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2013年7月11日 (木)

楠公精神について

楠木正行

「帰らじと かねて思へば 梓弓 なき数に入る名をぞ 留むる」(出陣したならば、放たれた梓弓のやうに帰って来ることは無いとかねてから覚悟して来たので、過去帳に記されるであらう人々の名を書きとどめて置かう)。

 

楠木正行は、河内國水分にて正成公の長男として生まれた。

父・正成公が湊川に出陣する時、正行は十一歳であったので、父から懇々と諭されて故郷の河内に帰り他日を期した。正平二年、正行が二十二歳になると、足利方は悪名高き高師直を総大将として吉野に攻め寄せて来た。正行は、後村上天皇に拝謁してお暇乞ひをし、後醍醐天皇の御陵を拝した。その後、如意輪寺にて決死覚悟の一族郎党一四三名の過去帳と遺髪を奉納し、この辞世の歌を扉に鏃で刻んだ。

 

そして翌年一月五日、四条畷にて高師直、師泰連合軍約八万騎を楠木勢約二千騎にて迎へ撃ち、師直の本陣へと突入し、師直を討ち取る寸前までの奮闘を見せるが、やがて幕府軍の大軍に取り囲まれ、弟正時公と刺し違へて生涯を終へた。

 

正行は、早くから死を覚悟してゐた。後村上天皇は正行に弁内侍といふ女性を娶るやうに勧められたが、正行は辞退してゐる。その時詠んだ歌が「とても世に 永らふべくもあらぬ身の 仮の契りを いかで結ばん」である。

 

天皇國日本存立および日本國民の倫理精神の基本は、天皇の 「御稜威」と、國民の「尊皇精神」である。國民が、神聖君主・日本天皇の大御心に「清らけき心」「明けき心」を以て随順し奉ることが、日本國永遠の隆昌の基礎であり、日本國民の倫理精神の根幹である。私心なく天皇にお仕へする心は、須佐之男命・日本武尊といふ二大英雄神の御事績を拝すれば明らかである。

 

中世においては、大楠公・楠木正成こそ尊皇精神の体現者であられた。大楠公の絶対尊皇精神は、『太平記』『日本外史』などの史書によって後世に伝へられた。明治維新の志士たちも楠公精神を継承して維新を戦った。

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