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2013年4月30日 (火)

『若梅に撫子―旧高松宮家と伝来の品々』展拝観・皇居東御苑散策

本日参観させていただいた『若梅に撫子―旧高松宮家と伝来の品々』展は、「三の丸尚蔵館が御遺贈を受けた高松宮宣仁親王殿下・同喜久子妃殿下のゆかりの深い品々、大正天皇・貞明皇后の御遺品、旧有栖川宮家から引き継がれた優品の数々を通して、両殿下と美術との深いつながりを紹介します」(宮内庁三の丸尚蔵館の挨拶文より)との趣旨で開催された。

高松宮殿下が御幼少の砌、先帝陛下、貞明皇后様、秩父宮殿下と共に写されたお写真、高松宮同妃両殿下の御肖像、明治天皇御宸筆の「御命名書」(明治三八年)、「犬張子」、高松宮の称号を賜る「御沙汰書」(大正二年)、両殿下の護憲に対する 先帝陛下の「御結婚聴許の勅書」(昭和四年)、朝見の儀に際して喜久子妃殿下が召されたロープ・デコルテ(昭和五年)、高松宮殿下御佩用の「ヴィクトリア大綬章」(一九三〇年に英国王ジョージ五世から贈られた勲章)、「白磁植物文花瓶」、「海洋生物紋噴水電燈」、「修学院焼くべ形香炉」(江戸中期)、「有栖川宮家御紋付花盛器」(十九世紀)、川村清雄が描いた「鶏の図」(近代)などを拝観した。

伝統美を愛された高松宮同妃両殿下の御心がひしひしと伝わってくる展覧会であった。昭和の御代、私どもが「皇居清掃奉仕」をさせて頂き、吹上御所のそばを清掃させていただいてゐたら、高松宮同妃両殿下が自動車でお通りになった。われわれの姿を見ご覧になって、両殿下は車内から深々とお辞儀をされた。感激した。

寛永寺墓地にある徳川慶喜公ご夫妻の墓所には、高松宮喜久子妃殿下の献花がよく置かれてゐた。

この後、皇居東御苑を散策。雑木林の中を歩く。「昭和天皇の御発意により、失われていく雑木林を再現しようと昭和五十八年から六十年にかけて造成されました。造成にあたっては、東京近郊の開発予定地にあった雑木林の表土を移したため、植物の種子や根、昆虫の卵、土の中の生き物も一緒に運ばれ、早期に再生することが出来ました」と書かれて説明書きがあった。

「昭和の日」の今日、この林に歩かせていただくと、先帝昭和天皇陛下の自然を慈しまれる大御心がひしひし伝わってくる。また、皇居清掃奉仕の時に拝した、高松宮同妃両殿下のお姿が思い出された。

先帝をお偲びしつつ経巡れる東御苑の樹木美し

やすみししわが大君が愛でたまひつくりたまひし林歩みぬ

松の緑春の光りにかがよひて御稜威満ち満つる皇居の広庭

晴れわたる春の青空仰ぎたり東御苑のベンチに座して

外つ國の人々も皆連れ立ちて東御苑に憩ふ春の日

あなさやけ光あまねき春の日に皇居の庭を巡るうれしさ

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千駄木庵日乗四月二十九日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、皇居東御苑の三の丸尚蔵館にて開催中の『若梅に撫子―旧高松宮家と伝来の品々』展拝観。この後、東御苑を散策。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2013年4月29日 (月)

日本国家論

戦後日本においては、「個の尊重」とか「人権」ということが叫ばれ、ともすると「国家」を邪魔なもの、悪いもの、人権を侵害するものという考え方が横行するようになっている。国家が人間の生活を守り発展させる有機体(生き物)であるという側面と、国民を法と権力で規制する側面を持つことも確かである。

一定地域で共同生活を営む人々の数が増加すると、共同生活の場である国家が巨大化する。特に近代産業国家は規模が大きく仕組みが複雑になる。すると、それにともなって国家を運営するために必要な国家権力というものも肥大化する。肥大化するだけでなく、国民を抑圧し圧迫するものとなる場合がある。

しかし、人間は余程の例外を除いて一人では生きていけない。人は多くの人間との関係性・共同生活があってはじめて生存できる。「人」というものは自分自身であるとともに他者でもありさらには共同生活を営む場の全体のことでもある。それは「人」という言葉は、「人を馬鹿にするな」と言う場合は自分自身のことであり、「人の物を取る」と言う場合は「他者」のことであり、「人聞きが悪い」と言う場合は世間のことであることによっても分かる。

人間が人間として生活するためには、多くの人々によって成立する共同体が必要不可欠なのである。そういう共同体が、発展し巨大化したものが、「国家」なのである。したがって国家をいたずらに敵視したり、国家を破壊すれば人間が幸福になると考えるのは誤りである。

我々が限り無く愛する日本国とはいかなる国であるのだろうか。国家という言葉は漢語であるが、「やまとことば」には「クニ」という言葉がある。この国という言葉は「懐かしい故郷」という意味でも用いられる場合がある。「あなたクニはどこですか?」という時は、故郷という意味である。英語でいうとCounryである。ところが「クニに税金を取られる」「公害訴訟のクニ側の証人」という時のクニは、行政機構・権力組織のことである。英語でいうとStateである。

現実に我々が愛するクニとはやはり「懐かしい故郷」としてのクニである。クニという一定の広がりを持った土地の上に自然に生まれた共同体が営まれる。それはよく「母国」とか「祖国」とかいう言葉で表現される。その基本は夫婦であり子であり孫である。すなわち「家」である。ゆえに「国家」という言葉が生まれたのではなかろうか。

国家を否定し、国旗日の丸や国歌君が代も認めず、愛国心を嫌う人々は、「国家」を権力機構としてのみとらえているのである。しかし、自分が今「父祖の国」「母国」としての国家に生まれ育ち生きている事実は否定できない。

三島由紀夫氏は「私は(国家には・筆者註)統治的国家と祭祀的国家とあると考えて、近代政治学の考えるネーション(国家と訳されている・筆者註)というのは統治的国家だけれども、この統治的国家のために死ぬということは僕はむずかしいと思う…もう一つネーションというものは祭祀的な国家というものが本源的にあって、これは管理機能あるいは統治機能と全然関係がないものだ。ここにネーションというものの根拠を求めなければ、私は将来守ることはできないのだという考えを持っている。…ラショナル(合理的・注)な機能を統治国家が代表して、イラショナル(非合理的・注)なイロジカル(非論理的・注)機能をこの祭祀国家が代表している。…この二つのイロジカルな国家とロジカルな国家が表裏一体になることがぼくの考えるいい国家なんです」(村上一郎氏との対談『尚武の心と憤怒の抒情』)と語っている。

我々の愛する国家とは権力機構としての国家ではない。否定しても否定し切れないところの国である。海という大自然をめぐらし、緑濃き山と清らかな河とを有する国、農耕を営み、優れた文化感覚を持つ国「日本」である。

この麗しき国日本は、村落共同体から出発して、次第にその範囲を広め、日本という国家を形成した。その本質は、地縁・血縁によって結ばれただけでなく、稲作生活から生まれた祭祀を基本とする伝統信仰によって結合している共同体である。その信仰共同体の祭り主が天皇(すめらみこと)なのである。故に日本という国とはいかなる国であるかと問われれば、「天皇中心の信仰共同体である」と答えるのが正しいのである。

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千駄木庵日乗四月二十八日

午前は、母のお世話。

午後は、今日行われる会合における講演の準備。

午後六時十分より、春日の文京シビックセンターにて、『第三十一会 日本の心を学ぶ会』開催。渡邉昇氏が挨拶。瀬戸弘幸氏が「日韓関係」、小生が「言霊論」について講演。全員が意見発表を行った。白熱した議論が展開された。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2013年4月28日 (日)

この頃詠みし歌

静かなる午前二時には五七五七七のしらべを筆に表はす

太陽の輝く下の道を行く 花は咲きをり鳥は啼きをり

錻力屋と書かれし古き家の前 朝倉彫塑館未だ休館

昭和維新の歌うたひつつ歩み行く春の嵐の吹き荒ぶ道

春の野菜豪華絢爛に並びゐるスーパーに来て春菊を買ふ

春来たりホタルイカをば食すなり海の幸多き日の本の國

久しぶりの浅草の街を懐かしむ伝法院通りのその賑はひに

渡辺はま子田谷力三の手形をば懐かしみ見る浅草の春

賑はへる雷門で人を待ち 大江戸の春は今盛りなり

その昔田端義夫ショーを見に来たる浅草国際跡形もなし

日の光燦々と照る朝にして今日の一日(ひとひ)を生きる意志湧く

久しぶりに会いたる友の恙なき笑顔を見れば心やすけし

滅びたる平家一門を思ひつつ清盛直筆の願文を讀む(大神社展)

三輪山の麓より出でし勾玉は神秘なる光を放ちゐるなり()

剣太刀 神の光を放つごとくあたりを清め眩しかりけり()

越前そば食してうれしきこの夕べ旅行きし日を思ひ出しつつ

電車の中で高笑ひしつつ独り言を言ひ続ける人の前に座しをり

時々に尋常ならざる人と会ふ 世の中もすでに尋常ならず

青葉若葉朝の光に照り映えて耀ふ見れば華やぐ心

何処へか花の盛りは去りゆきて なほ年月も流れゆくなり

幾千歳春は花咲き散りゆきて永久に流るるいのちなるかも

雨の降る庭園歩み真紅なる躑躅を見ては心やすらぐ

春過ぎて夏来たるかと思へども氷雨降り続き冬に戻りぬ

そそり立つ大木の下に我立てば命の響きに包まるる如し

日を浴びる新緑の銀杏 生命の尊さをこそ示しゐるなり

眠さこらへ机に向かひ日記書く春寒の夜の一人居の部屋

春なるに寒き夜なり温風機をつけて一人で仕事してゐる

光放つ高き鉄塔 その名をばスカイツリーと名付けられゐる

タンスの中に父が使ひゐしネクタイと背広が吊るされあるが悲しき

窓開けて見下ろしてゐる春の街 登校の子らの列進み行く

平穏な世にあらざれど寺町の夜空に浮かぶ朧月かな

寺町の空に朧の月浮かび静かなる夜となりにけるかも

古寺の伽藍の上に浮かびゐる朧の月を仰ぐ静けさ

朧月谷中の空に浮かびゐて古きみ寺の伽藍鎮まる

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千駄木庵日乗四月二十七日

朝、デイサービスに赴く母を見送る。この後、諸雑務。

午後は、古河庭園散策。

古川庭園は、もともと明治の外交官・陸奥宗光の邸宅であったが、次男が古川財閥家の養子になった時、古河家の所有となったという。戦後、国へ所有権が移り、東京都が国から無償で借り受け、一般公開されたとのこと。

武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、北側の小高い丘には洋館を建て、斜面には洋風庭園、そして低地には日本庭園を配したのが特徴。規模は全く異なるが、私宅近くの須藤公園とよく似ている。

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森の中の茶室

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心字池

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心字池

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大滝(あまり大きくはなかった)

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洋館

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆、明日の講演の準備。

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2013年4月27日 (土)

天皇の宣命(おほせごと・大御心)が絶対の法である

「國王といへども法の下にあるといふのが『法の支配』の原点である」といふ考へ方があります。これは西洋の立憲君主國家・権力国家の考へ方でありまして、天皇陛下を祭祀主と仰ぐ信仰共同体国家・祭祀国家たるわが國には通用しないし通用させてはなりません。

わが國の「法の起源」は、祭り主たる天皇が神の意志を伝へる『のりごと』であります。法(のり)は宣(のり)であります。天皇の上に「法」があるのではなく、天皇の宣命(おほせごと・大御心)が絶対の法なのであります。

