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2013年6月30日 (日)

現御神信仰と皇位継承

女性蔑視の思想は、佛教・儒教という外来思想の影響です。日本傳統信仰にはそういう思想は全くない。人は全て神の分霊であり神の子である。男を日子(ひこ)と言い、女を日女(ひめ)と言う。人は全て男も女も、日の神・天照大御神の子であるという意味である。神の命が生成化育(むすび・産霊)して生まれ出た男の子・女の子のことを、むすこ(息子)・むすめ(娘)というのである。そこには全く差別はない。いわんや女性蔑視などという事は一切ない。

皇位継承を論ずる人の中に、父親と母親を「種と畑」に譬える人がいる。また、染色体論を用いる人がいる。これらの考え方は、人は神の子であり、人は「ひと=日止・霊人」であるという根本信仰とは異なる考え方である。

ご歴代の天皇お一方お一方が、御神勅に示されている通り「天照大御神の生みの御子」であらせられる。これを「歴聖一如」と申し上げる。天皇は、女帝であらせられても、現御神であらせられ、天照大御神の地上的御顕現であらせられる。男系継承という神武天皇以来の伝統は出来得る限り守られるべきとしても、この根本信仰は絶対に無視してならないと信じる。

天皇を「日の御子」「天津日嗣日本天皇」と申し上げるのは、天皇が日の神の御神威を継承して日本國を統治されるお方であるということである。「天津」は高天原からの天津神から継承されている神聖なという意で、「日嗣」は天照大神から伝えられた「日霊」を継承するという意である。 天皇は、大嘗祭・新嘗祭を通して日の神=天照大神の神威・霊威を体現される御存在となられ、天照大神の「生みの御子」すなわち「現御神」として君臨されることとなるのである。

 

天皇は血統上は先帝から今上天皇が皇位を継承するのであるが、信仰上は御歴代の天皇お一方お一方が天照大神の「生みの御子」であらせられる。皇祖・天照大神との御関係は、邇邇藝命・神武天皇・今上天皇も同一である。これを「歴聖一如」と申し上げる。

 

地上に天降られた邇邇藝命は肉身としての皇統の祖として祭られ、南九州に御陵が鎮まっている。天照大神は皇祖神として伊勢の神宮に祭られている。

 

この尊い事実を會澤正志斎は、「神州は太陽の出ずる所、元気の始まる所にして、天日の之嗣、世(よよ)宸極(しんきょく)を御し、終古易(かは)らず」(新論)と言った。日蓮も「日本國の王となる人は天照大神の御魂の入代らせ給ふ王なり」(高橋入道殿御返事)と言っている。現御神信仰・現人神信仰は決して近代日本において人為的オロギーとして作られたものではないのである。   

神々の中で最尊・最貴の神と仰がれる天照大神の御子であられる日本天皇は、雨の神・雷神などの自然神を従えられる御存在であるというのが萬葉人以来の日本人の信仰であった。それは今日においても自然な日本伝統信仰として生き続けている。

現御神信仰は今日においても「生きた真実」である

 

昭和天皇は、昭和三十五年に、

 

さしのぼる 朝日の光り へだてなく 世を照らさむぞ わがねがひなる

と歌われ、同三十四年には

 

あなうれし 神のみ前に 日の御子の いもせの契り 結ぶこの朝

と詠ませられている。この二首の御製は天皇および皇太子は「天照大神の生みの子」即ち「日の御子」であるという御自覚を歌われているのである。

 

これらの御製を拝すれば、昭和天皇が「昭和二十一年元旦の詔書」においていわゆる「神格」を否定され「人間宣言」をされたなどという説が大きな誤りであることが分かる。

 

天皇が現御神であらせられるということは古代日本人がつくりあげた「虚構」ではなく、今日唯今においても「生きた真実」なのである。 

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千駄木庵日乗六月二十九日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、明日の『日本の心を学ぶ会』における講義の準備、原稿執筆など。

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2013年6月29日 (土)

内部の敵を何とかしなければならない

安倍晋三首相は28日、日中関係について「中国側は、尖閣諸島(沖縄県)の問題について、ある一定の条件を日本がのまなければ首脳会談をしないと言ってきている」と述べ、共産支那側が「日中首脳会談」実現に、尖閣諸島問題での条件を日本側に提示していることを明らかにした。支那側の「条件」とやらの中身は、いわゆる「棚上げ論」を日本が受け入れることだろう。

支那がこういう理不尽な要求をして来るのは、わが国に野中広務や鳩山由紀夫のような支那側を利する発言をする総理や閣僚を経験した政治家がいるからだ。わが国は、内部に敵がいるのだ。内部の敵を何とかしなければならない。

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日本人の死生観

江戸後期の儒學者で、幕末から明治初期にかけて大きな學問的影響を及ぼした佐藤一斎が、四十二歳から八十歳まで、年号で言へば文化十年から嘉永四年まで書き続けた箴言集『言志四録』の第百三十七条には次のやうに記されてゐる。

「吾思ふ、我が身は天物なり。死生の権は天に在り當に順にこれを受くべし。…天之を生じて、天之を死せしむ。一に天に聴(したが)ふのみ。吾れ何ぞ畏れむ。吾が性は即ち天なり。軀穀は則ち天を蔵するの室なり。精氣の物と為るや、天此の室に寓す。遊魂の変を為すや、天此の室より離る。死の後は即ち生の前、生の前は即ち死の後にして、而して吾が性の性たる所以のものは、恒に死生の外に在り。吾れ何ぞ焉れを畏れむ。夫れ昼夜は一理、幽明も一理、始(はじめ)を原(たず)ね、終りに反(かへ)し、死生の説を知る」(私は思ふ。われわれの身體は天から生じたものである。生死の権は天が握ってゐるので、まさに素直に従ってこれを受けるべきである。…天がわれわれを生み、天がわれわれを死なせるのだから、全く死生は天に従ふべきで、我々はどうして恐れることがあらうか。われわれの本質は即ち天である。我々の肉體は身體に天を蔵する部屋である。萬物を生成する根源の氣が固まって天がこの部屋に住むのである。魂が肉體から遊離すれば、天はこの部屋から離れる。死の後は即ち生の前であり、生の前は即ち死の後であって、我々の本質は常に生死を超越してゐる。われわれは何で生死を恐れやうか、といふほどの意)

この佐藤一斎の文章には、「魂が身體から遊離することが死であり、肉體の死は、人間そのものの消滅ではなく、現世から身を隠すことに過ぎない」といふ日本人の傳統的死生観が表白されてゐる。

『言志四録』は、西郷隆盛の終生の座右の書であったといふ。西郷隆盛は、流罪で沖永良部西郷隆盛は、流罪で沖永良部島にあった時、次の漢詩を詠んでゐる。

「獄中有感(ごくちゅうかんあり) 

 朝に恩遇を蒙り夕べに焚阬(ふんこう)せらる

 人世の浮沈は晦明に似たり

 縦(たと)ひ光を回らさゞるも葵は日に向ふ

 若し運を開くる無くも意は誠を推()

 洛陽の知己皆鬼と為り

 南嶼(なんしょ)の俘囚独り生を竊(ぬす)む

 生死何(なん)ぞ疑はむ天の附與なるを

 願はくは魂魄(こんぱく)を留めて皇城を護らむ」

結句は、楠公そして松蔭の「七生報國」の精神そして佐藤一斎と同じ死生観を表白してゐる。肉體から離脱した魂魄は、この世に留まって皇城即ち上御一人をお守りすることを誓ったのである。

徳富蘇峰はこの詩について「『洛陽の知己皆鬼と為り』とあるは、寺田屋事件で死したる有馬新七らを指すものであろう。『南嶼の俘囚独り生を竊む』とは、すなわち西郷が自らを言うところである。『願はくは…』と結んだ一句を見れば、彼は根っからの勤皇家であったことが分かる」(『明治三傑』)と論じてゐる。

日本民族は古来、肉體は滅びても魂は永遠であるといふ信仰を持ってゐる。人は死してもこの國の中に靈はとどまって遠くへは行かないと信じ、あの世とこの世とは交流し、人間の今際の時の念願は死後達成され、人はたとへ死しても何度も生れ変ると信じたのである。我々の祖先にとって死とは生れ変りの儀式の一つであった。

わが民族が死を恐れないのは、生と死とに遠い距離感を持たなかったからである。楠正成の『七生報國』の精神と同様に、大東亜戦争におけるわが國軍民の敢闘精神も、實にさうした信仰がその根底にある。

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千駄木庵日乗六月二十八日

午前は、母のお世話。

訪問介護の方と共なり。

午後二時より、永田町の村上正邦事務所にて、『第五五回 日本の司法を正す会』開催。青木理氏が進行。村上正邦氏が、KSD事件再審請求について講演。亀井氏静香衆院議員、山口敏夫元衆院議員などがスピーチ。質疑応答。大変興味深い会合であった。後日報告します。

帰宅後は、『百人一首』についての原稿執筆、明後日の『日本の心を学ぶ会』における講演の準備。

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2013年6月28日 (金)

『呉竹会・アジアフォーラム』における園田博之衆議院議員の講演内容

六月二十五日に行われた『呉竹会・アジアフォーラム』における園田博之衆議院議員の講演内容。

「頭山会長は、私のオヤジにずっと仕えてくれた。私とウマが非常に合った。『日本維新の会』はバカに評判が悪い。私は国会に出て二十七年。自民党を出て、また入り、また出た。動機は一つ。政界再編をしなければこの国は駄目になると思っている。ポスト中曽根の安竹宮の総裁選で、中曽根裁定になり、竹下氏が指名された。安倍派幹部が嬉しそうに今まで戦っていた竹下氏の所にお祝いに行った。当時は、自民党の派閥の親分をしていれば順番で総理になれた。安倍晋太郎氏のみが病で倒れて総理になれなかった。社会党に政権を取られる可能性はなかった。大臣のポストも当選七回でなれなかったのは浜田幸一氏のみ。自民党は『自主憲法制定』という党是を忘れてしまっている。新党を結成した。しかし計算違いが起った。一緒にやっていた細川護煕氏が総理を引き受けてしまった。八頭立ての内閣はたちまちのうちに崩れた。

石原氏が橋本氏と手を結ぶとは夢にも思わなかった。総選挙では五十何人取った。参院選は大方の予想通り自民党が圧勝し、単独過半数を取る。自民党への不満の受け皿になる政党がなくなった。橋本発言は、維新の会がやろうとしていた事と別次元の事。橋下氏は意地っ張りでケンカ上手。敵をやっつけて今までにないリーダーとしてやって来た。女性軽視が最大の問題。石原氏が気に入らないのは、橋本氏が先の戦争を侵略戦争と言ったこと。タカ派集団と言われているが、石原氏はその上を行っている。橋本・石原両氏の論争に私は立ち会った。『侵略戦争ではなかったとは言えない』と橋下氏は言って譲らなかった。

参院選挙はどうなるか。安倍晋三総理は参院選挙後大変な目に遭う。アベノミックスは私も理解する。大胆な金融緩和と大型予算を組んだ。成長戦略。来春、消費税を三%上げないと、日本の国債は評価を下げる。金利が上がる。日本経済は瓦解する。何としても消費税は三%上げるべし。国民の所得が増えていないのに、物価が上がり、消費税が上がるという大変な状況になる。来春に、仕事が増え収入も上がるという方向に持って行かなければならない。安倍総理は、経済産業省の言いたいことを整理して言ったが具体性がない。農政を大改革すると言ったが、その手立ては何も示していない。それが見透かされて株価が下がり円高になった。しかし株価が高くなれば生活が良くなるわけではない。株は機関投資家が買っている。株価は実態経済とは関係ない。給料を増やすことが大事。

自民党は既得権益擁護集団。変える事が物凄く苦手な政党が自民党。維新の会はそれが出来る。成長戦略実行のためには原発再開しかない。これには相当反発がある。日本のエネルギーコストはどんどん高くなっている。足元を見られて高い油を買わされている。日本でモノ作りをしていられなくなる。安倍氏は、『ある程度の基準を満たしたところは稼働させてくれ』と言わねばならない。『G8でアベノミックスが理解された』と安倍氏は言っているが、もう一つ、『財政をきちっとやってくれ』と言われている。

いくら経費を削減しても介護・年金など社会保障全体の経費は減らせない。事業仕分けは自民党時代からやっていた。それでも自民党時代より民主党時代の方が、予算が増えた。社会保障制度の改革しかない。この制度改革をやり遂げれば安倍内閣は長期政権になる。参院選で自民党が大勝利し、対抗勢力がない状況になる。野党の合併しかない。民主党は十年経っても政権を奪還する政党にはなれない。民主党は分党し、官公労の人は社民党と一緒になる。残りの保守とみんなの党と維新の会が合併し、建設的野党を作る」。

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千駄木庵日乗六月二十七日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆など。

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2013年6月27日 (木)

「萬邦無比の國體」とは如何なることか

日本國家の存立の精神的中核は、天神地祇を尊崇し稲穂を大切にする信仰精神であり、日本という國家は<天皇を祭祀主とする信仰共同體>なのである。ゆえに日本國は天皇國といわれるのである。

 

天皇が現御神であられるということは、天皇は「今生きておられる神」「この地上に実在する神」「人にして同時に神なる方」「天神地祇・稲穂の神靈の體現者」ということである。

そしてわが國には太古以来の信仰が、祭祀という行事と共に今もわが國民の日常生活に生きている。また、天皇の祭祀は今日唯今も生きた姿で傳承されている。

 

つまり、日本傳統精神は、天皇の祭祀と神社の祭祀を通して、今もなおその生命を傳えてられいるのみならず、現実に天皇及び御皇室の自然の命を慈しみたもう御精神と御行動そして神社の鎮守の森が、自然破壊と人心の荒廃を食い止める大きな力となっている。

 

伊勢の神宮の神殿は、二十年目ごとに必ずくり返される式年遷宮によって永遠に新しい姿に復元し生まれ変わる。古代の神殿が永遠に新鮮な姿で我々の眼前に立っている。

 

