容性に富む日本文化伝統が大きな役目を果たすと考えられる。さらに、日本の宗教的柔軟性・無限包容力は、地球上の様々な民族や国々や宗教や文化が互いにその独自性を保持しつつ融和し調和していくために大きな働きをするのではないだろうか。

 

 我ら日本民族は、アジアの中にあり、アジアの各地の文化を吸収して来た。そして日本へ輸出した国においてすでに衰退してしまった文化を今日においても温存させ発展させ洗練させてきた。今後もそうであろう。これまでの日本は外国から文化を輸入することが多く、外国へ輸出することは少なかった。今日の世界は、文化・文明そして思想・宗教が行き詰まりを見せ、混迷の時期を迎えている。こうした時期において日本は、これからは日本の文化的特質をによって世界的混迷打開のために貢献するべきであろう。

 それが『日本書紀』に記された神武天皇建国の精神たる「八紘為宇」の精神の真の実現であると確信する。

 たとえいくら今日の日本は混迷していても、現在および将来における日本の文化的使命を忘却してはならない。今こそ、神話時代から今日に至るまで続いている日本文化の融合性・包摂性を、政治・思想・教育・外交というあらゆる面において積極的に開顕していくべき時である。今日世界は新しい時代を迎えようとしている。それは日本の時代である。

 

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千駄木庵日乗十一月十九日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』発送準備。

夜、母が発熱し、看病。

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2013年11月19日 (火)

朴槿恵の愚かなる反日行動・侮日行動と歴史の真実

報道によると、朴槿恵は、韓国の大統領府で十八日、共産支那政府で外交を担当する楊潔篪国務委員と会談した際、安重根が1909年にハルビン駅で明治の元勲・伊藤博文公を暗殺した現場を示す碑がの設置が「両国の協力でうまく進んでいること」に感謝した。楊氏も「円滑に進んでいることに満足している」と述べたという。碑の設置は、6月の北京での習近平国家主席との初の首脳会談で朴槿恵が提案したものである。

 

日露戦後の明治三十八年(一九○五)、『第二次日韓協約』が調印されて、韓国は我が国の保護国とされ、外交権を日本が掌握した。そして、韓国統監府が設置され、伊藤博文が初代統監に就任した。この協約締結に際しての伊藤博文の基本的考へ方は日本の協力によって韓国を名実伴ふ独立国にすることにあった。日本が韓国を併合して直接統治するといふ考へは無かった。

 

渡部昇一氏は、「伊藤博文は、韓国の植民地化に絶対反対という考えを持った人であった。…新渡戸稲造が、伊藤博文に韓国を植民地にした場合のプランを述べようとしたところ、伊藤は『植民地にしない』と言って、韓国人による韓国統治の必要性をこんこんと説いたという。これは、新渡戸本人が著書の中で書いている話であるから間違いない事実であろう。(新渡戸『偉人群像』昭和六年)(『かくて昭和史は甦る』)と論じてゐる。

 

韓国皇太子・李王垠殿下は伊藤博文公を追慕して「伊藤は『自分は今、韓国を立派な国に建て直すために懸命の努力を払っておりますが、殿下はやがて韓国の帝位にお就きになる方ですから、それに相応しい御修行にお励みになりますように』と常々申していた」と語ったといふ。

 

 さうした伊藤博文公の心を韓国民の一部は正しく理解することができず、ついにハルピン駅頭において伊藤公は安重根の銃弾によって暗殺された。その事によって、明治維新の功労者・元勲を殺された日本国民は大きな衝撃を受け韓国併合への機運を増大したといふのが定説である。

 

渡部昇一氏は「(伊藤公殺害は・注)韓国にとって自殺行為であった。…敗戦後の日本において、皇室を守るという理由で日本人がマッカーサー元帥を暗殺するようなものである」(同書)と論じてゐる。

 

 ただし、安重根は伊藤博文に対しては強い反感を持ったが、「反日思想」の持ち主ではなかった。むしろ日韓同胞の考へ方を持っており、明治天皇への仰慕の思ひが強かった。 

 

安重根は裁判において「日露戦争の際、日本天皇の宣戦の詔勅によれば、日本は東洋の平和を維持し、かつ韓国の独立を期するために露国と戦ったので、韓国人はみな感激して日本人と同じように出陣して働いたものであります」「私は日本四千万、韓国二千万同胞の為、かつは日本天皇陛下及び韓国皇帝陛下に忠義を尽くさんために今回の擧に出たのです。…私の目的は東洋平和の問題にあるので、日本の天皇陛下の宣戦の詔書の通り、韓国をして独立強固ならしめることは私の終生の目的でありまた終生の仕事であります。…日韓両国人間は互いに隔てるところなく、同国人であるとの観念を以て尽力せねばならぬことと思します」「伊藤公爵がその姿勢方針を誤っていたことを日本天皇陛下が聞こしめされたら、必ず私を嘉せられると思います。今後は、日本天皇陛下の聖旨に従い、日韓間の平和は万世に維持せられるべく、私はそれを希望しております」と述べた。(中野泰雄氏著『安重根』より引用)

 

安重根の言ふ「日本の天皇陛下の宣戦の詔書」とは、『露国に対する宣戦の詔書』の御事であり、日本天皇陛下の聖旨とは、その「詔書」に示された「帝国ノ重ヲ韓国ノ保全ニ置クヤ、一日ノ故ニ非ス。是レ両国累世ノ関係ニ因ルノミナラス、韓国ノ存亡ハ、実ニ帝国安危ノ繋ル所タレハナリ」との大御心の御事であらう。

 

明治天皇は、『清国ニ対スル宣戦ノ詔』において、「朝鮮ハ帝国カ其ノ始ニ啓誘シテ列国ノ伍伴ニ就カシメタル独立ノ一国タリ」との大御心を示されてゐる。

安重根は、伊藤博文が、明治天皇の大御心に反して、韓国を併合し韓国の独立を否定したと考へテロに及んだのである。安重根のテロが無ければその後の日韓関係は違ったものになってゐた可能性が高く、まことに残念な歴史の展開であった。

 

安重根が書いた『伊藤博文罪状十五ヶ条』の第十三には「現在、日韓間に競争やまず、殺戮絶えず、韓国太平無事の様を以て、上天皇を欺くの罪」とあり、第十五には「日本天皇陛下の父たる太上皇帝(孝明天皇の御事・注)弑殺の罪」とある。伊藤博文が、孝明天皇を弑逆し奉ったなどといふのは全く間違った情報である。しかし、安重根が日本皇室を尊敬してゐたことは事実であり、日本との友好を願ってゐたことも事実である。

 

安重根は旅順監獄の看守に、「親切にして頂いたことを心から感謝します。東洋に平和が訪れ、韓日の友好がよみがえった時、生まれ変わってまたお会いしたいものです」と述べたと言ふ。(中野泰雄氏著『安重根』)

 

朴槿恵は、かうした歴史の真実を正しく認識したうえで、反日行動に出てゐるのであらうか。朝鮮総連が文世光を讃へる石碑を建立することにわが国政府が協力したら、朴槿恵はどうするつもりか。この女性がこんなことをしてゐる限り、日韓友好はあり得ないし、首脳会談などする必要なし。

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千駄木庵日乗十一月十八日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』原稿の校正。

午後五時より、赤坂の日本財団ビルにて、『米国の対外姿勢の変化と日米関係の影響』と題するパネルディスカッション開催。 【パネリスト:William Kristol氏(The Weekly Standard(政治専門誌)創設者兼編集者)、Gary Schmitt 氏(アメリカン・エンタープライズ研究所専任研究員兼マリリン・ウェア安全保障研究センター共同ディレクター兼アメリカ市民権プログラムディレクター)、Christopher J. Griffin氏(FPI常務理事)モデレーター:中山 俊英氏(青山学院大学国際政治経済学部国際政治学科教授)】

