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2013年7月31日 (水)

その宗教が本ものかどうかを見分ける方法

曽野綾子さんによると、その宗教が本ものかどうかを見分ける方法は、次の通りであるという。

 

「(一)教祖、指導者が質素な慎ましい祈りの生活をしているかどうか。

(二)自分が生き神さまだとか、仏の生まれ代わりだとか言わないかどうか。

(三)宗教の名を借りて金銭を集めることを強要しないかどうか。

(四)宗教団体の名で、選挙と政治を動かすような指令を出さないかどうか。

 

この四つが正しく守られていれば、それは恐らくまともな宗教であろう」(曽野綾子氏著『自分の顔、相手の顔』)

           ○

この四つの尺度を厳しくあてはめれば、今日の日本の新宗教・新新宗教の殆どは「本物の宗教」「まともな宗教」ではないということになる。

 

戦前・戦後・そして現代にかけてわが国に一体何人の救世主・生き神・生き仏が出現した事か。そしてその多くの教祖たちは一般庶民と比較するとはるかに裕福な生活をしていた。全く選挙運動をしなかった教団は少ないし、強制的に金品を収奪する教団も多い。

 

それでも、入信し、活動している人々がそれで満足し、幸福感を味わっているのなら、それでいいのかもしれない。ただ国家社会に害毒を及ぼすのはやはり良くない。

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千駄木庵日乗七月三十日

午前は、母のお世話。

午後一時より、田園調布の曽野綾子氏宅にて、曽野氏にインタビュー。『伝統と革新』誌掲載のためなり。大変興味深いお話をうかがった。田園調布に来たのは四十年ぶりくらいである。昔、世界真光文明教団の本部があったので取材に来て以来である。高い建物がない。おそらく建築制限があるのであろう。田園調布には、三浦朱門・曽野綾子ご夫妻のほか、石原慎太郎氏、鳩山由紀夫氏などが住んでいると思う。野坂参三も住んでいた。成城と並んでその昔の東京郊外の住宅地。成城には中河与一・幹子ご夫妻が住んでおられたのでよく行った。中河与一先生の主宰しておられた「ラマンチャ」という文藝同人誌に私も参加していた。曽野綾子先生もお若い頃参加しておられた。

帰宅後は、資料の整理、『百人一首』解釈原稿執筆など。

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2013年7月30日 (火)

三井甲之氏の歌

昨日論じた寺山修司氏の

 

「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖國はありや」

 

という歌と対極にある歌が三井甲之氏の

 

「ますらをの かなしきいのち つみかさね つみかさまもる やまとしまねを」

 

 であると論じた人がいる。どなたであったか今は思い出せない。

 

 多くの先人たちは、祖國日本は永遠のものと信じ、祖國のために貴い生命が捧げられたのである。また、そういう祖國に身を捧げる人々がおられたからこそ祖國は永遠なのである。尊いのである。三井甲之氏はそのことを歌っているのだと思う。

 

この歌は、昭和二年に詠まれた歌であり、戦時下で戦争を謳歌した歌ではない。長い祖國の歴史の中で祖國に身を捧げたますらをたちの悲しみに作者自身が一体化せんとしている歌である。

 

 小生は學生時代、何かの會合で、神道學者の中西旭先生がしみじみとこの歌を詠じられたのを聞き、非常に感激した。

 

 三井甲之氏は、明治十六年(一八八三)、山梨県甲府に生まれた。昭和二十八年(一九五三)に亡くなった。一高を経て東大國文科を卒業。昭和三年(一九二八)、『シキシマノミチ會』を結成した。山梨県中巨摩郡敷島町長塚に住居があった。

 

 三井甲之氏は、伊藤左千夫門下であり、斎藤茂吉と同時代の人である。茂吉とはお互いに強く意識し合った仲であったという。しかし、今日、三井甲之氏のことはあまり高く評価されていない。というよりも無視されている。小生の持っている近代短歌に関する書籍(歌集・研究書・短歌辞典)にも殆ど取り上げられていない。

 

 小生は先年、畏友・森田忠明氏のご案内で、山梨県中巨摩郡竜王町篠崎の山県神社に参拝して、境内に建立されている三井甲之氏の歌碑を仰いだ。

 

現実に祖國が存在し、そこに親兄弟同胞が生き、美しい自然があり、麗しい伝統がいきづいている以上、護る決意を持つのがその國に生きる人間の自然の感情ではないだろうか。かかる自然な感情まで否定したらそれこそ祖國は無くなってしまうと思う。

 

『國體護持』『靖國神社國家護持』は國民の大きな使命であり責任である。しかし、ここで大切なことは、我々國民が國體を護持して来たから日本國があるのではなく、天皇がおわしましたからこそ日本國があるということである。

 

日本國はご歴代の天皇陛下によって護られてきたのである。ご歴代の天皇が、國の平安・國民の幸福を神に祈られ、國の平安と國民の幸福のために無私のご精神で君主としてのおつとめを果たされてきたからこそ、日本國および日本國民の今日があるのである。また、靖國神社に祭られている護國の英靈によって、日本國および日本國民が護られてきたのである。

 

「國體護持」「靖國神社國家護持」とはあくまでも感謝と報恩の國民の務めとしてそれを果たすということであると思う。

 

そういう意味でも、権力機関や政治家が「皇室典範」を改定したり、権力機関や政治家が靖國神社の護國の英靈祭祀に介入して「A級戦犯の靈を分祀しろ」などと主張する事は大いなる誤りであるばかりでなく、國體破壊であり、英靈への冒瀆である。

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千駄木庵日乗七月二十九日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して明日のインタビューの準備、資料の整理など。

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2013年7月29日 (月)

寺山修司の『祖國喪失』

 

 戦後を代表する歌人の一人とされる寺山修司は、

 

「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖國はありや」

 

 と歌った。この歌は『祖國喪失』と題された一連の歌の冒頭の一首である。寺山氏は祖國を喪失していたのであろうか。あるいはそうかもしれない。しかし、祖國は永遠である。いかに本人が否定し、喪失したと思っていても、否定することも喪失することもできない存在が祖國である。

 

  多くの若者たちは海を越えて戦地に赴いた。そして、敵に沈められた輸送船に乗っていた兵士たちも、敵艦に体当たりすることができずに死んでいった特攻隊員も、海の底に沈んでいる。小生は寺山氏の「海に霧ふかし」という言葉にそういうことを連想した。これは私の深読みに過ぎるのかもしれない。

 

  石田圭介氏は、この寺山氏の歌について、

 

「このものいひは軽い。『身捨つるほどの祖國はありや』など、軽々に言へたものではないといふのが、私の率直な感想である。祖國は豊かであらうが、貧しからうが、どんなであらうが、親國であり、帰るべき所であり、絶対に護らねばならないものである。ありやなしやなどと問はるべき存在ではない。この歌がいつどこで作られたのか確かめてはゐないが、要するに平和な時と所で作られた歌であることには違ひない。ここには身に迫った危機感は存在しない。極論するならば、言葉のあそびといってよからう。言葉のあそびも歌の一つの領域だからそれを全く否定するものではないが、祖國といった重い存在を手玉にとるのはやはり慎まれる。……ことばの遊びは、なるほどと思はらせればそれで終わりである。……やはり歌の本道は述志にある……」(『評論集・続歌徳』)と論じておられる。

 

 野村秋介氏は、平成五年十月二十日朝日新聞社で自決された時の遺書『天の怒りか地の声か』において、

 

「私は寺山修司の『マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖國はありや』という詩と十数年にわたって心の中で対峙し続けてきた。そして今『ある!』と腹の底から思うようになっている。私には親も妻も子も、友もいる。山川草木、石ころひとつに至るまで私にとっては、すべて祖國そのものである。寺山は『ない』と言った。私は『ある』と言う。…」と述べておられる。

 

 寺山氏は昭和十年生まれで、終戦の時、十歳であった。野村氏と全く同年である。ついでに言わせていただけば、私は両氏の一回り下の昭和二十二年生まれである。野村氏は、「身を捨つるほどの祖國はある」と信じ、祖國再生の祈りを込めて自決を遂げられた。

曽野綾子氏は、その著『この世の偽善』に於いてこの寺山氏の歌を論じて次のように語ってゐる。「私はこの頃、祖国というものは、やはり、身を捨てても守らなければならないかもしれない、と現実に立って思っています。…この恵まれた日本に住みながら、『身捨つるほどの祖國はありや』などという悲痛なポーズをとることほど体裁のいいことはない。ただ大向こうをうならすことを狙った言い方でしかないと私は思います」と。

 

寺山氏は「身捨つるほどの祖國はありや」と歌い、祖國を否定しようとしたのである。しかし、石田氏のいわれる通り、祖國とは「絶対に護らねばならないもの」であり「ありやなしやなどと問はるべき存在」では絶対にない。私は今更ながら、野村秋介氏の言葉の重さと真摯な姿勢に感動を覚える。寺山氏の歌にはそれが無いように思う。

 

 

 

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千駄木庵日乗七月二十八日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、原稿執筆・火曜日に行われるインタビューの準備など。

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2013年7月28日 (日)

國體と憲法

日本國は、天皇を祭り主と仰ぐ信仰共同体である。これは、わが國體である。これを否定するような如何なる法律も國家破壊の元凶としてこれを破棄しなければならない。ところが戦後日本において戦勝國によって押しつけられた「現行占領憲法」は、君主と人民とは相対立する存在であり國家とは國民同士が契約して成立するものであると考える西洋法思想・西洋國家観に貫かれており、日本國體の根幹を正しく規定していない。むしろ「現行憲法」は國體破壊もしくは隠蔽の元凶になっている。「護憲」の名のもとに数々の國體破壊もしくは隠蔽が行われている。

 

三潴信吾氏は、「法思想上には、不文憲法主義と成文憲法主義とがある。…(成文憲法主義は注)ローマ法思想の流れを汲み、君主(統治者)と人民(被統治者)との間、又は各人相互の間の不信、性悪観に基づくものである…近代のヨーロッパに於ける成文憲法の制定も、マグナ・カルタ以来の歴史が示す如く、専制君主と人民との間の不信感に発した、人権保障の約束証文に由来するものであって、これは権力國家観への移行の段階に於いて現はれたものである」「憲法の基盤となる立國法とは、國体法とも称されるが、不文憲法として、成文憲法のある場合にも、必ずその基礎を成すものである。…立國法はその國の立國と同時に、その成立事實と不可分に存立するものであって、立國の精神的または道徳的理想を根幹として、その國の最も基本的な伝統的秩序を樹立するものである」「憲法はその國の統治権力作用の拠って立つべき立國の理想目的に抵触したりそれを支へる人類普遍の原理を侵すことはできない」(「日本憲法要論」)と論じておられる。

 

 わが日本は國家の本質と君主たる天皇の御本質が建國以来、信仰的に厳然と確立している。これを法律的に言えば、不文法によって定まっているということであろう。故に成文憲法でそれを変革することはできないし、成文憲法は不文憲法(立國の基本)に反する規定をしてはならない。西洋から輸入した近代法思想に基づく成文憲法によってこの立國の基本を覆したり破壊してはならない。

 

 つまり天皇及び皇室そしてそれを中心とする日本國体は憲法などの世俗的な法律を超越しており、憲法などの法律は、皇室にかかわることに干渉することはできない。

 

 日本國は信仰共同体であり國民が契約を結んで人工的に作った國ではない。そして祭祀主である天皇は國民と対立してこれを力によって支配する御存在ではない。こうした日本の基本的國柄は成文憲法が制定される以前即ち明治初期以前から確立している。西洋の契約思想や人間不信を基盤とした成文法に神話の時代に発生し悠久の歴史を有する日本國体を規定すること自体不自然なことなのかも知れない。

 

 西洋の國々の君主は人民を征服し武力と権力によってこれを支配服従せしめていた存在であった。そして君主と人民は相対立存在であった。だから、主権が君主にあるとか人民にあるとかという君主と人民の対立概念が出て来るのである。こういう日本に全くなじまない西洋概念で日本國體を規定すること自体無理なのである。

 

