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2013年6月 1日 (土)

『東京大薪能』における半田晴久氏の講演内容

五月十五日午後六時より、西新宿の東京都庁舎・都民広場にて行われた『東京大薪能』(世界藝術文化振興協会主催)における半田晴久氏による「入門能楽鑑賞講座」と題する講演内容は次の通り。

「舞台の上は白足袋でなければならない。他の舞台藝術と比較しなければ入門にはならない。オペラ・クラシックバレー・京劇とどこが違うのか。『能』は①省略の藝術。②序破急の構成。③シテ一人の能役者が男女・化け物・女子・子供・妖精の役を演じる。最小限度の動きによって喜び・悲しみを表現する。シテの一点に集中。作中人物の心に観客の心を集中させるために省略する。高度な藝術表現が要求される。『能』は計算された非常に高度な芸術。

室町時代はいぶし銀の美しさの時代。老子は儒教と相対する。『無為にして為さざるは無し』。学問をする者はプラスになるものを学ぶ。道を求めるものは色々なものを捨ててゆく。人為的なものがなくなって、無為であれば出来ないものは無い。世阿弥が記した『能』の理論書『風姿花伝』に『秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず』とある。老荘思想を芸術論にした。老荘思想は中国思想だが日本人に合う。京劇は全て目立ちたがる。『能』は最小限の動きで最大限のものを訴えようとしている。こういう美意識は世界のどこにもない。『能』は、アンコールワットでも、ピラミッドでも、都庁前広場でもフィットする。

狂言がなければ『能楽』にならない。シンフォニーのスケルツォと同じ。背景の松の木には神が降りてくる。自然の動きも序破急になっている。西洋音楽をしている人は序破急が出来ない。

一人の能楽師が全ての役を演じる。男の声のまま女を演じる。声色を使わない。無尽蔵の表現方式。舞台藝術の究極の内面性を持つ。『能』は我々の宝物。日本人は誇りを持たねばならない。『風姿花伝』は六百年経っても教科書にしている。普遍的美意識。八十、九十歳の能役者にも藝が磨かれた美しさがある。老人が演じても花がある。年をとればとるほど味が出る。和歌・俳句と共通する」。

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