天皇は権力者ではなく祭り主であります。わが國の國體は祭政一致であります。

天皇が「法」に反する行動をされたら退位を迫るなどといふのは日本の傳統に反した考へ方であります。

皇位継承など皇室に関することは、国家の権力機構である立法府・行政府で決めるべきではなく、あくまでも天皇陛下の大御心に回帰すべきであります。

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田端義夫氏の逝去を悼む

田端義夫氏が亡くなった。田端氏は、昭和十四年、「島の船歌」という歌でデビューした人である。戦前から活躍している歌手である。戦前デビューした歌手でご存命だった方は、田端氏のみであろう。後輩の三波・村田・春日の各氏の方が先に亡くなった。大正八年一月一日生まれで私の父と同年である。そういう意味でも大変親近感を抱いていた。田端氏は幼少の頃大変苦労をした人である。

私が田端氏を初めて知ったのは、昭和三十八年「島育ち」のヒットでカムバックとした時である。「島育ち」は奄美大島のことを歌った歌で、素朴ではあるが、心にしみる良い歌である。そして、田端氏のヒット曲を集めた三十センチLP盤レコードを購入した。ヒマがあると、いやなくても、「大利根月夜」「ふるさとの灯台」「別れ船」「帰り船」「玄海ブルース」「月の出船」「かよい船」「ズンドコ節」「雨の屋台」などのヒット曲を聞いたり歌ったりして過ごした。高校時代である。

田端氏の歌は、心にしみる歌が多いし、彼の人柄が庶民的というか親しみやすい感じがした。そしてヒット曲にはそういう庶民の心をよく表現した歌が多かった。田端氏の歌声と共に、清水みのる、藤田まさとなどの詞、長津義司、倉若晴生などの曲が素晴らしかった。

日劇や国際劇場や厚生年金会館などでの田端氏の歌謡ショーを見に行った。この三つの劇場は今や跡形もない。

田端氏のファンになったのをきっかけとして、他のいわゆる懐メロ歌手にも興味を持った。東海林太郎、藤山一郎、霧島昇、ほとんどの歌手の方々のレコードを買い込んだ。東京十二チャンネルなどの懐メロ番組もよく見た。そればかりか、「年忘れ日本の歌」という大晦日に歌舞伎座などで収録された懐メロ大会の楽屋に行って、歌手たちと会ったりした。渡辺はま子先生やコロムビアトップ氏に頼み込んで、関係者のような顔をして舞台の袖に入り込んで見物した。

どなたかが田端氏の逝去によって「愈々昭和が遠くなった」と書かれていたが、本当にそのように思われる。しかし田端氏の歌った名曲の数々はこれからもずっと歌い継がれるであろう。心よりご冥福を祈る。

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千駄木庵日乗四月二十六日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して、資料の整理など。

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2013年4月26日 (金)

『政治文化情報』五月号のお知らせ

小生が発行しております『政治文化情報』平成255月号(平成25420日発行)の内容は下記の通りです。

見本誌希望の方はメールにてお申込み下さい。

m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

         ○

政治文化情報    

         第三百二十九号 平成二十五年四月二十日発行

         発行所 四宮政治文化研究所  発行人 四宮正貴

購讀料 個人 年間一萬二千圓 半年六千圓 一部千圓

         法人 年間十二萬圓 半年六萬圓 一部一萬圓

〈皇都の一隅より〉

日本國體精神と社會主義思想

傳統と革新の一致・融合は日本的変革即ち維新の根本である

社會主義の定義について

日本神話の精神と「社會主義」

天皇への忠誠心・かしこみの心が、際限なき國内戦争・國家の分裂を防いだ

明治維新は、天皇の日本國統治の精神・國體精神を基本にした大変革であった

天皇の國家統治は、民の幸福實現を最高の目標としてゐる

赤尾敏・谷口雅春両氏の社會主義論

千駄木庵日乗

この頃詠みし歌

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常盤伸東京新聞論説委員の講演内容・その二

プーチン戦略は、天然ガス輸出による莫大な利益を活用して国家を強くしようとしている。パイプラインを張り巡らし、外交的武器にしようした。シェール革命でプーチンのエネルギー政策は根底から覆されようとしている。最大のターゲットはわが国。北方領土に積極的になって来ている。森・プーチン会談で、プーチンは『対日エネルギー協力をしたい。エネルギー相を訪日させる』と言った。プーチンは前のめり。アメリカは最大のガス輸入国になるはずだったのに、シェール革命でそうならなくなった。欧州に中東がドッと入って来た。ロシアへのエネルギー依存を止めたい欧州は飛びついた。安定的売り付け相手は日本と中国。中国もシェールガス層があり強気。そうなると日本。時間との闘い。重要案件をまとめる必要あり、日本への売り込みをしている。

極東シベリア開発構想は実現されそうもない。白日夢だとロシアの専門家は言っている。『シベリア鉄道をもう一本作る、ウスリー島に中国と共同で観光施設を作る』というのは幻想。ロシアにとってシベリアはお荷物。雪の砂漠。シベリア開発すると経済発展できない。

プーチン外交の優先順位は、①旧ソ連諸国②欧州③米国④中国⑤インド。力の相関関係。軍事力のない日本は入っていない。

ゆるやかな経済統合に人口四千万のウクライナは消極的。シェールガス開発の可能性あり。欧州はロシアにエネルギー依存する必要がなくなった。人権問題でアメリカとの関係悪化。プーチン・習近平会談で、戦略的パートナーシップを高らかにうたいあげた。核心的利益重視を発表。しかし中ソで温度差がある。スホイ二四購入合意報道をタス通信は否定。領土問題が悪夢。沿海地方の問題を蒸し返すのではないかという悪夢。極東の産業の三〇から三五%が中国資本の管理下にある。

北方領土問題で日本に期待が高まっている。二〇一二年三月のプーチン発言をよく読むと、『主権移動はしないが歯舞・色丹は経済開発しても良い』と解釈できる。プーチンは安易な発言はしない。慎重な発言に終始している。ロシア側の積極的姿勢は領土を棚上げにした経済技術協力の拡大である。最大の譲歩は歯舞・色丹返還での決着。

スータリンが言って来た対日参戦の正当化など歴史認識を客観的なものにするようロシア側に働きかけるべし。プーチンは『東京宣言』を消し去りたい。明らかに反故にする、無私する姿勢。日本は急がば回れで『東京宣言』の意義を再確認すること。対ロシア外交が『出口論』でうまくいったことはない。経済優先・領土後回しの誤解が出て来てしまう。「政経分離」の誤解を与えない。色々な社会団体への弾圧に対して厳しく批判すべし。批判しないことによって領土問題に良い影響を与えるということはない。民間交流を盛んにして考え方を共有できる方向に持って行くべし。プーチン・ロシアはエネルギー帝国構築が怪しくなっている状況を見据えてロシア戦略を考えるべし。日本の国益を増進させる戦略が必要。

競争的多元的政治システム、チェック&バランスが無ければ民主主義と言うべきではない。政府から独立したマスコミが民主主義の最低基準。『イデオロギーではない合理的な社会の仕組みを作って行かなければならない』と言う人々が増えてきている。これはロシア中間階層の生活の実感。ロシアが好きだからロシアで生きて行きたい人たちから自然発生的に出て来ている運動。中間層を代弁する政治勢力がない。モスクワでは七割が反プーチン。そういう層がどう動くか。腐敗の問題と法治主義を徹底的に突き詰めると現体制をひっくり返すことになる。エリートの痛みを伴う改革が出来るかどうかが問題」。

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常盤伸東京新聞論説委員の講演内容・その一

四月十五日に行われた『一水會フォーラム』における常盤伸東京新聞論説委員兼外報部デスクによる「阿部首相の訪露を待つプーチン・ロシアの現状」と題する講演内容は次の通り。

「新聞社に入る前、ペレストロイカの時代にソ連政治史を研究した。今とは別の新聞社に入り、入社四年で崩壊直前のソ連に行った。一年弱、崩壊のドラマを見た。二〇〇五年のプーチン政権第二期、二〇〇八年グルジア戦争を経て帰国、現在に至る。先月、『ロシア日本有識者会議』に参加。

ロシアは必ずしも日本にとって友好的な隣人ではなかった。日本には、ロシアに対して両極端の立場がある。ソ連を敵対国家とする立場と、ソ連を理想国家とするマルクス主義者の立場があった。対象から距離を置いた客観的認識からは遠い。ロシア人から『マスコミはロシアの悪いことばかり書いている』というコメントをもらった。チェチェン紛争などがどうしても大きなニュースになる。八〇年代以降、文学・芸術・科学・医学が発達した面も多い。客観的に分析して伝える以外にない。

日ロ領土問題には、国内要因、国際環境、リーダーシップの三つの要素がある。この三つの変数がある複雑な方程式になっている。

プーチンの実質的三期目となってロシアは地殻変動の時代を迎えている。二〇〇九年から一一年は想定内の出来事。想定できなかったことは二〇一一年の年末の下院選挙で不正があったということで反政府デモがあったこと。最大十数万人のデモがモスクワで起きた。ソ連崩壊後最大規模。のどかで平和的なデモをした。クレムリンも予想していなかった。大統領府はアタフタした。

一昨日の世論調査で、二〇一八年にプーチンの再選を望む人は二二%、政府系世論調査でプーチンを信頼すると答えた人は三十数%しかいない。社会と国家権力との溝が深まっている。かなり大きな社会構造の変化がある。都市の中間層という固定した階層が政治の中に現われている。特筆すべき現象。生活に密着した感じで政治意識が高まって来た。ロシア社会には強い権力が必要だったが、それとは違う動き。若者中心の自分たちが参加する動きが出て来た。ロシアには中国と違ってIT統制がない。社会学者はロシア人の覚醒という形でとらえている。

KGB出身の強硬派が中心となって全面的・強権的弾圧に出ている。『色々な社会団体は外国の利益のために活動するエージェント,人権団体は欧米からの支援を受けている』として社会的信用を落とそうという動きがある。

プーチン体制は分かりにくい状況。クレムリンの奥の院は分からない。ロシアの憲法を読んでも分からない。権力に近いエリートの人間関係を調べて予測するしかない。実際の政治権力は新たな政治局のような九人のグループによって左右される。世界一の石油会社社長のセチン・ロスネフチ、メドベージェフ首相、セルゲイ・イワノフ大統領府長官(元KGB)、ボロジン大統領府副長官、ソヒャーニン・モスクワ市長、セルゲイ・チュメゾフ国営ロステクノロジー社長、ゲンナジ・チムチェンコ氏(元KGBの噂・石油輸出会社グンバー社長)、ユーリー・コワルチュク氏(ナショナル・メディア・グループ総帥)

元KGBが政治経済の両方を動かしている。外国への猜疑心が強い。ソ連の崩壊は外国の干渉によるという発想。権威主義体制の再編強化。中間層の離反を徹底的に封じ込めないと心配で仕方がない。地方自治の公選制復活を取り消した。プーチン政権の体制強化で腐敗指数が上がって行った。利権構造にメスを入れると自分たちの利権構造が破壊されてしまう。野党の無力化、テレビの統制、選挙管理委員会の統制、というクレムリンが操作できる民主主義を何とかしなければならない。しかしこれをするとプーチン体制が壊れる。矛盾した状況。

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千駄木庵日乗四月二十五日

午前は、母のお世話。『伝統と革新』編集の仕事。

午後は、上野公園の東京芸術大学美術館にて開催中の『藝大コレクション展―春の名品展―』及び『東京藝術大学大学美術館陳列館研究報告発表展』参観。藝大構内には、江戸時代の寛永寺境内の樹林が残っている。

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藝大構内にある高村光雲像。上野公園の西郷隆盛像、皇居前広場の楠公像を制作した彫刻家。子息が詩人であり彫刻家であった高村光太郎。高村家は小生の家のある千駄木にあった。当時は、駒込林町と言った。光太郎の弟は鋳金家の高村豊周。この方は中学時代よくお見受けした。