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備など。

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2013年11月18日 (月)

三の丸尚蔵館『美を伝えゆく―名品にみる二十年の歩み―』展

三の丸尚蔵館は,皇室に代々受け継がれた絵画・書・工芸品などの美術品類に加え,故秩父宮妃殿下のご遺贈品,香淳皇后さまのご遺品,故高松宮妃殿下のご遺贈品が加わり,現在約9,500点の美術品類を収蔵されていると承る。小生は時々拝観させて頂くが、来るたびに心洗われる思いがする。皇室は日本文化の創造と継承の中心である。有難き限りである。天皇国日本は真の意味の文化国家である。その意味でも萬邦無比である。

 

今日拝観した『美を伝えゆく―名品にみる二十年の歩み―』展は、「平成五年十一月三日に開館した当館は、今週で二十周年を迎えます。平成元年、昭和天皇の御代まで御物として皇室の所蔵品であった品々のうち、美術工芸品類約六千点余が、天皇陛下と香淳皇后から国へ寄贈されたのを契機に、それらを専門的に収蔵し、調査研究、保存、公開を行う施設として当館は発足しました。…皇室から託された日本文化の優れた作品を後世に伝えるという役目も担っています。作品の保存管理は、日頃のメンテナンスを進めながら、さらに専門技術者による修理事業を行ってきました…修理事業によって興味深い成果をもたらした名品の数々を通して、公開を支える保存事業の重要性を紹介します」との趣旨(案内文)で開催された。

 

「春日権現験記絵」高階隆兼筆 鎌倉時代、「萬國絵図屏風」八曲一双 江戸時代、「扇面散屏風」 俵屋宗達 江戸時代、、「群鶏図、紅葉小禽図」 伊藤若冲、「喪乱帖」 王羲之 唐時代、「藤原定家記文草案」 藤原定家 鎌倉時代、「薩摩焼透彫香炉」 十三代沈壽官 大正八年、などを拝観。

 

珠玉の名品と申し上げてよい作品が展示されている。定家や王羲之の書まことに貴重なものであろう。また、伊藤若冲の絵は本当に目を見張らせる美しさであり緻密である。天才というほかはない。

 

皇居東御苑には多くの人々が訪れていた。そろそろ黄葉が始まっていた。

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千駄木庵日乗十一月十七日

午前は、母のお世話。

午後は、皇居東御苑の三の丸尚蔵館にて開催中の『美を伝えゆく―名品にみる二〇年の歩み―』展参観。

帰宅後は、原稿の校正、執筆など。

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2013年11月16日 (土)

現行憲法の「平和と民主主義」は、敗者・弱者の思想である

戦後日本は、「平和と民主主義」「人権尊重」「生命尊重」「個の尊重」を最高の価値とし押し頂いた。現行憲法の「平和と民主主義」は、敗者・弱者の思想である。國のために戦うという勝者・強者の思想を否定し、武力は放棄する、軍隊は持たない、國家の独立・平和・歴史・伝統が侵略者から蹂躙されても、「戦争は無い方が良い、人命尊重だ」と言って、戦うことを忌避する敗者・弱者の思想である。

 

弱者であるから徒党を組む。即ち集團で運動をせざるを得ない。「赤信号みんなで渡れば怖くない」式の生き方しかできないのである。弱者は弱者なるがゆえに、常に「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の対象を常に見つけ出し、あるいは作り出さずにはおれない。これが「いじめ」である。

 

「いじめ」とは、小學生・中學生の専売特許ではない。「戦後民主主義・平和主義」の「守り手」・「弱者の味方」を以て任ずるマスコミは、「知る権利」「知らせる義務」とやらを振り回し、カメラやマイクを持って「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の対象となっている特定の人物を追いかけ回す。これまで、こういうやり方でどれだけ多くの人々が血祭りにあげられ、「魔女狩り」の対象になってきたであろうか。小學生・中學生のいじめは、マスコミなどのこうしたやり方を真似しているに過ぎないのである。

 

三島由紀夫氏は言う。「われわれは戰後の革命思想が、すべて弱者の集團原理によって動いてきたことを洞察した。…不安、嫌惡、嫉妬を撒きちらし、これを恫喝の道具に使ひ、これら弱者の最低の情念を共通項として、一定の政治目的へ振り向けた集團運動である」(「反革命宣言」)と。

 

革命思想のみならず、戦後日本全体を覆ってきた精神が、「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」である。自分よりも富める者・幸福に見える者を憎み、嫉妬し、これを引きずり下ろそうという精神が國民に横溢している。それを煽り続けているのがマスコミである。

  

われわれ神洲清潔の民は、強者の立場をとらなければならない。「一人立つ」の精神がなければならない。眞の独立自尊の精神がなければならない。「不安、嫌惡、憎惡、嫉妬」の精神を払拭し、祓い清めなければならない。そして、日本精神の清明、闊達、正直、道義的な高さを回復しなければならない。須佐之男命・日本武尊そして防人以来の武士道精神・もののふの心に回帰しなければならない

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千駄木庵日乗十一月十六日

朝のデイサービスに赴く母を見送る。

この後、諸雑務。

午後一時より、舞浜アンフィシアタ-にて、『世界オピニオンリーダーズサミット』開催。ビル・クリントン元アメリカ大統領、コリン・パウエル元米国務長官、半田晴久氏などが講演。活発な討論が行われた。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2013年11月15日 (金)

わが日本は民族自決の原則にしたがって台湾の自主独立=建国を支持すべきである

 先帝・昭和天皇は、昭和二十年八月十四日渙発の『終戦の大詔』において、「朕ハ帝國ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對し遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ズ。帝國臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉ジ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セバ五内為ニ裂ク」と仰せになっている。

 

大東亜戦争終結まで台湾は日本統治下にあった。そして、台湾人は大東亜戦争において「帝國臣民」として戦ったのである。台湾の代表的民謡『雨夜花』の替え歌に、「赤い襷に 誉れの軍夫 うれし僕らは 日本の男」「花と散るなら 桜の花よ 父は召されて 誉れの軍夫」「君に捧げた 男の命 なんで惜しかろ 御国のために」という涙なくしては歌い得ない歌詞がある。台湾人はかくの如くに純真な心で日本人として大東亜戦争を戦ってくれたのである。感謝してもし切れない思いがするのは私一人ではあるまい。

 

 そして台湾同胞が大東亜戦争で戦った相手は米英であったと共に、蒋介石軍であり毛沢東軍であったのだ。しかるに戦後日本は、その蒋介石や毛沢東に遠慮して、大和魂を発揮して中国と戦った二・二八事件を発端とする台湾独立運動に協力することはなかった。

 

わが日本は、昭和天皇の『終戦の大詔』の大御心を仰ぎつつ、中国共産政府の台湾侵略支配に阻止し、民族自決の原則にしたがって台湾の自主独立=建国を支持すべきである。それが、先帝陛下の大御心に沿い奉り、大東亜戦争の東亜解放の理想を実現する道である。

 

台湾独立運動に参加したために蒋介石政権の手によって処刑された方々、祖国に帰国することができず日本などで亡くなっていった方々の御霊に、心からなる哀悼の念を捧げるものである。

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千駄木庵日乗十一月十五日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。医師の往診あり。