このように、日本民族は古代信仰を今日唯今も生活の中に生かしているのである。そして古代信仰の祭祀主を今日の日本国の君主として仰いでいるのである。これが日本國の素晴らしさである。

 

今上天皇は、初代の神武天皇から数えて第百二十五代の御子孫であらせられると共に、現御神として邇邇藝命・神武天皇そして御歴代の天皇と全く同じご資格で國家を御統治されている。萬世一系の皇統は、高天原より地上へと、天照大御神・邇邇藝命・神武天皇から今上天皇へと、時間を超えて一貫して連綿として傳えられている。

 

日本國家の存立の精神的中核は、天神地祇を尊崇し稲穂を大切にする信仰精神であり、日本という國家は<天皇を祭祀主とする信仰共同體>なのである。ゆえに日本國は天皇國といわれるのである。

 

天皇が現御神であられるということは、天皇は「今生きておられる神」「この地上に実在する神」「人にして同時に神なる方」「天神地祇・稲穂の神靈の體現者」ということである。

そしてわが國には太古以来の信仰が、祭祀という行事と共に今もわが國民の日常生活に生きている。また、天皇の祭祀は今日唯今も生きた姿で傳承されている。

 

つまり、日本傳統精神は、天皇の祭祀と神社の祭祀を通して、今もなおその生命を傳えてられいるのみならず、現実に天皇及び御皇室の自然の命を慈しみたもう御精神と御行動そして神社の鎮守の森が、自然破壊と人心の荒廃を食い止める大きな力となっている。

 

伊勢の神宮の神殿は、二十年目ごとに必ずくり返される式年遷宮によって永遠に新しい姿に復元し生まれ変わる。古代の神殿が永遠に新鮮な姿で我々の眼前に立っている。

 

このように、日本民族は古代信仰を今日唯今も生活の中に生かしているのである。そして古代信仰の祭祀主を今日の日本国の君主として仰いでいるのである。これが日本國の素晴らしさである。

 

今上天皇は、初代の神武天皇から数えて第百二十五代の御子孫であらせられると共に、現御神として邇邇藝命・神武天皇そして御歴代の天皇と全く同じご資格で國家を御統治されている。萬世一系の皇統は、高天原より地上へと、天照大御神・邇邇藝命・神武天皇から今上天皇へと、時間を超えて一貫して連綿として傳えられている。

天皇陛下は、今日においても日本國の君主・國家元首として君臨あそばされている。つまり古代以来一系の天子がわが国の君主であられるのである。これは世界史の奇跡であり、他の國家・民族には見られない事実である。まさに「萬邦無比の國體」である。

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千駄木庵日乗六月二十六日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事など。

午後五時より、赤坂の日本財団ビルにて、笹川平和財団主催『アーロン・フリードバーグ教授講演会』開催。茶野順子笹川記念財団常務理事が挨拶。プリンストン大学ウッドロー・ウィルソンスクール教授アーロン・フリードバーグ氏が「アジアをめぐる米中対立の現状―最近の中国の動向を踏まえて」と題して講演。質疑応答。大変重要なことが語られました。詳細は後日報告します。

赤坂で、友人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。『百人一首』について書き始めました。

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2013年6月26日 (水)

第三十三回日本の心を学ぶ会お知らせ

第三十三回日本の心を学ぶ会お知らせ

演題 西郷隆盛の詩心

 

西郷隆盛は、木戸孝允・大久保利通と共に、明治維新三傑の一人とされています。中でも西郷隆盛は、当時の人々はもとより今日に至るまで多くの人々に敬愛され慕われております。維新変革運動を目指す我々は西郷隆盛の精神即ち「大西郷の精神」を学び継承すべきであります。西郷隆盛の言葉で最も人口に膾炙されているのは「敬天愛人」であります。天を敬い人を愛すという意味です。西郷隆盛を人格そして偉大なる足跡を、彼の遺した詩歌を通して学びたいと思います。是非とも皆様お誘い合わせのうえご参加いただけますよう宜しくお願いします。

【日 時】平成25年6月30日()開場午後5時45分開会午後6時

【場 所】文京区民センター2B会議室 東京都文京区本郷 -15-14 地下鉄 春日下車1分(大江戸線、三田線)、後楽園下車3分(丸の内線、南北線)、JR(水道橋)

【演 題】 第一部 ヘイトスピーチ法規制問題 講師 せと弘幸氏(せと弘幸ブログ日本よ何処へ)

第二部 西郷隆盛の詩心 講師 四宮正貴氏(四宮政治文化研究所代表)  

【参加費】資料代500円 終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

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この頃詠みし歌

我が生まれし年に詠みたる茂吉の歌 追放のことが歌はれてをり

我が生まれし年に詠みたる茂吉の歌 短歌滅亡論が歌はれてをり

一輪の花を玄関に飾り置く 母の心をいとしと思ふ

父逝きしことを忘れしわが母は 父はどうしたと我に問ひたまふ

六十余年この千駄木に生きて来て 街歩きなば知り人多し

古き家はみな壊されて売地となる かくてわが町は変はりゆくなり

体格良き女の人がムシャクシャとケーキ食べゐる昼下がりの茶房

気難しき顔せし老人 寿司食しニコリともせず帰り行きたり

蛍火などもう幾年も見しことなし 都の中に生きてゐる身は

夏至近くなかなか暗くならぬ道 赤ら顔して歩み行くわれ

朝の雨に濡れつつポストに急ぎ行く大切な書状を送らんがため

のそのそと黒き犬二匹歩み行く美しき乙女に手綱取られて

今日よりは次第に昼間が短くなることをさみしむ夏至の夕暮

緑濃く繁りゐるなる銀杏の木 夏至といふ日に見上げたりけり

天降(あも)り来るものを望みて見上げゐる空を一面に雲覆ひたり

豆腐入りの煮込み食しつつビール飲む夏至の夕べの古き居酒屋

機嫌よくデイサービスに赴きし母を見送る土曜日の朝

部屋の掃除し終へてベランダに水撒けばすがしき風が吹きて来るかな

窓ガラス拭きつつ空を見上げれば燦然として日は輝けり

汗かきて拭き掃除するも心地良し梅雨の晴れ間の休日の朝

横たわり夢の世界に入り行けば朱色の雲が広がりてをり

鯛かぶとの酒蒸し食し呑む酒は芋焼酎のお湯割りである

夕暮の街に出で来て会ひし猫 ニャオニャオと鳴きて我に付き来る

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千駄木庵日乗六月二十五日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事、諸雑務。

午後六時より、六番町の主婦会館にて、『呉竹会・アジアフォーラム』開催。藤井厳喜氏が司会。頭山興助氏が挨拶。園田博之衆議院議員が「参議院選挙と日本の行方」と題して講演。大変興味深いお話であった。後日報告します。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2013年6月25日 (火)

『国歌君が代』の信仰的意義

国歌『君が代』の「さざれ石のいはほとなりて苔のむすまで」という歌句をとらえて、小さな石が大きな岩に成長するということはあり得ないから非科學的な歌であるという議論があるが、これは『國歌君が代』を否定するための屁理屈である。

 

石が成長して大きくなり巌となるというのは日本人の古来からの信仰的真実である。古代日本人は、石が成長すると信じた。『君が代』の歌の根底にはこの信仰がある。単なる比喩ではない。これは石や岩という自然物が生きているという自然神秘思想から来ている。全てを命あるものとして見る自然信仰は、祖霊信仰とともに日本伝統信仰の大きな柱である。

 

石や岩などの自然物に魂が宿っているという古代信仰は『萬葉集』の次の歌に表れている。

 

信濃なる 筑摩の川の 細石(さざれいし)も 君しふみてば 玉と拾はむ (萬葉集巻十四・三四〇〇)

 「東歌」(萬葉集巻十四・古今集巻二十にある、東國方言で庶民が詠んだ和歌)である。「信濃の千曲川の小石もあなたがお踏みになったのなら玉と思って拾いましょう」というほどの意。恋人が踏んだ石には魂が籠っているという歌である。石に魂が籠るというのは古くからの民俗信仰であった。 さらに、柿本人麻呂が石見の國において亡くなる時、妻・依羅娘子がこれを嘆き悲しんで詠んだ歌では、

今日今日と 我が待つ君は 石川の かひにまじりて ありと言はずやも (萬葉集巻二・二二四)

と詠まれている。山の谷間の貝塚などに遺骸を葬る風習が古代にはあり、川に臨んだ貝塚群の底から、人骨が出土する例が報告されている。「石川のかひ」は、死者を葬った川のそばにあり水に浸された貝塚のことである。石川と名づけられたのも、小さな石(すなわちさざれ石)には霊が籠っていて、霊の憑依物・霊的なものとして考え、「玉」とも呼ばれた長い信仰がこの歌の底にはある。

石と岩の違いは、石が成長した岩には魂が籠っているということである。「いは」の語源は「いはふ」である。「いはふ」は「いへ」と同根の言葉で、霊魂を一処に留めて遊離させないして霊力を賦活させ神聖化することである。そして「いはふ」は神を祭る意にもなった。神を祭る人(神主)を「斎主」(いはひぬし)、神を祭る宮を「斎宮」(いはひのみや)と呼ぶようになった。

家に籠ることを「いはむ」という。「いはむ」とは忌み籠ることである。「忌む」とは、不吉(ふきつ) なこと、けがれたことをきらって避けること。特に、ある期間、飲食・行為を慎んで、身体をきよめ不浄を避けることをいう。「斎」(いつき・心身を清めて飲食などの行為をつつしんで神をまつる。いみきよめる。いわう。いつく。ものいみする、という意)と同じ意である。  「いつき・いつく」の「いつ」とは清浄・繁茂・威力などの意を包含している神聖観念である。天皇の神聖権威を意味する御稜威(みいつ)はこの言葉から来ている。

 

このように、「いへ」「いは」「いむ」「いつく」は語根が同じくし、深い関係がある。ゆえに、魂の籠っている「石」を「岩」と言うといっていい。天照大神が籠られた「天の岩戸」は大神の神霊が籠られたところなのである。

 

人々は、亡くなった人の遺体を石の下に埋める。わが國は古墳時代から墓に石を置いた。特に偉大な人の墓の場合は巨大な岩を置いた。墓を石で造るのは、石に魂が籠められるという信仰に基づく。石や岩に霊魂が籠ると信じた日本人は、石は地上にありながら、地下から湧出する生命・霊魂の威力を包み込んだ存在で、地下に眠る霊魂の象徴であり、よりしろ(憑代・依り代。神霊が宿るところ)と考えた。 

日本の「家」(いへ)はそれを構成する人々つまり家族の魂が一処に籠っているということである。したがって、君が代(天皇の御代)は「石」が「岩」になるまで続くということは、天皇國日本は魂の籠っている永遠の國家であるということになる。岩を霊的なものとしてとらえ、それを永遠無窮・天壤無窮の象徴としたのである。そういう信仰を歌っている歌が国歌『君が代』なのである。

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千駄木庵日乗六月二十四日

午前は、母のお世話。介護のケアマネージャーの方来宅。今後の母の介護について相談。

昼、ある医師の方と、医療及び今回の都議選について意見交換。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、書状執筆、資料整理など。

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2013年6月24日 (月)

「現行占領憲法」の三原理を否定なくして真の憲法改正はあり得ない

憲法は「不磨の大典」と言われるが、「不磨」であるべきなのは、「國體法」である。「政体法」は必要に応じて改正されるべきである。すなわち、天皇を君主と仰ぐ國體は絶対に変革されてはならない。しかし、政体は民の幸福のためになるのならどんどん変革すべきである。

今日、「現行憲法」の「三原理」が「不磨の大典」のように論じられている。近年各方面から出された「改憲草案」はそのほとんどが「現行憲法」の「三原理」を継承している。

「占領憲法」の「平和主義」「国際協調」とは、「我が國は侵略戦争をした悪い國であった。今後は武力・戦力・國軍を持たない。侵略阻止のための武力行使はしないし、国防戦争もしない」という敗北思想である。日本の国防体制確立を阻害し日本国をして他国の属国たらしめる元凶である。

「国民主権論」は、西洋や支那大陸のような君主と人民とが「國家意思を最終的に決定する権限」を奪い合った歴史は全くない君民一体の信仰共同体たるわが國の國柄と絶対相容れない國體破壊につながる思想である。

「基本的人権の尊重」は、人権尊重・個の尊重を全てに優先させることはかえって人権を蹂躙し、個人の尊厳性を奪うことになった今日の我が國の荒廃の根本原因の思想である。道義精神不在の「人権論」こそ、国民の頽廃の元凶である。

「現行憲法三原理」の否定なくして「憲法改正」にも「自主憲法制定」にもならない。

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2013年6月23日 (日)

千駄木庵日乗六月二十三日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、資料の整理、原稿執筆の準備など。

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還暦について

今日行はれた菅家一比古氏還暦祝ひで、祝辞に立たれた加瀬英明氏は、「還暦」といふ言葉を英語に訳すと「リサイクル」になるのではないかと言われた。なるほどと思った。呉善花さんは「ルネッサンス」であると言はれた。村松英子さんは、「どちらも、元をただせば同じ意味である」と言はれた。

辞書によると「還暦(かんれき)とは、干支(十干十二支)が一巡し、起算点となった年の干支に戻ること。通常は人間の年齢について言い、数え年61歳(生まれ年に60を加えた年)を指す。本卦還り(ほんけがえり)ともいう」といふ事ださうである。

つまり、元帰りであり、循環であり、よみがへりである。元に戻ることによって新たに生まれ変はるといふことであらう。即ち、人生の再出発である。復古即革新即ち維新と言っても良いと思ふ。

日本人は、「甦り」(よみがへり)と言ふことを深く信じて来た。よみがへりとは。黄泉(よみ)の國即ちあの世から帰って来ると言ふことである。日本人にとって死は消滅ではないである。

