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2013年4月 2日 (火)

谷中霊園にて

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雲井龍雄氏墓表

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川上音二郎像の台座・銅像は戦時に供出された。

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髙橋お傳の墓

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塩谷宕陰顕彰碑

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大原重徳卿神道碑

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大原重徳卿墓

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徳川慶喜公・同夫人の墓

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東叡山寛永寺寺務所・この奥に、徳川慶喜公が謹慎した建物がある。

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東叡山寛永寺根本中堂

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上野戦争碑

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圓珠院山門と桜

            ◎

本日、経巡りました谷中霊園と上野寛永寺において写した写真です。

先日も書きましたように、谷中霊園は、どちらかと言えば、江戸末期から明治時代にかけて、いわば反政府の立場で活躍した人が多く眠っております。(刑法犯の髙橋お傳は別として)

雲井龍雄は、米沢藩士で、戊辰戦争の時、奥羽列藩同盟組織に奔走し、明治の御代になると薩長藩閥政府打倒の密議を凝らし、捕縛され、さらし首となりました。

塩谷宕陰(とういん)は、羽後大館の人で、漢学者、幕府儒官。天保の改革に参画し、海防を唱え、軍艦建造を具申しました。

大原重徳(しげとみ)は、尊皇攘夷・王政復古実現のために活躍した公卿です。水戸徳川家と協力して、文久三年勅使として江戸に下向、幕府に幕政改革の勅諭を伝達しました。慶應三年の小御所会議では、徳川慶喜の辞官・納地決定を推進しました。

川上音二郎は、福岡県の人。俳優。壮士劇の率先者。政談演説を行い、自由民権を唱えて、過激な政府批判を行ったためたびたび獄に投ぜられました。今風に言えば『オッペケペ節』のシンガーソングライターです。新派劇の創始者でもあります。

大原氏を除けば、明治新政府というより薩長藩閥政治と戦った人々のお墓であり石碑であります。

徳川慶喜公のお墓は、神式であるため、寛永寺ではなく、谷中霊園に建てられたということであります。

寛永寺と上野戦争については、機会を改めて書かせていただきます。彰義隊は徳川幕府再興というか死守のために戦ったのですが、結果的に、徳川将軍家の菩提寺である寛永寺を焼失させてしまいました。悲劇というべきでありましょう。

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