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2013年10月 8日 (火)

國體と憲法について

日本國という國家は、単なる権力機構・政治的支配機関ではない。もっと大らかにして神聖なる存在であり、精神的・道義的・信仰的・文化的存在である。人と人とが精神的に結合した共同體である。日本國はその生成の過程を見れば明らかな通り、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体であり、天皇を中心とした精神的信仰的生命的な共同体である。日本天皇と日本国民は対立する権力関係にあるのではない。天皇と国民とは、天皇が民の平安と五穀の豊饒そして世界の平和を祈って行われる祭祀を基とした信仰的一体関係にある。日本國は革命とか開拓によって人為的に造られた國ではなく、神が生みたもうた國であるという神話と信仰が古代から今日まで信じられて来ている。

 

日本國體とは、単なる「国家の体制」のことではない。「体制」とは、ものの組み立てられた状態という意であり、単に組織、機構、機関、組織、システムのことである。したがって、「国家の体制」とは、無機的な権力機構としての国家組織のあり方即ち統治権力の運用する仕方に関する形式のことである。これは「政体」と表現すべきであって、伝統的な日本國體を「国家の体制」と表現するのは誤りである。

 

國體とは、日本国の国柄・国の本質のことを言う。三潴信吾氏は、「國體とは、各国家の国柄、品格のことをいふのであって、その国の成立事情によって定まる。」「我が国にあっては、皇祖を日の神(天照大神)と仰ぎ、その和魂を継承されつつ、一切の天神地祇、八百万神々を祭り、これといよいよ一心同体たらせ給ふ天皇が、御代々を通じて御一人(一系)として天下を治ろしめすといふ國體を保有してきた」「政体とは、政治権力の組織制度のことを云ふ。」(國體と政体について)と述べられている。小森義峯氏は、「國體とは、平たくいえば、『くにがら』という意味である。その国をその国たらしめている、その国の根本的性格をいう。」「皇祖天照大神と霊肉共に『万世一系の天皇』を日本国の最高の権威(権力ではない)の座に頂き、君民一体の姿で民族の歴史を展開してきた、という点に日本の国柄の最大の特質がある。」(正統憲法復元改正への道標)と述べておられる。

 

「國體とは戦前の天皇主権の国家体制を表す言葉で、治安維持法のキーワードだった」という主張があるが、とんでもない主張である。「帝国憲法」の何処にも「天皇に主権がある」などとは書かれていない。

 

そもそも国家の意思を最終的に決定する権力という意味での主権なる概念と言葉は天皇中心の神の国である日本には全くそぐわないのである。  

 

戦前も戦後もさらに言えば古代以来今日に至るまで日本が天皇中心の国であることは明白であり、戦前の國體と戦後の國體とは本質的には変わっていない。

 

國家を単なる権力機関として見ると、國家の神聖性・道義性を否定し、日本國の文化も、伝統信仰も、文化も、道義も、全て権力機関としての國家の下に置かれ、その支配を受けなければならなくなる。そして権力機関としての國家のみが前面に出て、それが國民と対立し、やがて國家の中で権力と國民の闘争が日常化する。現代日本は、まさにそうした状況に置かれつつある。 

 

今日においてさらに重大な問題は、日本國天皇の祭祀という共同體國家日本の存立の基本である<天皇の祭祀>が、憲法の制約下に置かれるようになっていることである。

 

また「個人の権利」のみを強調する現行憲法の規定によって、祖先を敬い親に孝行するという日本國民道徳の基本が踏み行うことが困難になってきつつあることである。

 

西洋法思想がその理念となり、國家を権力機関としてとらえた「現行憲法」がある限り、國家は美しく良きものであり、人間はその國の國民として生きることによって幸福を得るということが不可能になるのである。日本國の憲法は、天皇中心の日本國體(國柄)に基づいて制定されなければならない。

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