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2013年4月27日 (土)

田端義夫氏の逝去を悼む

田端義夫氏が亡くなった。田端氏は、昭和十四年、「島の船歌」という歌でデビューした人である。戦前から活躍している歌手である。戦前デビューした歌手でご存命だった方は、田端氏のみであろう。後輩の三波・村田・春日の各氏の方が先に亡くなった。大正八年一月一日生まれで私の父と同年である。そういう意味でも大変親近感を抱いていた。田端氏は幼少の頃大変苦労をした人である。

私が田端氏を初めて知ったのは、昭和三十八年「島育ち」のヒットでカムバックとした時である。「島育ち」は奄美大島のことを歌った歌で、素朴ではあるが、心にしみる良い歌である。そして、田端氏のヒット曲を集めた三十センチLP盤レコードを購入した。ヒマがあると、いやなくても、「大利根月夜」「ふるさとの灯台」「別れ船」「帰り船」「玄海ブルース」「月の出船」「かよい船」「ズンドコ節」「雨の屋台」などのヒット曲を聞いたり歌ったりして過ごした。高校時代である。

田端氏の歌は、心にしみる歌が多いし、彼の人柄が庶民的というか親しみやすい感じがした。そしてヒット曲にはそういう庶民の心をよく表現した歌が多かった。田端氏の歌声と共に、清水みのる、藤田まさとなどの詞、長津義司、倉若晴生などの曲が素晴らしかった。

日劇や国際劇場や厚生年金会館などでの田端氏の歌謡ショーを見に行った。この三つの劇場は今や跡形もない。

田端氏のファンになったのをきっかけとして、他のいわゆる懐メロ歌手にも興味を持った。東海林太郎、藤山一郎、霧島昇、ほとんどの歌手の方々のレコードを買い込んだ。東京十二チャンネルなどの懐メロ番組もよく見た。そればかりか、「年忘れ日本の歌」という大晦日に歌舞伎座などで収録された懐メロ大会の楽屋に行って、歌手たちと会ったりした。渡辺はま子先生やコロムビアトップ氏に頼み込んで、関係者のような顔をして舞台の袖に入り込んで見物した。

どなたかが田端氏の逝去によって「愈々昭和が遠くなった」と書かれていたが、本当にそのように思われる。しかし田端氏の歌った名曲の数々はこれからもずっと歌い継がれるであろう。心よりご冥福を祈る。

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