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2013年9月22日 (日)

三四郎池のことなど

開会時間より早く東京大学構内に着いたので、三四郎池のたもとまで下りてみた。三四郎池は、加賀藩邸であったころからある大きな池である。

大坂夏の陣の後、この地が加賀藩邸となった。そし寛永十五年(一六三八)三代藩主・前田利常が園池を大築造し、さらに五代藩主・綱紀が補修した。当時江戸諸藩邸の庭園の中でも随一と言われたという。

 

加賀藩は豊臣秀吉の盟友であった前田利家が藩祖である。利家は豊臣政権下で五大老の一人であり、徳川家康とは同格である。秀吉の死後、天下を取ろうとした家康を牽制しつづけたが、病死してしまった。もしも、利家が長命であったら、家康の天下取りは困難であったかもしれない。

 

徳川幕藩体制下にあって、百二十万石の大大名として加賀の地を領した。利家の官位は権大納言であり、利常・綱紀は権中納言であった。利常は隠居した後、小松に住したので「小松黄門」と呼ばれた。「黄門様」(中納言の別名)は水戸光圀だけではなかったのである。

 

扨、「三四郎池」の正式名称は「舊加賀藩上屋敷育徳園心字池」という。池の形が「心」という字を象っているからだという。しかし夏目漱石の小説「三四郎」に登場してから「三四郎池」と呼ばれることが多くなっている。

 

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近くに濱尾新(はまお あらた、嘉永二年―大正十四年)の銅像があった。子爵。文部大臣、内大臣、貴族院議員、東宮御学問所・東宮大夫副総裁、枢密院議長、帝国大学第三代総長を歴任。東宮御学問所副総裁として、昭和天皇の御教育に当たった。

昭和の御世、東宮侍従を務め、浩宮徳仁親王(皇太子殿下)の御教育に当った濱尾実氏は新氏の孫である。

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