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2013年10月25日 (金)

天皇は常に日本國及び日本國民を護り給うた

蒙古の侵略・大東亜戦争をはじめとして、わが日本は建國以来さまざまな國難に遭遇した。今日もまさに國難来たるの状況である。しかし、如何なる困難に直面してもわが國家・民族が滅亡することがなかった。それは、日本國及び日本國民が、國家の安泰と國民の幸福を常に神に祈られる天皇にお護り頂いて来たことによるのである。天皇がいましてこそ、今までの、そして今日の、さらに将来の日本國及び日本國民があるのである。 

 

わが日本は、日本天皇の中核として統合・安定・継承・発展を遂げてきたけれども、祖先から受け継いだ伝統を決して捨て去ることはなかった。むしろ伝統を堅固に保守し続けてきた。現実面の変化の奥に不動の核があった。それが日本天皇である。

 

天皇・皇室は、権力政治面・経済面・軍事面ではいかに非力であっても、常に日本國の統一と調和と安定の核であり続けてきた。源平の戦い、南北朝の戦い、応仁の乱、戦國時代、戊辰戦争、そして大東亜戦争の敗北と、日本國の長い歴史において、國が内戦によって疲弊し、國土が爆弾や原爆で破壊された時期があった。しかし、天皇および皇室が日本民族の精神的核となってその危機から立ち直り、國を再生せしめてきた。そして日本民族は常に國家的・民族的統一を失うことはなかったし、國が滅びることもなかった。これは、世界の何処の國にもなかったところの日本の誇るべき歴史である。

 

日本がどのような危機にあっても、再生のエネルギーを発揮したのは、日本という國家が権力國家ではなく、天皇を中心とする信仰共同體であるがゆえである。

 

日本天皇は、日本國及び日本國民を武力や權力によって護って来られたのではない。その神聖なる權威によって護って来られたのである。そしてその神聖權威は、天皇が常に日本の神を祭り神に祈られる祭祀主であらせられるところから発する。

 

蒙古襲来の時も大東亜戦争の時も、天皇は御一身を神に捧げられる御心で神を祭り神に祈られた。神祭りとは自己を無にして神に合一する行事である。天皇は常に無私の心で祭祀を執行され國家國民を統治されるのである。無私の心とは神の御心のままといふことである。さらに御歴代の天皇の踏み行われた道を継承されるということである。そのことがそのまま國民にその處を得さしめる事即ち國民の幸福実現となるのである。

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