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2013年10月31日 (木)

千駄木庵日乗十月三十一日

二十九日より、京都に行っておりました。

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上 伏見桃山御陵の石段             下 明治天皇御陵

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上 昭憲皇太后御陵                下 伏見桃山御陵参道

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上 後堀河天皇御陵                   下 孝明天皇御陵

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上・月輪御陵の御門

下・皇室の御寺泉涌寺

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2013年10月29日 (火)

宮崎学氏の講演記録

九月九日に開催された『一水会フォーラム』における宮崎学氏(作家)の「戦争というプリズムから現代史を見る」と題する講演の内容は次の通り。

 

「二千二十年の東京オリンピックについて皆さんはどのように考えているか。前から私はオリンピック開催に反対。反対理由はシニカルな言い方をすると、所詮運動会の大きなものに何でこれだけ盛り上がるのか。人類の思想史に関係があるのか。精神的に盛り上がる必要はないのではないか。だから賛成できない。オリンピックの在り方も変容してきている。東京オリンピックはテレビメディアとワンセットになり、オリンピックの商業化が始まった。商売のためにテレビが『オリンピックは素晴らしい』と言っている。私は『商業主義はいい加減にしようよ』と思っている。

 

世界に新しい流れが出て来た。アメリカが行おうとしているシリア攻撃に私は反対。アメリカの言い分に迎合する世論が流されているように思う。世界秩序維持のためにはシリア攻撃は止むを得ないというのがアメリカの理屈。政府軍が化学兵器を使用したと言うが、アメリカにそれを懲罰する資格・権限はない。中近東の固定化された政治体制が倒れて行っている中でのシリア問題。アメリカの影響力の減退をシリア問題で巻き返そうとしていると見る。シリア問題は世界秩序の変化の中で起こっている。オバマ大統領は欧州のメディアで物笑いの種になっている。特にフランスで。『ノーベル平和賞をもらったオバマが戦争を始めると言っている』という報道である。ウイットがなければメディアの存在価値無し。

 

アフガンへの米軍派兵がアルカイダを作った。旧ソ連軍の侵攻に際しアフガンは戦った。これをアメリカが支援しイスラム原理主義をテコ入れした。シリアでは政府側にも反政府側にもイスラム原理主義がある。武装勢力をアメリカが手助けする形になる。紛争は収まらない。余計に激しくなる。アメリカの軍産複合体は消費が前提。オバマが戦争に乗り出している。ケネディのベトナム戦争と同じような状態。軍需産業は兵器を作り消費させる運命にある。その為に戦争がある。戦争は公共投資。

 

私は昭和二十年十月生まれ。六十八歳。生まれてから死ぬまで『戦後』。戦争についての実感はない。戦争を意識したのはベトナム戦争。ベトナム反戦世代と言われている。ベトナム戦争以降の戦争は報道される形が変化した。きれいな映像として報道される。ベトナム戦争報道への反省をアメリカはしている。アメリカの戦争行為について流されるメディアの報道は凄くコントロールされている。

 

戦争に参加するとはどういうことか。私は、軍隊経験は実感として分からない。ドイツに対してやったフランスのレジスタンスのような参加かなあと思った。イタリアもフランスも共産党の影響下にあった。それはアメリカの対するレジスタンスであり、ソ連に対するレジスタンスも含むものがあると思った。自分が容認できる戦争とは、レジスタンス・国民抵抗運動しか考えられない。

 

戦争とは人間にとってどんなものだったのか、どんな影響を戦後史に与えたのか。人間はある意味で愚かな存在。人類の文化文明は戦争と共に進歩して来た。インターネットも戦争のために誕生した。人類はテクノロジーの面で戦争によって受けた恩恵がある。精神面での影響は武士道と呼ばれるものであろう。武士道とは武士という中近世の支配階級の暴力装置の組織論。忠誠心を表したものが武士道。武士道と任侠道とはどう違うのか。組織への忠誠のためにどう死んで行くのかが武士道。生きるために戦わざるを得ないというのが任侠道。文化文明は戦争に勝つため敵より優れたものを持つために開発されたもの。戦前は軍部による戦争だった。戦後は国力の総力戦。民衆の支持がポイント。国民の熱狂的支持のない状況で戦争に行く兵隊ほど情けないものは無い。現代の戦争においては国民世論の在り方が問題になる。そこで新しい文化が生まれてくる。

 

日本国民が自衛隊のやることに冷淡なのは憲法の問題がある。『安倍政権の憲法改正案は中華人民共和国憲法と瓜二つ』という意見が腑に落ちた。国家権力をどこまで疑う事が出来るか限界を示したものと言われる。国家権力が暴走しやすい憲法は中華人民共和国憲法。国民への規制がいっぱい書いてある。個人の権利と国家の権力のバランスで、国家が優先する。憲法はその国の成熟度を表す。僕は中國憲法に類似した憲法改正を目指した安倍政権の改憲案に反対。

 

南京事件に関して内モンゴルの友人は言う。『中国が内モンゴルでやったことを知っている人は、中国の言っていることを認めない。犠牲者の数は南京事件の比ではない。しかし、内モンゴルに帰ればそんなことは言えないだろう』と。中華人民共和国憲法下で起こった中国の過ちを見れば、安倍政権の改正案に反対。国旗国歌への愛着は法制化した方がいいのか。法律で定めたら法律で否定できる。中華人民共和国憲法の辿りつく先は尖閣問題。中国政権が暴走し、国内の不満をそらすために軍事的冒険に出る。その憲法と類似する国家像を志向する安倍政権の改憲案に対して。右の方からもう少しちゃんとした議論をしてもらいたい」。

 

千駄木庵主人曰く。「日本の武士道・もののふの道は、中近世に発生したのではない。神代よりの伝統を継承してゐる。須佐之男命・日本武尊を起源として、防人たちによって継承されてきた。その根本的精神は、「大君の辺にこそ死なめかへりみはせじ」である。決して「中近世の支配階級の暴力装置の組織論」ではない。また、早速「中華人民共和国憲法」を読んでみたが、自民党改憲試案と共産支那の憲法のどこが似ているのかよく分からない。共産支那の憲法はその「前文」に「マルクス・レーニン主義、毛沢東思想、鄧小平理論および“3つの代表”の重要思想に導かれ、人民民主主義独裁を堅持し、社会主義の道を堅持」と書かれている。自民党改憲試案とは似ても似つかぬ代物である。

 

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千駄木庵日乗十月二十八日

ショートステイに赴く母を見送る。

昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。

午後からは、在宅して原稿執筆・諸雑務。

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2013年10月28日 (月)

わが国の国柄について

わが國體精神・天皇の国家統治は、民の幸福実現を最高の目標としている。国民の幸福の実現こそが天皇の統治の目的である。わが国においては、古代より国民を「おほみたから(大御宝)」ときた。民を尊ぶことが天皇の御統治の基本である。日本伝統信仰おいては、人は神の分け御霊であり、人間は本来神の子として尊ばれるべき存在である。

 

歴代の天皇は、すべて国民の幸福を祈られ、「おほみおや(大御親)」としての仁慈の大御心を以て「おほみたから」であるところの国民に限りない仁政を垂れたもうたのである。

 

『日本書紀』の「仁徳天皇紀」には次のように記されている。「天皇の曰はく、『其れ天の君を立つるは、是百姓(おほみたから)の爲になり。然れば君は百姓を以て本とす。是を以て、古(いにしへ)の聖王(ひじりのきみ)は、一人(ひとりのひと)も飢ゑ寒()ゆるときには、顧みて身を責む、今百姓貧しきは、朕(われ)が貧しきなり。百姓富めるは朕が富めるなり。未だ有らじ、百姓富みて君貧しといふことは』とのたまふ。」

 

天皇が国民の幸福を祈られる祭祀を執行され、国民は天皇の大御宝であるという事が正しく実現され、萬機は公論によって決せられるという体制が真に確立する時、国民のための政治即ち民のための政治が、言葉の上においてではなく、実際政治に於いて正しく実現するのである。天皇のまつりごとにこそ、真の民のための政治のである。

 

天皇は常に国民の幸福を祈られる。わが國は、天皇が民の幸福をわが幸福とされ、民の不幸をわが不幸とされる君民一体の国柄である。

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千駄木庵日乗十月二十七日

午前は、母のお世話。

午後一時より、神田にて開催された宗教問題の研究会に参加。

この後、日本橋高島屋にて開催中の「藝術の秋 笠間東風舎 須藤茂夫・陽子の暮らしのアート展』参観。数々の陶芸作品を鑑賞。須藤茂夫氏は、小生の小学校の一年後輩。

帰宅後は、『百人一首』評釈原稿執筆。全百首の評釈がようやく終わる。

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2013年10月27日 (日)

神話には時間を超えた永遠の価値がある

天皇は神聖なる御存在であるということは、天皇が天照大神の地上に於ける御代理であらせられるという「神話の精神」によるのである。また、天皇が日本國の統治者であらせられるのは、天皇が天照大神より日本國を統治せよと御命令を受けておられるという「神話の精神」による。それ以外に理由はないのである。古代から今日に至るまで様々な時代の変遷があったが、このことは決して変わることはないのである。日本天皇の無私の精神および神聖なる権威はかかる御精神から発生するのである。

 

「神話の精神」と言うと非科學的だとか歴史的事実ではないと主張してこれを否定する人がいる。しかし、神話は荒唐無稽な伝承ではない。神話において語られているのは、一切のものごとの生成の根源であり、古代人の英知の結晶であ。それは神話的真実なのである。

 

神話には日本民族の中核的思想精神・根本的性格(國家観・人間観・宇宙観・神観・道義観・生活観など)が語られている。そして「日本神話の精神」は、は西洋科学技術文明及び排他独善の一神教を淵源とする闘争的な西洋政治思想の行きづまりが原因となった全世界的危機を打開する力を持っている。

 

しかも日本民族の「神話の精神」はただ単に『古事記』『日本書紀』といった文献だけでなく、「天皇の祭祀」という「生きた行事」によって今日まで継承され語られているのである。 

 

神話には時間を超えた永遠の価値がある。日本民族の伝統的思想精神の結晶である神話への回帰こそがほとんど絶望的と言われている現代の混迷を打開する方途である。

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千駄木庵日乗十月二十六日

午前は、母のお世話。

『政治文化情報』発送作業。作業完了。購読者の皆様には、週明けにお届けできると思います。

この後、資料の整理など。

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2013年10月26日 (土)

天皇の「統治」と支那・西欧の君主の「支配」との違い

天皇の國家統治とは権力・武力を以て民を屈従せしめ私物化することではない。支那においては、天を以て帝権の象徴とし、地を以て民衆に擬し、天と地とは相対立する相対的関係のあるととらえ、天子たる皇帝は民衆を上から見下ろし支配すると考えている。しかしわが国においては、天子たる天皇は天の神の御子として地上に天降られ、国民もまた神々の子孫であり、天皇は一大家族国家の中心であると考えている。簡単に言えば支那においては天子は権力と武力によって国民を支配し、日本においては天皇の信仰的権威によって国民を慈しむのである。この違いは支那と日本の国家の成り立ちとその後の歴史の違いによる。 

 

日本天皇は、『朕は国家なり』と言うような国家国民を私物化し支配する西洋的な絶対専制君主とも全くその本質を異にする。日本天皇は天津神の御委任により「天職を奉じて」日本国に君臨されているである。故に天皇は常に無私の心で統治されるのである。無私の心とは神の御心のままということである。さらに御歴代の天皇の踏み行われた道を継承されることを心がけられるのである。そのことがそのまま億兆の民にその所を得さしめる事即ち国民の幸福実現となるのである。

 

明治天皇の外祖父中山忠能前権大納言は、明治天皇御即位に当たって、「そもそも皇国は天照皇大神の御国で、天子をしてこれをあずからしめてあるので、至尊といえども吾物と思召ては、自然御随意の御処置に押移るべく、…」と言上したという。

 

天皇の国家統治とは権力・武力を以て民を屈従せしめ私物化することではないのである。日本天皇の無私の精神および神聖なる権威はかかる御精神から発生するのである。

 

