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2013年10月11日 (金)

天皇と憲法について考える

開かれた皇室論は「天皇制」打倒・國體破壊そのものである。その具体的にあらわれが、皇室への尊敬語の不使用である。天皇・皇室は特別の御存在であるから、大衆化はあり得ない。大衆化した時、象徴としての地位はなくなる。

 

『現行占領憲法』上の「象徴」という地位は一体いかなるものであるのか。政治家と官僚の非人間的な操り人形として扱われることを言うのか。

 

「人にして神である」という天皇そして日嗣の御子の御本質が正しく回復されるべきである。

 

「国民を統合される尊貴な御存在」は、神にして人であらせられねばならない。日本国の祭祀主であり統治者としての御本質を回復していただくことが基本である。現御神・現人神とは人ではないという事ではない。人として最も高貴にして神聖なる御存在ということである。

 

天皇が宗教的権威・祭祀者であらせられることが、天皇が日本国の君主・統治者であることの源泉なのである。そのことを基本にして、皇室のことを論じられなければならない。

 

宗教的権威を剥奪することを目的とした「開かれた皇室」論は絶対に不可である。天皇及び皇族が歴史的連続性・伝統性・神聖性・尊厳性を剥奪されたままで「象徴」などという地位になっているから、今日のような非人間的な無機質な操り人形のようなお立場に立たれるほかはなくなるのである。

 

『現行占領憲法』下の「象徴」という地位は、「開かれた皇室=皇室の大衆化」によって、益々尊厳性は隠蔽された。

 

そもそも大衆と同じレベルの『人間』が「国家国民統合の象徴」という地位になることは不可能である。その不可能を今まで可能にして来たのは、皇室の伝統性がまだ生きているからである。現御神・祭祀主としての伝統的な天皇および日嗣の御子のあり方への回帰・天皇の御本質の復元が第一である。

 

「憲法改正」と言うのならば、国家の基軸中の基軸を為す天皇の「統治大権」「祭祀大権」の復権が、第一である。これに違背する憲法改正は容認出来ない。つまり『大日本帝国憲法』へ回帰し、それを改正するというのが最も正しいと考える。

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