 近代日本に於ける成文憲法たる「大日本帝國憲法」の制定においてはこのことを考慮し、第一条から第三条において立國の基本(即ち不文法に定められた日本國体の基本・天皇中心の信仰共同体日本の本姿)を明らかに規定した。

 

 しかし、日本天皇が日本國の君主・統治者であらせられるのは、日本の伝統信仰・歴史的な國體観念に基づくのであって、憲法に規定されているから天皇が君主であらせられるのではない。

 

「現行占領憲法」は、日本國の基本的性格と全く異なる理念で作られている憲法であり、日本の國体・文化・伝統を全く否定しあるいは無視している憲法である以上それは当然である。

 

 今日において成文憲法を無くすことが不可能であるならば、一日も早く「現行占領憲法」の無効を確認し日本國體に則った正しき憲法に回帰すべきである。

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千駄木庵日乗七月二十七日

朝は、母のお世話。デイサービスに赴く母を見送る。

午後は、原稿執筆の準備など。

午後五時半より、新宿にて、数人の同志と、当面する諸課題ついて討論。

帰宅後も、原稿執筆の準備など。

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2013年7月27日 (土)

現御神信仰は「生きた真実」である

  

昭和天皇様は、昭和三十五年に、

 

 さしのぼる 朝日の光り へだてなく 世を照らさ むぞ わがねがひなる

 

 

 

と歌われ、同三十四年には

 

 あなうれし 神のみ前に 日の御子の いもせの契 り 結ぶこの朝

 

 

 

と詠ませられている。この二首の御製は天皇および皇太子は「天照大神の生みの子」即ち「日の御子」であるという御自覚を歌われているのである。

 

 

 

 これらの御製を拝すれば、昭和天皇が「昭和二十一年元旦の詔書」においていわゆる「神格」を否定され「人間宣言」をされたなどという説が大きな誤りであることが分かる。

 

 

 

 平成十一年十一月十二日、皇居前広場にて『天皇陛下御即位十年をお祝いする國民祭典』開催された。夕刻になると強い雨が降り出したが、開會して両陛下お出ましの直前にその雨が止んだ。まことに不思議な事実であった。天長節・新年の皇居参賀など様々な行事の時も、そして地方行幸にお出ましの時にも、外國御訪問の時にも同様のことが起こる。これは人麻呂が歌った通り、天皇が自然神を支配し且つ自然神が天皇に奉仕している証拠である。

 

 

 

 天皇が現御神であらせられるということは古代日本人がつくりあげた「虚構」ではなく、今日唯今においても「生きた真実」なのである。

 

  

 

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千駄木庵日乗七月二十六日

午前は、母のお世話。ケアマネージャーの方来宅。今後の母の介護について相談。

お昼は、知人と懇談。参院選挙後の諸情勢について意見交換。共産党は議席を伸ばしたが、自民批判票が民主から共産に流れただけで、共産党支持層が拡大したわけではないということで認識が一致。

午後からは、在宅して、原稿執筆の準備など。

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2013年7月26日 (金)

いわゆるレイシズムについて

いわゆるレイシズムについて、本日参加した討論会に於いて次のようなことを論じました。以前にもこのブログに同じ趣旨の拙論を掲載しましたがあらためて掲載します。

 

レイシズムといふ言葉が最近わが國において頻繁に聞かれるようになった。日本語で言へば人種差別・人種主義のことだといふ。歴史上もっとも典型的な人種差別は、白人による有色人種に対する差別・迫害である。オーストラリアや北米・南米における先住民殺戮・迫害、黒人奴隷の売買・使役、ユダヤ人迫害虐殺などのことをレイシズムと言ふのである。レイシズムは規模が大きく計画的であり長期間に及ぶ。レイシズムは人類発生以来歴史的に存在して来たと言へる。

 

アジアにおいても支那民族による他民族の差別・迫害が最も顕著であり大規模であり長期間に及んでいる。有史以来と言っても良い。共産支那によるチベット侵略・支配によって百二十萬人のチベット人が命を失った。これはチベットの人口の五分の一に相当するといふ。さらに、共産支那による東トルキスタン侵略・支配によって、「計画生育」といふ名目で八百五十萬人もの人々が強制中絶させられ、五十回もの核実験によって七十五萬人の人々が放射能中毒で死亡し、「政治犯」として五十萬人もの人々が処刑されたといふ。支那民族は全体として過酷残忍な性情を持ってゐることは、史家が指摘してゐる通りであるし、事実である。

 

「小中華」と言はれる韓国・朝鮮も他民族に対する差別は根強い。ベトナム戦争の時、南ベトナムに派兵された韓國軍は、三十萬人を超すベトナム人を虐殺したとも言はれ、ベトナムでは村ごとに『「ダイハン(註・大韓のこと)」の残虐行為を忘れまい』と碑を建てて韓國軍の残虐行為を忘れまいと誓ひ合っているといふ。

 

レイシズムとはこのような共産支那のチベット・東トルキスタンにおける大量虐殺、韓國軍のベトナムにおける大量虐殺のことを言ふのである。

 

わが國は今日、共産支那によって尖閣・沖縄侵略の危機にさらされてゐる。韓國によって竹島を奪はれてゐる。北朝鮮によってわが国民が拉致されてゐる。これに対して抗議運動が首都東京において行はれるのは当然である。今日わが國しかも東京の新大久保といふ町で限られた人数で行はれてゐる反支那・反韓國朝鮮デモで一部過激な言動があったからとて、それをレイシズムと決めつけることはどうか。在日韓國・朝鮮・支那人及び日本を訪問してゐる韓國・朝鮮・支那人を大量虐殺したわけでもないし、暴力的迫害してゐるわけでもない。今日、わが國内で、行はれてゐる反支那・反南北朝鮮デモなどをレイシズムと規定することが誤りだと思ふ。我々日本人が、レイシズムに対して批判の声をあげるのなら、支那・韓國に対してあげるべきである。

 

日本民族は、國家的危機に瀕した時に、日本を侵略せんとする他の民族・他の國家と果敢に戦った。しかし、わが国においては特定の民族・人種に対する計画的に長期間にわたる大規模な迫害・殺戮は全く行はれなかった。つまりわが國はレイシズムとは無縁である。

 

日本の主権を侵害し、日本の領土を奪ひ、日本國内で反日活動を行ってゐる支那人、朝鮮人に対する反撃といふか、抗議活動である。行き過ぎた言動はやめるべきであるが、これをレイシズムと規定するのなら、支那韓國で行はれてゐる反日デモもそして政府要人、マスコミ人などによる反日発言はもっと過激なレイシズムといふ事になる。支那・韓國の暴虐には目をつぶり祖国日本における外国への糾弾活動のみを批判することは許されない。

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2013年7月25日 (木)

千駄木庵日乗七月二十五日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後六時半より、水道橋の全水道会館にて、『領土とナショナリズム出版記念討論会』開催。木村三浩・鈴木邦男・前田朗・金東鶴・清水雅彦の各氏及び小生が討論。在日朝鮮人の人と討論したのは初めてである。小生の発言については別に掲載しました。

帰宅後も、諸雑務。

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清水信次氏の講演内容 その二

昭和初年に世界大不況か起きた。高橋是清が財政立て直しをした。台湾は物資が豊富で、農業は二回収穫する。日本の植民地経営で農業を発展させ、学校や病院を作った。朝鮮半島は日本に厳しい。朝鮮は明治四十三年に統合。日清戦争までは、ロシア帝国が南下し、朝鮮を自分の統治下に入れようとしていた。中国は朝鮮を属領にしていた。日本は喉元に匕首を突きつけられた形。高宗との合意で日本と統一した。日本は朝鮮から物を奪ったりしていない。工業を興し、病院・学校を作った。朝鮮は台湾と比べて物資が豊かではなかった。山も禿山が多い。日本は朝鮮から得るものはあまりなかった。朝鮮のレベルを高めようとしてお金や技術を持って行った。朝鮮人は気位が高くて日本になじめない。高宗が亡くなって独立運動が起った。

 

盧溝橋事件は、北京郊外で夜間演習をしていた日本軍に中国軍が発砲。昭和天皇は不拡大をお命じになった。牟田口連隊長が戦線を拡大した。軍が下剋上。軍務局長の永田少将が惨殺された。五・一五事件で、犬養総理は家族の前で射殺された。昭和十一年の二・二六事件では、麻布連隊が首相官邸・朝日新聞を襲撃。八十二歳の高橋是清蔵相・渡部錠太郎教育総監が射殺された。近衛が『蒋介石を相手とせず』と言った。王精衛を連れ出して南京政府樹立。

 

福田赳夫氏は南京政府財政最高顧問として派遣された。蔵相兼日銀総裁のような仕事。『南京時代が一番楽しかった。やりがいがあった』と言っていた。岸先生に『生涯で一番楽しかったのは何時ですか』と聞いたら、『何にもない所で国づくりが出来た満州時代』と答えた。一番つらかったのは巣鴨の刑務所に入った時と言われた。日本は何故、山海関を越えて華北に入ったのか。国家として整理整頓して正しいこと間違ったことを確認しないといけない。

 

日本はアメリカの植民地以下。この関係を今後どうするのかが我々の責任。通信情報はアメリカが全てキャッチ。反米政治家は失脚させる。マスコミも影響される。このまま改憲して集団的自衛権をも認めるとどうなるか。アメリカの利権を守るために日本軍を出せと言われる。はっきり言えば日本は独立国ではない。日本は攻められれば存在をかけて戦うが、外地では戦わないようにすべし。私は反米でも抗米でもない。

 

三十台、四十代の今の政治家は明治以降の日本の歴史をどれだけ知っているか。特に昭和史をきちんと学ばないと将来を誤る。日本人ほど勤勉で正直でよく働く国民はいない。日本ほど安全で安心で清潔な国はない。中国と比べたら官僚も良い。

 

日本の政治家のレベルが落ちた。日本を古代ローマやエジプトのようにしてはならない。私はもうすぐ九十歳になる。居ても立っても居られない。心配だ。明治維新の時の吉田松陰・橋本左内・久坂玄瑞・坂本龍馬はみな二十代・三十代で死んでいる。今の政治家は命懸けで米中露に立ち向かってもらいたい。そうでないとあの戦争で死んでいった人たちに申し訳ない。靖国神社には朝早く一人でお参りすればいい。大挙してお参りするなんておかしい。心から英霊に祈りを捧げるのなら朝早く行くべし。

 

人類はこの百年で五十億人増えた。プラザ合意で日本の経済はガタガタになった。北拓、長銀、債券、山一、ダイエー、西友、セゾンが崩壊した。空も陸も海も通信もアメリカの管理下にある。アメリカと喧嘩できる国はない」。

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清水信次氏の講演内容・その一

七月四日の『一水会フォーラム』における清水信次国民生活産業・消費者団体連合会会長の講演内容。

 

「八十七歳。毎朝四時半に起床。新聞を読み、NHKの体操をして、食事。月曜から土曜は、七時から七時半に迎えの車に乗り、八時半に日本橋の事務所に出て仕事。流通業界などに十六の役職を持つ。会議・来客があり、夜は勉強会。

 

日本は今後どうなるか、日本の立ち位置は何処か。国民に不平不満はあっても、世界最高の衣食住の生活をしている。私は大正末期生まれ。幼少時代冷暖房無し。水洗無し。大根、ゴボウ、ニンジン、サバ、イワシを食べた。マグロ、鯛は見たことも食べたこともない。

 

小学生の頃、満洲で張作霖爆殺事件が起きた。張作霖は東北三省の王様のような人で人気があった。昭和六年に満州事変勃発。陛下の勅許を得ずに満洲に越境。七年に満州建国。清朝の溥儀を連れてきて皇帝にした。五族協和・王道楽土を建国の理想にした。石原莞爾が一生懸命に真面目にやった。『弐キ参スケ』(東條英機、星野直樹、鮎川義介、岸信介、松岡洋右)が活躍した。新京、鞍山製鉄所をつくった。鮎川義介は満州重工業の総帥。松岡は満鉄総裁。岸は経済・産業を担当し、計画経済・統制経済・投資を行って経済水準を上げた。