この後、『政治文化情報』脱稿、印刷所に送付。

午後四時、ある役所に赴き、ある手続を行う。

帰宅後は、資料の整理、原稿校正。

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長島昭久衆院議員の講演内容

九月二十一日に開催された『アジア太平洋交流学会例会』における長島昭久衆院議員が「中国の台頭と日米中の三国志」と題する講演内容は次の通り。

「先週ワシントンに行った。九十年代後半、七年間ワシントンにいた。その頃とは様変わりしたとつくづく感じた。九・一一が大きくアメリカを傷つけた。ここ数年間のアメリカ議会は国民の方向性を反映して孤立主義的傾向が深まっている。あらゆる国際機関からすべて引き揚げろという発言を支持する人がいる。シリアへの軍事介入・軍事制裁がアメリカの国益かという意見が出て、議会の了承がなければ介入できない。十年間の対テロ戦争による厭戦気分がある。大統領のリーダーシップが傷ついている。それを見て北朝鮮・イラン・中国がほくそえんでいる。アジア・中国との厳しいせめぎ合いの中で、アメリカが責任を持って行こうということについてかなりお寒い状況になっている。国民と厭戦気分と共和党の変質が大きく影響している。アメリカのリーダーシップはどうなるのか。

 

十六世紀にはポルトガルの覇権にスペインが挑戦し、オランダが台頭。十七世紀にはオランダが覇権戦争に敗れイギリスと交代。十八世紀にはイギリスの覇権にナポレオンが挑戦し敗れる。十九世紀にはイギリスの覇権に帝政ロシア挑戦した。二十世紀には抬頭するアメリカがナチスドイツを破り覇権交代、そしてアメリカの覇権にソ連が挑戦し敗れる。二十一世紀にはアメリカの覇権に中国が挑戦している。経済規模を表す全ての項目で中国がアメリカを凌ぐ。海洋のルールで中国は発言権を強めている。中国を中心とするルール秩序に日本が入って行くことになる。日本は相当に不自由な立場になる。

 

アメリカ排除の東アジア共同体は中国を中心とする秩序に入って行く。鳩山由紀夫氏は『東アジア共同体にアメリカは入れない』と言った。アメリカは民主党に不信感を持った。野田前総理は東アジア共同体を太平洋の秩序作りをする発想に転換。

 

中国は二十五年間で軍事費が三十三倍。実質日本の三倍。二〇三〇年までにアメリカの制海権・制空権をそぎ落とそうとしている。一九八二年に、劉華清が立てた『近海防御戦略』は数年遅れで実現してきている。『世界で、空母を動かすことができるのは日本とアメリカだけ。中国には出来ないだろう』とアメリカ軍人は言う。実戦に使えるようになるには二十年かかる。しかし安心してはいられない。中国はむやみやたらに戦争を仕掛けて来る愚かな国ではない。軽率ではない。基本的戦略は戦わずして勝つこと。

 

南シナ海全域が中国の領海という『中国領海法』という法律を作った。二〇〇八年から尖閣への領海侵犯が常態化した。一九七一年、海底に資源が眠っていると国連が発表した後に、台湾が尖閣領有宣言をした。日本に外交的にも歴史的にも何の瑕疵もない。

 

中国は、毛沢東と周恩来か押さえていた時代とは全く違う。日本は『遠交近攻』外交を展開すべし。東南アジア諸国と緊密な関係を作る。中国を受け身に回らせるような戦略を作るべし。日本のPR不足を解消し、我々の意図を国際社会に説明すべし。

 

尖閣は、民法の世界でも占有している方が権利確認する権利あり。国際司法裁判所に持って行けば良い。勝ち目は日本にある。中国がどこまで歩み寄って来るか待つしかない。棚上げを認めてはならない。尖閣の所有権が民間から国に移っただけ。国有化ではない。尖閣は日本に国土。

 

日米同盟深化と日本の主体性確立のために次のことを実現すべし。①集団的自衛権の行使容認②安保条約第五条の改定―「日本の施政下」を「太平洋地域」にする。③安保条約第六条の改定―全ての米軍基地の管理権を自衛隊に移管。④『盾と矛』の日米役割分担の見直し―陸上自衛隊の一部海兵隊化。

 

今の民主党の状況は深刻。民主党立て直しは不可能。自民党に代わる事が出来、現実的に自民党に対峙できる野党勢力再結集が自分に課された使命」。

 

千駄木庵主人曰く。長島氏は民主党所属であるが、安保国防に関して識見豊かにして、まともな考え方を持っていると思う。

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千駄木庵日乗十一月十四日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

夕刻、西日暮里にて、友人と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

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2013年11月14日 (木)

世界でも類を見ないわが國独自の現象=神佛習合

 日本人は模倣が上手だとか言われるが、外國の文化や文明の模倣によって日本文化・文明・思想は成立しているのではない。外来思想の輸入は、必ず日本本来の思想精神を契機にしている。強靱なる伝統精神が厳然存在していたからこそ、日本民族は外國の文化・思想・宗教・技術を幅広く寛大に輸入し、さらに発展させ自己のものとしたのである。

 

 佛教が日本に受容されたのは、佛教と日本伝統信仰の根底にある自然観が、非常に共通するものがあったからである。日本人は、天地に遍満する自然神を八百万の神として仰いだ。佛教も、天地自然を佛の命として拝んだ。自然と日本の神と佛の三つは一つのものとして把握されたのである。それは日本の自然が美しく人間に対してやさしい存在であるからである。神佛習合(日本の神道と外来の佛教とを結びつける信仰思想)は日本の自然環境が生んだと言ってもいい。

 

 自然だけではない。人間自身も神佛と分かちがたい存在として信じられた。日本伝統信仰における『人間観』は、人は神から生まれた存在であり、人は神の分霊(わけみたま)であるという信仰である。人はすぐに神になるし神もまたすぐ人間となる。天照大神やその弟神であられる須佐之男命をはじめとした日本の多くの神々は、人間と隔絶した存在ではない。太陽神である天照大神もまた弟神の須佐之男命もほとんど人と同じように悩まれ、戦われる。それでいて、人と國土を守り、万物を育み給い導く神である。

 

 だから日本では外國では考えられないようなことが行われている。即ち、神社という日本神道の聖所に、本来全く別の宗教であり外来宗教である佛教の聖所であるお寺が建てられ、あるいはその逆にお寺の中に、神社が建てられていても、また佛教の信仰の対象であるおマンダラに、日本の神の名が書かれても、何の不思議も感じないという事実である。

 

 神佛習合は、世界でも類を見ないわが國独自の現象である。大陸から盛んに文化を輸入していた時期である七~八世紀にすでに神佛習合の素地は形成された。大陸文化の摂取がいかに盛んであっても、日本の独自の精神文化が、常に摂取した外来文化を日本化してした。これは日本の伝統文化が豊かな包容力を持っていると共に強靱さを持っていることを証明する。

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千駄木庵日乗十一月十三日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、在宅して、本日の『萬葉集』講義の準備。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、持統天皇御製などを講義。

帰途、出席者と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2013年11月13日 (水)

三島由紀夫・森田必勝両氏の辞世について

 

 三島由紀夫氏辞世

 

 益荒男がたばさむ太刀の鞘鳴りに幾とせ耐へて今日の初霜

 

 散るをいとふ世にも人にもさきがけて散るこそ花と吹く小夜嵐

 

 森田必勝氏辞世

 

 今日にかけてかねて誓ひしわが胸の思ひを知るは野分(のわき)のみかは

 

