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2013年9月30日 (月)

『世界オピニオンリーダーズサミット』における登壇者の発言

九月六日に開かれた『世界オピニオンリーダーズサミット』における登壇者の発言は次の通り。

トニー・ブレア元英国首相「衝突は中東に限らない。和平は難しい。北アイルランドはまず停戦ありきだった。両当事者が戦争を止めるという意思がなければならぬ。将来に対する合意がなければならない。平和とはプロセス。北アイルランドは十年かかった。イスラエルとパレスチナには分裂の現実がある。平和へのプロセスがフェアだと感じられるようにすること。どちらにも過激派がいる。最悪のテロは合意の後だった。平和の達成の後にリーダーシップが必要。リーダーシップとはリスクをとること。批判されたくないならリーダーにならない方がいい。自分の快適なゾーンから出ること。敵と対談するのがリーダー。二〇〇七年に北アイルランドの平和が達成した。リーダーシップなしには平和はない。宗教問題に立ち向かわねばならない。政治紛争だけなら妥協は可能。宗教紛争は、妥協は難しい。しかし解決せねばならない。信仰の権利を尊重すべし。寛容な心が大事。あきらめてはいけない。失敗は学習の機会。私は、三十歳で国会議員になったが、その前に十二回失敗した。平和を信じるなら絶対にあきらめてはいけない。全ての国家が自分の居場所を探している。権力は西から東に移っている。中国・インドネシアなどが台頭。イギリス・日本は新しい世界で自分の居場所を見つけねばならない。安倍総理がもたらそうとしている三つの矢は大切。日米関係は核。日本はアセアンとの協力が大事。日中関係は重要であり、困難な問題。日本は経済を強くして海外への影響力を行使すべし。日本は変化を経験し、日本経済は強くなる。日本が影響力を行使することを期待する。高村自民党副総裁の言うことは力強いと思った。日本のソフトパワーは力強い。政治のリーダーは意志決定し、実行しなければならない。人生は批評する人と実行する人に分けられる。傍観するより実行しよう。良い政治が良い未来を創る」。

 

深見東州世界開発協力機構総裁「世界の紛争の七五%が民族と宗教が絡んだ問題」。

 

ヒシャム・バドルエジプト外務次官「日露戦争時代から、日本とエジプトは友好関係。意志があれば道は開ける。今は意志が欠けている。パレスチナ問題は占領を止めさせれば平和と自由が残る。イスラエルとパレスチナも厳しい決定をしなければことは動かない。傲慢な力が正義に優ってはいけない。アメリカのリーダーシップがなければ中東問題は解決しない。入植はガンである。入植は止めるべし。宗教紛争ではなく、政治紛争。過激派が宗教を利用しようとしている。問題解決を難しくしている」。

 

ブレダン・スキャネル元駐日アイルランド大使「和平はイベントではない。過程である。近道はない」。

 

ラルフ・コッサパシフィック・フォームcsis理事長「安倍総理のイメージへの懸念がワシントンにはある。日韓関係の難しさ。日本は世界の将来に責任をとる権利がある。インド洋でソマリア沖の海賊と日本の自衛隊は戦っている。日本の憲法の制限は尊重する。日本はプレイヤーとして積極的になっている」。

 

高村正彦自民党副総裁「六十八年前に日本は敗戦した。三百万人以上の日本人が亡くなった。京都を除いて全ての大都市が焼野原になった。『戦争は真っ平、豊かになりたい』という気持ちで頑張り、二十三年間で世界第二位の経済大国になった。戦後賠償という形で東南アジアに経済協力した。日本国民の九十%がPKOを支持。『自由民主・基本的人権・法の支配・平和』が大切という事で、相手国に対して友人としてのアドバイスをし協力して来た。静かな価値外交。日中は戦略的互恵関係ではなく、戦術的互損関係になっている。尖閣は日本が実効支配している。それを力で変更するのは誤り。一つの問題を全体に及ぼす事はあってはならない。日本は右も左も日本の現実に対して自虐的すぎる。日本は世界から評価されている」。

 

伊藤憲一日本国際フォーラム理事長「戦争は、その本質は政治の延長。戦争の性質は中世と近代では大きく変化。近代戦争は何れかが完全に破壊されるまで終わらない。北アイルランド紛争は、カソリックに改宗した人が首相になったから解決できた」。

 

平林博東アジア共同体評議会議長「日本は二十年間劣化した。ブレア首相在任中に、日本は五人首相が変わった。安倍政権は安定しつつある。日本は自信を取り戻しつつある。日本は世界で愛され信頼されている。日本を悪く言う国は中国と韓国。日本人は日本の歴史を学ぶ必要あり。日本の本当の姿・本当の心を世界に発信してもらいたい。安倍総理は日本の原則に忠実」。

 

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千駄木庵日乗九月二十九日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『百人一首』評釈原稿執筆など。

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2013年9月29日 (日)

『ジャパンライジングさん主催勉強会』のお知らせ

下記のような会合が開かれますのでお知らせいたします。

           ◎

 

ジャパンライジングさん主催勉強会

 

 

テーマ「真の独立と國軆護持は大日本帝国憲法の復元から!」

 

日時: 1020日(日) 14時~1630

 

場所:東京都中央区佃区民会館 第一会議室(東京都中央区佃二丁目178号)

 

定員:40

 

会費:1,000

 

講師:四宮正貴(四宮政治文化研究所代表)

山岸 崇(國體維新あづさゆみ代表)

 

お申し込みはmail@japanrising.comまで。

よろしくお願い致します。

 

当日は、占領憲法が無効であること。左翼思想の塊である占領憲法は、如何に我が國を破壊してきたか。なぜ占領憲法の「改正」(96條改正)ではダメなのか。そもそも憲法とは何か、憲法典とは何か。大日本帝國憲法とはどのようなものか。大日本帝國憲法を復元すれば、どのように國政が正常化されるか。などについて、分かりやすくお話したいと思います。

 

皆様のご参加お待ちしております。

 

ジャパンライジングさんのHPはこちらです。 http://www.japanrising.com

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『現行占領憲法』の「天皇条項」について

天皇が現御神であらせられるということは、絶対無謬の全知全能の神であらせられるという事ではない。歴史的伝統性の体現者であられ、信仰共同体(祭祀国家)日本の祭祀主(神を祭る最も尊貴な方)てあられるということである。

 

近年、権力機構による天皇・皇室の政治利用、メディア報道における天皇・皇室に対する度が過ぎた報道が、天皇・皇室の尊厳性を冒瀆し、破壊しつつある。まことに以て憂えるべき事態である。

 

 

こうしたことの原因の一つは、やはり『現行占領憲法』が、歴史的連続性・伝統性の体現者、祭祀主、としての天皇の神聖性を全く無視し剥奪した上で、天皇を「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」と規定していることにあると考える。『現行憲法』の第一章「天皇条項」は、伝統的な現御神・祭祀主としての天皇および日嗣の御子の御本質・日本國體の真姿を正しく表現していない。大変畏れ多い言い方であるが、皇族の方々が政治家と官僚によって、非人間的な「操り人形」として扱われる状況は『現行占領憲法』にその原因がある。日本國體を正しく成文化した憲法を制定すべきである。そもそも大衆と同じレベルの「人間」が「国家国民統合の象徴」という地位になることは不可能である。その不可能を今まで可能にして来たのは、皇室の伝統性がまだ生きているからである。

 

 

歴史的連続性・伝統性を剥奪されたままで「象徴」などという地位になっているから、時が経つにつれて「象徴」という地位は卑俗化し、「開かれた皇室=皇室の大衆化」という言葉によって、益々尊厳性は隠蔽されるのである。

 

天皇そして皇室が国民を統合される尊貴な御存在ということは、天皇および皇室が神聖なる御存在であらねばならない。天皇そして皇太子(日嗣の御子)は、神聖なる御存在であらせられ、日本国の神聖なる祭祀主であり統治者としての御本質を回復することが最も大切である。現御神・祭祀主としての伝統的な天皇への回帰・天皇の神聖なる御本質の回復が第一である。

 

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千駄木庵日乗九月二十八日

朝、デイサービスに赴く母を見送る。

この後、在宅して、『百人一首』評釈の原稿執筆、資料の整理など。

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2013年9月28日 (土)

この頃詠みし歌

団子坂大給坂そして狸坂三つの坂の下のわが町

 

マンションは次々建てど人と人とのつながり薄き街となり行く

 

大輪の花火は一瞬に咲きて散る嵐去りゆきし熱海の空に

 

晴れ晴れと日は輝きて真青なる相模の海を照らすすがしさ

 

嵐去り満月高く空に照る東京の町は秋のすがしさ

 

嵐去りやうやく秋が来たりぬと思ひつつ仰ぐ今日の満月

 

人の命はかなくあれど とことはの光を放つ満月を仰ぐ

 

冴え返る満月仰ぎ さはやけき心となりて歌口ずさむ

 

仲秋の名月といふを仰ぎたり友と別れし後の坂道

 

父母と共に来たりし菩提寺に今日は一人で参り来にけり

 

これの世に父のゐまさぬをしみじみとさみしみてをり御墓辺に来て

 

墓石を清めて祈る彼岸会にしみじみの思ふ父ゐまさぬを

 

逝きませし父の眠れる墓に来て南無大師遍照金剛唱へまつれり

 

墓清め心やすまる彼岸の日 さはやかにしも風は吹き来る

 

根津権現祭礼の夜は友どちと古き酒房で酒酌み交はす

 

歩み行く不忍通りの夕暮に人忙しげにすれ違ひ行く

 

祭り終はりし根津の街をば歩み行き秋深み行くことのかそけさ

 

向かひのビルに日が照り返りわが部屋が明るくなりし秋の夕暮

 

秋の日がオレンジ色に街を染める夕暮時に心浮き立つ

 

急ぎ足で街歩み行き下駄の音カタコトと鳴る心地良さかな

 

秋空に気球浮かぶを眺めつつ もの思ひゐる時の静けさ

 

佳き人が注ぎくれし酒を呑みし時の胸の高鳴り今に続けり

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千駄木庵日乗九月二十七日

午前は、母のお世話。区役所より介護度認定のために職員来宅。

昼は、知人と懇談。内外の諸情勢につき意見交換。

午後からは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、『百人一首』評釈原稿執筆など。

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2013年9月27日 (金)

軍事独裁国家共産支那と『現行占領憲法』の危険性

『現行占領憲法』前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」などと書かれている。しかし、共産支那や南北朝鮮は決して、平和を愛する国でもないし国民でもない。公正と信義などと言うものは持ち合わせていない。支那・漢民族は、遊牧帝國であり遊牧民である。國境の観念は無い。どんどん領土と領海を広げて来ている。

 

そのうえ、革命政権の共産支那は『鉄砲から政権がうまれる』と言っている。共産支那は軍事独裁国家である。決して民主國家ではない。軍権を握るものが全ての権力を握る。毛沢東・鄧小平以来、「中國共産党中央軍事委員長」が最高の権力者なのだ。支那共産帝国の皇帝なのだ。しかも國家権力機関としての軍事委員會が軍権を掌握するのではない。共産党の軍事委員會なのである。共産支那軍は共産党の私兵なのだ。

 

日本でいえば、自由民主党の中に軍事委員會があり、その委員長に総裁が就任し、絶対権力を保持すると云う事である。このような國こそ軍事大國であり軍國主義國家なのである。また、南京でも上海でも、中國共産党市委員會・市政府・市公安局が一つの建物の中にある。日本でいえば、自民党東京都連と東京都庁と警視庁が同じ建物にあるということだ。これが一党独裁専制政治の実態である。このような國が反日姿勢を取り強大なる軍事力を有してわが國に相対しているのだ。そしてそのコチラ側には北朝鮮という國際テロ國家が存在している。わが國は余程の覚悟がなければ独立と安全を維持する事はできない。『現行占領憲法』は「平和憲法」では決してない。「侵略誘発憲法」である。

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千駄木庵日乗九月二十六日

午前は、母のお世話。母の介護のケアマネージャー(日本語で何と言うのか不明。何故英語が使われるのか不明)来宅。今後の介護について打ち合わせ。

午後は、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、『百人一首』評釈原稿執筆。夕刻、谷中三崎坂の酒房にて、知人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆及び資料の整理。

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2013年9月26日 (木)

わが国国民が行う民族差別糾弾運動は、支那・朝鮮に向けられるべきである。

 

今我々の運動がやるべきことは、国内の「媚中派」「媚韓派」に対する糾弾である。メディアなどに巣食う共産支那・韓国の手先のような勢力を徹底的に批判しその妄動を封じることが大切である。

 

 

 

そのためには、支那という国・支那人、韓国・朝鮮という民族に対する誤れる贖罪意識と誤れる畏敬の念を徹底的に払拭する必要がある。共産支那こそ、アジア最大最悪の侵略国家であり、軍国主義国家であり、民族差別迫害の国であるという事実、支那人は肉食人種であり道徳観念が希薄な人が多いという事実を、日本人は正しく認識すべきである。「小中華」と言われる朝鮮も同じである。ベトナム戦争における韓国軍の蛮行、北朝鮮の朝鮮戦争における蛮行を見れば火を見るよりも明らかだ。これは差別意識ではなく事実である。

 

 

 

今「レイシズム糾弾運動」とやらを行っている連中は、南北朝鮮・共産支那に対して決して抗議や反対運動を行わない。全くおかしい。わが国国民が行うべき、民族差別糾弾運動は、まず以て、支那・朝鮮に向けられるべきである。

 

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國體を破壊する日本共産党

日本共産党の「綱領」に、「(天皇制は)憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」書かれている。

 

