« 千駄木庵日乗九月六日 | トップページ | 千駄木庵日乗九月七日 »

2013年9月 7日 (土)

宮内庁について

皇室問題は、宮内庁の権威の失墜が大きく影響している。他の官庁トップ経験者の天下り先が宮内庁長官の椅子になっている。そして政治家に顎で使われて、皇室の政治利用を防ぐことが出来ないのである。宮内庁も一日も早く省に格上げすると共に、政治権力とは別の位置に置くべきである。

 

佐藤栄作元総理が、退任後、侍従長職に就きたいと願ったという話を聞いたことがある。戦前は、内大臣・宮内大臣・侍従長・侍従武官長・枢密顧問官・宮中顧問官など、天皇陛下の御側にあって、奉仕し輔弼の任に当たる人々がたくさんいました。しかもその人々は、国務大臣以上の権威を持つ人々でした。佐藤氏が侍従長に就任しても決しておかしくはなかったと思います。

 

戦後は、戦勝国の日本弱体化政策により、宮内省も宮内庁に格下げとなり、天皇陛下の輔弼の任にあたる人々も極端に少なくなりました。宮内庁長官の権威もそれだけ低下し、政治家による、皇室の政治利用や政治的圧迫を十分に防ぎきれていないのではないかと推測します。三権の長の経験者やそれに匹敵する人々(政治家・官僚に限らず)が、陛下の御側にいて、お守りする体制を確立しなければならないと思います。

大変畏れ多い事ですが、天皇陛下及び皇室の政治利用を防ぐ爲にもこのことはまことに重要であると思います。

 

敗戦後、戦勝国によって押し付けられたわが国の伝統を破壊し国柄を合わない色々な体制・法律のみならず、精神文化などを祓い清めねば、今後の日本はますます混迷します。

 

戦争直後、占領軍は、皇室制度の弱体化を進めました。その顕著な例が、宮内省の宮内庁への格下げです。戦前の宮内省は大宝律令以来の歴史と伝統を有し、宮中・府中の別が確立され、一般行政の枠外に立っていた。即ち、時の政府から独立した存在でありました。ところが戦後の宮内庁は、総理府の外局にすぎなくなりました。(今日は内閣府)

 

 

宮内庁のホームページには次のやうに書かれてゐる。「終戦後,宮内省の事務を他の政府機関に移管あるいは分離独立させ機構の縮小が図られ,昭和2253日,日本国憲法の施行とともに宮内省から宮内府となり,内閣総理大臣の所轄の機関となりました。これに伴って職員も大幅に削減され,終戦当時6200人余りであった職員は宮内府発足とともに1500人弱となりました。宮内府には,宮内府長官の下に宮内府次長が置かれ,長官官房・侍従職・皇太后宮職・東宮職・式部寮・図書寮・内蔵寮・主殿寮と京都地方事務所が置かれました」。

 

戦前の宮内大臣は、伊藤博文・田中光顕・牧野伸顕など総理と同格あるいはそれ以上の人物が就任しました。また天皇陛下の輔弼の臣として内大臣もいましたし、宮中顧問官もいました。また枢密院もありました。したがって、天皇および皇室そして宮内省が権力者によって利用されるなどということはまずありませんでした。

 

今日の宮内庁長官は他の官庁のトップを退職した元官僚が就任します。政治権力者と対等にものを言える立場ではありません。それが皇室の政治利用が行われる原因です。そして宮内庁の役人が国会で国賊議員からとっちめられれば、天皇陛下の靖国神社御親拝も行われなくなるのです。皇室の権威を本来の姿にお戻しすることが何よりも大切です。戦後体制打倒は、國體に関わる重大事であり、喫緊の課題です。

|

« 千駄木庵日乗九月六日 | トップページ | 千駄木庵日乗九月七日 »

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/121949/58141962

この記事へのトラックバック一覧です: 宮内庁について:

« 千駄木庵日乗九月六日 | トップページ | 千駄木庵日乗九月七日 »