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2013年8月31日 (土)

萬葉古代史研究會 のお知らせ

萬葉古代史研究會

 

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

 

日時 九月十一日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

 

會場 豊島区立駒込地域文化創造館 東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

 

會費 千円  

 

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。

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日本國體は、西洋の契約思想や人間不信を基盤とした西洋近代の成文法とは基本的に相容れない

現代日本の混迷の原因は色々あるが、その大きなものに「国家の統治体制の基礎を定める法・国家の根本法」と定義されている憲法が大きな欠陥を持っているところにある。

 

しかし、憲法を改正すれば良い、新しい憲法を制定すれば良いということではない。現行憲法の最大の欠陥が何であるかを正しく認識し、それを正さねばならない。現行憲法の欠陥はその原理にある。これを根本的に改めないで各条項だけを改めるというのでは真の憲法改正・自主憲法制定にはならない。

 

現行憲法は、占領軍の押し付けである。そしてそれは、ただ単に、制定過程が占領軍の強圧によるものというだけではなく、現行憲法の基本理念が占領軍の押し付けだということである。

 

葦津珍彦氏は、「ジェファーソンの独立宣言には…世界の一切すべてが唯一の神(造物主)の法によって支配されることを絶対の真理と信ずる立場に立って宣言されてをり…米国人は、『神に造られた人間』としての市民が、社会契約によって政府を設け、また政府を廃棄する権力を有する主権者であるとする。しかして、神に造られた人間は、すべて平等に造られた、との信条を基礎としてゐる。」「ジェファーソンの独立宣言には『我らは以下の諸事実を自明なものと見なす.すべての人間は平等につくられている.創造主によって,生存,自由そして幸福の追求を含むある侵すべからざる権利を与えられている.これらの権利を確実なものとするために,人は政府という機関をもつ.その正当な権力は被統治者の同意に基づいている.』『この宣言を支えるため,神の摂理への堅い信頼とともに,我らは相互にその生命,財産,そして神聖なる名誉を捧げあうことを約するものである』とある。」「米国は、社会契約的国民主権説を立てるのに、最も絶好な宗教的温床と歴史条件を有する國だった。それが今では破綻に瀕してゐる。キリスト教清教徒の文化温床がおとろへ、建国当時とは歴史的社会条件も異なってきたからである。その米国においてすら、適用しがたくなった憲法思想を、「人類普遍の原理」として諸外国に強制移出したのが、第二次大戦後の米国の世界政策であった。…日本では、全力を投入してゐるもののその立ち枯れの時は、決して遠くはあるまい。それは歴史的に特定の時期に、特定の國で成立した憲法を、時と所との条件を全く異なる文化温床の上に「人類普遍の原理」として強制移出した無理が破綻する、といふことなのである。」(葦津珍彦『天皇・神道・憲法』)と論じている。

 

しかし日本国憲法には神への信仰はない。ただ自然人としての人間・個としての人間の尊重のみが記されてゐる。その結果が道義頽廃の現下の日本である。憲法が立ち枯れするのはともかく日本国が立ち枯れする危険がある。ではどうするのかが問題。反王権をコモンセンス(常識)とする米国流の「国民主権論」を憲法から除くべきである。また、人権思想も国民としての民権すなわち天皇の民としての道義精神と一体のものとしての権利思想を明記すべきである。

 

憲法を論じるにあたって最も重要な前提は、西洋成文憲法は「権力に対する制限規範」ということである。イングランド最悪の王と言われるジョン王と諸侯との間で結ばれた『マグナ・カルタ』(大憲章)が西洋成文憲法の起源であり、『国王も法の下にある』といふ原則=『法は王権に優越する』といふ法治主義を確立した、とされる。「権力は放っておくと濫用されるので、為政者の手を縛る必要がある。その為に成文憲法が必要とする」という考え方である。これが西洋成文憲法の根底にある思想である。

 

しかし、日本天皇の国家統治の本質は、権力・武力による国家・国民支配ではない。天皇の祭祀主としての神聖なる権威による統治(すべおさめる。しろしめす。きこしめす)である。むしろ、天皇の神聖なる権威が権力者・為政者の権力濫用を抑制するのである。それがわが国の建国以来の國體であり歴史である。また、天皇の「仰せごと・みことのりが」わが國における最高の法である。天皇が成文法の下にあるなどといふ事は絶対にあり得ない。また、わが國の最高の成文憲法は、「天壌無窮の御神勅」である。

日本国は信仰共同体であり国民が契約を結んで人工的に作った国ではない。そして祭祀主である天皇は国民と対立してこれを力によって支配する御存在ではない。これが日本肇国以来の国柄であり國體である。

 

近代日本の成文憲法即ち『大日本帝国憲法』は肇国以来の日本の国柄即ち日本國體を成文化したものである。西洋憲法思想では、憲法は権力に対する制限規範であるされ、権力は放っておくと濫用されるので為政者の手を縛る必要から成文憲法が必要であるとされる。このような性格を持つ成文憲法に、神話時代に発生したといふ悠久の歴史を有する日本国体を規定すること自体不自然なことなのである。

 

つまり、日本の歴史と傳統そして日本國體は、西洋の契約思想や人間不信を基盤とした西洋近代の成文法とは基本的に相容れないのである。

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千駄木庵日乗八月三十日

午前は、母のお世話。ケアマネージャー来宅、今後の介護について相談。

午後からは在宅して、資料の整理、『伝統と革新』編集作業、『百人一首』解釈原稿執筆など。

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2013年8月30日 (金)

『占領憲法』の無効を確認し、『大日本帝国憲法』が復元改正するというのが正しい

『大日本帝国憲法』第七十四条には「皇室典範ノ改正ハ帝国議会ノ議ヲ経ルヲ要セス」とある。また明治天皇が明治二十二年二月十一日に勅定された『皇室典範』六十二条には、「将来此ノ典範ノ条項ヲ改正シ又ハ増補スヘキノ必要アルニ当テハ皇族會議及枢密顧問ニ諮詢シテ勅定スヘシ」と書かれてゐる。

 

今日、『皇室典範』改正論議が喧しいが、本来、『皇室典範』は勅定であり、決して議会や政府が容喙してはならないのである。井上毅は、「皇室典範を以て國會の議に附するときは、人民相集まりて、皇室の家格を妄議し、却て皇室の尊厳を冒瀆するに至る虞あり」と述べてゐる。

 

今日の状況はまさに井上毅の言った通り「人民相集まりて、皇室の家格を妄議し、却て皇室の尊厳を冒瀆するに至る虞あり」ではないだらうか。戦後、『皇室典範』が『憲法』の下位法になり、皇位繼承といふ皇室の重大事が権力機構である衆参両院で多数決によって決められてしまふようになったのは、重大なる傳統破壊・國體隠蔽であり、厳密・厳格に言へば「國體破壊」への道を切り開くものである。 

         

また『大日本帝国憲法』第七十五条には「憲法及皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス」とある。『現行占領憲法』は『大日本帝国憲法』を改正したとされる。

 

しかし、当時、戦勝国アメリカにより「天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ本降伏条項ヲ実施スル為適当ト認ムル措置ヲ執ル聯合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス」(「ポツダム受諾に関する八月十日付日本国政府申入」に対する米英ソ支の政府を代表したバーンズ米国務長官の回答)とされてゐた。英語の原文は、「The authority of the Emperor and the Japanese Government to rule the state shall be subject to the Supreme Commander for the Allied Powers who will take such steps as he deems proper to effectuate these terms of surrender.」である。「subject to」をわが國外務省は「制限の下」と訳したが、正しくは「隷属下」である。

 

つまり、「摂政」が置かれるどころか、天皇陛下の統治の大権が外国の軍人・マッカーサーの隷属下に置かれていたのである。このような状況下において行われた『憲法改正』は、違法であり、無効である。つまり、『現行占領憲法』は法的に全く正統性が無いのである。ゆえに、無効が確認され、『大日本帝国憲法』が復元するというのが法理論的に全く正しいと考える。

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千駄木庵日乗八月二十九日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆。

午後四時より、赤坂の日本財団ビルにて、『笹川平和財団主催・駐日イラン・イスラム共和国特命全権大使講演会』開催。レザ・ナザルアハリ駐日大使が講演。活発な質疑応答が行われた。内容は後日報告します。

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講演する駐日イラク大使

帰途、赤坂にて、友人夫妻と懇談。

帰宅後は、資料の整理。

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2013年8月29日 (木)

この頃詠みし歌

母上は真夜中に家を出でたまひ警察官と共に帰り来りぬ

 

眞輝ける大日輪の下にして生き生きとしてわが身は躍る

 

パソコンを打ち続けゐるわが腕(かいな)少しく痛くなりにけるかな

 

坂のぼりたどり着きたる酒場にてあなごの刺身といふものを食す

 

駒込坂下と言はれし町に母は生まれ我も生まれて生きて来にけり

 

立秋はとうに過ぎたれど太陽は灼熱の光放ちゐるなり

 

夏の日の強き陽光身に浴びて命滾らすわれ六十六

 

ピカピカと光発して我の住むマンションの上に雷は轟く

 

この母を護り行かむと雷鳴の轟く夜に手を握りゐる

 

友達はみな旅に出て我はしも母の介護に日々過ごしゐる

 

食欲は健康のバロメーターと言はれればまさに我は健康

 

夜の更けにもの書きをれば腹が鳴る夕食終へて早七時間

 

健やかな母の横顔見つめつつ心たらへり我は母の子

 

祭囃子聞こえ来る夜 街に出て歩けば心華やぎにけり

 

ゆかた着た若き男女が楽しげに街歩みゐる祭礼の夜

 

夏の終はりを告げる祭礼来たりけり日暮里諏訪台は賑ひてをり

 

やかんの下にガスの火は燃ゆ 朝の紅茶母と二人で飲まむとすれば

 

空の彼方に白き筋雲見ゆる朝 ようやくにして秋は近づく

 

煙草をば吸はなくなりて三か月 九十キロになりにけるかな

 

健康のためにと喫煙を止めしかば見る見るうちに体重の増す

 

たちまちに太りたる体を如何にせむ煙草を吸はなくなりたる我の

 

近代短歌は何と暗き歌多きかと溜息をつく我にしありけり

 

病のこと歌はれし歌の多くして讀めば心も沈み来るなり

 

短歌とは病人文学と言はれたることもあながち嘘にはあらず

 

やまと歌しきしまの道の大いなる言霊をこそ歌ひ行くべし

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千駄木庵日乗八月二十八日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

昼は知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。

この後、在宅して、原稿執筆・書類の整理など。

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2013年8月28日 (水)

天皇・國體について

古代の天皇様は現御神(生きたまふ神)として崇められつつ、人としてもきはめて自由に行動されてゐた。天皇の最大の御使命である祭祀とは、神人合一の行事である。「神人合一」とは「人にして神・神にして人」といふことである。天皇は、「人にして神・神にして人」であらせられるのである。

 

この場合の「神」とは一神教のゴッド・宇宙創造神・絶対無謬の唯一絶対神ではない。天地自然に宿りたまふ八百万の神々であり、太陽神であるとともに皇室及び日本民族の祖先神=天照大御神である。

 

「天皇が現御神である」とは、天皇が唯一神・全知全能の神・絶対無謬神だといふ事ではない。天皇が祭祀国家・信仰共同体日本の祭り主といふ「人として最も尊い御存在」であるといふことである。

 

また、祭り=神人合一とは、一切の「私」を禊祓ひ去って生成の根源に帰ることであり、「無私」こそが「祭」の窮極である。したがって、天皇の本質は「無私」なのである。無私だからこそ現御神といふ最高に尊い御存在となられるのである。

 

猪瀬直樹氏は、「天皇家に意味があるとすれば、天皇が無私=ゼロ地点にあるので、みんなが欲望で生きてゐる時に、さういふ人がお祈りをしてゐるのだなあといふことがある種の秩序になってゐる」と述べとていたが、ほぼ正しい見解である。

 

天皇が国民を統合される尊貴な御存在であられるといふことは、天皇は神にして人であらせられるといふことである。天皇が日本国の祭祀主であらせられることが、天皇が国家国民の統合の中心であり君主であらせられることの源泉なのである。「人にして神である」といふ天皇及び日嗣の御子の御本質・日本国の祭祀主であり統治者としての御本質に立ち返っていただくことが基本である。

 

天皇の「おほらかにして自由なそして神聖なる君主としての伝統」「祭り主として神聖性」「おほらかなる君主として国民を統治される真姿」が回復されるべきである。

 

天皇及び皇室は、占領軍によって押し付けられた「占領憲法」の規定などに全く拘束される必要はない。三千年の伝統のある天皇中心の國體及び天皇・皇室を、アメリカから押し付けられた成文法の枠の中、もっといへば欧米から輸入された近代民主主義の中に閉じ込めてしまふことが間違ひなのである。

 

成文法といふものは、人間相互の不信の上に成り立つものである。人間同士が信じ合へないから、成文法を作ってお互ひにそれを遵守することによって秩序を保つのである。

 

ところがわが国は天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀共同体である。前述した通り、天皇と国民の関係は権力関係・法律関係ではなく、精神的・信仰的関係である。ゆへに、天皇は人間不信の上に作られた成文法の枠外の御存在であられる。天皇中心の日本國體は、近代成文法や近代合理主義や近代民主主義を超越している。

