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2013年6月20日 (木)

明治維新について

NHKの大河ドラマにおいて、会津藩の悲劇が描かれてゐる。たしかに会津藩は大変な苦難に遭ったし、決して朝廷に逆らったわけではなかった。しかし、このドラマにより、明治維新の意義について誤った考へ方が生まれることを恐れる。明治維新前夜、國家の独立と安定と統一を保持するには、神代以来の國體を体現者・継承者としての権威を保持する御存在=神聖君主日本天皇を中心とした國家體制を確立しなければならなくなった。欧米列強の侵略から祖國日本を守るための國家體制は、神話時代からの伝統的君主である天皇を中心とする國家でなければならないということが全國民的に自覚されるやうになった。開国も攘夷も、天皇中心の統一国家の建設によってこそ実現するのである。明治維新によってそれは現実のものとなった。

わが国の近代統一国家への道は、尊皇攘夷・尊皇討幕思想がその原基であった。幕末の危機は徳川将軍家の力では乗り切れなかったのである。これは覇道による国家支配の終焉を意味する。そして皇道政治=天皇統治の回復である。武家政権はもともと軍事政権であり幕府といふ名も、「幕で覆った野戦の指揮所・司令部」といふ意味である。七百年もの間、軍事政権が国政を壟断して来たといふこと自体異常であり國體隠蔽であった。これを正したのが明治維新である。

幕末期の国家的危機を打開せんとした人々は、徳川幕藩体制を否定し、新たなる国家体制を創出しなければならないと自覚した。そしてそれはわが国肇國以来の國體の回復による新たなる変革即ち復古即革新であった。一般國民も、現御神日本天皇の御稜威を畏(かしこ)んだ。鳥羽・伏見の戦ひで錦旗が翻った時の状況を、大久保利通のその日記には次のやうに記してゐる。

「(注・慶應四年)八日巳の刻(午前十時)比(ころ)より八幡辺戦地御巡覧の為、宮(仁和寺宮)御出でにて、錦の御旗を飄(ひるがへ)され、威風凜烈、誠に言語に尽し難き心地にて、老若男女王帥(天皇の軍)を迎えて、有難々々といえる声、感涙に及び候」。大久保利通の尊皇心が吐露されている文章である。

草莽の志士の決起も、徳川慶喜の恭順も、江戸城無血開城も、天皇の御稜威よる。徳川幕府を崩壊させたのは、岩倉・西郷・大久保等の策謀でもなければ、薩摩・長州・土佐などの武力でもない。それは上御一人日本天皇の神聖権威であり、わが國民全体が古来より持っていた尊皇の心であったのである。

わが国の天皇及び皇室は、実に三千年の歴史を有する。明治維新前夜の国家的危機に際して、日本民族は自然に、日本國家・民族としての一體感・運命共同意識中心に古代からの國家の統一者である天皇を仰ぎ國内的統一を達成して國を救はんとしたのである。

國民の同胞意識・連帯感、そして外敵に抗するナショナリズムの中心に、天皇を仰いだのである。全国民の國體回復の尊皇精神が原動力となり、尊皇攘夷に燃える志士達の命懸けの活動が、明治維新を実現したのである。わが國の歴史において、日本國民の価値判断の基準は天皇を中心とするわが國體の精神であった。特に政治・倫理・文化など國家民族形成の基本においてしかりであった。わが國の最高の地位にある人は天皇であり、天皇はもっとも清浄な人であり、人間の姿をした神である。この方が政治・軍事・文化・宗教の最高権威者である。かうした日本の傳統精神は、七百年間の武家政権時代に於いても廃れることはなかった。国民の大部分は、徳川将軍や藩主・大名を日本国の「君主」と日本国の仰いではゐなかった。権力・武力は有されずとも、天皇を日本国の君主・大君として仰いだ。だから、天皇を君主と仰ぐ國體を明らかにする大変革たる明治維新が全国民的支持によって断行し得たのである。

今日も、政治の混乱・経済の停滞・道義の低下・外圧の危機が顕著になっている。これを克服するためには、日本民族としての主体性・帰属意識(民族的一体感・国民的同一性)、帰属する共同体としての民族というものが大事になってくる。支那・朝鮮からの武力侵攻の危機、国民精神の弛緩といふ内憂外患に晒されてゐる今日に於いて、明治維新の歴史に学び、国難を打開しなければならない。

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