還暦祝ひで、本人に赤い頭巾やちゃんちゃんこなどを贈るのは、かつては魔除けの意味で産着に赤色が使はれていたため、生まれた時に帰るといふ意味でこの慣習があるといふ。

つまり、六十年間生きて来たことによって、そのまま老いるのではなく、あらたな生まれ、再出発するのが「還暦」なのである。暦が戻ると言ふのだから、まさに新生である。

しかし、還暦といふとお年寄りの仲間に入ったといふ感覚を持つ。小さい頃よく歌った童謡「船頭さん」は、「村の渡しの船頭さんは 今年六十のお爺さん 年を取つてもお船を漕ぐときは 元気いつぱい櫓がしなる それ ぎつちら ぎつちら ぎつちらこ」といふ歌詞である。

私はこの歌を歌ふと思はず吹き出してしまふ。私はすでに六十五歳であるが、「お爺さんだ」といふ感覚は微塵もないからである。バスや電車の中で、お年寄りに席を譲ることはあっても譲られたことはない。あと十年経ったらどうなるか分からないが、今のところ「老いた」とか「年寄りになった」などと思ふことはない。有難いことだと思ってゐる。

常に「蘇り・復活・新生・再生」を念じて生きて行きたく思ってゐます。合掌

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千駄木庵日乗六月二十二日

朝、デイサービスに赴く母を見送る。

この後、『政治文化情報』発送作業、完了。購読者の皆様には月曜日にはお届けできると思います。

正午より、目白の椿山荘にて、『菅家一比古氏の還暦を祝う会』開催。加瀬英明・中條高徳・長谷川裕一・呉善花・行徳哲男・村松英子・藤岡信勝の各氏らそして小生が祝辞を述べ、菅家一比古氏が謝辞を述べ、盛宴に移った。

帰宅後は、資料の整理など。

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2013年6月21日 (金)

錦の御旗と戊辰戦争

「鳥羽伏見の戦ひ」と呼ばれる戦ひで、何故幕府軍は敗退してしまったのであらうか。史家たちかあげる原因は次の通りである。「①士気・戦意の違ひ。政府軍が士気・戦意共に勝っていた。②幕府方の戦争目的の曖昧さ。③幕府方の計画性と指揮能力の欠如。④新政府軍の武器が幕府軍の武器よりも優れていた。⑤幕府方内部の裏切りと内紛。⑤総大将たる徳川慶喜の戦意・統率力の欠如。」

そして、多くの史家は、開戦翌日の一月四日に、新政府軍が「錦の御旗」を掲げたので、幕府軍の士気が萎えてしまったと論じてゐる。新政府軍が「錦の御旗」を掲げたことが、史家のいふところの「両軍の士気・戦意の相違、幕府内部の所謂『裏切り』『内紛』、徳川慶喜の戦意・統率力欠如」の根本原因である。

錦の御旗とは、朝廷の軍即即ち官軍の旗印であり略称を錦旗(きんき)と言ふ。赤地の布に日月の形に金銀を用いて刺繍したり描いたりした旗を、朝敵討伐のしるしとして天皇から官軍の総指揮官に下賜される。承久の乱(一二二一)に際し、後鳥羽上皇が近江守護職佐々木広綱をはじめ朝廷方の武士に与へたのが歴史上の錦旗の初見と傳へられる。

『トンヤレ節』には、「宮さん宮さんお馬の前に ヒラヒラするのは何じやいな トコトンヤレ、トンヤレナ あれは朝敵征伐せよとの 錦の御旗じや知らないか トコトンヤレ、トンヤレナ」と歌はれてゐる。

 史家の中には、「鳥羽伏見の戦ひ」に登場した「錦の御旗」は、岩倉具視が、国学者・玉松操に頼んで、適当にでっち上げさせたものだとか、贋作だとか言ふ者がゐる。以ての外の妄説である。今放送されてゐるNHKの大河ドラマでもそのような描き方をしてゐた。

明治天皇は、一月三日深夜、議定(王政復古により置かれた明治新政府の官職名。総裁・参与とともに三職の一。皇族・公卿・諸侯の中から選ばれた)仁和寺宮嘉彰親王(後の小松宮・上野公園に銅像が建てられてゐる)を軍事総裁に任ぜられ、翌四日には「錦の御旗」と征討の節刀を賜り、征討大将軍に補任された。

明治天皇から征討大将軍・仁和寺宮嘉彰親王に下賜された「錦の御旗」が、「贋作・でっち上げである」などといふ理屈は全く成り立たない。

仁和寺宮嘉彰親王は、新政府軍を率いて御所をご進発、午後には洛南の東寺に陣を置かれ、錦旗が掲げられた。

西郷隆盛は一月三日付の大久保利通宛の書状に、「初戦の大捷、誠に皇運開立の基と、大慶此の事に御座候。兵士の進みも実に感心の次第驚き入り申し候。…明日は錦旗を押立て、東寺に本陣を御居(す)ゑ下され候へば、一倍官軍の勢ひを増し候事に御座候…」と書いた。

一月五日、征討大将軍が鳥羽街道を錦旗を立てて南下すると、それを遠望した幕府軍は浮足立ち、淀城へ退却した。ところが、淀藩は幕府軍の淀城入場を拒んだ。

津藩・淀藩の行動は決して裏切りではなく、上御一人日本天皇への恭順である。徳川慶喜の戦意喪失も決して臆病風に吹かれたのではなく、彼の尊皇精神がさうさせたのである。

『徳川慶喜公伝』(渋沢栄一著)は鳥羽伏見の戦ひにおける徳川慶喜の心情を次のやうに記してゐる。「…やがて錦旗の出でたるにを聞くに及びては、益々驚かせ給ひ、『あはれ朝廷に対して刃向ふべき意思は露ばかり持たざりしに、誤りて賊名を負ふに到りしこそ悲しけれ。最初たとい家臣の刃に斃るるとも、命の限り會桑を諭して帰国せしめば、事此に至るまじきを、吾が命令を用ゐざるが腹立たしさに、如何やうとも勝手にせよと言ひ放ちしこそ一期の不覚なれ』と悔恨の念に堪へず、いたく憂鬱し給ふ」。

そして慶喜はフランス大使レオン・ロッシュに対して「我邦の風として、朝廷の命と称して兵を指揮する時は、百令悉く行はる。たとい今日は公卿大名の輩より申し出たる事なりとも、勅命といはんには違背し難き國風なり。されば今兵を交へて此方勝利を得たりとも、萬々一天朝を過たば、末代まで朝敵の悪名免れ難し。…当家中興の祖より今に二百六十余年、尚も天朝の代官として士民の父母となり国を治めたる功績を何ぞ一朝の怒に空しくすべけんや。尚も余が本意に背き、私の意地を張りて兵を動かさんとせば、当家代々の霊位に対して既に忠臣にあらず、まして皇国に対しては逆賊たるべし」と言明したといふ。

徳川慶喜の尊皇精神が、明治維新を成就せしめた大きな原因の一つである。これは決して慶喜の戦闘精神の欠如などと批難されるべきことではない。わが国に「天皇の代官」なるものは必要ではない。天皇御自らが日本国を統治されるのが本来の姿である。一君万民の日本國體が明らかになることによって、内憂外患を取り除くことが出来るのである。

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千駄木庵日乗六月二十一日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、書状執筆、原稿執筆など。

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2013年6月20日 (木)

明治維新について

NHKの大河ドラマにおいて、会津藩の悲劇が描かれてゐる。たしかに会津藩は大変な苦難に遭ったし、決して朝廷に逆らったわけではなかった。しかし、このドラマにより、明治維新の意義について誤った考へ方が生まれることを恐れる。明治維新前夜、國家の独立と安定と統一を保持するには、神代以来の國體を体現者・継承者としての権威を保持する御存在=神聖君主日本天皇を中心とした國家體制を確立しなければならなくなった。欧米列強の侵略から祖國日本を守るための國家體制は、神話時代からの伝統的君主である天皇を中心とする國家でなければならないということが全國民的に自覚されるやうになった。開国も攘夷も、天皇中心の統一国家の建設によってこそ実現するのである。明治維新によってそれは現実のものとなった。

わが国の近代統一国家への道は、尊皇攘夷・尊皇討幕思想がその原基であった。幕末の危機は徳川将軍家の力では乗り切れなかったのである。これは覇道による国家支配の終焉を意味する。そして皇道政治=天皇統治の回復である。武家政権はもともと軍事政権であり幕府といふ名も、「幕で覆った野戦の指揮所・司令部」といふ意味である。七百年もの間、軍事政権が国政を壟断して来たといふこと自体異常であり國體隠蔽であった。これを正したのが明治維新である。

幕末期の国家的危機を打開せんとした人々は、徳川幕藩体制を否定し、新たなる国家体制を創出しなければならないと自覚した。そしてそれはわが国肇國以来の國體の回復による新たなる変革即ち復古即革新であった。一般國民も、現御神日本天皇の御稜威を畏(かしこ)んだ。鳥羽・伏見の戦ひで錦旗が翻った時の状況を、大久保利通のその日記には次のやうに記してゐる。

「(注・慶應四年)八日巳の刻(午前十時)比(ころ)より八幡辺戦地御巡覧の為、宮(仁和寺宮)御出でにて、錦の御旗を飄(ひるがへ)され、威風凜烈、誠に言語に尽し難き心地にて、老若男女王帥(天皇の軍)を迎えて、有難々々といえる声、感涙に及び候」。大久保利通の尊皇心が吐露されている文章である。

草莽の志士の決起も、徳川慶喜の恭順も、江戸城無血開城も、天皇の御稜威よる。徳川幕府を崩壊させたのは、岩倉・西郷・大久保等の策謀でもなければ、薩摩・長州・土佐などの武力でもない。それは上御一人日本天皇の神聖権威であり、わが國民全体が古来より持っていた尊皇の心であったのである。

わが国の天皇及び皇室は、実に三千年の歴史を有する。明治維新前夜の国家的危機に際して、日本民族は自然に、日本國家・民族としての一體感・運命共同意識中心に古代からの國家の統一者である天皇を仰ぎ國内的統一を達成して國を救はんとしたのである。

國民の同胞意識・連帯感、そして外敵に抗するナショナリズムの中心に、天皇を仰いだのである。全国民の國體回復の尊皇精神が原動力となり、尊皇攘夷に燃える志士達の命懸けの活動が、明治維新を実現したのである。わが國の歴史において、日本國民の価値判断の基準は天皇を中心とするわが國體の精神であった。特に政治・倫理・文化など國家民族形成の基本においてしかりであった。わが國の最高の地位にある人は天皇であり、天皇はもっとも清浄な人であり、人間の姿をした神である。この方が政治・軍事・文化・宗教の最高権威者である。かうした日本の傳統精神は、七百年間の武家政権時代に於いても廃れることはなかった。国民の大部分は、徳川将軍や藩主・大名を日本国の「君主」と日本国の仰いではゐなかった。権力・武力は有されずとも、天皇を日本国の君主・大君として仰いだ。だから、天皇を君主と仰ぐ國體を明らかにする大変革たる明治維新が全国民的支持によって断行し得たのである。

今日も、政治の混乱・経済の停滞・道義の低下・外圧の危機が顕著になっている。これを克服するためには、日本民族としての主体性・帰属意識(民族的一体感・国民的同一性)、帰属する共同体としての民族というものが大事になってくる。支那・朝鮮からの武力侵攻の危機、国民精神の弛緩といふ内憂外患に晒されてゐる今日に於いて、明治維新の歴史に学び、国難を打開しなければならない。

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千駄木庵日乗六月二十日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。書状執筆など。

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国家公安委員会及び警察について

国の治安を守る大事な役目をにない強大な権限を有する警察が、内閣府の外局の『庁』であり、国家公安委員会というわけの分からない組織の管理下にあるというのもおかしなことだと思います。これは警察が政治権力から独立すべきだという主旨に基づく制度だといわれています。しかし、国家公安委員会や都道府県公安委員会は形骸化し、実際には警察官僚によって骨抜きにされ警察官僚の言いなりだと報道されています。これでは困ります。

『公安委員会』を改革し、政治権力の影響(これは特定政党・政治家が恣意的に警察権力を行使するという意味でしょう)を排除すると共に、『公安委員會』は警察権力からも独立した組織であらねばなりません。第一、公安委員というのは一体誰がどういう方法でどこで選出するのでしょうか。それすら一般に知らされていません。また、都道府県議会の警察委員会というのも形骸化しています。これも改善すべきです。兼県議会議員や都議会議員は日ごろ警察らお世話になっているという意識があるし、警察を敵に回したくないという意識があるので、きちんとした監視が出来ません。鹿児島の志布志事件のように選挙違反で逮捕されることもあるからです。

警察庁も、警察省なり公安省という名称にすべきではないしょうか。何処の省庁にもそれぞれ主務大臣がいるのに、強大なる権力を有する警察には直接指揮する大臣が存在しないというのは異常です。「政治家性悪論」に立っているのでしょうか。それも大いに分かります。しかし「警察官僚性善論」というのも成り立ちますまい。

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2013年6月19日 (水)

西村眞悟氏の講演内容

六月十日に開催された『西村眞悟国政報告会』における西村眞悟氏の講演内容。

「わが日本は捏造によるプロパガンダと戦っている。これは国防問題。日本を腐らせようとしている。日本精神に永久にぬぐえない汚点をつけるための攻撃を仕掛けて来ている。我々の子孫はおぞましい血が流れていることを嫌悪するようになる。永野修身は開戦に際して『戦わざれば亡国、戦うもまた亡国であれば、戦わずしての亡国は身も心も民族永遠の亡国である。戦って死中に活を見いだし護国の精神に徹するならば、たとい戦い勝たずとも、護国に徹した日本精神さえ残せば、我らの子孫はかならずや再起、三起するであろう』と語った。朝鮮人売春婦が我々の目の前にうようよしている。朝鮮人売春婦を日本政府は強制連行して来たのか。捏造によるプロパガンダを受けているという真実が私の発言によって分かって来た。このプロパガンダに如何にして勝つか。従軍慰安婦イコール性奴隷と言い出したのは日本の弁護士。性奴隷の強制連行などあり得ないことは確定している。日本の外交官は『河野談話』があるから言えない。安倍首相は今年四月まで言っていたことを実行すべし。『河野談話』を廃棄すべし。外務省に真実を言えと言うのが、捏造されたプロパガンダへの戦いの第一歩。天皇皇后両陛下のご臨席を仰いで主権回復を祝った。歴史を取り戻さねばならない。それが戦後からの脱却。歴史の真実を検閲によって奪われた歴史の真実を回復すべし。日本は軍隊を奪われた。日本軍の無条件武装解除が行われた。天皇及び日本政府の統治の権限は連合軍最高司令官の下に置かれた。我々は中国軍によって滅ぼされるところまで来ている。制海権・制空権が切り崩されている。私と平沼赳夫先生の絆は強い。中山恭子さんはサッチャー以上。明日総理になっても良い方。自公連立政権に危機感無し。拉致問題でも真実を塗りつぶしている。亡国に向かうか、国家再興に向かうかの岐路に立っている」。(小生のメモと記憶に基づく報告ですから、言うまでもなく文責は小生にあります)