 

天皇の御地位・自然な御行動・御発言は、成文法や政治家・官僚・メディアによって制限されるべきではない。

 

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千駄木庵日乗八月二十七日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して『百人一首』解釈の原稿執筆など。

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2013年8月27日 (火)

長谷川三千子氏著、中央公論新社発行『神やぶれたまはず』

先日、長谷川三千子氏より、中央公論新社発行『神やぶれたまはず』という御著書をご寄贈いただきました。
大変勉強になります。
写真: 長谷川三千子氏よ、下記の著書をご寄贈いただきました。
この本も大変勉強になります。

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本間達也氏著『念ずれば花開く』

この度、医療法人・生愛会理事長本間達也様より、『念ずれば花開く』と題する書籍を贈呈していただきました。

有難うございます。
この度、医療法人・生愛会理事長本間達也様より、『念ずれば花開く』と題する書籍を贈呈していただきました。

有難うございます。

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戸矢学氏著『神道の風水』

この度、戸矢学様より、著書『神道の風水』をご寄贈いただきました。
河出書房新社から、刊行された新刊であります。
大変興味深い本です。
戸矢氏に感謝申し上げます。
写真: 本日、戸矢学様より、著書『神道の風水』をご寄贈いただきました。
河出書房新社から、刊行された新刊であります。
大変興味深い本です。
戸矢氏に感謝申し上げます。

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日本におけるナショナリズム

國家的危機においてはわが國は、天皇を中心とした國家的統一すなわち國體の本来の姿・あるべき姿に回帰する運動、そして天皇及びご皇室を中心にして「ますらをぶり」「剣魂」「もののふの心」が勃興した。これが日本におけるナショナリズムである。

 

 白村江の戦い・承久の変・元寇・建武中興・幕末・大東亜戦争の時期に起こった動きがその典型である。元寇の時には「神國思想」が謳歌され、欧米列強による侵略の危機に遭遇した幕末においては「尊皇攘夷思想」が謳歌された。これは一部の人たちによって意図的に「作られた」のではない。危機にさらされたときに必ず起こるわが國の伝統である。

 

 また、須佐之男命・神武天皇・日本武尊以来の日本皇室の武の精神・ますらをぶりは平安時代から明治の御代までの間断絶していたのではない。承久の変を起こされた後鳥羽上皇は御自ら、馬競べ・狩猟・水練・刀剣のご製作に励まれ、建武中興を断行された後醍醐天皇及び護良親王などの皇子方は率先して幕府方と戦われるなど、大いにますらをぶり・武の精神を発揮された。

 

幕末期のわが國のナショナリズム運動である尊皇攘夷運動は、孝明天皇の「戈とりてまもれ宮人こゝのへのみはしのさくら風そよぐなり」という「ますらをぶり」の大御歌にこたえたてまつらむとした多くの志士たちによって実行されたのである。

 

 西欧列強の侵略からわが國を守り独立を維持しなければならなかった幕末以来、大東亜戦争終結までの時期においては、民族的団結即ちナショナリズムが必要であった。

 

西洋の侵略に抗してわが國の独立を守り伝統を守護するために、日本國はナショナリズムの核として天皇を戴いた。そして、近代において独立を守り通した天皇國日本は、西洋列強の侵略支配にさらされたアジアの希望の星となった。

 

明治天皇は孝明天皇の大御心を継承され、わが皇室の道統たるますらをぶりを発揮された。

 

危機的状況を迎えた今日において、天皇を中心とする國體への回帰による危機突破という日本的ナショナリズムが勃興する。それがわが國の歴史伝統である。

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千駄木庵日乗八月二十六日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、書状執筆・原稿執筆など。

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2013年8月26日 (月)

『政治文化情報』平成25年8月号(平成25年8月25日発行)の内容

小生が発行しております『政治文化情報』平成258月号(平成25825日発行)の内容は下記の通りです。

見本誌希望の方はメールにてお申込み下さい。m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

 

         ○

 

政治文化情報  

 第三百三十三号 平成二十五年八月二十五日発行

 発行所 四宮政治文化研究所  発行人 四宮正貴

購讀料 個人 年間一萬二千圓 半年六千圓 一部千圓

         法人 年間十二萬圓 半年六萬圓 一部一萬圓

〈皇都の一隅より〉

現御神信仰と『昭和二十一年元旦の詔書』

 

篠田正浩氏の許しがたい暴言

 

「昭和二十一年元旦の詔書」はGHQの意向によって渙発された

 

現御神信仰は、天皇が全知全能無謬の絶対神であるといふ信仰ではない

 

昭和天皇は、如何なる困難があらうとも、日本天皇の眞姿と日本皇室の傳統を継承して来られた

 

昭和天皇は「現御神」としてのご使命を全うされた

 

柿本人麻呂が歌った「現御神信仰」

 

現御神信仰は今日においても「生きた真実」である

 

千駄木庵日乗

 

常盤伸東京新聞論説委員兼外報部デスク「プーチン・ロシアがエネルギー帝国構築が怪しくなっている状況を見据えてロシア戦略を考えるべし」。

 

 

この頃詠みし歌

 

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『生誕二五〇周年・谷文晁』展を参観して思う

今日参観した『生誕二五〇周年・谷文晁』展は、「関東南画の大成者・谷文晁(17631840)は、四条派、土佐派、洋風画からも影響を受け、さまざまな様式の作品を残しています。また、木村蒹葭堂などの文化人や、渡辺崋山ら門人たちなど、その人脈の広さは当時の絵師の中でも際立つものです。そこで本展では、文晁の生誕250周年を記念し、文晁と人々との交流を軸に、その画業と功績を振り返ります。加えて、近年当館所蔵となった谷文晁画「石山寺縁起絵巻」全七巻を修復後初公開いたします」との趣旨(案内書)で開催された。

 

「仏涅槃図」「谷文晁像」「蘇東坡・風竹雨竹図」「松平定信画像」「谷文晁消息・酒井抱一宛」「八大龍王図」「富岳図屏風」「老梅図」などを観る。

 

展覧会そのものは残念ながら期待したほどのものではなかったが、谷文晁は日本文化の伝統の継承には大きな貢献をしたと思われる。谷文晁は、幕府老中にして白河藩主・松平定信の庇護のもとに活躍した。寛政8年(1796)、文晁は定信の命を受け、全国の古社寺や旧家に伝わる古文化財を調査した。この調査時の模写と記録は、全85巻の刊本『集古十種』として刊行された。谷文晁は今日の台東区根岸生まれという。

 

松平定信は、国史上、私の尊敬する人物の一人である。松平定信は、江戸後期の白河藩主である。徳川吉宗の次男・田安宗武の子である。老中首座となって、財政の整理、風俗の匡正、文武の奨励、士気の鼓舞、倹約を実施して寛政の改革を実行する。天明八年十月に将軍家斉に奉った上書で「六十余州は禁庭より御あづかり遊ばされ候御事に御座候へば、仮初にも御自身の物とはおぼし召され間敷候御事に御座候」と論じた。「日本国の君主は天皇であり、征夷大将軍はその臣下である」という大義名分を説いたのである。德川氏が政権を壟断していた時代にあって、しかも幕府に要職にある定信の「上書」は高く評価されるべきである。

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千駄木庵日乗八月二十五日

午前は、母のお世話。

午後は、六本木のサントリー美術館にて開催中の『生誕二五〇周年・谷文晁』展参観。

帰宅後は、資料の整理。

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2013年8月25日 (日)

『東京財団フォーラム・日欧海洋安全保障協力の今後』における登壇者の発言

七月二十三日に開催された『東京財団フォーラム・日欧海洋安全保障協力の今後』における登壇者の発言は次の通り。

 

ルッツ・フェルド氏(ワイズペンズ・インターナショナル・ディレクター)「北極圏で隣接する五カ国が会合を持っている。日本も五月十五日に高級アドバイザー国になった。気候変動・先端技術・海底資源の掘削などを考える。北極航路を開拓し安全性を確保する。EEZ(排他的経済水域)・専管水域紛争をプラスに変える。全ての問題にチャレンジ。軍事的に解決しない。北極海は資源が豊富。軍の活動が活発化。NATOの加盟国は軍事的なことは中国に禁輸措置がかかっている。中国に対する姿勢はこれを見ればわかる。危機管理の一環をなしている。監視は軍事行動ではない。中立行動。ドイツ国民は中国への好印象が下がっている」。

 

ラルフ・ティエル氏(ポリティカル・ミリタリーソサエティ会長)「オバマ大統領が『今世紀はアジアの世紀だ』と言ったのでヨーロッパはびっくりした。人類の七割は海に近い所に住んでいる。EEZでは武力行使もあり得る。ヨーロッパから見るとアジアは劇的に成長を遂げた。エネルギー源をめぐる領土紛争もある。海洋繁栄を極めるアジアであって欲しい。安定をお願いしたい。アジアの安定はヨーロッパの利益。海洋安定は欠かせない。サイバー空間の監視は重大な問題」。

 

ピーター・ロエル氏(ベルリン戦略政治安全保障経済研究所理事長)「シーレーンの確保は中国の核心的利益の一つ。中国の軍事力増強・海軍外交がある。ドイツの国防には自由貿易航跡の確保は欠かせない。運輸の安全・シーレーンの確保は非常に重要。ヨーロッバの平和は海に直結している。船を護衛することが重要。東シナ海・南シナ海は不穏。胡錦濤は『海洋資源探索能力を高め、資源を断固守る』と言った。中国の軍事力にはまだ弱点がある。中国には野心がある。『尖閣・南シナ海の島は中国のもの』と言っている。中国の存在が増している。シーレーンは各国にとって極めて重要。それを守るための協力が増している。日米欧の自由貿易協定が始まったばかり。これはアジアも視野に入れている。李克強訪独はビジネスの話。中国とドイツの貿易額は一五〇〇ユーロ。中国はドイツにとって好ましい貿易相手国。兵器は売っていないし今後も売らない。中国からハッキングされ、アタックされている。ドイツは中国からサイバー攻撃されている。対話が重要。断固ものを言うことも必要」。

 

渡部恒雄氏(東京財団上席研究員)「世界各国は日本に期待している。しかし日本と中国・韓国との関係に不安を持っている。日本が普通の国に戻ることが軍国化・戦前に戻るように思われてしまう。ヨーロッパの中でドイツが果たしてきた役割を考察すべし。NATOのリビア爆撃で、フランスとドイツが爆撃した。NATOではドイツが中心的に働いている。ドイツはヨーロッバ各国の信頼を得ている。日本は中国との関係改善が重要。韓国が重要な役割を担う。しかし、日韓に歴史問題がある.サイバー攻撃が国際法上どう位置付けられるかが問題」。

 

畔蒜泰助氏(東京財団研究員)「今年四月、安倍首相が訪ソ。プーチン氏と会談。日露で外交・防衛実務者の対話の枠組みが出来た。北極海の交通・資源の可能性が高まると、最も利益を得るのはロシア。化石エネルギーシフトが進んでいる時、北極海の資源をどう考えるのか。日露関係が重要になる。千島列島の重要性がこれまでと違った形でクローズアップされる。ロシアは南シナ海にも関与している。ベトナムに潜水艦を供与している。ベトナムは中国との領土問題を抱えている。日露は重要なパートナーになり得る。北極圏航跡は日本とヨーロッパとの航路」。

 

小原凡司氏(東京財団研究員)「自衛隊が軍事力を行使し行動できるのは有事のみ。日米同盟は一年ごとに打ち切ることができる。海上自衛隊とアメリカは非常に緊密な関係にある。米軍のオペレーション(作戦)に貢献できるための訓練をしている。有事における日米協力関係には不安はない」。

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千駄木庵日乗八月二十四日

朝、デイサービスに赴く母を見送る。

この後、『政治文化情報』発送作業・完了。購読者の皆様には、週明けにはお届けできると思います。

夕刻、谷中にて、親族と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2013年8月24日 (土)

日韓歴史問題について

わが国の朝鮮半島統治によって「多大の損害と苦痛」を与えたという事実はない。むしろその逆に、わが国の統治によって朝鮮は近代化を遂げ発展したのである。    

 

 明治維新を断行したわが国は、まず李氏朝鮮を援けて清国の侵略を排除した。また朝鮮半島を保護下に置こうとしたロシアを撃破した。この二つの戦いが日清・日露両戦争である。

 

朝鮮併合は、当時の韓国が独立国家として自立していればわが国は、日清・日露両戦争をする必要もなかったし、朝鮮を併合する必要はなかったのである。しかし、朝鮮が支那やロシアに対して事大主義(支那・ロシアという勢力の強い国に従って言いなりになること)に陥り、支那・ロシアの属国となってしまう危険があった。朝鮮半島がロシアの支配下に入れば、次は日本てある。朝鮮併合はわが国の独立と自存のための止むを得ざる選択であったし、当時の国際世論の認めるところであった。

 

 併合後は、わが国の指導と投資により、南北縦貫鉄道の施設、多角的港湾の設定、多種多様の殖産興業、教育の普及、保健衛生施設の拡充、水利灌漑施策の充実等々、近代化建設はめざましいものがたった。これは台湾も同様である。つまり、台湾及び朝鮮統治は西欧列強の植民地支配とは全く異なる性格のものである。 