日本共産党のみならず、これまで世界中の共産党および共産主義政治組織は、「君主制は資本主義体制の背骨である」としてこれを打倒することを目標としてきた。それは、ロシア革命においてロマノフ王朝を打倒し、皇帝一族を惨殺して以来の恐ろしき体質である。

 

日本共産党は、大正十一年(一九二二)七月十五日、ソ連の世界侵略共産化のための謀略組織であるコミンテルン日本支部として結成された組織であり、本来ソ連の手先なのである。「自主独立」などということは口が裂けても言えないのだ。

 

結党以来、「天皇制打倒」を叫んできた日共が、何故今ごろになって、「天皇制は憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」などということを言い出したのか。それは、最近急激に低下している国民の共産党への支持を回復するためであり、民主党などとの野党共闘をやりやすくするための方便である。

 

日本共産党という共産主義革命を目指す政党が「君主制」を肯定することは絶対にあり得ない。われわれは決して騙されてはならない。それは「綱領」を読めば明白だ。

 

「綱領」には、「憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」と書かれている。つまり、「天皇制は窮極的には廃止したいのだが、今は情勢が熟していないので、共産党が権力を握るまでは廃止しない」と当たり前のことを言ったまでのことである。共産党は権力を掌握したら、いわゆる「天皇制」を否定した「共産主義憲法」を制定する。

 

日本共産党は、天皇を君主と仰ぐ日本國體の破壊を目指している。それは、「綱領」の『前文』に「党は、一人の個人あるいは一つの家族が『国民統合』の象徴になるという現制度は、民主主義及び人間平等の原則と両立するものではなく…民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」と明記されていることによっても明らかである。

 

共産主義革命によって君主制が打倒された国々は、民主主義も人間平等もまったく実現していない。それどころか、独裁専制政治による差別虐待の体制になっている。

 

共産党の国会議員は、「天皇が『お言葉』を述べるのは憲法違反だ」などと言って国会の開会式に出席しない。また、政府や地方自治体の公式行事で、『国歌斉唱』が行なわれても、共産党所属の議員は決して歌わないし、起立もしない。共産党の「天皇制否定」はこれほどまでに徹底しているのだ。

 

共産党が、「天皇制を容認した」と言うのなら、共産党所属議員は今後、国会の開会式にも出席して、天皇陛下の「お言葉」を頭を深くたれて拝聴し、色々な行事において国歌斉唱が行なわれる時、起立して高らかに斉唱するべきである。しかし、共産党および共産党所属議員がそのようなことをすることはないであろう。

 

「天皇制廃止」を目指す日本共産党は、日本國體と絶対に相容れない政党であり、国民の自由と繁栄を奪う政党である。共産党は「国民が主人公の政治を実現する」などと宣伝しているが、共産主義国家とは、共産党の独裁者が主人公になり、国民は永遠に虐げられる社会であることをわれわれは正しく認識すべきである。

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千駄木庵日乗九月二十五日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、在宅して、『百人一首』評釈の原稿執筆など。

午後七時より、上野広小路亭にて『三遊亭好太郎落語会・九月のうたたね』鑑賞。三遊亭らっ好さんの落語、モロ師岡さんの背広落語、そして三遊亭好太郎さんの落語を聞く。二十歳代は、上野「鈴本」によく通ったが、寄席に来るのは本当に久しぶり。しかも、本格的に長編落語を三席も聞くのは初めてのことである。好太郎さんは、同じ町内に住んでおられ、近所の酒場・飲食店はもちろん、道でもお会いする。三遊亭好楽さんの一番弟子で、先代の円楽さんの孫弟子である。「富久」というよく小生が参拝する富岡八幡の富くじを題材にした落語が面白かった。

帰宅後も、原稿執筆。

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2013年9月25日 (水)

お知らせ『皇學祭と記念講演』

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深谷隆司氏の主張を紹介します

私の地元選出の衆院議員だった深谷隆司氏のブログを紹介します。正論だと思います。

         ○

九月二十五日 

 深谷隆司の言いたい放題第471

 「東京裁判を検証する」

 

 924日の自民党政経塾専門コースは、古屋圭司国家公安委員長兼拉致問題担当相が1時間講義、彼は自民党中央政治大学院院長をつとめ、度々私が塾長の政経塾に来てくれた。

 今度、第2次安倍内閣で初の大臣になったが、なんと私より31期後の第88代国家公安委員長であった。

 彼は今年の815日、靖国神社に参拝した。大臣としては新藤義孝総務相に続き2人目である。早速、中国や韓国から文句や嫌がらせの行動が起こったが、勇気ある参拝と私は評価している。

 

 元々、靖国神社参拝が初めて問題になったのは、昭和60年(1985年)の中曽根総理の参拝からで、この時、朝日新聞が「中国が怒っている」と報道した。実は中国が抗議したのは、後の社会党訪中団に対してで、中曽根参拝の時は、中国からの正式な抗議は無かった。何のことはない、日本の新聞が煽り立てた結果であった。

 1998年、江沢民は「歴史を武器に対日圧力を高めよ」と指導したが、国内の混乱や国民の不満をかわす戦術として、歪曲した歴史認識を盾に、対日批判を繰り返してきたのである。

 靖国問題で因縁をつけるのは、東条英機氏以下A級戦犯が合祀されているからである。しかし、彼らを戦犯と決めつけ処刑したのは誰か。

 ダグラス・マッカーサー連合国最高司令官の、日本弱体化方針の策として行った東京国際軍事裁判の結果であった。日本は「臣民一体」で戦った。しかし、「一体」では占領統治はうまくいかない。軍国主義を煽り戦争に引きずり込んだ悪者、つまり戦犯を作り、他の日本人をその被害者に仕立てる。日本人が互いに憎しみ合う構図を作ろうとした、手軽な分割統治法であった。

 

 戦勝国が敗戦国を裁く世界で初めての裁判は、ナチス・ドイツを裁いたニュールンベルグ裁判であった。ここでは米英ソでつくった「平和に対する罪」「人道に対する罪」という、かつて無かった法律で裁くのだが、日本に対してもこれを踏襲した。

 国内、国際も含めて裁きは法定罪刑主義で行われなければならない。事後法での遡及適用を認めないのは常識である。もっとも、ドイツのように人種消滅を図り600万人も殺したケースは、法以前の自然法の判断があってもおかしくない。日本の場合と全く異なっているから、これを踏襲することは明確に誤りである。

 裁判官は戦勝9か国とインド、フィリピンを加えて11人、検察側も戦勝国の息のかかった連中であった。偽証罪も無く、検証も行わないから、驚くほどのでたらめぶりで裁判は進行した。清瀬一郎弁護人は法の不遡及で法律論を展開したが、ほとんど却下された。インドのパール判事は「戦争が何時国際法上犯罪にされたのか、個人の責任はどこまで問えるのか」と全員無罪を主張し、実に1219ページにわたる判決文を書き上げたが、一瞥も与えられなかった。

 はっきり言って、今も戦争を犯罪とした国際法は無い。個別的自衛権、集団的自衛権を認め、戦争は主権国家固有の権限で犯罪とはみなしていないのである。(侵略戦争の定義は、1974年国連総会決議となったが、大戦の実に29年後であった)。

 戦争が犯罪なら、長崎広島に原爆を落とし30万人も殺したアメリカ、シベリアに575千人も送り55千人も殺したソ連にも罪を問うべきだ。

 朝鮮戦争、ベトナム戦争、イラク…、いずれも国際裁判は開かれていないのである。

 56百人と言われるBC級戦犯は、もっと酷かった。日本のみならず上海、ラバウル、マニラなどで簡単な裁判で処刑、弁護人も無く拷問も行われ、冤罪などは当たり前であった。マッカーサーがフィリピンで敗走した時、「アイ・シャル・リターン」と有名な言葉を残したが、後に責任者の本間雅晴中将を逮捕し、わずか2ヶ月も経たぬ裁判で処刑された。マッカーサーの私恨であることは言うまでもない。

 

 東京裁判が如何にいい加減であったか、世界の環境が変化し東西冷戦時代になると、戦犯は次々と釈放され、1958年には連合国通達で刑が免除された。  

 すなわち、1948年ソ連によるベルリン封鎖、1950年朝鮮戦争勃発と深刻な米ソ対立で、裁判どころではなくなったのだ。

 岸信介氏は後に総理大臣になり、重光葵氏は外務大臣になり、賀屋興宣氏は法務大臣になった。同じ戦犯でも絞首刑になった人、天下人になった人、あまりの落差に深い同情の念を禁じ得ない。

 講和条約発効後、日本国内で戦犯釈放運動が起こって4000万人もの署名が集まった。音頭をとったのは日本社会党であった。

 1953年「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が国会で採択された。前述のように連合国通達ですべての刑が免除になったのは5年後であった。

 絞首刑になった7人も国内法の「刑死」でなく「公務死」扱い、遺族年金、恩給支給対象者である。

 

 儒教の教えは報復主義だ。死者に鞭打つ大陸文化と日本の死生観は全く違う。

 「山水草木悉成仏」、日本は基本的に死者に寛容な国なのである。ましてお国の為に殉じた人を祀るのは当たり前のことで、それこそ日本の素晴らしい文化だ。

 

 バージニア州にあるアーリントン墓地には、世界の首脳が訪れ花を添え礼拝する。祖国に対して敬意を示しているのだ。靖国神社も、かつては米、仏、独、ソ連、台などの首脳が訪れていた。

 それが、今では日本人が行くのにもいちゃもんをつける始末である。内政干渉も甚だしい。

宗教観もない国だし、国内の御都合で言うのだから仕方がない。ほっとくのが一番だとこの頃思う。

 気をつけるべきは日本人そのものの不確かな判断である。何故か日本が悪かったと自虐的に考える人さえいる。

 この際、東京裁判を検証し、その誤りを認識すべきではないか。

「誇りを持って堂々と進むことこそ大事だ」と、私の講義にも思わず熱が入るのだった。

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『米国人ジャーナリストによるパネル・ディスカッション・中国社会の変化:メディア、教育、市場の役割と日米への影響』における登壇者の発言

九月四日に開かれた笹川平和財団主催『米国人ジャーナリストによるパネル・ディスカッション・中国社会の変化:メディア、教育、市場の役割と日米への影響』における登壇者の発言は次の通り。

 

Jonathan ANSFIELD氏(ニューヨーク・タイムズ紙北京支局特派員、中国語ウェブサイト「cn.nytimes.com」エディター)「この一年間、中国の指導部の動きがエキサイティングだった。薄熙来は政治局員であり、革命指導者の息子。野心的で物議をかもした政治家。妻がイギリス人ビジネスマンを殺害。薄熙来失脚は政治的失脚。彼は敵を作りすぎた。四人組裁判以来の注目を集めている。公正な裁判を受けたことにしたかった。証人も多く出た。薄熙来は一つの罪状だけを党の調査員の圧力によって認めた。薄熙来の言い分を聞いてみたいという要求を無視できなかった。水面下の権力争いに光を当てることはできない。江沢民は薄熙来の政治的パトロン。党の規律に背けば薄熙来さえ追及されるということを明らかにしたかった。法の支配強化を強調。表面上は自由を保障している憲法を推進していこうとしている。薄熙来裁判が『法の支配』にどの程度貢献したのか。以前よりはベターと言える。判決は事前に決まっている。習近平と李克強に大きな違い無し」。

 

Melissa CHAN 氏(アルジャジーラ【中東発衛星テレビ放送局】レポーター)「二〇〇七年から一二年まで中国で仕事をしてきた。あらゆる階級の人々に取材した。不満が高まっている。共通するテーマは、地方政府が不法に土地を没収すること。農村部できちんとした対価をもらわないことが多い。どんな取材をしても、不法な土地収用の話が必ず出て来る。十万人から二十万人のデモが増えている。不安定さが中国全体に広がっている。しかしデモはローカルなもの。北京の共産党の問題になっていない。『アラブの春』のようにものにはならないと思う。中国の公安部は、アラブのそれよりも洗練され高度になっている。公安部はツイッターをコントロールしている。祖国への批判と権力への批判とは違うことが中国人には分からない。国民は政府によって打ちのめされても、国への忠誠心を持っている。『国が悪いイメージになるからインタビューは受けない』と言う。中国の状況は深刻。一党独裁を打倒したいかというと必ずしもそうではない。日米は良い関係。日中は緊迫している。『便りの無いのは良い知らせ』と言うとおり、国際報道で中国と比較して日本がカバーされていないのは日本の安定を表している。四川省大地震で七万人死んだ。天命説を思い出す。天が政府に不満を抱いている。王朝が終る時に大災害がある。大自然災害があると、人々の不満が中央政府に到達するかもしれない。将来の日中関係は暗い」。

 

 

 

Gady EPSTEIN 氏(エコノミスト誌中国特派員)「中国のインターネットは管理されコントロールされている。中国は当初から容赦なくウエブサイトをブロックしたり、ソフトウエアをすぐカットしてしまう。インターネットの検閲が巧妙に行われている。体制側に有利な書き込みをすると金がもらえる。各地方政府レベルでも展開されている。中国共産党を国民の三十%が支持している。七十%が不支持。中国は破たんするという意見がある。中国政府は『時間』を買っている。中国は巨大な檻。中国のインターネットは所詮、檻の中である。原子力エネルギーは中国に存在する一大問題。どの国よりも急ピッチで原発をつくろうとしている。中国政府のやることには透明性が確保されていない。サイバー戦争は。中国人民解放軍と関連がある。中国の体制がどの程度続くは分からない。長期的には転換せざるを得ない」。

 