 

戦後、昭和三十六年から、岸先生が亡くなるまで、日韓協力委員会、国策研究会でお手伝いした。日本石油本社ビルの三階にあった岸事務所よく行った。岸氏の秘書で海軍兵学校出身の堀渉君とは郷里が一緒。御殿場の屋敷に呼ばれ天下国家を論じ合った。九十歳で亡くなる直前まで、ご指導を頂きお手伝いもした。気宇壮大で立派な政治家だった。日韓協力委員会は佐藤総理の時代に出来て今年で四十四年続いている。私は筆頭副会長・理事長をしている。

 

私は三重県に生まれ、九歳で大阪に出て、昭和十八年に学校を出て、同十九年から一年間、林銑十郎会長の大日本武徳会の剣道助教をした。白兵戦特別研究要員となった。十八歳で徴兵検査、甲種合格。最悪の時、本土防衛特別攻撃隊の兵士として、一億玉砕の迎撃命令を受けて、戦車地雷の練習、自爆の訓練を行った。昭和天皇の御英断で終戦となった。だから私はこうして皆さんとお会いできる。復員すると、津も大阪も爆撃で何もない。両親と兄弟四人計六人が、お百姓さんの家で露命をつないでいた。翌朝、近畿日本鉄道で大阪に夢出た。梅田駅前には戦後二週間で闇市が出来ていた。第三国人が不法占拠していた。自分も闇市で商売しようと決意。それから今日まで食料品販売の仕事をしてきた。

 

昭和二十五年六月に朝鮮戦争が起こりアメリカの態度が変わった。戦勝国の極東委員会が占領政策を決めた。それは、日本を再び大国にしない、国民の生活水準はフィリッピン、インドネシア以下でなければならないというもの。千トン以上の船を造ることを禁止。千万人の餓死者が出ると言われた。七百万人の兵士と海外居留民が帰国。百万人近い人々が爆撃で殺された。東京裁判は国際法違反。戦争行為は裁判の対象にならない。許容できない。非戦闘員、年寄り、子供も無残に絨毯爆撃で殺した。阿鼻叫喚の中で死んでいった。そんなことをやった国が『平和と人道』の名で日本を裁けるのか。

 

憲法改正、集団的自衛権を自民党は言っているが、非常に難しい。『現行憲法』は、十日から二週間で作られた英語の原文を、『天皇の戦争責任を問う』『天皇を吊るせという意見がアメリカ国内にもある』と脅されて押し付けられた。『諸国民の公正と信義に信頼して自国の生存と安全を確保する』ことが可能か。朝鮮にミサイルで脅かされ、中国による尖閣の領海侵犯が繰り返されている。これをどうするか。国家百年の大計をどうするか。

 

アメリカとロシアが日本に開国を迫った。天皇の御許しを得ないで条約にサインをした井伊直弼は桜田門で殺された。攘夷を唱えた薩摩と長州は砲撃したら逆にやられた。幕府は高い賠償金を支払った。日本は大航海時代に、標的にならずに済んだ。鎖国で二百六十五年やって来た。しかし明治維新で開国。産業革命で、大量生産・大量消費に変わりつつあった。日本はお蚕・絹織物だけが産業だった。学者・技術者を外国から入れた。欧米に留学生を派遣。外来文化・文明を吸収しつつ、日清・日露を経て第一次大戦で漁夫の利を得た。全世界に日本の製品を売って大変うるおった。世界五大国の一つになった。

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千駄木庵日乗七月二十四日

午前は、母のお世話。

午後は、在宅して、原稿執筆。

夕刻、千駄木にて、『伝統と革新』編集実務担当者の方と懇談・打ち合わせ。

帰宅後も、資料整理、原稿執筆。

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2013年7月24日 (水)

三島由紀夫氏の預言

會田雄次氏は、「預言者とは、民族・共同体の危機を普通の人々よりもはるかに早く直感する人である。他人に見えないものが見え、聞こえないものが聞こえる人である」(『預言者サヴォナローラとその運命』)と言った。

 

昭和四十五年十一月二十五日の市ヶ谷台上の義挙の際の『檄文』には「見た」といふ言葉が繰り返されてゐる。三島氏の「見た」とは単に視覚的な意味ではない。死を覚悟した目で普通の人には見ることのできないものを見たといふことである。

「戰後の日本が、經濟的繁榮にうつつを抜かし、本を正さずして末に走り、その場しのぎと僞善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。…敗戰の汚辱は拂拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と傳統を瀆してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかった。…自衛隊は違憲であることは明白であり、國の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釋によってごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義の頽廢の根本原因をなして來るのを見た」。

 

普通人が見ることのできなかったことを見た三島由紀夫氏は、偉大なる預言者であり、『檄文』は預言の書であった。死を覚悟した人ほど鋭い洞察力を発揮できるやうになり、世の中がよく見えるやうになる。これを「末期の目」と言ふ。逆にいへば、世の中が見えるやうになったから死を覚悟するともいへる。死を覚悟した人でなければ見ることのできないものを、三島氏は見続けてゐたのである。

 

さらに三島氏は自決直前の文章で、「私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行ったら『日本』はなくなってしまふのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなって、その代はりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、抜け目がない、或る經濟的大國が極東の一角に殘るのであらう」(『私の中の二十五年』・昭和四十五年七月七日発表)と述べてをられる。

 

これも會田氏のいふ「民族・共同体の危機を普通の人々よりもはるかに早く直感」した文章であり、三島氏の自決以来三十三年を経過した今日の日本を預言してゐる文章である。今日の日本は昭和四十五年当時よりもさらにひどい偽善の世となり、ますます欺瞞的な戰後民主主義・平和主義がはびこり、病状は瀕死の状態となってゐる。

 

そして、経済大國の地位すら危うくなり、國民は疲弊している。日本は抜け目なく生きることすらできなくなっている。 つまり、歴史と傳統の國日本だけでなく、経済大國・偽善の國日本すら消えてなくなってしまふかもしれないのだ。

 

三島氏がのこされた言葉と行動を今一度深く学び、歴史と傳統の國日本の再生のために戰後及び現代の偽善を払拭せねばならないと思ふ。

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千駄木庵日乗七月二十三日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後四時半より、赤坂の日本財団ビルにて、『東京財団フォーラム・日欧海洋安全保障協力の今後』開催。ルッツ・フェルド、ラルフ・ティーレ、ピーター・ロエル、渡部恒雄、畔蒜泰助、小原凡司の各氏がスピーチ・質疑応答。内容は後日報告します。

帰宅後は、資料の整理。

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2013年7月23日 (火)

共産党独裁国家の歴史と現実

日本共産党のみならず、これまで世界中の共産党および共産主義政治組織は、「君主制は資本主義体制の背骨である」としてこれを打倒することを目標としてきた。それは、ロシア革命においてロマノフ王朝を打倒し、皇帝一族を惨殺して以来の恐ろしき体質である。

 

しかし、共産主義革命が行なわれ、君主制が廃止された国では、君主制以上の独裁専制政治が行なわれた。ロシアでは共産革命の後、レーニン、スターリン、フルシチョフ、ブレジネフという党最高指導者による独裁専制政治が行なわれた。

支那も、辛亥革命で清朝は打倒されたが、共産革命の後、毛沢東・鄧小平・江沢民による独裁専制政治が行なわれてきた。

 

ロシアや支那の君主制と、わが国の「天皇中心の國體」とは、全くその本質を異にしており、同列に論じることは出来ない。しかし、ロシアと支那は君主制打倒の後、党独裁の専制政治が行なわれたことは歴史的事実である。

 

北朝鮮は文字通り、「金日成王朝」と言われているように、金日成・金正日・金正恩の三代にわたる残酷・凶暴なる専制政治が行なわれている。北朝鮮は「朝鮮民主主義人民共和国」などという長ったらしい国名を付けているが、決して「人民が主人公の民主主義国家」ではなく、金正恩一族のみが専横を極め金一族を批判する国民は迫害され粛清される国である。また、金一族を批判しなくとも国民が栄養失調で死んで行く国なのだ。

 

共産主義体制とは、プロレタリア独裁=共産党独裁=党最高指導者専制という政治である。『君主制度の国は民主的でなく国民の自由は奪われ、国民が差別されるが、共産主義国家は民主的であり国民平等の社会が実現する』というのはまったく大ウソである。共産主義体制の国こそ、国民の自由と繁栄は奪われ、共産党幹部以外の国民は差別され虐げられる反民主的な専制国家なのだ。

 

もしわが国において戦争直後、共産革命が成功していたらどうなっていたか。徳田球一が独裁者となり、共産党による専制政治が行なわれ、悲惨な国となっていたであろう。そしてその後、徳田と野坂参三と宮本顕治による凄惨な権力闘争が繰り広げられ、数多くの人々が粛清され、殺され、収容所に送られたであろう。そればかりではなく、そうした権力闘争に旧ソ連や共産支那や北朝鮮が介入し、内乱となり、日本国の独立すら失われた可能性もある。ともかく、今日の日本のような自由民主体制と繁栄は実現しなかったことは火を見るよりも明らかである。

『気を付けよう、甘い言葉と暗い道』という標語があるが、共産主義者の「民主主義」「人民のために」「解放」などという甘い言葉に騙されると、文字通り「暗い道」「悲惨な道」を歩むことになるのである。

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千駄木庵日乗七月二十二日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、原稿執筆・書状執筆・資料整理など。

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2013年7月22日 (月)

國體破壊を目指す日本共産党

日本共産党が議席を伸ばした。日本共産党の国会議員は、「天皇が『お言葉』を述べるのは憲法違反だ」などと言って国会の開会式に出席しない。また、政府や地方自治体の公式行事で、『国歌斉唱』が行なわれても、共産党所属の議員は決して歌わないし、起立もしない。共産党の國體破壊・「天皇制」否定はこれほどまでに徹底しているのだ。

 

日本共産党の「綱領」には、「(「天皇制」は)憲法上の制度であり、存廃は将来、情勢が熟した時に国民の総意によって解決される」と書かれている。つまり、「天皇制は窮極的には廃止したいのだが、今は情勢が熟していないので、共産党が権力を握るまでは廃止しない」「天皇制廃止論が多数になれば憲法を改正して天皇制を廃止する」という事である。日本共産党が権力を掌握したら、日本國體は破壊されるのである。

 

「綱領」の『前文』に「党は、一人の個人あるいは一つの家族が『国民統合』の象徴になるという現制度は、民主主義及び人間平等の原則と両立するものではなく…民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ」と明記されていることによっても明らかである。

 

「天皇制廃止」を目指す日本共産党は、日本國體破壊せんとする政党であり、国民の自由と繁栄を奪う政党である。共産党は「国民が主人公の政治を実現する」などと宣伝している。しかし、共産主義革命によって君主制が打倒された国々は、民主主義も人間平等もまったく実現していない。それどころか、独裁専制政治による差別虐待の体制になっている。共産支那や北朝鮮の実態を見ればそれはあまりにも明らかである。この事実を見れば、共産党の主張は全く誤りであることは明白である。共産主義国家とは、共産党の独裁者が主人公になり、国民は永遠に虐げられる社会であることは、歴史と現実が証明している。

 

 

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千駄木庵日乗七月二十一日

午前は、母のお世話。

午後は、『百人一首』解釈の原稿執筆。

夕刻、千駄木小学校に投票に赴く。帰途、地元の方々と懇談。

帰宅後も、原稿執筆など。

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2013年7月21日 (日)

一君萬民・君民一体の日本國體を開顕すべし

近年、江戸時代を理想化し、江戸時代のような態勢に戻るべきだという主張が出て来ているが、私は反対である。たしかに二百数十年の「太平の世」が続いた。これは徳川氏の功績である。しかし、江戸時代の徳川幕藩体制においては、天皇中心の國體が著しく隠蔽されていた。徳川将軍家が政治権力を壟断し、天皇・朝廷は、京都に逼塞状態に置かれた。また、幕府政治は覇道の政治であり覇者の政権であった。即ち皇道政治ではなかった。さらに皇室の権威に対抗して、徳川家康を東照大権現などと崇め奉った。明らかに不敬の所業だ。そうしたことを祓い清めて、天皇中心帰一の國體を回復する一大変革が明治維新であった。