 「益荒男が」の歌は、直訳すると、「日本男児が腰に差している太刀の刀が鞘に合わないために持ち歩くと音がすることに幾年も耐えてきたが今日初霜が降りた」という意。しかし、「鞘鳴り」というのは単に音がするという物理的な意味ではない。日本には古代から刀には魂(多くの場合蛇・雷の靈、須佐之男命の八岐大蛇退治の神話がある)が宿っているという信仰があった。鞘が鳴るというのはその刀剣に宿っている靈が発動するという意味である。刀が靈力を発揮したくて発動するのを何年間も耐えたということである。檄文にあるところの「我々は四年待った。最後の一年は熱烈に待った。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ」という叫びに呼応する歌なのである。

 

 「散るをいとふ」の歌は、「散ることを嫌がっている世の中にも人にも先駆けて散っていくのこそ花であると吹く小夜嵐(夜に吹く強い風)」という意味である。これは端的に言って「散華の美」を歌っている。今の世の中は繁栄と生命尊重にうつつを抜かして、命を絶つとか國のために生命を捧げるということを嫌がっているが、生命以上の価値即ち日本の伝統と文化そしてその體現者でらせられるところの天皇陛下の御為に命を捧げることこそ真の美しき生き方であり死に方であるという歌である。

 

 「今日にかけて」の歌は、「今日という日にかけたかねてから誓っていた私の胸の思いを知るのは野分(のわき・秋から初冬にかけて吹く強い風)のみであろうか、いやそうではない」という意。誰も分かってはくれないのではないかという孤独感を持ちながらも、いやそうではない誰かは分かってくれると信じて散っていく心を歌っている。

 

 「今日の初霜」「小夜嵐」「野分」という季節感のある言葉を用いて志を述べているのはまさに日本文芸・敷島の道の道統を正しく継承していると言える。

 

 和歌というものは、日本伝統精神を保持し継承する殆ど唯一の文芸である。和歌の形式(五七五七七)とそこから生まれる「しらべ」が日本人の心情を訴えるのにもっとも適しているのである。

 

 『萬葉集』以来、歌は祈りであり鎮魂である。本居宣長は「物のあはれにたへぬところより、ほころび出て、をのづから文(あや・言葉の飾った言い回し。表現上の技巧・注)ある辭が、歌の根本にして、眞の歌なり。」(石上私淑言・いそのかみささめごと・歌論書)と述べている。「もののあはれ」即ち物事に対する感動・自己の魂の訴えを一定の「カタ」におさめて美しく表現するのが歌である。

 

 そうした特質を持つ和歌の中で、萬感の思いを全靈を傾けて表白しようという切なさにおいて成立しているのが、「相聞」と「辞世」と「挽歌」である。とりわけ「辞世」は文字通り命を賭した歌である。

 

 現代の危機の一つとして、言葉の乱れということが言われている。この言葉の乱れは、情報化社會といわれ、活字媒體のみならず様々な情報伝達機能が発達した現代において、言葉を発するということ自體、苦しむこともなくなりきわめて安易になっていることが原因になっていると思われる。これが現代の腐敗・堕落・混迷の原因の一つである。つまり言葉までもが商品化しているのである。「言靈のさきはふ(豊かに栄える・注)國」といわれてきた日本において、現代のように言靈があまりにも安易に語られて過ぎている時代はかつて無かった。

 

 死に臨んだ時の「言葉」「歌」は即ち「辞世」は命懸けの言靈である。昭和四十五年十一月二十五日の三島由紀夫・森田必勝両氏の自決の際の「辞世」はまさに命懸けの言葉である。

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千駄木庵日乗十一月十二日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2013年11月12日 (火)

天皇の神聖性・尊厳性が冒瀆される時、日本國は崩壊の危機に瀕する

日本國存立の基礎は、神聖君主・天皇の御存在である。日本民族が天皇及び皇室を尊崇する精神を喪失し、天皇の神聖性・尊厳性が冒瀆される時、日本國は崩壊の危機に瀕する。皇室の危機はとりもなほさず國家の危機である。

 

大東亜戦争の敗北後、占領軍によって行はれたいはゆる「民主化」そしてその後続けられた左翼革命勢力による國家破壊策謀は、今日の日本の國を亡國への道を歩ましめてゐる。その最大のものが、「天皇の尊厳性の破壊」という策謀である。

 

日共をはじめとした國體破壊勢力は、戦前及び戦争直後あからさまに「天皇制打倒」を叫んだ。しかし、国民の支持は全く受けなかった。そこで、近年は天皇及び皇室への國民の篤い尊崇の心を破壊し、皇室の尊厳性・神聖性を失はしめるために極めて巧妙にして悪質なる「國體破壊策謀」を展開してゐる。

 

また、政府や国会も、天皇・皇室を軽視し政治的に利用したり、圧迫・干渉を加へたりしてゐる。その最大の例が、「皇室財産への課税」であり、「天皇・皇族外国訪問の政治利用」であり、「敵性国家指導者謁見」である。

 

「週刊文春」「週刊新潮」は、「皇室」に関して、書いてはならないこと、書くべきではないことを興味本位に書き連ねてゐる。何故か皇室の権威を貶める記事を時々載せる。かうした記事は、いかなる意図によって書かれるのであらうか。真に皇室のご安泰とご隆昌を願って書いてゐるのであらうか。私にはさうは思へない。やはり購読部数の増加を目的としてゐると思ふ。つまり営利のために、皇室についてあることないこと書き立ててゐるのだ。

 

文藝春秋社・新潮社は、わが国を代表する出版社である。この二社は全体として、その論調といふか、編集方針・出版方針は、わが国の出版社の中では、良識的であり、まともである。しかるに、皇室に関して読むに耐えない記事を週刊誌に掲載するのは本当に困ったことである。かういふ記事をお読みになった皇后陛下・皇太子妃殿下が、益々体調をおくずしになることを深く憂へる。ともかく、皇室を貶め、皇族を侮辱する記事の氾濫は許し難い。外敵による日本破壊と共に、内側からの國體破壊・国家破壊の動きを食い止めねばならい。

 

菅官房長官は、五輪誘致問題に関連して「開かれた皇室論」を肯定する発言をした。長い間メディアによってかまびすしく喧伝されてきた「開かれた皇室」といふ論議の行き着く果ては、天皇・皇室の神聖性・尊厳性の破壊であることは明白である。大原康男氏が指摘されている通り、「一体、何に対して、何を、どうのように開くのか」(『平成の天皇論』)といふことの明確な説明がなされないままに、「開かれた皇室であるべきだ」といふ論議が横行してきた。「開かれた皇室」論は國體破壊策謀である。

 

昔から、「九重の奥深く」といふ言葉があったやうに、天皇・皇室は、日本国民の憧れと尊崇の対象・いとやんごとなき神聖なるご存在として、日本国の中心におはします事が大切なのである。そのことによって天皇・皇室は国家国民の平和と安定と統一の源泉であられ続けて来たのである。これを破壊せんとするのが「開かれた皇室論」であると断言する。

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千駄木庵日乗十一月十一日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後六時より、平河町の高池法律事務所にて、「國體政治研究会」幹事会開催。中村信一郎氏が司会、今後の研究活動について討議。

帰宅後も、原稿執筆。

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2013年11月11日 (月)

国難に晒されてゐる今日において偉大なる「勅撰和歌集」が撰進されるべきである

和歌は、天皇・皇室を中心に継承されて来た。古来、わが國に於て幾度か『勅撰集』が編纂され撰進された。和歌の中心に常に天皇が存在し、和歌集の多くは勅撰によって成立した。

 

