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2013年4月 7日 (日)

『國體政治研究会』における梅澤昇平氏の講演内容

三月三十日に行われた『國體政治研究会』における梅澤昇平氏の講演内容は次の通り。

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「二十歳の頃から、民社党に入り、何時も気がかりだったのは皇室の問題であった。国柄と民主社会主義はどうからむのか、であった。それがすっきりしたのは、御大喪の礼の時に、民社党の『謹話』を作った時だった。当時の永末英一委員長は、政党党首としてはただ一人武蔵野御陵までお伴をし、陵所の儀まで参列した。

いわゆる『天皇制』と共産党についての論文はたくさんある。共産党以外の社会主義者が『天皇制』と関わったかについてはあまり無い。社会主義という言葉が死語になっている。私がよく訪れる国会図書館の六階食堂から社会文化会館が見える。社民党はひとケタの政党になり、存在感無し。民主党の中に社会党の部分がなだれ込んだ。横路・輿石がまだいる。労働運動では連合の中の日教組・自治労に社民党系・共産党系がある。百万を超える組合員がいる。反原発・沖縄・食の安全などの運動をしている。無視できない。憲法改正反対でも騒ぎ出す。これと戦わねばならない。

日共はコミンテルン日本支部として発足した。昭和六年の満州事変で社会主義者が変わった。民族主義的立場にならざるを得なくなる。さらに昭和二十年の敗戦で変わった。社会主義の定義が問題。共産党から北一輝まで社会主義と言われる。共産党と北一輝は社会主義から排除すべしという意見がある。私は幅広く、日共から北一輝まで入れる。岡本幸治の北一輝論は素晴らしい。北一輝が二十歳代に書いた『改造法案』とベースは昭和三十四年の民主社会党の綱領と似ている。

大正十四年『普選法』と『治安維持法』がセットで出来る。大正十五年、色々な政党が生まれる。労農党は共産党の隠れ蓑。満州事変から、日本が生き延びるためには、国家や民族を無視できないということになった。満州事変が大きな転機。

『二七年テーゼ』は『ソ連を守れ』というのが最大の目的。『三二年テーゼ』は『天皇制を廃止せよ』というが最大の目的。『天皇制』というのは共産党用語なのであまり使いたくない。

昭和二十年十一月二日に日本社会党がスタート。結党大会では、浅沼稲次郎の先導で皇居遥拝を行い、賀川豊彦の発声で天皇陛下万歳を三唱した。今日、自民党大会すら、皇居遥拝・天皇陛下万歳をしていない。日共がアプローチして来て、社会党の中に隠れ日共党員が入って来た。何とか右派を打倒して人民戦線を作ろうとした。

北一輝と社会主義との決定的違いは、軍部を利用して革命を起こそうとしたこと。麻生久も軍部の革新派と連携し、皇室を利用して錦旗革命を行おうとした。明治維新をもう一回やろうということ。労働運動だけでは駄目で、皇室を担ぐしかないと考えた。

国民共同体が社会主義という言葉の原点。天皇を戴く政治運動のキーワード。社会主義をヨーロッパ的に語っても駄目。日本の伝統の中から語る。日本で皇室が形を変えても存続したのは、征服王としてでなく祭祀王として無私の精神に支えられた皇室の伝統、それに対する国民の畏敬の念が強かったからである。この傳統に社会主義者と言われてきた人々も、その多くは共感し無視できなかった」。

         ○

今朝のテレビ番組で、民主党のバカ幹事長・細野は、憲法に国旗尊重を明記することに反対した。民主党は、結党大会で「皇居遥拝」「聖壽万歳三唱」を行った戦争直後の日本社会党にも劣るという事だ。梅澤氏の著書『皇室を戴く社会主義』によると、民主党は昨年開かれた「第一回衆議院憲法審査会」において第一章の『天皇条項』について「党として個別事項について現時点で意見としてまとまったものはない」と言ったという。民主党は『国歌国旗法』でも党議決定が出来なかった。国家存立の基本にかかわる重要な事柄で党としての意見が無いというのだからあきれ果てた話である。特に重要なのは、これからの民主党を背負って立たねばならぬ男が、「国歌国旗を尊重しない」と言ったのだ。これは絶対に看過できない。民主党は一日も早く雲散霧消すべし。

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