夕暮の谷中寺町を歩く。おぼろ月が美しかった。

帰宅後は、原稿執筆。

              ◎

今日参観した『藝大コレクション展―春の名品選―』は、「東京藝術大学の前身である東京美術学校は、明治22年の開校に先立ってコレクションの収集を開始しました。以来120年余りにわたって収集されてきた作品は、28,500件以上にのぼります。本展覧会ではその中から、日本画・西洋画・彫刻・工芸の主要作品を公開いたします。また特集展示として、二つの観点からコレクションをご紹介します」(案内書)との趣旨で開催された。

「絵因果経[国宝]」(天平時代)、「不動明王[重要文化財]」狩野芳崖、「武士」小堀鞆音、「序の舞[重要文化財]」上村松園、「一葉」鏑木清方、「セーヌ河上流の景」岡田三郎助、「夜汽車」赤松麟作、「溶鉱炉」吉田博など美術史にのこる作品が多く展示されていた。『武士』は源頼朝像で迫力があった。『溶鉱炉』は赤く燃える鉄がリアルに描かれていた。

続いて、「特集展示①都市を描く―移りゆく東京と画家」「特集展示②修復記念 小磯良平《彼の休息》」を参観。そして陳列館で開催中の「東京藝術大学大学美術館陳列館研究報告発表展」を参観。芸大美術研究科文化財保存学保存修復研究室で修復・摸刻した成果が展示されていた。阿弥陀三尊立像(長野善光寺世尊院)、毘沙門天立像(東京都個人蔵)、大日如来像(奈良県円城寺)などであった。

日々を忙しく生活していると、美術展を参観することが本当に心の安らぎになる。

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2013年4月25日 (木)

安倍晋三総理の発言を高く評価する

靖國神社にいわゆる「A級戦犯」正しくは昭和殉難者の御霊が祀られていることが、共産支那・韓國そして亡國政治家・偏向マスコミ・反日勢力の攻撃材料になっているのだが、そもそもわが國には「戦争犯罪人」は一人もいないのである。「大東亜戦争における戦争犯罪人」といわれる人々は、『東京裁判』=極東國際軍事裁判という名称の戦勝國の残虐なる復讐の被害者・殉難者である。戦争状態の継続である『東京裁判』という名の復讐の場で戦い、斃れた方々であって立派な戦死者であり昭和殉難者である。「英霊」「戦死者」として靖國神社に祀られるべき方々である。

小林宏晨氏(日大教授)は、「確かに日本はサンフランシスコ対日平和条約で極東國際軍事裁判の執行が義務付けられた。しかしこの法的義務は、とりわけ当時未だ刑期の終結していない、いわゆる戦犯の刑期を条約当事諸國の承諾なしに勝手に縮小しないとか、賠償金を支払うことなどの個別的・具体的義務であって、極東國際軍事裁判の正当性の全てを受けいれることを意味しているものではない。戦犯の刑期は、通常では平和条約によって全て終了すべきものであったが、日本はあえてこの継続執行に同意した。…『東京裁判史観』の受け入れまでも法的に義務付けられてはいない。…そもそも極東軍事裁判は、全面的に國際法に基づく裁判ではなく、中立國をまじえない戦勝國の敗戦國に対する一方的裁判である。…いわゆるA級戦犯は、欧米の法治國家的重要法原理たる『罪刑法定主義』原則に真向から違反して断罪されたのである。」(正当でない「東京裁判史観」・『世界日報』平成十七年五月七日号所載)と論じておられる。

いかなる行為が犯罪とされ、それにいかなる刑罰が科せられるかということを、あらかじめ法律で定めておかなければ人を処罰することはできないとする「罪刑法定主義」は、近代自由主義刑法の基本原則である。極東國際軍事裁判はこの原則を全く無視し踏み躙って行われたものであり、裁判の名に値しないのである。文字通り戦争行為としての復讐である。極東國際軍事裁判は無効である。「裁判」などと称することは許されない。したがって、この復讐によって「A級戦犯」として裁かれた人々こそ戦死者・殉難者である。

西郷隆盛は、「正道を踏み、國を以て斃るゝの精神無くんば、外國交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮し、圓滑を主として、曲げて彼の意に従順するときは、軽侮を招き、好親却て破れ、終に彼の制を受くるに至らん。」と述べている。(『大西郷遺訓』)

日本国政府は、國家國民が凌辱され危険に晒された時には、正しい道を踏み、義を盡さねばならない。その意味で「どんな脅かしにも屈しない。その自由を確保しているのは当然のことだ」と述べた今回の安倍晋三総理の発言を高く評価する。

今日わが國が行うべき外交とは、屈辱的にして危険千萬な『日支友好』『日韓友好』などではない。國防体制を強化し、反日國家・軍國主義國家からのわが國への恫喝・内政干渉・侵略を防ぐ態勢を確立することである。「外交とは華麗に礼装した軍事である」という言葉が今ほど日本政府及び國民にとって大切な時はない。支那及び韓国の内政干渉を排除するとともに、竹島奪還・尖閣死守が今日の日本国の最大課題である。

さらに、國内で蠢動する反日勢力・支那の手先を駆逐しなければならない。アメリカやインドやフランスの核実験や軍事力強化、そして沖縄の米軍基地には躍起になって反対し抗議するくせに、共産支那や北朝鮮の核実験や軍事力増強には沈黙し何一つ抗議も批判も行わない社民・共産そして似非「平和団体」は、わが國が共産支那や北朝鮮に侵略され属國になることを望む売國勢力なのである。このような勢力を厳しく糾弾しなければならない。

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千駄木庵日乗四月二十四日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事など。

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2013年4月24日 (水)

「オピニオン雑誌『傳統と革新』第十一号」のお知らせ

オピニオン雑誌『傳統と革新』第十一号

(四宮正貴責任編集) たちばな出版発行

特集 愛國心・ナショナリズムは危険か?
...
巻頭言 日本民族主義の特質と現代の危機突破 四宮正貴
インタビュー
欧米に追随せず、日本人として、堂々とすべきところは堂々と! 小池百合子    
「維新」とは、日本本来の姿を自覚し、國家の存続に命を懸けるということ 西村眞悟
「占領憲法」は真の「憲法」ではない 小田村四郎 
論文
「愛國心・ナショナリズムよりもずっと危険な思想について考える」 佐藤優
ヴェトナムに見る「愛國」の相貌 井川一久
基本となるのは日本の精神気流復古 葦津泰國
鎮守の森と愛國心-----里山を懐かしく思う日本人の心情について 戸矢 學
憂國の血潮――文化とナショナリズム 富岡幸一郎 
尊攘思想と中華思想―今や不可避の日中「愛國心」対決 永山英樹  
國體観なき愛國心――先人に學ぶべきこと 坪内隆彦
独立日本形成へのナショナリズムの効能 木村三浩

連載
我が體験的維新運動史 第十一回 「民族派學生運動」「新右翼」から「真右翼」への変遷 
犬塚博英
『やまと歌の心』西行 千駄木庵主人 
石垣島便り⑤ 中尾秀一  
編集後記
〒167―0053 東京都杉並区西荻南二-二〇-九 たちばな出版ビル
      代表03―5941―2341 FAX5941―2348
 版型 A5判並製 一五〇頁 定価 一〇五〇円 全國大型書店にて発売中
オピニオン雑誌『傳統と革新』第十一号

(四宮正貴責任編集) たちばな出版発行

特集 愛國心・ナショナリズムは危険か?

巻頭言 日本民族主義の特質と現代の危機突破 四宮正貴
インタビュー
欧米に追随せず、日本人として、堂々とすべきところは堂々と! 小池百合子    
「維新」とは、日本本来の姿を自覚し、國家の存続に命を懸けるということ 西村眞悟
「占領憲法」は真の「憲法」ではない 小田村四郎 
論文
「愛國心・ナショナリズムよりもずっと危険な思想について考える」 佐藤優
ヴェトナムに見る「愛國」の相貌 井川一久
基本となるのは日本の精神気流復古 葦津泰國
鎮守の森と愛國心-----里山を懐かしく思う日本人の心情について 戸矢 學
憂國の血潮――文化とナショナリズム 富岡幸一郎 
尊攘思想と中華思想―今や不可避の日中「愛國心」対決 永山英樹  
國體観なき愛國心――先人に學ぶべきこと 坪内隆彦
独立日本形成へのナショナリズムの効能 木村三浩

連載
我が體験的維新運動史 第十一回 「民族派學生運動」「新右翼」から「真右翼」への変遷 
犬塚博英
『やまと歌の心』西行 千駄木庵主人 
石垣島便り⑤ 中尾秀一  
編集後記
〒167―0053 東京都杉並区西荻南二-二〇-九 たちばな出版ビル
      代表03―5941―2341 FAX5941―2348
 版型 A5判並製 一五〇頁 定価 一〇五〇円 全國大型書店にて四月初旬発売

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わが國の近代は、ペリーの武力的恫喝によって始まった

わが國の近代は、ペリーの武力的恫喝によって始まった。それを考へずして、日本近代の戦ひと発展と祖国防衛・独立維持の歴史を弾劾するのはあまりにも一方的であり自虐的である。

攘夷即ち西欧列強の武力侵略から祖国を守るためには、日本自らも武力を強化しなければならなかった。これを「攘夷のための開国」といふ。そして武力の強化とは、西欧列強の軍事力と西洋文明そのものをわが國に輸入せざるを得なかった。

西欧諸国との拮抗、とりわけ帝国主義との戦ひをしなければならない時代に於いて、わが國の独立の維持とは、武力的拮抗でなければならなかった。欧米近代の国家の侵略による植民地化を跳ね除けるために「富国強兵」政策がとられた。「富国強兵」政策を否定することは出来ない。また、「富国強兵」を実現するために西洋の文物・学問・科学技術を取り入れることも大切であった。

明治新政府は、幕末期に徳川幕府が西洋列強と締結した日本国内に外国の軍隊が一方的に駐留し、裁判も外国人によって行はれるといふ不平等な条約を改正する事を大きな目標とした。

明治四年(一八七一)の岩倉使節団派遣の最大目的は不平等条約の改正であった。しかし、維新直後のわが國による平等条約改正要望は列強に全く相手にされなかった。日本が不平等条約を改正できたのは、明治四十四年(一九一一)、日本が日清・日露両戦争の勝利した後だった。日清、日露戦争に勝利した結果、初めて不平等な条約改正ができたのである。

弱肉強食・強い者勝ちが冷厳な国際社会の原則であった。それは二十一世紀を迎へた今日でも変ってゐない。西欧列強からの圧迫に対抗して日本の独立を維持しやうといふ意志の表れとしての「攘夷」が、自らを強化するために西欧の科学技術・法制度・思想を輸入したのである。

近代日本が、帝國主義国家と対峙しつつ独立国家として自立していくためには、西欧化し近代化し軍備を整へねばならなかった。これを批判したり否定することはできない。

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千駄木庵日乗四月二十三日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

夕刻、歯科医院に赴き、若き女医さんの治療を受けました。治療の機械の響きも心地よく感じられるのが不思議です。今日で一応終了しました。

帰宅後は、資料の整理。

               ◎

今日の報道を見ていて、何を今更という感じですが、支那も韓国もまともな国ではないということを再認識しました。馬鹿な国です。馬鹿につける薬は無い。まともに相手にしてもしょうがない。しかし、祖国防衛の固めはしっかりとすべきであります。

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2013年4月23日 (火)

航空幕僚監部人事教育部人事計画課長 一等陸佐 柿原国治氏の講演内容

四月十三日に行われた『日本を護る会定例会』における航空幕僚監部人事教育部人事計画課長 一等陸佐 柿原国治氏の「我が国を取り巻く戦略環境」と題する講演の内容は次の通り。

「米国はテロ戦争の長期化で国力が衰退。中国が海洋進出して米国に挑戦している。中国の海洋進出の起源は、一九六四年の核実験成功の後、ミサイル実験と共に外洋艦隊を作った。中国は『鉄砲から政権が生まれる』という考え。欧米列強から蹂躙された屈辱から、大国に屈しない長いスパンで進出して来た。中国の核実験はソ連からの独立。