天皇が日本伝統信仰的中心者として君臨するということは、現実政治に全く関わりを持たれないということではない。むしろ無私にして清らかな天皇の御存在が国家の中心にいまし、常に国家の平安と国民の幸福を神に祈る祭祀を続けられているということが、政治のみならず日本国のあらゆる物事の安定と調和と統一の核となり、道義性の維持の基となって来た。その尊い事実が天皇の国家統治そのものなのである。

 

混迷の極にある現代日本を救うには、統治者としての天皇の御本姿を回復することが大切であると考える。復古即革新=維新とはそういうことを言うのである。 

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千駄木庵日乗十月二十七日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『百人一首』評釈原稿執筆など。

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2013年10月25日 (金)

天皇は常に日本國及び日本國民を護り給うた

蒙古の侵略・大東亜戦争をはじめとして、わが日本は建國以来さまざまな國難に遭遇した。今日もまさに國難来たるの状況である。しかし、如何なる困難に直面してもわが國家・民族が滅亡することがなかった。それは、日本國及び日本國民が、國家の安泰と國民の幸福を常に神に祈られる天皇にお護り頂いて来たことによるのである。天皇がいましてこそ、今までの、そして今日の、さらに将来の日本國及び日本國民があるのである。 

 

わが日本は、日本天皇の中核として統合・安定・継承・発展を遂げてきたけれども、祖先から受け継いだ伝統を決して捨て去ることはなかった。むしろ伝統を堅固に保守し続けてきた。現実面の変化の奥に不動の核があった。それが日本天皇である。

 

天皇・皇室は、権力政治面・経済面・軍事面ではいかに非力であっても、常に日本國の統一と調和と安定の核であり続けてきた。源平の戦い、南北朝の戦い、応仁の乱、戦國時代、戊辰戦争、そして大東亜戦争の敗北と、日本國の長い歴史において、國が内戦によって疲弊し、國土が爆弾や原爆で破壊された時期があった。しかし、天皇および皇室が日本民族の精神的核となってその危機から立ち直り、國を再生せしめてきた。そして日本民族は常に國家的・民族的統一を失うことはなかったし、國が滅びることもなかった。これは、世界の何処の國にもなかったところの日本の誇るべき歴史である。

 

日本がどのような危機にあっても、再生のエネルギーを発揮したのは、日本という國家が権力國家ではなく、天皇を中心とする信仰共同體であるがゆえである。

 

日本天皇は、日本國及び日本國民を武力や權力によって護って来られたのではない。その神聖なる權威によって護って来られたのである。そしてその神聖權威は、天皇が常に日本の神を祭り神に祈られる祭祀主であらせられるところから発する。

 

蒙古襲来の時も大東亜戦争の時も、天皇は御一身を神に捧げられる御心で神を祭り神に祈られた。神祭りとは自己を無にして神に合一する行事である。天皇は常に無私の心で祭祀を執行され國家國民を統治されるのである。無私の心とは神の御心のままといふことである。さらに御歴代の天皇の踏み行われた道を継承されるということである。そのことがそのまま國民にその處を得さしめる事即ち國民の幸福実現となるのである。

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千駄木庵日乗十月二十四日

午前は、母のお世話。

この後、諸雑務。

午後四時より、六本木の国際文化会館にて、八木秀次高崎経済大学教授にインタビュー。『伝統と革新』誌掲載のためなり。

帰宅後は、資料の整理など。

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2013年10月24日 (木)

『現行占領憲法』の根本的欠陥

古代日本の統一は、日の御子たる天皇が行われる祭祀を中核として、他の地方的な祭祀が全國的に統一されることによって実現したのである。これが天皇國日本の成立である。日本國は権力者の武力によって統一された権力國家ではない。祭り主である天皇の祭祀が及ぶ範囲が広がって行って生まれた國である。

 古代日本の統一とは祭祀的・信仰的統一であり、日本國の本質は、祭り主・天皇を中心にした國民の精神的な共同体である。

 

したがって、日本という國家は権力者が國民を支配するための機関すなわち権力國家ではないし、日本國の君主たる天皇は、武力や権力を以て國民に命令を下す権力者ではない。また、多数の個人が契約を結んで作った國でもない。さらに、天皇國日本は、世界の多くの國々のような征服や革命によって人為的に成立した國家ではない。だからわが國の國体を「萬邦無比」というのである。

 

西洋法思想・欧米國家観に貫かれた「現行占領憲法」の、「(天皇の地位は)主権の存する國民の総意に基づく」という規定は、日本天皇の御本質を正しく表現していない。そればかりではない。この規定は天皇及び皇室の尊厳性・神聖性を冒瀆し隠蔽する元凶となっている。

 

西洋諸國の外國の國家観・君主観・権力論を基本にした「現行占領憲法」は、祭祀國家・信仰共同体日本の國柄の精神を正しく表現していない。というよりも、「現行憲法」は、天皇の國家統治を、西洋の絶対君主の暴力的支配と同一視し、國家は個人の暴力的抑圧装置であるとし、天皇及び國家は「個人の敵」であるという考え方に立って制定された憲法である。そして、「民主化」「個人の幸福」「日本の健全な発展」のためには、天皇の「地位」を低め「権能」を弱めることが必要であるという意識のもとに、欧米の政治思想である「國民主権論」が採用されている。

 

 

西洋の成文憲法は、人間相互の不信の上に成り立つものである。人間同士が信じ合えないから、成文憲法を作ってお互いにそれを遵守することによって秩序を保つのである。ところがわが國は天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀共同体である。前述した通り、天皇と國民の関係は権力関係・法律関係ではなく、精神的・信仰的関係である。

 

「現行憲法」によるわが國の建國以来の國柄の隠蔽が、國家の解体・家族の解体・道義の頽廃を招いているのである。日本の伝統的國家観・君主観とは絶対的に相容れない原理で成り立っている「現行憲法」が長く続けば続くほど、麗しい伝統的な日本の國柄が隠蔽され破壊され続けることとなる。一日も早く「現行占領憲法」の無効を確認し、、日本國の建國以来の國柄へ回帰し、現代の混迷を打開しなければならない。

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千駄木庵日乗十月二十三日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは、在宅して、明日行うインタビューの準備、『政治文化情報』発送準備など。

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2013年10月23日 (水)

遊就館を充実し国立近代歴史博物館・軍事史博物館にすべきである

 

相手国と歴史観が全く一致していなければ、歴史観を全て受け容れなければ、友好関係が結べないなどという事はあり得ません。どうも日本の政治家などには、外国へ追従することが友好関係であるという誤った考えを持っている人が多いようです。対共産支那土下座外交はこうした事が原因になっていると思います。

 

欧米列強がアジア・アフリカを侵略し植民地支配した事は歴史的事実であり、大東亜戦争が、欧米列強の植民地支配を終息に向わせたことも歴史的事実であります。この事を否定するような歴史観は誤りであります。わが國の歴史博物館・軍事史博物館が、わが國の立場に立った展示をするのは当然であり、外国から干渉されることではありません。

 

わが國には、何処の國もある国立の『近代史博物館』『軍事史博物館』が存在しません。上野公園には、国立・公立の博物館や美術館や科学博物館はありますが、近代歴史博物館・軍事史博物館はありません。

 

私が実際に訪問した國では、共産支那・韓国・台湾はもちろん香港にまでありました。イギリス・アメリカは当然存在します。展示は、その国々の歴史・戦争を誇りある歴史としています。決して自虐的な展示ではありません。そして、青少年・学生生徒がそこを見学し、近代史・軍事史を学び、愛国心を醸成しています。

 

靖国神社の遊就館は、その役割を果たしているのです。そもそも、自国の歴史の展示は、自国の暗黒面をことさら強調する内容にすべきではありません。遊就館をより充実させ、国立の近代歴史博物館・軍事史博物館にすべきであります。

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千駄木庵日乗十月二十二日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』発送の準備。

午後六時半より、アルカディア市ヶ谷にて、『三島由紀夫研究会公開講座』開催。室谷克実氏(評論家)が「安重根と三島の精神の差違ー韓国はなぜ駄目なのか」と題して講演。質疑応答。

帰宅後も、『政治文化情報』発送準備など。

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2013年10月22日 (火)

靖國神社における戦没者祭祀は日本民族の道義精神の典型

 靖國神社における戦没者への祭祀は古来よりの日本民族の道義精神の典型である。「神道祭式=祭り」は、信仰共同體國家日本の根幹として悠久の歴史を経てきており、今日なお國民一般に根強くそして盛んに行はれている信仰行事である。國のために身命を捧げた人々の御靈を慰靈し鎮魂するのは、日本國の傳統信仰たる神社祭式によるのがあるべき姿である。世界各國もその國のために命を捧げた人々の御靈を慰靈する方式はその國の國民の大多数が信じる宗教の儀式に依っている。祖國のために身を捧げた人々の御靈を靖國神社に神として祀ることは、わが國の神話時代からの傳統信仰たる神社神道の祭式に基づく慰靈・鎮魂である。一宗教法人・宗教団體による宗教行事ではない。

 

 

靖国神社の否定は、祭祀国家日本の否定に直結する。単に歴史観がどうとか、近隣諸国との外交関係がどうのといふ問題ではない。わが國は建國以来天皇を中心とする祭祀國家であり信仰共同體である。共同體としての日本國家と神社神道は本来一體なのである。それは決して教團宗教を圧迫し否定することにならないことは、わが國の宗教史を見れは明々白々である。

 

世界各國もその國のために命を捧げた人々の御靈を慰靈する方式はその國の國民の大多数が信じる宗教の儀式によってゐる。祖國のために身を捧げた人々の御靈を靖國神社に神として祭りを行ふことは、わが國の神話時代からの傳統に基づく慰靈・鎮魂である。一宗教法人・宗教團體による宗教行事ではない。

 

神道祭式・神社は、わが國の稲作を基本とする共同體の生成と共に生まれた。神道祭式は、國家といふ共同體と不離一體の関係にある。五穀の豊饒を祈り収穫に感謝する祭りは個人の宗教行為といふよりも共同體(村)全體の行事である。神社神道は共同體(小さくは家大きくは國家)と一體なのである。日本傳統信仰たる神道そしてその祭りの場である神社は、國・町・村・家といふ共同體と共に生まれ守られ続けてきたのである。

 

日本民族は、神に対して常に祭祀を行ってきた。祭祀=「まつり」は、日本民族の精神傳統・日本文化の原点である。「まつる」といふ言葉の原義は、「お側で奉仕し服従する」「何でも仰せ事があれば承りその通り行ふ」「ものを献上する」「ものを奉る」といふほどの意である。

 

 

 <敬神崇祖>といふわが國の國民道徳の基本は、神學・教義といふ<抽象概念>として継承されて来なかった。それは、上は天皇から下万民に至る日本民族の生活の<神祭り><祭祀>といふ行事によって、古代より今日まで傳へられて来た。靖國神社の戦没者への祭祀は、さうした古来よりの日本民族の道義精神の典型である。

 

 

 國家民族のために一身を捧げた護國の英靈を、わが國傳統祭式によって靖國神社に公的にお祭りし慰靈し顕彰し感謝の誠を捧げることが、「政教分離」の原則に違反するなどといふ批判は全く誤りである。國のために身命を捧げた人々の御靈を共同體信仰である神道祭式でお祭りする靖國神社に、内閣総理大臣が公式に参拝するのは当然のことである。

 

 

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千駄木庵日乗十月二十一日

午前は、母のお世話。

午後は、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、『百人一首』評釈原稿執筆。

夕刻、谷中にて、地元の友人と懇談。

帰宅後も、原稿執筆など。

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2013年10月21日 (月)

最近贈呈していただいた書籍

最近贈呈していただいた書籍を紹介します。

宮嶋茂樹氏著 『不肖宮嶋 イツデモ ドコデモ ダレトデモ』 小学館発行 著者より

宗像隆幸・趙天徳両氏編訳『台湾独立建国運動の指導者 黄昭堂』 自由社発行 編訳者より
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日本天皇の国家統治の意義