 

 『創氏改名』は、日本が朝鮮半島を植民地や属邦として一段低く見て隷属的に扱うのではなく、朝鮮半島と日本とを一体にし、朝鮮を日本の一部の地域として日本と等しくしようとの意図で、昭和十五年に行われた「日本式改姓名運動」のことである。

 

 この運動は、日本の力による強制と見るのは誤りである。多数の朝鮮人が自ら積極的にこの運動に参加したのは歴史的事実である。朝鮮半島の人々に日本人であることに誇りを持ち、内地人同様の義務と責任を果たしたいという意識が盛り上がったのである。つまり朝鮮の人々が日本人の姓名を名乗ることを希望したので、日本はそれを認めたのである。

 

 昭和十五年二月十一日の『紀元節』から八月十日までの六ヵ月間に限って「日本式姓名に改名したい人は改名していい」との方針を提示したら、朝鮮人の実に八割三厘の人が申し出た。それだけ朝鮮の人々は『創氏改名』に積極的だったのである。

 

 しかし、二割弱の朝鮮の人々は改名しなかった。しなくても迫害されたり不当に差別されることはなかった。例えば、洪思翊という人は、改名しなくても日本陸軍士官学校・陸軍大学校を出て陸軍中将にまで昇進している。また、朴春琴という人は、朝鮮名のままで日本の帝国議会の衆議院議員を勤めている。

 

いわゆる「従軍慰安婦」とは、正確には軍専属職業慰安婦と称し、相当の報酬を得ていた特殊職業婦人(俗にいう売春に携わる女性)のことで、勿論、強制されたものではなく自由契約によるものだった。

 

 軍は戦地での強姦暴行事件が起こるのを未然に防止するために、業者にこの種の女性の募集を委託した。従って性病防止などのため管理面で軍が関与したことはあっても、日本軍が強制連行したことは絶対にあり得ない。

 

 問題があったとすれば、朝鮮人業者(周旋人の殆どが朝鮮人であった)から甘言を以て騙され慰安婦になった例があったことである。しかしこれは日本軍や日本政府の責任では断じてない。朝鮮人自身の責任である。

 

韓国や日本国内の「反日メディア」が従軍慰安募集を、不当に歪曲し、誇大化して「強制連行」などと大々的に報道し、キャンペーンを張っているのである。その結果、内外の多くの人は「強制連行」があたかも歴史的真実であると共に、日本軍及び日本政府が行ったかのように思い込んでいる。そして、女性の人権を蹂躙した人道的犯罪を、日本軍が犯したと妄信されている。

 

 公表された慰安婦関係の記録文書には、朝鮮半島出身者に関する文書に「強制」「強要」「甘言」があった「事実」を示す記録は一件もなかったのである。「従軍慰安婦」問題などというのはでっち上げである。

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千駄木庵日乗八月二十三日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して『政治文化情報』発送準備、原稿執筆など。

夕刻、地元にて、ある落語家ご夫妻と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

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2013年8月23日 (金)

わが國のすぐれた伝統精神・倫理観念を回復することが緊急の課題

わが國の伝統信仰は、神と人とが相対立して契約を交わすなどということはなく、人も國土も神から生まれたと信じて来た。したがって、わが國の伝統的國家観は、人と人との結びつき(精神的血縁と言い換えてもよい)と信仰によって國家が成立しているという考え方である。

 

『日本人とユダヤ人』という本には、「日本には、『天の時、地の利、人の和』という言葉がある。かつてわが國では人口の八十パーセントがある時期になると同一の行動を起こした。田植えの時期になると全日本人が田植えをしなければならなかった。『ゴーイング・マイ・ウェイ』だなどと言ってそれをしなかったら飢死するしかなかった」という意味のことが書かれている。 

 

四季の変化が規則正しい自然環境にあるわが國は稲作國家であり、そこに生きる我々日本民族は、誰に強制されることもなく自然に共同体生活を営んで来た。そういう生活から日本國という信仰共同体國家が生まれてきたのである。砂漠の宗教の排他独善性をその淵源とする西洋の国家観・人間観と、わが國との國家観・人間観には決定的な違いがある。

 

ところが日本が戦争に敗れた後、アメリカの押しつけによって、西洋的國家観を最上のものとして受け入れられてしまった。現行占領憲法も政治制度も西洋的國家観に基づいている。 

 

わが國の國家観と全く異なる國の憲法の理念が、戦争直後、無理やり押しつけられたのである。「現行憲法」が戦後日本の混迷の元凶であることはこの事実によって明白である。

 

人間が本然的に持っている相互扶助の精神が発達拡大することにより國家が成立する。國家とは、人と人とがお互いに協力して生活していく共同体であるという本質を忘却し、國家を搾取機構・権力機構としてのみとらえれば、「國を愛する」とか「國に忠誠を尽くす」などという心は起こらない。まして生命を懸けて國を守ろうなどという気は起こらない。

 

 

また、個人の生活が、物質的・経済的条件のみで成り立っているのではなく、精神的信仰的道義的価値が無くしては成り立たないのと同様に、國家もまた決して経済的・物質的・政治権力的機構ではない。精神的・信仰的・道義的共同体である。

 

國民の自由と民主的な政治の根底には、それをを支える正しき國家観と共に正しき道義観念・哲學が必要である。しかし、今日の日本國民の多くは、正しき國家観を喪失しているだけではなく、正しき道義観・倫理観も忘却している人がいる。 

 

戦前の日本には、『教育勅語』に集約される正しき道義観があったし、「忠君愛國」「敬神崇祖」という正しき信仰精神があった。しかし戦争に敗北したことにより、それらは全て「軍國主義」「封建道徳」の名を着せられて排撃されてしまった。そしてわが國は道義観なき「自由と民主主義」「個人の尊重」が声高に叫ばれて来たのである。

 

わが國には「恥を知る」という倫理観がある。「日本文化は名と恥の文化である」と言われるほどに、わが國民は恥をかくことを嫌うし、名がすたること忌み嫌ってきた。恥をかかさせることに何よりも怒りを覚える國民であったし、恥ずべきことはしないことを何よりも重んじてきた國民である。

ところが、今日の若者は浮浪者でも乞食でもないのに平気で地べたに座り込んで話をしたりものを食べている。こういう若者たちを<恥知らず>というのである。若者だけではない。政界・官界・財界のエリートたちも<恥知らず>が多くなってきている。だからわが國近年の外交は屈辱外交を繰り返しているのである。

 

わが國のすぐれた伝統精神・倫理観念・國家観を回復することが緊急の課題である。問題はその方法論である。一番大切なのは、家庭と學校における教育なのであるが、これがおかしくなっているのだから事は深刻なのである。

家庭においては親たちが子供の鏡となるような生活を営むことが大事であるし、學校教育においてはわが國のすぐれた古典を教育すべきである。

 

人間は伝統的な価値によって決定される正しい行動の規範に基づいて生活することによって、真の自由と幸福とを得ることができるのである。

 

混迷の淵にある祖國日本を起死回生せしめるには、戦後民主主義を否定し、わが國の伝統的な國家観と道義精神を回復せしめなければならない。それが文字通り専制と隷従、圧迫と偏狭を永遠に除去し、わが國國民が真の平和と自由を獲得する道である。 

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千駄木庵日乗八月二十二日

午前は、母のお世話。今日もケアマネージャー来宅。今後の母の介護について相談。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集作業。『百人一首』解釈原稿執筆。

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2013年8月22日 (木)

和歌・やまとうたの起源について

和歌(やまとうた)は、日本の最も純粋にして最も固有な文藝である。「和歌」は、「漢詩(からうた)」に対して用いられた言葉である。「やまとうた」といふ言葉を意識的に用い出した人は、紀貫之といはれてゐる。

 

紀貫之は、平安前期の歌人、歌学者。三十六歌仙の一人。仮名文日記文学の先駆とされる『土佐日記』の作者である。加賀介、土佐守などを歴任。醍醐天皇の勅命で『古今和歌集』撰進の中心となり、「仮名序」を執筆した人。

 

「やまとうた」は、「まつりごと」から発生した。日本では太古から、天地自然の中に生きてをられる天地の神に、五穀の豊饒や民の幸福を祈るまつりごとが行はれてゐる。その「まつりごと」において祭り主が神憑りの状態で「となへごと」がを発した。神憑りの状態から発せられた「となへごと」が度々繰り返された結果、一定の形をとるやうになったのが「やまとうた」(和歌)の起源である。祭祀における「となへごと」は、「やまとうた」のみならずわが國の文藝全体の起源である。

 

祭祀における「となへごと」は、「七・五調」あるいは「五・七調」に自然に整へられたといへる。これは「七・五調」あるいは「五・七調」といふ調べに、日本人の魂をゆさぶる何ものかがあるといふことである。そして和歌が「五・七・五・七・七」といふ短歌形式になっていったのであらう。

 

『うた』の語源は、神様に何事かを「訴へる」といふところから来てゐる。神に自分の心・神への願ひ事を訴へることが歌の起源である。

 

高崎正秀氏は、「歌は空(ウツ)・現(ウツツ)・うつろ・うつけなどと同義で、神憑りの夢幻的な半狂乱の恍惚状態を指すことから出た語であり、同時にまた、裏・占・心(ウラ)訴(ウタ)ふなどとも同系語で、心の中の欲求を神に愁訴するものであった。」(『伊勢物語の意義』)と論じてをられる。

 

わが國の文藝の起源は神への祭祀における舞ひ踊りと共に歌はれた「歌」であることは、出土してきてゐる土偶によって分かるといふ。

 

ことばを大切にしことばに不可思議にして靈的な力があると信じたがゆへに「言霊のさきはふ國」といはれるわが國においては、歌は何よりも大切な神への捧げものとされたのである。それが祝詞となったのである。祝詞も声調・調べが整ってゐる。

 

日本の古代信仰のみならずあらゆる宗教において神や仏に対して祈りを捧げたり経典を読誦したり、特定の言葉を唱へることが基本的行事である。すべて言葉を唱へる行事である。祈りとは、経典や聖書、祈りの言葉そして題目や念仏も同じである。

 

歌をはじめとした日本文藝の起源は、神への訴へかけである。神に対してだけでなく、恋人や親や死者など他者に対する何事かを訴へかけが、日本文藝の起源なのである。他者に対して何事かを訴へるものが「歌」であり、何事かを語りかけるものが「物語」である。

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千駄木庵日乗八月二十一日

午前は、母のお世話。介護のケアマネージャー来宅。今後の母の介護について相談。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』発送準備など。

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2013年8月21日 (水)

祖國愛・愛國心について

言葉は大事である。わが國は言霊を大切にする。また、聖書には「言葉は神なりき」とあり、佛教では「声字即実相」と言ふ。

 

戦前、東海林太郎か歌って大ヒットした『麦と兵隊』の歌詞に「腕をたたいて 遥かな空を 仰ぐ眸に 雲が飛ぶ 遠く祖國を はなれ来て しみじみ知った 祖國愛 友よ来て見よ あの雲を」とある。この歌詞の「祖國愛」を「愛國心」に変へてしまったら、歌にも詩にもならない。「祖國愛」といふ言葉は「愛國心」といふ言葉と比較するとそれだけ情緒があり詩的だといふことであらう。祖國とといふ言葉には、わが親なる國、父祖の國、母國という観念が表出されているからであらう。

 

それはともかく、愛國心と祖國愛は、枯渇することなく脈脈と民族の魂と共に傳えられる。自國を愛する心が絶えてなくなってしまふなどといふことはあり得ない。そしてそれは、國家民族に危機が迫ると、激烈に燃え上がる。外國からの圧力・干渉を排して國家の独立を維持せんとする意志・精神・及び運動は、運命共同體意識と言ひ換へても良いと思ふ。これは、國家民族の危機の時に澎湃として沸き起こってくるごく自然な感情である。危険だとか排外主義だとか言って否定

すべきではない。

 

言ふまでもないが、愛國心・祖國愛は日本にだけ存在するものではない。世界各國に共通して勃興し存在する。その國・民族・共同體が危機に瀕した時に興起する國家防衛・独立確保の主張と行動である。

 

また、愛國心・祖國愛は、歴史意識・傳統信仰と深く結びついてゐる。といふよりも不離一體である。自己の意識の中に民族の歴史を蘇らせることによって、愛國心・祖國愛が形成される。

 

國家的危機に際會した時、それを撥ね退けんとしてその國民がその國の歴史意識・傳統精神を根底に置いて運命共同體意識を結集し、勃興する精神と行動が愛國心・祖國愛である。これをレイシズムだとか言って否定することは誤りである。

 

ただし、民族の歴史を國民一人一人の精神の中で甦らせ、自己の倫理観・道義感の基本に置くことによって民族の主體性が形成される。わが國の愛國心・祖國愛は、わが國伝統精神・道義観念と一体であらねばならにない。

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千駄木庵日乗八月二十日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、『伝統と革新』編集作業、資料の整理など。

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2013年8月20日 (火)