Isaac Stone FISH 氏(フォーリン・ポリシー誌アソシエイト・エディター)「中国は一八四〇年から一九八〇年まで鬱だった。アジアの病人だった。フランス、イギリス、日本の影響を受けた。今は歴史的にこうあるべしという時代になった。強国になって然るべしと思っている。中国はいじめられていたことを覚えている。一般市民に反日感情が強い。中国のメディアはアメリカでは全く信用されていない。中国のメディアは共産党のスポークスマン。日本の報道ソースは信用されている。中国の草の根の人々は指導者層より反日感情を持っている。共産党の存在は経済成長にかかっている。経済失速するとナショナリズムに頼る」。

 

 

千駄木庵主人曰く。民族差別は良くない。しかし、他国、他民族からの侵略行為、敵視政策に対する反撃は正当な国家民族防衛行為である。尖閣諸島を侵略せんとするなどしわが国に対する敵対行為を繰り返す支那、竹島を占拠し、東京五輪開催を妨害した韓国、わが国国民を拉致した北朝鮮に友好的になれというのが土台無理な話。韓国の「漢江の奇跡」は日本の協力のおかげ、共産支那の「四つの現代化」も日本の協力のおかげ、しかるに今、この二つの国は日本に敵対してきている。恩知らずには未来はない。必ず亡国の道を歩むであろう。

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千駄木庵日乗九月二十四日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『百人一首』評釈などの原稿を執筆。

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2013年9月24日 (火)

「剣」は武勇、そして克己の精神を象徴している

「三種の神器」は、皇霊が憑依すると信じられ、日本天皇の國家統治言い換えれば日本民族の指導精神の象徴である。天皇の日本國御統治は「三種の神器」に表象されている。「三種の神器」は皇位の「みしるし」であり、御歴代の天皇は、御即位と共にこの神器を継承されてきた。

 

「鏡(八咫鏡・やたのかがみ)」は、「澄・祭祀・明らかなること・美意識・和御魂・太陽崇拝」の精神を表象し、「剣(草薙剣、くさなぎのつるぎ)」は、「武・軍事・たけきこと・克己心・荒御魂・鉄器文化」の精神を表象し、「玉(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)」は、「和・農業・妙なること・豊かさの精神・幸御魂・海洋文化」をそれぞれ表象している。祭祀・軍事・農業を司りたまう天皇の御権能が「三種の神器」にそれぞれ表象されているのである。また、知(鏡)・仁(玉)・勇(剣)とも解釈される。

 

これらは別々の観念として傳えられているのではなく、三位一體(三つのものが本質において一つのものであること。また、三者が(心を合わせて)一體になること)の観念である。

 

「剣」は武勇、そして克己の精神を象徴している。『日本書紀』の「仲哀天皇紀」に、天皇の軍が筑紫に進軍したのを歓迎した筑紫の県主・五十迹手(いとて)が、「この十握剣(とつかのつるぎ)を堤(ひきさげ)て、天下(あめのした)を平(む)けたまへ」と奏上したと記されている。剣は天下を平らげる武力を表しているのである。つまり、武こそ真の平和を実現するのである。

 

古代日本における劔・矛・弓などの武器は、鎮魂の祭具であり神事的意味を持つ。八千矛神(多くの矛を持つ神)は武神であると共に呪術的機能を持った神であった。弓は弦を鳴らして鎮魂する。

 

「ますらをぶり=武士道」と「剣」とは一體である。剣は単なる殺傷の武器(いわゆる人斬り包丁)ではない。日本刀=剣は製作過程からして既に神道祭式の宗教儀式になっている。刀鍛冶は職人にして単なる職人ではなく、朝から斎戒沐浴して仕事(これも仕えまつるということ)にかかる。仕事場に榊を立て、しめ縄を張り巡らせて、その中で仕事をする。 剣の製作は、神の魂が籠るものを作るのであるから神事であるのは当然である。わが國においては武器が、倫理精神の象徴・神社における礼拝の対象となっているのである。「刀は忠義と名誉の象徴」「刀は武士の魂」として大切にされたのもその根源はこうした信仰にある。

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千駄木庵日乗九月二十三日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、『百人一首』評釈原稿執筆。

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2013年9月23日 (月)

『梢秋の筵―青木孝史君、りえ子さんご夫妻結婚披露』について

本日開催された『梢秋の筵―青木孝史君、りえ子さんご夫妻結婚披露』について記します。

 

会場は、私宅からタクシーで十五分もかからないところなので、タクシーで会場に向かいました。ところが、本日は、連休の真ん中の日であると共に、根津神社の祭礼で不忍通りに神輿が出ていました。さらに、お彼岸のため谷中霊園そして谷中に数多くあるお寺にタクシーや自家用車で墓参に来る人が多く、道が非常に混んでおりました。何と会場近くまで四十五分もかかってしまいました。

 

小生が会場に入った時には、すでに前衆院議員の鈴木宗男氏の祝辞が終っており、『月刊日本』発行人の南丘喜八郎氏が、烈々たる気迫の大音声で祝辞を述べておられました。

 

日本舞踊、空手演武が披露されたあと、北海道から到着した田中清元住職・僧正が、祝辞を述べられました。鈴木宗男氏も、田中清元和尚も、拓殖大学で青木氏の先輩です。今日は拓大関係の方がとても多く出席しておられました。二次会にもお誘いを受けたのですが、母の容態か安定せず、参加できなかったのが残念です。

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日本舞踊

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拓殖大学出身者による演武? 左より、鈴木宗男・田中清元・三ツ橋基代志・青木孝史の各氏。

本当に久しぶりにお会いする方々も多く、懐かしくも嬉しい会合でありました。私の隣席は、奈良の御所市から来られた古くからの同志でした。この方には、以前、大和・吉野の名所旧跡をご案内いただくなど、大変お世話になった方であります。

 

新郎の青木孝史氏は、言うまでもなく、古くからの同志であります。以前は、「墨東春秋」という雑誌を主宰しておられ、私も連載原稿を書かしていただきました。また、私と同様、東京下町出身で、上野・浅草・向島などを飲み歩いた仲です。来年還暦を迎えられるのですが、今回華燭の典を挙げられるという快挙を成し遂げられたことはまことにおめでたく、衷心よりお祝い申し上げる次第でございます。

 

小生は、恥ずかしながら、六十六歳になる今日まで、まだ一回も結婚という事をしていないのであります。還暦に近い「新郎」が誕生したことは、高齢化社会になっているわが国を象徴する出来事であり、私も「今からでも遅くはない、もうすぐ古希を迎える新郎になろう」とひそかに決意致した次第であります。「不可能を可能にする」「為せば成る」の信念でこれからの人生を邁進いたしたく存じます。ご指導ご鞭撻のほど伏してお願い申し上げます。

 

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千駄木庵日乗九月二十二日

午前は、母のお世話。

午後十二時より、パセラリゾーツ上野店にて、『梢秋の筵―青木孝史君、りえ子さんご夫妻結婚披露』開催。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事など。

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2013年9月22日 (日)

三四郎池のことなど

開会時間より早く東京大学構内に着いたので、三四郎池のたもとまで下りてみた。三四郎池は、加賀藩邸であったころからある大きな池である。

大坂夏の陣の後、この地が加賀藩邸となった。そし寛永十五年(一六三八)三代藩主・前田利常が園池を大築造し、さらに五代藩主・綱紀が補修した。当時江戸諸藩邸の庭園の中でも随一と言われたという。

 

加賀藩は豊臣秀吉の盟友であった前田利家が藩祖である。利家は豊臣政権下で五大老の一人であり、徳川家康とは同格である。秀吉の死後、天下を取ろうとした家康を牽制しつづけたが、病死してしまった。もしも、利家が長命であったら、家康の天下取りは困難であったかもしれない。

 

徳川幕藩体制下にあって、百二十万石の大大名として加賀の地を領した。利家の官位は権大納言であり、利常・綱紀は権中納言であった。利常は隠居した後、小松に住したので「小松黄門」と呼ばれた。「黄門様」(中納言の別名)は水戸光圀だけではなかったのである。

 

扨、「三四郎池」の正式名称は「舊加賀藩上屋敷育徳園心字池」という。池の形が「心」という字を象っているからだという。しかし夏目漱石の小説「三四郎」に登場してから「三四郎池」と呼ばれることが多くなっている。

 

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近くに濱尾新(はまお あらた、嘉永二年―大正十四年)の銅像があった。子爵。文部大臣、内大臣、貴族院議員、東宮御学問所・東宮大夫副総裁、枢密院議長、帝国大学第三代総長を歴任。東宮御学問所副総裁として、昭和天皇の御教育に当たった。

昭和の御世、東宮侍従を務め、浩宮徳仁親王(皇太子殿下)の御教育に当った濱尾実氏は新氏の孫である。

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千駄木庵日乗九月二十一日

朝、デイサービスに赴く母を見送る。

この後、『政治文化情報』発送作業完了。購読者の皆様には連休明けにお届けできると思います。

午後一時半より、本郷の東京大学構内にある山上会館にて、『アジア太平洋交流学会例会』開催。久保田信之会長が挨拶。長島昭久衆院議員が「中国の台頭と日米中の三国志」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。長島氏は民主党所属であるが、安保国防に関して識見豊かにして、実にまともな考え方を持っている方でる。内容については後日報告します。

帰宅後は、資料の整理など。

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2013年9月21日 (土)

三島由紀夫氏は、偉大なる預言者であった

會田雄次氏は、「預言者とは、民族・共同体の危機を普通の人々よりもはるかに早く直感する人である。他人に見えないものが見え、聞こえないものが聞こえる人である。」(預言者サヴォナローラとその運命)と言った。

昭和四十五年十一月二十五日の市ヶ谷台上の義挙の際の『檄文』には「見た」といふ言葉が繰り返されてゐる。三島氏の「見た」とは単に視覚的な意味ではない。死を覚悟した目で普通の人には見ることのできないものを見たといふことである。

「戰後の日本が、經濟的繁榮にうつつを抜かし、本を正さずして末に走り、その場しのぎと僞善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。…敗戰の汚辱は拂拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と傳統を瀆してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかった。…自衛隊は違憲であることは明白であり、國の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釋によってごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廢の根本原因をなして來るのを見た。」

普通人が見ることのできなかったことを見た三島由紀夫氏は、偉大なる預言者であり、『檄文』は預言の書であった。死を覚悟した人ほど鋭い洞察力を発揮できるやうになり、世の中がよく見えるやうになる。これを「末期の目」と言ふ。逆にいへば、世の中が見えるやうになったから死を覚悟するともいへる。死を覚悟した人でなければ見ることのできないものを、三島氏は見続けてゐたのである。

さらに三島氏は自決直前の文章で、「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまふのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代はりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、抜け目がない、或る經濟的大國が極東の一角に殘るのであらう。」(私の中の二十五年・昭和四十五年七月七日発表)と述べてをられる。

これも會田氏のいふ「民族・共同体の危機を普通の人々よりもはるかに早く直感」した文章であり、三島氏の自決以来三十三年を経過した今日の日本を預言してゐる文章である。今日の日本は昭和四十五年当時よりもさらにひどい偽善の世となり、ますます欺瞞的な戰後民主主義・平和主義がはびこり、病状は瀕死の状態となってゐる。

そして、経済大國の地位すら危うくなり、國民は疲弊している。日本は抜け目なく生きることすらできなくなっている。 つまり、歴史と傳統の國日本だけでなく、経済大國・偽善の國日本すら消えてなくなってしまうかもしれないのだ。偽善の國日本は消えてなくなるのはともかく、天皇国日本は絶対に護りぬかねばならない。

私たちは、三島氏がのこされた言葉と行動を今一度深く学び、歴史と傳統の國日本の再生のために戰後及び現代の偽善と戰はねばならないと思ふ。

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千駄木庵日乗九月二十日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。

午後は、北区にある菩提寺に参詣。ご先祖のお墓を掃苔。花と線香を供え、感謝の祈りを捧げる。

この後、銀座のトレランス銀座ビルにて開催中の『不肖・宮嶋写真展』参観。東日本大震災、中東などで撮影された写真を見る。会場で宮嶋茂樹氏と懇談。今日展示されていた写真も、命がけで撮影したと思われるものが何枚もあった。大した人である。宮嶋氏とは、昭和の御代、福井市において雷鳴塾主催の今は亡き赤尾敏先生の講演会が開催された時に、初めてお会いした。宮嶋氏は、赤尾先生の写真集を出すために、赤尾先生に随行して来ておられた。私はその講演会で司会を務めさせていただいた。懐かしい思い出である。

帰宅後は、資料の整理など。

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2013年9月20日 (金)

総理大臣の靖國神社公式参拝について

理論やイデオロギーや教義でこの世の中をどうとかするという時代は闘争の時代であった。これからは自然を大切なものとし、先祖を尊ぶ生活を根幹とする祭祀宗教によってこそ、困難と行き詰まりの打開が行われるのではないか。また、個人としての人間が孤立と絶望に追い込まれている時代を是正するためには、共同體の宗教としての祭祀宗教としての神社神道・神道祭祀・日本傳統信仰が大きな役割を果たす。

 

その第一歩となるのが総理の靖國神社公式参拝である。國のために命を捧げた人々の御靈に対して政府の長が慰靈の誠を捧げるのはまさに道義の基本であり、孤立と絶望、闘争と破壊を除去する大きな手立てとなると考える。

 

日本國の祭祀主たる天皇陛下が、が靖國神社に行幸されることができない状態が長く続いている。総理大臣の公式参拝はそういった状態を是正し祭祀國家日本の真姿回復のためにも大切である。

 

靖國神社総理公式参拝を妨げる一切の事象を徹底的に祓い清めねばならない。國家も國民も現に今生きている者たちのみによって成り立っているわけではない。悠久の昔のわが國建國以来、この國に生まれこの國に生きこの國に死んでいった人々の御靈、とりわけ國のために命を捧げた尊い英靈たちの御蔭によって今日のわが國そしてわが國民の存在があることを忘却してはならない。