日本天皇は「祭り主としての神聖権威」、日本伝統信仰の言葉で言えば「御稜威」(みいつ)によって国家を統治したもうのである。「御稜威」とは天皇の有される神霊の威力というべきものである。

 

「しらしめす」即ち<天皇の統治>とは、天津神の御命令で日本に天降って来られて、天津神の御委任で天津神の日の神の霊統を継承される現御神として、天津神の命令のままに天の下をお知りになるという、きわめて宗教的というか信仰的な意義があるのである。天皇の統治は決して権力行為ではない。

 

「しらしめすとは「お知りになる」という意味である。それは単にものごとを知識としてお知りになるといふのではなくもっと深く「司る」「お治めになる」といふ意味である。天下の一切の物事を「お知りになる」ということは、<無私>の境地であられるということであり、天下の一切の物事に対して深い<慈愛の心>を持たれているということである。<無私>と<慈愛>の心が無くては対象を深く認識し把握する事はできない。

 

先帝昭和天皇陛下が、よく「あっそう」というお言葉をお発しになられたのは、まさに無私と慈愛の心で相手の言う事をお聞きになられお知りになったということである。有難き限りである。

 

『大日本帝国憲法』において「しらしめす」の漢語表現として「統治」という言葉を用いた。そしてこの「統」という言葉は統べる(統一する)という意であり、「治」は治める(本来の位置に置く)という意である。

 

明治天皇が明治元年三月十四日に発せられた『明治維新の宸翰』に「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば…」と仰せになっている。このお言葉こそまさしく「治める」の本質なのである。

 

「罪あらば我を咎めよ天津神民は我が身の生みし子なれば」

 

明治天皇の御製である。いわゆる「大逆事件」の際に詠まれたと伝えられる。

 

 

無私と慈愛というまさに神の如き御心で、民を慈しまれ、民の幸福こそが、天皇の国家統治の目的なのである。日本を統治されるお方が日本天皇であらせられるのである。

 

井上毅・伊藤博文などの先人たちは、日本の國體を根幹としつつ近代成文憲法を実に苦心して作りあげたのである。その努力は多としなければならない。『大日本帝国憲法』は決してドイツから輸入した翻訳憲法ではない。『大日本帝国憲法』は、明治維新の輝かしい歴史の所産であり、日本国民の政治的良識の結晶であった。

 

 

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千駄木庵日乗十月二十日

午前は、母のお世話。

 

 

 

午後二時より、中央区佃区民会館にて、『ジャパン・ライジング・サン主催勉強会』開催。国歌斉唱の後、「真の独立と國軆護持は大日本帝国憲法の復元から!」をテーマにして、山岸崇氏(國體維新あづさゆみ代表)及び小生が講演。質疑応答。

 

 

 

帰宅後は、『百人一首』評釈原稿執筆など。

 

 

 

 

 

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2013年10月20日 (日)

三島由紀夫氏について

死を覚悟した人ほど世の中がよく見えるようになり、鋭い洞察力を発揮できるようになるという。これを末期(命の終わる時期。人の死に際。臨終。最期)の目と言う。逆に、世の中の事がよく見えるやうになったから聞こえるやうになったから死を覚悟するともいへる。

 

三島由紀夫氏は、祖國の将来について死を覚悟した人の鋭い洞察力で手をさすようによく承知したのである。

 

三島氏は、次のように論じた。

 

「日本ほど、平和主義が僞善の代名詞になった國はないと信じてゐる。この國で最も危險のない、人に尊敬される生き方は、やや左翼的で、平和主義者で、暴力否定論者である人であった」。

「日本ではあらゆる言葉が輕くなり、プラスチックの大理石のやうに半透明の贋物になり、一つの概念が別の概念を隱すために用ひられ、どこへでも逃げ隱れのできるアリバイとして使はれるやうになったのを、いやといふほど見てきた。あらゆる言葉に僞善が染み入ってゐた、…行動のための言葉が全て汚れてしまったとすれば、もう一つの日本の傳統、尚武とサムラヒの傳統を復活するには、言葉なしで、無言で、あらゆる誤解を甘受して行動しなければならぬる」(「楯の會」のこと)

 

言葉の偽善を正し言葉と行動を一致させることのための自らそれを実践したのが市ヶ谷台上における自決であったとおもう。歌と剣、文と武が日本の道統である。たをやめぶりとますらをぶりである。日本武尊も須佐之男命もそれを体現していた。三島は現代においてそれを体現しやうとした。

 

戰後の偽善を否定するために体をかけた戰いを行なった。そして武を修行した。最後には文と武を一致させた。

 

三島氏の護ろうとしたものは、天皇中心の國體である。日本文化の美である。言葉で護ろうとし続けた「日本國體」「日本文化の道統」を最後は剣によって護ろうとしたのである。それが市ヶ谷台上の決起である。思想と行動・剣と文の一致である。

 

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千駄木庵日乗十月十九日

午前は、母のお世話。母は今日もデイサービスに赴くことを拒否する。

午後一時半より、六本木の国際文化会館にて、『武藤記念講座』開催。前侍従長の渡邉允氏が「天皇皇后両陛下のお仕えして」と題して講演、質疑応答。

帰宅後は、明日行われる「ジャパンライジングさん主催勉強会」における講演の準備、『百人一首』評釈原稿執筆など。

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2013年10月19日 (土)

維新とは、「今即神代」「高天原を地上へ」の實現である

維新とは、「今即神代」「高天原を地上へ」の實現である。「神話」には時間を超えた永遠の価値がある。日本民族の傳統的思想精神の結晶である「神話」への回帰こそが、現代の混迷を打開する方途である。

 

天皇中心の祭祀國家の理想に近づく努力をし続けることが、闘争戦争絶え間無き現實社會を改善する方途である。道義國家・人倫國家・祭祀國家としての日本への回帰こそが、道義的に生きる共同體を建設する方途である。

 

現代日本の汚れを祓ひ清め、正しき國の在り方・日本人としての正しき姿を取り戻すことが維新である。日本は傳統と変革が共存し同一なのである。だから維新を<復古即革新>といふのである。復古とは、時間的過去、過ぎ去った昔に帰ることではない。久遠の今、天地生成、天孫降臨、神武肇國に回帰することである。

 

今日においてこそ、尊皇攘夷の維新が断行されなければならない。復古(尊皇)即革新(攘夷)を實現しなければならない。

 

戦後半世紀、物質至上主義・営利至上主義・快楽主義に汚染され続けてきた日本及び日本國民の頽廃を救ふには、日本の傳統精神・國家観・人間観を回復する以外に道はない。

 

「現代に生きる神話」たる<天皇の祭祀>を根幹とした國家の回復が實現されるべきである。古来日本の変革思想は、祭政一致の理想國家への回帰がその根本にあった。具體的に言へば、政治権力を掌握した人のみならず我々國民一人一人が、天皇が神をお祭りになるみ心を、道義的倫理的規範としてならい奉るといふことである。それが理想的な國家實現の基礎である。

 

現代文明・文化は西洋文化・文明が主流となってゐる。現代文明とは、事物を科学の論理によって技術革新を行ふようになった文明のことである。それは、経済至上・物質的豊かさ至上の社會を作り出した。そして、現代文明は、核戦争の危機・自然破壊・人心の荒廃・経済の破綻そして民族紛争・宗教紛争を見ても明らかな如く、既に頂点を越えて没落の時期に差しかかってゐる。

 

現代文明・文化の欠陥を是正し、新たなる文化を形成するには、欧米文化偏重から日本傳統文化へと回帰しなければならない。日本傳統精神を世界に発展させて、混迷せる現代世界を救済する役目をわが日本は背負ってゐる。日本傳統信仰の精神が世界の國と民を永遠の平和と幸福に導く道である。日本人が古来抱いて来た自然の中に神の命を観るといふ信仰精神を回復しなければならない。

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千駄木庵日乗十月十八日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。医師の往診あり。

午後は、明後日行われジャパンライジングサン主催の『憲法問題学習会』における講義の準備。

午後六時より、四谷公会堂にて、『野村秋介追悼二十年・群青忌』執行。読経・開会の辞・特別映像上映・来賓挨拶(大原康男・阿形充規・長谷川三千子・盛田正敏・ヒロ山口の各氏)・「天の怒りか地の声か」朗読・追悼講演(犬塚博英氏)・追悼映像上映・閉会の辞が行われた。

帰宅後は、明後日の講義の準備。

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2013年10月18日 (金)

『占領憲法』の「平和主義」の欺瞞性

「わが國は侵略戦争をした悪い國であり、中國や南北朝鮮からどんなに主権を侵害されても、内政干渉をされても、文句を言ったり反撃してはならない」という観念が蔓延している。

 

これはまさに「現行占領憲法」の基本精神なのである。「現行憲法」前文には「日本國民は…政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないやうに決意し…平和を愛する諸國民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」とある。

 

これは「日本は東條内閣の行為によって侵略戦争を起こしましたが、二度とそのような事はしないことをお誓いします。今後はアメリカ様、ソ連様、中國様など戦勝國の皆様の公正と信義に信頼して、侵略を行なった悪い國であるわが國とわが國民の生存と安全を保持してまいります。今後は何をされても決してお手向かいを致しません」という『詫び証文』である。

 

この『わび証文』の精神を実践しているのが今日の日本の外交である。「憲法守って國滅ぶ」という言葉はまことに真実である。「現行憲法」否定なくして真の主権回復はあり得ない。

 

祖国の歴史への正しい認識と國を守る心を常日頃持っていなければ道徳心は起ってこない。大東亜戦争は誇りある戦いである事を正しく認識し、子々孫々に語り伝え、負け犬根性から脱却しなければならない。

 

「現行占領憲法」は、戦勝国によって日本の弱体化を目的として、銃剣の圧力のもとに国際法に違反して押し付けられた憲法である。「占領憲法」のいわゆる「国際協調主義」「恒久平和主義」なるものは、日本の自存・自衛の戦い・アジア解放の戦いであった大東亜戦争が日本の一方的侵略であったとする戦勝国の一方的「断罪」を基礎としている。このような自虐的な「恒久平和主義」が戦後の日本の混迷と堕落の根本原因なのである。

 

わが国は、このような欺瞞的・亡国的「平和思想」から一日も早く脱却しなければならない。

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千駄木庵日乗十月十七日

朝は、母のお世話。

午前十一時半より、谷中のたんぴょう亭にて、『呉竹会幹事会』開催。広瀬義道氏が司会。頭山興助会長・藤井厳喜氏代表幹事が挨拶。審議・討論。そして、小生が「錦の御旗と戊辰戦争』について講義、質疑応答。

この後、谷中霊園に眠る来島恒喜烈士の墓所に赴き、全員で線香を手向、拝礼。

いったん帰宅、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後七時より、神田の如水会館にて、『一水会フォーラム』開催。呉善花拓殖大学国際学部教授が「今の韓国について考える」と題して講演、質疑応答。

帰宅後も、『政治文化情報』原稿執筆・脱稿。

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2013年10月17日 (木)

大東亜戦争について

 

大東亜戦争によって、欧米列強からの独立・解放が實現した今日、アジアにおいて大東亜共栄圏に近いものが生み出されている。ただ問題は、日本が敗戦後遺症から脱却できずしっかりしないがゆえに共産支那に圧迫されていることである。そればかりでなく、日本は今日自らのだらしなさにより精神的亡國の危機にさらされている。それは歴史への誇りを喪失したことが原因である。これを正す事が今日最も大切であると信ずる。

 

 

 

昭和十六年十二月八日の「一億の感激」は、歴史から抹殺することもできなければ否定することもできないと。況や「あの戦争は間違ってゐた」などと言ふのはあまりにも僭越であり、靖國の英霊も、そして銃後でアメリカ軍の爆撃などによって斃れた無辜の國民も、ソ連に抑留され彼の地で非業の最期を遂げた多くの同胞も、さらに大東亜戦争に協力して戦ひ戦死された多くの東亜同胞も、犬死だったといふことになる。

 

 

 

そのやうな歴史観では日本民族の誇り・自尊心を取り戻すことは出来ない。そればかりではなく、上御一人の『開戦の詔書』『終戦の詔書』を否定することとなる。

 