支那共産党の幹部や政府の官僚たちは国家を私物化し人民を食い物にしている

私は何年か前、約二週間ほど支那大陸を旅した。その旅行で実感したのは、支那人は「衛生観念」と「羞恥心」が希薄であるといふことである。南京に行った時、日本で言へば国民宿舎のやうなところに泊まったのだが、廊下の痰壷の上に「痰壷に糞をするな」と書いた「張り紙」があった。かういふ「張り紙」があるといふことは実際に痰壷に大便をする人がゐるといふことである。日本では考へられないことだ。衛生観念と恥を知る心があればさういふことは出来ない。

 

また、町の食堂に行ってトイレに入ると、トイレの床に小麦粉か何か食材が入った袋がたくさん積んであった。また日本でも名が知られ、観光客が多く訪れる施設のトイレに扉が無い事が多かったし、トイレットペーハーも無い所が多かった。女性の旅行者は本当に困ったであろう。

 

また、支那は「張り紙」「標語」も多い国である。「張り紙」や「標語」が多いといふことは、そこに書かれてゐることが実行されてゐないといふことでもある。「中国共産党万歳」といふ「標語」が多いのは、腹の底でさう思ってゐない人が多いから、「標語」を掲げなければならないのである。國民党独裁体制下即ち「中国人」によって支配されていた時代の台湾も「標語」が多かった。「総統万歳」「光復大陸」「実践三民主義」といふ標語が其処彼処に掲げられていた。

 

また、政府や国民党関係の建物の中には孫文の言葉である「天下爲公」といふ言葉が多く掲げられてゐた。

 

司馬遼太郎氏は次のやうに論じてゐる。「いま台北にいる。…歩道に段差が多く、あやうく転びそうになった。歩道は公道なのだが、どの商店も、自分の店の前だけは適当に高くしている。高さに高低がある。『"私〟がのさばっていますな』と、冗談をいった。中国文明は偉大だが、古来、"私〟の文化でありつづけてきた。皇帝も"私〟であれば大官も"私〟だったし、庶民もむろんそうだった。"私〟を壮大な倫理体系にしたのが、儒教であった。孝を最高の倫理とするのはみごとだが、孝は身の安全と家族の平穏ということのみの願望になりやすい。近代中国の父といわれる孫文は、このことをなげいた。色紙をたのまれると、『天下為公』(天下をもって公となす)と書いた。また、その著『三民主義』の冒頭にも、"中国人は砂だ、にぎってもかたまらない〟といった。"公〟という粘土質に欠けていることをなげいたのである」(「風塵抄ー台湾で考えたこと(1)公と私」全集六六)。

 

支那の権力者は国家さへ私物化する。だから「天下爲公」といふ「標語」を掲げざるを得なかったのである。それは国民党だけではない。今日の「中国共産党」も同じである。毛沢東・朱徳が率いた中共軍の軍規が厳正だったといはれたのは権力掌握以前だけであった。中共の権力掌握後、毛沢東は中国といふ國を私物化し多くの同志・国民を虐殺した。今日の支那共産党の幹部や政府の官僚たちも国家人民を食い物にしている。これは薄熙来の事件などを見ても明らかである。党と国家の指導者の居住地である北京の中南海の入り口には、『人民の為に服務せよ』と書かれた大きな看板があった。こうした看板が掲げられているのは、党幹部が人民のために服務してゐないからである。

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千駄木庵日乗八月十九日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集作業、『百人一首』の解釈原稿執筆。

夕刻、谷中三崎坂の酒房にて、地元の先輩と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

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2013年8月19日 (月)

中華帝国主義が二十一世紀の最大の脅威である

共産支那は、一九九〇年代以降、「中華民族の偉大な復興」を旗印にわが国の明治維新をサル真似した「富国強兵」策を実行し、アジアでの覇権確立を図って来た。核開発は四十年以上前から行っている。

 

かつて清朝時代に「眠れる獅子」と言われた支那帝国が二十一世紀になっていよいよ暴れ出したのである。アジア最大の軍国主義国家=軍事力によって国家意志を貫徹する国家が、共産支那なのである。また過去の歴史を歪曲している国は共産支那なのである。

 

田中内閣による「日中国交回復」以来、対シナ屈辱外交・土下座外交が行われてきた。日本は経済協力を強いられ、シナの経済発展に貢献した。然るにそのことは全く感謝されず、また、日本の貢献をシナ民衆には知らされることもなかった。そして今日、歴史問題・領土問題・資源問題で恫喝され、軍事的圧迫を受けている。何とも悔しい限りである。

 

昭和四十七年九月二十九日に 北京で署名された『日中共同声明』には「日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する」と書かれている。しかし、「日中国交樹立」以来のわが国と「中国」との関係こそきわめて「不正常な状態」であり続けている。

 

問題の根本は、わが国の軟弱さである。このままだと、わが国は共産支那の属国になってしまう。国家の主権・領土・独立・尊厳を固守し、正当なる主張をすることこそ、主権国家の政府としての基本的な外交姿勢である。

 

共産支那の反日策謀は、共産支那政府の国家戦略に基づいて行なわれている。その第一の目的は、共産支那がアジアの覇者となるために日本を押さえこむこと、第二の目的は、共産党一党独裁体制維持のために民衆の不満を外に向けさせること、である。「日中国交正常化」以来の『日中友好』は最早全く過去のものとなったのである。

 

日本の経済援助によって軍事的・経済的に強くなった共産支那によって、わが国が危険に晒されている。「日本が支那に経済協力を行えば、支那は経済発展し、経済発展によって民主化する」という考えは全く誤りであったことが証明された。日本のおかげで経済発展した共産支那は、軍事力を増強させ、わが国に牙を剥いてきたのである。これまで、「日中友好」を唱えてきたわが国内の「親中派」の責任はきわめて大きい。

今こそ、日本民族のナショナリズムを興起せしめねばならない。私は共産支那や南北朝鮮と戦争することを期待しているのではない。祖国日本の独立と自由の死守を叫んでいるのである。

 

巨大な軍事国家・全体主義国家の奴隷になるか、国家の独立と自由と繁栄を守るか、という二者択一の選択が、わが国民に迫られている。中華帝国主義の共産支那こそ二十一世紀の日本及びアジアの最大の脅威である。暴支膺懲の戦いを開始すべきである。

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千駄木庵日乗八月十八日

午前は、母のお世話。

午後は、『大吼』連載の「萬葉集」講義原稿執筆・脱稿・送付。

この後、有楽町に買い物に赴く。

帰宅後、『伝統と革新』編集作業。

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2013年8月18日 (日)

共産支那に如何に対峙するかがわが日本の独立を維持するための最大の課題

共産支那は、『中華帝国主義』と『共産帝国主義』を併せ持つアジア最大の侵略国家・覇権国家・軍国主義国家・独裁国家である。共産支那に如何に対処し対峙するかが、わが日本の独立・安全を維持するために最大の課題である。

 

我々が、「中国脅威論」を論じ、共産支那への経済協力を批判すると、親支那派の人々は、「日本が対中協力をすることにより、中国が発展して豊かになれば、民主化が促進され、中国の脅威などは無くなる」などと反論してきた。こうした論議が全く間違っていたことが、今日明白に証明された。

 

また、「日本は平和国家として出発したのだから、軍事力を強化してはならない。憲法違反の自衛隊は無くしてしまい、日米軍事同盟も破棄すべきだ。それが平和への道である」という論議がいかに間違っていたかも明らかになった。「間違っていた」どころではない。東アジアの平和と日本国の独立と安全を根底から脅かす論議である。

 

 

共産支那は、一九九〇年代以降、「中華民族の偉大な復興」を旗印にわが国の明治維新をサル真似した「富国強兵」策を実行し、アジアでの覇権確立を図って来た。核開発は四十年以上前から行っている。

 

かつて清朝時代に「眠れる獅子」と言われた支那帝国が二十一世紀になっていよいよ暴れ出したのである。アジア最大の軍国主義国家=軍事力によって国家意志を貫徹する国家が、共産支那なのである。また過去の歴史を歪曲している国は共産支那なのである。

 

田中内閣による「日中国交回復」以来、対シナ屈辱外交・土下座外交が行われてきた。日本は経済協力を強いられ、シナの経済発展に貢献した。然るにそのことは全く感謝されず、また、日本の貢献をシナ民衆には知らされることもなかった。そして今日、歴史問題・領土問題・資源問題で恫喝され、軍事的圧迫を受けている。何とも悔しい限りである。

 

昭和四十七年九月二十九日に 北京で署名された『日中共同声明』には「日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する」と書かれている。しかし、「日中国交樹立」以来のわが国と「中国」との関係こそきわめて「不正常な状態」であり続けている。

 

問題の根本は、わが国の軟弱さである。このままだと、わが国は共産支那の属国になってしまう。国家の主権・領土・独立・尊厳を固守し、正当なる主張をすることこそ、主権国家の政府としての基本的な外交姿勢である。

 

共産支那の反日策謀は、共産支那政府の国家戦略に基づいて行なわれている。その第一の目的は、共産支那がアジアの覇者となるために日本を押さえこむこと、第二の目的は、共産党一党独裁体制維持のために民衆の不満を外に向けさせること、である。「日中国交正常化」以来の『日中友好』は最早過去のものとなったのである。

 

日本の経済援助によって軍事的・経済的に強くなった共産支那によって、わが国が危険に晒されている。「日本が支那に経済協力を行えば、支那は経済発展し、経済発展によって民主化する」という考えは全く誤りであったことが証明された。日本のおかげで経済発展した共産支那は、軍事力を増強させ、わが国に牙を剥いてきたのである。これまで、「日中友好」を唱えてきたわが国内の「親中派」の責任はきわめて大きい。

 

軍事力を軽視することは、侵略者・無法国家を増長させるだけである。わが國は、日米軍事同盟を堅持し強化するとともに、自主防衛体制を確立する以外に、無法国家・侵略者から祖国を守る手立ては無い。

 

巨大な軍事国家・全体主義国家の奴隷になるか、国家の独立と自由と繁栄を守るか、という二者択一の選択が、わが国民に迫られている。中華帝国主義の共産支那こそ二十一世紀の日本及びアジアの最大の脅威である。暴支膺懲の戦いを開始すべきである。

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千駄木庵日乗八月十七日

午前は、母のお世話。

午後、在宅して、『伝統と革新』編集作業、原稿執筆。『百人一首』解説原稿執筆。

夕刻、団子坂の酒房にて、知人と暑気払い。

帰宅後も、原稿執筆など。

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2013年8月16日 (金)

日本国は「中国」「中華」であり、日本天皇は「天子」である

世界の先進国で支那を「中国」と呼んでゐる国は日本以外にない。どこの国も「支那(英語ではChina)」と呼んでゐる。わが国が支那のことを「中国」などと呼称する自体、「日本は中国の属国であり冊封国だ」と認めることになり、わが国にとってこれほどの屈辱はない。

 

さらに、わが国がとてつもない差別思想である「中華思想」を容認することとなり、「中華帝国主義」に侵略され併呑される原因となる。わが国及びわが国民が支那を「中国」と呼ぶことは、極論すればわが国及びわが国民が支那の支配下に日本が入ることを容認することになる。

 

古代において日本は「中華」であり、日本天皇は「天子」であるとの自覚が確立してゐた。『日本書紀』巻第九の「神功皇后九年の条」に、神功皇后が朝鮮半島に赴かれた時、新羅の王が「吾聞く、東に神國(かみのくに)有り。日本と謂ふ。亦聖王(ひじりのきみ)有り。天皇と謂ふ。必ず其の國の神兵(みいくさ)ならむ。豈兵を擧げて拒(ふせぐ)ぐべけむや」と述べ、白旗を掲げて降伏したと記されてゐる。新羅が降伏したのを聞いた高麗・百済両国の王も、日本軍の陣営の外に来て、「今より以後(のち)は、永く西蕃(にしのとなり)と稱()ひつつ、朝貢(みつきたてまつること)()たじ」と述べたと記されてゐる。

 

この記述にはわが国古代における「わが国は神の国であり、天皇は聖なる君主であらせられ、日本の兵は神兵であるといふ意識」が明確に示されてゐる。のみならず、隣国朝鮮においてもさうした意識があったのである。

 

また、『日本書紀』巻十四の「雄略天皇七年の条」には、「時に、新羅、中國(みかど)に事(つか)へず、天皇、田狹臣(たさのおみ)の子弟君(おときみ)と吉備海部直赤尾(きびのあまのあたひあかお)とに詔して曰はく、『汝、往来て新羅を罰()て』とのたまふ」と記されてゐる。

 

ここに記されてゐる「中國」とはわが国の事である。わが国は古代から、わが国が「中華」であり、西の隣の新羅・百済・高麗の三国はわが国に朝貢する「蕃國」であるといふ意識があったのである。

 

つまり、わが国は、支那の中華思想を換骨奪胎し自己薬籠中の物として、「わが国こそが中華である」との意識を確立したのである。

 

推古天皇十五年(六〇七)、隋に使者を遣した。『日本書紀』には、「大礼小野妹子を大唐に遣はす」とある。これに対応する『隋書』倭国伝の文には、「其の国書に曰く、『日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや云々』と。帝これをみて悦ばず。鴻臚卿に謂って曰く、『蛮夷の書、無礼なるものあり、復た以て聞することなかれ」(隋の煬帝はこの国書を見て喜ばす、外務担当の大臣・鴻臚卿に『野蛮人の国書は無礼である。聞くことはない』と言った)と記されてゐる。

 