一九八九年の天安門事件で、共産中国は崩壊するのではないかと見られた。しかし現在、中国は軍事力を強め、アメリカを凌駕する勢いがある。空母に対する対艦弾道ミサイルの開発を行った。

ハートランドを制する国は世界を制する。ハートランドと隣接する国が協同することが必要。リムランドとはハートランドの周辺地帯。ユーラシア沿岸をめぐるランドパワーとシーパワーの連続闘争。ソ連の膨張を防ぐために日本の自衛隊は一翼を担ってきた。大陸パワーの中国が海洋進出して来ている。

中国は歴史的に北の脅威があった。中国はハートランド的要素とリムランド的要素の二つの側面を持っている。沿岸に拠点を作ることによって、海洋国家を排除している。冷戦後ソ連という北の脅威が低下した。そして海洋に進出している。

中国は国境という概念を持たない。国力が増大し長期間実効支配すれば、領土領海は増える。一九八二年、劉華清が長期戦略目標を発表。『沖縄・台湾・フィリッピンを含む第一列島線の内海をコントロールする。グアム・インドネシアの内海を第二列島線とする。太平洋・インド洋におけるアメリカの軍事的優勢を終息させる』というもの、以来、中国を覇権国家にするための海軍建設が一貫している。習近平は『中華民族の偉大な復興』をと何回も言っている。

アメリカは、『尖閣は日米安保の対象』と言葉としてはコミットを明確にしている。しかし領有権争いでは特定の立場をとらない。アメリカは尖閣問題に巻き込まれたくないのが本音。アメリカは後方支援に限られる。自分の國は自分で護る体制を構築するべし。

日本とアメリカの組み合わせによって中国の冒険主義を阻止する。対中抑止力を有効に機能させて、中国の東支那海支配を阻止する。そのための日本の防衛力プラス日米同盟。共同作戦能力を示すことによって中国に対抗。

航空防衛力は公共財。全自衛隊の運用基盤を支える。相手の戦略を撃破する。十年先を見越しながら防衛力を整備する。中国の長距離弾道ミサイルにいかに対応するか。陸海空プラス宇宙プラスサイバー空間における優位を維持する。陸海空の縦割りを外す。米軍・自衛隊基地以外の飛行場を活用する。

太平洋地域の防空・防衛の強化が課題。一元的運用、統合的戦力を発揮する。日本・インド・オーストラリア・アメリカ・ハワイの『アジア安保ダイヤモンド戦略構築』が大切。

中国はあれだけの版図を統一するのが難しい。その材料が反日。抗日戦争教育で愛国心を高揚させている。中国は小笠原からマラッカ海峡までを行動範囲にしたい」。

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千駄木庵日乗四月二十二日

午前は、母のお世話。

午後二時より、永田町の村上正邦事務所にて、『第五三回日本の司法を正す会』開催。村上正邦氏がスピーチ。青木理氏が進行及びスピーチ。宮崎学氏が講演。そして亀井静香衆院議員がスピーチ。質疑応答。大変興味のある内容であった。後日報告します。

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講演する宮崎学氏。左は早川忠孝元法務大臣政務官・弁護士。

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スピーチする亀井静香氏。反警察の姿勢を貫く評論家と、警察官僚の政治家が同席するというのも、村上正邦氏が主催する会合ならではのことであろう。

帰途、上野広小路にて、友人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2013年4月22日 (月)

大西郷の精神

今日行われた「西郷南洲像清洗式」で、小生は次のようなことを話させていただきました。

「西郷南洲先生の立像を洗い清める式典が行われる日に、降る雨は、まさに清めの雨である。「告()り直し」「聞き直し」「見直し」わが日本の伝統精神である。全て明るい方に、積極的な方に考える精神が大らかなる日本精神である。

わが国は今日、未曽有の危機に見舞われている。日本は国難に際会すると、それを契機にして大変革を実行し、国家を再生させてきた。明治維新はその典型である。西郷先生はその明治維新の三傑の筆頭に数えられる方である。

「大西郷遺訓」には、「國の陵辱(りょうじょく)せらるるに當(あた)りては、縱令國を以て斃るる共、正道を踐(ふ)み、義を盡すは政府の本務也」と示されている。まさに今日の日本は国民一人一人が、『正道を踐み、義を盡す』ことが求められている」。

             ○

我國は現在、支那・韓国・北朝鮮からなめられ、国家の尊厳性を喪失しています。大西郷が遺した言葉と共に、大西郷が歩んだ道、偉業そのものに学ばねばならない。

西郷の歩んだ道は「東洋王道路線」(東洋的な帝王が仁徳をもととして国を治めるやりかた)と言われています。何よりも我國伝統の道義精神を根幹とした政治と外交を実行すべしとしたのが西郷隆盛です。     

『大西郷の精神』とは、国家の自主独立の精神であり、皇室を敬い国民に真の平安をもたらす政治の実現である。西洋列強の侵略から祖国を守り四民平等の国を建設するための大変革であった明治維新を戦い、さらに維新後にあってもなお、東洋の平和と理想の道義国家建設のために戦った大西郷の精神こそ、今の日本にもっとも必要なものである。何故なら今の日本は、幕末及び明治初期の我國以上に、外国から侮りを受け、政治は乱れに乱れているからである。

明治維新が「尊皇攘夷」を基本理念にして戦われたように、現代維新においても、「尊皇攘夷」の精神を根底に置いて戦われなければならない。「尊皇」とは萬世一系の天皇を中核とする國民的統一・道義心の高揚を図る事であり、「攘夷」とは國家民族の自主独立を回復することである。内憂外患交々来るといった状況にある今こそ、尊皇攘夷の精神が必要な時である。

民族の傳統への誇りを忘却した民族には未来はない。しかし、我々は絶望してはならない。上に天皇おわします限り、民族の命は必ず新生し甦る。そして、民族の歴史の流れ、民族の道統に立脚した変革が行われなければならない。日本國體精神こそが永遠の維新の原理である。

我々日本國民は誇るべき國體精神を恢弘してわが國の革新と再生そして世界の真の平和実現に邁進すべきである。

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千駄木庵日乗四月二十一日

朝は、母のお世話。

午前十一時より、上野公園西郷隆盛立像前にて、『西郷南洲銅像清洗式』執行。始澤澄江五條天神社宮司が祭主となり、祭事執行。祝詞奏上・玉串奉奠などが行われた。この後、早瀬内海西郷南洲会会長が挨拶。小林節慶應義塾大学教授・犬塚博英民族革新会議議長、そして小生が祝辞を述べた。多くの同志が参列した。

帰宅後は、『政治文化情報』発送完了。購読者の皆様には明日か明後日にはお届けできると思います。

そして、資料の整理・『伝統と革新』編集の仕事など。

               

氷雨が降り続き、冬が戻ってきたかのような寒さである。しまい込んだ冬物の上着を着た。手がかじかんだ。

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2013年4月21日 (日)

「春の優品展 和歌の世界」を参観して

今日参観した「春の優品展 和歌の世界」は、「五島美術館と大東急記念文庫の所蔵品の中から、歌人の肖像画『歌仙絵』、平安・鎌倉時代の『古筆』、歌銘をもつ『名物茶入』『茶碗』など、名品約70点を展示。『萬葉集』『古今和歌集』などの名歌が生み出す雅な世界を展観します」(案内文)との趣旨で開催された。

国宝「源氏物語絵巻」(平安時代)、重要文化財「上畳本三十六歌仙絵 紀貫之像」(鎌倉時代)、重要文化財「高野切古今集(第一種)伝 紀貫之筆」(平安時代)、『古今和歌集序 伝尊円親王筆』(鎌倉時代)、重要文化財「蓬莱切 伝 藤原行成筆」(平安時代)、「小倉色紙 藤原定家筆」(鎌倉時代)、「唐物肩衝茶入 銘 安国寺」(南宋時代)、重要文化財「愛染明王坐像」(鎌倉時代)など多数の文物が展示されていた。

和歌に関わる美術作品である。

『古今和歌集序 伝尊円親王筆』には、「やまとうたは、ひとのこころをたねとして、よろづのことのはとぞなれりける。世中にある人、こと、わざ、しげきものなれば、心におもふことを、見るもの、きくものにつけて、いひいだせるなり。花になくうぐひす、水にすむかはづのこゑをきけば、いきとしいけるもの、いづれかうたをよまざりける。ちからをもいれずして、あめつちをうごかし、めに見えぬおに神をもあはれとおもはせ、をとこをむなのなかをもやはらげ、たけきもののふの心をもなぐさむるは、うたなり」と美しい文字で書かれてゐた。

明治天皇は『古今和歌集仮名序』を踏まえられて、「世の中のことあるときはみな人もまことの歌をよみいでにけり」「天地をうごかすばかり言の葉のまことの道をきはめてしがな」「まごころをうたひあげたる言の葉はひとたびきけばわすれざりけり」と詠ませられてゐる。

和歌は決して遊びごとでもないし単なる美辞麗句を連ねたものでもない。まさに「まごころをうたひあげたる言の葉」なのであり、「世の中のことあるときによみいでる」ものなのであり「天地をうごかす」力を持つものである。神代の昔に発生し日本の道統を継承する最高の文藝が和歌である。

藤原行成の書は名筆であり、私も大学時代書道の授業でお手本として習ったことがある。藤原定家の書は実に個性的である。「唐物肩衝茶入 銘 安国寺」は、戦国時代から安土桃山時代にかけての活躍した禅宗の僧侶にして武士・安国寺恵瓊(えけい)が所持していたものである。安国寺恵瓊は毛利氏の外交僧であったが、後に豊臣秀吉に側近として仕えた。関ヶ原の戦いで、西軍の参謀格となった。敗戦後、六条河原にて斬首され、石田三成・小西行長と共に梟首に処せられたという。

「愛染明王坐像」は、小泉策太郎(号・三申)が所持していたもの。小泉策太郎は、明治から大正初期にかけて活躍した政治家。俳優の小泉博、画家の小泉淳作の父君である。林房雄を転向させた人物という。小生が書生をしていた野依秀市先生は、小泉氏から贈られた「文章は経国の大業にして不朽の盛事なり」という言葉が書かれた書幅を大切にしておられた。そして野依先生はそれを林房雄氏に贈呈された。

五島美術館は、昭和35年(1960418日、東京急行電鉄株式会社の元会長・五島慶太氏によって創立された。五島慶太氏が蒐集した美術品を中心になっている。また五島氏が収集した古文書などが保管されている大東急記念文庫も同じ場所にあり五島美術館と最近合併した。

五島慶太氏は、西武鉄道の堤康次郎氏と「強盗慶太、ピストル堤」と並び称されていたが、この美術館に所蔵品は、五島氏が強盗をして集めたものではない。

五島氏の私邸であった庭園も実に広大で、急な崖がある。「おみ足とご相談の上散策願います」と案内書に書いてあった。雨も降っていたし、「おみ足とご相談」の結果、残念ながら崖の下には下りなかった。しかし崖の上からの眺めは実に良かった。

私宅近くの上野公園にある美術館・博物館にはしょっちゅう行くのであるが、世田谷区は遠いので、静嘉堂文庫というのもあるし、長谷川町子記念館というのもあるのだが、なかなか来ることが出来ない。この五島美術館には、学生時代に授業の一環として『源氏物語絵巻』の参観に来たことがある。その時、松村達雄さんという俳優に会った思い出がある。『男はつらいよ』に度々出演した人である。

今日は雨降る中、はるばると上野毛まで来たが、みやびの世界にしばしひたることが出来たことを喜んでいる。

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千駄木庵日乗四月二十日

朝、デイサービスに赴く母を見送る。

午後は、上野毛にある五島美術館で開催中の『春の優品展―和歌の世界―』参観。

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五島美術館の不老門

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庭園

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庭園

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庭園

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事、資料の整理、明日のスピーチの準備など。

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2013年4月20日 (土)