 

 

大東亜戦争を侵略戦争とし、他國に謝罪することによって國際協力を果たさうとするのか、あるいは大東亜戦争の果たした役割と意味に誇りを持ち、歴史の継承から世界に貢献しやうとするかは、同じ世界への寄與でも全く違ってくる。

 

 

 

欧米列強からの独立・解放が日本の努力とアジア諸民族の奮闘によって實現した今日、アジアにおいて大東亜共栄圏に近いものが生み出されてつつある。『大東亜共同宣言』に謳はれた理想は今こそ完全に實現されなければならない。問題は、日本國民の多くがいまだに敗戦後遺症から脱却できないがゆゑに亡國の危機にさらされてゐることである。これを正す事が今日最も大切であると信ずる。

 

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千駄木庵日乗十月十六日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

この後、明日、谷中にて行われる『呉竹会」における講義の準備。

午後三時より、三田の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、明日の講義の準備、『政治文化情報』原稿執筆。

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2013年10月16日 (水)

この頃詠みし歌

幼な子を連れし母親多くして皆それぞれに強さ持つ如し

 

 

 

地の上は治乱興亡繰り返す月影は永久に変らずあれど

 

 

 

手際よく酒場の主(あるじ)が作りたるつまみをうましと言ひて食せり

 

 

 

朝毎に水換へてやる花たちは母の心を安らかにする

 

 

 

また来たかといふ顔をして我を見る観音堂に住みつきし猫

 

 

 

寛永寺桜に包まれし本堂を拝ろがみたるは陽春四月

 

 

 

雨にけぶる上野の森に来たり見る興福寺仏頭の神秘なる顔(興福寺仏頭展)

 

 

 

やすらけき世をこそ祈る慈悲の面興福寺仏頭に真向かひて立つ()

 

 

 

大き佛の面に真向かひ手を合はせ はるかいにしゑの日の本を偲ぶ()

 

 

 

幾度か災厄に遭ひしみ佛のみ面は静けく清らなりけり()

 

 

 

二筋の大いなる虹の架け橋が東京の空をまたぎゐるなり

 

 

 

雨あがりし東京の空を仰ぎなば大いなる虹が半輪を描く

 

 

 

東京の空に浮かびし大き虹はかなく消えて跡形もなし

 

 

 

百円玉を賽銭箱に入れし時チャリンと音することのうれしさ

 

 

 

酔っぱらひのたわ言にまともに反応する我も酔っぱらひとなりにけるかな

 

 

 

子供たちが並び歩みて登校する姿を見るが朝の楽しみ

 

 

 

大空に雲流れゐる朝なれば有為転変の世を肯はむ

 

 

 

キュウリ切る包丁はかろやかに手に動く朝に窓より風入り来る

 

 

 

やわらかきもの言ひの人の丸き顔今宵も隣でビール呑みゐる

 

 

 

二十三歳で戦さに斃れし人の文読めば涙をとどめかねつも(靖国神社社頭にて)

 

 

 

大き炎が落つるごとく眩しくも夕陽は沈む西方の空

 

 

 

幼き頃毎朝のぼりし大給坂久方ぶりに息切らしのぼる

 

 

 

清らなる気の満ち満つるみまつりの庭に座しをれば心鎮まる

 

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千駄木庵日乗十月十五日

午前は、母のお世話。

この後、在宅して、『政治文化情報』原稿執筆。明日のスピーチの準備など。

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2013年10月15日 (火)

日本人の倫理精神について

かつての日本国民は、ことの結果に対して潔く責任を負い、恥を知る道義心を持っていた。武士道精神がその典型だが、武士だけでなく、農民も、商人も高い道義心を持っていた。

 

日本の文化は、「名と恥の文化」といわれる。日本人は本来、名誉を重んじ名がすたることをもっとも忌み嫌い、恥を知る民族である。

 

 わが国には古来から倫理精神は、「忠」「孝」「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「克己」という徳目がその内容となっている。わが国国民の正邪・善悪の観念は、この精神に基づく。

 

 日本倫理精神の核となるのは、「忠孝精神」「名誉の感覚」「廉恥心」(心が清らかで、恥を知る心)である。

 

長い日本の歴史の中で、須佐之男命・日本武尊という神話時代の英雄、さらに中古中世の鎮西八郎為朝、源義経、楠正成、さらに近世・幕末における赤穂四十七士、井伊直弼を撃った水戸脱藩浪士の行動、さらに大東亜戦争における特攻隊員を始めとした兵士たちの行為などは、「武士の鏡」「英雄」と讃えられた。しかし、戦後日本は、そうした英雄の行為を「非合法」「反ヒューマニズム」として裁き日蔭に追いやった。

 

「國のため敵を撃つ」「大君の御為に身命を捧げる」「仇なすものを討つ」などということは、「平和と民主主義」と絶対相容れない「行為」として、「日蔭」に追いやられ続けている。 

 

武士道を否定し、「生命の尊重」が最高の道徳とされ、「平和と民主主義」を謳歌している今日の日本において、戦前どころか有史以来見られなかった凶悪にして残虐なる犯罪、殺人事件が続発している。

 

君に忠、親に孝、廉恥心が、わが国の道義心の根幹である。現代の子供たちにこの心を養う教育をしなければならない。

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千駄木庵日乗十月十四日

朝は、母のお世話。

午前十時半より、赤坂の乃木神社尚武館にて、三潴修学院主催『皇學祭と記念講演』開催。祝詞奏上、玉串奉奠、国民儀礼が行われ、湯澤貞三潴修学院院長(元靖国神社宮司)が式辞を述べた。そして小生が、『日本伝統精神と国難打開』と題して講演。質疑応答。この後、直会開催。意見発表が行われ、談論風発・侃侃諤諤・甲論乙駁。

帰途、久しぶりに会った友人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。

帰宅後は、『百人一首』評釈原稿執筆など。

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2013年10月14日 (月)

「東京裁判=極東國際軍事裁判」なるものについて

東京裁判=極東國際軍事裁判なるものは、「平和条約」発効以前の交戦状態継続中に行われた戦勝國による戦敗國に対する復讐である。「裁判」という體裁をとっているが、「罪刑法定主義」という大原則に反した國際法違反の軍事的報復である。その復讐によって殺された方々は、立派な戦死者である。ゆえに、いわゆる「A級戦犯」とされる方々こそ昭和殉難者として靖國神社に祀られる方々である。

 

「極東國際軍事裁判」は國際法上違法なのであるから一切無効である。第一、「サンフランシスコ講和条約」において日本が受諾したのは、「判決」であって「裁判」そのものではない。

 

昭和殉難者の靖国神社合祀に関して、「わが国はサンフランシスコ講和条約で東京国際軍事裁判を受け入れたのだから、A級戦犯が祀られている靖国神社に総理大臣が参拝すべきではない」という意見があります。しかし、「サ条約」でわが國が受諾したのは、「判決」であって「裁判」そのものではありません。「サ条約」の英文には「judgment」と書かれています。これは「裁判」ではなく「判決」という意味であります。「サ条約第十一条」は、日本政府が刑の執行を停止することを否定した条文なのであります。わが国政府も国民も、「東京国際軍事裁判」そのものを受けいれたのでは絶対にありません。

 

「極東国際軍事裁判」が国際法上違法なものなのですから、その「裁判」そのものは無効であります。「極東国際軍事裁判」は勝者による敗者に対する復讐に過ぎなかったのです。このようなものを根拠にして靖国神社について論ずること自体全く間違っていると思います。そういう人たちは余程祖国に対する誇りを喪失した人々であり、『法の正義』を忘却していると思います。マスコミ界や政界・官界、そして学者文化人といわれる人にこういう人が多くいることが祖国を危くしているのです。

 

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千駄木庵日乗十月十三日

午前は、母のお世話。詳しくは書けないが精神的に落ち着かない。

午後、『青年思想研究会・先憂を偲ぶ会』に出席するつもりで支度をし、家を出る直前に、案内状を見ると、何と昨日行われていたことを知る。手帳に書き写す時にの間違えていた。近藤勢一氏に電話してお詫びする。以前にも二回ほどこういうことがあった。その時は会場になっている建物に着いてから日時を間違っていたことがわかりがっかりした。今回は家を出る前だったので助かった。

この後、在宅して、明日の講演の準備など。明日は午前十時より、乃木神社にて開催される『皇學祭』において小生が記念講演をする。今日早めに寝ることにする。

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2013年10月13日 (日)

故三潴信吾先生の法治主義・不文法に関する講義

故三潴信吾先生(高崎経済大學名誉教授)が生前、「わが國の統治機構論における不文法の意義」と題する講義で、次のようなことを語られた。大変重要な論であると思うので、紹介します。

 

「裁判所を法廷というのは、宮廷の中に裁判所があったからである。不文法とは、天地の公道、人倫の常経、善良の風俗、公の秩序、信義誠實の原則、公共の福祉である。不文法は成文法以上に大事。明治になって成文法のみが土台という考えが圧倒的な力を持った。そして、法文の語義と形式論的解釈が取り入れられた。

 

法治主義とは法で正義を守ることであり法の条文そのものを形式的に守ることではない。法の条文を形式的に守るという法秩序では、裁判のためにどんどん正義が葬られる。法律が認めないがきりどんな良いことでもしてはいけないという事になってしまう。

 

公共の福祉という言葉が多数決原理に解釈されているのは誤り。公共の福祉を多数決原理に解釈すると集団暴力になる。多数決原理がデモクラシーの基礎というのも誤り。National tradition(自國の伝統)こそがデモクラシー・立憲政體の基礎。

 

不文法の源は、価値根源の世界・生命自覚の大本。アテネではイデア、日本では高天原。『正義』を『Right()』というのは、力の強い方が正義だとする権力主義のローマ法思想に基づく。ゲルマン古来の法思想は『ミレーの晩鐘』に象徴される。『ゲルマンに帰れ』というのが本来の社會主義。マルクスの唯物史観・階級闘争思想ではない。

 

National tradition(自國の伝統)が不文法の基であることを肝に銘ずべし。それが國の品格を決定する。不文法主義は性善説に立つ。信を本とする。ローマ法の権力主義を受け継いだドイツ法の成文法主義は性悪説。萬人の萬人に対する戦いという考え方が現代法の基礎。これを東大法學部が教えている。他人を信用しない。法で正義を守るのではなく法を守ることが正義という法治主義となっている。

 

アメリカは成文法主義でなければ國家の法秩序が保てない。日本がアメリカナイズされると、天皇や國家民族の伝統よりも成文法が上だということになる。日本は天皇國であり皇國である。これをしっかりわきまえないと大変な間違いを犯す。『宮中』・『府中』の別が非常に重要。天皇の祭祀大権・教學大権が一番大事。

 

婦人という言葉は一人前の女性のこと。婦人高校生・婦人學生とは言わない。差別がいけないと言うのなら、人間と動物とを差別しないために、人間もオス・メスと言えばいい」。

 

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千駄木庵日乗十月十二日

午前は、母のお世話。デイサービスに赴く予定であったが、母が拒否。

午後二時より、靖国神社の啓照館にて、『第八回先哲に学ぶ会』開催。所功京都産業大学名誉教授が「橋本左内(景岳)」と題して講演。質疑応答。

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靖国神社の庭園

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靖国神社の夕日

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事、明後日行われる三潴修学院主催・『皇學祭』における講演の準備。

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2013年10月12日 (土)

「現行占領憲法」三原理の否定なくして自主憲法はあり得ない

「自主憲法」とは、「その制定過程が外國の圧力によるものではない憲法」というだけでなく、その内容も日本独自の國家観・歴史観に貫かれていなければならない。戦勝國に対する敗戦國日本の詫び証文である『現行占領憲法』の「前文」に書かれた「三原則」を継承するのでは、憲法改正でも自主憲法制定でもない。日本を混迷に陥れている「三原則」を否定しない憲法改正が行われれば、國民の意志によって「三原則」をわが国の憲法理念とすることとなる。まさに亡國のはじまりである。

 