 

ただし、江戸時代においても、天皇が日本国の君主であるという事実が全く隠蔽されていたわけではない。尊皇思想の道統は脈々と受け継がれていた。また、天皇を君主と仰ぐことが、徳川幕藩体制の正当性の根拠であった。

 

山鹿素行(江戸前期の儒者、兵学者)は、「朝廷は禁裏也、辱も天照大御神の御苗裔として、萬々世の垂統たり、此故に武将権を握て、四海の政務武事を司どると云ども、猶朝廷にかはりて萬機の事を管領せしむることわりなり」(『武家事紀』)と論じてゐる。

 

松平定信(江戸後期の白河藩主。田安宗武の子。徳川吉宗の孫。老中となって、財政の整理、風俗の匡正、文武の奨励、士気の鼓舞、倹約を実施して寛政の改革を実行)は、天明八年十月に将軍家斉に奉った上書で「六十余州は禁庭より御あづかり遊ばされ候御事に御座候へば、仮初にも御自身の物とはおぼし召され間敷候御事に御座候」と論じた。

 

山県太華(長州明倫館学頭・藩主毛利斉元の側儒)は、「天子は、先皇以来正統の御位を継がせ給うて天下の大君主と仰がれ給ひ、武将は天下の土地人民を有ちて其の政治を為す」(『評語草稿』)と論じた。

 

このように、江戸時代においても、日本国の君主は天皇であり、征夷大将軍はその臣下であるということが大義名分であった。今日の日本は「占領憲法」によって一君萬民・君民一体の國體が晦まされている。こうした状況は何としても正されなければならない。

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千駄木庵日乗七月二十日

午前は、母のお世話、『政治文化情報』発送作業。

午後二時より、靖国神社境内啓照館にて、「第七回・先哲に学ぶ会」開催。永江太郎氏が挨拶・司会。小田村四郎氏が「明治維新を彩る幕末の志士・吉田松陰」と題して講演。

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講演する小田村四郎氏

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「九段の母」(作詩 石松秋二  作曲 能代八郎 歌 塩まさる )

 

   「空をつくよな 大鳥居 こんな立派な おやしろに  

  神とまつられ もったいなさよ 母は泣けます うれしさに」 

  という歌詞通りの情景。 

 

帰宅後は、『政治文化情報』発送作業完了。購読者の皆様には、週明けにお届けできると存じます。

この後、『百人一首』解釈原稿執筆。

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2013年7月20日 (土)

最近、贈呈していただきました書籍

最近、贈呈していただきました書籍を紹介します。

長谷川三千子氏著 『神やぶれたまはず』 中央公論新社 著者より

今村洋史著 『TTPの罠』 幻冬舎ルネッサンス 著者より
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日本天皇の國家統治と和歌は不二一体である

 

天皇の統治をやまとことばで「しろしめす」「しらしめす」と申し上げる。「しろしめす」「しらしめす」とは、「知る」の尊敬語で、お知りになる、承知しておられる、おわかりでいらっしゃるといふ意である。「しらしめす」は、「しらす」(「知る」の尊敬語)に、さらに尊敬の補助動詞「めす」の付いた言葉である。

 

また、「きこしめす」とも申し上げる。「きこしめす」は「きく(聞く)」の尊敬語「きこす」に「見る」の尊敬語から転じた「めす」が付いて一語となった言葉で、聞きあそばす、お聞きになるといふ意である。

 

天皇は、神の御心のままに國を治められると共に、臣下・民の心を良くお知りになり、お聞きになって、この國を統治あそばされるのである。

 

そして、天皇と民の心をつなぐものが「やまとうた」=和歌である。天皇は御製によってその御心を民に示したまひ、民もまた歌を捧げることによって民の心を天皇にお知りいただくのである。その傳統は、毎年行はれる「新年歌會始」に継承されてゐる。

 

天皇統治とやまとうたは切り離し難く一体なのである。君民一体の國柄は和歌によって保たれてきた。神代の昔より、今日に至るまで、高下貴賎の区別なく継承されて歌はれて来た文藝が和歌である。かかる優雅にして清らかなる君民一体の國柄は他の國には見られない。

 

小田村寅二郎氏は、「遠い遠いところに居られるやうに感じてゐた御歴代の天皇がたが、御歌を拝読するわれわれの目の前に、身近にお姿を現され、お聲をかけてくださるやうな気さへしてくる。『詩歌』とはまことに不思議なものであり、とくに『和歌』を介しての作者と読者とは、時空の隔たりを超えて心一つに通ひ合ふことができさうである。」(『歴代天皇の御歌』はしがき)と論じてゐる。

 

 天皇・皇室は、神代以来、祭祀を継承されると共に、和歌の道を連綿として継承されてきた。そもそも和歌の起源は、皇室のご祖先であられる神代の神々のお歌に遡る。わが國の文藝(歌・物語)の起源は祭詞から発生した。わが國は祭祀國家であり、天皇はわが國の祭祀主であらせられる。天皇の國家統治は、祭祀と和歌がその基本である。

 

天皇主宰のもとに行はれる「勅撰和歌集」の編纂が、和歌の継承に不可欠であった。今日、「勅撰和歌集」が編纂されなくなってゐるのは、わが國の國柄が正しく開顕してゐないといふことである。さらに言へば、衆参両院議員、認証官は、「歌会始」に於いて必ず、歌を詠進すべきである。

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千駄木庵日乗七月十九日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。

午後からは、在宅して諸雑務、『百人一首』解釈の原稿執筆。

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2013年7月19日 (金)

『現行占領憲法』の三原理そして「国連」

今日の日本においては、『占領憲法』をはじめとした戦勝國から押し付けられた様々な事象を祓ひ清め、天皇中心の國體を明らかにして、日本の自主独立を回復するといふことが最も大切である。

 

ところが最近各方面から出されてゐる「憲法改正試案」は、「現行占領憲法」の「三原理」を墨守するものばかりである。これでは真の自主独立の回復にはならない。日本を取り戻すことにもならない。

 

「現行占領憲法の」の三原理とは、「平和主義」「國民主権」「基本的人権の尊重」の三つであり、「憲法三原理」とも言はれる。

 

「占領憲法」の「平和主義」「國際協調」とは、「我が國は侵略戦争をした悪い國である。だから今後は武力・戦力・國軍を持たない。祖國防衛・侵略阻止のための武力行使はしないし、國防戦争もしない」といふ敗北思想である。

 

「國民主権論」は、君主と人民とが「國家意思を最終的に決定する権限」を奪ひ合った西洋や支那大陸のやうな歴史は全くない「君民一体の信仰共同体」たるわが國の國柄と絶対相容れない國體破壊につながる思想である。日本では君民は対立する関係ではなかった。その精神を根本的に否定し、西洋の市民革命より生まれた君主と國民の対立闘争概念に基づく思想が國民主権論である。

 

「基本的人権の尊重」は、人権尊重・個の尊重を全てに優先させることはかへって人権を蹂躙し、個人の尊厳性を奪ふ結果になってゐる今日の我が國の荒廃の根本原因の思想である。

 

「國連憲章」も「現行占領憲法」も「日米安保」も、大東亜戦争に敗北した日本を恒久的に戦勝國の支配下に置いておくことを目的としてつくられたものである。この三つを同心円ととらへることが日本の自立に不可欠だなどといふ主張は全く誤りである。この三つこそが日本の自立を妨げてゐるのである。

 

「國連憲章」も「現行占領憲法」も「日米安保」も、大東亜戦争に敗北した日本を恒久的に戦勝國の支配下に置いておくことを目的としてつくられたものである。

 

國連とは、第二次大戦後の体制を恒久化しようとする組織である。即ち戦勝國支配体制の維持組織なのである。國連は日本を守ってくれないし、國連は戦争を防止できない。國連はきはめて無力、独善、偏向の機関であり、日本の國家安全保障をそんな機関の手にゆだねることなど、危険このうえない。

 

さらに、莫大な分担金を払っている日本國を日本國常任理事國にもしない組織、侵略國家専制國家のロシアと支那に拒否権を持たせてゐる組織に、わが國の安全と平和を任すなどといふことはできない。

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千駄木庵日乗七月十八日

朝、母のお世話。

午前十時より、ホテルニューオータニにて、『スポーツ平和サミット 東京大会』開催。下村博文文部科学大臣・猪瀬直樹東京都知事・竹田恒和日本オリンピック委員会委員長・半田晴久スポーツ平和サミット実行委員長が、開会の挨拶。コリン・モイニハン卿、キャサリン・マーシャル氏、キャサリン・グレインジャー氏が基調講演。半田晴久氏、イベンダー・ホリフィールド氏、ミシェル・クワン氏などによる特別座談会が行われた。昼食ののち、分科会が開かれ、小生が参加した第三分科会では、デイビッド・コーエン氏、アレック・ベネット氏、ゴーイ・プンティム氏、小錦八十吉氏がスピーチ。

帰宅後は、原稿執筆。

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2013年7月18日 (木)

オピニオン雑誌『傳統と革新』第十二号

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オピニオン雑誌『傳統と革新』第十二号

(四宮正貴責任編集) たちばな出版発行

特集 日本精神と排外主義―レイシズムを問う

巻頭言 日本精神は偏狭な排外主義とは無縁である 四宮正貴

インタビュー

独立國家として堂々と、専守防衛國家をつくればいい 亀井静香

自主独立の方向へ舵を切る、それが今あるべき日本の経綸 西部邁

論文

[佐藤優の視点]『神皇正統記』によって排外主義とレイシズム(人種主義)を超克する 佐藤優

我が國の傳統的精神がもたらしたもの 西村眞悟

軍歌と日本人――その「敵」観に焦点を当てて 大原康男

自尊心と誇りを取り戻せ ペマ・ギャルポ

社會主義と國體は両立するか―「天皇制社會主義」の系譜 梅澤昇平

元寇と神國観念 岡田幹彦

原点回帰による我が國傳統精神の復活を 武智功

大東亜戦争と朝鮮人、我等斯く戦へり、彼らは(前編) 村田春樹

誠の日本精神が朝鮮との愛憎を克服する 廣瀬義道

皇神の道義は言霊の風雅に現はれる 荒岩宏奨

戦後體制の「従属特権」が日本精神を忘却させている! 木村三浩

連載

我が體験的維新運動史 第十二回 水を得た魚 天馬空を行く? 犬塚博英

石垣島便り⑥自衛隊配備問題で揺れる「与那國島」は、神様が集う島 中尾秀一  

『やまと歌の心』吉村寅太郎 千駄木庵主人 

編集後記

〒167―0053 東京都杉並区西荻南二-二〇-九 たちばな出版ビル

      代表03―5941―2341 FAX5941―2348

 版型 A5判並製 一五〇頁 定価 一〇五〇円 全國大型書店にて発売中。

 

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わが國の傳統的死生観

夏は慰霊の行事が多い。日本人にとって「死」とは虚無の世界への消滅ではない。生の世界と死の世界は絶対的に隔絶してゐない。人が死んでも、その魂をこの世に呼び戻すことができると信じてゐる。

 

本来日本人は、「死ぬ」と言はず「身罷る」「逝く」「神去る」「隠れる」と言った。「葬る」ことを「はふる」といふ。「はふる」とは羽振るである。魂が空を羽ばたいて飛んでいくといふことである。羽振りが良いとは勢ひがあるといふ意である。

 

日本武尊は薨去された後、その御霊は白鳥となって故郷に向かって飛んで行かれた。古代において鳥は霊魂を運ぶものと信じられた。肉体を離脱する霊魂の自由性・不滅性の最も原初的な信仰である。そしてその鳥が純白なのは、清らかさを好む日本人の生活感覚から生まれたのであらう。

 