 

「今日の國家と國民は、現在生きている人だけで成り立っているのではなく、國難に殉じて亡くなった尊い犠牲によって築かれたのだ」という感謝と報恩の念を忘却してしまったところに、今日のわが國の道義の頽廃がある。

 

 現代日本の危機は単に制度・機構の問題から来ているのではない。むしろ、精神的な堕落と道義の頽廃がその根本原因である。こういう心を喪失した政治家・マスコミ・文化人・宗教家がわが祖國を滅ぼすのである。

 

 靖國神社に内閣総理大臣が公式に参拝し、英靈を慰靈し、感謝報恩の誠を捧げることが、今後のわが國の平和のみならず、東洋平和・世界平和の基礎である。

 

したがって、靖國神社総理公式参拝・靖國神社國家奉護実現を妨げる一切の事象、勢力、法律などはこれを徹底的に祓い清めねばならないのである。

安倍晋三内閣総理大臣の決断と実行を切に祈る。

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千駄木庵日乗九月十九日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。

午後は、『百人一首』評釈原稿執筆。

午後六時より、半蔵門の飲食店にて、ある大学の教授、ある雑誌の編集長と懇談。

帰途、空を見上げると、中秋の名月が煌々と輝いている。

帰宅後も、原稿執筆。

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2013年9月19日 (木)

英靈は今日唯今もわが祖國を守って下さっている

 我々日本人が「A級戦犯」という呼称を使うことは絶対にやめるべきである。「A級戰犯」といわれる人々は、人類の貴重な法文化たる法原則=「罪刑法定主義」の原則に全く反して被告を断罪した「東京國際軍事裁判」、つまり、裁判とは名ばかりの非常の野蛮で公平性を全く喪失した戰勝國による一方的な復讐劇=リンチの場において、「有罪」と断罪され、「絞首刑」に処せられた人々である。

 

 「平和と人道に対する罪=侵略戰争遂行の犯罪」「共同謀議の罪」を新たに作り、勝者が敗者を問答無用的に断罪した「東京國際軍事裁判」は、“法の真理”に照らして完全に間違ったものであった。

 

 戰勝國は、「戰争は非人道的な行為だ」と主張しながら、「軍事裁判」の「法廷」では、かつてのわが國の指導者を罵倒し、拘置所に収容した「被告」たちには、それこそ非人道的な処遇を強要した。それはあまりにも残虐にして一方的な処遇であった。そして「絞首刑」という名の非人道的なリンチ虐殺が行われたのである。

 

 戰勝國は、復讐のためにいわゆる「戰争犯罪人」を捕らえ「裁判」にかけたのである。戰勝國による復讐の軍事裁判は、見せしめのための裁判であった。そして、わが國に侵略國家の汚名を着せそれを全世界に宣傳したのである。

 

 「A級戰犯は戰争責任者だから靖國神社に祭られてはならない」とか「A級戰犯が祭られている靖國神社に総理大臣が参拝するのは侵略戰争を讃美することになる」などという議論は、戰勝國が行った法律なき「軍事裁判」即ち非人道的にして残虐無比な復讐を肯定することとなる。

 

 「A級戰犯」という呼称はあくまでも戰勝國側の呼称であって、わが日本においては「昭和殉難者」と称するべきである。昭和殉難者は、まさに英靈であり戦没者である。だから、靖國神社においては「昭和殉難者」「戰死者」として祭られているのである。 

 靖國神社に祭られている英靈は、國のために命を捧げられたばかりでなく今日唯今もわが祖國をお護り下さっているのである。

 それは、皇后陛下が「終戰記念日」と題されて、

 

「海陸(うみくが)のいづへを知らず姿なきあまたの御靈國護るらむ」

 

 と、詠ませられている御歌を拝しても明らかである。

 

また、沖縄戦で自決された牛島満陸軍中将は、

 

 

「矢弾盡き天地染めて散るとても魂がへり魂がへりつゝ皇國(みくに)護らむ」

 

 という歌を遺された。

 

 わが國及びわが國民は、靖國神社そして各県の護國神社に鎮まりまします護國の英靈によってお護りいただいている。であるが故に内閣総理大臣をはじめ全國民は、靖國の英靈に対して感謝・報恩・顕彰の誠を捧げるのは当然である。共産支那や韓國の圧迫に屈してこれを怠るなどということは絶対にあってはならない。

 

國のために命を捧げた英靈をお祀りする靖國神社に内閣総理大臣が公式参拝すること、各県の護國神社に県知事が玉串奉奠することを「憲法違反だ」「近隣諸國との関係を悪化させる」などと決めつける法匪、亡國マスコミは許しがたい。

 

國のために身命を捧げた人々の御靈を共同體信仰である神道祭式でお祭りする靖國神社を、國が奉護し、政府の長たる内閣総理大臣が公式に参拝するのは当然のことである。

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千駄木庵日乗九月十八日

午前は、母のお世話。

午後三時より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備など。

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2013年9月18日 (水)

MOA美術館参観記

今日参観したMOA美術館は、「創立者である岡田茂吉(18821955)は、東洋美術の優品の蒐集に努め、海外への流出を防ぐため、1952年に財団法人東明美術保存会(現:公益財団法人 岡田茂吉美術文化財団)を設立しました。同時に、『美術品は決して独占すべきものではなく、一人でも多くの人に見せ、娯(たの)しませ人間の品性を向上させる事こそ、文化の発展に大いに寄与する』という信念のもと、神奈川県箱根町強羅に箱根美術館を開館しました。その30年後には、創立者の『熱海にも世界的な美術館を建設し、日本の優れた伝統文化を世界の人々に紹介したい』との願いを継承し、1982年にMOA美術館を開館しました。その成り立ちは、昭和32年にまず、熱海市に熱海美術館を開き、昭和57年の創立者生誕百年の年に、現在の美術館を開館、「Mokichi Okada Association」の頭文字を冠するMOA美術館と改め、財団の中心拠点として、美術品の展観をはじめ、いけばな、茶の湯、芸能、児童の創作活動などを通して、幅広い文化活動を展開しています」(案内書)という美術館である。

 

 

熱海市の山の上の方にあり、入り口からエスカレーターを三回ほど乗りついで上がっていくと、メインロビーがある。そこの前庭からは、相模灘そして初島や伊豆大島が一望できる。台風一過の秋晴れで素晴らしい眺めであった。

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美術館内に入ると、まず「黄金の茶室」というのがある。大阪城内に豊臣秀吉が造った茶室を、設計図に基づいて再現したものという。奥野床の間に豊臣秀頼が七歳の時に書いたという「豊国大明神」と書かれて掛軸があった。この茶室も、秀頼も、德川家康によって滅ぼされたかと思うと、何かあはれを感じさせる。

 

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さらに江戸時代中期の画家・尾形光琳の「国宝・紅白梅図屏風」(こうはくばいずびょうぶ)が展示されている。水流と紅梅・白梅が二曲一双の左右隻美しく描かれている。尾形光琳「琳派」と呼ばれる装飾的大画面を得意とした画派を生み出した始祖である。琳派の絵画は、一言で言えば、絢爛たる色彩美と画面の大きさがその特徴と思う。わび・さびの文化とか、枯山水の庭園とか、水墨画とは全く異なった美である。これもまた日本伝統美の一つの流れである。

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『所蔵企画展 茶の湯の道具』を観る。この企画展は「茶の湯は、季節のうつろいに心を寄せる日本人独特の文化として、様々な変遷をたどりつつ今日まで伝わり、親しまれています。茶席では、様々な用途、形、素材の道具が使われ、鑑賞の対象となりました。また、茶人達の好みに合わせて創造され、見出された茶道具もあります。時代とともに多くの先人達の美意識によって洗練されてきた茶道具の魅力をご堪能下さい」(案内書)との趣旨で開かれた。

 

本展では、わび茶の大成者・千利休の理想にもとづき長次郎が生み出した「黒楽茶碗 銘あやめ」や、綺麗さびを極めた小堀遠州が見出した中興名物「瀬戸肩衝茶入 渋紙手 銘 山桜」など当館所蔵の茶道具約100点を展観致します。「黒楽茶碗 銘あやめ 長次郎(桃山時代)重文 無準師範墨跡「帰雲」二大字」(中国 南宋時代 13世紀)などを観る。長次郎の楽茶碗は、千利休の理想に基づいたもので、最も日本的特質をもつやきものの一つである。この「あやめ」は、長次郎の名品として知られるもので、総体にかけた黒楽の釉薬が黒褐色にかせ、極めて侘びた風情を見せている。こういう作品を理想として利休が豪華絢爛たる『黄金の茶室』を作った秀吉と対立するのは当然と言える。

 

続いて『人間国宝三人展 ―佐々木苑子・室瀬和美・藤沼昇―』参観。この展覧会は、「わが国の伝統工芸界を代表する重要無形文化財保持者(人間国宝)3名の作品約30点の展観を通して、その極められた美に迫ります。「紬織」の佐々木苑子氏、「蒔絵」の室瀬和美氏、「竹工芸」の藤沼昇氏による、伝統を踏まえた確かな技術と芸術性に裏付けられた優品の数々をご鑑賞いただけます。このまたとない機会に、現代日本工芸の魅力を是非ご堪能下さい」(案内書)との趣旨で開かれた。「紬織絵絣着物・久方の空」佐々木苑子、「蒔絵丸筥・百華」室瀬和美、「束編花籃・精」藤沼 昇などを観る。

このほか、多くの展示品を見たが、特に印象に残ったのは、

「聖観音菩薩立像」(しょうかんのんぼさつりゅうぞう・奈良時代・重文)「阿弥陀如来立像」(あみだにょらいりゅうぞう・重文)一休宗純墨跡 一行書 いっきゅうそうじゅんぼくせき」「岡田茂吉書 旭日昇天」などであった。

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この後、庭園を散策。茶室で抹茶とお菓子をいただく。また、レストランで、自然農法で作られたカツサンドを食す。なかなか美味。MOA美術館参観は今回で三度目である。私立の美術館としてはまことに大規模であり、収蔵している作品も藝術的価値の高いものが多い。この美術館を参観すると心がすっきりする。

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千駄木庵日乗九月十七日

朝、荒井清壽弁護士が講話。討論。

終了後、小生は、桃山町のМOA美術館参観。

新幹線で帰京。

母は介護の方々のお世話で元気であったの安心する。

帰宅後は、明日のスピーチの準備、『政治文化情報』発送準備など。

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千駄木庵日乗九月十六日

午前は、母のお世話。

午後、東海道線で熱海に向かう。次第に晴れてきて、彼方に青空が見える。

午後四時より、熱海氏東海岸町の古屋旅館にて、『日本を糺す会』開催。荒井清壽氏が主催者挨拶、小生が謝辞を述べ、全員で討論。

午後八時より、海岸で、打ち上げられる花火を鑑賞。

この後、各分科会が開催された。

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2013年9月16日 (月)

レザ・ナザルアハリ駐日イラン・イスラム共和国特命全権大使の講演内容

八月二十九日に行われた『笹川平和財団主催・駐日イラン・イスラム共和国特命全権大使講演会』におけるレザ・ナザルアハリ駐日イラン・イスラム共和国特命全権大使の講演内容は次の通り。

 

「日本とイランの両国は古代から関係があった。シルクロードを通じて通商関係があった。一八七三年に、イラン国王ナザルデンシャ―は、薩摩藩の駐仏大使に会った。その七年後に、テヘランに日本代表部設置。一九二六年にイラン通商部を日本に設置。貿易が拡大。出光石油が一九五〇年に交渉。日本とイランの貿易は、石油危機の後に画期的に拡大。しかし最近は対イラン制裁により通商量が後退している。

 

イランの原子力活動は医療などの平和利用に限られている。核実験禁止条約に忠実。IAEA厳密な監視下にある。欧米諸国は未証明なソースに基づく判断をしている。米上下両院が一方的にイランへの制裁をした。制裁の結果、イランの対日本石油輸出が落ち込んでいる。二〇一三年上期の日本の対イラン輸出が三%減になっている。中国がそれに代っている。

 

ロウハーニー第十一期大統領に期待感が高まっている。六月十四日、七十%の票を獲得。スコットランドのグラスゴー大学で法学を学ぶ。われわれの目指すのは国際社会での相互信頼・相互利益を得ること。ザリフ氏を外相に抜擢。核交渉を行う可能性が高い。アメリカとの将来の対話に悲観的ではない。アメリカが相互尊重の立場をとるのなら関わる。イランの国内問題に干渉せず、一方的いじめをしないようにアメリ

カに求めた。

 

日本とイランとの関係はアメリカの影響を受ける。日本とイランは大量破壊兵器の被害国。二百年間、イランから戦争を仕掛けたことはない。七千三百万のイランはうまみのある市場。イランと日本との関係は強化される可能性が高い。イラ

ン新政権は六カ国との新たな交渉を始める。

 

イランはシリアには何らかの改革が必要との立場をとっている。同時に、外国が干渉のはどうか。対話によってシリアの改革を促す。米英のシリア攻撃は火に油を注ぐだけ。イランは一方的行動には反対。軍事行動はこの問題の解決にはならない。イランはイラクとの戦いで化学兵器の犠牲者が続出した。充分な時間を国際的査察官に与えるべし。

 

我々はアフガンにおいてアメリカに協力したが感謝されなかった。アメリカから『イランは悪の枢軸国』と言われた。アフガンの道路の五十%はイランが作った。四百万人以上アフガン難民を受け入れた。アフガンはケシの生産量が世界一位。アフガンのセキュリティを大事にすべし。

 

日本とイランは緊密な関係を保ってきた。日本が何らかの役割を果たすことを期待する。日本政府関係者がイランの原子力施設の安全性を確認してくれればよい。イランとアメリカの直接対話はあり得る。東日本大震災では、当時の駐日イラン大使が救援活動を行った。イラン国民も同情の念を持った」。

 

 

鈴木均氏(日本貿易振興機構アジア経済研究所地域研究センター上席主任調査研究員)ハサン・ロウハーニー大統領の当選は驚き。イランの復元力を見せつけた。現体制の危機の可能性は遠のいた。しかし厳しい経済制裁下にある。国際的包囲網を和らげることができるかどうかにかかっている」。

 

 

 

 

 

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千駄木庵日乗九月十五日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、原稿執筆、『政治文化情報』発送準備、書状執筆など。

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2013年9月15日 (日)

天皇・皇室の尊厳性と『開かれた皇室論』とは矛盾する。菅義偉官房長官を厳しく監視せよ!