『現行領憲法』の三原則の「國民主権論」は、権力國家ではないわが國の國體と合致しない。「國民主権」とは、國家権力が君主にあるか國民にあるかという君民対立思想から生まれた言葉である。天皇は日本國の祭祀主であらせられ、國民と対立し國民を権力や武力で支配する権力者ではあらせられない。したがって、日本國の憲法においては「主権」という言葉を使うべきではない。「平和主義」も、「日本は侵略國家である」という戦勝國の決め付けを前提とした「敗北主義」「無抵抗主義」である。「基本的人権の尊重」も、自分さえ良ければそれでいいという「欲望民主主義」である。「現行占領憲法」三原理の否定なくして自主憲法はあり得ない。

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千駄木庵日乗十月十一日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、『百人一首』評釈原稿執筆、書状執筆など。

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2013年10月11日 (金)

天皇と憲法について考える

開かれた皇室論は「天皇制」打倒・國體破壊そのものである。その具体的にあらわれが、皇室への尊敬語の不使用である。天皇・皇室は特別の御存在であるから、大衆化はあり得ない。大衆化した時、象徴としての地位はなくなる。

 

『現行占領憲法』上の「象徴」という地位は一体いかなるものであるのか。政治家と官僚の非人間的な操り人形として扱われることを言うのか。

 

「人にして神である」という天皇そして日嗣の御子の御本質が正しく回復されるべきである。

 

「国民を統合される尊貴な御存在」は、神にして人であらせられねばならない。日本国の祭祀主であり統治者としての御本質を回復していただくことが基本である。現御神・現人神とは人ではないという事ではない。人として最も高貴にして神聖なる御存在ということである。

 

天皇が宗教的権威・祭祀者であらせられることが、天皇が日本国の君主・統治者であることの源泉なのである。そのことを基本にして、皇室のことを論じられなければならない。

 

宗教的権威を剥奪することを目的とした「開かれた皇室」論は絶対に不可である。天皇及び皇族が歴史的連続性・伝統性・神聖性・尊厳性を剥奪されたままで「象徴」などという地位になっているから、今日のような非人間的な無機質な操り人形のようなお立場に立たれるほかはなくなるのである。

 

『現行占領憲法』下の「象徴」という地位は、「開かれた皇室=皇室の大衆化」によって、益々尊厳性は隠蔽された。

 

そもそも大衆と同じレベルの『人間』が「国家国民統合の象徴」という地位になることは不可能である。その不可能を今まで可能にして来たのは、皇室の伝統性がまだ生きているからである。現御神・祭祀主としての伝統的な天皇および日嗣の御子のあり方への回帰・天皇の御本質の復元が第一である。

 

「憲法改正」と言うのならば、国家の基軸中の基軸を為す天皇の「統治大権」「祭祀大権」の復権が、第一である。これに違背する憲法改正は容認出来ない。つまり『大日本帝国憲法』へ回帰し、それを改正するというのが最も正しいと考える。

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千駄木庵日乗十月十日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『百人一首』評釈原稿執筆・諸雑務。

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2013年10月10日 (木)

昭和天皇の御遺徳をお偲びして

わが国は大東亜戦争という正義の戦いに敗北した後、戦勝国によって日本弱体化政策が行なわれました。その日本弱体化政策が、花開き、実を結んでいる状況を呈しているのが今日の日本の体たらくなのです。これを何とかしなければ日本は滅びます。すでに神代以来の道義国家・神聖国家日本は滅びつつあると言わなければなりません。

 

戦後日本は、戦勝国の「日本つぶし」の嵐の中にあっても、たくましくそしてしたたかに生き抜き、経済復興を立派に遂げてきました。この戦後日本復興の原動力は、つねに日本国民の幸福を願われてきた昭和天皇の大御心であります。そして、戦前・戦中を生きぬいて来られた多くの先人・先輩の方たちの血と汗のにじむご努力をお蔭です。このことを私たちは忘れてはなりません。

 

昭和天皇様は終戦直後次のような御製を詠まれて国民を励まされました。

 

ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ

 

 敗戦の悲しみ・苦しみを降り積もる雪に喩えられ、松の緑が雪に覆われても色を変えないで雄雄しくしているように、日本国民もどのような困難に遭遇しても、くじけることなく雄雄しく生きていくことを望む、という大御心を示したもうたのであります。有難き限りであります。

 

今日、日本国が存在し、日本民族が生きているのは、実に昭和天皇の仁慈の大御心によるのであります。

 

昭和天皇は、大東亜戦争末期、広島と長崎に原爆が投下され、ソ連が参戦し、愈々以って本土決戦しか戦う道がなくなった時、「自分の身はどうなってもいい。ただ民を救いたい」との大御心から、決然として『ポツダム宣言』受諾の御聖断を下されたのであります。あのまま戦争を続けていたなら、本土が戦場となり、わが国土は文字通り焦土と化し、大多数の日本国民が死に絶えたでありましょう。それを救われたのが昭和天皇なのです。この尊い事実を我々日本国民は永遠に忘れてはならないと思います。 

その時の尊いご心境を昭和天皇様は次のように歌われています。

 

爆撃にたおれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも

 

身はいかになるともいくさとどめけりただたおれゆく民をおもひて

 

国がらをただまもらんといばら道すすみゆくともいくさとめけり

 

 昭和天皇は、国のため民のためならご自身はどうなってもいい、というまさに神のごとき無私のご心境で戦争終結をご決断あそばされたのであります。ここに、つねに国の安泰・民の幸福・五穀の豊穣を神に祈られる祭主・日本天皇の御本質を仰ぐ事ができるのであります。

 

 さらに大事なのは、「国がらをただまもらんと」と歌われていることです。わが国は、ただ単に領土と国民と主権さえあればいいという、建国以来日の浅い普通一般の国家ではないのです。日本独自の国柄すなわち、神代以来・建国以来の天皇を中心とする國體というものが正しく継承されていなければ日本国とは言えないのです。

天皇中心の日本國體とは、天皇が政治的支配者として国家権力の頂点に立つ国家のあり様という事では断じてありません。信仰的共同体としての日本の精神的中核の御存在であられる天皇、祭祀国家日本の祭祀主としての天皇を、上に戴いた長い歴史と伝統を持つ国柄のことをいうのであります。

 

つねにご自分を無にして、国の安泰・民の幸福・五穀の豊穣を神に祈られる祭主・日本天皇は、権力や武力で国家・国民を支配と従わせるという覇者ではあらせられず、祭祀主としての信仰的権威と御徳によって国民をしろしめしてこられたのであります。この「しろしめす」とは国民の意志や希望をよくお知りになるという意味であります。わが国は、天皇を中心として発展し統一を保ってきた国であります。

 

長い歴史と伝統と文化の核であるところの国柄・國體が破壊されてしまったら、たとえ領土と国民と主権が維持されても、日本は日本でなくなるのです。昭和天皇が「国柄をまもらん」とお歌いになったのは、このかけがえのない日本国の國體が護持するために、たとえどのような苦難があろうとも茨の道を進んでいくとのご決意を示されたものと拝察します。

 

「国柄を守る」とは、昭和天皇御一身の地位の安泰を意味するのでは全くないことは、「いばら道すすみゆくとも」と歌われていることで明白です。昭和天皇は、たとえ自分か退位させられても、あるいは戦犯として処罰されても、天皇中心の国柄・國體が護持されればよい、とのご信念で終戦を決意されたのであります。有難き限りであります。

 

終戦の年の九月二十七日に、昭和天皇はマッカーサーをお訪ねになり、「私は、国民が戦争を成し遂げるにあたって、政治、軍事の両面で行なったすべての決定と行動に対する、全責任を負う者として、私自身をあなたの代表する諸国の裁きにゆだねるためにお訪ねした。日本国民は現在、飢餓に瀕している。もうこれ以上日本国民を苦しめないでもらいたい。米国に是非食糧援助をお願いしたい。皇室財産の有価証券類を持参したので、その費用の一部に当ててもらいたい」と申されました。

 

このお言葉にマッカーサーは「骨のズイまで揺り動かす」(マッカーサー自身の言)ほどの感動を覚え、占領政策に大きな影響を与えました。そして食糧援助が行なわれるようになったのです。実に戦争直後、国民が飢えから救われたのは、ご自分を無にして国民を思われる昭和天皇の御行動によるのです。

 

マッカーサーは後年、昭和天皇を讃嘆して「私ははじめて、神のごとき帝王を見た」「天皇陛下こそ新日本の生みの親である」と語っています。

 

このように、天皇によって日本は救われたのです。日本国及び日本民族が今日あるのは、これは歴史の真実です。日本は、天皇中心の國體を護持しさらにその本当の姿を顕してこそ、正しく発展していく事が出来るのです。昭和の歴史だけでなく、元冦や明治維新など、これまで幾度か起った大きな国難の歴史を見てもそれは明らかです。 

 

経済的・物質的に復興を成し遂げた日本も、今日、民族の誇り・日本人の心を失ってしまいました。天皇・皇室への尊敬の心も希薄になってしまいました。そして、その結果として、今日、政治は混乱し、経済は停滞し、教育は荒廃し、外圧の危機は高まっております。それは有史以来未曾有の危機と言っても言い過ぎではありません。

 

こうした状況を打開するためには、日本國體の真の姿を正しく明らかにする以外にありません。わが国には、国家的危機を伝統精神の復活・國體精神への回帰によって乗り越えてきた歴史があります。

今日唯今もそうした時期にあると確信します。愛国運動の一層の進展が今こそ大切なのであります。

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千駄木庵日乗十月九日

午前は、母のお世話。この後、『月刊日本』連載中の「萬葉集」講義原稿執筆。

午後三時半より、永田町の新党大地本部にて、鈴木宗男氏にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。大変興味深いお話を伺った。

この後、近くの茶房で、『伝統と革新』編集実務担当者と打ち合わせ。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が笠朝臣金村の歌などを講義。質疑応答。

帰途、出席者の方と懇談。

帰宅後は、『月刊日本』原稿執筆・脱稿・送付。

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2013年10月 9日 (水)

中華帝国主義国家=共産支那について

共産支那は、わが國に対して恫喝を行えば、わが國は震えあがり言うことを聞くと考えている。支那の対日外交はそういう姿勢に貫かれている。日本にとって、共産支那は友好國家ではなく敵性國家であることが明白となっている。

 

田中内閣による「日中國交正常化」以来、わが國は共産支那に対して土下座外交・弱腰外交を繰り返し、相手の言いなりになってきた。そして莫大な経済援助・技術援助を行った。その結果が今日の事態なのである。

 

日本の援助によって軍事的・経済的に強くなった支那によって、わが國が危険に晒されている。「日本が支那に経済協力を行えば、支那は経済発展し、経済発展によって民主化する」という考えは全く誤りであったことが証明された。

 

事実はその逆で、日本のおかげで経済発展した共産支那は、軍事力を増強させ、わが国に牙を剥いてきたのである。これまで、「日中友好」を唱えてきたわが国内の「親中派」の責任はきわめて大きい。

 

共産支那は、わが国に対して「侵略国家だ」と非難するが、東アジア近現代史における最大の侵略国家は支那である。清帝国は、東トルキスタン(新疆ウイグル)、チベットなど周辺諸民族を侵略、征服、蹂躙した。そしてベトナム・韓国に対しても武力侵攻を行った。

 

「中華人民共和国」=共産支那は、清帝国が侵略によって獲得した領土をそのまま継承するのみならず、さらに領土拡大とアジア支配を目論んでいる。共産支那建国以来、十七回も対外戦争あるいは武力行使を行った。「朝鮮戦争」・「ベトナム戦争」・「中印戦争」・「チベット侵略」・「中ソ国境紛争」・「中越戦争」などである。

 

共産支那は、「改革開放路線」と共に、「富国強兵」路線をとり、軍拡を続けて来た。この名称は明治維新後におけるわが國の国策の猿真似である。(内実は全く違うことは言うまでもないが)

 

なぜ共産支那は、軍拡を行う必要があるのか。「富国」はともかく「強兵」を行う必要があるのか。今日、世界においてもアジアにおいても、支那を武力攻撃しようとしている国などは存在しない。支那の軍拡は、日本及び台湾への侵略を目論んでいるからである。「反国家分裂法」の制定はその準備工作である。