天皇の國家統治の基本に和歌がある。和歌は天皇の國家御統治と一體である。天皇國家統治をやまとことばで「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の御心を民に示し、民の心を天皇が知り給ふために實に和歌が重要な役割を果たしたのである。天皇の國家統治は和歌と切り離し難く一體である。天皇の國家統治は、西洋や支那の皇帝・國王のように権力・武力によって國民と國土を支配するのではない。日本天皇は、まつりごとと和歌といふ二つの信仰的精神的営為によって國民と國土を統治されるのである。

 

本居宣長は「もののあはれを知るといふことをおしひろめなば、身ををさめ、家をも國をも治むべき道にわたりぬべきなり。…民のいたつき、奴のつとめをあはれとおもひしらむには、世に不仁なる君はあるまじきを云々」(『源氏物語玉の小櫛』)と論じてゐる。

 

宣長は「もののあはれを知る」心が日本人の道義精神の原理であり、さらには政治の原理であるとしてゐるのである。天皇が和歌を詠ませられるとともに、『勅撰和歌集』の撰進が行はれたのは、まさに御歴代の天皇が「もののあはれを知る心」を養ひたまふことを國家統治の基本とされてきた事を証しする。

 

今日において、まさに、「国風文化」が復興しなければならない。大化改新といふ大変革・壬申の乱といふ大動乱の時に『萬葉集』が生まれ、平安中期の国風文化勃興の時に『古今和歌集』が生まれたやうに、国難に晒されてゐる今日においても、偉大なる「勅撰和歌集」が撰進されるべきであると信ずる。それが言霊の復活であり、世の乱れを正す大いなる方途である。

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千駄木庵日乗十一月十日

午前は、母のお世話。

午後一時より、神宮前の南国酒家にて、『大日本一誠会創立四十五周年披露並びに新会長就任式』挙行。渡邊謙二前会長・仲程通也新会長が挨拶。来賓祝辞、新役員紹介などが行われ、盛宴に移った。多くの活動家諸氏が集った。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2013年11月10日 (日)

萬邦無比の國體

天皇が現御神であられるということは、天皇は「今生きておられる神」「この地上に実在する神」「人にして同時に神なる方」「天神地祇・稲穂の神靈の體現者」ということである。

 

そしてわが國には太古以来の信仰が、祭祀という行事と共に今もわが國民の日常生活に生きている。また、天皇の祭祀は今日唯今も生きた姿で傳承されている。

 

つまり、日本傳統精神は、天皇の祭祀と神社の祭祀を通して、今もなおその生命を傳えられているのみならず、現実に天皇及び御皇室の自然の命を慈しみたもう御精神と御行動そして神社の鎮守の森が、自然破壊と人心の荒廃を食い止める大きな力となっている。

 

伊勢の神宮の神殿は、二十年目ごとに必ずくり返される式年遷宮によって永遠に新しい姿に復元し生まれ変わる。古代の神殿が永遠に新鮮な姿で我々の眼前に立っている。

 

日本民族は古代信仰を今日唯今も生活の中に生かしているのである。そして古代信仰の祭祀主を今日の日本国の君主として仰いでいるのである。これが日本國の素晴らしさである。

 

日本國家の存立の精神的中核は、天神地祇を尊崇し稲穂を大切にする信仰精神であり、日本という國家は<天皇を祭祀主とする信仰共同體>なのである。ゆえに日本國は天皇國といわれるのである。

 

今上天皇は、初代の神武天皇から数えて第百二十五代の御子孫であらせられると共に、現御神として邇邇藝命・神武天皇そして御歴代の天皇と全く同じご資格で國家を御統治されている。萬世一系の皇統は、高天原より地上へと、天照大御神・邇邇藝命・神武天皇から今上天皇へと、時間を超えて一貫して連綿として傳えられている。

 

日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられている。そして、天皇陛下は、今日においても日本國の君主・國家元首として君臨あそばされている。つまり古代以来一系の天子がわが国の君主であられるのである。これは世界史の奇跡であり、他の國家・民族には見られない事実である。まさに「萬邦無比の國體」である。

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千駄木庵日乗十一月九日

朝、デイサービスに赴く母を見送る。

この後、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆。

午後六時より、神田学士会館にて、『憲法懇話会』開催。高乗智之氏が司会。久保田信之氏が、「日本文化をむしばむ『GHQ憲法』」と題して講義、全員で討論。

帰宅後も、原稿執筆。

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2013年11月 9日 (土)

「皇室の政治利用」「皇室の尊厳性の冒瀆」を根絶せよ

園遊会において、天皇陛下に対し奉り手紙を差し出した山本太郎参議院議員の行為に端を発したいわゆる「皇室の政治利用」問題について考えたい。

 

 山本議員の行為は常軌を逸している。厳しく批判されなければならない。と同時に次の事も真剣に考えなければならない。自民党・民主党などは「天皇の政治利用だ」声高に叫んでいるが、これまでさんざん「皇室の政治利用」をして来たのは自民党・民主党政権である。「天皇陛下支那ご訪問」「習近平謁見」がそれである。また、『週刊新潮』『週刊文春』なども、ここを先途と山本氏を批判しているが、この二つの週刊誌は、売り上げを伸ばすために、これまでさんざん皇室の尊厳性を冒瀆し、皇族を苦しめ奉って来た。文字通り「皇室の営業利用」である。まさに現代の朝敵と言っても過言ではない。

 

 尊皇愛国の大義の上からも、そして、天皇を神聖なる君主と仰ぐ日本国の永遠の隆昌のためにも、「皇室の政治利用」「皇室の尊厳性の冒瀆」を根絶すべきである。

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2013年11月 8日 (金)

千駄木庵日乗十一月八日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、諸雑務、『伝統と革新』編集の仕事、『百人一首』解説原稿執筆など大忙し。しかし夕刻には、ちゃんと近所の友人と一献傾けました。

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萬葉古代史研究會

小生が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

 

日時 十一月十三日(毎月第二水曜日) 午後六時半より 

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

 

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。

 

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

 

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この頃詠みし歌

疲れたる身を横たへて夢の国に入り行かむとする嵐の夜更け

 

撃たれたる大統領の一人娘 今反日の姿勢とりゐる

 

太りたる猫がのろのろ道歩む飽食の時代は人類のみならず

 

雲の切れ間に青空見ゆる朝なればいざ洗濯物を干さむとぞ思ふ

 

秋の日に照らされてゐる清き墓に 来島恒喜の御霊は眠る

 

嵐去りし秋晴れの日の谷中墓地すがしき風が吹きて来るかな

 

母の手を引きて夜明け前の町行けば豆腐屋はすでに働きてをり

 

小さき肩に手をかけ母を励まして明日からも共に生き行かむとぞ思ふ

 

夜の更けにもの書きをれば地震(ない)が来てわが住むマンションゆらゆら揺れる

 

休日のビル街は森閑として人気無く自販機の灯(ひ)のみが動きゐるなり

 

禅宗と日蓮宗の坊さんが同席して語る今日の会合

 

店のあるじは如何にゐるかと思ひつつ閉じられし店の前を行き過ぐ

 

たらちねの母は今日も元気良く過ごしたまへることのうれしさ

 

ショートステイといふ外国語を何故使ふのか しか思ひつつ母を見送る

 

今朝もまたベランダに立ち日の神のみ光浴びつつ柏手を打つ

 

昇り来し太陽はさやかに照りわたり今日の一日(ひとひ)を寿ぐ如し

 

久しぶりに晴れわたりたる大空を仰ぎてうれしきこの朝(あした)かも

 

丹波なる友より贈られし栗の実を母と二人で食しつつをり

 

友どちより贈られし米を食しをり 瑞穂の國に生(あ)れし喜び

 

