« 千駄木庵日乗十月二十日 | トップページ | 最近贈呈していただいた書籍 »

2013年10月21日 (月)

日本天皇の国家統治の意義

日本天皇は「祭り主としての神聖権威」、日本伝統信仰の言葉で言えば「御稜威」(みいつ)によって国家を統治したもうのである。「御稜威」とは天皇の有される神霊の威力というべきものである。

 

「しらしめす」即ち<天皇の統治>とは、天津神の御命令で日本に天降って来られて、天津神の御委任で天津神の日の神の霊統を継承される現御神として、天津神の命令のままに天の下をお知りになるという、きわめて宗教的というか信仰的な意義があるのである。天皇の統治は決して権力行為ではない。

 

「しらしめすとは「お知りになる」という意味である。それは単にものごとを知識としてお知りになるといふのではなくもっと深く「司る」「お治めになる」といふ意味である。天下の一切の物事を「お知りになる」ということは、<無私>の境地であられるということであり、天下の一切の物事に対して深い<慈愛の心>を持たれているということである。<無私>と<慈愛>の心が無くては対象を深く認識し把握する事はできない。

 

先帝昭和天皇陛下が、よく「あっそう」というお言葉をお発しになられたのは、まさに無私と慈愛の心で相手の言う事をお聞きになられお知りになったということである。有難き限りである。

 

『大日本帝国憲法』において「しらしめす」の漢語表現として「統治」という言葉を用いた。そしてこの「統」という言葉は統べる(統一する)という意であり、「治」は治める(本来の位置に置く)という意である。

 

明治天皇が明治元年三月十四日に発せられた『明治維新の宸翰』に「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば…」と仰せになっている。このお言葉こそまさしく「治める」の本質なのである。

 

「罪あらば我を咎めよ天津神民は我が身の生みし子なれば」

 

明治天皇の御製である。いわゆる「大逆事件」の際に詠まれたと伝えられる。

 

 

無私と慈愛というまさに神の如き御心で、民を慈しまれ、民の幸福こそが、天皇の国家統治の目的なのである。日本を統治されるお方が日本天皇であらせられるのである。

 

井上毅・伊藤博文などの先人たちは、日本の國體を根幹としつつ近代成文憲法を実に苦心して作りあげたのである。その努力は多としなければならない。『大日本帝国憲法』は決してドイツから輸入した翻訳憲法ではない。『大日本帝国憲法』は、明治維新の輝かしい歴史の所産であり、日本国民の政治的良識の結晶であった。

 

 

|

« 千駄木庵日乗十月二十日 | トップページ | 最近贈呈していただいた書籍 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/58424113

この記事へのトラックバック一覧です: 日本天皇の国家統治の意義:

« 千駄木庵日乗十月二十日 | トップページ | 最近贈呈していただいた書籍 »