 

かつて共産支那は理不尽にも、「ベトナムは小覇権主義国家だから懲罰する」とか言って、武力侵攻を行った。それと同じように、状況が整えば「台湾を取り戻す」「解放する」と言って台湾を侵略し、「歴史問題で反省謝罪が足りない日本を懲罰する」とか言って、わが国に対して軍事侵攻を行う危険性がある。

 

一九九二年には、「中華人民共和国領海法及び接続水域法」とやらを制定し、東シナ海の尖閣諸島から南シナ海の島々まですべて支那の領海だと勝手に決めてしまった。日本、韓国、台湾、アセアン諸国と係争中の東シナ海、南シナ海の大陸棚、西沙諸島、南沙諸島の領有を、一方的に宣言した。とりわけ許し難いのは、わが国固有の領土たる尖閣諸島の領有をも一方的に宣言したことだ。

 

共産支那は、「大躍進政策」の経済失敗で二千万以上の餓死者を出し、文化大革命では五千万以上の自国民を殺戮した。世界中で共産支那ほど軍国主義国家はないし専制独裁国家はない。

 

これに対し、わが国は戦後ただの一回も対外戦争を行っていない。世界中で日本ほど平和国家はないし自由民主国家もない。過去数千年にわたりアジアを侵略しこれからも侵略しようとしている支那にはわが国を軍国主義国家・侵略国家呼ばわりする資格は毛筋の横幅ほどもないのである。「盗人猛々しい」とは共産支那の事である。

 

日本などの支那周辺諸国にとって、中華帝国主義は最大の脅威である。支那は絶対に自分の非をみとめない国家であり民族である。

 

共産支那は、日本の経済援助によって国家が強大化するにつれて「中華思想」を再現させている。共産支那の「四つの現代化」のスローガンは、「建設四化・振興中華」であった。この「四つの現代化」とやらに全面的に協力したのが日本である。その結果、日本は「中華帝国主義」の圧迫と脅威にさらされているのである。

 

「中華思想」とは、漢民族が世界の中心であり、他はみな野蛮人であるというとてつもない差別思想・侵略思想である。秦の始皇帝が大陸を統一して以来、絶大な権力を持った皇帝が大陸を支配してきただけでなく、周辺諸国に対しても、四千年にわたって冊封体制(さくほう)をもって律してきた。共産支那は「振興中華」を叫ぶのは、こうした差別思想・侵略思想の復活を目指しているのである。

 

「中華思想」はアジアそして世界に覇権を確立することを目的とする思想である。現段階において、アジアでの覇権確立を実行しつつあるのである。そのために最も邪魔な存在がわが日本なのである。

 

「中華帝国主義」の「帝国」という意味は、支那・漢民族の支配領域の拡大と共に、他民族多国家を傘下に収め、管理体制を敷くということである。共産支那はアジアにおいてそれを目指しているのだ。

 

かつてオーストラリアを訪れた共産支那の李鵬首相(当時)は、「日本などという國は二〇一五年頃には溶けてなくなっているはずだ。一々考慮すべき相手ではない」と述べた。

支那はわが国の消滅を期待しているのだ。わが国民の誤れる贖罪意識を利用して機会あるごとにわが国を打ちのめし、謝罪させ、金や技術を強奪してきたのが共産支那である。

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千駄木庵日乗十月八日

午前は、母のお世話。

午後は、明日のインタビューの準備など。

午後五時より、三田の慶応義塾大学にて、同大学法学部教授・小林節氏にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。終了後、内幸町にて小林教授と懇談。

帰宅後は、明日の『萬葉集』講義の準備・原稿執筆など。

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2013年10月 8日 (火)

國體と憲法について

日本國という國家は、単なる権力機構・政治的支配機関ではない。もっと大らかにして神聖なる存在であり、精神的・道義的・信仰的・文化的存在である。人と人とが精神的に結合した共同體である。日本國はその生成の過程を見れば明らかな通り、天皇を祭祀主と仰ぐ信仰共同体であり、天皇を中心とした精神的信仰的生命的な共同体である。日本天皇と日本国民は対立する権力関係にあるのではない。天皇と国民とは、天皇が民の平安と五穀の豊饒そして世界の平和を祈って行われる祭祀を基とした信仰的一体関係にある。日本國は革命とか開拓によって人為的に造られた國ではなく、神が生みたもうた國であるという神話と信仰が古代から今日まで信じられて来ている。

 

日本國體とは、単なる「国家の体制」のことではない。「体制」とは、ものの組み立てられた状態という意であり、単に組織、機構、機関、組織、システムのことである。したがって、「国家の体制」とは、無機的な権力機構としての国家組織のあり方即ち統治権力の運用する仕方に関する形式のことである。これは「政体」と表現すべきであって、伝統的な日本國體を「国家の体制」と表現するのは誤りである。

 

國體とは、日本国の国柄・国の本質のことを言う。三潴信吾氏は、「國體とは、各国家の国柄、品格のことをいふのであって、その国の成立事情によって定まる。」「我が国にあっては、皇祖を日の神(天照大神)と仰ぎ、その和魂を継承されつつ、一切の天神地祇、八百万神々を祭り、これといよいよ一心同体たらせ給ふ天皇が、御代々を通じて御一人(一系)として天下を治ろしめすといふ國體を保有してきた」「政体とは、政治権力の組織制度のことを云ふ。」(國體と政体について)と述べられている。小森義峯氏は、「國體とは、平たくいえば、『くにがら』という意味である。その国をその国たらしめている、その国の根本的性格をいう。」「皇祖天照大神と霊肉共に『万世一系の天皇』を日本国の最高の権威(権力ではない)の座に頂き、君民一体の姿で民族の歴史を展開してきた、という点に日本の国柄の最大の特質がある。」(正統憲法復元改正への道標)と述べておられる。

 

「國體とは戦前の天皇主権の国家体制を表す言葉で、治安維持法のキーワードだった」という主張があるが、とんでもない主張である。「帝国憲法」の何処にも「天皇に主権がある」などとは書かれていない。

 

そもそも国家の意思を最終的に決定する権力という意味での主権なる概念と言葉は天皇中心の神の国である日本には全くそぐわないのである。  

 

戦前も戦後もさらに言えば古代以来今日に至るまで日本が天皇中心の国であることは明白であり、戦前の國體と戦後の國體とは本質的には変わっていない。

 

國家を単なる権力機関として見ると、國家の神聖性・道義性を否定し、日本國の文化も、伝統信仰も、文化も、道義も、全て権力機関としての國家の下に置かれ、その支配を受けなければならなくなる。そして権力機関としての國家のみが前面に出て、それが國民と対立し、やがて國家の中で権力と國民の闘争が日常化する。現代日本は、まさにそうした状況に置かれつつある。 

 

今日においてさらに重大な問題は、日本國天皇の祭祀という共同體國家日本の存立の基本である<天皇の祭祀>が、憲法の制約下に置かれるようになっていることである。

 

また「個人の権利」のみを強調する現行憲法の規定によって、祖先を敬い親に孝行するという日本國民道徳の基本が踏み行うことが困難になってきつつあることである。

 

西洋法思想がその理念となり、國家を権力機関としてとらえた「現行憲法」がある限り、國家は美しく良きものであり、人間はその國の國民として生きることによって幸福を得るということが不可能になるのである。日本國の憲法は、天皇中心の日本國體(國柄)に基づいて制定されなければならない。

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千駄木庵日乗十月七日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、原稿執筆、明日・明後日に行うインタビューの準備など。

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2013年10月 7日 (月)

今は亡き佐藤欣子さんの著書『お疲れさま日本国憲法』を読んで思う

今は亡き佐藤欣子さんの著書『お疲れさま日本国憲法』は大変勉強になる。

 

『現行占領憲法』第九条に「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」という条文について佐藤さんは、「もし日本国民が『正義と秩序を基調とする国際平和』を誠実に希求しているならば、正義と秩序を乱す者に対しては、敢然と立ち向かわねばならないはずである。そう考えるなら、武力の放棄など軽々しく宣言することなど出来ないはずであろう。…『正義と秩序を基調とする国際平和』は、まだ実現の途上にある。日本人は『義を見てせざるは勇なきなり』という言葉を忘れてしまったのではなかろうか」と論じている。正論である。

 

また『現行占領憲法』の「前文」には「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と書かれている。これは虚構、絵空事、幻想、事実誤認である。わが国の近隣国家と言われる共産支那・北朝鮮においては「専制と隷従、圧迫と偏狭」が国家の本質になっている。また国際社会全体が「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を永遠に除去しようと努めている」とはとても言えない。虚構の上にわが国が立って名誉ある地位を占めることは不可能である。

 

昭和五十二年の「ダッカ日航機ハイジャック事件」で、日本政府は、人命尊重を最優先とする方針のもと「超法規的措置」として犯人側の要求にすべて応じた。これについて佐藤さんは、「国家として為すべからざることをしたと私は考える。もちろん個人にとって生命は絶対的なものである。しかし私たちは時に、その自分の生命が自分の愛する者の生命、自分をはるかに超える社会や国家の構成員の生命や利益と比較される事に堪えなければならないのである。そして国家とその指導者は、まさにこの時、その苦しい役割を断固として遂行すべきだったのである。…『超法規的措置』というよりは『無法』の処置だった…」と論じている。その通りと思う。

 

この日本政府の措置を見ても、『憲法』前文に言う「正当に選挙された国会における代表者」が構成する政府が「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求」することが不可能とは言わないまでも、実に困難なことであることを証明する。

 

『現行占領憲法』下のわが国は、正義・道義・神聖性というものを喪失している。その事を象徴する事実を佐藤さんは次のように論じている。

「日本の法廷には、裁判権を行使しているはずの国家を象徴するシンボルは何もない。諸外国でみられるような、国旗もない。元首の写真もない。十字架もない。そこで行われている裁判の権威と権力の由来を思い出させるものはないのである。戦前は菊の御紋章があり、『司法権ハ天皇ノ名ニ於テ』行われることを示していた。敗戦後、御紋章は取り払われたままである。法廷はガランドウである。国家は不在である」。

 

『現行占領憲法』においても「天皇は日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」であらせられるのであるから、法廷に菊の御紋章が掲げられて当然である。それによって裁判の公正性、神聖性、道義性が保持される。

 

佐藤さんはさらに言う。「この憲法の下で日本は世界最大の債権国、世界一の長寿国となった。私たちは私利私欲を優先させ、俗の俗たる顔を恥じることなくテレビにさらし、弱者が大声で被害者意識をブチまけることができるようになった。私たちは貧乏を忘れ、死ぬことを忘れ、国家も公も忘れ、聖なるものを忘れ、勇気も責任感も失った。日本人は自己を超える忠誠の対象を失い、したがって、日本は浅薄な幼稚な国となったのである」と。

 

この本は二十二年前の平成三年刊行であるから、その後日本が経済的に疲弊し、自殺者が増える事態となったことは触れられていないが、それ以外の事は全く正しい。

 

法と正義の関係が正しく確立しなければならない。正義とは「我こそは正義なり」と主張するものではなく、追求し、目指すべきものである。『現行占領憲法』の浅薄にして危険な「正義観」は排除されるべきである。

 

日本国の真の「倫理観」「正義の精神」「聖なるもの」は日本伝統信仰の祭祀主であらせられる日本天皇によって継承されている。日本天皇が日本国の統治者であらせられるという事を正しく定めた『大日本帝国憲法』に回帰すべきである。

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千駄木庵日乗十月六日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、水曜日に行われる『萬葉古代史研究会』における講義の準備、『伝統と革新』編集の仕事、『百人一首』評釈原稿執筆など。

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2013年10月 6日 (日)

日本精神・日本主義とは

日本精神・日本主義とは

 

日本精神とは、天皇仰慕の心・天神地祇崇拝の精神(祖先と自然の霊を尊ぶ心)・父母兄弟を尊ぶ心である。そこから明朗心・清明心・武の心・慈しみの心・むすびの心・神人合一(すべてに神を観る心)・天皇仰慕の心・まつりの心などの倫理精神が生まれる。それは古代日本の稲作生活から生まれた。