柳田國男氏は、「日本人の大多数が、もとは死後の世界を近く親しく、何か其の消息に通じているやうな気持を、抱いて居た…第一には死してもこの國の中に、霊は留まって遠くへは行かぬと思ったこと、第二には顕幽両界の交通が繁く、単に春秋の定期の祭りだけでなしに、何れか一方のみの志によって、招き招かるゝことがさまで困難でないやうに思って居たこと、第三には生人の今はのときの念願が、死後には必ず達成するものと思って居たことで、是によって子孫の為に色々の計画を立てたのみか、さらに三たび生まれ代って、同じ事業を続けられるものゝ如く、思ったものの多かったといふのは第四である。」(『先祖の話』)と論じてゐる。

 

日本人は、死後の世界は現世とさう隔たった世界ではない信じた。佛教特に浄土信仰が、十萬億土の彼方にある西方極楽浄土に往生すると説くのとは大分違ふと考へられる。

 

中村元氏は、「日本人は佛教の渡来する以前から現世中心的・楽天的であった。このような人生観がその後にも長く残っているために、現世を穢土・不浄と見なす思想、日本人のうちに十分に根をおろすことはできなかった」(『日本人の思惟方法』)と論じてゐる。

 

日本には死んだご先祖が草葉の蔭から子孫を守って下さるとか、あるいはその反対に怨みを持って死んだ人の霊が生きたゐる人のところに化けて出るといふ信仰がある。一方日本人は、死んだら西方十萬億土の彼方にある極楽に往生して佛様になると信じ、その佛様が草葉の蔭(この世のお墓の下といふこと)から子孫を守ってくれると信じた。まったく矛盾するやうな考へであるが、これは信仰だから、「合理主義」であれこれ論じても仕方のないことである。

 

肉体が滅びても魂は永遠である信じているから、肉体が滅んだ姿を歌わない。人麿は魂の抜けた滅び行く死體に向かい合っているのではない。

 

ともかく、日本人にとって肉體の死は靈魂の滅亡ではないのである。これがわが國の傳統的死生観である。そして死者の靈を弔い鎮めることが現世に生きる人間のつとめである。敬神崇祖がわが國民道徳の基本である。祖靈を尊ぶことがわが國の道統である。

 

 

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千駄木庵日乗七月十七日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後二時半より、三田の駐建保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰途、大手町にて知人と懇談。

帰宅後は、『伝統と革新』発送準備、原稿執筆。

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2013年7月17日 (水)

天皇仰慕の心とナショナリズム

「天皇に忠節を尽くす」とか「祖國に一身を捧げる」という観念は、外に向けられると憎悪と殺戮につながるという批判がある。しかし、わが國の民族主義・ナショナリズム・愛國心の根底にあるのは、天皇仰慕の心である。わが國は、天皇を中心とした神の國である。そして、日本天皇の國家統治の御精神は決して排他的ではない。憎悪でもない。君民一体・萬邦共栄・四海同胞・八紘一宇の精神である。それはわが國の歴史の寛容性・平和性・包容性を見れば明らかである。

 

 わが國のナショナリズムは、道義の鏡であらせられる天皇への仰慕の思いと一体であるから、ことばの真の意味において常に健全である。民族主義・ナショナリズムの排他性を超えるものが、わが國の神話の精神・天皇の祭祀の精神である。一切を神として拝む精神である。

 

 ナショナリズム・愛國心を怖いものするのは、神を喪失しているからである。むすびの精神を喪失しているからである。

 

「天皇中心の神の國」がわが國體である。この萬邦無比の國體を護ることが最高の道義なのである。天皇の統治したまえるわが國は、言葉の眞の意味において「平和國家」である。神武肇國の御精神・聖徳太子の十七条憲法・明治天皇御製を拝すれば、それは明らかである。また、御歴代の天皇は常に國家と國民の平安を祈られてきた。

 

しかし、そうしたわが國の伝統は、「武」「軍」「戦い」を否定しているのではない。

 

「三種の神器」は、皇霊が憑依すると信じられ、日本天皇の國家統治言い換えれば日本民族の指導精神の象徴である。天皇の日本國御統治は「三種の神器」に表象されている。「三種の神器」は皇位の「みしるし」であり、御歴代の天皇は、御即位と共にこの神器を継承されてきた。

 

 「鏡(八咫鏡・やたのかがみ)」は、「澄・祭祀・明らかなること・美意識・和御魂・太陽崇拝」の精神を表象し、「剣(草薙剣、くさなぎのつるぎ)」は、「武・軍事・たけきこと・克己心・荒御魂・鉄器文化」の精神を表象し、「玉(八尺瓊勾玉・やさかにのまがたま)」は、「和・農業・妙なること・豊かさの精神・幸御魂・海洋文化」をそれぞれ表象している。祭祀・軍事・農業を司りたまう天皇の御権能が「三種の神器」にそれぞれ表象されているのである。また、知(鏡)・仁(玉)・勇(剣)とも解釈される。

 

 これらは別々の観念として傳えられているのではなく、三位一體の観念である。今こそ、崇高なる日本の道統に回帰するべきである。

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千駄木庵日乗七月十六日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

午後五時、谷中にある歯科医院にて、診察を受ける。

帰宅後も、発送準備、そして明日のスピーチの準備など。

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2013年7月16日 (火)

村上正邦・亀井静香・山口敏夫氏の講演内容

『第五五回 日本の司法を正す会』における登壇者の発言は次の通り。

 

亀井氏静香衆院議員「『緑の風』は可愛い別嬪さんではないが、政治家として優れている。女性の時代が来た。私が自民党政調会長の時は、政策の全権を握っていた。総理も私に全てを任せていた。村上さんは、古関という面白いオッサンを連れて来て、ものつくり大学の必要性を説いた。半端な予算では駄目。私が主計局長の電話をして『予算をつけろ』と言った。三十億円に予算が付いた。村上先生の努力と経緯も私は全て知っている。それをおどろおどろしい贈収賄として逮捕し有罪になった。弁護士さんに力がなかった。百%冤罪、でっち上げ。参議院議員会長として政策の実行は当たり前。検察はバッチを付けているものを挙げたい。それだけである。冤罪で捕まっても、三日間持たない。拘禁性ノイローゼで言いなりになる。両手錠で引き回されて、子供のような調べ漢の言いなりになる。古関氏は完璧にそうなってあんな調書を作られた。職務権限がないと捕まえることはできないから、『代表質問』という職務権限を作って捕まえた。村上先生は国士の中の国士。冤罪だろうと何だろうと、捕まった人にレッテルを貼って耳を貸さない。

 

今の日本は狂っている。裁判官・検事・弁護士の相当数がグルになっている。取引するのが仕事。真実が何であるか関係なし。裁判官は国家権力がつくり上げたものを信用してしまう。検事調書を優先する裁判官は自主的判断をする努力を失っている。三者もたれ合いの構図で冤罪が作られる。司法がしっかりしないとその国は幸せではなくなる。権力に媚びなくても生きてゆける社会にしなければならない。政治に無関心でも無関係でもいられない」。

亀井氏は、警察官僚であるだけに、今日の話には重みがある。

 

村上正邦元参院議員「事件が表に出た時、素直な気持ちで向って行こうと思った。自分が作った法律で裁かれたのだから神様から天命が下ると思った。この試練に打ち勝つことによって、新しい人生の道が開かれるはずだと思った。でたらめな結論だが、俺が我慢すればいいと思って耐えて来た。私のような冤罪を出してはいけない、司法を正さなければならない。自分がこの不正と戦うことにより、冤罪と潔白を明らかにすることが、神から与えられた新しい使命と思った。

 

ものづくり大学はどうなっているか、勉強している学生たちはどう思っているのかが知りたくて、ものつくり大学の石岡慎太郎理事長を呼んだ。石原氏は労働省労働基準局長だった。彼は私に『風化しているからこの問題に触れないでくれ。触らないでくれ、大学にも来ないで下さい。文部科学省からKSD関係者と接触するなと言われている』と言った。梅原猛総長は手切れのつもりで三冊の著書を署名入りで送って来た。あるホテルで梅原氏に偶然会った時、梅原氏は『あなたを信じていたが、裁判で有罪になった。信じてくれというのなら裁判で無罪を勝ち取ってこい』と言った。これは戦わねばならない。俺だけの問題ではない。無罪を勝ち取らねばならない、と決心した。

 

講演を頼まれるが、前科一犯の者が国民の前で大口を叩くことはできない。しかし今の政治情勢を見ていると堂々とものを言わなければならないと感じた。その立場を確保することが必要であると考えるようになった」。

以下事件と取調べと裁判の内容について詳しい話があったが、私のメモと記憶でここに記すことは内容に誤りがあると困るので差し控える。

 

山口敏夫元衆院議員「小沢一郎氏に対しては好き嫌いがあるが、彼が起訴されなかったことは、日本の司法権力を自由にしている連中にとって大変な痛手。司法の世界が変わらなければいけないという空気がある。村上先生の再審請求が大きな成果を勝ち取ると、日本の司法を正すことにつながる。メディアの大半が情報を検察からもらって検証無しで流す。庶民をたきつける。冤罪が作られる。メティアとの戦いでもある。ムーさんの事件は我々にもわからなかった。私も同じようなことがあった。私はバブル崩壊のスケープゴートだった。再審は勝てる要素がある。司法を正すために村上氏の事件を活用すべし。自由民主社会であること保障する戦いである。第三者の証言を取る時も、可視化が必要」。

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千駄木庵日乗七月十五日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。我が家でお世話をさせていただいている観音堂の清掃。

午後からは、在宅して、資料の整理、書状執筆、原稿執筆。

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2013年7月15日 (月)

靖国の英霊は今日唯今も祖国日本を護って下さっている

戰勝國は、復讐のためにいわゆる「戰争犯罪人」を捕らえ「裁判」にかけたのである。戰勝國による復讐の軍事裁判は、見せしめのための裁判であった。そして、わが國に侵略國家の汚名を着せそれを全世界に宣傳したのである。

 

 「A級戰犯は戰争責任者だから靖國神社に祭られてはならない」とか「A級戰犯が祭られている靖國神社に総理大臣が参拝するのは侵略戰争を讃美することになる」などという議論は、戰勝國が行った法律なき「軍事裁判」即ち非人道的にして残虐無比な復讐を肯定することとなる。

 

 「A級戰犯」という呼称はあくまでも戰勝國側の呼称であって、わが日本においては「昭和殉難者」と称するべきである。昭和殉難者は、まさに英靈であり戦没者である。だから、靖國神社においては「昭和殉難者」「戰死者」として祭られているのである。 

 

靖國神社に祭られている英靈は、國のために命を捧げられたばかりでなく今日唯今もわが祖國をお護り下さっているのである。

 それは皇后陛下が「終戰記念日」と題されて、

 

「海陸(うみくが)のいづへを知らず姿なきあまたの御靈國護るらむ」

 

 と、詠ませられている御歌を拝しても明らかである。

 

 

 昭和二十年(一九四五)六月二十三日未明、沖縄第三十二軍司令官として摩文仁岳にて自刃した牛島満陸軍大将の辞世歌を掲げさせていただく。

 

「矢彈(やだま)盡き天地染めて散るとても魂がへり魂がへりつゝ皇國(みくに)護らむ」

 

沖縄戦に於いて第三十二軍を指揮し、昭和二十年六月二十三日、自決された牛島満陸軍大将の辞世の歌である。まことにも悲しくも深く切なる歌である。自決した後も魂は祖國に帰ってきて、天皇國日本を守るといふ決意を表白された歌である。

 

 われわれ国民は、天皇陛下にそして英霊にお護り頂いているのだ。國體護持も靖国神社国家護持も感謝報恩のための言葉である。 

 

 わが國及びわが國民は、靖國神社そして各県の護國神社に鎮まりまします護國の英靈によってお護りいただいている。であるが故に内閣総理大臣をはじめ全國民は、靖國の英靈に対して感謝・報恩・顕彰の誠を捧げるのは当然である。共産支那や韓國の圧迫に屈してこれを怠るなどということは絶対にあってはならない。

 

 また、國のために命を捧げた英靈をお祀りする靖國神社に内閣総理大臣が公式参拝すること、各県の護國神社に県知事が玉串奉奠することを「憲法違反だ」「近隣諸國との関係を悪化させる」などと決めつける法匪、亡國マスコミは許しがたい。

