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2013年5月 1日 (水)

言霊信仰と現代

現代ほど言靈が軽視されてゐる時代はない。現代日本においては、文藝においてすら言靈を喪失してゐる。さまよへる魂を鎮め、鎮魂し、再生させるために、やまとことば・言靈の復活が大切である。

いのちが枯渇し言靈が失はれた言語が氾濫する情報化時代の現代においてこのことは重要である。現代においても、和歌や俳句といふ日本傳統文藝は多くの人々によって継承され愛好されてゐる。しかし、命ある言葉・言靈は不足してゐるのではないだらうか。

言靈の復活が世の乱れを正す大いなる方途である。言葉の問題は、「品格」とか「ヒューマニズム」と言った次元のことではない。日本民族の道統の問題である。今こそ、魂のこもったやまと歌が多くの人々によって歌ひあげられなければならない。澄み切った魂の宿る「やまと言葉」が発せられなければならない。そして言靈の幸はふ國を回復しなければならない。

わが国には、「言事不二」といふ言葉がある。「言葉と事実と一致する、言葉と事実は二つではない一つである」「存在は言葉である」「言葉に出したことは実現する」といふ意味である。

豊田國夫氏は、「古代日本人は、言葉に内在する言語精靈が、その靈妙な力によって人の幸不幸をも左右すると考えていた。…彼ら古代人にとって、言葉は、現代のある種の人々が主張するような、単なる媒介、符号物ではなく、もっと人間や事物と切実な関係をもった、生きたものとして感じていたのではなかったか。つまり彼らにとって、言葉は事物と一体をなすものであった」(『日本人の言靈思想』)と論じてゐる。

國家的危機に瀕してゐる今こそ、言葉を正さねばならない。やまとことばの復興、言靈の力による國の再生が図られなければならない。一切の改革・変革の基本に、言靈の復興がなければならない。言葉は神聖である。靈力が宿ってゐる。従って、言ったことは実行せねばならない。実行できないことは言ふべきではない。外敵から日本國を守る運動であればなほさらである。自分には出来もしない言葉は発するべきではないと思ふ。それは、「知行合一」の思想にも直結する。

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