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2013年8月26日 (月)

『生誕二五〇周年・谷文晁』展を参観して思う

今日参観した『生誕二五〇周年・谷文晁』展は、「関東南画の大成者・谷文晁(17631840)は、四条派、土佐派、洋風画からも影響を受け、さまざまな様式の作品を残しています。また、木村蒹葭堂などの文化人や、渡辺崋山ら門人たちなど、その人脈の広さは当時の絵師の中でも際立つものです。そこで本展では、文晁の生誕250周年を記念し、文晁と人々との交流を軸に、その画業と功績を振り返ります。加えて、近年当館所蔵となった谷文晁画「石山寺縁起絵巻」全七巻を修復後初公開いたします」との趣旨(案内書)で開催された。

 

「仏涅槃図」「谷文晁像」「蘇東坡・風竹雨竹図」「松平定信画像」「谷文晁消息・酒井抱一宛」「八大龍王図」「富岳図屏風」「老梅図」などを観る。

 

展覧会そのものは残念ながら期待したほどのものではなかったが、谷文晁は日本文化の伝統の継承には大きな貢献をしたと思われる。谷文晁は、幕府老中にして白河藩主・松平定信の庇護のもとに活躍した。寛政8年(1796)、文晁は定信の命を受け、全国の古社寺や旧家に伝わる古文化財を調査した。この調査時の模写と記録は、全85巻の刊本『集古十種』として刊行された。谷文晁は今日の台東区根岸生まれという。

 

松平定信は、国史上、私の尊敬する人物の一人である。松平定信は、江戸後期の白河藩主である。徳川吉宗の次男・田安宗武の子である。老中首座となって、財政の整理、風俗の匡正、文武の奨励、士気の鼓舞、倹約を実施して寛政の改革を実行する。天明八年十月に将軍家斉に奉った上書で「六十余州は禁庭より御あづかり遊ばされ候御事に御座候へば、仮初にも御自身の物とはおぼし召され間敷候御事に御座候」と論じた。「日本国の君主は天皇であり、征夷大将軍はその臣下である」という大義名分を説いたのである。德川氏が政権を壟断していた時代にあって、しかも幕府に要職にある定信の「上書」は高く評価されるべきである。

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