明治維新の基本精神の素晴らしさ

明治維新の「神武創業への回帰」といふ雄大にして宏遠なる精神は、近代日本の出発において、傳統を重んじつつ柔軟にして自由な変革を實現せしめる原基となった。

大原康男氏は、「(神武創業への回帰は・注)『歴史的拘束性』を否定して近代化への推進力となったが、同時にそれは急進的な欧化への歯止めともなっていた。従って復古即革新といふスローガンがいい意味でプラグマチックに活用されたことは否めないが、それも神武天皇の再臨としての明治新帝が担う傳統的な権威へのコンセンサスがあってのことだ。『古代的原理への回帰を下敷きにした近代國家の確立』というユニークなテーゼは非欧米諸國で近代化に成功した唯一の國日本の謎を解く鍵でもある」(『國體論と兵權思想』・「神道學」昭和五十五年五月号所収)と論じてゐる。

明治維新が力強く生き生きとして創造性に富む変革となった原因は「諸事神武創業ノ始ニ原カム」とする御精神と「我國未曽有ノ変革」といふ御自覚である。しかもこの二つの精神は、明治天皇の大御心として全國民に示された。復古の精神を基本に置きつつ自由大胆なる変革が断行できた。

この自由な発想の「生みの親」は實に、洋學者でもなければお雇ひ外國人でもない。國學者・玉松操であった。『岩倉公實記』には次のやうに書かれてゐる。

「具視、王政復古ノ基礎ヲ玉松操ニ諮問スル事、…具視以謂ク建武中興ノ制度ハ以テ模範トスルニ足ラズト。之ヲ操ニ諮問ス。操曰ク、王政復古ハ務メテ度量ヲ宏クシ、規模ヲ大ニセンコトヲ要ス。故ニ官職制度ヲ建定センニハ当ニ神武帝ノ肇基ニ原キ寰宇ノ統一ヲ図リ、萬機ノ維新ニ従フヲ規準ト為スベシ」。

「度量ヲ宏クシ、規模ヲ大ニ」した大変革が行はれる精神的素地は、實に「神武創業」への回帰といふ復古精神であった。

要するに、明治維新とは、「諸事神武創業の始に原(もとづ)く」=天皇の國家統治・祭政一致・一君萬民のわが國本来の姿=國體の開顕によって「未曽有の変革」を断行することだった。まさに復古即革新であった。

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千駄木庵日乗四月十九日

午前は、母のお世話。医師の往診あり。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集の仕事、『政治文化情報』発送準備など。

               ◎

暑かったり寒かったり不純な天候が続いています。冬と春と夏が一日毎交互に来ているように感じます。先々週風邪をひきかけましたが、どうやら本格的なものにならなかったので良かったと思っています。

今日は夕刻、近所の焼き鳥屋さんに行きました。ご夫婦とお子さんの三人でやっているお店です。お客さんも地元の人が多く、いろいろお話することができ、楽しいひと時を過ごしました。

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2013年4月19日 (金)

日本伝統信仰について

日本人にとって他界とは、高天原とか、海神(わたつみ)の神の宮(竜宮)とか、黄泉の国です。熊野の海の彼方が他界の入り口と信じたのです。海も空も「アマ」と読み、両方とも他界のことで、海の彼方に他界があるというのは水平思考です。

天上に他界があるというのは垂直思考です。

日本には両方あって、天照大神のご命令で瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高天原から地上に天降って来るのは、理想郷が天にあると信じたからです。海の彼方にも理想郷があると信じ「海神(わだつみ)信仰」「龍宮信仰」が生まれました。その水平思考が仏教と融合して西方極楽浄土思想が受け容れられました。

大和朝廷のある大和盆地から東へ向かうと伊勢になる。その日の出る方向に天照大神をお祀りしたのが伊勢神宮です。垂直思考は北から、水平思考は南から来たというのが定説になっています。

『萬葉集』に「東歌」があります。東国地方の庶民か詠んだ歌です。今日のわれわれの観念からすると東国は関東以東ですが、古代日本では鈴鹿山脈よりも東が東国というのが定説なのです。岐阜、静岡、長野も東国でした。

「吾妻」の語源は日本武尊(やまとたけるのみこと)の東征の物語に由来しています。日本武尊が船で浦賀水道を渡ろうとしたとき嵐になって弟橘媛(おとたちばなひめ)が海に身を投げて嵐を静めた。その後、碓井峠にさしかかった日本武尊は東南の方角の浦賀水道を眺めながら、弟橘媛を恋しがられて「吾嬬(あづま)はや」(わが妻よ)、と呼びかけられた。これが「吾妻」の語源なのです。

小生が居住する文京区にも日本武尊の遺跡が多いのです。湯島には日本武尊と弟橘姫を祀った妻恋神社がありますし、根津に鎮座する根津神社は須佐之男命お祀りするために日本武尊が創始したと伝えられます。小生は根津神社の氏子であります。

駒込という地名も日本武尊が辺りを見渡して「駒込み(混み)たり」と言ったことに由来する。馬がいっぱいいるという地名伝説です。

近代化が行き詰まって、昔ながらのものに回帰していくことが、人々の心に安らぎを与えています。生命尊重、自然保護、公害追放と言っても、政治には限界があります。生けとし生けるものが神の現れであるという、古代からの信仰に回帰することが大切です。日本仏教は、「山川草木国土悉皆成仏」「草木成仏」の思想があります。これは仏教と日本古代信仰が融合して生まれた思想であります。

『記紀』や『萬葉集』を学んだり、全国の古い神社仏閣に参拝したりして、その風土に親しむことは意義あることです。

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千駄木庵日乗四月十八日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後四時より、西荻のたちばな出版にて、『伝統と革新』編集会議。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備、『伝統と革新』編集の仕事。

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2013年4月18日 (木)

日本精神について

日本精神とは、天皇仰慕の心・天神地祇崇拝(祖先と自然の霊を尊ぶ心)・明朗心・清明心・武の心・慈しみの心・むすびの心・まつりの心・自父母兄弟を尊ぶ心である。

日本精神は文献的には『古事記』『日本書紀』『萬葉集』に示されている。それを常に実践されているお方が祭祀主・日本天皇である。日本の傳統精神・生活・文化の基本・核は<天皇の祭祀>である。

日本精神・民族精神とは、「天皇を中心とする國體より発生し継承されてきた國民精神」と定義することが出来る。そしてそれは、「天孫降臨・神武建國」である。

闘爭戰爭絶え間なき現代において、日本的思惟である<神人合一(すべてに神を観る心)><中心歸一の原理><結びの原理><多即一・一即多の原理>によって、分割する精神=神と人・神と被造物は絶対的に隔絶された関係にあり、人間などの被造物は神の支配され神に裁かれ神に復讐される存在であるといふ二元論を克服し、さらに唯一絶対神の排他独善性からも解放し、永遠の闘爭から人類を救済する事が大切である。 

日本精神は、日本の國益だけを第一に考える思想ではない。また、日本を世界の覇者とする思想でもない。経済力や武力によって世界を支配することを最高の主義とするものではない。日本精神によって世界を救済し世界を新たならしめ、世界を維新する思想である。まさに世界全人類に平和を齎す精神なのである。

ただし、天皇国日本を侵略し、破壊せんとする内外の「まつろはざるもの」に対してはこれを撃滅するのもまた日本精神である。

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千駄木庵日乗四月十七日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後一時半より、芝の駐健保会館にて、『大行社幹部会開催。顧問の一人としてスピーチ。

帰途、大手町ビルの茶房にて、知人と懇談。大手町・丸の内界隈のビルはどんどん建て替えられているが、大手町ビルは残っている。慣れ親しんできたビルなので何となく落ち着く。ただ店舗はだいぶ替わっている。「丸の内マンハッタン計画」は事実上推し進められている感がある。皇居の尊厳性を侵すことのないようにすべきである。三上卓氏の『昭和維新青年日本の歌』の一節、「栄華を誇る塵の世に誰が高楼の眺めぞや」を想起する。

帰宅後は、『伝統と革新』編集の仕事、『政治文化情報』発送準備。ビデオに録っておいた党首討論を少し見る。石原慎太郎氏が元気そうなので安心する。

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2013年4月17日 (水)

『国宝 大神社展』を参観して

本日参観した『国宝 大神社展』は、「日本人は古来、自然のなかに人知を超えたものを感じ、山、岩、木など自然物の中に神を見出し、畏れ敬ってきました。やがて神々を祀る神社が建てられ、祭神の調度品である神宝や、祭神の姿をあらわした神像などがつくられました。神社は、神聖な場所として尊崇され、神像や宝物が大切に守り伝えられてきました。この展覧会は、伊勢神宮の第62回式年遷宮を機に、神社本庁をはじめ、日本全国の神社の全面的な協力を得て、神社の宝物や日本の神々に関する文化財を総合的にご覧いただく、貴重な機会となります」(案内文)との趣旨で開催された。

この展覧会は、国宝・重要文化財約160件を含む、約200件の神社の宝物や神道に関する美術工芸品を総合的に展示されていた。祭神の調度品として最高の技術を用いて作られ、捧げられた「古神宝」や、神社に伝来した名宝、古代祭祀遺跡の出土品、神社創建の由緒を物語る縁起絵巻や神社の景観を描いた絵画、祭礼図屏風や神前に奉納された舞楽・能の装束などが展示されていた。

春日大社の古神宝「沃懸地酢漿文兵庫鎖太刀」(国宝)、厳島神社の古神宝「彩絵檜扇」(国宝)、鶴岡八幡宮の古神宝「沃懸地杏葉螺鈿平胡簶(国宝)、熊野速玉大社の神宝「袍萌黄地浮線綾模様固地綾」(国宝)などが展示されていた。熊野速玉大社・春日大社の古神宝が多かった。

三輪山の禁足地で出土した勾玉、宗像市沖ノ島で出土した滑石製舟形など古代祭祀に用いられた神具、「春日権現記絵巻」「日吉曼荼羅」「伊勢良宮曼荼羅」など神社・神宮を描いた絵画、鞆淵八幡社所蔵の「沃懸地螺鈿金銅装神輿」などの御神輿、厳島神社所蔵の「平家納経」、京都東寺所蔵の「女神坐像」、熊野速玉大社所蔵の「熊野夫須美大神坐像」などの神像が展示されてゐた。

お寺には仏像が必ずあるが、全国どの神社に参詣しても、御祭神の神像が御神体として祀られている神社は非常に少ない。というより無いと言った方がいいのではないか。少なくとも私は神社に御祭神の御神体として祀られた神像を拝んだことは無い。「国宝・大神社展」では、どういう神様の神像が展示されているのか楽しみにしていたが、やはり神話の神々の神像は「素戔嗚尊坐像」(滋賀・上野神社所蔵)が展示されていただけであった。また、「男神座像」「女神座像」と名づけられているだけで、神名は記されてゐない神像が多かった。我が家には大国主命のご神像を安置している。しかし、出雲大社のご神体は大国主命のご神像ではないと思はれる。

神道は天地自然を神とおろがむ信仰であるかにそれは当然と言える。

厳島神社に参拝した時、見ることが出来なかった「平家納経」は美しかった。平清盛の直筆の願文を初めて見た。中世以後は、神仏習合思想が深く表現されている展示品が多かった。

仏教関係の美術品などを展示する展覧会は良く開かれるが、神社神道に関するこれだけ大規模な展覧会は初めてではないだろうか。意義深い。神像を礼拝の対象としないことと、神社は、遷宮などで社殿や神宝が全て新調されるので、仏教寺院ほどには古き時代の「お宝」がのこらなかったのではないだろうか。

日本の麗しい天地自然こそが、日本伝統信仰の神宝なのである。しかし、いわゆる「お宝」は少なくでも、伊勢の皇大神宮の神殿の麗しさと清浄さは、常に新しくかつ永遠である。

