« 千駄木庵日乗十月三日 | トップページ | 千駄木庵日乗十月四日 »

2013年10月 4日 (金)

女性天皇は祭祀を行うことが出来ないという主張は大きな誤りである

 伊勢皇大神宮の「式年遷宮」で最も重要な神事「遷御の儀」が九月二日夜、皇大神宮(内宮)で行われた。天皇陛下のご代理として天照大神に仕える「臨時神宮祭主」であられる黒田清子様が、その神聖なるお役目をお果たしになった。神宮祭主は、天皇陛下の代理として神宮の祭事をつかさどるお役めで、天皇陛下の「勅旨」を受けて決まる「神宮だけ」のお役目であると承る。

 

神祭り・祭祀は、女性は行うことができないという主張がある。これは大きな誤りである。古代日本においては、むしろ女性が祭祀を行っていた。

新嘗祭を歌った「萬葉集東歌」に、

 

にほ鳥の葛飾早稲(わせ)をにへすともその愛しきを外(と)に立てめやも (三三八六)

 

という歌がある。通釈は、「(にほ鳥の・枕詞)葛飾の早稲を神饌として供へる祭事の夜でも、あの愛するお方を外に立たせてはおかれやうか、立たせてはおかれない」といふ意。

「にへすとも」の「にへ」は、神に捧げる食べもののこと。「にへす」は、その年の新穀を神に供へて、感謝すると共に来年の豊饒を祈る新嘗の祭を行ふこと。古代の農家は、家毎に新穀を供へて物忌みをして新嘗の祭を行った。その家の女性が、神主・祭り主となって、神に新米を供へる新嘗祭を行って、男たちはその期間中家にゐることは許されなかった。女性は祭り主として家に残り、男は外に出かけたのである。

 

 

新嘗祭に奉仕する女性の物忌みは、奉仕の女性以外、家人は、親といへども、夫といへども、その家に入ることは出来なかった。家中の男を外へ出して、自分は祭主として神様に仕へてゐる。

 

そのやうに厳しい新嘗祭の物忌みも、愛する人のためならあへて侵さずにはゐられないといふ、恋する乙女の燃えるやうな情熱をうたった歌。愛する男を外に立たせてはおけないといふ歌である。各共同体における新嘗祭の祭り主は女性だったのである。

 

 

「践祚大嘗祭」を最初に執行された天皇は、女帝であらせられる持統天皇である。『日本書紀』持統天皇五年十一月戊辰日に、「大嘗す」と記されてゐる。平野孝國氏は、「天武天皇以降、大嘗は特別の意味を加えて即位に引き続き、今上の御代まで施行されてきた。…持統天皇は、この新思想を忠実に継承され、更に制度化するのに、与って大きな貢献をされた」(『大嘗祭の構造』)と論じてをられる。

 

 

また伊勢皇大神宮の「式年遷宮」は、天武天皇がお定めになり、持統天皇の御代の持統天皇四年(六九〇)に第1回が行われた。

 

 

女性が祭祀とりわけ新嘗祭を行ひ得ない、行ってはならないなどといふのは、わが國の傳統とは相容れない思想であるし、第一事実に反する。これは、仏教思想や儒教道徳の影響と考へられる。

 

 

女性天皇は大嘗祭・新嘗祭をはじめとする祭祀を司られることはできないなどといふことは絶対にあり得ない。

 

女性神であらせられる天照大御神は祭祀主として高天原において新嘗祭を執行された。天皇は皇祖神たる天照大御神を祭られるが、皇祖神たる天照大御神もなほ神を祭られたのである。

 

 

『日本書紀』皇極天皇元年十一月の条には、「丁卯(十六日)に、天皇新嘗御(にひなへきこしめ)す。是の日に、皇子・大臣、各自(おのおのみづか)ら新嘗(にひなへ)す」と記されてゐる。皇極天皇は女帝であらせられる。

 

 

女性蔑視の思想は、佛教・儒教という外来思想の影響である。日本傳統信仰にはそういう思想は全くない。人は全て神の分霊であり神の子である。男を日子(ひこ)と言い、女を日女(ひめ)と言う。人は全て男も女も、日の神・天照大御神の子であるという意味である。

 

神の命が生成化育(むすび・産霊)して生まれ出た男の子・女の子のことを、むすこ(息子)・むすめ(娘)というのである。そこには全く差別はない。いわんや女性蔑視などという事は一切ない。

 

皇位継承を論ずる人の中に、父親と母親を「種と畑」に譬える人がいる。また、染色体論を用いる人がいる。これらの考え方は、人は神の子であり、人は「ひと=日止・霊人」であるという根本信仰とは異なる考え方である。

 

ご歴代の天皇お一方お一方が、御神勅に示されている通り「天照大御神の生みの御子」であらせられる。これを「歴聖一如」と申し上げる。天皇は、女帝であらせられても、現御神であらせられ、天照大御神の地上的御顕現であらせられる。男系継承という神武天皇以来の伝統は守られるべきとしても、この根本信仰は絶対に無視してならないと信じる。

 

|

« 千駄木庵日乗十月三日 | トップページ | 千駄木庵日乗十月四日 »