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2013年7月29日 (月)

寺山修司の『祖國喪失』

 

 戦後を代表する歌人の一人とされる寺山修司は、

 

「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖國はありや」

 

 と歌った。この歌は『祖國喪失』と題された一連の歌の冒頭の一首である。寺山氏は祖國を喪失していたのであろうか。あるいはそうかもしれない。しかし、祖國は永遠である。いかに本人が否定し、喪失したと思っていても、否定することも喪失することもできない存在が祖國である。

 

  多くの若者たちは海を越えて戦地に赴いた。そして、敵に沈められた輸送船に乗っていた兵士たちも、敵艦に体当たりすることができずに死んでいった特攻隊員も、海の底に沈んでいる。小生は寺山氏の「海に霧ふかし」という言葉にそういうことを連想した。これは私の深読みに過ぎるのかもしれない。

 

  石田圭介氏は、この寺山氏の歌について、

 

「このものいひは軽い。『身捨つるほどの祖國はありや』など、軽々に言へたものではないといふのが、私の率直な感想である。祖國は豊かであらうが、貧しからうが、どんなであらうが、親國であり、帰るべき所であり、絶対に護らねばならないものである。ありやなしやなどと問はるべき存在ではない。この歌がいつどこで作られたのか確かめてはゐないが、要するに平和な時と所で作られた歌であることには違ひない。ここには身に迫った危機感は存在しない。極論するならば、言葉のあそびといってよからう。言葉のあそびも歌の一つの領域だからそれを全く否定するものではないが、祖國といった重い存在を手玉にとるのはやはり慎まれる。……ことばの遊びは、なるほどと思はらせればそれで終わりである。……やはり歌の本道は述志にある……」(『評論集・続歌徳』)と論じておられる。

 

 野村秋介氏は、平成五年十月二十日朝日新聞社で自決された時の遺書『天の怒りか地の声か』において、

 

「私は寺山修司の『マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖國はありや』という詩と十数年にわたって心の中で対峙し続けてきた。そして今『ある!』と腹の底から思うようになっている。私には親も妻も子も、友もいる。山川草木、石ころひとつに至るまで私にとっては、すべて祖國そのものである。寺山は『ない』と言った。私は『ある』と言う。…」と述べておられる。

 

 寺山氏は昭和十年生まれで、終戦の時、十歳であった。野村氏と全く同年である。ついでに言わせていただけば、私は両氏の一回り下の昭和二十二年生まれである。野村氏は、「身を捨つるほどの祖國はある」と信じ、祖國再生の祈りを込めて自決を遂げられた。

曽野綾子氏は、その著『この世の偽善』に於いてこの寺山氏の歌を論じて次のように語ってゐる。「私はこの頃、祖国というものは、やはり、身を捨てても守らなければならないかもしれない、と現実に立って思っています。…この恵まれた日本に住みながら、『身捨つるほどの祖國はありや』などという悲痛なポーズをとることほど体裁のいいことはない。ただ大向こうをうならすことを狙った言い方でしかないと私は思います」と。

 

寺山氏は「身捨つるほどの祖國はありや」と歌い、祖國を否定しようとしたのである。しかし、石田氏のいわれる通り、祖國とは「絶対に護らねばならないもの」であり「ありやなしやなどと問はるべき存在」では絶対にない。私は今更ながら、野村秋介氏の言葉の重さと真摯な姿勢に感動を覚える。寺山氏の歌にはそれが無いように思う。

 

 

 

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