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2013年9月25日 (水)

深谷隆司氏の主張を紹介します

私の地元選出の衆院議員だった深谷隆司氏のブログを紹介します。正論だと思います。

         ○

九月二十五日 

 深谷隆司の言いたい放題第471

 「東京裁判を検証する」

 

 924日の自民党政経塾専門コースは、古屋圭司国家公安委員長兼拉致問題担当相が1時間講義、彼は自民党中央政治大学院院長をつとめ、度々私が塾長の政経塾に来てくれた。

 今度、第2次安倍内閣で初の大臣になったが、なんと私より31期後の第88代国家公安委員長であった。

 彼は今年の815日、靖国神社に参拝した。大臣としては新藤義孝総務相に続き2人目である。早速、中国や韓国から文句や嫌がらせの行動が起こったが、勇気ある参拝と私は評価している。

 

 元々、靖国神社参拝が初めて問題になったのは、昭和60年(1985年)の中曽根総理の参拝からで、この時、朝日新聞が「中国が怒っている」と報道した。実は中国が抗議したのは、後の社会党訪中団に対してで、中曽根参拝の時は、中国からの正式な抗議は無かった。何のことはない、日本の新聞が煽り立てた結果であった。

 1998年、江沢民は「歴史を武器に対日圧力を高めよ」と指導したが、国内の混乱や国民の不満をかわす戦術として、歪曲した歴史認識を盾に、対日批判を繰り返してきたのである。

 靖国問題で因縁をつけるのは、東条英機氏以下A級戦犯が合祀されているからである。しかし、彼らを戦犯と決めつけ処刑したのは誰か。

 ダグラス・マッカーサー連合国最高司令官の、日本弱体化方針の策として行った東京国際軍事裁判の結果であった。日本は「臣民一体」で戦った。しかし、「一体」では占領統治はうまくいかない。軍国主義を煽り戦争に引きずり込んだ悪者、つまり戦犯を作り、他の日本人をその被害者に仕立てる。日本人が互いに憎しみ合う構図を作ろうとした、手軽な分割統治法であった。

 

 戦勝国が敗戦国を裁く世界で初めての裁判は、ナチス・ドイツを裁いたニュールンベルグ裁判であった。ここでは米英ソでつくった「平和に対する罪」「人道に対する罪」という、かつて無かった法律で裁くのだが、日本に対してもこれを踏襲した。

 国内、国際も含めて裁きは法定罪刑主義で行われなければならない。事後法での遡及適用を認めないのは常識である。もっとも、ドイツのように人種消滅を図り600万人も殺したケースは、法以前の自然法の判断があってもおかしくない。日本の場合と全く異なっているから、これを踏襲することは明確に誤りである。

 裁判官は戦勝9か国とインド、フィリピンを加えて11人、検察側も戦勝国の息のかかった連中であった。偽証罪も無く、検証も行わないから、驚くほどのでたらめぶりで裁判は進行した。清瀬一郎弁護人は法の不遡及で法律論を展開したが、ほとんど却下された。インドのパール判事は「戦争が何時国際法上犯罪にされたのか、個人の責任はどこまで問えるのか」と全員無罪を主張し、実に1219ページにわたる判決文を書き上げたが、一瞥も与えられなかった。

 はっきり言って、今も戦争を犯罪とした国際法は無い。個別的自衛権、集団的自衛権を認め、戦争は主権国家固有の権限で犯罪とはみなしていないのである。(侵略戦争の定義は、1974年国連総会決議となったが、大戦の実に29年後であった)。

 戦争が犯罪なら、長崎広島に原爆を落とし30万人も殺したアメリカ、シベリアに575千人も送り55千人も殺したソ連にも罪を問うべきだ。

 朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク…、いずれも国際裁判は開かれていないのである。

 56百人と言われるBC級戦犯は、もっと酷かった。日本のみならず上海、ラバウル、マニラなどで簡単な裁判で処刑、弁護人も無く拷問も行われ、冤罪などは当たり前であった。マッカーサーがフィリピンで敗走した時、「アイ・シャル・リターン」と有名な言葉を残したが、後に責任者の本間雅晴中将を逮捕し、わずか2ヶ月も経たぬ裁判で処刑された。マッカーサーの私恨であることは言うまでもない。

 

 東京裁判が如何にいい加減であったか、世界の環境が変化し東西冷戦時代になると、戦犯は次々と釈放され、1958年には連合国通達で刑が免除された。  

 すなわち、1948年ソ連によるベルリン封鎖、1950年朝鮮戦争勃発と深刻な米ソ対立で、裁判どころではなくなったのだ。

 岸信介氏は後に総理大臣になり、重光葵氏は外務大臣になり、賀屋興宣氏は法務大臣になった。同じ戦犯でも絞首刑になった人、天下人になった人、あまりの落差に深い同情の念を禁じ得ない。

 講和条約発効後、日本国内で戦犯釈放運動が起こって4000万人もの署名が集まった。音頭をとったのは日本社会党であった。

 1953年「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が国会で採択された。前述のように連合国通達ですべての刑が免除になったのは5年後であった。

 絞首刑になった7人も国内法の「刑死」でなく「公務死」扱い、遺族年金、恩給支給対象者である。

 

 儒教の教えは報復主義だ。死者に鞭打つ大陸文化と日本の死生観は全く違う。

 「山水草木悉成仏」、日本は基本的に死者に寛容な国なのである。ましてお国の為に殉じた人を祀るのは当たり前のことで、それこそ日本の素晴らしい文化だ。

 

 バージニア州にあるアーリントン墓地には、世界の首脳が訪れ花を添え礼拝する。祖国に対して敬意を示しているのだ。靖国神社も、かつては米、仏、独、ソ連、台などの首脳が訪れていた。

 それが、今では日本人が行くのにもいちゃもんをつける始末である。内政干渉も甚だしい。

宗教観もない国だし、国内の御都合で言うのだから仕方がない。ほっとくのが一番だとこの頃思う。

 気をつけるべきは日本人そのものの不確かな判断である。何故か日本が悪かったと自虐的に考える人さえいる。

 この際、東京裁判を検証し、その誤りを認識すべきではないか。

「誇りを持って堂々と進むことこそ大事だ」と、私の講義にも思わず熱が入るのだった。

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