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千駄木庵日乗四月十六日

午前は、母のお世話。

午後は、上野公演の東京国立博物館平成館で開催中の『国宝 大神社展』参観。

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東京国立博物館平成館 国立博物館の前身である帝室博物館館長を務めた森鷗外の肖像写真があった。

この後、谷中の歯科医院に赴き、治療を受ける。

帰宅後は、明日のスピーチの準備、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆。

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2013年4月16日 (火)

日本人の仏教受容について

日本人が外来宗教・文化・思想をおおらかに包容した態度をいい加減でルーズな態度と批判する人がいる。しかし、日本人は決してルーズではない。むしろ潔癖な民族である。儒教・仏教の受容も、日本の固有信仰と適合する部分についてのみ受容され信仰されたのである。

仏教の受容によって、日本固有の信仰を捨て去るといふことはなかった。仏教は日本の中に深く根づいたが、仏教受容以来千五百年近くにならうとする今日においても、仏教は外来思想と言はれてゐる。これは日本人の外来宗教への態度がルーズでいい加減ではない証拠である。

 

日本人は仏教受容以来今日まで、神と仏を自然な形で融合させ、信仰してきている。神と仏は日本人の生活の中で溶け合っている。それは理論理屈の世界ではなく、生活の中で文字通り自然な形で神仏が融合している。

 

稲作生活を基盤として生まれた日本の地域共同体には、自然を神と崇め祖霊を祭るという固有信仰が、太古以来今日までの脈々として生きてきている。日本人は「自然に宿る霊」と「祖先の霊」を八百万の神として尊崇した。そして八百万の神々に現世の幸福(五穀の豊饒・病気の治癒など)を祈するための祭りを行ってきた。

日本の一般的な家庭では、家の中に神棚と仏壇が共存している。毎朝、神棚にお灯明をあげ柏手を打ってお参りする。次の仏壇にお灯明をあげ線香を立てて合掌礼拝する。神棚には国の主神である皇祖神(皇室のご先祖の神)である天照大神そしてその地域の産土神が祭られている。各家庭の仏壇には、その家が檀家になっているお寺の宗派の本尊が、安置されている場合もあるが、それは一般的ではない。それよりも仏壇には必ずその家の先祖の位牌が祭られている。各宗派の本尊は安置しなくても先祖の位牌だけ祭られている家が多い。

つまり日本の家庭に安置されている仏壇の「仏」とは祖霊のことであり、仏壇とは祖霊の祭壇なのである。「近い先祖は仏様。遠い先祖は神様」といわれる所以である。また、結婚式などの慶事は神式で行い、葬式などの祖霊への慰霊は仏式で行っている。

日本国は仏教国ともいわれているが、日本人の大多数は難解な仏教の教義を学び信じているのではなく、祖霊への崇拝と感謝を仏教祭壇の形態を借りて行い、現世の幸福を祈っているのである。日本の一般庶民が仏教の深遠な教義が日本人の実生活に知識として受け容れられたということではない。教義の研鑚・修得は出家した僧侶が寺院内で行うに止どまった。

そもそも、人間に対して厳しい気候風土のインドに生まれた仏教は、現世を実在とは考えず苦界と見、人間が現世から超越して解脱の境涯に入ることを理想とする宗教である。インド仏教は本来厭世的な宗教といっていい。

一方、明瞭な四季の変化があり、四方環海にして山が多く平地が小さい日本列島は、人間に対してやさしい気候風土である。そういうところに生まれた日本の固有信仰は、現世を肯定し、人間生活を謳歌するところの明るく大らかな信仰精神である。『古事記』を見てもわかるように日本人は厭世思想とは無縁である。仏教が大分浸透した後に編纂された『萬葉集』にもインド仏教の厭世思想に関係があると思われる歌はきわめて少ない。

日本人は仏教を生活の中で融合してしまっている。それは日本人が外来の仏教を日本人の精神生活に合致するように包み込んだということなのである。仏教を日本化したのである。これは日本人の寛容性であり、包容力であると共に、日本人の強靱さといってもいいだろう。最澄・空海・道元・日蓮・親鸞など日本仏教の祖師たちの教えはまさに日本化した仏教であると思う。

 

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千駄木庵日乗四月十五日

午前は、母のお世話。

午後は、原稿執筆の準備。

午後七時より、ホテルサンルート高田馬場にて、『一水會フォーラム』開催。常盤伸東京新聞論説委員兼外報部デスクが「阿部首相の訪露を待つプーチン・ロシアの現状」と題して講演。質疑応答。

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講演する常盤伸氏

千駄木に戻り、地元の友人と懇談。医師として福島の被災地に赴き医療支援を行っている人。大震災で家族を失い仮設住宅に一人で生活しているお年寄りのことなどについてお話を伺う。

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2013年4月15日 (月)

明治維新は全國民的な「復古即革新」運動だった

明治維新の根本精神は、『王政復古の大号令』と『五箇条の御誓文』のに示されてゐる。

明治天皇が慶応三年(一八六七)十二月九日に発せられた『王政復古の大号令』には、「諸事神武創業ノ始ニ原(もとづ)キ、縉紳(しんしん:公家)、武弁、堂上、地下(ぢげ)ノ別ナク、至当ノ公議ヲ竭(つく)シ、天下ト休戚(きゅうせき)ヲ同シク遊(あそば)サルヘキ叡慮ニ付キ、各(おのおの)勉勵、舊来ノ驕惰ノ汚習ヲ洗ヒ、盡忠報國ノ誠ヲ以テ奉公致スヘク候事。」と示されてゐる。天皇國日本の原初即ち神武創業に回帰することが明治維新の基本精神であった。

また、明治天皇が慶応四年(一八六八)三月十四日、天神地祇に新しい國家の方針を誓はれた『五箇条の御誓文』には、「我國未曽有ノ変革ヲ為サントシ,朕躬(ちんみずから)ヲ以テ衆ニ先ンジ,天地神明ニ誓ヒ,大ニ斯國是ヲ定メ萬民保全ノ道ヲ立ントス。衆亦此旨趣ニ基キ協力努力セヨ」と示されてゐる。

さらに、『五箇条の御誓文』の制定にあたって、明治天皇が神祇に捧げられた祭文中には、「今ヨリ天津神ノ御言寄(コトヨサシ)ノ随(ママ)に、天下ノ政ヲ執行(トリオコナ)ハムトシテ…」と示されてゐる。

明治維新は、神武創業への回帰、道統の継承、「祭政一致」の回復が第一義であった。日本傳統信仰即ち天神地祇への祭祀を根本とし、神武創業の精神に回帰しつつ、徹底した大変革を行ふのが、明治維新の基本精神であった。まさに「復古即革新」である。

「復古即革新」といふ明治維新の精神は、公卿や武士や學者といふ当時の指導層のみが志向したのではない。全國民的な傳統回帰精神の勃興でありうねりであった。山口悌治氏は、「伊勢参宮運動が、明和八年には、四月八日から八月九日までの間に、二百七萬七千四百五十名。文政十三年には三月から五月までの三ヶ月間に四百萬人を超えたといふのである。明治維新は勤皇の志士達を中心とする下級武士達と私は思ってゐたが、實はこのやうな一般庶民の圧倒的な伊勢参宮運動が、覇道政権への抵抗として全國にその土台をすでに充分成熟せしめてゐたのである」(『萬葉の世界のその精神』)と論じてゐる。

さらに、慶応三年(一八六七)七、八月頃、には「ええじゃないか」といふ民衆運動が起こった。これは、伊勢神宮の神符等が降下したことを発端として乱舞を伴ふ民衆信仰的な民衆運動である。名称は、民衆が踊りながら唱へた文句が「ええじゃないか」「よいじゃないか」「いいじゃないか」等があったことに由来するといふ。発生地は、畿内、東海道を中心とした全國約三十カ國である。囃し言葉は、「日本國の世直りはええじゃないか」「今年は世直りええじゃないか」といふやうな世直しを期待する文句であった。伊勢参宮運動=お蔭参りの傳統を継承した世直しを希求する民衆運動である。

このやうな民衆の復古的・信仰的な世直し運動が明治維新の原動力の一つだったのである。まさに明治維新は全國民的な「復古即革新」運動だったのである。明治二年には、第五十五回式年遷宮が斎行された。本年秋、伊勢皇大神宮で第六十二回式年遷宮が斎行される。復古即革新即ち維新実現に向かって歩を進めなければならない。

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千駄木庵日乗四月十四日

午前は、母のお世話。

午後十二時半、午後一時より靖国神社境内の靖国会館で開催される『社団法人・戦没者慰霊の會櫻街道設立報告会』に赴き、祝意を表す。多くの同志にお会いしましたが、次の予定があるので開会前に失礼しました。

午後二時より、浅草公会堂にて戸渡阿見氏(深見東州氏)原作・脚本・音楽の『明るすぎる劇団・東州公演二〇一三』鑑賞。わが国の山岳信仰をテーマにした劇が示唆に富んでいたし、面白かった。

千駄木に戻り、団子坂にて地元の友人と懇談・打ち合わせ。

帰宅後は、急ぎの原稿執筆など。

久しぶりに浅草の街に来ました。雷門あたりと仲見世は大変なにぎわい。観光客でごった返していました。浅草公会堂前には、田谷力三氏・渡辺はま子さんなど生前お付き合いいただいた方々の手形がありました。懐かしい伝法院通りも歩きました。昔のままのお店が並んでいました。

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2013年4月14日 (日)

興梠一郎氏の講演内容

四月六日に開かれた『アジア問題懇話会』における神田外語大学教授の興梠一郎氏の「習・李体制で中国はどうなる」と題する講演の内容。

「毛沢東の写真がデモに出て来ている。新しい現象。格差が進み、党幹部の権力闘争が激しい。ユートピアへの回帰として毛沢東が出て来ている。指導部は文革の再来を恐れている。ある意味で危険な兆候。

三重の権力構造であり、習近平体制になっていない。胡錦濤体制はこれから始まる。ご隠居になった時に権力者になる。胡錦濤は四年後を見ている。胡錦濤は裏ワザ師。江沢民は分かりやすい人。

胡錦濤と江沢民は一見仲が良さそうだが、江沢民の息がかかった薄熙来が党大会の前にやられた。薄熙来は、江沢民の後見人だった薄一波の息子。江沢民が喬石を追い出す時、薄一波を使った。薄熙来は出世したが敵が多かった。呉儀という女性副首相は薄熙来を嫌った。太子党は『共産党は俺の親父が作った会社』という意識が強い。薄熙来は重慶に飛ばされ胡錦濤に追い込まれた。薄熙来の判決が出ない。林彪事件と似ている。何か変。薄熙来が悪者にされているが、胡錦濤側の情報による。温家宝が仕返しされて、温一族が蓄財していると報道された。温家宝はメディアに出なくなった。外国メディアに情報を流し政敵を潰そうとする。周永康が公安・司法を把握している。習近平の姉の旦那が金持ちだと指摘された。反日デモの時、『薄熙来は人民のもの、釣魚島は国のもの』というスローガンが出た。薄一波に養われた学者・文化人は薄熙来冤罪発言をする。まだ戦いは終わっていない。薄熙来の判決が出ていない。

二〇一七年が次の党大会。六十八歳が定年。五人の常務委員が辞める。その後に誰を入れるか。政治局員にリザーブした人を入れる。習近平は胡錦濤と組んでいる。中央弁公庁、情報宣伝機関の責任者は胡錦濤派。

党大会の一年前から凄い権力闘争が始まる。色々な事件が起こる。本当におっかない国。林彪にも名誉回復の動きあり。歴史にしても現在進行形の事も表の情報だけで納得しない方がいい。

全人代人事で胡錦濤は布石を置いた。国務院は胡錦濤が抑えた。国家副主席も共産主義青年団派。四年後が総仕上げ。胡錦濤は習近平を囲い込んだ。

鉄道部はより大きな利権団体である交通運輸部が吸収した。江沢民派の利権を崩した。二〇一二年一月二十七日、中国人民解放軍「総后勤(後方勤務)部」の副部長であった谷俊山が更迭された。理由は汚職。更迭を指示したのは総后勤部の政治委員・劉源(劉少奇の息子)。谷俊山は軍用地を転売して大儲けした。愛人多し。

