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2013年10月 2日 (水)

『国宝 興福寺仏頭展』参観記

今日参観した『国宝 興福寺仏頭展』は、奈良・興福寺の創建1300年を記念して開催された。「現存する東金堂」をテーマとし、興福寺の代表的な名宝である国宝「銅造仏頭」(白鳳時代)、「仏頭」の守護神として造られた国宝「木造十二神将立像」(鎌倉時代)、浮彫の最高傑作として有名な国宝「板彫十二神将像」(平安時代)、「厨子入り木造弥勒菩薩半跏像」(鎌倉時代)、「法相曼荼羅図」(室町時代)、法相宗に関わる寺宝、「仏頭」と同じ白鳳仏として、東京・調布の深大寺所蔵の重要文化財「銅造釈迦如来倚像」など国宝25点、重要文化財31点など約70点が展示されていた。

 

「銅造仏頭」は天武天皇十四年(六八五)、蘇我倉山田石川麻呂の菩提を弔うために、造営された飛鳥山田寺講堂本尊であった。薬師如来像である。鎌倉時代の文治三年(一一八七)、興福寺の衆徒によって山田寺から強奪され興福寺に移されたという。応永十八年(一四一一)平家が興福寺を焼き討ちした時に被災し、その後行方不明となっていた。ところが約五百年後の昭和十二年(一九三七)、頭部のみが興福寺東金堂本尊台座の奥から発見されたという。まことに数奇な運命をたどった仏像である。頭部だけでも総高98.3センチという巨大な仏像である。少し微笑んでいるような、神秘的な表情で、思わず手を合わせた。破損仏でありながら、国宝指定を受けている仏像である。

 

蘇我倉山田石川麻呂は、大化改新の時の、蘇我入鹿誅殺の時に協力したが、その後、謀反の疑いをかけられ、山田寺で自害した。天武天皇の皇后であらせられた持統天皇の母方の祖父である。薬師如来像は、無念のうちに亡くなった蘇我倉山田石川麻呂を鎮魂するために、天武・持統両天皇の御心により造られたのであろう。

 

謀叛の疑いをかけられ自害に追い込まれた人を弔うための仏像として山田寺の本尊として安置されていた仏像を興福寺の衆徒が強奪したというのだから、何とも凄まじい話である。仏像や寺院の歴史は決して平和なものではなかったようである。凄惨な歴史が秘められている。だからこそ、佛の慈悲による救いが求められたのであろう。

 

「板彫十二神将像」は厚さ3センチほどのヒノキの平板から彫り出した十二面のレリーフ。興福寺東金堂本尊薬師如来像の台座に張り付けられていた可能性があるという。棟方志功の作品「二菩薩釈迦十大弟子」によく似ているような気がした。

 

「木造十二神将立像」は、ヒノキ材の寄木造り。像高は120センチ前後。薬師如来像の守護神で12体とも武装している。頭の上に、小動物の彫り物があった。係の人に聞いてみたら、十二支の動物立ちであるとのことであった。

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東京芸術大学構内のロダン作『青銅持代』像

 

 

 

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