 

日本精神を常に実践されているお方が祭祀主・日本天皇である。日本の伝統精神・生活・文化の基本・核は天皇の祭祀である。

 

和辻哲郎氏は、「大和魂と同じく、個々の日本人に宿るところの何らかの形而上的な実体を指す…或いは、漠然と気魄、気概といふ如きものを指すのかもしれない」論じている。

 

 

 

安岡正篤氏は「日本精神そのものは、日本として真に日本たらしめてゐるあるもの、これなくば日本及び日本人が、存立できないものであって、斯くの如きものは、概念的に説明できるものでない。冷暖自知(四宮註・悟りが他人から教えられるものではなく、自分で会得するものであることにたとえる)する外はない」と論じている。

 

村岡典嗣氏は「日本精神はその本来の丹紀心、又は正直の徹することに於いて、苟(いやし)くも人類の創造した一切の価値を摂取し、動かして、新たな文化を建設し、以て自己を実現し得る」と論じている。

 

 日本精神・民族精神とは天皇を中心とする國體より発生し継承されてきた国民精神ということが出来る。天地生成・神武建国・八紘為宇の精神がその根底にある。

 

 そういう精神を根幹として日本国をそして世界を変革しようとする行動的な主義が日本主義ということが出来る。それは自然に祖先から継承され生活の中に息づいている国を愛する心・郷土を思う心とは少し違って戦闘的行動的である。

 

尋常小学校唱歌「故郷」(兎追いしかの山)と「昭和維新青年日本の歌(汨羅の淵に波騒ぎ)との違いと言ってもいいかもしれない。

 

日本精神を実践し行動し実現する「主義」を日本主義という。一貫不変不動の日本精神を覚醒し、日本精神をその時代において実現せんとする主張であり政策であり主義である。日本主義とは、日本精神から噴出してきたところの現代日本を政治・経済・社会的に変革しようとする一つの行動原理と言い得る。

 

 秩序だった理論大系はもとよりないのである。言挙げせぬ国が日本の伝統だからである。しかしこれは見方を変えれは柔軟にして強靭である。柳に雪折れ無しで何でも取り入れ、取捨選択し、良きものは残し合わないものは捨てるのである。

 

 明治維新も大化の改新も皆そういう変革であった。外国から具体的改革策を取り入れている。しかし根本には尊皇愛国・敬神崇祖・万民和楽の日本精神があった。それを基礎としての具体的改革であった。

 

 

 

日本主義は窮屈なイデオロギーとしての理論大系ではない。イデオロギーとなってしまったら、左翼の公式主義と同じになる。日本精神はもっと柔軟で大らかなものである。

 

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千駄木庵日乗十月五日

朝、デイサービスに赴く母を見送る。

この後、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、『百人一首』評釈原稿執筆など。

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2013年10月 5日 (土)

萬葉古代史研究會

萬葉古代史研究會

小生が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

日時 十月九日(毎月第二水曜日) 午後六時半より 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円  テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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大東亜戦争について

大東亜戦争の開戦は、その目的においても實際の戦争においてもそして結果においても、自存自衛の戦ひであり、東亜解放の戦ひであった。わが國は米英が百年来、東亜諸國諸民族を侵略支配してゐる状況を掃攘するために宣戦を布告したである。即ち、明治維新の攘夷の戦ひをアジア的規模で遂行せんとしたのである。

 

わが國は、明治維新断行以後、近代國家への道を歩んだ。日露戦争の勝利は、米英をはじめとした西欧列強・白色人種に虐げられてゐたアジア・アフリカなどの有色人種に大きな希望をもたらした。

 

アメリカは日本の強大化を恐れ、日露戦争直後の明治三十七年に、對日戦争計画たる『オレンジ計画』を立てた。アメリカといふ國は、開拓精神に燃えた人々によって建國されたといはれてゐるが、この『開拓精神』とは他人の土地に入って行ってそこを占拠し自分たちのものにするといふことである。北米大陸そのものがもともと先住民族(いはゆるインディアン)のものだったのである。そしてハワイ・グァム・フィリッピンと西に進み、シナ大陸に入り込もうとした。ところが、その前に立ちはだかったのが日本だった。

 

昭和天皇は、わが國が戦争に追ひ込まれて行った原因について、「原因を尋ねれば、遠く第一次世界大戦后の平和条約の内容に伏在してゐる。日本の主張した人種平等案は列國の容認する処とならず、黄白の差別感は依然残存し加州移民拒否の如きは日本國民を憤慨させるに十分なものである。」「総理になった東條は、九月六日の御前會議の決定を白紙に還すべく、連日連絡會議を開いて一週間、寝ずに研究したが、問題の重点は油であった。…實に石油の輸入禁止は日本を窮地に追込んだものである。かくなつた以上は、萬一の僥倖に期しても戦った方が良いといふ考が決定的になったのは自然の勢と云はねばならぬ」(『昭和天皇独白録』)と仰せになってゐる。

 

開戦前のアメリカによるわが國への圧迫は、①對日通商條約の一方的破棄(昭和十四年七月)②航空燃料の輸出禁止(昭和十五年七月)③屑鉄の輸出禁止(同年五月)④在米全日本資産の凍結(昭和十六年七月)⑤石油の全面禁輸(同年八月)といふものであり、まさに真綿で首を絞めるやうなことをして来た。

 

さらに、昭和十六年十一月二十六日、わが軍の仏印・支那大陸からの撤退、王精衛の南京國民政府及び満州國の否認、日独伊三國同盟の死文化を求める米國務長官コーデル・ハルの最後通牒=「ハル・ノート」を突き付けてきた。この「ハル・ノート」をについてパル判事は、「同じような通牒を受け取った場合、モナコ王國やルクセンブルグ大公國でさえも合衆國に對して戈をとって起ちあがったであろう」(『パル判決書』)と書いてゐる。

 

わが國は、まさに「開戦の詔勅」に示されてゐる通り「帝國ノ存立亦正ニ危殆ニ頻セリ事既ニ此ニ至ル帝國ハ今ヤ自存自衛ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破砕スルノ外ナキナリ」といふ状況に立たされたのである。

 

對米英戦争がわが國の自存自衛の戦ひであったことは、連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサーが、米上院外交合同委員會で、一九五一年五月三日、「原料の供給を断ち切られたら、一千萬の失業者が発生するであろうことを彼らは恐れていました。したがって彼らが戦争に飛び込んでいった動機は、大部分が安全保障の必要に迫られてのことだったのです」と証言したことによっても明らかである。

 

東條英機元総理はその「遺言」において、「英米諸國人ニ告グ…諸君ノ勝利ハ力ノ勝利ニシテ、正理公道ノ勝利ニアラズ。…大東亜戦争ハ彼ヨリ挑発セラレタルモノニシテ、我ハ國家生存、國民自衛ノ為、已ムヲ得ズ起チタルノミ。コノ経緯ハ昭和十六年十二月八日宣戦ノ大詔ニ特筆大書セラレ、炳乎トシテ天日ノ如シ。故ニ若シ世界ノ公論ガ、戦争責任者ヲ追求セント欲セバ、其ノ責任者ハ我ニ在ラズシテ彼ニ在リ、乃チ彼國人中ニモ亦往々斯ク明言スルモノアリ。」と切言してゐる。

 

わが国が大東亜戦争を戦ったのは、断じて間違った行動ではなかったのである。このことを我々は篤と認識しなければない。

 

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千駄木庵日乗十月四日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。医師の往診あり。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事、『百人一種』評釈原稿執筆。

午後六時半より、グランドヒル市ヶ谷にて、『宮崎正弘さんの新刊出版記念会』開催。西尾幹二氏が発起人代表挨拶、熊坂隆光産経新聞社長・井尻千男・呉善花・加瀬英明・黄文雄・田母神俊雄の各氏などが祝辞述べ、村松英子さんの音頭で乾杯を行い、盛宴に移った。古くからの同志、保守の学者・文化人の方々多数とお会い懇談した。宮崎氏とは学生時代からの知己であり、彼が「日學同のゲッペルス」と言われた頃から、それこそ五十年近くにわたる付き合いである。

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謝辞を述べる宮崎正弘氏

帰宅後は、諸雑務。

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2013年10月 4日 (金)

女性天皇は祭祀を行うことが出来ないという主張は大きな誤りである

 伊勢皇大神宮の「式年遷宮」で最も重要な神事「遷御の儀」が九月二日夜、皇大神宮(内宮)で行われた。天皇陛下のご代理として天照大神に仕える「臨時神宮祭主」であられる黒田清子様が、その神聖なるお役目をお果たしになった。神宮祭主は、天皇陛下の代理として神宮の祭事をつかさどるお役めで、天皇陛下の「勅旨」を受けて決まる「神宮だけ」のお役目であると承る。

 

神祭り・祭祀は、女性は行うことができないという主張がある。これは大きな誤りである。古代日本においては、むしろ女性が祭祀を行っていた。

新嘗祭を歌った「萬葉集東歌」に、

 

にほ鳥の葛飾早稲(わせ)をにへすともその愛しきを外(と)に立てめやも (三三八六)

 

という歌がある。通釈は、「(にほ鳥の・枕詞)葛飾の早稲を神饌として供へる祭事の夜でも、あの愛するお方を外に立たせてはおかれやうか、立たせてはおかれない」といふ意。

「にへすとも」の「にへ」は、神に捧げる食べもののこと。「にへす」は、その年の新穀を神に供へて、感謝すると共に来年の豊饒を祈る新嘗の祭を行ふこと。古代の農家は、家毎に新穀を供へて物忌みをして新嘗の祭を行った。その家の女性が、神主・祭り主となって、神に新米を供へる新嘗祭を行って、男たちはその期間中家にゐることは許されなかった。女性は祭り主として家に残り、男は外に出かけたのである。

 

 

新嘗祭に奉仕する女性の物忌みは、奉仕の女性以外、家人は、親といへども、夫といへども、その家に入ることは出来なかった。家中の男を外へ出して、自分は祭主として神様に仕へてゐる。

 

そのやうに厳しい新嘗祭の物忌みも、愛する人のためならあへて侵さずにはゐられないといふ、恋する乙女の燃えるやうな情熱をうたった歌。愛する男を外に立たせてはおけないといふ歌である。各共同体における新嘗祭の祭り主は女性だったのである。

 

 

「践祚大嘗祭」を最初に執行された天皇は、女帝であらせられる持統天皇である。『日本書紀』持統天皇五年十一月戊辰日に、「大嘗す」と記されてゐる。平野孝國氏は、「天武天皇以降、大嘗は特別の意味を加えて即位に引き続き、今上の御代まで施行されてきた。…持統天皇は、この新思想を忠実に継承され、更に制度化するのに、与って大きな貢献をされた」(『大嘗祭の構造』)と論じてをられる。

 

 

また伊勢皇大神宮の「式年遷宮」は、天武天皇がお定めになり、持統天皇の御代の持統天皇四年(六九〇)に第1回が行われた。

 

 

女性が祭祀とりわけ新嘗祭を行ひ得ない、行ってはならないなどといふのは、わが國の傳統とは相容れない思想であるし、第一事実に反する。これは、仏教思想や儒教道徳の影響と考へられる。

 

 

女性天皇は大嘗祭・新嘗祭をはじめとする祭祀を司られることはできないなどといふことは絶対にあり得ない。

 

女性神であらせられる天照大御神は祭祀主として高天原において新嘗祭を執行された。天皇は皇祖神たる天照大御神を祭られるが、皇祖神たる天照大御神もなほ神を祭られたのである。

 

 

『日本書紀』皇極天皇元年十一月の条には、「丁卯(十六日)に、天皇新嘗御(にひなへきこしめ)す。是の日に、皇子・大臣、各自(おのおのみづか)ら新嘗(にひなへ)す」と記されてゐる。皇極天皇は女帝であらせられる。

 

 

女性蔑視の思想は、佛教・儒教という外来思想の影響である。日本傳統信仰にはそういう思想は全くない。人は全て神の分霊であり神の子である。男を日子(ひこ)と言い、女を日女(ひめ)と言う。人は全て男も女も、日の神・天照大御神の子であるという意味である。