新華社が流した今年の新年茶話会の写真で江沢民の序列が二位から十二位に落ちた。胡錦濤・習近平時代が始まった。習近平に部下がいない。太子党に組織無し。共産主義青年団派を使いたい。習近平は自分の人脈をつくりたい。江沢民は黙っていない。四月三日墓参りの写真を流させている。

習近平はソ連の崩壊について『共産党の武装を解除したからソ連は解体した。独裁の道具を失ったからソ連は崩壊した』と語った。習仲勲の息子である習近平はオヤジの作った会社をつぶすはずはない。民主化はしない。旧ソ連のような状況になるのを恐れている。

経済が引き金になって体制崩壊が起こる。経済成長が落ちると革命が起る。中国人の歴史的DNAは革命を起こすこと。台湾型のソフトランディングの民主化は無い。習近平に期待はできない。日本にとってベストは台湾型民主化。

中央弁公庁主任だった楊尚昆は劉少奇と組んで毛沢東の列車の盗聴を行った。中央弁公庁は力が強い。三月五日全国人民代表大会に出席した劉少奇元国家主席の息子、劉源大将は『問題の解決には戦争以外にも多くの方法がある。かつての最高指導者・鄧小平の教えの通り、日本との紛争は棚上げにするべきだ、国家にとって戦争は最後の選択肢だ』と主張した。劉源は習近平・胡錦濤に近い。海洋局の再編は不測の事態を避けるため」。

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千駄木庵日乗四月十三日

朝、デイサービスに赴く母を見送る。

午前は、諸雑務。

午後一時半より、市ヶ谷のJICA地球広場にて、『日本を護る会定例会』開催。航空幕僚監部人事教育部人事計画課長 一等陸佐 柿原国治氏が「我が国を取り巻く戦略環境」と題して講演。活発な質疑応答が行われた。防衛庁の裏門にはテレビ局の報道車が停まっていたが、平穏な雰囲気であった。

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講演する柿原氏(右側)

帰宅後は、原稿執筆など。

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2013年4月13日 (土)

アルシャリーフ・ナーセル・ビン・ナーセル氏(ヨルダン中東科学研究所所長)の講演内容

三月二十七日に行われた『笹川平和財団中東政治変動シリーズ第十一回講演会』におけるアルシャリーフ・ナーセル・ビン・ナーセル氏(ヨルダン中東科学研究所所長)の「中東における水資源管理と紛争予防」と題する講演の内容は次の通り。

「農村地域における水資源のエネルギーアクセスは原子力によって満たされる。淡水化も原子力による。原子力エネルギーへの移行は新たなる問題を生じている。福島の原発事故の後、リスクを排除できないでいる。

水とエネルギーの課題解決には、アラブ域内の協力が必要。科学技術外交が重要になっている。日本は科学技術外交を行っている。

若者こそ開発の担い手。アラブ地域は若者の失業率が最も高い。若者たちは失望している。これ以上待つことはできない。優秀な人材が欧州や北米に流出している。また一部は過激主義になっている。アラブ地域は最も武装が進んでいる。この地域では国境は関係ないと認識すべし。

私の研究所は非政府機関。核の脅威などを話し合っている。みんなリスクにさらされている。その解決策を見出すための機関。超国家的メカニズムでそれをやろうとしている。能力の増強・データの共有・作業手順の合意・信頼醸成を目指している。

科学技術が課題に応えるだけでなく、ポテンシャル(潜在能力)を解き放つ。アラブの潜在性は活用されていない。

ソーシャルメディアがアラブの春で大きな力を発揮した。民主化は自由化無しに出来ない。司法の独立と報道の自由がなければ民主化は出来ない。選挙は手段であり目的ではない。フェイスブックの世代がアラブの春のきっかけを作った。

シリアの状況は地域全体にとって非常に危険。ヨルダンに四十五万人の難民が入って来た。ヨルダンには一定の能力しかない。ヨルダンは世界で四番目の水の少ない国。シリアは大量破壊兵器を持っている。深刻な状況。湾岸戦争の時、百万人の難民がヨルダンに入って来た。難民は長期的問題。十年に一回十万人の難民が入って来る。

イスラエルとパレスチナなど五カ国とのヨルダン川における水協力のメカニズムが必要。淡水化の技術がカギとなる。これは国家安全保障の根幹。淡水化技術に投資しなければならない。気候変動に対する一般市民の意識のレベルがこの地域は低い。もっと教育が必要。

シリアには化学兵器の製造拠点が五十以上ある。その安全性確保が出来ない状況。レッドラインを超えたら国際的軍事介入がある。大量破壊兵器を持った国が初めて内戦をしている。結末がどうなるか予想がつかない。シリアが崩壊した場合、七万人が殺される。我々は信念を持って難民を受け入れて来た。人々は安心を求めている。水の資源を持った国の人々がヨルダンに入って来る。フラストレーションを感じる。何処の国が持っていようとも、全ての核兵器が脅威。イランについては外交的解決が必要。軍事的オプションを取られると危険。

イランは我々にとって脅威ではない。イランは近隣諸国。大量破壊兵器を持とうとしたことがない国がヨルダン。ナイル川の水がいくつかの紛争の根幹にあった」。

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千駄木庵日乗四月十二日

午前は、母のお世話。

『政治文化情報』の原稿脱稿、印刷所に送付。

午後からは在宅して、資料の整理など。

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2013年4月12日 (金)

日本民族の使命

科学技術至上主義・物質至上主義・営利至上主義に汚染され続けてきた日本及び日本國民の頽廃を救うには、日本の傳統精神・國家観・人間観を回復する以外に道はない。

そのためには、「現代に生きる神話」たる<天皇の祭祀>を根幹とした瑞穂の國日本の回復しかない。我々國民一人一人が、天皇が神をお祭りになるみ心、そして、農を大切にされる御心を、道義的倫理的規範として習い奉るということが大切である。そして、日本人が古来抱いて来た自然の中に神の命を観るという信仰精神を回復しなければならない。

「神」は、人知では計り知れない靈妙なる存在である。日本人は古代より、祭祀や祈りの対象とされるかしこき存在を「神(かみ)」と言ったのである。

日本の神々は、生命力・霊力そのものであり、それは、人間に恩恵をもたらすと共に、破壊的な働きも示すのである。地の神が荒ぶれば地震となり、海の神が荒ぶれば荒波や津波となるのである。

日本の神々は、今はやりの言葉で言へば、想定の範囲以上の激しい力を発揮する畏怖すべき生命であり霊であると言ふことである。無限の可能性を持つと言ひ換へてもいい。その無限の可能性は、人間に恩恵をもたらすばかり側面もあるが、時に災ひをももらたす。

日本国土も自然も實に美しい。山・川・海の景色は實にすばらしい。四季の変化も規則正しく、気候も比較的穏やかである。しかし自然は、時に、東日本大震災のように、ものすごい猛威をふるい、人間に襲いかかって来る。そして人間の命を奪い、生活を破壊する。

日本における科学技術の進歩とその利用は目を見張るものがある。現代社会の快適な生活は、その科学技術によるものである。しかし大自然は、時としてその科学技術によって成り立つ人間の快適な生活をも一瞬にして破壊する。そして人間は、悲惨に状況に追い込まれる。

文明は発達し、科学技術が進歩した、その恩恵によって成り立っている現代人の生活は、自然の猛威によってもろくも破壊され、多くの人々が惨禍に喘ぐこととなる。科学技術が進歩しているが故になおさら惨禍がひどくなる。

われわれは、自然および科学技術文明との付き合い方を今一度深く考えなおすべきではあるまいか。麗しき自然に恵まれつつも自然の脅威にさらされる日本民族、科学技術を巧みに使いこなして来た日本民族は、そういう使命を帯びている。

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千駄木庵日乗四月十一日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

夕刻、谷中の歯科医院にて治療を受ける。

帰宅後も原稿執筆。

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2013年4月11日 (木)

この頃詠みし歌

贈られし葛食しつつ遥かなる丹波の國を思ひゐるなり

甘き蜜かけて黒豆食したり日の本の國の恵み尊し

巨大なる大久保利通の墓のそばに斉藤茂吉は眠りゐるなり

春の風吹き来る日暮里御殿坂桜の花びら舞ひ踊るなり

数寄屋橋の公園通れば愛國の老闘士の雄叫び聞こえ来る如し

老闘士の姿は見えぬ数寄屋橋 行き交ふ人々の群れは変はらず

春なれど寒き夜には父上のセーターを着て懐かしみゐる

春雨と言ふにはあまりに冷たくてわが家への道を急ぎ行くかな

歩み行くわが身に桜の花びらが降りかかり来て春はめでたし

その名の通り桜の花びら散り敷ける上野桜木の道歩み行く

雨に濡れる九段坂をばのぼり来て仰ぎ見るなる大鳥居かな

親子三人で客をもてなす酒房にて手づくりの塩辛をうましと食す

上野戦争の石碑を仰ぐ夕つ方上野寛永寺に桜散り敷く

寒き日に真紅の花を見つめつつ心新たに期するものあり

み佛の慈悲の光につつまれて手を合はせをり谷中天王寺

天王寺の枝垂桜を仰ぎつつ今此処浄土の思ひするなり

この國の行く手を遮るものなべて撃ち祓ふごとく響く雷鳴

自らの邪念を討ち攘ふごとくにもただ朗々と祝詞唱へる

新しき芽が吹き初めし街路樹を仰ぎて甦るいのち尊ぶ

春嵐去りたる後の空の下新緑の木々光り耀ふ

春来たり新しき葉が萌え初めて街が明るくなりてうれしき

雑巾をしぼりて汚れを清めんと窓ガラスに向かひ立つすがしさよ

拭き掃除丁寧にして窓ガラス清めたりけり嵐去りし朝

筆を持ちてわが思ひをば言の葉にあらはし出して心鎮まる

海苔を撒きし餅を食して語らへる母との朝餉楽しくもあるか

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千駄木庵日乗四月十日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆、今夜の『萬葉集』講義の準備。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて、『萬葉古代史研究会』開催。小生が柿本人麻呂が高市皇子に捧げし挽歌を講義。質疑応答。帰途、出席者の方と懇談。

帰宅後も、原稿執筆。

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2013年4月10日 (水)

「天の岩戸」神話について

伊耶那岐命に海原を治めなさいと命じられた須佐之男命は「母のいる黄泉の国へ行きたい」と泣きわめいたので、伊耶那岐命に追い払われてしまった。そこで須佐之男命が黄泉の国へ行く前に天照大神のところへ挨拶に行こうと天に上っていくと、山川が鳴り騒ぎ国土が振動したので、天照大神は天上の国を奪いに来たのだと思われる。須佐之男命はそんな心は持っていないといわれ、誓約(うけい・どちらが正しいかを判断する神秘的な行事)をした。

その結果、須佐之男命が勝ったので須佐之男命は勢いにまかせて大暴れする。すると天照大神は天の岩戸にお隠れになってしまう。そこで八百万の神々は色々な方法を用いて、天照大神を岩戸から引き出す。そして須佐之男命は天上の世界から追い払われて出雲の国にお降りになる、という物語である。 

天照大神は須佐之男命の田を壊したり溝を埋めたり御殿に糞をするという様々な御乱行(荒ぶる行為)に対して「糞のように見えるのは酔って吐いたのでしょう。田を壊し溝を埋めたのは大地をいたわってのことでしょう」と善いように解釈されて最初は咎められなかった。これを「詔り直し」という。悪い行為を善い意味に解釈することである。そして「詔る」とは言葉を発するという意であり「直す」悪いことを善くすることである。日本民族は本来、悪を固定的に考えないし、他人の長所を見て短所を細かくあげつらわないのである。これは言霊(ことだま)による浄化・善化・光明化である。邪悪なものを言霊によって直すことが「詔り直し」である。