 

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千駄木庵日乗七月十四日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、書状執筆・原稿執筆・諸雑務。

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2013年7月14日 (日)

孝明天皇と明治維新

 

孝明天皇御製

「あさゆふに民やすかれとおもふ身のこゝろにかゝる異國(とつくに)の船」

 

「戈とりてまもれ宮人こゝへのみはしのさくら風そよぐなり」

 

 

この御製は侵略の危機に瀕する日本を憂へられた御歌である。この御製を拝した多くの志士たちが尊皇攘夷の戦ひに決起した。

 

宮部鼎蔵(熊本藩士。尊攘派志士として、京都を中心に活躍。諸藩の有志たちと協議を重ね尊攘派運動を推進したが、池田屋事件にて自刃)は、孝明天皇の御製にこたへ奉り、次の歌を詠んだ。

 

「いざ子ども馬に鞍置け九重の御階(みはし)の桜散らぬその間に」

 

維新の志士の孝明天皇への赤誠・戀闕の心が、尊皇倒幕・明治維新の行動を起こさしめた。

 

徳富蘇峰氏は、「維新の大業を立派に完成した其力は、薩摩でもない。長州でもない。其他の大名でもない。又当時の志士でもない。畏多くも明治天皇の父君にあらせらるゝ孝明天皇である。…孝明天皇は自ら御中心とならせられて、親王であろうが、関白であろうが、駆使鞭撻遊ばされ、日々宸翰を以て上から御働きかけになられたのである。即ち原動力は天皇であって、臣下は其の原動力に依って動いたのである。要するに維新の大業を完成したのは、孝明天皇の御蔭であることを知らねばならぬ。」(『孝明天皇を和歌御會記及御年譜』「序」)と論じてゐる。

孝明天皇の國を憂ひ民を思はれる大御心が明治維新の原点であり、孝明天皇の大御心にこたへ奉る変革が明治維新であった。君民一體の神國日本の清潔さ・純潔を守らうといふ國粋精神が日本の独立を守った。そしてその國粋精神の體現者・實行者が孝明天皇であらせられた。

 

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千駄木庵日乗七月十三日

朝、デイサービスに赴く母を見送る。

この後、在宅して、『百人一首』解釈の原稿執筆、書状執筆など。

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2013年7月13日 (土)

維 新 と 詩 歌 

 

文学とりわけ詩歌は人間の情念と思想を表現し訴える文学形式である。そしてそれは決して安穏な境地にあって訴えられるものではなく、現在自分が置かれている状況に対する何らかの満たされぬ思いや抵抗の精神があって訴えられるものなのである。現状に対する不満や抵抗や反逆なくして文学は生まれないと言っていい。不満・抵抗・反逆とは別の言い方をすれば変革への意志でありロマンである。

 

 現状を肯定する人たちにしてみればそういう文芸は、公序良俗を破壊するものであり、あってはならないもの・否定すべきものとなる。言い換えると詩歌をはじめとした価値ある文芸は、世の中から疎外された者が創造するものであるということである。それは時の今昔・洋の東西変わらぬ真実である。

 

 「革命的ロマンチシズム」という言葉がある。現実を否定し破壊し永遠の理想を追求する、そのために命を懸けた戦いをするというのが「革命的ロマンチシズム」である。人間が命懸けになった時に素晴らしい歌が生まれる。それは明治維新の志士たちが大事を実行するに当たって決意を込めた歌を詠んだことや、大東亜戦争の時特攻隊員が和歌に自分の最後の思いを託して死地に赴いたていったことを見ればわかる。だから詩歌は「命懸け」の精神と行動の美的表現なのである。

 

 村上一郎氏は、文学および詩歌を定義して「詩的な言語表現をもってする人間の生き死にの道の表現である」(明治維新の精神過程)と語っている。人間の「生き死にの道」の表現を言語で行うことは、言語というものの価値を最高に認めるということである。

 

日本における最も大きな変革は明治維新である。維新のことを日本的変革という。日本の伝統精神に基づいた変革が維新であり、日本の本来あるべき姿(天皇中心の国体)を明確にする変革が維新である。維新と革命の違いは変革の原理を天皇とするか否かである。ゆえに明治維新は革命ではない。

 

 また、神武建国の昔に回帰せんとした明治維新は単なる政治変革ではない。日本の道統への回帰である。そして日本の道統への回帰がそのまま現状の変革になるのである。「維新とは復古即革新である」とはそういう意味である。

 

 ゆえに、明治維新において日本人の精神即ち『やまとごころ』の表白である歌が生まれたのである。明治維新を命懸けで戦った人々は多くのすぐれた歌をのこした。明治維新は日本民族の魂の甦りである。そこにやまと歌が生まれるのは必然である。 

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千駄木庵日乗七月十二日

午前は、母のお世話。

午後二時、南千住の回向院にて、福井出身の大先輩の方と待ち合わせ。橋下左内先生、吉田松陰先生の墓所に参拝。近くの茶房にて懇談。

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吉田松陰先生墓所

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橋下左内先生墓所

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磯部浅一氏夫妻墓所

帰宅後は、『百人一首』解釈の原稿執筆など。

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2013年7月12日 (金)

この頃詠みし歌

 

ボレロといふ曲にうながされわが部屋の掃除してをり力を込めて

 

佳き人と語り合ひつつ呑む酒は喉をうるほし心やすらぐ

 

にこやかにつり銭渡す美女のゐるスーパーに今日も買物に行く

 

大田道灌ゆかりの丘にくつろげる人々はみな犬連れてゐる

 

夜の更けに一人物書きゐる時にふときざし来る地震への不安

 

生命の躍動覚えて見上げれば大日輪が空に輝く

 

毎朝を母の寝室に訪ね行き朝が来ましたと告げる我なり

 

カーテンを開けば夏の陽の光 部屋に射し来て今日が始まる

 

神前の榊の水を取り替へて柏手を打つ時のすがしさ

 

神前に姿勢を正し手を合はせ息整へて祈りする朝

 

天津祝詞朗々と唱へ一日の幸を祈れり神の御前に

 

百人一首の歌を讀みつつ日の本の麗しき歴史を偲ぶうれしさ

 

暁が近づき来るを感じつつ夏の短夜にもの書きてゐる

 

母の手を取りて街を歩みゆくいとしかりけりその母の手は

 

三十九度の熱を出したるわが母は医師の往診受けてやすらぐ

 

衰へし母の體をさすりつつ力甦れとただ祈るなり

 

頑張れと声出し自らを励ませる母は強しとしみじみ思ふ

 

弱音吐かず大丈夫だよと言ひたまふ母の強さに我は泣くなり

 

入り来し昆虫が部屋内を飛び回る夏はたしかに今盛りなり

 

老経営者ひたすらに語る言の葉に胸迫り来る今日の会合

 

炎天がにはかに曇り凄まじき雨降り出でる夏の午後かな

 

緑濃き庭眺めつつ食事する夏の真昼間に雷の音する

 

雷鳴が遠くより聞こえて来し後に滝の如くに雨降り出しぬ

 

爽やかな心となりぬ大空に雷とどろきて風雨来たれば

 

逝きませし大人の文字が刻まれし顕彰碑仰ぐ平河天満宮(近衛歩兵第一連隊顕彰碑・靖国神社第七代宮司 大野俊康先生篆額)

 

凛々しくも語りたまへる大人の姿昨日の如くに浮かび来るなり()

 

友どちの父上の碑文を仰ぎつつかつて訪ねし天草を思ふ()

 

月讀の昇り来たれる静か夜にわれは一人でもの書きてゐる

 

夕暮の駒込駅前人気無く神社の門も閉ざされてをり

 

ゆっくりと歩みゆくより仕方なし梅雨去りし後の炎天の道

 

ジリジリと照りつける太陽を身に浴びて歩みゆくなる千駄木の街

 

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千駄木庵日乗七月十一日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2013年7月11日 (木)

日本の維新と支那の革命の違い

支那は何回変革をやってもそのたびに、元に戻ってしまう。辛亥革命・共産革命・文化大革命の後、全て権力者が国家を食い物にし、民衆は虐げられる世の中に戻ってしまう。

 

 

 

日本も、変革を行うたびに元に戻るのだが、立派な善き国になる。大化改新・明治維新は、神武建国の精神に回帰することによって現状を変革し再生し立派な國になった。

 

 

 

同じ「元」に戻るのでも、支那は「旧来の陋習」に戻るのだが、わが国は「世界の誇るべき善き伝統」に戻るである。これが支那の革命と日本に維新の違いである。

 

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楠公精神について

楠木正行

「帰らじと かねて思へば 梓弓 なき数に入る名をぞ 留むる」(出陣したならば、放たれた梓弓のやうに帰って来ることは無いとかねてから覚悟して来たので、過去帳に記されるであらう人々の名を書きとどめて置かう)。

 

楠木正行は、河内國水分にて正成公の長男として生まれた。

父・正成公が湊川に出陣する時、正行は十一歳であったので、父から懇々と諭されて故郷の河内に帰り他日を期した。正平二年、正行が二十二歳になると、足利方は悪名高き高師直を総大将として吉野に攻め寄せて来た。正行は、後村上天皇に拝謁してお暇乞ひをし、後醍醐天皇の御陵を拝した。その後、如意輪寺にて決死覚悟の一族郎党一四三名の過去帳と遺髪を奉納し、この辞世の歌を扉に鏃で刻んだ。

 

そして翌年一月五日、四条畷にて高師直、師泰連合軍約八万騎を楠木勢約二千騎にて迎へ撃ち、師直の本陣へと突入し、師直を討ち取る寸前までの奮闘を見せるが、やがて幕府軍の大軍に取り囲まれ、弟正時公と刺し違へて生涯を終へた。

 

正行は、早くから死を覚悟してゐた。後村上天皇は正行に弁内侍といふ女性を娶るやうに勧められたが、正行は辞退してゐる。その時詠んだ歌が「とても世に 永らふべくもあらぬ身の 仮の契りを いかで結ばん」である。

 

天皇國日本存立および日本國民の倫理精神の基本は、天皇の 「御稜威」と、國民の「尊皇精神」である。國民が、神聖君主・日本天皇の大御心に「清らけき心」「明けき心」を以て随順し奉ることが、日本國永遠の隆昌の基礎であり、日本國民の倫理精神の根幹である。私心なく天皇にお仕へする心は、須佐之男命・日本武尊といふ二大英雄神の御事績を拝すれば明らかである。

 

中世においては、大楠公・楠木正成こそ尊皇精神の体現者であられた。大楠公の絶対尊皇精神は、『太平記』『日本外史』などの史書によって後世に伝へられた。明治維新の志士たちも楠公精神を継承して維新を戦った。

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千駄木庵日乗七月十日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が、柿本朝臣人麻呂の挽歌を講義。質疑応答。帰途、出席者の方と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

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2013年7月10日 (水)

「現行占領憲法」は制定当初から正当性がなかった

憲法は「不磨の大典」と言われるが、「不磨」であるべきなのは、「國體法」である。「政体法」は必要に応じて改正されるべきである。すなわち、天皇を君主と仰ぐ國體は絶対に変革されてはならない。しかし、政体は民の幸福のためになるのならどんどん変革すべきである。

 

今日、「現行憲法」の「三原理」が「不磨の大典」のように論じられている。近年各方面から出された「改憲草案」はそのほとんどが「現行憲法」の「三原理」を継承している。

 

しかし、「現行憲法」の「主権在民論」こそ、日本の國體を隠蔽し破壊する元凶である。「現行憲法」の「平和主義」こそ、日本の国防体制確立を阻害し日本国をして他国の属国たらしめる元凶である。「現行憲法」の道義精神不在の「人権論」こそ、国民の頽廃の元凶である。「現行憲法三原理」の否定なくして「憲法改正」にも「自主憲法制定」にもならない。

 

法治国家の国民である以上、法は守らねばならない。しかし、今日の日本は成文法の根幹たる「憲法」が正統性を失っているのである。現代日本の混迷と堕落と危機の根本原因の一つはここにある。

 