窓よりの風がすがしき朝にして母と二人でパン食しゐる

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千駄木庵日乗十一月七日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して『伝統と革新』の原稿執筆、編集の仕事など。

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2013年11月 7日 (木)

日本國體と成文憲法

天皇を祭り主と仰ぐ日本伝統信仰は、わが国の存立の基本である。これを否定するような如何なる法律も国家破壊の元凶としてこれを破棄しなければならない。ところが戦後日本において戦勝国によって押しつけられた「現行占領憲法」は、君主と人民とは相対立する存在であり国家とは国民同士が契約して成立するものであると考える西洋法思想・西洋契約国家観に貫かれており、日本国体の根幹を正しく規定していない。むしろ「現行憲法」は国体破壊もしくは隠蔽の元凶になっている。「護憲」の名のもとに数々の国体破壊もしくは隠蔽が行われている。

 

 三潴信吾氏は、「法思想上には、不文憲法主義と成文憲法主義とがある。…(成文憲法主義は・注)ローマ法思想の流れを汲み、君主(統治者)と人民(被統治者)との間、又は各人相互の間の不信、性悪観に基づくものである…近代のヨーロッパに於ける成文憲法の制定も、マグナ・カルタ以来の歴史が示す如く、専制君主と人民との間の不信感に発した、人権保障の約束証文に由来するものであって、これは権力國家観への移行の段階に於いて現はれたものである。」「憲法の基盤となる立國法とは、國体法とも称されるが、不文憲法として、成文憲法のある場合にも、必ずその基礎を成すものである。…立國法はその國の立國と同時に、その成立事實と不可分に存立するものであって、立國の精神的または道徳的理想を根幹として、その國の最も基本的な伝統的秩序を樹立するものである。」「憲法はその國の統治権力作用の拠って立つべき立國の理想目的に抵触したりそれを支へる人類普遍の原理を侵すことはできない。」(日本憲法要論)と論じておられる。

 

 わが日本は国家の本質と君主たる天皇の御本質が建国以来、信仰的に厳然と確立している。これを法律的に言えば、不文法によって定まっているということであろう。故に成文憲法でそれを変革することはできないし、成文憲法は不文憲法(立国の基本)に反する規定をしてはならない。西洋から輸入した近代法思想に基づく成文憲法によってこの立国の基本を覆したり破壊してはならない。

 

 つまり天皇及び皇室そしてそれを中心とする日本国体は憲法などの世俗的な法律を超越しており、憲法などの法律は、皇室にかかわることに干渉することはできないのである。日本国は信仰共同体であり国民が契約を結んで人工的に作った国ではない。そして祭祀主である天皇は国民と対立してこれを力によって支配する御存在ではない。こうした日本の基本的国柄は成文憲法が制定される以前即ち明治初期以前から確立している。

 

 信仰共同体日本においては成文憲法は「第二の規定」である。西洋の契約思想や人間不信を基盤とした成文法に神話の時代に発生し悠久の歴史を有する日本国体を規定すること自体不自然なことなのかも知れない。

 

 西洋の国々の君主は人民を征服し武力と権力によってこれを支配服従せしめていた存在であった。そして君主と人民は相対立存在であった。だから、主権が君主にあるとか人民にあるとかという君主と人民の対立概念が出て来るのである。こういう日本に全くなじまない西洋概念で日本国体を規定すること自体無理なのである。

 

 近代日本に於ける成文憲法たる「大日本帝国憲法」の制定においてはこのことを考慮し、第一条から第三条において立国の基本(即ち不文法に定められた日本国体の基本・天皇中心の信仰共同体日本の本姿)を明らかに規定した。

 

日本天皇が日本国の君主・統治者であらせられるのは、日本の伝統信仰・歴史的な国体観念に基づくのであって、憲法に規定されているから天皇が君主であらせられるのではない。

 

 ただ、「大日本帝国憲法」は、西洋立憲制度を模倣したというのではなく日本の伝統信仰の体現者として国家を統治される天皇の御本質を成文法によって明文化したものである。

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千駄木庵日乗十一月六日

午前は、母と共に近くの医療機関に赴き、健康診断およびインフルエンザ予防接種を受ける。

午後は、『百人一首』解説原稿執筆など。

午後五時半より、永田町の憲政記念館にて、『大東亜会議七十周年大会』開催。渡部昇一、スルヤ・ボース、ヘンリー・ストークの三氏が記念講演、加瀬英明・頭山興助両氏が挨拶。

帰途、赤坂にて、友人と懇談。

帰宅後は、『伝統と革新』掲載原稿執筆。

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2013年11月 6日 (水)

祭祀の現代的意義

 わが國の伝統精神における最も大切な行事は「祭祀」である。「祭祀」は、自然と人の命を拝み、自然と人の命を大切にする精神=神話の精神の實践なのである。「祭祀」が自然を破壊し、人の命を軽んずる現代の状況を救済し打開する原理となる。

 

 天皇は日本國の祭り主であらせられる。天皇はわが國建國以来、常に國民の幸福・世の平和・五穀の豊饒を、神に祈られて来てゐる。稲作生活から生まれた「神話の精神」を、「祭祀」といふ現實に生きた行事によって今日ただ今も継承し続けてきてをられる御方が、日本國の祭祀主であらせられる日本天皇である。天皇の「祭祀」によって、わが國の伝統精神が現代において生きた形で継承され、踏み行はれてゐるのである。

 

 「祭祀」とは神に奉仕(仕へ奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従ひ奉ることである。つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓ひする行事である。日本最高の祭り主であらせられる天皇の無私の御精神を仰ぎ奉ることが、我が國の道義の中心である。天皇を中心とする信仰共同體が神話時代以来の日本國の本姿なのである。天皇中心の道義國家の本姿を回復する以外にない。

 

禊によって罪穢を祓ひ清め、祭りと直會(神と共に供へ物を食する行事)によって神との一體観を回復する。これが神道行事の基本である。なべての「本来の姿」を回復する行事が「祭祀」である。つまり『古事記』に示されてゐる「天地の初発(はじめ)の時」(天地宇宙の始まりの時)に回帰する行事が「祭祀」である。

 

 今日、混迷の度を深めている我が國も、「天地の初発の時」を回復することによって、危機的状況を打開することができるといふのが、我が國の伝統的な信仰である。實際、日本民族は、全國各地で毎日のやうに祭りを行ってゐる。それは信仰共同體日本の本来の姿を回復する祈りが込められてゐる行事である。  

 

 維新変革も、罪穢を祓ひ清め國家の本来の清浄な姿・神のお生みになったままの麗しい姿を回復することである。「今を神代へ」であり「高天原を地上へ」である。

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千駄木庵日乗十一月五日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事、諸雑務。

午後七時より、九段下沙龍にて、『憲法勉強会』開催。産経新聞の憲法試案について討論。

帰宅後は、原稿執筆。

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2013年11月 5日 (火)

京都にて詠みし歌

これの地に錦旗翻り新しき御世の始めのいくさ起りぬ(御香宮神社)

 

戊辰戦争始まりし地に今日来たり神功皇后の御霊拝ろがむ(御香宮神社)

 

金色の大日如来像拝ろがみぬ京都東山智積院にて

 

泉涌く御寺の庭にたたずみてすめらみくにの彌栄を祈る(御寺泉涌寺)

 

さはやけき神氣満ち満つるみささぎの松の緑に秋の日は照る(孝明天皇御陵)

 

鳥の聲聞こえ来るなる秋の日に孝明天皇のみささぎを拝す()

 

鳥の聲響きわたれる聖陵に大きみかどは眠りまします()

 

激動の時代に御国をしらしめしし孝明天皇のみささぎを拝す()