 菅義偉官房長官は13日の記者会見で、宮内庁が高円宮妃久子さまの国際オリンピック委員会(IOC)総会への出席経緯を精査する方針を示したことについて「宮内庁を所管する大臣として、『開かれた皇室』を実現する観点から内部で考え方を整理してほしい」と注文をつけた。

 

 「開かれた皇室」などということを何時頃誰が言い出したか知らないが、これは、天皇の及び皇室の尊厳性を破壊することを目的とした巧妙なる策謀である。「開かれた皇室」とは、「皇室は神秘のベールに包まれるべきではない」「皇室の関する公私にわたる情報は全て公開せよ」「皇室は國民ともっと自由に接触せよ」ということなのだろう。さらに今回の菅官房長官の発言を見ると「外交や国際的交流などに政府の方針に従って関与せよ」ということなのだろう。

 

 何日か前にも書いたが、最近、政治家・権力者の皇室軽視・皇室冒瀆・皇室の政治利用の言動が頻繁に起ってゐる根本原因は、「日本国憲法の制度は、国民→国会→内閣→天皇という序列で構成されている」などといふ憲法解釈が可能なところにある。「主権者国民の代表であり国権の最高機関を構成する国会議員は、天皇陛下よりも上に地位にある」といふ考へ方が無意識的に政治家たちに植え付けられてゐるのである。だから「天皇は政府・国会の意思どおりに動かれるべきだ」といふ不逞思想を平然と語る小沢一郎のやうな政治家が現れるのである。また、皇族に対し奉り不敬極まりない言動を吐く中井洽のやうな政治家が現れるのである。そして、五輪招致に皇族を利用する政府閣僚が出現するのである。さらに言へば、天皇・皇后両陛下にご臨席を仰いだ式典に、衆参両院議員の半数が欠席するといふ非礼極まりない事態が発生するのである。

 

日本国民の道義精神・倫理感の基本は「尊皇精神」であり「神聖君主日本天皇へのかしこみの心」である。ところが今日、国民全般に尊皇精神が希薄となり、皇室を蔑ろにする政治家・官僚が増えてゐる。政治家・官僚に不祥事が相次ぐ根本的原因、そして現代日本の政治・行政・司法の腐敗・堕落・横暴の根本的原因は、政治家・官僚の尊皇精神の希薄化にある。

 

「国会は国権の最高機関」であり、「天皇の御地位」は、主権の存する国民の総意に基くのであるから、国民の代表者である衆参両院議員は最高権力者であり、天皇は、衆参両院議員よりも「下の地位」にあるといふことになる。そして、衆参両院議員及び衆参両院議員によって選出され信任されてゐる内閣は、天皇よりも「上」の存在だといふ悪逆思想が、意識するにせよしないにせよ、衆参両院議員に植えつけられる。国会議員に「国権の最高機関の一員であり主権の存する国民に選ばれた国会議員は最高権力者だ。天皇は象徴にすぎない」などといふ意識が生まれ、皇室尊崇の念を喪失する原因である。そして、政治家は「かしこみの心」を無くし好き勝手なことするのである。

 

日本國民は古来、信仰共同体・祭祀國家日本の祭祀主であられる天皇を神聖なる御存在と仰いできた。これを現御神信仰という。そしてこの信仰は、日本伝統信仰の中核である。「神秘のベール」を取り除くということは、天皇の祭祀主としての神聖なる御本質を否定することになる。天皇の神聖性の保持と「開かれた皇室論」とは絶対的に矛盾する。

 

 天皇は本来「無私」の御存在であられる。そして日本国の神聖なる君主であられる。天皇及び皇室の「私の部分」を公開することなどする必要は毛筋の横幅ほどもないのである。具体的に言えば、天皇皇后両陛下・皇太子殿下の御所や皇族方の御殿などの建築計画そしてその規模や間取りなどを公開することは絶対にするべきではない。まして況や、皇室財産の公開などは以ての外であるし、皇室に対し奉り相続税を課するなどということは政府自らが天皇及び皇室の尊厳性を冒瀆する悪逆不逞行為である。

 

尊皇精神・勤皇精神が希薄になればなるほど、日本國民の道義心・倫理感が希薄になる。なぜなら、天皇は、日本國民の道義感・倫理感の鏡であるからである。皇室への尊崇の念の希薄化と今日の日本國民の道義心の低下とは相関関係にあると考える。

 

 ともかく、日本民族が尊皇精神を喪失した時、日本國は崩壊の危機に瀕する。亡國勢力による天皇及び皇室の尊厳性の冒瀆とりわけ政治権力・政治家による皇室の政治利用を根絶しなければならない。菅義偉官房長官を厳しく監視しなければならない。

 

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千駄木庵日乗九月十四日

朝、デイサービスに赴く母を見送る。

この後、在宅して、百人一首』評釈原稿執筆・書状執筆など。

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2013年9月14日 (土)

白山神社に参拝して

今日、参拝させていただいた白山神社は、文京区に鎮座する神社の中でも、根津神社・湯島天神と並んで創建が古い神社である。しかるに小生は今日初めて参拝させていただいた。白山の町の中に溶け込んだ古い神社という雰囲気であった。

 

 

 

御祭神は、菊理姫命、伊弉諾命、伊弉冊命。創建は、天暦年間(九四七~九五七)に加賀一宮白山神社を本郷元町(現在の本郷一丁目)の地に勧請したと伝えられる。後に元和年間)将軍秀忠の命で白山御殿(現在の小石川植物園内)に遷座、明暦元年(1655)現在地に再度遷座したという。五代将軍・德川綱吉と生母桂昌院の厚い帰依を受けた。

 

 

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境内掲示板には次のように記されている。

 

「当社人皇六十二代村上天皇天暦2年(9489月加賀一宮白山神社を武蔵国豊島郡元国木と号して今の本郷元町に奉勧請す。

 

 建武4年(1338)足利尊氏により国家平安御祈願所に命ぜられ永百貫文之御判物を賜る。元和2年(1616)徳川秀忠公の命に依り小石川白山御殿(巣鴨原)へ遷座、慶安4年(1651)徳川家綱公の用地と相成り、明暦元年(1655)現在地に移奉す。同年社頭其外造立に相成り、後に五代将軍家綱公之生母桂昌院の信仰を受けらる。元禄年中までは本社摂社寄附神楽宝庫は勿論神官宅まで、旧幕府より修繕を加えられる。寛文6年(1677929日祭礼賑々しく執行いたすべき旨申し渡され、御開帳並びに祭具等寄附あり。

 

 元禄3年(1690)正月29日旧幕府より社領30石寄附之あり。右朱印元禄6年(1693929日戸田能登守相渡さる。元禄16年(17031129日小石川辺より出火、本社摂社末社宝庫並びに祭具のこらず社中惣門まで悉く類焼し、宝永元年(1704614日加藤越中守掛にて仮殿手当として金500両桧5000挺寄附あり。再建せられたるも享保3年(17193月回禄の時再び火災にあい宝物什器祭具等悉く焼失す。後数十年間本殿のみ建立しありしに明治32年拝殿建設、昭和8年改修し同9918日盛大に正遷座大祭施行す。

 

なお白山御殿の地名は元白山社地なるが故であり、小石川の地名は始め加賀国石川郡より奉勧請当社鎮座の旧地に倣へるが故なり。

 

 当社は明治元年勅祭神社に準じられ(準勅祭神社)、東京十社の一つである」。

 

 

 

 

 

驚いたのは、孫文の肖像が刻まれた碑(「孫文先生座石の碑」)があったことである。白山神社総代、各町会有志によって建立されたという。碑文には次のように記されてあった。

 


「明治43年(19105月中旬、神社近くに住む盟友、宮崎滔天宅に寄遇していた孫文は滔天と共に、白山神社の境内の石に腰掛け、中国の将来と革命について語り合った。そのとき、夜空に光芝を放つ、一条の流星をみた。このとき、祖国の革命を心に誓った。そして、清朝を倒した辛亥革命の最高指導者となり、中国国民党の創設者になった。孫文が流星を見て、清朝を打倒し、新中国建設を誓った場所を後世に残そうと、白山神社の清水宮司を中心に町会有志が、この記念碑を建立した。
孫文と滔天が見た、一条の光芝を放つ流星は、ハレー聾星ではないかと思われる。ハレー彗星が太陽に最も近づいたのは、明治43年(1910420日であった。中国や日本では、むかし、この星を妖星と呼び、変事が起こるきざしと考えられていた。」

 

 

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白山という地名は、この神社が鎮座してゐることに由来するし、小石川という地名も、白山神社が加賀国石川郡の白山神社本社より勧請されたことによるということである。加賀藩邸もこの近くにあり、現在東京大学となっている。しかし、この白山神社と加賀藩との関わりはなにも記されていなかった。宮崎滔天がこの神社に近くに住んでいたということも全く知らなかった。

 

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千駄木庵日乗九月十三日

午前は、母のお世話。

『政治文化情報』原稿脱稿・印刷所に送付。

午後は、「百人一首」評釈原稿執筆。

夕刻、白山の白山神社参拝。この後、地元の先輩と懇談。小生の小学校の同級生にして初恋の人の兄上。その同級生は、数年前に亡くなった。

帰宅後は、原稿執筆。

今日は十三日の金曜日にして仏滅だったが、別に何も異変は起こらなかった。

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2013年9月13日 (金)

この頃詠みし歌

 

固き言葉でものを語るを厭ふれど致し方なき今日の論戦

 

み佛の慈悲の尊顔を携帯の待ち受け画面にして喜べり

 

わが胸に佛がおはす思ひにて歩み行くなりこの天地(あめつち)

 

天地(あめつち)に一人生き行く思ひにて歩める足は頼もしきかな

 

何色が好きかと問はれ青色と答へてうれしこの晴れた日に

 

暑き厳しき真昼間の道歩み行き郵便局にたどり着きたり

 

繁り合ふ樹木の狭間を進み行き小さき観音に手を合はせたり

 

わが父と同年齢の歌人(うたびと)のいくさの日々の歌讀みがたし

 

懐かしき友どちの声が受話器より聞こえ来たれば長話する

 

炎天下空地に大きく育ちたる名も知らぬ草の力強さよ

 

みっともない顔はさらすな ニコライの鐘鳴り出づる神田駿河台

 

日日(にちにち)を原稿を書き過ごすなる我に有難きパソコン一台

 

筆握り歌詠まむとする夜の更けに狂気のきざす如き心地す

 

小さき犬が椅子に横たはり我を見る愛らしき眼は生きてゐる証拠

 

生き物を愛する心あればこそ飼ふことを恐れる我にしありけり

 

今日のつとめ終へて真向かふテーブルで日記書きゐる静かなる時

 

三波春夫の「五輪音頭」の明るさを思ひ出しつつ喜びてゐる

 

日本を覆ひたる黒雲撃ち祓ふ東京五輪決定のニュース

 

隣国の仇なす行為ものともせず進み行くべし大日の本は

 

再びも東京五輪が開かれる日本はさらに飛躍し行かむ

 

自信に満ちし総理の笑顔に安堵してニュース見てゐる我にしありけり

 

人麿が死者鎮魂の歌を詠みし遥か瀬戸内の佐美島を思ふ

 

瀬戸大橋の下なる島は歌の聖(ひじり)が死者鎮魂の歌詠みしところ

 

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千駄木庵日乗九月十二日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

千駄木にある「高齢者あんしん相談センター駒込」に赴き、母の『要介護・要支援認定』の更新申請書類提出。係りの人に色々相談。

帰宅後も、原稿執筆。

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2013年9月12日 (木)

継体天皇のご即位は決して新王朝の成立ではない

 

何とかして日本皇室の萬世一系・皇統連綿の伝統を否定したい反日歴史学者は、いろいろ想像を逞しくして、わが国古代に王朝の交替があったと主張する。そして葛城王朝・三輪王朝・河内王朝などという「王朝」なるものを設定している。

 

しかし、葛城氏や蘇我氏の権勢が強かったとしても、それは天皇の権威を背景としたものであった。

 

皇統の断絶が案じられた武烈天皇崩御の時も、大伴氏や物部氏という大臣・大連は、大きな権勢を持っていたのであるから、自ら王位を狙い新たな王朝を立てることはできたにもかかわらず、応神天皇五世の御子孫男大迹尊(おおどののみこと)をお迎えして天皇の御位について頂いた。この事実は、当時すでに萬世一系皇統連綿の道統が継承され続けたことを証ししている。

 

また、武烈天皇の無道な所行があったにもかかわらず、大和朝廷の打倒すなわち革命という事態にならず、皇統に属する方を求めて、皇位をお継ぎ頂いたことは、萬世一系・皇統連綿の道統がゆるがなかったことを証ししている。

 

