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2013年10月 5日 (土)

大東亜戦争について

大東亜戦争の開戦は、その目的においても實際の戦争においてもそして結果においても、自存自衛の戦ひであり、東亜解放の戦ひであった。わが國は米英が百年来、東亜諸國諸民族を侵略支配してゐる状況を掃攘するために宣戦を布告したである。即ち、明治維新の攘夷の戦ひをアジア的規模で遂行せんとしたのである。

 

わが國は、明治維新断行以後、近代國家への道を歩んだ。日露戦争の勝利は、米英をはじめとした西欧列強・白色人種に虐げられてゐたアジア・アフリカなどの有色人種に大きな希望をもたらした。

 

アメリカは日本の強大化を恐れ、日露戦争直後の明治三十七年に、對日戦争計画たる『オレンジ計画』を立てた。アメリカといふ國は、開拓精神に燃えた人々によって建國されたといはれてゐるが、この『開拓精神』とは他人の土地に入って行ってそこを占拠し自分たちのものにするといふことである。北米大陸そのものがもともと先住民族(いはゆるインディアン)のものだったのである。そしてハワイ・グァム・フィリッピンと西に進み、シナ大陸に入り込もうとした。ところが、その前に立ちはだかったのが日本だった。

 

昭和天皇は、わが國が戦争に追ひ込まれて行った原因について、「原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在してゐる。日本の主張した人種平等案は列國の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本國民を憤慨させるに十分なものである。」「総理になった東條は、九月六日の御前會議の決定を白紙に還すべく、連日連絡會議を開いて一週間、寝ずに研究したが、問題の重点は油であった。…實に石油の輸入禁止は日本を窮地に追込んだものである。かくなつた以上は、萬一の僥倖に期しても戦った方が良いといふ考が決定的になったのは自然の勢と云はねばならぬ」(『昭和天皇独白録』)と仰せになってゐる。

 

開戦前のアメリカによるわが國への圧迫は、①對日通商條約の一方的破棄(昭和十四年七月)②航空燃料の輸出禁止(昭和十五年七月)③屑鉄の輸出禁止(同年五月)④在米全日本資産の凍結(昭和十六年七月)⑤石油の全面禁輸(同年八月)といふものであり、まさに真綿で首を絞めるやうなことをして来た。

 

さらに、昭和十六年十一月二十六日、わが軍の仏印・支那大陸からの撤退、王精衛の南京國民政府及び満州國の否認、日独伊三國同盟の死文化を求める米國務長官コーデル・ハルの最後通牒=「ハル・ノート」を突き付けてきた。この「ハル・ノート」をについてパル判事は、「同じような通牒を受け取った場合、モナコ王國やルクセンブルグ大公國でさえも合衆國に對して戈をとって起ちあがったであろう」(『パル判決書』)と書いてゐる。

 

わが國は、まさに「開戦の詔勅」に示されてゐる通り「帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ頻セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衛ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ」といふ状況に立たされたのである。

 

對米英戦争がわが國の自存自衛の戦ひであったことは、連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが、米上院外交合同委員會で、一九五一年五月三日、「原料の供給を断ち切られたら、一千萬の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」と証言したことによっても明らかである。

 

東條英機元総理はその「遺言」において、「英米諸國人ニ告グ…諸君ノ勝利ハ力ノ勝利ニシテ、正理公道ノ勝利ニアラズ。…大東亜戦争ハ彼ヨリ挑発セラレタルモノニシテ、我ハ國家生存、國民自衛ノ為、已ムヲ得ズ起チタルノミ。コノ経緯ハ昭和十六年十二月八日宣戦ノ大詔ニ特筆大書セラレ、炳乎トシテ天日ノ如シ。故ニ若シ世界ノ公論ガ、戦争責任者ヲ追求セント欲セバ、其ノ責任者ハ我ニ在ラズシテ彼ニ在リ、乃チ彼國人中ニモ亦往々斯ク明言スルモノアリ。」と切言してゐる。

 

わが国が大東亜戦争を戦ったのは、断じて間違った行動ではなかったのである。このことを我々は篤と認識しなければない。

 

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