「日出づる処の天子」といふ言葉には、わが日本は日の神天照大御神の地上的御顕現であらせられる日の御子が統治される国がであるといふ思想精神が表白されてゐる。わが日本天皇は日の神の御子であるといふ思想精神である。中華思想においては「天子」は支那の皇帝ただ一人であるはずである。しかし、日本はこれを認めず、わが日本天皇も「天子」であるとしたのである。また「書を致す」「恙無きや」といふ句も、対等の立場に立った表現である。

 

次の年の推古天皇十六年(六〇八)四月に、隋の答礼使・裴世清が帰国する小野妹子と共に日本に来た。隋は、日本の隋に対する対等関係以上の外交姿勢を「無礼」とは思っても、事実上これを容認したのである。

 

九月十一日には、推古天皇は裴世清の帰国に際しての聘問(進物を携へて訪問する意)の辞で、「東の天皇、敬(つつし)みて西の皇帝に致す」と仰せられた。「天皇」と「皇帝」といふ表現も、日本が支那よりも対等以上の関係のあることを表はしてゐる。

 

以上述べてきたやうに、わが国は古代において既に日本国は「中国」「中華」であり、日本天皇は「天子」であるとの自覚が厳然と確立してゐたのである。

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千駄木庵日乗八月十六日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』原稿執筆・編集作業、『大吼』連載原稿執筆・脱稿・送付、『百人一首』解釈原稿執筆。ともかくこのところ原稿書きで忙しい。

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外圧の危機が迫った時こそ、国家民族の再生変革の好機である

 わが国は今日、文字通り内憂外患交々来たると言った危機に晒されてゐる。対外関係においては、ロシア・韓国に領土を奪はれ、共産支那からは尖閣・沖縄への侵略の危機が迫っている。さらに、支那・韓国はいはゆる歴史問題でわが国に対して内政干渉・圧迫が行はれてゐる。これにどう対処し危機を打開するか、今日のわが国にとってそれが最大の問題である。

 

一国の総理が、その国の戦没者を慰霊することを外国からの干渉で出来ないなどという事があっていいはずがない。しかし、わが国はさういふ状況に置かれてゐるのである。

 

しかし、悲観したり絶望したりしてはならない。何処の國の革命も変革も、洋の東西・時の今昔を問はず、外國との関連・外國からの圧力によって為し遂げられた。即ち、外圧の危機が迫った時こそ、国家民族の再生変革の好機なのである。古代日本の大変革たる大化改新も支那・朝鮮からの侵攻の危機下に行はれた。ロシア革命も日露戦争・第一次世界大戦の影響下に行はれた。明治維新もしかりである。

 

 

 

アメリカなどの西欧列強は、「征夷」の意志と力を喪失した徳川幕府の弱體化に付け入って、武力による圧迫を以て屈辱的な開港を日本に迫った。徳川幕府は、外圧を恐れかつ自らの権力を維持せんとしてそれを甘受しやうとした。

 

吉田松陰は、安政六年四月七日付の北山安世宛書状で、「独立不羈(ふき・束縛されないこと)三千年来の大日本、一朝人の覇縛(きばく・つなぎしばること)を受くること、血性ある者視るに忍ぶべけんや。……今の幕府も諸侯ももはや酔人なれば扶持(ふじ・そばにゐていたすけささへること)の術なし。草莽崛起の人を望む外頼なし。……草莽崛起の力を以て近くは本藩を維持し、遠くは天朝の中興を輔佐し奉れば、……神州に大功ある人と云ふべし」と書いた。

 

質の高い統合を實現してゐる國家に強大な外敵が出現した場合、民族的一體感・ナショナリズムが沸き起こるのは当然である。それが幕末期のわが大日本國であり神州日本である。

 わが國は今こそ、國家の独立と安定と統一を保持するために、日本の傳統と自主性をもっともよく體現する御存在である天皇を中心とした國家に回帰する維新を断行しなければならない。

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千駄木庵日乗八月十五日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事・原稿執筆。

午後五時より、ある『暑気払い』に出席。

帰宅後も、『伝統と革新』編集の仕事・原稿執筆。

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2013年8月15日 (木)

「戦後レジーム」から脱却を願ひ、国家の主権回復を大切にするのなら、内閣総理大臣として正々堂々靖国神社に参拝すべきである

明日になってみないと分からないが、安倍晋三内閣総理大臣は、今年八月十五日の『終戦の日』には、靖国神社参拝を行わないようである。そして代理人を通じて、「自民党総裁・安倍晋三」として私費で玉串料を納めるといふ。四月の靖国神社春季例大祭でも、参拝はせず「真榊(まさかき)」を奉納した。四月の靖国神社春季例大祭でも、参拝はせず「真榊(まさかき)」を奉納した。安倍総理はこれまでの国会答弁や記者会見などで「国のために尊い命を犠牲にした方々に尊崇の念を表する気持ちは持ち続けていきたい」などと言ってゐたので、まことに残念になことである。

 

報道では、「冷え込んでゐる中国や韓国との関係」に配慮したからだといふ。配慮したといふよりも、共産支那・韓国の圧力に屈したと言ふべきばてないのか。

 

一方、安倍晋三総理は八月十三日、吉田松陰を祀る山口県萩市の松陰神社に参拝した。参拝後、総理は様々な政策課題を念頭に「松陰先生は大変困難な決断をした。私も秋にさまざまな難しい判断をするが、『間違いない正しい判断をしていきます』と誓いを新たにした」と記者団に語った。

 

秋季例大祭と『終戦記念日』に靖國神社への参拝を行はないことが果たして「間違いない正しい判断だったのであるのか。

安倍総理は、郷里の大先輩であり、明治維新の指導者であった吉田松陰を尊敬してゐるからにこそ、松蔭神社に参拝したのであらう。

 

また安倍氏は以前から「戦後レジームからの脱却」を主張してゐる。また今年四月二十八日、昭和二十七年の「サンフランシスコ平和条約発効」を記念して、政府主催で「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が開催し、天皇・皇后両陛下のご臨席を仰いだ。安倍晋三総理が真に「戦後レジーム」から脱却を願ひ、国家の主権回復を大切にするのなら、内閣総理大臣として正々堂々靖国神社に参拝すべきである。さういふ姿勢を貫いてこそ、外交問題が正しく解決すると考へる。

 

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千駄木庵日乗八月十四日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して『伝統と革新』編集の仕事。『政治文化情報』原稿執筆・脱稿・送付。

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2013年8月14日 (水)

「神話」には時間を超えた永遠の価値がある

何故、天皇は神聖なる御存在であるのか、それは天皇が、天照大神の地上に於ける御代理であらせられるという「神話の精神」によるのである。また、何故天皇が日本國の統治者であらせられるのか、それは天皇が、天照大神より日本國を統治せよと御命令を受けておられるという「神話の精神」によるのである。それ以外に理由はないのである。このことをまず以て確認しなければならない。古代から今日に至るまで様々な時代の変遷があったが、このことは決して変わることはないのである。

 

したがって『現行占領憲法』第一章の「天皇の地位は日本國民の総意に基づく」という条項は天皇の御本質を正しく表現していない。

 

「神話の精神」と言うと非科學的だとか歴史的事実ではないと主張してこれを否定する人がいる。しかし、神話は荒唐無稽な伝承ではない。「神話」において語られているのは、一切のものごとの生成の根源であり古代人の英知の結晶であり、神話的真実なのである。「神話」には日本民族の中核的思想精神・根本的性格(國家観・人間観・宇宙観・神観・道義観・生活観など)が語られているのである。それは、天地自然・生きとし生けるもの一切の中に、神の命を見るという信仰精神である。

 

そうした「日本神話の精神」は、は西洋科学技術文明及び排他独善の一神教を淵源とする闘争的な西洋政治思想の行きづまりが原因となった全世界的危機を打開する力を持っている。

 

しかも日本民族の「神話の精神」はただ単に『古事記』『日本書紀』といった文献だけでなく、「天皇の祭祀」という「生きた行事」によって今日まで継承され語られているのである。「神話」には時間を超えた永遠の価値がある。日本民族の伝統的思想精神の結晶である「神話」への回帰こそが、現代の混迷を打開する方途である。

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千駄木庵日乗八月十三日

朝は、母のお世話。

この後、在宅して『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆。そして、『政治文化情報』の原稿執筆。このほか今週中に、依頼された原稿を二本書かねばならない。世間はお盆休みだが、なかなか忙しい。

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2013年8月13日 (火)

この頃詠みし歌

新しき花届けられ仏前に供へれば心安らぎにけり

 

荒々しき心鎮めむと真向へる観音像の慈悲の尊顔

 

穢れ多き世を清めむとする如く驟雨激しきこの夕べかも

 

部屋の中に虫入り来て飛び廻り朝来たりなば骸となれり

 

かつて仰ぎし磐梯山を思ひつつ大河ドラマを楽しみて見る

 

朗らかにテレビ見てゐるわが母の命尊しと思ひつつゐる

 

楽しげにテレビを見てゐるわが母よ 長く生きませとただに祈れる

 

向かひ家の女性はニコニコ笑ひつつ出かけ行きたりこの暑き日に

 

雷鳴が轟き始め大空の雲うごめける朝(あした)なりけり

 

朝の雷心地良くもあり不気味でもあり

 

許せざる心激しきこの夜は喉の渇きも激しかりける

 

夕暮の観音堂は静かなり母を守らせと祈り捧げる

 

観世音の慈悲に包まれてゐる如くお堂の前に猫眠りゐる

 

観音堂の参道に寝そべる猫二匹人間といふものを恐るることなし

 

昨日より猛烈な暑さとなりければ時間の流れが遅くなるなり

 

じんじんと照りつける太陽をものともせず街歩み行く我にしありけり

 

原稿を一心に書き疲るれば暫し飴をばしゃぶりゐるなり

 

美しくも気高き人の話をば慎みて聞く清き応接間

 

新しき下駄を履きなばカラコロと音がするなる心地良さかな

 

わが町を下駄で闊歩し朗らかな心なりぬ炎天の下

 

一心にもの書きてゐる夜の更けに新たなる力湧き来る如し

 

崖の下を歩み行きつつ恐ろしき災厄といふを思ひ起こしぬ

 

日本茶を呑みて心が静まるを嬉しと思ふ母と二人で

 

にこやかに語りたまへるわが母が心静かにゐますうれしさ

 

歌謡曲を口ずさみつつ横たはる母は健やかに過ごしたまへり

 

コロッケとメンチを買ひ来て母と二人食事するなり夏の真昼間

 

 

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千駄木庵日乗八月十二日

午前は、母のお世話。

この後は、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後七時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『一水会フォーラム』開催。稲村公望中央大学大学院客員教授が講演。質疑応答。終了後懇親会。講師が「島育ち」「長崎の鐘」などを熱唱。談論風発・侃侃諤諤。

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講演する稲村公望氏

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2013年8月12日 (月)

宮内庁が皇室をお守り使命を十分に果たせる状況にない

戦前の宮内省と比較すると今日の宮内庁の権限は大幅に縮小されてゐるし、皇室の尊厳性をお護りする法律も整備されてゐないので、宮内庁が皇室をお守り使命を十分に果たせる状況にない。

 

『選択』平成十七年六月号掲載の『藩屏(注・守り防ぐための垣根。皇室を守護するもの)不在』といふ記事に、皇室に関して次のやうな重大な指摘がなされてゐた。「政府に遠慮しなかった宇佐美(注・毅氏。二十五年間にわたって宮内庁長官を務め、昭和天皇のお仕へした人)に閉口して、官邸がコントロールしやすいやうに、宇佐美の後の宮内庁長官を官僚の一ポストに過ぎなくした…入江(注・相政氏。半世紀にわたって昭和天皇にお仕へした人)の実力に政治家も手が出せなかった。…宇佐美の後任、警察官僚の富田朝彦は次長四年、長官を十年勤めたが決断が鈍く、『小型』官僚の典型であった。…誰がどのようにして皇室を支へるのか。『馬齢官僚』は願い下げだが、適材なら定年など無視して構わない。学者や民間人の起用も選択肢の一つである」と書いてゐる。富田氏については部下だった佐々淳行氏も「あさま山荘事件」についての自著で「不決断の警備局長」と批判してゐた。

 

この富田氏の「メモ」が大きな問題を起こしたのは記憶に新しい。三木武夫総理(当時)が靖国神社参拝について「私的参拝だ」などと余計なことを言った。富田宮内庁長官は、その翌年の昭和五十年十一月二十日の参議院内閣委員会において、社会党の野田哲・矢田部理・秦豊両議員から、その翌日に行れた天皇陛下の靖国神社ご親拝について、次のやうに厳しくかつ執拗に責め立てられた。 (この時、秦豊は、先帝陛下に対し奉り「裕仁氏」などといふ言辞を弄した)

 

「野田哲氏『あなた(注・富田氏のこと)は憲法第二十条、国及びその機関はいかなる宗教的活動も行ってはならない、こういう規定があることは承知の上でこの計画(注・先帝陛下の靖国神社御親拝のこと)を立てられたわけですね。天皇陛下を公的に靖国神社に参拝をさせる道を開いていきたい、これが基本になっているわけなんです。やはり憲法上そこに非常に大きな問題があるということが、そうしてまた、国民の憲法20条を守っていこうという大きな世論があることが、これが実現をしない一番の基礎になっているんです。あなたはそのことを御承知ですか、そういう経過が靖国神社をめぐってはあるということ、是非はともかく経過があるということをあなたは御承知になっておられますか。』