支那では、天子は有徳の君子が天命を受けてなるものであり、いったん徳を失えば直ちにその位を他に譲らなければならなかったが、わが国では少しもそのようなことはなく、やはりどこまでも皇統に属する方に皇位を継承していただいたのである。それは古代から今日にいたるまでのわが國の揺るぎない道統である。

 

継体天皇が、二十年間大和にはお入りにならなかったことをとらえて、「継体天皇は皇位簒奪者であったので即位に反対する勢力を恐れてのことだ」という推測がある。しかし、大和朝廷の統治範囲はすでに大和盆地だけではなくなっていたのだから、大和盆地の中だけに宮殿が造営されるという必然性はない。

 

継体天皇の皇后は、手白香皇女(たしらかのひめみこ)である。手白香皇女は第二十四代仁賢天皇の皇女であり、母君は第二十一代雄略天皇の皇女・春日大娘皇女である。つまり、継体天皇は、仁賢天皇の皇女であり雄略天皇の皇孫女であられる方を皇后とされたのである。

 

そして、継体天皇と手白香皇女の間にお生まれになった方が、第二十九代・欽明天皇であられ、その御子孫が永く皇位を継承されるのである。

 

「継体」という諡号(しごう・貴人、僧侶の死後、その人の生前の行いをほめたたえておくる名。おくり名)の意味は、「天子の位を継承する。後継ぎ。継嗣」である。そして皇太子のことを「継体の君」という。支那の古典『史記』には「継体とは創業の王に非ず、是の嫡子先帝の正體を継ぎて立つ者を謂ふなり」と明解に示されている。「継体」とは、皇統及び先帝の正しい統治を継承するという意味である。継体天皇のご即位は決して新王朝の成立ではない。

 

資料の乏しい時代の歴史研究は、どうしても研究者の自分勝手なあるいは特定の意図に基づいた推測が叙述を支配する傾向が強い。これは危険である。

 

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千駄木庵日乗九月十一日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、柿本人麻呂の挽歌を講義。

帰途、出席者と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

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2013年9月11日 (水)

支那のことを支那と呼んで何が悪い

支那のことを支那と呼んで何が悪い

 

 渡辺はま子という歌手がおられた。戦前においては、『支那の夜』『蘇州夜曲』『愛国の花』、戦後においては『サンフランシスコのチャイナタウン』『ああモンテンルパの夜は更けて』というヒット曲を飛ばした大歌手である。戦前は支那大陸の戦地の慰問、戦後はフィリッピンのモンテンルパに収容されていた日本人戦犯者の釈放運動に挺身した文字通り<愛国の花>である。

 

ところが渡辺はま子女史の最大のヒット曲『支那の夜』はテレビなどで歌うことはできなかった。「支那という呼称は蔑称であり『中国』といわなければ国際問題になる」というのがその理由であるという。日本人の誤った観念がこの名曲を歌ったり聞いたりする機会を奪っているのだ。

 

マスコミ・出版界では支那という呼称は禁句である。ところが、なぜ支那が蔑称となるのか納得のいく説明はない。というよりもできないのだ。支那が蔑称であるのなら、支那そば・東シナ海・インドシナ半島という呼称も蔑称になる。

 

支那という呼称をわが国およびわが国民が用いたとて支那及び支那人を蔑視したことにはならない。そもそも何処の国もそして国連などの国際機関も支那のことを支那(China)と呼称している。

 支那とは、秦帝国(始皇帝が周および六国を滅ぼして天下を統一した王朝)の「秦(シン)」の音変化に由来し、サンスクリット語の仏典を漢訳した時から漢字では支那と書くようになった。以来、支那人自身が用いてきた言葉である。だから諸外国も支那と呼称するようになり、英語・フランス語・スペイン語・ポルトガル語などでも支那と呼んでいる。英語ではChina(チャイナ)と呼称した。支那は歴史的名称であり、わが国も支那と呼称するようになったのである。何故にわが国民が支那を支那と呼称すると差別・蔑視になるのか。

 

また、中華人民共和国・中華民国という国は存在していても「中国」という国はこの地球上に存在しないし、かつて一度も存在したこともない。支那大陸に中国という国は存在しないのだから支那を中国と呼ぶことはできないのである。

 

わが国は古代より「日本」が国号である。ところが、支那は「五千年の伝統」などと威張ってはいるが、革命が繰り返されて、一つの王朝が継続してこなかった。したがって一つの国号が続かなかった。すぐ思い浮かぶだけでも隋・唐・宋・元・明・清・中華民国・中華人民共和国と実に多く国名が変わった。こんなに国名が変化しているのにわが国に対して「中国と呼ばなければ駄目だ」などと指図する資格はない。

 

わが国には葦原中国(あしはらなかつくに)という国号もある。またわが国の事を「中朝」ともいう。江戸前期の儒学者・山鹿素行が赤穂配流中に著した歴史書は『中朝事実』という。中朝とはわが日本のことである。つまり、わが日本国も中国なのである。

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萬葉古代史研究會 のお知らせ

萬葉古代史研究會

小生が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。


日時 九月十一日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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千駄木庵日乗九月十日

午前は、母のお世話。

午後は、在宅して、明日の『萬葉集古代史研究会』における講義の準備など。

午後六時半より、中野のなかのZERO大ホールにて、『東京国際コンサート』開催。深見東州、キリ・テ・カナワ、コナル・コードの三氏などが熱唱。

帰宅後も、明日の講義の準備。

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2013年9月10日 (火)

天皇の国家統治とやまと歌

伝統と創造が渾然一体となっているのが和歌である。日本人は伝統の継承から創造を学んだ。和歌はその典型である。伊勢の神宮御遷宮と相似である。さらにそれは現代と古代とを直結するものである。そして上御一人と下万民を直結するものである。即ち日本民族を縦軸と横軸、時間と空間において一つにする文藝が和歌なのである。和歌が、天皇の国家統治と一体であるといふ意義はまさにそこにある。

 

天皇の国家統治の基本に「和歌」「御製」がある。天皇の御心を民に示し、民の心を天皇が知り給うのは実に和歌が重要な役割を果たしたのである。天皇国家統治をやまとことばで「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の国家統治は和歌とは切り離し難く一体である。天皇の国家統治は、西洋や支那の皇帝・國王のように権力・武力によって国民と国土を支配するのではない。日本天皇は、まつりと和歌といふ二つの信仰的精神的営為によって国民と国土を統治されるのである。

 

 上天皇から下民衆に至るまで創作し、神代より現代に至るまで創作し続けられてきた文藝が和歌である。即ちわが日本の時間と空間を無限に充たす文藝である。それは天皇の国家御統治と一体である。

まごころを表白した歌が抒情詩である。日本民族のまごころの調べである。

 

人知のさかしらを超えて自然に生まれてくる『素直な心』(まごころ・もののあはれ)の表白であり、それが自然にある声調を生み、五七五七七の定型を生み出したのである。

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千駄木庵日乗九月九日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後六時十五分より、神田神保町の如水会館にて、『一水会フォーラム』開催。木村三浩代表が活動報告。作家の宮崎学氏が、「戦争というプリズムから現代史を見る」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。終了後、懇親会が行われたのだが、締め切りが迫っている原稿執筆があるため、不参加。残念。

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講演する宮崎学氏

帰宅後は、母の様子を見た後、原稿執筆。

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2013年9月 9日 (月)

『百人一首』について

最近、藤原定家が編纂した『百人一首』について勉強してゐます。藤原定家は、王朝時代の古典の「美」を後世に伝へる重要な役目を果たしたまし。「美」を後世に伝へるとは、常にそして永遠に新しい生命の維持せしめ再生せしめるといふことです。

 

『百人一首』がわが国和歌文学史上重大な意義を持つのは、特に和歌を学ぶ人だけではなく、一般庶民に自然に和歌を親しい存在にしたことであります。

 

濱口博章氏は次のやうに論じてゐるます。卓見であると思ひます。「現在、わが国の古典文学といえば、誰しも『萬葉集』『源氏物語』などの作品を思い浮かべるであろうが、高等教育の普及した当節でも、これを原文で読み味わうことは困難で、況や江戸時代の庶民となれば、思い半ばに過ぎるであろう」「契沖や真淵のようなすぐれた研究者が輩出しようとも『萬葉集』は一般人にとって縁なき存在で……これに引き換え、百人一首は全く大衆のものであった。目に一丁字のない庶民ですら、百人一首の二つや三つはそらんじていたであろう」「『古典』とは、人々によく知られ、後人の典型となるべき価値の定まったものと定義するならば、百人一首こそ『国民の古典』の名に恥じないもので、まさに『庶民の文学』というべきであろう」「百人一首は『かるた』によって一般大衆の間に流布していった。その結果、和歌に対する理解を深め、人々に培われて情操教育の材料となり、長く『美の心』を養って来たのである。これは他のいかなる文学作品にも見られない大きな特徴で、百人一首こそ真に『古典』と呼ぶにふさわしいものであろう」(『江戸庶民にとっての百人一首』)

 

和歌は、時間的には古代人から現代人までの「こころ」、そして空間的には上御一人から庶民までの「こころ」を一つに結ぶ働きがある。和歌が、天皇の国家統治と一体であるといふ意義はまさにそこにある。

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千駄木庵日乗九月八日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』次号の原稿執筆。

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2013年9月 8日 (日)

今日お会いした方々について

今日、『末次一郎氏を偲ぶ会』でお会いした小林正成氏は、昭和四十二年より、台湾独立運動に参加し、四十六年台湾を赴き、五月九日、「母の日」を選び、その夜、「台湾独立」「戒厳令解除」などを主張したビラを台北市内のビルの屋上からバルーンにつけて撒き、台湾の警備総司令部に逮捕され、四カ月間勾留された人である。

 

取り調べ状況や、拘禁中の待遇などでいろいろ興味深いお話を聞いた。「台湾人なら銃殺だ」と脅されたという。当時行政院長であった蒋経国が獄舎に会いに来たと言う。近く展転社から体験記を書いた著書を出されるという。楽しみである。

 

私も、昭和四十年代後半に、台湾を訪問したが、とても、小林氏のような行動を起こす決意も実行力もなかった。当時の台湾は街角に憲兵が立っていた。そしてそこらじゅうに「総統萬歳」「大陸光復」などの標語あった。

 

 

 

椛島有三氏は、学生時代からの知己である。生長の家の学生運動の同志であった。椛島氏が初めて上京された時に会った思い出がある。佐賀県出身で、末次一郎氏と同郷である。佐賀は明治維新の時、江藤新平・大隈重信・島義勇・副島種臣という志士たちを輩出した。佐賀出身者には気骨のある人が多いというのが私の印象である。椛島氏も、一貫して真正保守運動に挺身し、今日、日本会議の事務総長として活躍している。

 

 

 

小野田寛郎氏とはお話しするのは今日が初めてである。小野田氏がフィリッピンから帰国された時、飛行機の下まで出迎えられた小野田氏の母上が「あなたは偉い。立派です」としっかりとして口調で言われたのを今でもはっきりと覚えている。「この母にしてこの子あり」という言葉を実感した。小野田氏は大正十一年のお生まれで、今年九十歳になられる。今日小野田氏にお会いできて本当の光栄であった。一層のご長寿とご活躍を祈ります。

 

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千駄木庵日乗九月七日

朝、デイサービスに赴く母を見送る。

この後、諸雑務。

午後一時半より、早稲田のリーガロイヤルホテル東京で『末次一郎先生を偲び、近況を語り合う会』開催。入場と同時にそれぞれ献花を行った。吹浦忠正氏が司会。国歌斉唱・黙祷。小池百合子衆院議員、嘉数昇明元沖縄県副知事が挨拶、平田隆太郎氏・伊藤隆東大名誉教授・袴田茂樹新潟県立大学教授が活動報告を行った。ご遺族の謝辞があった。献杯の後、懇談に移った。明石康元国連事務次長、小野田寛郎氏などにお会いした。台湾独立運動の日本人闘士である小林正成氏、学生時代からの知己である椛島有三氏の隣の席であった。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆の準備など。

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2013年9月 7日 (土)

宮内庁について

皇室問題は、宮内庁の権威の失墜が大きく影響している。他の官庁トップ経験者の天下り先が宮内庁長官の椅子になっている。そして政治家に顎で使われて、皇室の政治利用を防ぐことが出来ないのである。宮内庁も一日も早く省に格上げすると共に、政治権力とは別の位置に置くべきである。

 

佐藤栄作元総理が、退任後、侍従長職に就きたいと願ったという話を聞いたことがある。戦前は、内大臣・宮内大臣・侍従長・侍従武官長・枢密顧問官・宮中顧問官など、天皇陛下の御側にあって、奉仕し輔弼の任に当たる人々がたくさんいました。しかもその人々は、国務大臣以上の権威を持つ人々でした。佐藤氏が侍従長に就任しても決しておかしくはなかったと思います。

 

戦後は、戦勝国の日本弱体化政策により、宮内省も宮内庁に格下げとなり、天皇陛下の輔弼の任にあたる人々も極端に少なくなりました。宮内庁長官の権威もそれだけ低下し、政治家による、皇室の政治利用や政治的圧迫を十分に防ぎきれていないのではないかと推測します。三権の長の経験者やそれに匹敵する人々(政治家・官僚に限らず)が、陛下の御側にいて、お守りする体制を確立しなければならないと思います。

大変畏れ多い事ですが、天皇陛下及び皇室の政治利用を防ぐ爲にもこのことはまことに重要であると思います。

 

敗戦後、戦勝国によって押し付けられたわが国の伝統を破壊し国柄を合わない色々な体制・法律のみならず、精神文化などを祓い清めねば、今後の日本はますます混迷します。

 

