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2013年7月 2日 (火)

読む人の魂を感動させる防人の歌

読む人の魂を感動させる防人の歌

   

道のべの荊(うまら)の末(うれ)にはほ豆のからまる君をはかれか行かむ               (四三五二)

                        

 天羽郡上丁丈部鳥(あまのはのこほりかみつよぼろはせかべのとり) といふ防人の歌。「天羽郡」は上総の國の郡名で今日の千葉県君津郡の南部一帯。丁(よぼろ) は二十一歳から六十歳までの男子で公務につく者をいふ。帝國陸軍の階級でいふと上等兵くらい。

 「道のべ」とは「道のほとり、あたり、そば」。荊は「茨」(とげのある小木)。「末」は枝先。「はほ豆」の「はほ」は「はふ」の方言で枝先まで延(は)え伸びてゐる蔓豆。「からまる君」は蔓豆の枝がからまるやうにすがりついてゐる妻。「はかれ」は「別れ」のこと。

 通釈は「道端の茨の先にはひまつはる豆のやうにすがりつくあなたに別れていくことか」といふほどの意。 

 

 いざ出発といふ時になって別れ難い思ひが溢れてきた妻がすがりついて離れやうとしない。豆が茨の先にはひまつはるといふ日頃親しんでゐる身辺の風物を序詞(じょことば) として詠んでゐる。

 序詞とは、和歌などで、ある語句を導くための前置きとする言葉。 

かういふ情景は、新國劇の『吉良の仁吉』など近年の芝居や映画などにもよく登場する。三波春夫の『大利根無情』の台詞に「止めてくれるな妙心殿。落ちぶれ果てても平手は武士じゃ。………行かねばならぬのだ」といふのがある。

わが母の袖持ちなでてわが故に泣きし心を忘らえぬかも

                     (四三五六)    

 山辺郡上丁物部乎刀良(やまべのこほりかみつよぼろもののべのをとら) の歌。「山辺郡」は今日の千葉県山武郡の南部及び東金市の一帯。

 「袖持ちなでて」は「溢れ落ちる涙を袖で拭って」。「わが故に」は「私との別れを惜しんで」。

 通釈は、「わが母が、こみ上げてくる涙を袖で拭っては私のために泣いて下さった心を忘れることはできません」といふほどの意。

 母との別れを悲しんだ歌であるが、息子との別れを惜しむ母の姿と動作が具体的に歌はれてゐるところにこの歌の価値がある。感動を呼ぶ。 

                         

蘆垣(あしがき)の隈處(くまど)に立ちて吾妹子(わぎもこ)が袖もしほほに泣きしぞ思はゆ    (四三五七) 

 市原郡上丁刑部直千國(いちはらのこほりかみつよぼろおさかべのあたへちくに) の歌。市原郡は今日の千葉県市原市の一部。 

 「蘆垣」は蘆(いね科の多年生植物。水辺にはえ、形はススキに似る。茎を編んですだれにする。ヨシ。)で編んだ垣根。「隈處」は垣根の曲がり角の内側ことで「に立ちて」で「物陰の人目につかない垣根の隅に立って」といふ意になる。「吾妹子」は新妻のことであらう。「袖もしほほに」は「袖に染みとほるほどに」。「思(も)はゆ」は「おもはゆ」の「お」が省略された。

 通釈は、「蘆の垣根の隅の物陰でいとしい妻が一人袖が染み通るばかりに泣いてゐたのが思ひ出されるなあ」といふほどの意。

 物陰で別れを悲しんで泣いてゐた奥ゆかしく純真な若妻の姿が何時までも心に焼きついて忘れられないといふ歌である。そして、妻の姿を忘れられないまま九州の任地までの旅を続けたその途中でこの歌を詠んだのである。

 近代日本の軍歌の『ズンドコ節』に「汽車の窓から手を握り/送ってくれた人よりも/ホームの陰で泣いてゐた/可愛いあの子が忘られぬ」と同じやうな心情である。

 萬葉の昔も大東亜戦争の頃も日本女性は忍ぶものであって、あまり人様の前で泣かなかったのである。今日の女性は果たしてどうであらうか。

 これらの庶民の防人の歌は具体的な情景が歌はれてゐるから読む人の魂を感動させるのである。

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