「現行占領憲法」は制定当初から正当性がなかったのである。それは、「現行憲法」が「帝国憲法」を改正したものだなどという自体が欺瞞だからである。天皇大権が占領軍の隷属の下にあった占領期間中の改憲は「摂政を置くの間之を変更することを得ず」という「帝国憲法」の条項に明確に違反しているのである。

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千駄木庵日乗七月九日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後三時半、千代田区内の先輩事務所訪問。懇談。

帰宅後は、明日の『萬葉古代史研究会』における講義の準備、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2013年7月 9日 (火)

『現行占領憲法』最大の欠陥

『現行占領憲法』最大の欠陥は、第一章「天皇条項」に、天皇の最も大切なご使命である「祭祀」について何も書かれてゐないことである。つまり、日本國體の根幹たる「天皇の祭祀」を全く無視してゐるのである。

 

三島由紀夫氏は、「歴史、傳統、文化の連續性と、國の永遠性を祈念し保障する象徴行爲である祭祀が、なほ天皇の最も重要な仕事であり、存在理由であるのに、國事行爲としての『儀式』は、神道の祭祀を意味せぬものと解され、祭祀は天皇家の個人的行事になり、國と切り離されてゐる。しかし天皇が『神聖性』と完全に手を切った世俗的君主であるならば、いかにして『象徴』になりえよう。『象徴』が現時點における日本國民および日本國のみにかかはり、日本の時間的連續性と關はりがないならば、大統領で十分であって、大統領とは世襲の一點において異なり、世俗的君主とは祭祀の一點において異なる天皇は、まさにその時間的連續性の象徴、祖先崇拝の象徴たることにおいて、『象徴』たる特色を擔ってゐるのである」(『問題提起(日本國憲法))と論じてゐる。

 

天皇が日本国及び日本国民を統合される御存在であるのは、天皇が歴史的伝統性・時間的連続性を継承され体現される御存在であるからである。そしてその中核的行事が「天皇の祭祀」なのである。今生きている「国民の総意」に基づくのではないことはあまりにも明らかである。

 

 現御神日本天皇の日本國統治は、西洋の「王権神授説」や支那の「天命説」とは全く異なる。神や天から王者としての権力を与へられるのではない。天皇御自ら祭祀を執行せられ、神と合一され、地上における神の御顕現即ち現御神となられるのである。「祭る人」から「祭られる神」になられるのである。

 

 ゆへに天皇は常に無私の心で統治されるのである。無私の心とは神の御心のままといふことである。さらに御歴代の天皇の踏み行はれた道を継承されることを心がけられるのである。そのことがそのまま國民にその所を得さしめる事即ち国民の幸福実現となるのである。

 

 天皇の国家統治とは権力・武力を以て民を屈従せしめ私物化することではないのである。日本天皇の無私の精神および神聖なる権威はかかる御精神から発生するのである。

 

 『現行占領憲法』は日本國の基本的性格と全く異なる理念で作られている憲法であり、日本の國體・文化・伝統を全く否定し無視してゐる憲法である。

 

 

 祭祀国家日本の祭り主である日本天皇は、常に国民の幸福を祈る祭り主であらせられるから、国民と相対立する存在ではないし、日本天皇は国民を力によって支配し隷従せしめる存在ではない。

 

 国民と共に神に祈り、神を祭り、神の意志を国民に示し、また国民の意志を神に申し上げ、国民の幸福の実現を最高の使命とされるお方が天皇であらせられる。つまり君主と民は「和」「共同」の関係にあるのであり、対立関係ではない。こうした天皇中心の日本の国柄を「君民一体の日本國體」というのである。

 

 

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千駄木庵日乗七月八日

午前は、母のお世話。

午後二時より、六本木の国際文化会館にて、田久保忠衛杏林大学客員教授にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

いったん帰宅。ものすごい雨。ゲリラ豪雨。窓から外の景色が見えない。

午後七時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『一水会フォーラム』開催。清水信次国民生活産業・消費者団体連合会会長が「滅びゆく日本を救う道」と題して講演。質疑応答。

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講演する清水信次氏

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2013年7月 8日 (月)

日本人にとって『神代』は遠く遥かな過去の時代ではなく『今』である

『くにがら』とは、その国をその国たらしめている、その国の根本的性格をいう。「国柄」という言葉は、『萬葉集』の代表歌人・柿本人麿が文武天皇の大御世(西暦七〇七年頃)に「讃岐の狹岑(さみね)の島に石の中の死(みまか)れる人を視て」詠んだ長歌に使われている。

 

 それには、「玉藻よし 讃岐の國は 國からか 見れども飽かぬ 神からか ここだ貴き 天地 日月とともに 滿(た)りゆかむ 神の御面(みおも)と 繼ぎ來(きた)る……」と歌われている。「(玉藻よし)讃岐の國は國柄のせいか、見ても飽きることがなく、神のみ心によってか、かくも貴い。天地と日と月と共に完全円満である神の御顔として、太古から傳えてきた……」というほどの意である。

 

 これはわが國の傳統的な自然観に基づく國土讃歌である。「國からか」は國そのものの性格のせいかという意。「から」は人柄の「柄」と同意義である。「神からか」は、日本の國土は伊耶那岐命と伊耶那美命がお生みになったという神話に基づいた表現で、神の御性格のままにという意である。

 

「神の御面」は、神のお生みになった日本の國土は神のお顔だということ。この表現は、「四國は体は一つ、顔は四つ」という日本神話の傳承に基づく。『古事記』國生み神話の、「次に伊予の二名(ふたな)の島を生みたまひき。この島は身一つにして面四つあり。面ごとに名あり。かれ伊予の國を愛比売(えひめ)といひ、讃岐の國を飯依比古(いひよりひこ)といひ、粟の國を、大宜都比売(おほげつひめ)といひ、土左の國を建依別(たけよりわけ)といふ」という傳承を歌っている。

 

ここに自然を神として拝ろがむ人麿の神話意識が表白されている。日本人にとって『神代』は遠く遥かな過去の時代のことではなく『今』なのである。

 

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千駄木庵日乗七月七日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、明日のインタビューの準備、原稿執筆。

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2013年7月 7日 (日)

わが国は「立憲君主国」である

今度の参院選で日本共産党は「日本国憲法をすべて護る」などと言っているが大嘘である。天皇陛下がご親臨される国会の開会式に欠席する共産党は、『現行占領憲法』第七条第二項の天皇の国事行為「国会を召集すること」に真っ向から挑戦し否定する行為である。

 

共産党の志位委員長は何故か「総理大臣」とは言わずに「首相、首相」という言葉を使う。加藤常賢先生の著書『漢字の発掘』によると、「相」の字は、助ける意味の字であり、君主の仕事を助ける意であるという。「臣」の字は、貴人の前でかしこまって目を伏せる様を象り、「伏目になった召使」が原義であるという。

 

『現行占領憲法』の規定されている「総理大臣・国務大臣」は、天皇の臣下であり、天皇陛下をお助けする存在即ち輔弼の臣なのである。わが国はまさに「立憲君主国」である。

 

これを否定したのが「大臣という呼称を止めるべきだ。一体誰の臣下ですか」などと言った後藤田正晴である。

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千駄木庵日乗七月六日

朝、母が全く食欲がない。顔色の良くない。すぐかかりつけの診療所に連絡。看護師さんが迎えに来てくれて、診療所に赴く。色々検査をしてもらったが特に異状はないという。点滴を受けて帰宅。

午後からは、在宅して、母の様子を見ながら原稿執筆など。

詳しくは書けないが、元気な母も今年満九十三歳である。やはり心身ともに年齢相応の状態に近くなってきていることを実感する

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2013年7月 6日 (土)

「君民一体の日本國體」について

 祭祀国家日本の祭り主である日本天皇は、常に国民の幸福を祈る祭り主であらせられるから、国民と相対立する存在ではないし、日本天皇は国民を力によって支配し隷従せしめる存在ではない。

 

国民と共に神に祈り、神を祭り、神の意志を国民に示し、また国民の意志を神に申し上げ、国民の幸福の実現を最高の使命とされるお方が天皇であらせられる。つまり君主と民は「和」「共同」の関係にあるのであり、対立関係ではない。こうした天皇中心の日本の国柄を「君民一体の日本國體」というのである。

 

このような日本の国柄は、歴史のあらゆる激動を貫いて今日まで続いてきている。ところが外国では、太古の王家も古代国家もそして古代民族信仰もとっくに姿を消し、その後に現れた王家は武力による征服者であり、その後に現れた国家は権力国家であり、その後に現れた信仰は一神教教団宗教である。古代オリエントや古代シナにおいては、祭祀を中心とする共同体が武力征服王朝によって破壊されてしまった。共同体を奪われ祭りを喪失した寄る辺なき人々は、貨幣や武力に頼らざるを得なくなり、権力国家・武力支配国家を形成した。

 

 それに比してわが日本は、古代からの祭祀主を中心とする共同体国家が、外国からの武力侵略によって破壊されることがなく、今日も続いている唯一の国なのである。皇室祭祀だけでなく、全国各地で一般国民が参加する祭祀が続けられている。まことにありがたき事実である。

 

日本は古代からの信仰共同体が今日も続いている。今日においても、神話の世界のままに、天の神の祭り主の神聖なる御資格を受け継ぎ給う天皇を、現実の国家君主と仰ぎ、国家と民族の統一の中心として仰いでいる。こうした事実が、西洋諸国やシナと日本国との決定的違いである。

 

 長い歴史において様々な変化や混乱などを経験しつつも国が滅びることなく統一を保ち続けたのは、天皇という神聖権威を中心とする共同体精神があったからである。日本という国は太古以来の伝統を保持する世界で最も保守的な国でありながら、激しい変革を繰り返して来た国なのである。その不動の核が天皇である。

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千駄木庵日乗七月五日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。

午後からは、在宅して、原稿執筆の準備、資料の整理など。

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2013年7月 5日 (金)

「現行占領憲法」は日本國の基本的性格と全く異なる理念で作られている

現行占領憲法」は最も大切な「大日本帝國憲法」の第一条から第三条までの成文化された國體法を抹消した。さらに、「占領憲法」は、大日本帝國憲法には無かった「國民主権」を明示した上「天皇の神聖性」の規定を削除した。

 

 ゆえに、「大日本帝國憲法」を改正した憲法であるとする「現行占領憲法」は、大日本帝國憲法の改正限界を大きく超えて國體の基本を隠蔽してしまったのである。その上、日本の國體に全く合致しない西洋の悪しき普遍主義に毒されている。

 

 「現行占領憲法」に貫かれている國家を権力支配組織とする西洋法思想は、日本の國柄とは絶対に相容れない。なぜなら日本國は権力國家(統治権力組織)でも利益國家でもなく天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀國家であるからである。

 

 「主権」の問題一つとってみても、西洋法においては、権力支配組織たる國家は「主権、人民、國土」の三要素があり、「主権」とは最高絶対排他的な支配権力とされる。かかる「主権」論から「主権は國民にある」とか「君主にある」とかという対立的な考え方が発生するのである。

 

しかし、日本國は権力支配組織ではないのだから西洋的主権論はあてはまらない。日本國の統治の大権は建國以来天皇にある。そして天皇と統治の大権は権力支配組織の支配権力ではなく、信仰共同体(人格國家)を「しろしめす」という意義である。

 

「現行占領憲法」の「(天皇の・註)地位は、主権の存する日本國民の総意に基づく」という規定は日本の立國法(國體精神)とは全く異なるものである。

 

 

「現行占領憲法」は日本國の基本的性格と全く異なる理念で作られている憲法であり、日本の國體・文化・伝統を全く否定しあるいは無視している憲法である。

 

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千駄木庵日乗七月四日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、諸雑務、『伝統と革新』編集の仕事、資料整理など。

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2013年7月 4日 (木)

アーロン・フリードバーグ氏の講演内容

六月二十六日の笹川平和財団主催『アーロン・フリードバーグ教授講演会』における登壇者の発言。

 

