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2013年5月 9日 (木)

日本と沖縄は太古より一体である

沖縄県民には、「沖縄は薩摩に苛められ、先の大戦で犠牲になり、戦後は異民族の支配を受け、現在も米軍基地で被害を受けている」と主張し、「沖縄は常に日本の犠牲になって来た」という「反日感情」を持っている人がいる。

しかし、沖縄の歴史は、悲劇ばかりではない。十五、六世紀には琉球王國が海洋民族として雄飛した世界に光り輝く歴史がある。また、日本列島の最も古い人間の化石は琉球から出ているという。太古の歴史を見ると日本との関係が実に深い。日本民族のルーツの一つは沖縄であり、日本伝統信仰も沖縄から来ている部分が多い。

折口信夫氏は、「元々我々『本土日本人』と毫も異なる所なき、血の同種を沖縄びとの上に明らかにすることなく、我々は、今まで経過して来た。…我々の祖先の主要なる者は、曾ては、沖縄の島々を経由して、移動して来たものであった。其故、沖縄県の島々及び、其北に散財する若干の他府県の島をば、日本民族の曾て持ってゐた、最も古い生活様式を、最も古い姿において伝へる血の濃い兄弟の現に居る土地である。」(沖縄を憶ふ)と語り、岡潔氏は、沖永良部の子守歌をピアノで聞いて懐かしいと思ったとその著『春風夏雨』に書いている。

日本民族信仰の伝統的ロマン精神(他界への憧れ)は、北方から来た「天上への憧れ」の心と共に、南方から来た「海の彼方への憧れ」の心を持っている。だから天も海も「アマ」と云うのである。

我々日本民族は、ポリネシア的な海洋民族が基盤にあり、鉄器文化を持って朝鮮半島を経て北方から来た人々と、太陽信仰と稲作文化を持ってマレー半島あたりから沖縄を経て来た人々、の三つが合体したものと云われている。太陽信仰及び稲作は日本民族の伝統信精神基本であり、それは太古に「海上の道」を沖縄を経由して日本に来たのである。 

沖縄古代信仰も水平線の彼方に「神の國」があると信じた。その「神の國」を「ニライカナイ」と云う。これは日本民族の海の彼方へのロマン精神と同じである。

『古事記』によれば、天孫・邇邇藝命の御子・火遠理命(ほをりのみこと・海幸彦)は失った釣針を探すために「綿津見の神の宮」(竜宮城)に行き、海の神(綿津見の神)がその釣針を探し出してくれる。そして、海の神の姫である豊玉売命(トヨタメヒメノミコト)と結婚する。

「綿津見の神の宮」は鹿児島の海の彼方にあるとされるのだから、沖縄以外に考えられない。そう言えばおとぎ話の絵に出て来る竜宮城は沖縄の首里城にそっくりである。 

さらに、神倭伊波礼比古命(カムヤマトイハレヒコノミコト・神武天皇)は、火遠理命と豊玉比売命の間に生まれた鵜葺不合命(ウガヤフキアヘズノミコト)と豊玉比売命の妹である玉依比売命(タマヨリヒメノミコト)との間に生まれた。日本の初代天皇・神武天皇の母方の御祖先は沖縄にいました神なのである。

これは『古事記』のみに記されている伝承ではない。沖縄本島北部の伊平屋島という島には、古代大和の太陽信仰・山岳信仰と同じ信仰がのこっており、島の北部西海岸には籠屋(くまや・別名天の岩戸)と云われる洞窟があり、ここで神武天皇が生まれられたという伝承がある。

古代日本人が南方の海の彼方に憧れたからこういう神話が生まれたのである。それは自分たちの祖先が遠い昔にやって来た故郷への思慕だったのである。『教育勅語』に「我ガ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠」と示されている。沖縄の太古の歴史はこれを証しする。 

このように、日本民族のルーツの一つの流れは実に沖縄にあったのである。「沖縄が天皇制日本に組み込まれたのは近々百年に過ぎず、それ以前は沖縄独自の文化・政治圏を形成していた。天皇は如何なる意味でも沖縄の文化や伝統の体現者ではない」という主張は全く誤りである。

沖縄が、日本及び日本天皇を否定することは、沖縄の太古の歴史と信仰を否定することになる。悠久の古代史を正しく認識すれば、日本と沖縄は一体であることが分かる。

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