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千駄木庵日乗六月十九日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後二時半より、芝の駐健保会館にて、「大行社幹部会」開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備、『伝統と革新』編集の仕事。

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いわゆるレイシズムについて

レイシズムといふ言葉が最近わが國において頻繁に聞かれるようになった。日本語で言へば人種差別・人種主義のことだといふ。歴史上もっとも典型的な人種差別は、白人による有色人種に対する差別・迫害である。オーストラリアや北米・南米における先住民殺戮・迫害、黒人奴隷の売買・使役、ユダヤ人迫害虐殺などのことをレイシズムと言ふのである。レイシズムは規模が大きく計画的であり長期間に及ぶ。レイシズムは人類発生以来歴史的に存在して来たと言へる。

アジアにおいても支那民族による他民族の差別・迫害が最も顕著であり大規模であり長期間に及んでいる。有史以来と言っても良い。共産支那によるチベット侵略・支配によって百二十萬人のチベット人が命を失った。これはチベットの人口の五分の一に相当するといふ。さらに、共産支那による東トルキスタン侵略・支配によって、「計画生育」といふ名目で八百五十萬人もの人々が強制中絶させられ、五十回もの核実験によって七十五萬人の人々が放射能中毒で死亡し、「政治犯」として五十萬人もの人々が処刑されたといふ。支那民族は全体として過酷残忍な性情を持ってゐることは、史家が指摘してゐる通りであるし、事実である。

「小中華」と言はれる韓国・朝鮮も他民族に対する差別は根強い。ベトナム戦争の時、南ベトナムに派兵された韓國軍は、三十萬人を超すベトナム人を虐殺したとも言はれ、ベトナムでは村ごとに『「ダイハン(註・大韓のこと)」の残虐行為を忘れまい』と碑を建てて韓國軍の残虐行為を忘れまいと誓ひ合っているといふ。

レイシズムとはこのような共産支那のチベット・東トルキスタンにおける大量虐殺、韓國軍のベトナムにおける大量虐殺のことを言ふのである。

わが國は今日、共産支那によって尖閣・沖縄侵略の危機にさらされてゐる。韓國によって竹島を奪はれてゐる。北朝鮮によってわが国民が拉致されてゐる。これに対して抗議運動が首都東京において行はれるのは当然である。今日わが國しかも東京の新大久保といふ町で限られた人数で行はれてゐる反支那・反韓國朝鮮デモで一部過激な言動があったからとて、それをレイシズムと決めつけることはどうか。在日韓國・朝鮮・支那人及び日本を訪問してゐる韓國・朝鮮・支那人を大量虐殺したわけでもないし、暴力的迫害してゐるわけでもない。今日、わが國内で、行はれてゐる反支那・反南北朝鮮デモなどをレイシズムと規定することが誤りだと思ふ。我々日本人が、レイシズムに対して批判の声をあげるのなら、支那・韓國に対してあげるべきである。

日本民族は、國家的危機に瀕した時に、日本を侵略せんとする他の民族・他の國家と果敢に戦った。しかし、わが国においては特定の民族・人種に対する計画的に長期間にわたる大規模な迫害・殺戮は全く行はれなかった。つまりわが國はレイシズムとは無縁である。

日本の主権を侵害し、日本の領土を奪ひ、日本國内で反日活動を行ってゐる支那人、朝鮮人に対する反撃といふか、抗議活動である。行き過ぎた言動はやめるべきであるが、これをレイシズムと規定するのなら、支那韓國で行はれてゐる反日デモもそして政府要人、マスコミ人などによる反日発言はもっと過激なレイシズムといふ事になる。支那・韓國の暴虐には目をつぶり祖国日本における外国への糾弾活動のみを批判することは許されない。

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千駄木庵日乗六月十八日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事。早めに第十三号の準備をしています。そして、『政治文化情報』発送準備など。

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2013年6月18日 (火)

「現行占領憲法」は日本を精神的に劣化させている

日本人は、「無私の精神」「無我」と言ふことを大切にしてきた。小林秀雄氏に『無私の精神』といふ著書があった。真の『愛』とは無私、無我になって相手に尽くすことだと言はれている。愛の極致は「捨身無我」である。日本武尊と弟橘姫の物語などを見ると、本当にそう思ふ。国に対しても、上御一人に対しても、そして父母・子供と言った家族に対しても「捨身無我」になって尽くすことが「愛」である。「すめらみくにのもののふはいかなることをかつとむべき、ただ身に持てるまごころを君と親とに尽くすまで」といふ歌がある。「まことをつくす」ことが捨身無我なのであらう。

大野健雄氏(元宮内庁総務課長)はその著書『天皇のまつり』において、「本来日本語は美しいもので、『私は』『私に』などギスギスした一人称の字句を、いちいち用いなくとも自然に意の通ずるところに特徴がある。この憲法(註・現行憲法)の前文を見ると、『われらとわれらの子孫』から始まって『われら』だけでもこの短い文の中に七つもある。これが翻訳臭である」と論じてゐる。

西欧において理性的存在者たる自我を拡張し、或いは自我を実現することを根本と考へるのとは対照的に、わが國では『私』を去り『我』を無にすることを大切にしてゐる。天皇陛下は、日本民族の長い歴史の中で、清明心の根源、無我の体現者、日本人の『道』の中心者として君臨されてきた。これは、日本人だけでなく、全人類のかけがへのない宝である。

外国流・西洋流の個人主義・自我思想に満ちてゐる『現行憲法』は、闘争と破壊と分裂を招き、精神的・思想的に日本を劣化させ、堕落させてきた「悪の根源」なのである。

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千駄木庵日乗六月十七日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事など。

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2013年6月17日 (月)

茂木貞純国学院大学教授の講演内容 その二

神道学者の上田賢治は「『現御神』を『架空なる観念』と述べられた詔書を楯として、天皇(すめらみこと)を神と称えごと申す日本人の信仰伝統を否定するのは、民族ごとキリスト教に改宗することを宣言したことにさえなり得る。事の重大さを、我々は日本人として自覚しなければならない」(『天皇論―実践神学の視点からー』)と書いた。

三島が『三熊野詣』『英霊の声』を執筆した理由もここにあった。葦津珍彦は「この詔書は歴代の詔命を否定し、光栄ある皇室の伝統的権威を無視せられたるかのごとき感を覚えさせられ、…皇国屈辱時代の文献として明記せらるべきものである」(『終戦始末記』)と書いた。

三島は敢て天皇を批判する形で、天皇の本質を提示したと思う。『豊穣の海』執筆の意図を論じた島内景二は「『源氏物語』よりも大きな概念である古代文化をまるごと現代に蘇らせること、それが、三島の天命だった」(『三島由紀夫―豊穣の海へ注ぐー』)と書いた。

三島由紀夫は『文化防衛論』で「文化はものとしての歸結をもつにしても、その生きた態様においては、ものではなく、又、發現以前の無形の國民精神でもなく、一つの形(フォルム)であり…日本文化は、本来オリジナルとコピーの辨別を持たぬこと」「このもっとも端的な例を伊勢神宮の造營に見ることができる」と論じている。

日本文化には相反する両面性があるが、そのどちらが欠けても良くない。菊と刀で象徴される全体が大事であると指摘する。これを『全體性』と呼ぶ。三島は『文化防衛論』で「『みやび』は宮廷の文化的清華であり、それへのあこがれであったが、非常の時には『みやび』はテロリズムの形態さへとった。…もし国家権力や秩序が、國と民族を分離の状態においてゐる時には、『国と民族の非分離』を回復せしめようとする變革の原理として、文化概念たる天皇が作用した」「天皇のための蹶起は、文化様式に反せぬ限り、容認されるべきであったが、西歐的立憲君主政體に固執した昭和の天皇制は、二・二六事件の『みやび』を理解する力を喪ってゐた」「文化上のいかなる反逆もいかなる卑俗も、ついに『みやび』の中に包括され、そこに文化の全體性が残りなく示現し、文化概念としての天皇が成立する、といふのが、日本の文化史の大綱である。それは永久に、卑俗をも包含しつつ霞み渡る、高貴と優雅と月並の故郷であった」「われわれは天皇の眞姿である文化概念としての天皇に到達しなければならない」「賢所の祭祀と御歌所の儀式の裡に、祭司かつ詩人である天皇のお姿は活きてゐる。…その主宰者たる現天皇は、あたかも伊勢神宮の式年造營のように、今上であらせられると共に原初の天皇なのであった。大嘗會と新嘗祭の秘儀は、このことをよく傳へてゐる」と論じてゐる。

ここには今も祭祀と和歌を通じて文化伝統を受け継いでいる天皇のお姿が活写されている。しかも日本文化の特徴である「再歸性」の最たる例、皇祖神天照大神は今上天皇の中に活きているとも言う。このような議論と認識が、もはや「人間宣言」と最も遠い所にあることし自明である」。

          ○

以上は小生のメモと記憶によってよるものであります。文責は小生にあります。

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茂木貞純国学院大学教授の講演内容 その一

六月九日午後一時より、靖国神社境内の靖国会館にて、六月九日に行われた『みことのり普及・講演会』における茂木貞純国学院大学神道文化学部教授・みことのり普及の会会長の「昭和二十一年元旦詔書と三島由紀夫」と題する講演内容は次の通り。

「佐伯彰一は『戦後作家の中でも、もっとも本質的に西欧化した代表的な存在が三島だが、その点では、三島は攘夷と開国とを一身に同居させた明治維新の推進者たちの正統な後継者、いわゆる「第二の開国」の象徴的な体現者ともいえる』と論じた。この分析に共感する。

第二の開国とは戦後の民主化。占領政策の基本方針は、米国務省からマッカーサーに『初期対日方針』として示され、日本が再び今日にならないようにすることだった。三島は、明治維新の正統な後継者にして、戦後の「民主化」をも率先吸収し自らの者となす象徴的な体現者となって行く。三島は根深いジレンマに陥る。それを乗り越えようとして自決へと収斂した。

『青の時代』『禁色』は、戦後の時空間がなければ生まれて来ない作品。時代を先取りしている。そうした作品の中で『潮騒』は古代神話物語のような素朴さがある。青春恋物語。古き良き時代を彷彿させる。古代のあらゆる民族は多神論。

三島は『小説家の休暇』の中で『潮騒』執筆の動機を「古代のあらゆる民族の間では、多神教的な自然の擬人化が、唯心論的自然観を形成していた。キリスト教は、世界と人間とから逃避しつつ、同時に自然からも逃避した」「近代的人間の孤独の救済のために、二つの方法が考へられる。キリスト教によって再び、自然から世界から逃避するか、古代希臘の唯心論的自然観のうちにふたたびみをひたすか」と論じ、『潮騒』の中でギリシア的自然、共同体意識に裏付けられた自然、多神教の世界、唯心論的世界を描こうとしたと述べている。

物語の舞台である歌島は伊勢湾の神島をモデルにした。その共同体の島にも確実に近代化は押し寄せている。牧歌的表現の中に鋭い文明批評がある。歌島を日本列島に置き換えてみると、よく本質が見えてくる。四周海に囲まれた日本には、良き伝統が生きいて、たとえ外國の悪い習慣が入ってきても海が浄化作用をして、善し悪しを選別し、善いものだけを送ってよこし、伝統的な善い風習を残してくれる。

幕末の日本は攘夷を敢行して混乱した世相の中、天皇中心の国家を建設した。しかし、攘夷が不可能であることを自覚し開国した。大急ぎで西洋と同等の文化と軍事力を身につけなければならなかった。自主独立の基本精神があった。試行錯誤の自由が存在した。攘夷と開国は矛盾を孕んでいるが選択の余地のない進路でもあった。

歌島は俗化しない孤島なので古き良き時代の日本が残っている。幸福な恋物語が成就した。フランスの女流作家М・ユルスナールは「『潮騒』は作家が生涯に一度しか書かない書物の一つ。気難しい読者には胡散臭く見える作品の一つ」と評した。おそらく三島の到達点なのだ。敗戦による第二の開国は有無を言わせぬ「民主化」で日本人に進路の選択の余地なし。三島はそうした戦後の悪しき風潮に影響されない世界を描こうとした。

三島は二十歳で敗戦を経験した。充実した生と死への憧れはそうした生死を可能にした自然共同体への憧憬にもつながる。過ぎ去った生命の國ギリシアへの憧憬でもあり、自意識も懐疑も知らぬ太古の溌剌たる生と死への希求でもあった。三島の描いたエデンの国、太古の溌剌とした共同体を描こうとした。

三島は『金閣寺』で戦後作家の第一人者になった。昭和四十年の『三熊野詣』は折口信夫を題材にした短編。三島は折口の熱心な読者で尊敬していた。折口は「天皇の人間宣言」に接し、戦争を「神敗れたまう」と認識し、一年後に「天子非即神論」を書く。戦前は「天子即神論」を展開していたのだから、百八十度主張を転換したわけである。