戦争直後、占領軍は、皇室制度の弱体化を進めました。その顕著な例が、宮内省の宮内庁への格下げです。戦前の宮内省は大宝律令以来の歴史と伝統を有し、宮中・府中の別が確立され、一般行政の枠外に立っていた。即ち、時の政府から独立した存在でありました。ところが戦後の宮内庁は、総理府の外局にすぎなくなりました。(今日は内閣府)

 

 

宮内庁のホームページには次のやうに書かれてゐる。「終戦後,宮内省の事務を他の政府機関に移管あるいは分離独立させ機構の縮小が図られ,昭和2253日,日本国憲法の施行とともに宮内省から宮内府となり,内閣総理大臣の所轄の機関となりました。これに伴って職員も大幅に削減され,終戦当時6200人余りであった職員は宮内府発足とともに1500人弱となりました。宮内府には,宮内府長官の下に宮内府次長が置かれ,長官官房・侍従職・皇太后宮職・東宮職・式部寮・図書寮・内蔵寮・主殿寮と京都地方事務所が置かれました」。

 

戦前の宮内大臣は、伊藤博文・田中光顕・牧野伸顕など総理と同格あるいはそれ以上の人物が就任しました。また天皇陛下の輔弼の臣として内大臣もいましたし、宮中顧問官もいました。また枢密院もありました。したがって、天皇および皇室そして宮内省が権力者によって利用されるなどということはまずありませんでした。

 

今日の宮内庁長官は他の官庁のトップを退職した元官僚が就任します。政治権力者と対等にものを言える立場ではありません。それが皇室の政治利用が行われる原因です。そして宮内庁の役人が国会で国賊議員からとっちめられれば、天皇陛下の靖国神社御親拝も行われなくなるのです。皇室の権威を本来の姿にお戻しすることが何よりも大切です。戦後体制打倒は、國體に関わる重大事であり、喫緊の課題です。

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千駄木庵日乗九月六日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。医師の往診あり。

午後一時半より西新宿のヒルトン東京にて、『世界オピニオンリーダーズサミット』開催。トニー・ブレア元英国首相、高村正彦自民党副総裁、深見東州世界開発協力機構総裁、ブレダン・スキャネル元駐日アイルランド大使、ヒシャム・バドルエジプト外務次官、ラルフ・コッサパシフィック・フォームcsis理事長、伊藤憲一日本国際フォーラム理事長、平林博東アジア共同体評議会議長が討論。高村氏の見識を高く評価したい。

帰宅後は、『百人一首』評釈原稿執筆など。

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2013年9月 6日 (金)

世界に誇るべき日本の素晴らしさ

日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられている。そしてその祭り主たる日本天皇は日本国家の中心者として君臨あそばされている。これは世界に誇るべき日本の素晴らしさである。

 

日本国の君主であらせられ、祭祀主であらせられる天皇陛下そして皇室のご存在があってこそ、日本国は安定と平和が保たれるのである。今日の日本は醜い権力闘争が繰り広げられている。夢も希望もない亡国の淵に立たされているかの如き状況である。しかし、日本の傳統精神の体現者であらせられる天皇・皇室がおわします限り日本国は安泰である。

 

天地自然に神の命が生きているという信仰が日本の傳統信仰である。そしてその神々への祭祀主が天皇であらせられる。天皇を祭祀主とする信仰共同體が日本國の本姿である。それを現代において正しく回復することが、大切なのである。これが道義の頽廃が根本原因である現代の様々な危機的状況を打開する唯一の方途である。

 

人間が傲慢にも、自然や宇宙や人生を全て人間の作りあげた論理や科学研究によって説き明かこれを改造できるなどと考えたことが、美しい自然を破壊し、人類の生命をも脅かすに至った根本原因である。科学者の研究によって得られた知識が、どれだけ宇宙の真実に一致しているかを反省する必要がある。こういう疑問や反省を忘却した人間の傲慢さが今日の文明的危機を招いていると言えよう。しかし、日本民族は、既に古代において、人間のかかる傲慢さを反省し、自覚していた。

 

それが、古代日本人の『葦原の 水穂の國は 神ながら 言擧せぬ國…』という歌なのである。日本人は、あるがままの自然に素直に随順し、人間と自然は相対立する存在とは考えないで、人間が自然の中に入り、人と自然とは生命的に一体であるとの精神に立つ。

 

日本人は自然そのもののみならず、歴史からも「道」を学んだのである。わが国に伝わる『道』は歴史に現れているのだから、体系としての世界観や人倫思想基礎を人為的に『さかしらなる知識』をもって言挙し作りあげなくとも、日本の国の歴史の事柄・事実に学べばよかったのである。

 

歴史や自然を対立的にとらえて、論理や教条を振り回して自然や宇宙や人生や歴史の本質を説き明かそうなどという不遜な考えは持たなかった古代日本人の基本的な姿勢を、現代において甦らせることが必要なのである。

 

近世国学者が、外圧の危機に中で行ったように、古代日本の歴史精神として今日まで伝えられてきている『道』を、そのままありのままに学び、今日において明らかにすることによって、現代の危機を打開することが、我々の志である。

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千駄木庵日乗九月五日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理。

午後六時半より、九段の日本武道館にて、『深見東州と世界の友人コンサートツアー』開催。深見東州、ピーター・セテラ、マイケル・ボルトンの三氏が数々の歌曲を熱唱。

帰途、長年の同志と懇談、内外の諸情勢について意見交換。

帰宅後は、『百人一首』解釈原稿執筆。

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2013年9月 5日 (木)

政治家が皇室を軽視し奉る根本原因は何か

最近、政治家・権力者の皇室軽視・皇室冒瀆・皇室の政治利用の言動が頻繁に起ってゐる根本原因は、「日本国憲法の制度は、国民→国会→内閣→天皇という序列で構成されている」などといふ憲法解釈が可能なところにある。「主権者国民の代表であり国権の最高機関を構成する国会議員は、天皇陛下よりも上に地位にある」といふ考へ方が無意識的に政治家たちに植え付けられてゐるのである。だから「天皇は政府・国会の意思どおりに動かれるべきだ」といふ不逞思想を平然と語る小沢一郎のやうな政治家が現れるのである。また、皇族に対し奉り不敬極まりない言動を吐く中井洽のやうな政治家が現れるのである。そして、五輪招致に皇族を利用する政府閣僚が出現するのである。さらに言へば、天皇・皇后両陛下にご臨席を仰いだ式典に、衆参両院議員の半数が欠席するといふ非礼極まりない事態が発生するのである。

 

日本国民の道義精神・倫理感の基本は「尊皇精神」であり「神聖君主日本天皇へのかしこみの心」である。ところが今日、国民全般に尊皇精神が希薄となり、皇室を蔑ろにする政治家・官僚が増えてゐる。政治家・官僚に不祥事が相次ぐ根本的原因、そして現代日本の政治・行政・司法の腐敗・堕落・横暴の根本的原因は、政治家・官僚の尊皇精神の希薄化にある。

 

「国会は国権の最高機関」であり、「天皇の御地位」は、主権の存する国民の総意に基くのであるから、国民の代表者である衆参両院議員は最高権力者であり、天皇は、衆参両院議員よりも「下の地位」にあるといふことになる。そして、衆参両院議員及び衆参両院議員によって選出され信任されてゐる内閣は、天皇よりも「上」の存在だといふ悪逆思想が、意識するにせよしないにせよ、衆参両院議員に植えつけられる。国会議員に「国権の最高機関の一員であり主権の存する国民に選ばれた国会議員は最高権力者だ。天皇は象徴にすぎない」などといふ意識が生まれ、皇室尊崇の念を喪失する原因である。そして、政治家は「かしこみの心」を無くし好き勝手なことするのである。

 

「諸悪の因は『現行占領憲法』」と言はれて久しいが、最近の事象は、この言葉の正しさをますます証明してゐる。とりわけ「国民主権論」は、日本国の國體・伝統を根底から突き崩す思想である。一刻も早く否定されはならない。

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稲村公望中央大学大学院客員教授の講演内容

八月十二日に行われた『一水会フォーラム』における稲村公望中央大学大学院客員教授が講演内容。

 

「哲学と文学が分からないと政治はできない。日本はマレイシアを応援しなければいけないのに、中国の工場を作った。アメリカの映画監督オリバー・ストーンは本日行われた外国特派員協会での記者会見で『アメリカは日本の原爆を投下する必要があったか』と問題提起した。日本人として何故、そういうことを言わないのか。日本からもそういう主張をすべきだ。

 

『國體の本義』は橋田邦彦が中心になって書いた。これを讀むと日本が強くなる。ハーバード大学で翻訳された。日本の認知は意外と高まっているのに、『悪いのは日本』と言う勢力があり、目の仇にされている。私たちの原理を見つけること。負け戦をしてはならない。思想的に日本は劣っていない。ファシズムは日本の國體に合致しない。日本には色々な価値観がある。呉善花は韓国に入国できない。あの人は大したもの。

 

科学技術を成り立たせる哲学を放棄しては駄目。人種的偏見は駄目。独自の神道原理が大切。外来文化を土着化させる力があるのが日本。欧米近代文明を土着化させる。金と個人が全てという新自由主義と戦う。日本は祭祀共同体。金融商品に実体は無い。自衛隊の新鋭艦『いずも』の進水式を行った。空母ではなく駆逐艦。三十ノットで走る。『出雲』という国は敵対者を取り込むという意味で大変素晴らしい。閉ざされた国ではなく外国人にも私たちの心を分かってもらう。

 

日本人が日本を忘れたら抜け殻の日本人になる。人と人との関係を大切にする。寛容と多元性が『和』。日本は個人の寄せ集めではない良い国。学問は国家社会に貢献するために学ぶ。アメリカの諜報員フェラーズ准将は日本と戦うと決めてから日本を徹底的に研究調査した。

 

アメリカ第三十一代大統領ハーバート・フーバーの『回想記』が一昨年出た。フーバーは、フランクリンルーズベルトは日本と戦争したい狂気の男と回想している。フーバーは日本との戦争に反対した。

 

奄美の日本復帰は私が小学生の時。今年で六十五年。外国支配から日本に復帰しようという戦後初の民族運動が行われた。

 

ヨーロッパ戦線で勝利したのはソ連。二千五百万の死者を出した。ポーランドは三百万、ドイツは六百万人が死んだ。日本人はアメリカで名誉白人。日本は戦争に負けたが一目置かれた。ルーズベルトは宣戦布告のない対日、対独戦争を始めた。真珠湾攻撃は奇襲ではない。『フーバー回想記』は日本で翻訳されていない。日本にとって都合のいい本科翻訳されない。翻訳されても絶版になる。

 

日本はバルト三国にもっとテコ入れすべし。北方領土は十九世紀末の線引きに戻せ。南樺太を返せと言うべきだ。日本は戦争末期ロシアに仲介を求めた。ロシアを信じる方が馬鹿。日本が和平を求めてきたにもかかわらずトルーマンは原爆投下を命令。アメリカの歴史の中で比較しようのない事実。『日本ははめられた』とフーバーですら言っている。フーバーはアイオワ州に生まれた。『回想記』執筆直後に急死。しかし日本ではいまだに『回想記』は出版されていない。私は反米ではないが、日本が一番大事。

 

吉田茂は晩年の昭和三十八年に慚愧の念にかられて次のように論じた。『私の内閣在職中…強く再軍備に反対し、かつその反対を貫いた…その後の事態に鑑みるにつれて、私は日本の防衛の現状に対して、大きな疑問を抱くようになった。…経済の点に置いては、既に…進んで後進諸国へ協力を為し得る状態へ達している。防衛の面においては何時までも他国の力に頼る段階は過ぎているのではないか。…日本内外の環境条件の変化に応じて、国策を改める必要を痛感する』(『世界と日本』番町書房)

 

ワシントンでの日本の影響力は無くなっている。中国と韓国の影響力が強まっている。安倍さんは靖國神社に参拝すべし。そして世界平和の祈りを捧げるべし。國體護持、国軍創設、萬民保育の三つの理念を実現することが大切。尖閣・沖縄をいかにして守るかについて明確な理念を持つ人々が集結するしかない」。

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千駄木庵日乗九月四日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

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午後は、原稿執筆など。

 

午後四時より、赤坂の日本財団ビルにて、笹川平和財団主催『米国人ジャーナリストによるパネル・ディスカッション・中国社会の変化:メディア、教育、市場の役割と日米への影響』開催。

Jonathan ANSFIELD氏(ニューヨーク・タイムズ紙北京支局特派員、中国語ウェブサイト「cn.nytimes.com」エディター)、Melissa CHAN 氏(アルジャジーラ(中東発衛星テレビ放送局)レポーター)、Gady EPSTEIN 氏(エコノミスト誌中国特派員)、

Isaac Stone FISH 氏(フォーリン・ポリシー誌アソシエイト・エディター)の各氏が討論。モデレーターは中山俊宏(青山学院大学国際政治経済学部国際政治学科教授)が務めた。詳細は後日報告します。

 

帰宅後は、原稿執筆。

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2013年9月 4日 (水)

影山正治先生の歌

影山正治先生の天皇信仰・天皇仰慕の心そして恋闕の思ひが歌はれてゐる歌は多いが、小生が感銘を深くした歌は次の歌である。

 

 

 

わがいのち 貧しくあれど 大君に つながるいのちと 尊み生きむ  (『みたみわれ』)

 

 

 

みたみわれ おのれ恐(かしこ)む わが内に 天津日嗣は神づまります (『みたみわれ』)

 

 

 

みたみわれ おのれ死ぬとも とこしへに いのちは生くる わが大君に (『みたみわれ』)

 

 

 