 

神の命が生成化育(むすび・産霊)して生まれ出た男の子・女の子のことを、むすこ(息子)・むすめ(娘)というのである。そこには全く差別はない。いわんや女性蔑視などという事は一切ない。

 

皇位継承を論ずる人の中に、父親と母親を「種と畑」に譬える人がいる。また、染色体論を用いる人がいる。これらの考え方は、人は神の子であり、人は「ひと=日止・霊人」であるという根本信仰とは異なる考え方である。

 

ご歴代の天皇お一方お一方が、御神勅に示されている通り「天照大御神の生みの御子」であらせられる。これを「歴聖一如」と申し上げる。天皇は、女帝であらせられても、現御神であらせられ、天照大御神の地上的御顕現であらせられる。男系継承という神武天皇以来の伝統は守られるべきとしても、この根本信仰は絶対に無視してならないと信じる。

 

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千駄木庵日乗十月三日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。そして、『百人一首』評釈原稿執筆。この原稿書きは大変に勉強になる。

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2013年10月 3日 (木)

式年遷宮の意義と維新の精神

伊勢の式年神宮は、二十年に一度、御正殿以下御垣内の諸社殿を全て新しく造り替え、御正殿内の御装束御神宝の一切を新しく調進して、新しい御正殿の御神座に大御神の御移りを願うという、『古事記』『日本書紀』そして『萬葉集』が編纂された時代である飛鳥時代に、天武天皇が定められ持統天皇の御代から始められた伊勢の神宮の重要な祭祀である。もっとも鄭重にして特別の神嘗祭(その年の稲の初穂を天照大神および豊受大神に捧げる祭)であるといわれている。ゆえに大神嘗祭(おおかんなめさい)とも称されている。持統天皇の四年(六九〇)に天照大神をお祭りする皇大神宮、同六年に豊受大神をお祭りする豊受大神宮の第一回の式年遷宮が行われたと承る。

 

式年とは定まった年という意である。式年遷宮は、ただ単に「社殿などが古くなったので作り替える」という行事ではない。神をお迎えしお鎮まり頂く神殿を、二十年に一度の周期で新たならしめることによって、神域全体ひいては天地宇宙を更新し、神の威力を益々発揮して頂くという意義がある。もちろん我々日本国民も霊的宗教的に新たに生まれ変わるのである。

 

 日本伝統信仰の祭りとは、人の霊・心・肉そして天地一切を更新し清浄化する行事である。そもそも祭りとは神人合一・今即神代を実感する行事である。恐れながら、天皇御即位の御時の大嘗祭もしかリである。天皇の肉身は変わられても現御神(あきつみかみ・天照大神の地上的御顕現)としての天皇の御本質は不変で、新たなる天皇の肉身に神霊が天降られ天孫降臨が繰り返されるという信仰の祭儀であるところの大嘗祭と伊勢の御遷宮(大神嘗祭)は相似である。

 

 真弓常忠氏は「神宮の遷宮は二十年一度の大神嘗祭であり、…皇祖の大御神の神威に新たな甦りを仰ぐ最大最重の厳儀である。それは、宮中の大嘗祭に相相応する大儀である。このことは、皇居においても、御代ごとに遷宮する例であったのが、持統天皇の藤原京より恒久的な皇居を営まれたことも照応する。昔から伊勢の遷宮を『皇家第一の重事、神宮無双の大営』(『遷宮例文』)といわれてきた所以がここにある。それは始源においては、大嘗祭と表裏一体の相対応する大儀であった」(大嘗祭の世界)と論じておられる。

 

 常に全てを祓い清めて新生を繰り返し永遠の生命を甦らしめるというのは、日本伝統信仰の根本である。日本は長い歴史を有する国であるが、ただ古さを誇りとするのではなく、伝統を顧みつつ常に新生を繰り返してきたところに素晴らしさがあるのである。単に歴史が長いというのなら支那・朝鮮・エジプト・ギリシアなどの国々も長い歴史を有している。しかし、それらの国々の古代民族信仰は皆滅びたり大きく変質し、今日残っている神殿なども廃墟と化し、ただ観光施設として見物の対象になっているのみである。

  

ところがわが日本おいては、これだけ科学技術が進歩し物質文明が豊かになっている今日においても、古代信仰・民族信仰が脈々と生きており、伊勢の神宮をはじめとした全国各地で神社で毎日のようにお祭りが行われている。のみならず日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられている。そしてその祭り主たる日本天皇は日本国家の中心者として君臨あそばされている。このようにわが祖国日本は永遠の生命を保ちつつ革新を繰り返してきている国である。これが世界に誇るべき日本の素晴らしさである。

 

 維新と言い、日本的変革と言うも、要は日本国そして日本国民一人一人を新生せしめ、清浄化し、天皇国日本の本来の姿そして「み民われ」としての日本国民本来の姿を回復することによって現状の革新を行うということである。大化改新も明治維新も建武の中興もそういう精神に基づいて断行された。

 

 影山正治氏は「我々は神前に大祓の祝詞を至心に奏上することによって御國の罪・穢を祓ひ清めて神國の本来に還へらむ事を祈り、また我の罪・穢を祓ひ清めて神我の本領に還へらむことを祈るのである。…今こそ全日本人が朗々と大祓の祝詞を斉唱しつつ、皇國の維新、全世界の維新に當らねばならない」(正続古事記要講)と論じておられる。

 

 現代日本の汚れを祓い清め、正しき国の在り方・日本人としての正しき姿を取り戻すことが維新である。日本は伝統と変革が共存し同一なのである。だから維新を<復古即革新>というのである。

 

 この場合の「復古」とは単に時間的過去に逆戻りすることではない。古代の伝統精神の新たなる発見である。古代からの日本の伝統精神を復活せしめ硬直し腐敗した現代を一新する。これが維新である。古事記の編纂もかかる維新の精神の基づいて行われたのである。太安萬侶(おおのやすまろ)は古事記序文において「古を稽(かむがへ)て風猷を既に頽れたるに繩(ただ)したまひ、今を照して典教を絶えなむとするに補ひたまはずといふこと無かりき」(いつの時代にあっても、古いことを調べて、現代を指導し、これによって衰えた道徳を正し、絶えようとする徳教を補強しないということはありませんでした、というほどの意)と述べている。これが復古即革新の精神である。世に維新を論じ、維新を標榜する政党や政治家多いが、真の維新精神に回帰することを強く望みたい。

 

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千駄木庵日乗十月二日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、『百人一首』評釈原稿執筆。

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2013年10月 2日 (水)

『国宝 興福寺仏頭展』参観記

今日参観した『国宝 興福寺仏頭展』は、奈良・興福寺の創建1300年を記念して開催された。「現存する東金堂」をテーマとし、興福寺の代表的な名宝である国宝「銅造仏頭」(白鳳時代)、「仏頭」の守護神として造られた国宝「木造十二神将立像」(鎌倉時代)、浮彫の最高傑作として有名な国宝「板彫十二神将像」(平安時代)、「厨子入り木造弥勒菩薩半跏像」(鎌倉時代)、「法相曼荼羅図」(室町時代)、法相宗に関わる寺宝、「仏頭」と同じ白鳳仏として、東京・調布の深大寺所蔵の重要文化財「銅造釈迦如来倚像」など国宝25点、重要文化財31点など約70点が展示されていた。

 

「銅造仏頭」は天武天皇十四年(六八五)、蘇我倉山田石川麻呂の菩提を弔うために、造営された飛鳥山田寺講堂本尊であった。薬師如来像である。鎌倉時代の文治三年(一一八七)、興福寺の衆徒によって山田寺から強奪され興福寺に移されたという。応永十八年(一四一一)平家が興福寺を焼き討ちした時に被災し、その後行方不明となっていた。ところが約五百年後の昭和十二年(一九三七)、頭部のみが興福寺東金堂本尊台座の奥から発見されたという。まことに数奇な運命をたどった仏像である。頭部だけでも総高98.3センチという巨大な仏像である。少し微笑んでいるような、神秘的な表情で、思わず手を合わせた。破損仏でありながら、国宝指定を受けている仏像である。

 

蘇我倉山田石川麻呂は、大化改新の時の、蘇我入鹿誅殺の時に協力したが、その後、謀反の疑いをかけられ、山田寺で自害した。天武天皇の皇后であらせられた持統天皇の母方の祖父である。薬師如来像は、無念のうちに亡くなった蘇我倉山田石川麻呂を鎮魂するために、天武・持統両天皇の御心により造られたのであろう。

 

謀叛の疑いをかけられ自害に追い込まれた人を弔うための仏像として山田寺の本尊として安置されていた仏像を興福寺の衆徒が強奪したというのだから、何とも凄まじい話である。仏像や寺院の歴史は決して平和なものではなかったようである。凄惨な歴史が秘められている。だからこそ、佛の慈悲による救いが求められたのであろう。

 

「板彫十二神将像」は厚さ3センチほどのヒノキの平板から彫り出した十二面のレリーフ。興福寺東金堂本尊薬師如来像の台座に張り付けられていた可能性があるという。棟方志功の作品「二菩薩釈迦十大弟子」によく似ているような気がした。

 

「木造十二神将立像」は、ヒノキ材の寄木造り。像高は120センチ前後。薬師如来像の守護神で12体とも武装している。頭の上に、小動物の彫り物があった。係の人に聞いてみたら、十二支の動物立ちであるとのことであった。

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東京芸術大学構内のロダン作『青銅持代』像

 

 

 

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千駄木庵日乗十月一日

午前は、母のお世話。

午後は、上野公園の東京芸術大学大学美術館で開催中の『国宝 興福寺仏頭展』参観。

この後、上野桜木町の酒房にて、知人と懇談。

帰宅後は、資料の整理など。

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2013年10月 1日 (火)

北朝鮮は「国家」と言えるかどうかさえ怪しい

そもそも北朝鮮は「国家」と言えるかどうかさえ怪しい。「国家」とは民主的な手続きによって選出された国民の代表者によって法律に基いて統治されているのがあるべき姿である。

ところが北朝鮮は、金日成が死んだ後、どういう民主的法律的手続きを経て金正日が国家の最高権力者に選ばれたのかさえまったく不明である。金正日は、ただ金日成の息子だから後継者になったのである。また、金正日が死んだ後、どういう民主的法律的手続きを経て息子・金正恩が最高権力者になったのか不明である。

 

さらに、北朝鮮という「国」の成り立ちもまともではない。大東亜戦争終結後、朝鮮半島の北半分を軍事占領したソ連軍が、共産ゲリラだった金日成を連れて来て朝鮮半島北半分の支配者に仕立て上げただけのことである。一九四八年(昭和二十三年)、朝鮮半島全体で民主的な選挙を実施しようとしても金日成はそれに応じなかった。そして南だけで選挙が行なわれ、李承晩が初代大統領に選ばれた。だから本来的には、金日成政権は北朝鮮を軍事占領している集団に過ぎないのだ。

 

そればかりではない。五十三年前の一九五〇年(昭和二十五年)六月二十五日午前四時過ぎ、金日成は、突如三十八度線を突破して侵略を開始し、ソウルを火の海にして、二十八日にソウルを占領した。金日成軍による韓国侵略によって三百万人が犠牲になった。この朝鮮戦争で、金日成軍及びそれを支援する共産支那軍と戦ったのは、国連軍である。そして、一九五一年二月一日、国連総会は共産支那を侵略者と決議した。つまり、北朝鮮の盤距する政権は侵略者で在り正統性がないのである。

 

朝鮮戦争の時、わが国内において、侵略者=北朝鮮・共産支那を支援するために火焔ビン闘争を展開したのが日本共産党である。日共こそわが国における最初にして最大の北朝鮮支援組織である。

 

北朝鮮は何をするかわからない。暴発する何時でも危険がある。わが国はそのための万全の対策を講じておくべきである。この万全の対策とは、金や食糧を出してご機嫌をとることではない。わが国の国防体制を確立することである。

 

 

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千駄木庵日乗九月三十日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集作業、『百人一首』評釈原稿執筆。

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