『英霊の声』は昭和四十一年六月に発表。ある帰神の会で審神者となった先生が石笛を吹くと神主の青年に霊がのり移り、物語をするという内容。死者の霊をして語らせるという伝統の様式を用いた。二二六の青年将校と特攻隊員をして「などてすめろぎは人間(ひと)となりたまひし」という、昭和天皇に呪詛の言葉を呈する。当時文部大臣であった前田多門が昭和三十七年に『文春』に「人間宣言のうちとそと」を発表して、いわゆる「天皇の人間宣言」の経緯が一般にも知られるようになる。また三島は幣原喜重郎の伝記も参考文献にしている。幣原は、神格否定宣言は陛下から暗示をうけ、勅命を奉じて自ら下書きを書き上げ、それが「昭和二十一年元旦の詔書」として発表されたと、誇らしげに書いている。三島は幣原について「軍隊と聞くとだけで鳥肌が立つ平和主義者、皺だらけの自由と理性の持ち主、立派なイギリス風の老狐であった。昭和の始めから、陛下が最も信頼を倚せたもうていた一群の禮儀正しい紳士たちの一人だった」と皮肉たっぷりに書いている。

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千駄木庵日乗六月十六日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、資料の整理・原稿執筆の準備など。

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2013年6月16日 (日)

式年遷宮の意義と維新の精神

今年は、伊勢の神宮の第六十二回式年遷宮の年である。伊勢の式年神宮は、二十年に一度、御正殿以下御垣内の諸社殿を全て新しく造り替え、御正殿内の御装束御神宝の一切を新しく調進して、新しい御正殿の御神座に大御神の御移りを願う行事である。『古事記』『日本書紀』そして『萬葉集』が編纂された時代である飛鳥時代に、天武天皇が定められ持統天皇の御代から始められた伊勢の神宮の重要な祭祀である。もっとも鄭重にして特別の神嘗祭(その年の稲の初穂を天照大神および豊受大神に捧げる祭)である。ゆえに大神嘗祭(おおかんなめさい)とも称されている。持統天皇の四年(六九〇)に天照大神をお祭りする皇大神宮、同六年に豊受大神をお祭りする豊受大神宮の第一回の式年遷宮が行われたと承る。式年とは定まった年という意である。

式年遷宮は、ただ単に「社殿などが古くなったので作り替える」という行事ではない。神をお迎えしお鎮まり頂く神殿を、二十年に一度の周期で新たならしめることによって、神域全体ひいては天地宇宙を更新し、神の威力を益々発揮して頂くという意義がある。もちろん我々日本国民も霊的宗教的に新たに生まれ変わるのである。

日本伝統信仰の祭りとは、人の霊・心・肉そして天地一切を更新し清浄化する行事である。そもそも祭りとは神人合一・今即神代を実感する行事である。恐れながら、天皇御即位の御時の大嘗祭もしかリである。天皇の肉身は変わられても現御神(あきつみかみ・天照大神の地上的御顕現)としての天皇の御本質は不変で、新たなる天皇の肉身に神霊が天降られ天孫降臨が繰り返されるという信仰の祭儀であるところの大嘗祭と伊勢の御遷宮(大神嘗祭)は相似である。

真弓常忠氏は「神宮の遷宮は二十年一度の大神嘗祭であり、…皇祖の大御神の神威に新たな甦りを仰ぐ最大最重の厳儀である。それは、宮中の大嘗祭に相相応する大儀である。このことは、皇居においても、御代ごとに遷宮する例であったのが、持統天皇の藤原京より恒久的な皇居を営まれたことも照応する。昔から伊勢の遷宮を『皇家第一の重事、神宮無双の大営』(『遷宮例文』)といわれてきた所以がここにある。それは始源においては、大嘗祭と表裏一体の相対応する大儀であった」(『大嘗祭の世界』)と論じておられる。

常に全てを祓い清めて新生を繰り返し永遠の生命を甦らしめるというのは、日本伝統信仰の根本である。日本は長い歴史を有する国であるが、ただ古さを誇りとするのではなく、伝統を顧みつつ常に新生を繰り返してきたところに素晴らしさがあるのである。支那・朝鮮・エジプト・ギリシアなどの国々も長い歴史を有している。しかし、それらの国々の古代民族信仰は皆滅びたり大きく変質し、今日残っている神殿なども廃墟と化し、ただ観光施設として見物の対象になっている。

 ところがわが日本おいては、これだけ科学技術が進歩し物質文明が豊かになっている今日においても、古代信仰・民族信仰が脈々と生きており、伊勢の神宮をはじめとした全国各地で神社で毎日のようにお祭りが行われている。のみならず日本伝統信仰の祭り主であらせられる天皇は多くのみ祭りを厳修され、国家の平安・国民の幸福・五穀の豊饒を神に祈り続けられている。そしてその祭り主たる日本天皇は日本国家の中心者として君臨あそばされている。このようにわが祖国日本は永遠の生命を保ちつつ革新を繰り返してきている国である。これが世界に誇るべき日本の素晴らしさである。

維新といい、日本的変革というも、要は日本国そして日本国民一人一人を新生せしめ、清浄化し、天皇国日本の本来の姿そして「み民われ」としての日本国民本来の姿を回復することによって現状の革新を行うということである。大化改新も明治維新も建武の中興もそういう精神に基づいて断行された。

現代日本の汚れを祓い清め、正しき国の在り方・日本人としての正しき姿を取り戻すことが維新である。日本は伝統と変革が共存し同一なのである。だから維新を<復古即革新>というのである。この場合の「復古」とは単に時間的過去に逆戻りすることではない。古代の伝統精神の新たなる発見である。古代からの日本の伝統精神を復活せしめ硬直し腐敗した現代を一新する。これが維新である。

『古事記』の編纂もかかる維新の精神の基づいて行われたのである。太安萬侶(おおのやすまろ)は古事記序文において「古を稽(かむがへ)て風猷を既に頽れたるに繩(ただ)したまひ、今を照して典教を絶えなむとするに補ひたまはずといふこと無かりき」(いつの時代にあっても、古いことを調べて、現代を指導し、これによって衰えた道徳を正し、絶えようとする徳教を補強しないということはありませんでした、というほどの意)と述べている。これが復古即革新の精神である。

大化改新も明治維新も、神武建国への回帰・神武建国の精神の復興がその原基であった。式年遷宮が行われる本年こそまさしく維新の時である。

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千駄木庵日乗六月十五日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿執筆など。

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2013年6月15日 (土)

『有栖川宮・高松宮ゆかりの名品展』を拝観して

本日参観させていただいた『有栖川宮・高松宮ゆかりの名品展』は、「上野の森美術館の母体である日本美術協会は明治12 年(1879)に龍池会として発足し、明治20年(1887)に日本美術協会と名称を改めました。初代総裁に有栖川宮熾仁親王殿下、第二代に威仁親王殿下、そして昭和に入り第四代総裁に高松宮宣仁親王殿下を戴いてきました。今年、日本美術協会創立125 周年を記念して開催する本展では、有栖川宮家、高松宮家にゆかりの美術工芸品を中心に、両宮家の歴史や宮廷の雅(みやび)の一端をご紹介します。」との趣旨(案内書)で開催された。

短刀(銘・吉光)、錦の御旗、五箇条御誓文原本控(幟仁親王御筆)、有栖川宮家伝来の工芸品、和筆、書道お手本、印、熾仁親王御筆、高松宮宣仁親王・喜久子妃殿下御結婚聴許の昭和天皇勅書、束帯、五衣唐衣裳(いつぎぬからぎぬも)、和歌懐紙案「声」(宣仁親王御筆)、和歌懐紙案「道」(喜久子妃御筆)、有栖川宮家伝来のディナーセット、山崎朝雲の彫刻作品、喜久子妃御結婚調度の内裏雛飾りなど、高松宮家ゆかりの品々などを拝観。

学習院大学文学部史学科助教の田中潤氏はギャラリートークで次のように語った。

「公卿が何を以て天皇に仕えるかを家職と言う。(註・家職とは家によって世襲された職務や職能、官職を指す)五摂家は摂政関白として天皇に仕え、且つ、公卿を統括する。有栖川宮家の家職は、和歌と書道。和歌と書道は密接にして不可分。

有栖川宮家の血統が絶えたので、大正天皇の命により。宣仁親王が有栖川宮家の祭祀を継承された。喜久子妃殿下は、有栖川宮家の血統を引かれているので血縁も結ばれた。

『五箇条の御誓文』は有栖川御流で有栖川宮熾仁親王が書かれた。有栖川御流を継承できるのは皇族のみ。天皇が使われる書体を御流と言う。継承の際は勅許が必要。

衣冠と束帯とは異なる。十二単は重さが三十五㎏。着るのに三十分以上かかる。宣仁親王は喜久子妃殿下に、『お輿入れの時には葵の御紋のついたお装束でいらっしゃい』と言われた。

『有職故実』とは古いものを墨守するのではない。古いものを大切にしながら各時代で変化している。

喜久子妃殿下は有栖川宮家と一時朝敵になった德川家の血統を一身に受け継がれた。有栖川御流の書道は、秋篠宮文仁親王と常陸宮華子妃殿下が継承されている」と語った。

             ◎

『みやび』といふ言葉があるが、本日はそれを実感した。皇室と共に、日本の麗しい文化は継承され、磨かれてきたのである。皇室のご安泰を祈り奉るのみである。

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千駄木庵日乗六月十四日

午前は、母のお世話。

『政治文化情報』脱稿、印刷所に送付。

午後は、上野公園の上野の森美術館にて開催中の『有栖川宮・高松宮ゆかりの名品』展参観。学習院大学助教の田中潤氏による「有栖川宮・高松宮の宮廷文化―伝来の装束と家職をめくって―』と題するギャラリートークを拝聴。

帰宅後は、書状執筆など。

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2013年6月14日 (金)

マスコミが世の中を悪くしている

マスコミとりわけテレビと週刊誌は、視聴率と購読者を増やしたいがために、煽動的な報道を行います。大した問題でもないのに興味本位の報道をします。そのことがどれだけ世の中を悪くしているか計り知れません。

知る権利とか知らせる義務とかを振りかざし正義の味方面をして、弱い者いじめとしか思えない取材や報道を繰り返しています。今のテレビを一日中子供に見せたら確実にその子供は悪くなります。週刊誌も同じです。日本の国を悪くしているのは、マスコミであると言っても過言ではありません。そしてそのマスコミが正義の味方面をし、言論の自由を主張するのですから、困ってしまいます。

しかも、いまのマスコミは国家社会のために、このことはどうしても追及してほしい、報道してほしいということを無視する場合があります。テレビのチャンネルがとてつもなく増えても、言論機関としての使命を正しく果たしているとは思えません。

テレビや週刊誌は、言論によって国家社会に貢献するという使命感は希薄なり、視聴率稼ぎ、販売部数の増加がその最大の目的となっているのです。つまりは、営利至上主義であります。実態はそういうことであるにも関わらず、正義の味方面して言論の自由を言い立てるから腹が立つのであります。マスコミはよく「言論には言論を」と言いますが、それを言う前にまともな言論活動を行ってもらいたいと思います。特に皇室に関する報道は許し難いものがあります。今週号の『週刊新潮』はひどいものです。あれは「開かれた皇室」どころではありません。「暴かれる皇室」であります。

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『憲法懇話会』における討論内容

六月八日に行われた『憲法懇話会』における討論内容。

「元首は西洋から来た言葉。憲法に『天皇は元首である』と書きさえすれば日本の國體を言い尽くしたことにはならない」。

「国民投票は一種の儀式。政権交代の度に国民投票で争うことになるのは議会制民主主義の否定。国民投票ほど危険なものは無い」。

「中国が侵略の意図を示している現状で、九条改正を先行すべきであった。これにより一気に憲法改正が高まるはずであった」。

「今、憲法改正運動をすると國體破壊を助長するのみ」。

「皇室会議の法的位置づけを正しくすべし。現行憲法には皇室会議の規定なし」。

「皇室会議は、皇族、三権の長によって構成されるのだから、

内閣に属する機関ではありえない。内閣に上に立つ機関」。

             ○

小生いわく。ポピュリズムの時代に、「國體条項」も、二分の一で改正できるというのは危険である。「国民の八割以上は天皇制擁護だ」と言われるが、尊皇精神が希薄になっていることは確かである。そういう状況下で「天皇条項」「國體条項」が安易に改定できるようにするべきではない。

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千駄木庵日乗六月十三日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2013年6月13日 (木)

この頃詠みし歌

バスの中で我に鋭き眼を向ける中年男は何処のどなたか

虫の声も風吹く音もみなながらもののあはれの響きなるらし

霊園の若葉瑞々しく光りゐる梅雨の晴れ間の墓前法要

近代日本の歴史刻みし人々の御霊眠れる霊園に立つ

あまりにも醜く描かれてあはれなり大河ドラマの世良修蔵は

まるまると太りたる猫が薄目開け我を見つめつつ寝ころびてをり

飽食の時代なるかもまるまると太りし猫が餌食べてゐる

衰へたまふ母と共にぞ生きてゆく命の限り生きてゆくなり

前総統を獄につなぎて権力を謳歌する男を馬英九と言ふ

梅雨に入れど青空高く筋雲が真白にはしる爽やかさかな

父と共に病室にゐし人々は今頃如何におはすかと思ふ

看護士の心なき言葉今日もなほ忘れることなし月日経てども

怒りの念こみあげてくる夜の更けは筆とる腕(かいな)に力漲る

朝毎に一本の牛乳飲むことがならひとなりて漲る力

敵国に阿り領土を売り渡す老醜政治家その名は野中

静かにも余生を過ごせば良きものを利敵行為をする男あり

愚かにも老醜さらし利敵行為する男ありその名は野中

野中と古賀 その人相の卑しさよ 國売る輩は懲らしめねばならず

枯れし花をゴミ箱に捨てて蘇ることなき命を悲しみてをり

煙草吸はぬ日々の続けば臭ひすら嫌になりたり面白きかな

梅雨の朝子供らは列をつくりて登校す色とりどりの傘をさしつつ

やうやくに雨降りければうるほへる心となりて仰ぐ梅雨空

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千駄木庵日乗六月十二日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後六時半より、『萬葉古代史研究会』開催。小生が柿本人麻呂の挽歌を講義。

