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2013年6月15日 (土)

『有栖川宮・高松宮ゆかりの名品展』を拝観して

本日参観させていただいた『有栖川宮・高松宮ゆかりの名品展』は、「上野の森美術館の母体である日本美術協会は明治12 年(1879)に龍池会として発足し、明治20年(1887)に日本美術協会と名称を改めました。初代総裁に有栖川宮熾仁親王殿下、第二代に威仁親王殿下、そして昭和に入り第四代総裁に高松宮宣仁親王殿下を戴いてきました。今年、日本美術協会創立125 周年を記念して開催する本展では、有栖川宮家、高松宮家にゆかりの美術工芸品を中心に、両宮家の歴史や宮廷の雅(みやび)の一端をご紹介します。」との趣旨(案内書)で開催された。

短刀(銘・吉光)、錦の御旗、五箇条御誓文原本控(幟仁親王御筆)、有栖川宮家伝来の工芸品、和筆、書道お手本、印、熾仁親王御筆、高松宮宣仁親王・喜久子妃殿下御結婚聴許の昭和天皇勅書、束帯、五衣唐衣裳(いつぎぬからぎぬも)、和歌懐紙案「声」(宣仁親王御筆)、和歌懐紙案「道」(喜久子妃御筆)、有栖川宮家伝来のディナーセット、山崎朝雲の彫刻作品、喜久子妃御結婚調度の内裏雛飾りなど、高松宮家ゆかりの品々などを拝観。

学習院大学文学部史学科助教の田中潤氏はギャラリートークで次のように語った。

「公卿が何を以て天皇に仕えるかを家職と言う。(註・家職とは家によって世襲された職務や職能、官職を指す)五摂家は摂政関白として天皇に仕え、且つ、公卿を統括する。有栖川宮家の家職は、和歌と書道。和歌と書道は密接にして不可分。

有栖川宮家の血統が絶えたので、大正天皇の命により。宣仁親王が有栖川宮家の祭祀を継承された。喜久子妃殿下は、有栖川宮家の血統を引かれているので血縁も結ばれた。

『五箇条の御誓文』は有栖川御流で有栖川宮熾仁親王が書かれた。有栖川御流を継承できるのは皇族のみ。天皇が使われる書体を御流と言う。継承の際は勅許が必要。

衣冠と束帯とは異なる。十二単は重さが三十五㎏。着るのに三十分以上かかる。宣仁親王は喜久子妃殿下に、『お輿入れの時には葵の御紋のついたお装束でいらっしゃい』と言われた。

『有職故実』とは古いものを墨守するのではない。古いものを大切にしながら各時代で変化している。

喜久子妃殿下は有栖川宮家と一時朝敵になった德川家の血統を一身に受け継がれた。有栖川御流の書道は、秋篠宮文仁親王と常陸宮華子妃殿下が継承されている」と語った。

             ◎

『みやび』といふ言葉があるが、本日はそれを実感した。皇室と共に、日本の麗しい文化は継承され、磨かれてきたのである。皇室のご安泰を祈り奉るのみである。

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