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2013年5月18日 (土)

憲法は必ず、日本立國以来の歴史の中に培われてきた國體に立脚しなければならない

最近、憲法改正案が各方面から出されているが、甚だ残念なことであるが、最も大切である國體条項は、『現行日本國憲法』の基本であるところの「國民主權論」を踏襲しているものが多い。

西洋法思想における「主權」とは「領土や國民を支配する國家の權力」「國家として持つ最高獨立性」のことであり、憲法上最も重要な意味は「國家の意思を最終的に決定する權力」であるとされている(伊藤正己著『注釈憲法』)。

特に、「主權」が、「天皇」にあるか「國民」にあるかを、論議すること自體日本の傳統的な考え方・國體觀とはなじまないと考える。

『現行占領憲法』は『大日本帝国憲法』の第一条から第三条までの成文化された国体法を抹消した。さらに、『占領憲法』は、『大日本帝国憲法』には無かった「国民主権」を明示した上「天皇の神聖性」の規定を削除した。

『現行占領憲法』に貫かれている国家を権力支配組織とする西洋法思想は、日本の国柄とは絶対に相容れない。なぜなら日本国は権力国家(統治権力組織)でも利益国家でもなく天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀国家であるからである。

西洋法思想においては「主権」とは最高絶対排他的な支配権力とされる。かかる「主権」論から「主権は国民にある」とか「君主にある」とかという対立的な考え方が発生する。しかし、日本国は権力支配組織ではないのだから西洋的主権論はあてはまらない。

天皇が日本國の君主であらせられるという國體法(不文法)は日本國建國以来不変である。天皇は日本の長い歴史を通じて「統治者」として君臨されていたということである。日本国の統治大権は建国以来天皇にある。そして天皇統治とは権力支配ではなく、信仰共同体(人格国家)を「しろしめす」即ち精神的に統合するという意義である。断じて権力行為ではない。

 

天皇は日本國の統治者であらせられ、神聖不可侵の御存在であられることを明確に規定した正統なる憲法に回帰すべきである。

日本の伝統的國家観・君主観とは絶対的に相容れない原理で成り立っている『現行憲法』が長く続けば続くほど、麗しい伝統的な日本の國柄が隠蔽され続けることとなる。これが現代の混迷の根本原因である。日本國の建國以来の國柄へ回帰し、現代の混迷を打開しなければならない。國家の基本法典たる憲法は必ず、日本立國以来の歴史の中に培われてきた國體に立脚しなければならない。

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