 

秦豊氏『すでに今年の8月には何があったか。三木総理大臣が、南平台の一市民三木武夫というふれ込みと、あるいはカムフラージュで靖国に参拝したことは、これはもう公然たる事実でしょう。』『三木さんは行った、あすは天皇だ。』『自然人裕仁氏の自然行為ではない、私的行為というような強弁は聞けない、こういう立場をわれわれは堅持したいと思う。』『あなた方はあくまでやはり公のしもべ、公僕ではなくて、すめらぎのしもべという感じがして仕方がない。しかも、あなた方のやっているそういう行為の一つ一つが、あなた方が一番大事に思っているはずの天皇というものを政治的に非常に渦中にさらす、政争の焦点に立てるということに対する感受性もない。実に恐るべきぼくは鈍感さだと思う、あえて言いたい。』『私がやはり宮内庁側に、あるいは総理府総務長官に申し上げたいのは、…とにかくあすの参拝については再考慮をするというふうな柔軟な考え方がなぜ生まれないか。ぜひとも私は、この際、まだ時間もあることだから、宮内庁としても総理府総務長官としても、やはり再考慮をあられたいという要望を私は私の質問の最後にぜひとも申し上げておきたい。』

 

矢田部理氏『天皇が公式行事として靖国神社を参拝すれば憲法二十条の第3項に抵触することになると考えているのか。イエスかノーかだけ答えてください。』『宮内庁長官や侍従長あるいは政府職員がこれに随行するようなやつは私的行為とは言えないんじゃないかという問題点も出されています。さらに、費用の使い方も問題だ。私的行為であるとするならば、純粋に天皇の個人資産から支出をすべきなんです。それを公の費用で賄うということもおかしい等々の点で、どうしても私的行為だという強弁には承服しがたいわけであります。』」

 

かうした執拗にして悪辣なる社会党の国賊議員たちの国会における質問・追及が、富田氏に大きな脅威と圧迫となったと思はれる。この後、先帝陛下が靖国神社に行幸されなくなった。富田氏が、政治家の圧迫と追及に震へあがり、先帝陛下にいろいろな情報を申し上げて、先帝陛下の靖国神社行幸をお止めし、それを糊塗するために「A級戦犯云々」を「日記」に書いたと推測するのは邪推であらうか。

 

「富田メモ」が富田氏の創作であると言ふのではないが、富田氏の意志がまったく混入されてゐないといふ保証はない。「富田メモ」に書かれてゐることはあくまでも、富田氏の聞き書きであり、先帝陛下のお心を百パーセント誤りなく伝へているとは言へない。

 

現行体制下の宮内庁長官は、政治権力者と対等にものを言へる立場ではない。それが皇室の政治利用が行はれる原因である。そして国会で国賊議員からとっちめられれば、天皇陛下の靖国神社御親拝も行はれなくなる。天皇陛下の側近が政治家に顎で使はれたり、国会議員に恫喝されるやうでは、天皇・皇室を政治権力からお護りする事は出来ない。

 

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千駄木庵日乗八月十一日

午前は、母のお世話。

午後から羽在宅して、『政治文化情報』原稿執筆、『伝統と革新』編集の仕事。

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2013年8月11日 (日)

天皇・皇室を輔弼する体制の強化が必要である

わが国政府や外国政府の政治的思惑・政治利用による、天皇・皇族の外国ご訪問を阻止するためにも、天皇・皇室を輔弼する体制の強化が必要である。

 

「皇室外交」といふ言葉も「開かれた皇室」と同様に、危険な言葉である。川島裕侍従長は次のやうに述べてゐる。「私は、『皇室外交』といふ言葉は、あまり好きではないのです。『外交』といふものは、国家間の問題を解決し、危機を回避するために、戦略的発想に立ちつつ、いはば手練手管のやりとりでもいふべき政治的な行動の連続です。」(「神社新報」平成十年一月一日号所載『川島裕侍従長に聞く』)。

 

長く外交官を務めた川島氏がかかる発言をされたことに感銘した。「手練手管のやりとりでもいふべき政治的な行動の連続」である外交に、神聖君主日本天皇を利用し奉ることは、天皇の尊厳性への重大な冒瀆であり、絶対にあってはならない。その禁を侵し続けてゐるのが政府権力なのである。

 

田中内閣当時、米国のニクソン大統領が、昭和天皇の米国ご訪問を要請してきた。当時の宇佐美毅宮内庁長官は日米間で経済摩擦がありベトナム戦争が終結していない状況を」踏まへて、「今はご訪問されるべきではない」と反対したといふ。(『文藝春秋』平成五年十二月号所載・岸田英夫氏「誰が皇室を孤立させたか」)

 

さらに、高橋紘一氏は次のやうに論じた。「(注・天皇は宇佐美(毅宮内庁長官を)『律儀者』と評したという。しかし彼の頑迷さは皇室を『政治外』に置くことに効があった。宇佐美が退いて一〇年、最近、皇室が政治に巻き込まれる例が目立つ。皇太子訪米が外務大臣と米大統領の会見で出たり、皇太子訪韓を故意にマスコミにリークし、〝自然承認〟させたりする。『在位六〇年式典』の日取りを、中曽根首相の政治日程に合わせるなど、論外である。…政治家の皇室利用に対して宮内庁幹部は厳然たる態度をとらねばならない」と論じた。(「人間天皇演出者の系譜」・「法学セミナー増刊・天皇制の現在」昭和六一年五月発行)

 

この当時の内閣官房長官は、後藤田正晴氏である。富田氏は、宮内庁長官時代、カミソリとはいれた元の上司・後藤田正晴官房長官に対等にものが言へるといふ立場ではなかったであらう。部下同然に対応されたのではないか。

 

現行体制下の宮内庁長官は、政治権力者と対等にものを言へる立場ではない。それが皇室の政治利用が行はれる原因である。天皇陛下の側近が尊皇精神の希薄な後藤田のような政治家に顎で使はれたり、同じく尊皇精神の希薄な小沢一郎のような国会議員に恫喝されるやうでは、天皇・皇室を政治権力からお護りする事は出来ない。メディアなどの皇室冒瀆に対処するためだけではなく、天皇・皇室の神聖権威をお護りし、政治権力によるいはゆる「皇室の政治利用」「皇室への圧迫と干渉」を防ぐために、天皇の輔弼体制の強化がなりより大切である。

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千駄木庵日乗八月十日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは、在宅して『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2013年8月 9日 (金)

『週刊新潮』『週刊文春』の皇室記事について

数ある週刊誌の中で、小生は「週刊新潮」は必ず毎週購入する。その次が「文春」である。それだけ読み応へのある記事が多いと思ふ。

 

しかし、この二つの週刊誌は、「皇室」に関して、書いてはならないこと、書くべきではないことを興味本位に書き連ねてゐる。何故か皇室の権威を貶める記事を載せる。かうした記事は、いかなる意図によって書かれるのであらうか。真に皇室のご安泰とご隆昌を願って書いてゐるのであらうか。私にはさうは思へない。やはり売上の増加を目的としてゐると思ふ。つまり営利のために、皇室についてあることないこと書き立ててゐるのだ。

 

文藝春秋社・新潮社は、わが国を代表する出版社である。この二社は全体として、その論調といふか、編集方針・出版方針は、わが国の出版社の中では、良識的であり、まともである。しかるに、皇室に関して読むに耐えない記事を週刊誌に掲載するのは何故なのか。かういふ記事をお読みになった皇后陛下・皇太子妃殿下が、益々体調をおくずしになることを深く憂へる。

 

ともかく、皇室を貶め、皇族を侮辱する記事の氾濫は許し難い。外敵による日本破壊と共に、内側からの國體破壊・国家破壊の動きを食い止めねばならい。

 

また、長い間メディアによってかまびすしく喧伝されてきた「開かれた皇室」といふ論議の行き着く果ては、天皇・皇室の神聖性・尊厳性の破壊であることは明白である。大原康男氏が指摘されている通り、「一体、何に対して、何を、どうのように開くのか」(『平成の天皇論』)といふことの明確な説明がなされないままに、「開かれた皇室であるべきだ」といふ論議が横行してきた。「開かれた皇室」論は國體破壊策謀である。

 

昔から、「九重の奥深く」といふ言葉があったやうに、天皇・皇室は、日本国民の憧れと尊崇の対象・いとやんごとなき神聖なるご存在として、日本国の中心におはします事が大切なのである。そのことによって天皇・皇室は国家国民の平和と安定と統一の源泉であられ続けて来たのである。これを破壊せんとするのが「開かれた皇室論」であると断言する。

 

わが国の歴史において、今日とは比較にならないくらい國體の危機があった。しかし、わが国はその危機を乗り越えてきた。皇位不滅・皇統連綿は絶対に動かし難い歴史である。

 

さらにいへば、最近、皇位継承に関する本の書名に「皇統断絶」「皇室消滅」「皇室廃絶」などといふ言葉が平気で使はれてゐる。真に尊皇精神があり、皇統連綿・國體護持を祈る人であるならば、そして「ことば」の大切さ、「言霊」の神秘の自覚してゐれば、このやうな書名をつけることはできないはずである。

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千駄木庵日乗八月九日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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「現御神信仰」について

現御神信仰は、天皇が全知全能の絶対神であるといふ信仰ではない。日本人が古代から抱いてきた現人神(あらひとがみ)思想=現御神(あきつみかみ)信仰は、天皇がイエス・キリストのやうに海の上を歩いたりする超人であるとか何の間違ひも犯されない全知全能の絶対神であるといふ信仰ではない。

 

日本物語文学の祖とされる『竹取物語』(成立年代不明・作者不明)では、かぐや姫に求婚した天皇が「天竺の宝物を持って来てくれ」などといふ難題を言ひかけられて大いに悩まれることが記されてゐる。日本人の現御神信仰が天皇は絶対無謬の御存在であり全知全能の神とする信仰であったら、このやうな物語が生まれるはずがない。

 

和辻哲郎氏は、「(天皇が神聖な権威を担ふといふ伝統、皇統が天つ日嗣として神聖であるといふことは・註)この伝統を担っている現人をそのまま神化しようとするのではない。従ってそこには天皇の恋愛譚や、皇室内部における復讐譚などを数多く物語っている。これらは天皇の現人性を露骨に示すものと言ってよいであろう。しかしかく現人たることなしに現人神であることはできない。現人でありながらしかも現人たることを超えて民族的全体性の表現者となり、その全体性の根源から神聖な権威を得てくるということ、従ってこの権威はただ一系であり不易であるということ、それを記紀の物語は説き明かそうとしたのである。」(『日本倫理思想史』)と論じてゐる。

 

現御神あるいは現人神とは、読んで字の如く、現実に人として現れた神といふことである。人でありながら神であり、神でありながらながら人であるお方が、祭り主であられる日本天皇なのである。それを名詞で表現したことばが現人神・現御神なのである。そしてこの場合の神とは、キリスト教や回教の神のような超自然的・超人間的な神なのではない。だから現御神であらせられる天皇御自身、神仏に祈願を込められ、天皇の御名において神々に御幤を奉られるのである。

葦津珍彦氏は<現御神日本天皇>の意義について次のやうに論じてゐる。「天皇おん自らは、いつも過ちなきか、罪けがれなきかと恐れて御精進なさっている。天上の神になってしまって、謬つことなき万能の神だと宣言なさった天皇はない。…現御神とは、地上において高天原の神意を顕現なさる御方というのであって、決して無謬・無過失の神だというのではない。」「現人神というのは人間ではないというのではない。人間であらせられるからこそ、皇祖神への祭りを怠らせられないのである。天皇は、神に対して常に祭りをなさっている。そして神に接近し、皇祖神の神意に相通じ、精神的に皇祖神と一体となるべく日常不断に努力なさっている。天皇は祭りを受けられているのではなく、自ら祭りをなさっている。祭神なのではなくして祭り主なのである。その意味で人間であらせられる。けれども臣民の側からすれば、天皇は決してただの人間ではない。常に祭りによって皇祖神と相通じて、地上において皇祖神の神意を表現なさるお方であり、まさしくこの世に於ける神であらせられる。目に見ることのできる神である。だからこそ現御神(現人神)と申上げる。」(『近代民主主義の終末』)。

 

 現御神(現人神)日本天皇は、天つ神・皇祖神の御子としての神聖なる権威を担って、目に見える人の姿として、現実に地上に現れられた神であらせられる。そして、皇祖天照大神の住みたまふ天上界(高天原)と地上とは隔絶した関係ではなく、常に交流してゐる関係にある。

 

 日本人の伝統信仰は、皇祖神と天皇の関係ばかりでなく日本の神々と一般国民も種々の形で交流し、両者の間に超えがたい区別などはないのである。神はしばしば人の姿をとって現実世界に現れ、人の口を借りて神意を伝へんとする。

 

日本國の祭り主であられる天皇は、「無私」になって神のまつろひ奉る御方であり、神のみ心を伺ひ、それを民に示される御方である。また民の願ひを神に申し上げて神の御加護を祈られる御方である。

 