すべて絶対の國體信仰・君民一體の赤誠心を歌った歌である。天皇・國民・國土は伊邪那岐命・伊邪那美命の御命につながり生命的に一體である。ゆへにこそ民草一人一人の命は尊いのである。天照大神の霊統は、民草一人一人の命の中にも継承されてゐるのである。

 

 

 

「わが内に天津日嗣は神づまります」といふ表現は不敬であると論評した学者がゐたと聞くが、小生はさうは思はない。これは君民一體の赤誠心の信仰的表白である。

 

 

 

影山先生の「天皇信仰」は、「天皇は神なり。生きたまふ神なり。萬世一系にして天壌無窮。大中至正にして無上絶對。萬物の大本。萬法の根源なり。天皇は今にます 天之御中主神、今にます 天照大神なり。 天皇ましまして萬有あり。 天皇を離れて萬物なし。 天皇によりて乾坤位し。天皇によりて人類存す。」(『維新の誓願』・「維新者の信條」所収) といふ文章に明示されてゐる。

 

 

 

天皇の大御命は萬物萬生のうちに生きたまふといふ現御神日本天皇への絶対の信・君民一體の信仰を、影山先生は窮極的に「わが内に天津日嗣は神づまります」と表現されたのだと思ふ。

 

 

 

ただしそれは排他的にして他の一切の神も権威も認めない誤れる一神教思想ではない。また、天皇を絶対無謬の超越神として拝するのでもない。天皇への血と涙の通った仰慕の心である。「恋闕」である。

 

 

 日の本の 道や衰らふ 日々にして 衰らふ見つゝ なげかふわれは (『みたみわれ』)

 

うつしみは よしや萬里を へだつとも ただにし通ふ 一すぢの道  (『みたみわれ』)

 

無藝無才 ただ一道に つながりて ただ一道を ただにゆくのみ  (『日本と共に』)

 

幾山の 荒坂道を 越えてきて 髪白き今 なほ越えむとす  (『續日本と共に』)

 

湊川 城山のみち 日本の ますら夫の道 清くかなしも  (『續日本と共に』

 

これはみな「道」についての先生の深い思ひを表白せられた歌である。影山正治先生の道について詠まれた歌に感銘したものが多いことはいふまでもないが、その中でも暗誦してゐる歌は「日の本の道や衰らふ日々にして」「うつしみはよしや萬里をへだつとも」である。何とも清々しいしらべであると共に、「道」に対する影山先生のひたすらな思ひが胸に響いてくる。

 

「道」とは、いふまでもなく日本の道統であり・神ながらの道である。そしてそれは自らが命をかけて歩む維新の道であり、日本回帰への道である。まさに楠正成の歩んだ「湊川への道」であり西郷隆盛が歩んだ「城山への道」である。

 

影山先生も、昭和の維新者としてそのひとすぢの道を歩み続けられた。そして窮極において日本回帰すなはち維新を祈り、次の辞世を遺して自決されたのである。

 

民族の 本ついのちの ふるさとに はやはやかへれ 戦後日本よ

 

しかし今日にいたるも、「戦後日本」は未だ終らず、「民族の本ついのち」は益々覆い晦まされてゐる。影山先生をはじめ幾多の先人・烈士の御霊は今もこの日本を深く悲しみ歎いてをられるであらう。その深い悲しみと歎きの心が「やたけ心」となり維新回天の時を迎へることを信じて疑はない。影山先生は次のやうに歌はれてゐる。

 

大いなる 悲願に生きむ 國の子の そのかなしみゆ 國あらたまる (『みたみわれ』)

 

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千駄木庵日乗九月三日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿校正・送付、資料整理。

午後七時より、新九段下沙龍にて、『憲法勉強会』開催。自民党改憲試案、産経改憲試案について討論。

帰宅後は、諸雑務。

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2013年9月 3日 (火)

「外交は華麗に礼装した軍事である」

 

戦前は、日清・日露は勝利し、第一次大戦では戦勝国になったものの、大東亜戦争では敗北した。戦後は、日米関係は比較的うまくいっているものの、対支那、対朝鮮関係はうまくいっていない。さらに領土問題は解決しないばかりか悪化している。日本は外交が下手だという意見を多く聞く。

 

私の尊敬する評論家・田久保忠衛氏は、「日本が外交が下手なのは日本に軍事力が無いからだ」といふ意味のことを言っておられた。つまり、軍事力を奪はれた日本は外交が下手なのではなく弱いのだ。「外交は華麗に礼装した軍事である」という言葉は真実である。支那の属国になることを良しとするのなら別だが、日本の独立と安全を維持しようとするのなら、自主防衛体制を確立するまでは日米軍事同盟は不可欠である。

 

日本を戦争に追い込み、日本に二発の原爆を落とし、主要都市を焦土とし、無辜の民を殺戮したアメリカ。戦争後は、日本を弱体化し、国家破壊工作を行ったアメリカ。そういうアメリカと同盟を結ばなければ、日本の安全を保持できないという状況から脱却するにはどうしたら良いのか。

 

北朝鮮や共産支那と同様、日本も核武装すべきだと思う。しかしそれは可能か。アメリカは許さない。支那も許さない。核アレルギーの日本国民の多くも許さないだろう。日本の核武装は、「帝国憲法復元」と同様困難である。しかしそれしか道はないと思う。

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千駄木庵日乗九月二日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後四時より、西荻窪にて、『伝統と革新』次号の編集会議。終了後、出席者と懇談。談論風発。

帰宅後は、『伝統と革新』編集作業。

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2013年9月 2日 (月)

『太陽の道』について

天照大御神は、神勅のままに、天皇のお側近くでお祭りさてゐた。ところが、『日本書紀』の記すところによると、第十代・崇神天皇の御代に、疫病が多く発生し、國民の半数以上が死亡した。また百姓が流亡し背く者も出て、天皇の統治は困難を極めた。そこで、崇神天皇は、民の苦悩をわが苦悩とされ、民が苦しむのは御自らの罪であると思し召されて神を祀り祈られた。

 

これより前に、宮中では、天照大御神と大和大国魂の二柱の神を天皇の御殿にお祭りした。ところが、神々はそれぞれの威勢を遠慮されて、共に住みたまふことに安心なさらなかったと傳へられる。

 

崇神天皇は、皇祖天照大御神は、皇祖神として宮中の御殿に祭るだけでなく、国家国民全体の親神・最尊最貴の神として皇居の外でもお祭りすべきであると考へられ、天照大御神に皇居をお出まし願ひ、皇女・豊鍬入姫命(いよすきいりひめのみこと)を御杖代(神の御杖となって仕へる人。天皇の名代として神に奉仕する皇女=斎宮)として、大和の笠縫邑にお祭りした。

 

『日本書紀』によると、崇神天皇六年に、天照大御神を倭の笠縫邑にお祭りしたと記されてゐる。そこには今日、檜原神社が建立されてゐる。また元伊勢と呼ばれてゐる。

 

この神社の神域には、今日、北白川宮房子内親王(元伊勢の神宮祭主)の御歌

 

立つ石に むかしをしのび をろがめば 神のみいつの いやちこにして

 

の歌碑が建立されてゐる。

 

「いやちこ」とは、神の霊験などが著しいさま。あらたかなこと。はなはだ明らかであること。「みいつ」とは、霊威・神威のこと。

 

桧原神社の真向ひに、大和盆地の西にある二上山が眺められる。春分の日・秋分の日には、桧原神社の背後から昇った太陽が二上山のしずむといふ。桧原神社の鎮座する地(倭の笠縫邑)は、太陽の昇る山の麓であるので、この地に天照大御神を祀ったと考へられる。

 

桧原神社の西には、全長二七二㍍の天皇御陵に匹敵する大きさの前方後円墳がある。倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひももそひめのみことおほいちのはか)と申し上げる。孝霊天皇の皇女であらせられ、三輪山の神である大物主神の妃となられたと傳へられる。三輪山の神そして三輪山の背後から昇る太陽神をお祭りする役目を果たされた皇女であらう。

 

このお墓は『箸墓古墳』ともいはれる。古墳墓は「令義解」に、「帝王墳墓、如山如陵、故謂山陵」と書かれてゐて宮内庁が陵墓参考地として管理してゐる。

 

この箸墓古墳を中心に東西約200キロの直線(北緯34度32分)は、「太陽の道」と呼ばれる。この線上に古代の祭祀遺跡が並んでゐるといふ。

 

東の端は、伊勢の斎宮址。西の端は、淡路島伊勢の森(伊勢久留麻神社)。この二つの「伊勢」のあいだを、古代遺跡や古い由緒をもつ神社が点在してゐて、共通点が太陽神の祭祀に関係があり、磐座・岩石が信仰の対象となり、女性の祭祀者のイメージが感じられるとされる。

 

太陽神の祭祀に深いかかはりを持った古代の「聖線」が「太陽の道」と名付けられた。桜井市の、長谷寺、三輪山、桧原神社、国津神社、箸墓、堺市の大鳥神社、淡路島の伊勢久留麻神社、伊弉諾神宮が線上に位置する。地図も磁石もない時代に東西の直線を引くことができたのはまことに不思議である。

 

堺市の大鳥神社の御祭神は日本武尊(やまとたけるのみこと)。社伝によれば、伊勢の能褒野(のぼの)で命を終へた日本武尊は一羽の大白鳥となり、この地にしばし留まられたあと、天に向って飛翔したといふ。大鳥といふ社名はこれに由来する。

 

日本武尊の叔母君は、天照大神を奉じて伊勢にいたった倭姫であり、大和を中心として東西の陸の両端に、それぞれ、ゆかりの斎王宮と大鳥大社があり、しかも、それらが同一の緯度上に並んでゐるのである。

 

淡路島の伊勢久留麻神社の御祭神は、大日孁貴尊である。伊弉諾神宮は、淡路国一の宮。御祭神は伊弉諾大神と伊弉冉大神。伊弉諾大神と伊弉冉大神は國生みを終へられた後、この地に鎮まられたと傳へられる。いはゆる「太陽の道」は、古代日本の日の神信仰が生んだ不思議な事実である。

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千駄木庵日乗九月一日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『月刊日本』連載の「萬葉集」解釈原稿執筆・脱稿・送付。『伝統と革新』の編集作業。

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2013年9月 1日 (日)

『皇道』とは

日本ほど理想的な国はない。「皇道」とは、「皇神の道義」のことである。天照大御神より今上天皇に至る皇統連綿・万世一系の「神の道」を「皇道」と申し上げる。これは、わが日本民族が肇国以来継承し保持して来た道である。

 

 「皇道」は、歴史を貫くわが国の道統の体現者であらせられ、わが国伝統信仰の祭祀主であらせられる天皇が「神の行いのまま即ち神ながらに行いたまう大いなる道」を言うのである。

 

 神の行いのままに生きられる天皇の御本質を「現御神」即ち「現実に現れたもうた神」「地上に生きたもう神」と申し上げる。

 

 わが国の理想の姿は、神聖なる権威を持たれる天皇の道、即ち皇道によって国家が治まり国民が幸福な生活を営む姿である。

 

 大化改新後の詔書(天皇の御意思を表示された公文書で、一般に公示されるもの)によると、外国の使臣(君主の代理、国家の代表として外国に派遣される使者)に詔書を発せられる場合には、「明神御日本天皇詔旨」(あきつかみとひのもとをしらしめいすめらみことのみことのり)、国内の重大事には、「明神御大八洲天皇詔旨」(あきつかみとおおやしましらしめすすめらみことのみことのり)と書き出すことが決められている。これは、天皇の神聖性と国家統治の大権を正しく示したものである。

 

 日本天皇は恣意(自分の思うまま。思いついたままの考え)のままに日本国を統されるのではなく、神の御心のまま、皇道に則って統治されるのである。言い換えれば、皇道(日本伝統精神)に則らなければ統治することができないのである。つまり力でも単なる権威でもない「道」による統治が天皇の日本国家統治なのである。日本ほど理想的な国はない。

 

 天照大神は、絶対独裁・全知全能の唯一絶対神ではなくて、一切の自然や人に宿る神即ち八百万の神々の特質・力を生かし高めて総合して下さる神である。そして、天照大神の御使命を地上において実現される方が、現御神日本天皇であらせれる。

 

 だから、神武天皇の日本建国も、ただ単に武力による征服平定ではなくして、日本国中の国津神(国土の神)や民衆を、その同意を得て統合し融和して調和して日本国を建てられたのである。

 

 天皇が現御神であるということは、天皇が一神教の神即ちキリスト教のゴッドのような全知全能の神であるというのではない。「今生きておられる神」「この地上の実在する神」「人にして同時に神なる方」ということである。これがわが日本の特有の皇道精神である。

 

日本の文化の根底には皇道がある。皇道精神がわが日本國體の基本である。皇道精神を世界に発展させて、混迷せる現代世界を救済する役目をわが日本は背負っている。日本皇道精神が世界の国と民を永遠の平和と幸福に導く道である。

 

 皇道精神は、今日唯今も生きている。伊勢の神宮に代表されるように神殿も太古以来のまま今日の継承されている。伊勢の神宮の神殿は、二十年目ごとに必ずくり返される式年遷宮によって永遠に新しい姿に復元し生まれ変わる。古代の神殿が永遠に新鮮な姿で我々の眼前に立っている。

 

わが国には太古以来の信仰が今もわが国民の日常生活に生きている。祭祀は、日本天皇が行いたもう宮中祭祀によって今日ただ今も太古のままの生きた姿でくり返されている。 

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千駄木庵日乗八月三十一日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿の校正など。

午後六時より、神田学士会館にて、『憲法懇話会』開催。高乗正臣平成国際大学副学長が座長。憲法改正問題について討論。

帰宅後は、原稿執筆。

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