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2013年6月17日 (月)

茂木貞純国学院大学教授の講演内容 その一

六月九日午後一時より、靖国神社境内の靖国会館にて、六月九日に行われた『みことのり普及・講演会』における茂木貞純国学院大学神道文化学部教授・みことのり普及の会会長の「昭和二十一年元旦詔書と三島由紀夫」と題する講演内容は次の通り。

「佐伯彰一は『戦後作家の中でも、もっとも本質的に西欧化した代表的な存在が三島だが、その点では、三島は攘夷と開国とを一身に同居させた明治維新の推進者たちの正統な後継者、いわゆる「第二の開国」の象徴的な体現者ともいえる』と論じた。この分析に共感する。

第二の開国とは戦後の民主化。占領政策の基本方針は、米国務省からマッカーサーに『初期対日方針』として示され、日本が再び今日にならないようにすることだった。三島は、明治維新の正統な後継者にして、戦後の「民主化」をも率先吸収し自らの者となす象徴的な体現者となって行く。三島は根深いジレンマに陥る。それを乗り越えようとして自決へと収斂した。

『青の時代』『禁色』は、戦後の時空間がなければ生まれて来ない作品。時代を先取りしている。そうした作品の中で『潮騒』は古代神話物語のような素朴さがある。青春恋物語。古き良き時代を彷彿させる。古代のあらゆる民族は多神論。

三島は『小説家の休暇』の中で『潮騒』執筆の動機を「古代のあらゆる民族の間では、多神教的な自然の擬人化が、唯心論的自然観を形成していた。キリスト教は、世界と人間とから逃避しつつ、同時に自然からも逃避した」「近代的人間の孤独の救済のために、二つの方法が考へられる。キリスト教によって再び、自然から世界から逃避するか、古代希臘の唯心論的自然観のうちにふたたびみをひたすか」と論じ、『潮騒』の中でギリシア的自然、共同体意識に裏付けられた自然、多神教の世界、唯心論的世界を描こうとしたと述べている。

物語の舞台である歌島は伊勢湾の神島をモデルにした。その共同体の島にも確実に近代化は押し寄せている。牧歌的表現の中に鋭い文明批評がある。歌島を日本列島に置き換えてみると、よく本質が見えてくる。四周海に囲まれた日本には、良き伝統が生きいて、たとえ外國の悪い習慣が入ってきても海が浄化作用をして、善し悪しを選別し、善いものだけを送ってよこし、伝統的な善い風習を残してくれる。

幕末の日本は攘夷を敢行して混乱した世相の中、天皇中心の国家を建設した。しかし、攘夷が不可能であることを自覚し開国した。大急ぎで西洋と同等の文化と軍事力を身につけなければならなかった。自主独立の基本精神があった。試行錯誤の自由が存在した。攘夷と開国は矛盾を孕んでいるが選択の余地のない進路でもあった。

歌島は俗化しない孤島なので古き良き時代の日本が残っている。幸福な恋物語が成就した。フランスの女流作家М・ユルスナールは「『潮騒』は作家が生涯に一度しか書かない書物の一つ。気難しい読者には胡散臭く見える作品の一つ」と評した。おそらく三島の到達点なのだ。敗戦による第二の開国は有無を言わせぬ「民主化」で日本人に進路の選択の余地なし。三島はそうした戦後の悪しき風潮に影響されない世界を描こうとした。

三島は二十歳で敗戦を経験した。充実した生と死への憧れはそうした生死を可能にした自然共同体への憧憬にもつながる。過ぎ去った生命の國ギリシアへの憧憬でもあり、自意識も懐疑も知らぬ太古の溌剌たる生と死への希求でもあった。三島の描いたエデンの国、太古の溌剌とした共同体を描こうとした。

三島は『金閣寺』で戦後作家の第一人者になった。昭和四十年の『三熊野詣』は折口信夫を題材にした短編。三島は折口の熱心な読者で尊敬していた。折口は「天皇の人間宣言」に接し、戦争を「神敗れたまう」と認識し、一年後に「天子非即神論」を書く。戦前は「天子即神論」を展開していたのだから、百八十度主張を転換したわけである。

『英霊の声』は昭和四十一年六月に発表。ある帰神の会で審神者となった先生が石笛を吹くと神主の青年に霊がのり移り、物語をするという内容。死者の霊をして語らせるという伝統の様式を用いた。二二六の青年将校と特攻隊員をして「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」という、昭和天皇に呪詛の言葉を呈する。当時文部大臣であった前田多門が昭和三十七年に『文春』に「人間宣言のうちとそと」を発表して、いわゆる「天皇の人間宣言」の経緯が一般にも知られるようになる。また三島は幣原喜重郎の伝記も参考文献にしている。幣原は、神格否定宣言は陛下から暗示をうけ、勅命を奉じて自ら下書きを書き上げ、それが「昭和二十一年元旦の詔書」として発表されたと、誇らしげに書いている。三島は幣原について「軍隊と聞くとだけで鳥肌が立つ平和主義者、皺だらけの自由と理性の持ち主、立派なイギリス風の老狐であった。昭和の始めから、陛下が最も信頼を倚せたもうていた一群の禮儀正しい紳士たちの一人だった」と皮肉たっぷりに書いている。

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