 

拝跪聖陵と刻まれし石の尊さよすめらみくにの民の心ぞ()

 

青空に白雲流るる秋の日にさはやかにしもみささぎを拝す(明治天皇御陵)

 

広らけき天を仰げり明治大帝鎮まりましますみささぎへの道()

大いなる明治の御代のすめろぎは伏見の山にねむりますなり()

 

明治の御代をしらしめしたまひし大君に伏し拝がみぬ秋の朝(あした)に(同)

 

静かなる京のみささぎに一人来て秋の光を浴びて畏む(同)

 

 

細き路歩み行きなば四宮大明神といふ祠が鎮まりてをり(山科・四宮にて)

 

山科の四宮といふ町を訪ね来て四宮といふ家を見つけたりけり

 

谷口師が修行したりし一燈園 四宮といふ町にあるが嬉しき

久しぶりに酔ひて歩める京の町新京極の賑はひぞ良し

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千駄木庵日乗十一月四日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、たまりにたまった資料の整理。

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2013年11月 4日 (月)

『小林古径生誕130年記念 古径と土牛』展参観

今日参観した『小林古径生誕130年記念 古径と土牛』展は、「日本画における線を「内に籠もったものを現す、或は対象の実在を掴む」として重視し、端正かつ清澄な線を特徴とした日本画家・小林古径[こばやし こけい](1883-1957)。2013年はその古径の生誕130年にあたります。これを記念し、古径の作品とともに、古径の兄弟弟子・奥村土牛[おくむら とぎゅう](1889-1990)の作品を比較展示して二人の画業を振り返る展覧会を開催いたします。…(古径は・註)

古典を基礎としながらも近代的な感覚をとり入れた新様式を確立し、後進画家たちに多大な影響を与えていきました。なかでも、梶田半古[かじた はんこ]塾で古径と同門であった奥村土牛は、塾頭をつとめていた古径を師と仰ぎ心から尊敬して多くを学びました。101歳で天寿を全うするまで絵を描き続けた土牛自身も、古径との出会いが「自分の一生を決定づけることになった」と語り、古径の作画に対する真摯な態度を引き継いでいきます。…一見すると異なる画風の二人の作品を、それぞれの言葉やエピソードとともにあらためて見つめなおし比較することで、古径と土牛のもつ共通項にも注目する展覧会です」との趣旨(案内書)で開催された。

 

奥村土牛の「浄心」(古径を追悼し制作)、「醍醐」(古径の七回忌の帰路に見た桜の美しさに古径への想いを重ねて制作)、「泰山木」(古径好みの陶器と花の取り合わせ)、「鳴門」、小林古径の「静物」、「清姫」、「果子」、「三宝柑」、「大毘古命図」、「紫苑紅蜀葵」、「狗」などを参観。

二人の作品を比較すると、私には、土牛の方が、迫力があり、命の躍動を感じる作品が多いように思えた。特に「鳴門」の渦潮と「醍醐」の桜はまことに見事であった。父と一緒に鳴門海峡に行ったことを思い出した。古径の絵も線の描き方が巧みで、どの絵も美しかった。岡本太郎氏は「芸術は爆発だ」と言ったが、そういう岡本太郎の世界とはほど遠い作品群であった。

 

山種美術館は、昔は茅場町にあった。山種証券の創業者・山崎種二氏が創設した美術館だからである。その後、千代田区三番町に移転した。母校・二松学舎大学のはす向かいだったのでよく行った。そして数年前の広尾に引っ越してきたのである。ここは我が家からはちょっと遠い所なので、年に一回くらいしか来ることが出来ない。この美術館のカレンダーは、なかなか良いものなので、その購入を兼ねて十一月に来ることにしている。今日は、この方面にある介護施設の見学のついでに参観した。

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千駄木庵日乗十一月三日

朝、母のお世話。

午後、介護関係の施設見学。

この後、広尾の山種美術館で、開催中の「特別展・古径と土牛」参観。

帰宅後は、『百人一首』解説原稿執筆。

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2013年11月 3日 (日)

山本某の行為は許してはならない

近年、政治家や権力機構による天皇・皇室の政治利用、メディア報道における天皇・皇室に対する度が過ぎた報道が、天皇・皇室の尊厳性を冒瀆し、破壊しつつある。まことに以て憂えるべき事態である。これは、山本某一人ではない。石破氏は、山本某を懲罰すべきだと言ったが、自民党も民主党は皇室を政治利用し、週刊誌などのメディアは皇室を営業利用し、皇室の尊厳性を侵し奉っている。

 

 

 

山本某の行為はやはり許してはならない。参議院はすみやかに懲罰すべきだ。しかし、今まで散々、天皇・皇室を政治利用し奉ってきたのは自民党や民主党ではないか。散々、天皇・皇室を営業利用し冒瀆し奉ってきたのはメディアのではないか。こいつらにも厳重な懲罰を加えるべきである。

 

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「神道指令」について

 占領軍の日本弱體化のための重要な策謀の一つである「神道指令」(昭和二十年十二月十五日)で、はじめて「國家神道」という言葉が使われた。國家權力と神社神道とが一體となって他の宗教を圧迫し日本を戦争の駆り立てたというのがこの「國家神道」という言葉の根底にある。このような言葉と概念に基づいて有史以来のわが國傳統信仰の祭式による英靈への慰靈を「憲法違反」だとか「軍國主義的行為だ」とか「政教一致だ」とか言って非難している。これは大きな誤りである。

 

 神道祭式・神社は、わが國の稲作を基本とする共同體の生成と共に生まれた。神道祭式は、國家という共同體の不離一體の関係にある。五穀の豊饒を祈り収穫に感謝する祭りは個人の宗教行為というよりも共同體(村)全體の行事である。神社神道が共同體(小さくは家大きくは國家)と一體なのである。日本傳統信仰たる神道そしてその祭りの場である神社は、國・町・村・家という共同體と共に生まれ守られ続けてきたのである。

 

神社神道=日本伝統信仰は決して他の教団宗教と対立するものではない。まして、圧迫したり否定するものではない。外来教団宗教たる仏教は、日本伝統信仰の祭祀主であらせられる日本天皇の宗教的権威の下に受容され、わが国内において布教され、やがて日本は仏教国とまで言われるようになった事実を見ればそれはあまりにも明白である。

 

「神道指令」は日本を弱体化するために、共同體國家日本と一體である神社神道を、普通一般の教団宗教と同一視して、強制的に國家と分離し解體しようとしたのである。そして「神道指令」は、わが國の歴史と傳統を否定し、道義の根幹を破壊しようとしたのである。その結果が、靖國神社問題であるし、今日の日本の道義の頽廃である。

 

大東亜戦争後の「神道指令」に始まる靖國神社をはじめとした「神社神道」への圧迫は、自然信仰・祖靈崇拝を基幹とするわが國傳統的民族信仰の破壊である。

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千駄木庵日乗十一月二日

朝、デイサービスに赴く母を見送る。

この後、在宅して、『百人一首』評釈原稿の校正、解説文執筆。『伝統と革新』編集の仕事。

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2013年11月 2日 (土)

政治家・官僚などの権力者(第四権力たるメディアも含む)が皇室へのかしこみの心を喪失した時、日本國は崩壊の危機に瀕する

山本某と田中正造氏を同列に一緒にするなんて以ての外である。時代状況が全く異なる。山本と田中正造氏とでは人物も天と地ほど違う。パフォーマンスと命懸けの行動を一緒にするな、と言いたい。

 