帰宅後も原稿執筆。

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2013年6月12日 (水)

日本の伝統精神の英知を取り戻さねばならない

現代社会は、思想とか信仰というものが、人間の心性の中に深く根ざしたものとして把握されるのではなく、洗脳という形で個人の中に注入される<イデオロギー>と化している傾向がある。それは人格破壊を招く機械的な洗脳と言う恐ろしさを持っている。

教義・教条とかイデオロギーが人格から分断され洗脳という形で多くの人々を支配することの恐ろしさは、共産中国や旧ソ連そして北朝鮮などという社会主義国家の歴史を見れば明白である。

近代科学技術文明は、自然を恐れず、自然を征服し作り替え破壊することによって、人類の進歩と発展を図ってきた。しかしその結果、原発問題・公害問題が深刻化するとともに核戦争の危機にさらされ、今日人間生活そのものが荒廃し、人類は破滅に向かって歩み始めている。わが国は原子力の平和利用と言われる原発で大きな惨禍を蒙り、軍事利用である原爆でも大きな惨禍を蒙った。だからこそ、こうした危機的状況を打開するために日本が貢献しなければならない。

樋口清之氏は「日本人は、一般的傾向として、経験的な知恵や合理的知識を分析や説明をこえた先験的・信仰的なとらえ方で身につける。このため近代分析科学的な理解方法しか身につけていない人からは、前近代的な迷信だと誤解されることもある。しかし分析に対する総合、対立に対する調和という伝統的な思考の中に、先人の生きざまの英知を各所で発見するのである。」(自然と日本人)と論じている。

 

今日の世界は、これまでの組織された体系を持つイデオロギーや教義では救い得ない末期的状況にあると言っていい。古い体系は次々に崩壊しつつある。我々の目標は、まともな日本を回復するために、日本の伝統精神の英知を取り戻さねばならないのである。

日本の伝統精神とは、イデオロギー・教条ではない。日本の自然と風土と生活の中から生まれた日本民族の自ずからなる歴史の精神である。自然に調和し大らかにして柔軟な精神が日本伝統精神である。

日本の道すなはち倫理精神・信仰精神は、教条的な形で理論として伝へられてきたのではなく、言葉の芸術である文藝(和歌や物語)によって伝へられてきた。『記紀』『萬葉集』はその典型である。

日本民族の生活態度の基本的特質、言い換えれば日本人の文化感覚を回復することが大切である。

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千駄木庵日乗六月十一日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

夕刻、国学神道研究者の方及びある出版社の方と打ち合わせ。

帰宅後も、原稿執筆。

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2013年6月11日 (火)

感謝しなければならないこと

昨日の『クローズアップ現代』は「三浦雄一郎氏の若さの秘密」というテーマだった。登場した医師が「六十代・七十代、八十代の人でも、買い物、掃除・洗濯、読書、原稿書きをしている人は、大脳前頭葉の委縮が防げる」と言っていた。私は、毎日、買い物、掃除・洗濯、読書、原稿書きのすべて実行してきているし、これからも実行し続けなければならない。そうした境遇であることを感謝しなければならない。合掌。

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日本國體精神と危機打開

わが日本は、共産支那の中華帝國主義・アメリカ覇権主義・北朝鮮の暴虐が渦巻く狭間にあって、祖国の独立と安全を守るために必死になって戦はなければならない。しかるに、日本国民の多くは日本の傳統精神、國體精神を忘却し、自信を喪失し、日本は内部から破壊されつつある。

しかし、日本がかかる危機的状況に陥ったのは、今が初めてではない。飛鳥・奈良時代も、江戸時代末期も、今日と同じやうな危機に遭遇した。そしてわが國はその危機を乗り切った。

飛鳥・奈良時代にも、今日で言ふグローバリズムの波がわが国に押し寄せて来た。しかし、日本はそんな波に呑みこまれることなく自立した国家を作り上げた。

飛鳥・奈良時代は、儒教や仏教をはじめとした外来文化・文明が怒涛の如く日本に流入してきた。日本は、さうした言はば当時のグローバリズムをたくみに対峙しつつ、日本独自の文化と政治を確立した。そして平安時代といふ長きにわたる平和の時代を招来せしめた。

日本の歴史の中で長期にわたって続いた平和な時代が二つある。平安時代の三五〇年と江戸時代の二五〇年である。これほど長期にわたって平和を持続させた国家は世界史的にも日本だけである。

また、江戸時代末期にも、同じような危機に際会したが、明治維新を成し遂げ、日本の独立を守り、近代化を遂げた。

つまり、わが国の歴史は、今日で言ふグローバリズムと対峙し、それを克服し、国家民族の独立と栄光を維持し発展させてきた歴史である。

その最大の要因は、天皇・皇室を祭祀主と仰いで國の統一と安定を確保するといふ強靭なる日本國體精神である。日本民族がグローバリズムの波に呑みこまれることなく、外来文化・文明を自由に柔軟に受け容れ、自己のものとしさらに発展させた基盤の中核が、天皇・皇室のご存在である。

わが國の建国の精神は、「八紘爲宇」の精神である。これは、世界は色々な民族・国家が連帯し共存する一つの家であるといふ精神である。また近代日本の父と仰がれる明治天皇御精神は、「四海同胞」の精神である。これは、世界の民は兄弟であるといふ精神である。日本は本来的に言葉の真の意味における平和国家である。

日本はその傳統信仰の靈的精神の偉大なる包容力によって、よく他國の宗教・文化・文明を取り入れてそれを融和せしめ洗練して、強靱にして高度な日本文化として開花せしめる力を持ってきたのである。

日本人の実生活に根ざす固有信仰の精神が、日本民族の同一性の実に強靱な基盤となってゐるからこそ、かへって日本民族は融通無礙・包容力旺盛な態度を保持し、排他性が希薄だったのである。

日本人の固有信仰の強靱さが、日本民族がグローバリズムの波に呑みこまれることなく、仏教のみならず外来文化文明を自由に受け容れ、自己のものとしさらに発展させた基盤である。そしてこれが日本文化の固有なる特質である。そしてその中核が、天皇・皇室のご存在である。

現代日本においても、強靱にして自由な日本民族の伝統的な文化感覚を発揮して、危機的状況を打開していかなければならない。

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千駄木庵日乗六月十日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後六時半より、グランドヒル市ヶ谷にて、『西村眞悟国政報告会及び激励会』開催。国政報告会は、小生が司会を担当、国歌斉唱の後、林慎平氏が開会のあいさつ。西村眞悟代議士が国政報告を行った。そして活発な質疑応答があった。激励会では、今村洋史、西田譲、三宅博の各氏らが挨拶。盛宴が行われた。

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挨拶する西村真眞悟氏

帰途、同志の方数人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2013年6月10日 (月)

第三十三回日本の心を学ぶ会のお知らせ

第三十三回日本の心を学ぶ会のお知らせ

演題 西郷隆盛の詩心

 

西郷隆盛は、木戸孝允・大久保利通と共に、明治維新三傑の一人とされています。中でも西郷隆盛は、当時の人々はもとより今日に至るまで多くの人々に敬愛され慕われております。維新変革運動を目指す我々は西郷隆盛の精神即ち「大西郷の精神」を学び継承すべきであります。西郷隆盛の言葉で最も人口に膾炙されているのは「敬天愛人」であります。天を敬い人を愛すという意味です。西郷隆盛を人格そして偉大なる足跡を、彼の遺した詩歌を通して学びたいと思います。是非とも皆様お誘い合わせのうえご参加いただけますよう宜しくお願いします。

【日 時】平成25年6月30日()開場午後5時45分開会午後6時

【場 所】文京区民センター2B会議室 東京都文京区本郷 -15-14 地下鉄 春日下車1分(大江戸線、三田線)、後楽園下車3分(丸の内線、南北線)、JR(水道橋)

【演 題】 第一部 ヘイトスピーチ法規制問題 講師 せと弘幸氏(せと弘幸ブログ日本よ何処へ)

第二部 西郷隆盛の詩心 講師 四宮正貴氏(四宮政治文化研究所代表)  

【参加費】資料代500円 終了後、近隣で懇親会(3千円くらいの予定です)

【連絡先】渡邊昇 090-8770-7395

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復古即革新即ち維新について

日本は外来思想・宗教・制度を取り入れて発展してきたが、日本の主体性を喪失しなかったのは、強靭なる保守精神が根底にあったからである。伝統の保守と、外来文化の受容は分かち難く一体であったと言っても良い。それは傳統と革新の一体であり、復古即革新即ち維新である。

根底にある文化伝統をあくまでも保守する姿勢は、如何なる変化や危機に遭遇しても、それを乗り切り、さらなる発展を遂げる原動力となった。このことは、「尊皇攘夷」を旗印として戦はれた明治維新断行後、明治新政府は開国政策をとり、外国特に欧米の文化文明を取り入れ、近代化を遂げ、発展した歴史に端的に現はれてゐる。

今日の日本は大きな転換点に立っている。激動の時代であり混迷の時代であることは確かである。かかる時においてこそ、目先の事象を見て右往左往することを慎み、物事を長い目で見る必要がある。わが國は悠遠の歴史を有している。三千年に及ぶ歴史を貫いて来たわが日本の傳統精神、民族の精神的核に立ち返って、現状を正しく観察し、変革の方途を見出すべきである。

我が國は過去において何回か國家的危機に際會し、見事に乗り越えて来た。外圧によって國家の独立が危殆に瀕した時、強烈な民族精神・尊皇精神が勃興し、変革を断行し、危機を打開して来た。

大化改新は唐新羅連合軍侵攻の危機があった時に行はれた。元寇=蒙古襲来の時、日本國民は愛國心を燃え立たせ神國意識を強固なものとした。それは建武中興へとつながった。明治維新は欧米列強による侵略の危機があった時に行はれた。

今日においてもわが國の本来の姿に回帰することによって、危機を乗り越えていかねばならない。必ず乗り越えることができると確信する。

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千駄木庵日乗六月九日

午前は、母のお世話。

午後一時より、靖国神社境内の靖国会館にて、『みことのり普及・講演会』開催。茂木貞純国学院大学神道文化学部教授・みことのり普及の会会長が「昭和二十一年元旦詔書と三島由紀夫」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。大変勉強になった。詳細は後日報告します。

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講演する茂木貞純氏

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

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2013年6月 8日 (土)

天皇と日本文化

日本人は、神を唯一絶対神として対象化し限定して把握しない。ありとしあらゆるもの、生きとし生けるものの無限定の命として把握する。かかる日本人の神観が、あらゆる世界宗教、外来宗教に対するおおらかにして寛容な日本人の包容性の原基である。日本文化の包摂力があると言ふことは、日本文化はそれだけ強靭だといふことである。

普遍的宗教とされる仏教がわが国に入ってくれば、わが国の伝統信仰は破棄されるはずなのだが、さうはならなかった。むしろ神仏は一体化してしまった。それが「神仏習合」であり「権現思想」である。

さうした日本人の姿勢を端的に表現したのが北畠親房の次の言葉である。「應神天皇ノ御代ヨリ儒書ヲヒロメラレ、聖徳太子ノ御時ヨリ、釋教ヲサカリニシ給シ、是皆權化ノ神聖(かみ)ニマシマセバ、天照太神ノ御心ヲウケテ我國ノ道ヲヒロメフカクシ給ナルベシ」(『神皇正統記』)

「權化」とは、神仏が衆生済度のために仮に姿を変えてこの世に出現すること。「神聖」とは、天照大御神の神威を体した神聖な人といふ意。つまり、儒教も仏教も「天照大神の御心」の仮の現れであると論じてゐるのである。

天皇は、ありとしあらゆるもの、生きとし生けるものの「命」として把握された日本の神々の祭祀主である。天皇を日本文化の中心と仰ぎ、天皇を日本伝統信仰祭祀主として仰ぐ精神は、日本文化・日本伝統信仰の主体性の核であると共に、外来文化・外来信仰受容の核でもあったのである。日本天皇において、外来文化・外来信仰は融合し同化しさらに高度に洗練されたのである。

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千駄木庵日乗六月八日

朝、デイサービスに赴く母を見送る。

この後、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後六時より、神田学士会館にて、『憲法懇話会』開催。高乗正臣平成国際大学副学長が座長。田尾憲男・慶野義雄両氏らと討論。内容は後日報告します。

帰宅後も、原稿執筆。

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2013年6月 7日 (金)

天皇・皇室と日本文化

『日本経済新聞』本年三月二十三日号に、『日本人の精神基盤 上田正昭さんに聞く』というインタビュー記事が掲載された。上田氏はそのインタビューで、室町時代に我が国の商工業者の間に広まった日本独自の信仰である「七福神信仰」を取り上げて次のやうに語った。「七福神を構成する神様のうち、えびすは日本由来ですが、毘沙門天、弁財天はインド起源の神様。大黒天はインド由来の神と日本の大国さま習合したもので、福禄寿と寿老人は道教の神、布袋は中国の和尚です。この神様たちを一緒に宝船に乗せて、福の神としてあがめてしまう。実におおらかな精神です」。

外来文化、外来信仰を大らかに柔軟に受け入れ、日本化するといふ姿勢は日本精神文化の特質である。「七福神信仰」がその象徴であるといふ指摘は初めて知った。私宅近くにも谷中七福神があり、新年には多くの人々が巡拝してゐる。

日本人は、外来文化、即ち儒教も仏教も、さらには、仏像も建築物も絵画も書も、ありとあらゆる文化をとり入れつつ、それを高め、自己のものとし、さらに世界何処の国にもない高度にして洗練された文化を形成した。

どうしてさういふことが出来たのか。それは日本人にきはめて強靭な主体性があったからである。日本人の主体性とは、排外主義ではない。偏狭な国家主義でもない。外来文化を包み込み、要らないものは排除し、必要なものは受け入れる姿勢である。

さうした日本文化の主体性の核が「天皇・皇室」であった。天皇を日本文化の中心と仰いで帰一し、天皇を日本伝統信仰祭祀主として仰ぐ精神は、日本文化・日本伝統信仰の主体性の核であると共に、外来文化・外来信仰受容の核でもあったのである。