「祭る」とは無私になって神にまつろふといふ事であり、祭る者が自分を無にして祭られる者=神に従ふといふ事である。「祭り」とは神人合一の行事である。「祭る神」が「祭られる神」になるといふ信仰である。

 

天皇が祭り主として「無私」であられるからこそ、神のみ心を実現され、天照大神の神霊を體現される御方となられるのである。だから民から天皇を仰ぐ時には「この世に生きたまふ神」すなはち「現御神(あきつみかみ)」あるいは「現人神(あらひとがみ)」と申し上げるのである。

 

天照大神と天皇の関係は、単に、天照大神が天皇の御祖先であり天皇は天照大神の御子孫であるといふ関係だけではなく、天照大神の神霊が天皇のお体に入り、天皇が天照大神の御意志(地上に稲を実らせること)を地上(豊葦原の瑞穂の国=日本)において実現するといふ関係である。日本天皇は日本の神々の中で最高の尊貴性を持たれる天照大神の「生みの御子」として地上に現れられたお方であらせられる。

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千駄木庵日乗八月八日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆。『伝統と革新』編集の仕事など。

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2013年8月 8日 (木)

清水澄博士の『自決ノ辞』を拝読して

石川県護国神社境内に『清水澄博士顕彰之碑』が建てられてゐる。清水澄博士は、明治元年金沢市に生まれ、東京帝国大学法科を卒業後、学習院大学教授となり、明治三十八年法学博士の学位取得し、宮内省、東宮御学問所の御用掛を拝命された。大正天皇、昭和天皇に御進講され、行政裁判所長官、枢密院顧問官を経て、敗戦後、最後の枢密院議長に任ぜられた憲法学者である。

碑文には大要次のやうに記されてゐる。「憲法学者清水澄博士(金沢市東山三丁目御出身)は占領軍司令部が強制した日本国憲法施行の日、日本国の天皇制(原文のまま)の将来を憂慮され、幽界よりわが國體の護持と皇室の御安泰、今上陛下の御在位を祈願しようと自決を決意され、憂国の至誠極まる所、汨羅(べきら)の淵に身を投じた楚の国の忠臣屈原の故事に倣い、九月二十五日、熱海の錦ヶ浦の波涛に愛国赤心の躯幹を投ぜられた。敗戦日本の正気阻喪の惨状は正視するに耐え難いものが連続的に生起した。博士はわが國の伝統・文化の変革し行く姿を見、祖国の将来を憂慮され、ことに建国以来、国の生命、民族の中心として連綿と存在する皇室の上に思いをいたされ、身の置き処が無かったのである。東京の青山墓地に眠る博士の墓石に記された嗣子虎雄氏の碑文の中に『ケダシソノ生涯ハ君國ニ対スル忠誠ノ念ヲモッテ終始シ』とある如く、博士の衷情はただ一つ祖国の道義を万代に堅持せんがための至情以外の何ものでもなかった。新憲法下ここに三十年、博士の憂慮された如く、この間政治 経済 文化 その他あらゆる分野において、正統の道義は地に落ち、全て自己中心の個人主義の思想が瀰漫し、国の伝統と民族の歴史に背反すること夥しく、まさに祖国の危機と言わざるを得ない。この亡国的惨状打開の途は、国の歴史と伝統に基づく民族の正気の恢弘、維新以外にあり得ない。云々 昭和五十二年九月 林屋亀次郎」。

 

汨羅は支那湖南省北部を流れる湘江の支流。江西省修水県の西南を源とし、西流して湘水に入る。林屋亀次郎氏は、明治十九年金沢市生まれ。昭和五十五年逝去。昭和二十二年以来、参議院議員三期。

 

 清水澄博士の『自決ノ辞』には次のやうに記されてゐる。
「新日本憲法ノ發布ニ先ダチ私擬憲法案ヲ公表シタル團体及個人アリタリ其中ニハ共和制ヲ採用スルコトヲ希望スルモノアリ或ハ戦争責任者トシテ今上陛下ノ退位ヲ主唱スル人アリ我國ノ將來ヲ考ヘ憂慮ノ至リニ堪ヘズ併シ小生微力ニシテ之ガ對策ナシ依テ自決シ幽界ヨリ我國體ヲ護持シ今上陛下ノ御在位ヲ祈願セント欲ス之小生ノ自決スル所以ナリ而シテ自決ノ方法トシテ水死ヲ択ビタルハ楚ノ名臣屈原ニ倣ヒタルナリ
元枢密院議長  八十翁 清水澄  法學博士  昭和二十二年五月 新憲法実施ノ日認ム
追言 小生昭和九年以後進講(宮内省御用係トシテ十数年一週ニ二回又ハ一回)シタルコト従テ龍顔ヲ拝シタルコト夥敷ヲ以テ陛下ノ平和愛好ノ御性質ヲ熟知セリ従テ戦争ヲ御賛成ナカリシコト明ナリ」。

 

今日、「碑文」に書かれた憂慮すべき状況は愈々益々深刻になってきてゐる。憲法改正が現実の問題として論じられて来てはゐる。しかし、自民党などの「憲法改正案」が、肝心要の國體については、欧米の権力国家観・契約国家論に基づく『国民主権』といふ日本國體に合致しない『原理』を踏襲するのでは、真の「憲法改正」でもないし「自主憲法制定」でもない。「現行占領憲法」には「天皇条項」は第一章であるのに、これを第二章に移し、第一章を「国民主権」にするなどといふ「讀賣改憲試案」はまさに國體隠蔽であり憲法改悪である。

 

日本天皇は権力・武力を以て国家国民を支配される御存在ではない。また、天皇と国民は権力的対立関係にあるのではない。天皇と国民は精神的信仰的一体関係にある。これを君民一体の国柄といふ。主権が君主にあるとか国民にあるとかといふことは、わが國の國體には全く無関係なのである。したがって、「国民主権」などということを憲法に麗々しく憲法に記す必要はさらさらない。そのやうなことを記すことは天皇を権力者と仰ぎ奉ることになり、重大な國體破壊である。

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千駄木庵日乗八月七日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは、在宅して、『月刊日本』連載の「萬葉集」講義原稿執筆・脱稿・送付。原稿執筆の準備、諸雑務。

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2013年8月 7日 (水)

『もののあはれ』と『清明心』

日本民族は、「もののあはれ」といふ美感覚を持ってゐる。「あはれ」とはうれしいにつけ、楽しいにつけ、悲しいにつけて、心の底から自然に出てくる感動のことばである。

 

「もののあはれ」とは、物事にふれてひき起こされる感動である。知的興味とは違った何かに深く感動することのできる感じやすい心のことである。自然・人生の諸相にふれてひき出される素直なる感動の心である。理論・理屈ではない。「清明心」「正直の心」を美感覚の世界における表現が「もののあはれ」といへる。

 

本居宣長に次のやうな歌がある。

 

事しあればうれしかなしと時々にうごく心ぞ人のまごゝろ

 

この宣長の歌について、村岡典嗣氏は「この眞心こそは、やがて古神道に於ける清明(あか)き心、中世神道における正直の觀念の發展せるものに外ならない。彼(註・宣長)が一切の偽善や作為をあくまでも斥け、その見地から儒教を攻撃したのもこの立場からである。」(『日本思想史研究・第四』)と論じてゐる。

 

宣長にはまた次のやうに歌がある。

 

眞心をつゝみかくしてかざらひていつはりするは漢(から)のならはし

 

宣長のいふ「からごころ」は、日本人本来の素直なる心・清明心・もののあはれとは正反対に位置するといふことである。

 

先人は「正直」「清明心」といふに本人の中核精神が「三種の神器」の一つである「鏡」に象徴されると信じた。

 

北畠親房は、『神皇正統記』で「鏡は一物をたくはず私の心をなくして萬象をてらすに、是非善悪のすがたあらはれずと云ふことなし。其すがたにしたがって感應するを徳とす。是正直の本源なり」と説いてゐる。

 

「清明心」は、鏡の心であり、太陽の心であり、天照大御神の御心である。この精神が、「主体性」を喪失せずに「無私」の態度で一切を包容摂取するといふ矛盾と思へるやうなことを為し得て来た原因であると思ふ。

 

「鏡」は、天照大御神の『神勅』に「吾が児、この寶鏡を視まさむこと、當に吾を視るが如くすべし」と示されてゐる通り、天照大御神の御霊代(れいだい・みたましろ)である。

 

また、仲哀天皇が筑紫に進軍された時、筑紫の県主・五十迹手(いとて)が『三種の神器』の意義を天皇に奏上した言葉に「白銅鏡の如くにして、分明(あきらか)に山川海原を看行(みそなは)せ」(『日本書紀』「仲哀天皇紀」)とあるやうに、鏡のやうに明らかに山川海原を統治されるお方が、天照大御神の「生みの御子」であられせられる日本天皇なのである。

 

「鏡」は天照大御神の広大無辺の御慈愛と曇りなき御心を表象する。

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千駄木庵日乗八月六日

午前は、母のお世話。

午後二時、千駄木にて、出版社の方と打ち合わせ。

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

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2013年8月 6日 (火)

日本民族の精神的特性は「清明心」

太古以来の日本民族の精神的特性は、「清らけき明らけき心」「素直な心」「無私の精神」である。

 

中村元氏は「日本人の思惟方法のうち、かなり基本的なものとして目立つのは、生きるために与えられている環境世界ないし客観的諸条件をそのまま肯定してしまうことである。」(『日本人の思惟方法』)と論じてゐる。

 

「清らけき明らけき心」「素直な心」「無私の精神」とは、中村氏のいふ「与へられてゐる環境・条件をそのまま肯定する思惟方法」とかなり近いものがあると思ふ。

 

「与へられてゐる環境を素直に肯定する思惟方法」が、天地自然を人間と対立する存在ととらへず、天地自然を神としてまつり拝ろがむ信仰生活を生んだと思はれる。それは日本の天地自然が時に大いなる災害をもたらすことはあっても、基本的には麗しく人間に大いなる恵みを与へる存在である事による。麗しく豊かな自然に恵まれた日本民族は、現世を肯定し、明るい太陽の下で生きてきた。日本民族は本来明るく大らかな民族である。

 

明治天皇御製

 

あさみどり澄みわたりたる大空の廣きをおのが心ともがな

 

「清明心」をうたひあげられた御製と拝する。大らかな広々とした心が「清明心」である。私心をまじえず眞澄のやうに清らかな心、それが日本人の本来の心である。

 

「清明心」は、佛教思想の影響が強まった中世になる「正直」といふ言葉になった。『早雲寺殿二十一カ条』(室町後期の武将北条早雲の教訓書)に「こころを直にやはらかに持ち、正直憲法にして…あるをばあるとし、なきをばなきとし、ありのままなる心持、持仏冥慮にもかなふと見えたり」と記されてゐる。

 

「正直の心」は、ありのままなる心・素直な心である。つまり清明心の中世的における表現であろう。

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千駄木庵日乗八月五日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、原稿執筆の準備、諸雑務。

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2013年8月 5日 (月)

日本維新の会はアントニオ猪木を除籍すべきではないのか

深谷隆司氏は、八月二日の「ブログ」で「(アントニオ猪木議員は)27日、北朝鮮の朝鮮戦争勝利60年記念行事にも参加している。維新の会橋下共同代表は『知らなかった。まだ登院前だから私人であり、個人の責任で云々』と苦しい説明をしていた。特別公務員である国会議員(すでに当選している)が、政府が国連に従って経済制裁を加えている最中、しかも渡航自粛を呼びかけている北朝鮮に行くなど常識の沙汰ではない。国益に重大な問題を引き起こしかねないではないか」と書いている。同感である。

 

日本維新の会は「日本に韓国人売春婦がうようよ居る」という事実を指摘しただけの西村真悟氏を除籍した。しかるに、北朝鮮による侵略戦争である朝鮮戦争の「勝利60年記念行事」とやらに参加したアントニオ猪木はお咎め無しというのは全くおかしい。猪木を除名すべきだ。でなければ維新の会には『闘魂』がないということになる。

 

日本維新の会には、中山成彬・恭子ご夫妻や平沼赳夫氏など、「拉致問題」で大変な努力をしてきた政治家がいる。こういう方たちと猪木氏が同じ政党というのは、どうにも理解に苦しむ。

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『スポーツ平和サミット 東京大会』における登壇者の発言

七月十九日に開催された『スポーツ平和サミット 東京大会』における登壇者の発言は次の通り。

 

【オープニング全体会議】

下村博文文部科学大臣「スポーツは世界共通の文化。夢と感動と感動を与える。明るく豊かな社会を形成するために欠かせない」。

 

猪瀬直樹東京都知事「私はスポーツの愛好家。空手は黒帯。テニスもやった。スポーツは考える力をもたらしてくれる。

平和実現のために頑張りたい」。

 

鳩山邦夫元文部大臣「私の兄は宇宙人になってしまったが私は当たり前の人間。半田さんは国会議員の一万倍の実行力を持っている」。

 

半田晴久スポーツ平和サミット実行委員長「三十七歳で突然スポーツマンになり、ウインドサーフィンをやり、ゴルフに集中している。スポーツは素晴らしい力を持つ。アパルトヘイトを打ち破るためにスポーツは大きな力を持った。ラグビーを通して白人と黒人の壁を打ち破る大きな力となった。一般の人々にスポーツの意義を広めていきたい」。

