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2013年10月20日 (日)

三島由紀夫氏について

死を覚悟した人ほど世の中がよく見えるようになり、鋭い洞察力を発揮できるようになるという。これを末期(命の終わる時期。人の死に際。臨終。最期)の目と言う。逆に、世の中の事がよく見えるやうになったから聞こえるやうになったから死を覚悟するともいへる。

 

三島由紀夫氏は、祖國の将来について死を覚悟した人の鋭い洞察力で手をさすようによく承知したのである。

 

三島氏は、次のように論じた。

 

「日本ほど、平和主義が僞善の代名詞になった國はないと信じてゐる。この國で最も危險のない、人に尊敬される生き方は、やや左翼的で、平和主義者で、暴力否定論者である人であった」。

「日本ではあらゆる言葉が輕くなり、プラスチックの大理石のやうに半透明の贋物になり、一つの概念が別の概念を隱すために用ひられ、どこへでも逃げ隱れのできるアリバイとして使はれるやうになったのを、いやといふほど見てきた。あらゆる言葉に僞善が染み入ってゐた、…行動のための言葉が全て汚れてしまったとすれば、もう一つの日本の傳統、尚武とサムラヒの傳統を復活するには、言葉なしで、無言で、あらゆる誤解を甘受して行動しなければならぬる」(「楯の會」のこと)

 

言葉の偽善を正し言葉と行動を一致させることのための自らそれを実践したのが市ヶ谷台上における自決であったとおもう。歌と剣、文と武が日本の道統である。たをやめぶりとますらをぶりである。日本武尊も須佐之男命もそれを体現していた。三島は現代においてそれを体現しやうとした。

 

戰後の偽善を否定するために体をかけた戰いを行なった。そして武を修行した。最後には文と武を一致させた。

 

三島氏の護ろうとしたものは、天皇中心の國體である。日本文化の美である。言葉で護ろうとし続けた「日本國體」「日本文化の道統」を最後は剣によって護ろうとしたのである。それが市ヶ谷台上の決起である。思想と行動・剣と文の一致である。

 

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