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千駄木庵日乗六月七日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。医師の往診あり。

午後からは、在宅して、資料の整理、原稿執筆。

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日本文化の包容力について

日本は、四方を海に囲まれてゐる島国であるから、武力による侵略は受けにくかった。一方、大陸との交流は行はれた。わが国は閉じられた国ではなく開かれて國であった。海洋国家とは本来さういうものなのだらう。交流も、海を隔ててゐたので、何でもかんでも入って来る、受け容れるといふのではなく、うまい具合に取捨選択が出来た。日本の文化伝統に合致するもののみを受容して来たと言っていいのではないか。

わが国がさういふ大らかで開放的な国であった原因は、地理的環境のみではない。日本人は、あらゆるものに神が宿ると信じて来てゐる。山川草木国土全てに神の命が宿るのである。勿論人にも神の命が宿ってゐる。西洋宗教学ではかかる思想精神を汎神論と言ふ。

日本語の「カミ」のカは接頭語。ミとかムに意味がある。ミ・ムは霊的な力をいふといはれてゐる。ミは身であり実である。即ち存在の実質・中身のことである。強い霊力・霊威を持った存在のことをカミといふ。國語学上は上の方にゐるからカミといふといふ説は誤りであるといふ。

本居宣長は、「凡て迦微(カミ)とは、古御典等(イニシヘノフミドモ)に見えたる天地の諸の神たちを始めて、其を祀れる社に坐す御霊(ミタマ)を申し、また人はさらに云はず。鳥獣(トリケモノ)木草のたぐひ海山など、其餘何(ソノホカナニ)にまれ、尋常(ヨノツネ)ならずすぐれたる徳(コト)のありて。可畏(かしこ)き物を迦微(カミ)とは云なり、すぐれたるとは、尊きこと善きこと功(いさを)しきことなどの、優(スグ)れたるのみを云に非ず、悪(アシ)きもの奇(アヤ)しきものなどをも、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり」と述べてゐる。この考へ方が今日の神道学の神観となってゐる。

神に掛る枕詞は「千早振る」である。「チ」は霊のことであり、「ハヤ」は激しいといふ意、「振る」はふるへる意。霊が激しく振ふことをいふ。

漢字の「神」は象形文字で、偏の「示(しめすへん)」は、神へ供へ物を献ずる台の形を表す。つくりの「申」は稲妻の形を表す。即ち「神」といふ漢字は、雷を神として祀る信仰から発したのである。即ち日本でも支那でも「雷」は神として仰がれ恐れられたのである。

古代人にとって、太陽のやうな有り難い神もをられるが、雷のやうな恐ろしい神もをられたのである。宣長の云ふ通り、「悪(アシ)きもの奇(アヤ)しきものなどをも、よにすぐれて可畏(かしこ)きをば、神と云なり」なのである。

「カミナリ(雷)」といふ言葉は「神が鳴る」といふ意味である。歌舞伎にも「雲の鳴神上人」といふのが登場する。

日本人にとっての「神」とは奥行きが深く、幅が広い。だから、大陸から伝来した仏教・儒教を柔軟に受容したのである。日本人にとって、「神」も「仏」も「聖人」も、「尋常(ヨノツネ)ならずすぐれたる徳(コト)のありて。可畏(かしこ)き物」すなわち「迦微(カミ)」なのである。

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千駄木庵日乗六月六日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、資料の整理、書状執筆、原稿執筆など。

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2013年6月 6日 (木)

「夫れ警察は予防を以て本質とす」

警察の交通違反取り締まりのあり方を批判した古谷圭二国家公安委員長のお父さん古谷亨氏は、警視総監代理・初代内閣調査室長をつとめた内務官僚だ。古谷氏の批判は納得できる。

警察官は何故物陰に隠れて交通違反取り締まりをするのか。自分の成績を上げるためだろうと思われても仕方がない。違反防止、事故防止のための取締りなら堂々と姿を見せて取り締まるべきだ。罰金は警察の収入になるのか、国庫に納められるのか、それすら分からない。

川路利良初代警視総監は「夫れ警察は予防を以て本質とす」(『警察手眼』)と書いている。交通違反を無理矢理作り出して摘発の実績づくりにするのは絶対に間違っている。

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共産党機関紙に登場した元自民党幹部

自民党の要職にあった政治家及びその家族で、國體破壊政党・日本共産党機関紙に登場したのは小生の記憶では次の連中です。三木武夫元総理夫人睦子・野中広務元幹事長・佐藤信二元運輸相(佐藤元総理の息子)、古賀誠(元幹事長・前日本遺族会会長)。もっとほかにもいるかも知れません。こういう連中が自民党政治をおかしくした元凶であります。

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「野中訪中団」はまさに「売国奴・国賊支那訪問団」

わが國は、國民の道義心が頽廃し、祖國への愛も、親への尊敬心も、子への慈しみの心も、國民同士の信頼感も喪失しつつある。自國の歴史と伝統を蔑視し、祖國への誇りを喪失している國民が多い。

先帝・昭和天皇が『終戰の詔書』において「情の激する所濫に事端を滋くし或は同胞排擠互に時局を亂り爲に大道を誤り信義を世界に失ふが如きは朕最も之を戒む」と御懸念あそばされたことが現實のものとなっている。

わが國は一億二千萬という人間が日本列島に集團的に生きているに過ぎない状況になりつつある。個々人がバラバラにされて集團の中に埋没し、それぞれの欲望を満たすために生きることが、「自由で民主的な社會」ということになっている。メディアは偏向報道と俗悪出版・放送を垂れ流している。

現代の荒廃の根本的原因は、欧米列強による世界支配に唯一抵抗した聖戰たる大東亜戰争後のわが國において、戰勝國の日本弱體化を意図した占領政策が長く続き、わが民族の精神的誇りが破壊されたことにある。

しかも許せないのは、わが國民にして戰勝國の弱體化政策のお先棒を担ぐどころか率先して「日本解體」を實践する者共がいることである。そういった連中は今日ただ今も蠢いている。しかも「保守」「体制側」の「大物」と言われる政治家にそういう輩がいる。

政府・自民党の要職を務め、国政を牛耳っていた政治家に、敵性国家の手先になり、祖国を貶める人物がいる。その代表格が野中広務である。野中広務は、超党派の「訪中団」を引き連れた支那を訪問し、共産支那側との会談後に記者会見を開き、そこで「尖閣問題で日中間に棚上げの合意があった」と発言した。

支那側要人との会談の後、北京でその発言をしたのは、支那に迎合する行為であり、明らかに利敵行為である。共産支那側はすかさず野中の発言を利用し、共産支那外務省の報道官は四日の定例記者会見で「日本政府は野中氏のような人々の呼びかけに耳を傾けるべきだ」と褒め称えた。

共産支那は野中の発言を利用して、日本分断工作を開始したのである。田中角栄と周恩来が棚上げに合意しようとしまいと、尖閣はわが国の領土である。尖閣を侵略し盗み取ろうとしている国にわざわざ出かけて行って、「棚上げで合意した」などと発言するのは、売国行為だ。野中広務は類稀なる売国政治家である。

この訪問団には、古賀誠、仙谷由人という親支那の政治家が同行している。古賀誠元自民党幹事長は、天皇を君主と仰ぐ日本國體を破壊せんとする日本共産党機関紙「赤旗」日曜版六月二日号に登場し、憲法改正の発議要件を緩和する安倍内閣の憲法九六条改定の動きについて「絶対にやるべきではない」と述べた。國體破壊政党機関紙に登場した古賀誠も許し難い。

今回の「野中訪中団」はまさに「売国奴・国賊支那訪問団」である。

次のような歌を詠みました。

愚かにも老醜晒し利敵行為する男あり その名は野中

敵国におもねり領土を売り渡す発言をせし老醜政治家

静かにも余生を過ごせば良きものを 利敵行為をする男あり

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2013年6月 5日 (水)

千駄木庵日乗六月五日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後一時より、谷中上聖寺にて、『故荻島峰五郎儀二十三回忌法要』執行。読経・焼香そして墓参が行われた。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理など。

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天皇帰一の國體を明らかにして、外圧の危機を打開すべし

これまでの日本は外圧を排除するために変革を行なひ、それが成功し、発展した。大化改新、明治維新はさうした変革であった。

大化改新は、白村江の戦ひがあっても、唐の文化や制度を取り入れ改革を行ひ、唐との対等関係を樹立した。明治維新は、攘夷が開国となり、鹿鳴館時代を現出した。それは攘夷のための開国であった。即ちわが国は西欧列強の侵略を排除するために西洋科学技術・近代資本主義を取り入れて近代化を遂げた。日清・日露戦争に勝利し、大清帝国・ロシア帝国によるわが国に対する圧迫と属国化の危機を排除した。

しかしその後、アメリカは、わが国に対する敵対姿勢を明確にして、外交的・軍事的に圧迫し続けた。そして遂に大東亜戦争に突入し、わが国は敗北した。

大東亜戦争後、わが国は戦時中の「鬼畜米英」から大転換して「アメリカ万歳」となり、『憧れのハワイ航路』が大ヒットする国になった。変はり身が早い。これが良いことなのか。日本の柔軟性・強靭性なのか。ともかく戦後はアメリカの事実上の従属国になった。そして、「繁栄」と「平和」を謳歌して来た。

しかし、いつまでもアメリカの従属国のままでいいはずがないし、国際情勢はそれを許さなくなってゐる。その上、共産支那による軍事的脅威が高まってゐる。

「天は自ら助けるものを助ける」といふ言葉がある。グローバル時代における「第三の開国」といふ危機を克服し乗り切るためには、祖国日本の回復、日本の道統の回復、日本国家・日本民族の総合的力量の回復が断行されねばならない。

対米自立・対共産支那の圧迫の排除を実現するには軍事的には「日本の核武装」しかないと思ふ。しかし、それは可能なのか。アメリカが容認するのか。

幕末期の『黒船来航』は、グローバリズムの威力だったと言はれている。確かにさうであったらう。その時、日本国民は朝野を上げて「国家意識」に目覚め、「尊皇攘夷」の精神で国家を確信し、その後、「尊皇開国」の精神で近代化を遂げ、危機を乗り切った。今の日本人も、明治維新そして遠くは大化改新に学ばねばならない。

今日わが祖国日本及び日本国民は、グローバル化の潮流に押し流されないために、そして共産支那・ロシア・南北朝鮮の圧迫に押し潰されないために、確固たる祖国愛・国家意識を回復しなければならない。

日本は外圧を克服するための変革を実現することによって発展してきた国である。明治維新・大化改新と同じやうに、国家的危機が迫る状況の今日こそ、祖国日本が飛躍しさらなる発展を実現する機会なのである。

皇室は、神代以来の悠久の歴史を有する。明治維新前夜の國家的危機に際して日本民族は、日本國家・民族としての一體感・運命共同意識中心に古代からの國家の統一者である天皇を仰ぎ國内的統一を達成して國を救はんとした。國民の同胞意識・連帯感、そして外敵に抗するナショナリズムの中心には天皇を仰いだ。徳川幕府を打倒し天皇中心の日本國本来の在り方に回帰する変革即ち明治維新によって日本は國難を打開した。

現代においても基本原理は全く変はらない。天皇帰一の國體を明らかにして、外圧の危機を打開しなければならない。

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千駄木庵日乗六月四日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』編集の仕事、原稿執筆。

夕刻、谷中寺町にて、上京された友人と懇談。国学院大学にて国文学を学んだ方。現在、ある町で市長を務めている。地方都市と東京特別区との財政の格差や新自由主義に対して強い批判をされていた。

帰宅後は、諸雑務。

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2013年6月 4日 (火)

「萬葉古代史研究會 」のお知らせ

萬葉古代史研究會

小生が講師となり『萬葉集』を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

日時 六月十二日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館 東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円  

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。

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天皇へのご奉公が日本道義精神の基本である

天皇及び國家のために<滅私奉公>の誠を尽くすという道義精神が一切の徳目を包摂する。日本民族の倫理観は、「清明心(きよらけくあきらけき心)」を道義の根本とした。そしてその「清明心」の体現者として天皇を仰いだ。天皇を限り無く仰慕し、祖國を限り無く愛し、天皇及び國家のために私心無く奉仕する誠の心、即ち<滅私奉公>の誠を尽くすという道義精神が、親孝行・兄弟愛・夫婦愛・友愛・人類愛などの一切の徳目を包摂する。

 わが國では有史以来、共同体全体そしてその中心者たる天皇への奉仕の心すなわち<滅私奉公>が最も大切な道義心とされた。神聖なる信仰共同体の体現者・中心者・統率者が天皇であらせられるから天皇への無私なる帰属意識が究極の道義なのである。それは権力への屈従ではなくして、柔らかな優しいおのづからなる仰慕の心・むすびの心である。

 

権力國家を統制するのは成文法と権力であるが、信仰共同体國家は信仰と道義が基本である。そしてその中心者が天皇であらせられる。わが國の道義精神の中核は天皇にまつろひ奉るか否かにある。

西欧において理性的存在者たる自我を拡張し、或いは自我を実現することを根本と考えるのとは対照的に、わが國では『私』を去り『我』を無にすることを大切にしている。天皇は、日本民族の長い歴史の中で、清明心の根源、無我の体現者、日本人の『道』の中心者として君臨されてきた。これは、日本人だけでなく、全人類のかけがえのない宝である。

「個の確立」という美辞麗句があるがそれは有り体に言えば、「自分さえ良ければいい」という考え方である。これは、<滅公奉私>の心といってよい。戦後日本では、こういう考え方が正しいとされて来た。

 戦後日本で言われ続けて来た「個の確立」「主体性の確立」は<戦後民主主義>の精神的支柱であるが、「個」や「自我」というものを如何にとらえるかが大事である。正しき人間観・國家観の確立なくして、正しき「個の確立」も「主体性の確立」もあり得ない。道義精神なき「個の確立」は欲望民主主義に陥り、正しき國家観なき「個の確立」は利己主義となる。それが今日の日本の姿である。