プリンストン大学ウッドロー・ウィルソンスクール教授アーロン・フリードバーグ氏「鄧小平の戦略は、自分の能力を隠し、アメリカとの衝突を避けるというもの。包括的国力を動員し、アメリカの立場を目立たないように弱めていく。中共の独裁を強めていく。これが戦略目標。東アジアにおける有利な立場を維持する。アメリカにとって代わる。各国の連帯を打破する。

 

沖縄の領土権を主張し始めている。中国の振る舞いは高圧的になってきている。アメリカと日本の対中政策はどうあるべきか。過剰な反応は不必要。中国の指導者層が弱体化。内部的不安が深まる。軍国主義で国民の不満をそらそうとする。色々な役割を色々なグループが果たすようになる。私たちは最悪の事態に備えるべし。中国は合理的アクター(註・政治学・国際政治学で言うところの行為主体)にはなり得ない。

 

アメリカの力が急速に衰退している。中国の国力は急速に増している。中国はアメリカとその同盟国との間にくさびを打つ。日米同盟を破壊しようとしている。日米は強い共同戦線を張らねばならない。日本は集団的自衛権に関与でき、国防費を増やせばいい。誤った楽観論は慎むべし。

 

衝突は意図しなくてもあり得る。中国のミサイルの精緻さは高まっている。在日米軍基地に脅威。サイバーも能力をつけている。アメリカの対中政策は、共和党政権でも民主党政権でも劇的変化はない。

 

資源は、中国の高圧的行動の要因になる。日米が経済成長することが大切。米国経済は弱体化したが回復しつつある。日本も然り。中国は金融危機が発生するところにある。資産バブルも発生している。

 

この地域の米国の軍事プレゼンスは重要。普天間基地も必要。中国は多くの原子炉を建設する。安全基準が心配。中国は国益に合致する時は国際法を守り、国益に合致しないときは守らない。

 

歴史問題で日本は罪悪感から脱却して普通の国になろうとしている。韓国との緊張が高まる。国際信用にも関わる。対米関係にも良くない。日本は孤立してしまうから、得をするのは中国のみ。」

 

山口信治防衛研究所教官「中国の行動を見る時、国内的要因と国際的要因のどちらを重視するのか。国内要因が中国の行動を決定するということは完全否定できない。国内的不満を外にそらしている。中国共産党の政策決定がおかしくなっている。社会的不安が対外的行動につながるというのは、中国共産党体制は非常弱いということになる。中国共産党体制はそれほど弱いのか。弱くないと思う。東シナ海、南シナ海でトラブルを引き起こしている。アメリカの介入を防ぎつつ自分の利益を増している」。

 

          ○

アーロン・フリードバーグ氏の歴史問題に関する発言は、重要である。日米が強力な同盟関係を維持して共産支那に対抗すべしと考えているアメリカの学者が、いわゆる「慰安婦問題」で日本が韓国に罪悪感を持つべきだ、そうしない日本は孤立すると主張しているのである。これは困ったことである。日本軍が韓国人女性を強制連行して「従軍慰安婦」にしたなどという虚構を一日も早く払拭しなければならない。

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千駄木庵日乗七月三日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『百人一首』解釈の原稿執筆など。

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2013年7月 3日 (水)

自由民主党の『日本国憲法改正草案』批判

本日行われた『憲法勉強会』に於いて小生は次のように論じた。

          ○

平成二十四年四月二十七日決定の自由民主党の『日本国憲法改正草案』は、その名の通り『日本国憲法』という名称の『占領憲法』を改正したものである。したがってその「基本理念」も「前文」も「条文」も、『占領憲法』の影を引いてゐる。「前文」の「国民主権」「平和主義」「基本的人権」という言葉は、まさに『占領憲法』に使用されている言葉である。

 

第一条の「(天皇の)地位は主権の存する日本国民の総意に基づく」は、「占領憲法」そのままである。これは、天皇を祭祀主と仰ぐ君民一体の日本國體とは絶対相容れない思想だ。

 

第二条の「(皇位は)国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」は、「皇室典範」は勅定であるという日本の伝統に反している。

 

第三条の「国旗は日章旗とし、国歌は君が代とする」は、「国旗は日章旗であり、国歌は君が代である」とすべきである。成文法で決められる以前から国旗は日章旗であり、国歌は君が代であるからである。

 

第五条の「天皇は、この憲法に定める国事に関する行為を行い、国政に関する権能を有しない」という規定の「国事行為」「国政に関する権能」とは具体的にどういうことを言うのか。第六条・第七条に書かれている「天皇の国事行為」には「内閣総理大臣の任命」「最高裁長官の任命」「憲法改正、法律、政令及び条約の公布」「国会の召集」「衆議院の解散」「選挙の施行の公示」「国務大臣及び法律の定める公務員の任免の認証」などは「国政に関する権能」そのものでないのか。

           ○

以上、自民党の改憲草案は納得できないところが多い、と言うよりも、『現行占領憲法』の國體隠蔽を継承している。『現行占領憲法』の改正では駄目なのである。真に國體精神に基づく憲法を回復しなければならないのである。つまり『現行占領憲法』の無効を確認し、正統憲法たる『大日本帝国憲法』に回帰し、それを現代に合うように改正すべきなのである。

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千駄木庵日乗七月二日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。母は熱が下がった。まだ咳が出るが一安心。医師が処方してくれた薬を服用したためであろう。有り難い。

午後からは、在宅して、月刊「日本」連載の「萬葉集」講義原稿執筆、脱稿、送付。

午後七時より、新九段下沙龍にて『憲法勉強会』開催。

帰宅後は、原稿執筆。

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2013年7月 2日 (火)

萬葉古代史研究會

小生が講師となり「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。


日時 七月十日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。

初参加の方はテキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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読む人の魂を感動させる防人の歌

読む人の魂を感動させる防人の歌

   

道のべの荊(うまら)の末(うれ)にはほ豆のからまる君をはかれか行かむ               (四三五二)

                        

 天羽郡上丁丈部鳥(あまのはのこほりかみつよぼろはせかべのとり) といふ防人の歌。「天羽郡」は上総の國の郡名で今日の千葉県君津郡の南部一帯。丁(よぼろ) は二十一歳から六十歳までの男子で公務につく者をいふ。帝國陸軍の階級でいふと上等兵くらい。

 「道のべ」とは「道のほとり、あたり、そば」。荊は「茨」(とげのある小木)。「末」は枝先。「はほ豆」の「はほ」は「はふ」の方言で枝先まで延(は)え伸びてゐる蔓豆。「からまる君」は蔓豆の枝がからまるやうにすがりついてゐる妻。「はかれ」は「別れ」のこと。

 通釈は「道端の茨の先にはひまつはる豆のやうにすがりつくあなたに別れていくことか」といふほどの意。 

 

 いざ出発といふ時になって別れ難い思ひが溢れてきた妻がすがりついて離れやうとしない。豆が茨の先にはひまつはるといふ日頃親しんでゐる身辺の風物を序詞(じょことば) として詠んでゐる。

 序詞とは、和歌などで、ある語句を導くための前置きとする言葉。 

かういふ情景は、新國劇の『吉良の仁吉』など近年の芝居や映画などにもよく登場する。三波春夫の『大利根無情』の台詞に「止めてくれるな妙心殿。落ちぶれ果てても平手は武士じゃ。………行かねばならぬのだ」といふのがある。

わが母の袖持ちなでてわが故に泣きし心を忘らえぬかも

                     (四三五六)    

 山辺郡上丁物部乎刀良(やまべのこほりかみつよぼろもののべのをとら) の歌。「山辺郡」は今日の千葉県山武郡の南部及び東金市の一帯。

 「袖持ちなでて」は「溢れ落ちる涙を袖で拭って」。「わが故に」は「私との別れを惜しんで」。

 通釈は、「わが母が、こみ上げてくる涙を袖で拭っては私のために泣いて下さった心を忘れることはできません」といふほどの意。

 母との別れを悲しんだ歌であるが、息子との別れを惜しむ母の姿と動作が具体的に歌はれてゐるところにこの歌の価値がある。感動を呼ぶ。 

                         

蘆垣(あしがき)の隈處(くまど)に立ちて吾妹子(わぎもこ)が袖もしほほに泣きしぞ思はゆ    (四三五七) 

 市原郡上丁刑部直千國(いちはらのこほりかみつよぼろおさかべのあたへちくに) の歌。市原郡は今日の千葉県市原市の一部。 

 「蘆垣」は蘆(いね科の多年生植物。水辺にはえ、形はススキに似る。茎を編んですだれにする。ヨシ。)で編んだ垣根。「隈處」は垣根の曲がり角の内側ことで「に立ちて」で「物陰の人目につかない垣根の隅に立って」といふ意になる。「吾妹子」は新妻のことであらう。「袖もしほほに」は「袖に染みとほるほどに」。「思(も)はゆ」は「おもはゆ」の「お」が省略された。

 通釈は、「蘆の垣根の隅の物陰でいとしい妻が一人袖が染み通るばかりに泣いてゐたのが思ひ出されるなあ」といふほどの意。

 物陰で別れを悲しんで泣いてゐた奥ゆかしく純真な若妻の姿が何時までも心に焼きついて忘れられないといふ歌である。そして、妻の姿を忘れられないまま九州の任地までの旅を続けたその途中でこの歌を詠んだのである。

 近代日本の軍歌の『ズンドコ節』に「汽車の窓から手を握り/送ってくれた人よりも/ホームの陰で泣いてゐた/可愛いあの子が忘られぬ」と同じやうな心情である。

 萬葉の昔も大東亜戦争の頃も日本女性は忍ぶものであって、あまり人様の前で泣かなかったのである。今日の女性は果たしてどうであらうか。

 これらの庶民の防人の歌は具体的な情景が歌はれてゐるから読む人の魂を感動させるのである。

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千駄木庵日乗七月一日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後四時より、永田町の岡崎久彦氏の事務所にて、岡崎久彦氏にインタビュー。『伝統と革新』掲載のためなり。

帰途、編集実務担当者の方と歌合せをしていると、介護の方から電話があり、母が発熱しているとのこと。急遽帰宅し、かかりつけの診療所に電話。医師来宅、診察。軽い肺炎とのこと。医師がすぐに駆けつけてくれたのはまことにありがたい。三十九度の熱があったが、薬を飲むといくらか落ち着く。九十三歳なので心配である。母は自分で自分に「頑張れ」と言い聞かせている。何故か「愛ちゃんは太郎の嫁になる」という昔の流行歌を口ずさむ。

母の様子を見ながら、「月刊日本」連載『萬葉集』講義原稿執筆。

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2013年7月 1日 (月)

日米関係について

日本を戦争に追い込み、日本に二発の原爆を落とし、主要都市を焦土とし、無辜の民を殺戮したアメリカ。戦争後は、日本を弱体化し、国家破壊工作を行ったアメリカ。そのアメリカと同盟を結ばなければ、日本の安全を保持できないという状況から脱却するにはどうしたら良いのか。北朝鮮や共産支那と同様日本も核武装すべきなのか。しかしそれは可能か。アメリカは許さない。支那も許さない。核アレルギーの日本国民の多くも許さないだろう。軍事的には核武装しかないと思うのだが、国民の多数がそれを受け入れるかどうかが問題である。

支那・北朝鮮から日本を護るためには、このままアメリカの保護下でやっていくのが無難であり利巧な生き方なのか。米軍基地問題、TPPなどで反米感情が燃え上がる可能性もある。

支那・南北朝鮮と対峙している日本は、困難な状況に立ち至っている。日本人の英知と行動力によって、この厄介な状況を正しく克服し、乗り切り、発展していかねばならない。何よりも領土と主権と独立を侵略國から守らねばならない。

残念だが、日本が核武装し、自主防衛体制を強固にするまでは、アメリカとの同盟関係は維持すべきであろう。

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千駄木庵日乗六月三十日

午前は、母のお世話。

午後は、今日の講義の準備、明日のインタビューの準備。

午後六時より、春日の文京区民センターにて、『日本の心を学ぶ会』開催。渡邉昇氏が挨拶。小生と瀬戸弘幸氏が講演。質疑応答。

帰宅後も、明日のインタビューの準備。

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