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2013年6月 8日 (土)

天皇と日本文化

日本人は、神を唯一絶対神として対象化し限定して把握しない。ありとしあらゆるもの、生きとし生けるものの無限定の命として把握する。かかる日本人の神観が、あらゆる世界宗教、外来宗教に対するおおらかにして寛容な日本人の包容性の原基である。日本文化の包摂力があると言ふことは、日本文化はそれだけ強靭だといふことである。

普遍的宗教とされる仏教がわが国に入ってくれば、わが国の伝統信仰は破棄されるはずなのだが、さうはならなかった。むしろ神仏は一体化してしまった。それが「神仏習合」であり「権現思想」である。

さうした日本人の姿勢を端的に表現したのが北畠親房の次の言葉である。「應神天皇ノ御代ヨリ儒書ヲヒロメラレ、聖徳太子ノ御時ヨリ、釋教ヲサカリニシ給シ、是皆權化ノ神聖(かみ)ニマシマセバ、天照太神ノ御心ヲウケテ我國ノ道ヲヒロメフカクシ給ナルベシ」(『神皇正統記』)

「權化」とは、神仏が衆生済度のために仮に姿を変えてこの世に出現すること。「神聖」とは、天照大御神の神威を体した神聖な人といふ意。つまり、儒教も仏教も「天照大神の御心」の仮の現れであると論じてゐるのである。

天皇は、ありとしあらゆるもの、生きとし生けるものの「命」として把握された日本の神々の祭祀主である。天皇を日本文化の中心と仰ぎ、天皇を日本伝統信仰祭祀主として仰ぐ精神は、日本文化・日本伝統信仰の主体性の核であると共に、外来文化・外来信仰受容の核でもあったのである。日本天皇において、外来文化・外来信仰は融合し同化しさらに高度に洗練されたのである。

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