戦後日本は「愛國心」とか「國家への忠誠」ということを「悪」として否定して来た。「みんなのため」とか「國のため」という意識が希薄になっている。ここに今日の混迷の根本原因がある。

混迷の淵にある祖國日本を起死回生せしめるには、戦後戦勝國によって押しつけられた「民主主義」を否定し、わが國の伝統的な國家観と道義精神をすなわち<滅私奉公>の心を回復せしめなければならない。それが文字通り専制と隷従、圧迫と偏狭を永遠に除去し、わが國國民が真の平和と自由を獲得する道である。

和辻哲郎氏は、「日本は人倫国家であり、その中心は天皇の神聖なる権威である。人々は天皇の神聖なる権威を通じて正義を自覚した。ここからしてこの権威による政治が正義の実現としての人倫国家の創成にまで展開して行く所以も理解せられる」と論じておられる。(『日本倫理思想史』)

私心を滅して全体に奉仕することが日本道徳の基本である。そしてその全体の統一性を体現される方が天皇である。だから天皇へのご奉公が日本道義精神の基本なのである。

鏡のように清らかな心を尊ぶわが国伝統信仰は、「鏡」を御神体として拝んだ。『神皇正統記』に「天照大神もたゞ正直をのみ御心とし給ふ」「鏡は一物をもたくはへず、私の心なくして万象を照らす。……これ正直の本源なり」と書かれている。「私の心なき清明心」こそが「神ながらの道」である。その「清明心・神ながらの道」を体現される御存在が祭り主日本天皇であらせられる。

新渡戸稲造氏は「我々にとりて天皇は、法律国家の警察の長ではなく、文化国家の保護者(パトロン)でもなく、地上において肉身を持ちたもう天の代表者であり、天の力と仁愛とを御一身に兼備したもうのである」(『武士道』)と論じている。

共同体は、それを構成する人々の相互信頼と協力によって成り立つ。しかし現実には人々の私利私欲の追求によって相互信頼と協力は屡々破壊される。それを抑制するためには、共同体を構成する人々の利害を超越した神聖性・道義性を持つ「無私なる倫理性の体現者」が必要となる。それがわが国においては共同体の祭祀主たる天皇であらせられるのである。 

戦後及び現代日本において、戦勝国の日本弱体化政策、さらに共産革命勢力・偏向マスコミ・学者文化人によって、天皇及び御皇室の神聖性・尊厳性が破壊され続けてきた。それが今日のわが国の道義頽廃の根本原因である。

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千駄木庵日乗六月三日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、諸雑務。

午後四時より、西荻のたちばな出版にて、『伝統と革新』編集会議。談論風発。

帰宅後は、資料の整理など。

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2013年6月 3日 (月)

千駄木庵日乗六月二日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、『月刊日本』連載の「萬葉集』講義原稿執筆・脱稿・送付。『伝統と革新』編集会議の準備など。

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2013年6月 2日 (日)

日本の神について

「かみ(神)」の語源も色々な説がある。「カ」は接頭語であり、「ミ」は語根。「ミ」は漢字で「實」「身」と書かれるやうに、中身・實在そのもの・力のある存在・無形のカオス(天地創造以前の世界の状態。混沌)・靈威ある存在のこと。神は「上」の方にゐる存在だから「カミ」といふとの説は國語學的には誤りであるとされる。

神には、自然神・呪物神・人格神・祖神がある。日本の神々は、自然神と祖靈神とに大きく別けられる。この両方の性格を具備してをられる神が天照皇大御神であらせられる。天照皇大御神は、太陽神といふ自然神であると共に皇室の御祖先神であらせられる。

日本の神々とは何か強い力を持ってゐる存在をいふのであって、必ずしも完全円満な存在ではない。まして絶対無謬の超越的唯一神ではない。      

「神」の枕詞は「千早振る」である。「チ」とは靈のこと。「ハヤ」は「疾風(はやて)の如く」といふやうに激しい状況。「フル」は震へるといふ意。だから「千早振る」とは、神靈が激しく震へるといふ意である。また「フル」は體に触れる・密着するといふ意味もある。      

                                    

折口信夫氏は、「いつ(四宮註・靈の権威・力)といふ語は、音韻変化してウチとも又イチともなります。ちはやぶるといふ枕詞は、いちはやぶる・うちはやぶるなどといふ語の第一音の脱落した形です。古事記の倭建命の東征の條にも、『うちはやぶる人』といふ語が出て來ます。亂暴する人といふことです。はやぶるといふのがその意味で、威力ある靈魂が暴威を發揮することがちはやぶるです。…神の中に暴威を振ふ神が多い。…さういふ觀念から、枕詞として、ちはやぶるが出來ました。」(神々と民俗)と論じてゐる。

 近世の國學者・本居宣長は「神」を非常に分かりやすく次のやうに定義してゐる。「(鳥でも獣でも海でも山でも木でも草でも)何にまれ、尋常ならずすぐれたる徳のありて、可畏き物を迦微(かみ)とは云ふなり」(何物でも、普通ではなく優れた徳があって、おそれおおいものを神といふのである)と。

「神」とは、人知では計り知れない靈妙なる存在のことである。日本人は古代より、祭祀や祈りの対象とされるかしこき存在を「神(かみ)」と言った。

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「天皇」といふ御称号について

天皇陛下の御事を「大君(おほきみ)」と申し上げる。日本國民を支配してゐた多くの地方支配者たちをさらに統合された國家的統治者即ち天皇を「おほきみ」と申し上げた。ただし『萬葉集』では、天皇だけでなく親王なども「大君」と称し奉ってゐる。

 天皇を「おほきみ」と称し奉ったことは、西暦六〇〇年を第一回として四度にわたって支那の首都長安を訪れた遣隋使による日本國内の報告が記されてゐる支那の『隋書・東夷伝』の記録にも残ってゐる。

 「おほきみ」に「天皇」といふ御称号が用いられるやうになったのは、推古天皇の御代である。「天皇」の最古の用例は、推古天皇十五年(六〇七)の銘がある法隆寺薬師如来光背銘に「大王天皇」とあるものである。また、同年、遣隋使が持参した國書には「日出処天子」とあったのが、翌十六年の國書では「東天皇」となってゐる。「日出処天子」が「日没処天子」に対せしめてゐるやうに、「東天皇」は「西皇帝」に対せしめてゐるのであって、わが國家意識の旺盛さを物語る。

 「おほきみ」「すめらみこと」を表現するために「天皇」といふ漢字を用いたのは、國内的には各氏の長や地域支配者=國造などとの君臣の分を正し、対外的には支那の皇帝に比べてその地位の優位性を示し、各國と対等以上の外交を行ふためであった。

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皇室に対する慎みの心を持たずして、何が國體護持か、尊皇か!

最近の皇室論を読むと、國體護持の立場に立つと思われる人の中にも、時にとんでもないことを言い出す人がいる。「正田王朝」「小和田王朝」などと言ったり、畏れ多いが「皇太子同妃両殿下は離婚されるべきだ。それができなければ、皇太子殿下は皇位継承権を放棄すべきだ」などという意味のことを主張する人もいる。さらには、「皇室の大祓いを行うべし」と言う人もいる。また「自分の主張と違った皇室は存在しなくなった方が良い」という意味のことを言う学者さえいる。いかに、國體護持の立場に立ち、皇室を思っての発言であったとしても、このような主張をすべきではない。

私も色々な人々の皇室論・天皇論を読んでいるが、書いている人が本当に尊皇の心を持っているかを疑いたくなるような文章がある。自分たちは皇室をお護りし、國體護持を念願しているのだから、皇室に対して苦言を呈するのは当然だと思っているような、皇室への慎みの心を持たない主張もある。

そういう人たちに対しては、皇室に対する慎みの心を持たずして、何の國體護持か、尊皇かと言いたい。

日本武尊・楠公精神・山崎闇斎の絶対尊皇精神の回復こそが今一番大切である。

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明治維新と現代

大化改新と明治維新は共通する面が多い。それは外圧の排除であり、政治体制・法体制の整備であり、外國文明・文化の輸入である。大化改新後の律令國家体制は明治維新後の明治憲法体制と相似である。

維新のことを日本的変革といふ。日本の伝統精神に基づいた変革が維新であり、日本の本来あるべき姿(天皇中心の國體)を明確にする変革が維新である。維新と革命の違ひは変革の原理を天皇とするか否かである。ゆへに明治維新は革命ではない。

また、神武建國の昔に回帰せんとした明治維新は単なる政治変革ではない。日本の道統への回帰である。そして日本の道統への回帰がそのまま現状の変革になるのである。これを「維新とは復古即革新である」といふ。

徳川幕藩体制から天皇中心の統一國家への転生は、体制変革のみならず、精神の変革がその根底にあった。日本國家の発展と安定の基礎は、天皇中心の信仰共同体としての日本國體が、現実の國家運営の基盤として正しく開顕してゐることにある。

わが國の歴史が始まって以来、日本國家を統合する<核>が天皇である。急速な変化と激動の中で、わが國が祖先から受け継いだ伝統を守り、かつ変革を為し遂げた<核>が、天皇のご存在であった。わが國は、どのやうな困難な時期においても、常に伝統を守り、統一体としての國家民族を維持し、かつ、新しいエネルギーを結集して國家変革を行った。その<核>が天皇であった。

天皇中心の國體を正しく開顕し、天皇を國家の中心に仰いでこそ、日本國の主體性は確立され、外國の侵略を撃退し祖國の独立を維持することができる。

事実、明治維新断行後、天皇を統治者として仰ぎつつ、封建的身分制度は廃止され、廃藩置県によって統一國家が建設され、帝國憲法の発布・議会政治が開始された。そしてわが国は、欧米列強の支配下に置かれることはなかった。

わが國の歴史において、日本國民の価値判断の基準は天皇を中心とするわが國體精神であった。特に政治・倫理・文化など國家民族形成の基本においてしかりであった。

共産支那や南北朝鮮の「傲慢無礼」な反日政策・対日侮蔑外交が繰り返されている今日、わが國民は、「民族の正気」を回復し、屈辱と汚名を晴らす行動に出なければならない。

外患に当って、神祭神事を盛んにするのは、わが國の伝統である。現代においてこそ、祭祀主日本天皇の真姿が開顕されるべきである。今こそ天皇を中心とした國家の回復を目指す皇道大維新運動を繰り広げねばならない。

明治維新の真義は、『五箇条の御誓文』に示されている。天皇の精神的権威を高めて、全國民的な独立意識・統一意識を固め、議会を開き、海外文化・文明を受容し、近代國家として前進していくというのが『五箇条の御誓文』のご精神であり、近代日本の國是であった。

『五箇條の御誓文』(明治元年三月十四日)には、

「廣ク會議ヲ興シ萬機公論ニ決スへシ」

「上下(しょうか)心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ」

「官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦サラシメンコトヲ要ス」

「舊來ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ」

「智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ」

と示されている。(経綸とは、国家を治めととのえること。天下を統治すること。また、その施策。皇基とは、天皇が国家を統治する事業の基礎。皇国のもとい)

『五箇条の御誓文』は、近代日本の政治体制のあるべき姿を指し示すものであった。

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2013年6月 1日 (土)

千駄木庵日乗六月一日

朝、デイサービスに赴く母を見送る。

この後、諸雑務。

午後十二時より、青山霊園にて、『無名烈士墓前法要』執行。読経・焼香の後、施主の頭山興助氏が挨拶。続いて、頭山満氏のお墓参拝。頭山興助氏がし謝辞を述べ、小生が青山霊園及び谷中霊園に眠る人々のことを少し話させていただいた。この後、直会。談論風発。

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挨拶する頭山興助氏

帰宅後は、原稿執筆。

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『東京大薪能』における半田晴久氏の講演内容

五月十五日午後六時より、西新宿の東京都庁舎・都民広場にて行われた『東京大薪能』(世界藝術文化振興協会主催)における半田晴久氏による「入門能楽鑑賞講座」と題する講演内容は次の通り。

「舞台の上は白足袋でなければならない。他の舞台藝術と比較しなければ入門にはならない。オペラ・クラシックバレー・京劇とどこが違うのか。『能』は①省略の藝術。②序破急の構成。③シテ一人の能役者が男女・化け物・女子・子供・妖精の役を演じる。最小限度の動きによって喜び・悲しみを表現する。シテの一点に集中。作中人物の心に観客の心を集中させるために省略する。高度な藝術表現が要求される。『能』は計算された非常に高度な芸術。

室町時代はいぶし銀の美しさの時代。老子は儒教と相対する。『無為にして為さざるは無し』。学問をする者はプラスになるものを学ぶ。道を求めるものは色々なものを捨ててゆく。人為的なものがなくなって、無為であれば出来ないものは無い。世阿弥が記した『能』の理論書『風姿花伝』に『秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず』とある。老荘思想を芸術論にした。老荘思想は中国思想だが日本人に合う。京劇は全て目立ちたがる。『能』は最小限の動きで最大限のものを訴えようとしている。こういう美意識は世界のどこにもない。『能』は、アンコールワットでも、ピラミッドでも、都庁前広場でもフィットする。

狂言がなければ『能楽』にならない。シンフォニーのスケルツォと同じ。背景の松の木には神が降りてくる。自然の動きも序破急になっている。西洋音楽をしている人は序破急が出来ない。

一人の能楽師が全ての役を演じる。男の声のまま女を演じる。声色を使わない。無尽蔵の表現方式。舞台藝術の究極の内面性を持つ。『能』は我々の宝物。日本人は誇りを持たねばならない。『風姿花伝』は六百年経っても教科書にしている。普遍的美意識。八十、九十歳の能役者にも藝が磨かれた美しさがある。老人が演じても花がある。年をとればとるほど味が出る。和歌・俳句と共通する」。

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千駄木庵日乗五月三十一日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。朝鮮戦争の時期における共産党及び朝鮮総連による武装闘争、都議選、夫婦共働き、職場結婚のことなどが話題になる。

午後から在宅して、原稿執筆・諸雑務。

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