 

【分科会3 オリンピックと日本的価値観】

キャサリン・マーシャル氏(世界開発協力機構顧問・ジョージタウン大学教授)「可能なエネルギーを活用して夢を実現することに意義がある。日本の文化は我々の模範になっている。平和は紛争の終焉を意味する。日本ほどチームワークの価値が分かっている國はない」。

 

デイビッド・コーエン氏(スタンフォード大学国際司法センター所長)「ゼウスの神を讃える祭典がアテネオリンピック。苦痛を得た上での勝利が一つの価値。ギリシアの都市がオリンピアに集まって神々を祝福して祭典をした。戦争もスポーツにつながっていた。重い楯を持って走る。軍につながる。スポーツは協調と競争という二つの価値を併せ持つ。相手に対してフェアであり敬意を持つ。ボクシングも初期からのスポーツ。一人のボクサーが一つの町・コミュニティを代表した」。

 

アレック・ベネット関西大学国際部准教授「近代スポーツは近代柔道の創始者・嘉納治五郎を避けて通れない。武士道・武道・武術を融合させて近代武道をつくり上げた人。体育・徳育・知育の三つの柱がある。強い體、強い心、日本人らしさを育てていく。柔術という技術を道に変えた。対戦相手は敵ではなく協力者であるという考え方。武道は人格を高めることを目的とする。稽古は礼法を守り、基本を重視する。心技体を一体として修練する。勝って驕らず、負けて悔やまず、常に節度ある行動をする。カタ・品格を重視する。術ではなく道。生き方という事」。

 

小錦八十吉氏(元大相撲力士)「相撲の世界の価値観は、親方の教えを守り、他人の世話をすることを覚える。相撲取りより上手に着物を着る人はいない。コメを焚いたこともない、布団を敷いたこともない若者が多いが、相撲取りは掃除・洗濯をしてちゃんこを作る。チョンマゲがあるのはお相撲さんだけ。相撲取りになったことに誇りがある。勝負に勝ったが相撲に負けたという言葉がある」。

 

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千駄木庵日乗八月四日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、原稿執筆の準備及び執筆。

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2013年8月 4日 (日)

『特別展・和洋の書』を参観して思う

今日参観した『特別展・和洋の書』は「わが国の書の歴史は、漢字の伝来以来、中国の書法の影響を受けて発展しつつ、遣唐使廃止の頃になると国風文化が広まり、筆致に柔らかみが加わります。平安時代中期には、小野道風(おののとうふう)・藤原佐理(ふじわらのさり)・藤原行成(ふじわらのこうぜい)の三跡(さんせき)と呼ばれる能書(のうしょ)が登場し、繊細、典雅な『和様(わよう)の書』が完成します。併行して、万葉仮名(まんようがな)、草仮名(そうがな)を経て女手(おんなで、平仮名)が成立し、『高野切(こうやぎれ)』に代表される日本独自の仮名の美が生まれました。


以後、日本の書は、仮名と漢字が融合した和様の書を中心に展開します。なかでも藤原行成の子孫は、宮廷の書役(かきやく)を長く勤め、その書はのちに世尊寺流(せそんじりゅう)と称され、書道史上に重要な位置を占めました。室町時代は多くの書流が型を踏襲した没個性の書となりますが、江戸時代に入り、本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)、近衞信尹(このえのぶただ)など上代様(じょうだいよう)を展開させたダイナミックな書が生まれ、以降は「御家流(おいえりゅう)」とよばれる実用の書が一般に普及します。この展覧会は、こうした和様の書の魅力とともに、宮廷文学や料紙(りょうし)工芸など、書に関わる多様な日本文化に触れていただく機会となります」(案内書)との趣旨で開催された。

 

「国宝 御堂関白記 寛弘四年下巻 藤原道長筆 平安時代・寛弘4(1007)」「国宝 初音蒔絵調度のうち眉作箱(はつねまきえちょうどのうちまゆつくりばこ) 幸阿弥長重作

 江戸時代・寛永16(1639)」「重要文化財 寸松庵色紙(すんしょうあんしきし)あきはきの 伝紀貫之筆」「国宝 手鑑 翰墨城(てかがみ かんぼくじょう) 奈良~室町時代・816世紀」「重要文化財 和漢朗詠集(関戸本)(わかんろうえいしゅう (せきどぼん)) 源兼行筆」「四季草花下絵和歌巻(しきそうかしたえわかかん) 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀」などを参観。このほか、後陽成天皇の御直筆、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、近衛家凞などの書を参観した。国宝・重要文化財・重要美術品が数多く展示されていた。重厚な美術展であった。

 

人類は文字を書くが、文字が美術として鑑賞の対象になるのは漢字圏だけであろう。アルファベットなどの表音文字が芸術品として鑑賞されることはない。しかも、支那は漢字のみだ。ところがわが国は、表意文字である漢字を使うだけでなく、表音文字として平仮名・片仮名を作り出した。そして仮名文字がまことに美しい芸術になっている。韓国で書かれているハングル文字には芸術的価値があるとは思えない。

 

ともかく、わが国で書かれる文字即ち漢字と仮名文字は、実に美しい芸術なのである。これは世界に誇るべき事だ。世界の中で、日本及び日本人の文化は極めて高度である。即ちわが国は民度が高いのである。

 

わが国は、外国から受容した文化・思想・芸術・宗教を洗練させより高度なものとしてきた国である。今日の美術展でその事をことをあらためて実感した。私はこういう美術展などを参観する度に、日本という国は、世界で最も優れた国であり、美しい国であり、文化的・芸術的に高度で洗練された国であることを実感する。

 

小生は、二松学舎大学で書道専攻コースを履修したが、最近はすっかり毛筆を使わなくなってしまった。残念である。今日も、書道を学んでおられる方々が多く参観しておられた。

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千駄木庵日乗八月三日

午前は、母のお世話。

午後は、上野公園の東京国立博物館にて開催中の『特別展・和様の書』参観。

帰宅後は、原稿執筆の準備。

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2013年8月 3日 (土)

わが國の外来文化包容の基盤は太古以来の祭祀

日本は、外来文化文明を包容摂取して自国を発展させてきた。島国であったため、外国の軍事侵攻を受けることが少なかった。しかし、大陸から隔絶した絶海の孤島ではなかったので、大陸文化文明とまったく接触できないといふことはなかった。

 

日本民族は決して排他独善的な民族ではない。「島国根性」などといふのは嘘である。島であるからこそ海に開かれた國なのである。古代日本は、海を越えて大陸や朝鮮半島から文化・文明を輸入し包摂してきた。そしてその包摂の中心は天皇・皇室であった。

 

日本は外国と海を隔ててゐたことによって、外来文化・文明を丁度良い具合に取捨選択することができた。

 

大東亜戦争後のアメリカ文化の流入は別として、わが国は外国からの軍事侵略によって無理矢理外来文化文明を押し付けられたことはない。

 

「外来文化・文明を除けば日本にはなにも残らない」と言ふ人がゐるが誤りである。「天地自然と祖靈を神と仰ぐ天皇を祭り主とする信仰共同体」といふ強靭な基盤があったからこそ、儒教・佛教が、日本人の生活に深く染み入り、日本民族の精神的血肉とはなっても、外来思想・外来宗教といふ性格を失ふことはなかった。

 

中村元氏は、「人類の歴史を見るに、文化程度の低い民族がかならずしも程度の高い文化を全面的に受容するとはかぎらない。異質的な文化の受容が行われるためには、すでに当該民族のうちに受容を可能ならしめるに足る基盤が用意されていなければならない。」(『日本人の思惟方法』)と論じてゐる。

 

わが國の外来文化・文明包容摂取の基盤・中核精神=日本の独自性は、太古以来の日本人の信仰生活であり祭祀である。

つまり天地自然は日本人にとって敵ではなく友であったことが、日本人の精神的基盤である「清らけき明らけき心」「素直な心」「無私の精神」を生んだのである。

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千駄木庵日乗八月二日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿執筆。

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2013年8月 2日 (金)

言霊の復活

わが国には、「言事不二」といふ言葉がある。「言葉と事実と一致する、言葉と事実は二つではない一つである」「存在は言葉である」「言葉に出したことは実現する」といふ意味である。

 

豊田國夫氏は、「古代日本人は、言葉に内在する言語精霊が、その霊妙な力によって人の幸不幸をも左右すると考えていた。…彼ら古代人にとって、言葉は、現代のある種の人々が主張するような、単なる媒介、符号物ではなく、もっと人間や事物と切実な関係をもった、生きたものとして感じていたのではなかったか。つまり彼らにとって、言葉は事物と一体をなすものであった」と論じ、柿本人麻呂の歌の表記で、「事」が「言」を意味する歌、「言」が「事」を意味する歌を数多くあげ、混用例が半数であることを指摘した。

 

さらに豊田氏は、「人麻呂の『事表記』の背景的地盤が推測されよう。すなわち混用例半数であるということは、言葉と事柄・事物の融即観において、その密着性が強いということの一つの現象ではなかろうか」(『日本人の言霊思想』)と論じてゐる。

 

萬象・萬物は言葉=神によって成ってゐる即ち言葉が事物の本質であるといふことを萬葉人すなわち古代日本人は直覚してゐたのである。言霊の力は、天地をも動かすのであるから、「言霊の幸はふ」とは、言葉を唱へると言葉が持ってゐる霊力が動き出し、言葉通りの結果が表れてくるといふことである。日本民族は、理論・理屈としてではなく、言葉の力を大いさ、言葉が事物の本質であるといふことを知ってゐたのである。

 

天照大神は須佐之男命の田を壊したり溝を埋めたり御殿に糞をするという様々な御乱行(荒ぶる行為)に対して「糞のように見えるのは酔って吐いたのでしょう。田を壊し溝を埋めたのは大地をいたわってのことでしょう」と善いように解釈されて最初は咎められなかった。これを「詔り直し」という。悪い行為を善い意味に解釈することである。そして「詔る」とは言葉を発するという意であり「直す」悪いことを善くすることである。日本民族は本来、悪を固定的に考えないし、他人の長所を見て短所を細かくあげつらわないのである。これは言霊(ことだま)による浄化・善化・光明化である。邪悪なものを言霊によって直すことが「詔り直し」である。

 

今日において、まさに、「国風文化」が復興しなければならない。大化改新といふ大変革・壬申の乱といふ大動乱の時に『萬葉集』が生まれ、平安中期の国風文化勃興の時に『古今和歌集』が生まれたやうに、畏れ多いが、国難に晒されてゐる今日においても、偉大なる「勅撰和歌集」が撰進されるべきであると信ずる。それが言霊の復活であり、世の乱れを正す大いなる方途である。

 

それは、言霊が籠り、天地(あめつち)を動かし目に見えぬ鬼神(おにがみ)をもあはれと思はせるやまとうたの復活である。今日において、まさに、「国風文化」が復興しなければならない。

日本人の魂は、今、よすがなく彷徨っているやうに思へる。さまよへる魂を鎮め、鎮魂し、再生させるために、やまとことば・言霊の復活が大切である。

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千駄木庵日乗八月一日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して書状執筆、『百人一首』解釈の原稿執筆など。

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2013年8月 1日 (木)

この頃詠みし歌

『百人一首』を讀みつつかつて仰ぎたる小倉の山の緑を思ふ

 

ひろらけき大河内山荘を経巡りし夏の旅をば思ひ出しをり

 

玄関に凛々しき顔の武者人形置きて魔除けとするはよろしき

 

武者人形の凛々しき顔を見つめつつ日本男児といふ言葉を思ふ

 

ベランダに座して爪を切りてゐる時に吹き来る涼やかな風

 

古き御堂に花を供へて南無観世音大菩薩様と唱へまつれり

 

観世音の慈悲の光に包まれて母と我とは生きてゆくなり

 

玄関に清めの塩を振り撒きて除災招福祈りまつれり

 

焼け跡に緑の草が生ひ茂り夏の光に照らされてゐる

 

袴付けし乙女らが神前に額づける姿を見れは心和むも(靖國神社にて)

 

大鳥居の上の青空仰ぎつつ『九段の母』を口ずさむかな()

 

久しぶりに上り行く坂に息切らすわが前を犬はスタスタ歩く

 

幼き日よりの顔馴染みなる老婦人の座る前にて投票を済ます

 

久堅の天より降るみ光りにつつまれて我は生きてゆくなり

 

天地を浄める如き驟雨かな 窓のガラスに叩きつけをり

 

千早振る神の御稜威が奮ひ立ち祖国日本を護りましませ

 

母上の額に手を当て熱なしと確認すれば心安らぐ

 

幼き日に通ひし歯科医院そのままに残りゐるなる路地懐かしき

 

甘き桃を食して朝餉を終へにけり 平和なる日々は尊かりけり

 

日中友好の声喧しき年月の果てに来たれる対立の日々

 

花火大会に向かふ人々ゆかた着て顔楽しげに足取り軽し

 

花火の音遠く聞こえてビルとビルの間に花咲く束の間の美よ

 

謝罪外交経済協力積み重ねし日本は侵略の危機に晒さる

 

幼馴染の女性も六十五歳なり その面差しはややに老いたり

 

 

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千駄木庵日乗七月三十一日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは、在宅して、書状執筆、原稿執筆など。

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