 園遊会への招待者は、どういう基準で誰が決めるのかが問題である。天皇皇后両陛下のご意思をきちんとおうかがいするのか。当選したばかりの一年生議員、しかも左翼過激派との関連が問題となっている人物が招かれること自体問題である。

 

こうしたことは、政治家・権力機構全体の皇室軽視が根本原因である。菅義偉官房長官は今年九月一三日の記者会見で、宮内庁が高円宮妃久子さまの国際オリンピック委員会(IOC)総会への出席経緯を精査する方針を示したことについて「宮内庁を所管する大臣として、『開かれた皇室』を実現する観点から内部で考え方を整理してほしい」と注文をつけた。

 

  「開かれた皇室」などということを何時頃誰が言い出したか知らないが、これは、天皇の及び皇室の尊厳性を破壊することを目的とした巧妙なる策謀である。「開かれた皇室」とは、「皇室は神秘のベールに包まれるべきではない」「皇室の関する公私にわたる情報は全て公開せよ」「皇室は國民ともっと自由に接触せよ」ということなのだろう。さらに今回の菅官房長官の発言を見ると「外交や国際的交流などに政府の方針に従って関与せよ」ということなのだろう。

 

 前にも書いたが、最近、政治家・権力者の皇室軽視・皇室冒瀆・皇室の政治利用の言動が頻繁に起ってゐる根本原因は、「日本国憲法の制度は、国民→国会→内閣→天皇という序列で構成されている」などといふ憲法解釈が可能なところにある。「主権者国民の代表であり国権の最高機関を構成する国会議員は、天皇陛下よりも上に地位にある」といふ考へ方が無意識的に政治家たちに植え付けられてゐるのである。だから「天皇は政府・国会の意思どおりに動かれるべきだ」といふ不逞思想を平然と語る小沢一郎のやうな政治家が現れるのである。また、皇族に対し奉り不敬極まりない言動を吐く中井洽のような政治家が現れるのである。そして、五輪招致に皇族を利用する政府閣僚が出現するのである。さらに言へば、天皇・皇后両陛下にご臨席を仰いだ式典に、衆参両院議員の半数が欠席するといふ非礼極まりない事態が発生するのである。

 

 日本国民の道義精神・倫理感の基本は「尊皇精神」であり「神聖君主日本天皇へのかしこみの心」である。ところが今日、国民全般に尊皇精神が希薄となり、皇室を蔑ろにする政治家・官僚が増えてゐる。政治家・官僚に不祥事が相次ぐ根本的原因、そして現代日本の政治・行政・司法の腐敗・堕落・横暴の根本的原因は、政治家・官僚の尊皇精神の希薄化にある。

 

 「国会は国権の最高機関」であり、「天皇の御地位」は、主権の存する国民の総意に基くのであるから、国民の代表者である衆参両院議員は最高権力者であり、天皇は、衆参両院議員よりも「下の地位」にあるといふことになる。そして、衆参両院議員及び衆参両院議員によって選出され信任されてゐる内閣は、天皇よりも「上」の存在だといふ悪逆思想が、意識するにせよしないにせよ、衆参両院議員に植えつけられる。国会議員に「国権の最高機関の一員であり主権の存する国民に選ばれた国会議員は最高権力者だ。天皇は象徴にすぎない」などといふ意識が生まれ、皇室尊崇の念を喪失する原因である。そして、政治家は「かしこみの心」を無くし好き勝手なことするのである。

 

 日本國民は古来、信仰共同体・祭祀國家日本の祭祀主であられる天皇を神聖なる御存在と仰いできた。これを現御神信仰という。そしてこの信仰は、日本伝統信仰の中核である。「神秘のベール」を取り除くということは、天皇の祭祀主としての神聖なる御本質を否定することになる。天皇の神聖性の保持と「開かれた皇室論」とは絶対的に矛盾する。

 

  天皇は本来「無私」の御存在であられる。そして日本国の神聖なる君主であられる。天皇及び皇室の「私の部分」を公開することなどする必要は毛筋の横幅ほどもないのである。具体的に言えば、天皇皇后両陛下・皇太子殿下の御所や皇族方の御殿などの建築計画そしてその規模や間取りなどを公開することは絶対にするべきではない。まして況や、皇室財産の公開などは以ての外であるし、皇室に対し奉り相続税を課するなどということは政府自らが天皇及び皇室の尊厳性を冒瀆する悪逆不逞行為である。

 

 皇室へのかしこみの心・尊皇精神・勤皇精神が希薄になればなるほど、日本國民の道義心・倫理感が希薄になる。なぜなら、天皇は、日本國民の道義感・倫理感の鏡であるからである。皇室への尊崇の念の希薄化と今日の日本國民の道義心の低下とは相関関係にあると考える。

 

  ともかく、政治家・官僚などの権力者(第四権力たるメディアも含む)が皇室へのかしこみの心・尊皇精神を喪失した時、日本國は崩壊の危機に瀕する。亡國勢力による天皇及び皇室の尊厳性の冒瀆とりわけ政治権力・政治家による皇室利用を根絶しなければならない。

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明治維新と辛亥革命

明治維新は、植民地支配下にあった多くのアジアの国々に希望を与えた。欧米列強の植民地支配から脱却し、アジアの解放をめざした中国・インド・フィリッピンの先覚者たちは、日本の明治維新に注目し、それぞれ自国の独立と近代化のために、明治維新から学ぼうとした。

 

また、ロシアの南下=東亜侵略を防いだ日露戦争における日本の勝利は、有色人種が白色人種に勝利白人優位の観念を覆したということで、全世界の人々に精神的に大きな衝撃を与えた。

 

支那の康有為や梁啓超のような青年たちは、日本の明治維新に学んで中国の変革を成し遂げようとした。

 

康有為(清末・中華民国初の政治家、学者。列強の中国侵略に対して、日本の明治維新にならって変法自彊【へんぽうじきょう】の策をとなえた。光緒帝を擁して戊戌変法といわれる改革を企てたが、西太后らの保守派により失敗。主著「大同書」「孔子改制考」。一八五八~一九二七)は、『日本変改考』(明治維新以後のわが國の改革を詳述した本)という書物の中で「西洋各国が五百年で成し遂げたことを日本は二十年余りで為し終えた。中国の国土は日本の十倍以上あり、明治維新にならえば三年にして大略がなり、五年にして条理を整え、八年にして効果を上げ、十年にして覇業を定める」と言っている。(黄文雄氏『捏造された日本史』参照)

 

しかし、支那が近代革命を成し遂げ得なかったのは、中華思想(漢民族は世界の中心として諸国に君臨し、四方の国々はみな野蛮国で朝貢国家であるという思想)がその大きな原因であろう。

 

支那は、辛亥革命によって一君萬民の体制を破壊して近代化しようして失敗した。日本は、一君萬民の國體を明らかにすることによって近代化に成功した。この違いは一体どうしたことか。それは支那の皇帝は民を搾取し権力と武力で支配する存在であり、日本の天皇は、道義道徳・信仰精神に基づいて国家の祭祀主・精神的中核的統合者として君臨するご存在だからである。

日本と支那とは、根本的に国の成り立ちが異なるのである。このことを充分に認識するべきである。

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千駄木庵日乗十一月一日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『百人一首』評釈原稿の校正、『伝統と革新』編集の仕事。

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2013年11月 1日 (金)

京都で撮影した写真

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伏見桃山御陵参道の上の大空

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皇室の御寺・泉涌寺

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伏見・御香宮社参道(戊辰戦争戦績)

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真言宗智山派総本山・智積院本尊・大日如来像。

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智積院参道

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京阪線・四宮駅(山科)

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四宮大明神の祠(山科四宮の里)


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