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2013年5月16日 (木)

「大和心」を興起せしめねばならない

偏狭なナショナリズムは良くないとか、健全なナショナリズムは良いとかいう議論があります。一体、偏狭とはどういう事なのか、健全とはどういう事なのかはっきりしません。ナショナリズムとは、「ある民族ある国家が他国他民族から圧迫を受けた時にそれに抵抗する精神及び行動」と定義されると思います。

わが日本は今日まさに支那および朝鮮半島から外交的・軍事的圧迫を受けています。これを跳ね除けるために国民が一致団結して事にあたるのは、偏狭では決してありません。当然のことであります。独立国家として健全なあり方であります。

ナショナリズムとは、国語で言えば愛国主義・民族主義という事になるのでしょうが、戦後日本は余りにも愛国主義・民族主義を忘れ果ててきたのではないでしょうか。やまとごころ・やまとだましいの復興こそが今最も大切であると思います。やまとごころは決して偏狭にして独善的な精神ではありません。

日本は今日、文字通り有史以来未曾有の危機にあると思います。今こそ日本國民全体がナショナリズム・愛國心を発揮して國難に当たるべき時である。 

「しきしまの 大和心を 人問はば 蒙古のつかひ 斬りし時宗」 

これは村田清風の歌です。村田清風は長州の人。文化五年(一八〇八)二十六歳にして藩主・毛利齋房の近習になる。藩の制度改革・財政確立・士風作興に功績があり、國學明倫館を建て、江戸藩邸に有備館を建て、學問を振興させました。安政二年(一八五五)に七十三歳で病没しました。

本居宣長の「しきしまの大和心を人問はば朝日に匂ふ山ざくら花」を本歌取りした歌であります。北條時宗が弘安二年わが國に朝貢(日本が貢ぎ物を差し出して元の属國になること)を求めて来た元の使者を博多で斬りました。この時宗の行為を大和心の典型であるとして讃えた歌です。

今こそ、われわれ日本民族は、こうした戦闘的「大和心」を興起せしめねばならないと思います。これは偏狭でもなんでもない。国民として当たり前の姿勢です。

外患の危機を乗り越えるには、唐新羅侵攻の危機・元寇・明治維新の危機を乗り切った我が國の歴史に学ぶことが大切であると考えます。

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