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2013年6月 2日 (日)

明治維新と現代

大化改新と明治維新は共通する面が多い。それは外圧の排除であり、政治体制・法体制の整備であり、外國文明・文化の輸入である。大化改新後の律令國家体制は明治維新後の明治憲法体制と相似である。

維新のことを日本的変革といふ。日本の伝統精神に基づいた変革が維新であり、日本の本来あるべき姿(天皇中心の國體)を明確にする変革が維新である。維新と革命の違ひは変革の原理を天皇とするか否かである。ゆへに明治維新は革命ではない。

また、神武建國の昔に回帰せんとした明治維新は単なる政治変革ではない。日本の道統への回帰である。そして日本の道統への回帰がそのまま現状の変革になるのである。これを「維新とは復古即革新である」といふ。

徳川幕藩体制から天皇中心の統一國家への転生は、体制変革のみならず、精神の変革がその根底にあった。日本國家の発展と安定の基礎は、天皇中心の信仰共同体としての日本國體が、現実の國家運営の基盤として正しく開顕してゐることにある。

わが國の歴史が始まって以来、日本國家を統合する<核>が天皇である。急速な変化と激動の中で、わが國が祖先から受け継いだ伝統を守り、かつ変革を為し遂げた<核>が、天皇のご存在であった。わが國は、どのやうな困難な時期においても、常に伝統を守り、統一体としての國家民族を維持し、かつ、新しいエネルギーを結集して國家変革を行った。その<核>が天皇であった。

天皇中心の國體を正しく開顕し、天皇を國家の中心に仰いでこそ、日本國の主體性は確立され、外國の侵略を撃退し祖國の独立を維持することができる。

事実、明治維新断行後、天皇を統治者として仰ぎつつ、封建的身分制度は廃止され、廃藩置県によって統一國家が建設され、帝國憲法の発布・議会政治が開始された。そしてわが国は、欧米列強の支配下に置かれることはなかった。

わが國の歴史において、日本國民の価値判断の基準は天皇を中心とするわが國體精神であった。特に政治・倫理・文化など國家民族形成の基本においてしかりであった。

共産支那や南北朝鮮の「傲慢無礼」な反日政策・対日侮蔑外交が繰り返されている今日、わが國民は、「民族の正気」を回復し、屈辱と汚名を晴らす行動に出なければならない。

外患に当って、神祭神事を盛んにするのは、わが國の伝統である。現代においてこそ、祭祀主日本天皇の真姿が開顕されるべきである。今こそ天皇を中心とした國家の回復を目指す皇道大維新運動を繰り広げねばならない。

明治維新の真義は、『五箇条の御誓文』に示されている。天皇の精神的権威を高めて、全國民的な独立意識・統一意識を固め、議会を開き、海外文化・文明を受容し、近代國家として前進していくというのが『五箇条の御誓文』のご精神であり、近代日本の國是であった。

『五箇條の御誓文』(明治元年三月十四日)には、

「廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スへシ」

「上下(しょうか)心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ」

「官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦サラシメンコトヲ要ス」

「舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」

「智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ」

と示されている。(経綸とは、国家を治めととのえること。天下を統治すること。また、その施策。皇基とは、天皇が国家を統治する事業の基礎。皇国のもとい)

『五箇条の御誓文』は、近代日本の政治体制のあるべき姿を指し示すものであった。

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