 

天照大神が天の岩戸の隠れることについては、次のような解釈がある。一つは日蝕説であり、もう一つは冬至説である。太陽が欠けていくことは古代人にとってとりわけ農耕民族の日本人にとって恐ろしいことであったに違いない。また日照時間がどんどん短くなっていくことも気持ちのいいものではなかったろう。そこで太陽の再生・新生を祈る祭りすなわち微弱化した太陽を更新する宗教儀礼が行われたと思われる。それが天の岩戸前における八百万の神々の祭事だといわれている。

八百万の神々は長鳴鳥を鳴かせたり、鏡や勾玉が沢山ついた玉の緒のついた榊を作ったり、布刀玉命が占いをしたり、天児屋命が祝詞を唱えたり、天宇受売命が神懸りして踊るなどのお祭りをし、「天晴れ、あな面白、あな楽し、あなさやけ、おけ」と大笑いし大騒ぎをした。天照大神が不思議に思って岩戸を少し開けて覗かれると、「あなたより尊い神がおいでになります」と言って、手力男命が手を引いてお出しするのである。

中西進氏は「知力、呪力、体力、技術力、笑いの力というもろもろの力が集められており、これ以上盛大な祭儀はないというほどであった。太陽の子孫を称する天孫族の日招き神話の詞章として、まことにありうべき壮麗さである。…笑いはもっとも旺盛な呼吸活動であり、『生きる』ことの極上の状態を示す。失われた太陽を復活させるための、貪欲な模擬行為といえるだろう。天孫、天皇家のもっとも大事な祭儀と考えられた理由もよく理解されるところである」(『天つ神の世界』)と論じておられる。

日本人は太陽神たる天照大神を主神と仰いだ。だからすべてにおいて明るく大らかな民族であるのだ。前述した見直し聞き直し詔り直しの思想もここから発するのである。ただ明るく笑いに満たされた歓喜の祭りによって神の再生・再登場が実現する。これが他の宗教は厳しい修行や悔い改めをしなければ神に近づくことができないというのとは全く異なる日本伝統信仰の誇るべき特徴である。

そしてその祭儀は太陽のもっとも衰える冬至に行われた。冬至は農耕民族たる日本人にとって「古い太陽が死ぬ日」であり「新しい太陽が誕生する日」であった。天照大神の岩戸隠れは太陽の衰弱であり岩戸よりの出現は新しい太陽の再生なのである。

この天の岩戸神話には日本の踊りの起源も語られている。すなわち天宇受賣命が「天の石屋戸に覆槽(うけ)伏せて踏みとどろこし、神懸りして、胸乳掛き出で、裳の緒(ひも)を陰(ほと)に忍し垂りき」(伏せた桶の上に立ってそれを踏み轟かせながら神懸りして乳房を出して裳の紐を陰部に垂らした)と記されているのが舞踊の起源なのである。桶を踏み轟かせたというのは大地に籠っている霊を目覚めさせそれを天照大神のお体の中にお送りすることであるといわれている。神懸りとは宗教的興奮状態のことである。つまり舞踊の起源は神を祭るために神の前で興奮状態になって舞い踊ることであった。これを神楽という。天宇受賣命は舞踊を含めた日本芸能の元祖ということなのである。 

祭事とは共同体における霊的心理的宗教的な営みの中でもっもとも大切なものである。それは生命の更新・再生であるからである。つまり新たな生命の始まりが祭事によって実現する。

祭事は物事の全ての原始の状態を再現復活せしめるのである。一時的に生命が弱くなることがあっても、祭事によっていっそうの活力をもって再生する。それは稲穂という植物の生命は、秋の獲り入れ冬の表面的な消滅の後に春になると再び再生するという農耕生活の実体験より生まれた信仰である。

そしてこの稲穂の命の再生は、天照大神の再生と共に行われる。さらに天照大神の再生は人々の知力・呪力・体力・技術力・そしてたゆまぬ努力と明るさを失わぬ精神によって実現する。こうしたことを象徴的に語っているのが天の岩戸神話である。  

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萬葉古代史研究會のお知らせ

萬葉古代史研究會のお知らせ

小生が講師となりて「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

日時 四月十日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

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會費 千円

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

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千駄木庵日乗四月九日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆、明日の『萬葉集』講義の準備など。

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2013年4月 9日 (火)

「同文同種」という虚構に迷わされて中華帝國主義政権と屈辱外交を行うべきではない

「日本と中國は同文同種であるから他の國々よりもずっと深い友好関係を結ばねばならない」という意見があるが、これも重大な誤りである。こういうムードに酔って日本が支那共産政権と無原則な外交関係を結んできた結果が、今日の情勢である。

 支那大陸内部においてすら、同じ漢字という文字表現を用いていても、時代により地域によって全く異なる文化を形成している。漢字を使用しているからといって、わが日本と支那大陸とが同じ文化傳統を有しているわけではないし、他の國と比較して格別に深い関係を持っているわけではない。

和辻哲郎氏は「漢字の機能ゆえに、シナの地域における方言の著しい相違や、また時代的な著しい言語の変遷が、かなりの程度まで隠されている…現代の支那において、もし語られる通りに音表文字によって表したならば、その言語の多様なることは現代のヨーロッパの比ではないであろう。またもしシナの古語が音表文字にもって記されていたならば、先秦や秦漢や唐宋などの言語が現代の言語と異なることは、ギリシア語やラテン語やゲルマン語が現代ヨーロッパごと異なるに譲らないであろう。文字の同一は…必ずしも…緊密な文化圏の統一を示すものではない」(『孔子』)と論じておられる。

要するに日本民族及びその傳統文化と、支那大陸に存在する様々な民族及び文化とは、全く異なるものなのであって、格別の親近感を抱くのは誤りである。

日本人と支那人とでは根本的に異なる文化感覚を持っており、ものの考え方が実に大きく違っているのである。わが國のように四面環海で魚類の食べ物の豊富な所では、魚類で栄養を摂ったのだが、支那大陸のように広大な平野のある所では、牧畜が盛んに行われ、動物食で栄養を摂るのは自然である。支那人は豚肉をとりわけよく食する肉食人種である。明治以後になって初めて獣肉を食べ出した日本人とは大きな違いがある。

三島由紀夫氏は「中國人はものを変えることが好きですね。人間を壺の中に入れて首だけ出して育ててみたり、女の足を纒足にしてみたり、デフォルメーションの趣味があるんだよ。これは傳統的なものだと思うんだ。中國というのが非常に西洋人に近いと思うのは、自然に対して人工というのを重んじるところね。中國の人間主義というのは非常に人工的なものを尊ぶ主義でしょう。…これは中國人の傳統的な趣味だと思うんだ」(『尚武のこころ』所収の高橋和己氏との対話「大いなる過渡期の論理」)と語っている。

支那人は米麦を食す点においては日本人と同じであるが、食肉の点では西洋人に近いといえる。

たしかに日本は支那大陸から大きな影響を受けた。しかし、今日余りにそのことを強調したり、そのことによって支那大陸に負い目に感じたりすると、中華思想を有する支那共産政権の思う壺である。日本に対して益々属國以下の冊封地として対応し、内政干渉や不当不法な領土要求をしてくるであろう。

古代において支那文化が日本に傳来した。しかし日本においてより洗練された高度なものとなって発展している。つまり日本が支那の影響を受けたといってもそれは猿まねをしたのでもなければ、日本が支那文化圏に組み込まれたのでもない。支那から文化文明を取り入れ、日本独自の創意を発揮し、支那から入ってきた文物をより高度な洗練されたものにし、支那を超えてしまったのだ。思想・宗教等、皆然りである。

儒教即ち孔孟の教えは日本に於いて今日も生きているし、高度なものとなっている。また仏教信仰思想もより一層高められ深められた形で傳承されてきている。ところが支那では儒教・仏教も衰微の極にある。現実に生きたものとはなっていない。

蓮田善明氏は「儒・道教、或は仏教が日本に入って来て、直接に日本の神に會って、どのやうに高いものに達し得たか、どのやうに大きな光に現に透されたかを見る必要がある。…神ながらのまさ道を、まことに無窮の隆昌を保有してきた事実を知る必要がある。日本文化が異文化を包合することによって高まったとなすが如き思想は正しくない」(神韻の文學)と論じておられる。

日本は、支那などの外國の文化文明を受け容れはしたが、それによって日本文化文明が高められたのではなく、日本に本来的に高い文化感覚があったからこそ、支那など外國から来た文化文明をより高度なものより深いもの独自のものとして発展せしめ現代に至るまで受け継いできているのである。

ともかく、「同文同種」などという虚構に迷わされて、中華帝國主義政権と屈辱外交・土下座外交を行うべきではないのである。

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千駄木庵日乗四月八日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

夕刻、谷中の歯科医院に赴き治療を受ける。若き女性歯科医が三人もいる。治療中もあまり痛みを感じない。

日暮里駅前の蕎麦屋さんで知人と懇談。ここの蕎麦は美味しいのだが、今日は格別うまかった。店の人曰く「春だからです」とのこと。

帰宅後も、原稿執筆。

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2013年4月 8日 (月)

国難打開と維新

わが國はこれまでも幾度か国家的危機を経験した。大和時代の唐新羅連合軍侵攻の危機であり、中世における元寇であり、幕末期の欧米列強による外圧の危機である。そしてわが國はさうした危機的状況を乗り切ってきた。今日の日本も幕末当時と同じやうに、内憂外患交々来るといった状況になってゐる。

今日の危機的状況を打開するためには、明治維新の精神に回帰し、明治維新と同じやうに、日本的変革の原理たる「天皇中心の國體の明徴化」の理念を基本とした大変革即ち平成維新を断行しなければならない。

明治維新前夜は、アメリカなどの西欧列強が徳川幕府の弱体化に付け入って武力による圧迫を以て屈辱的な開港を日本に迫って来た。徳川幕府は、外圧を恐れかつ自らの権力=徳川幕藩體制を維持せんとしてそれを甘受しやうとした。かうした状況を打開し、王政復古すなはち天皇中心の國體を明らかにして強力な統一國家を建設し外圧を撥ね除けやうとしたのが明治維新である。

何処の國の革命も変革も、洋の東西・時の今昔を問はず、またその変革の是非を問はず、外國との関連・外國からの圧力によって為し遂げられたと言へる。古代日本の大変革たる大化改新も支那・朝鮮(唐新羅連合軍)からの侵攻の危機下に行はれた。ロシア革命も日露戦争・第一次世界大戦の影響下に行はれた。辛亥革命は阿片戦争、支那共産革命は日本との戦争が影響した。アメリカ独立革命は言ふまでもなくイギリスとの戦ひであった。明治維新もまたしかりである。

わが國のやうに建国以来三千年の歴史を有し高度な統合を実現してゐる國家に強大な外敵が出現した場合、民族的一體感・ナショナリズムが沸き起こるのは当然である。西洋列強の日本に対する圧迫が強まった時、これを撥ね除けるために藩といふ地域そして士農工商といふ身分制度を乗り越えて、天皇を中心とした日本國家・民族の一体感・運命共同意識を回復して外敵に当たろうとしたのである。

國家的統合を一層強めて國家体制を変革し強化して外敵から自國の独立を守るといふ精神が明治維新の基本精神である。それを「尊皇攘夷」といふ。天皇を尊び、外國の侵略からわが國を守るといふ精神である。

「攘夷」とは夷狄(野蛮な外國)を撃ち攘ふといふことである。西欧列強といふ侵略者、異質の文化に直面した日本民族の國民的自覚と祖國防衛・独立維持の情念の噴出である。アメリカやロシアの軍艦の来航といふ國家的危機に直面して、國防意識が全國民的に高まった時に、自然に発生し燃え上がった激しき情念である。

天皇中心の國體を正しく開顕し、天皇を國家の中心に仰いでこそ、日本國の主體性は確立され、外國の侵略を撃退し祖國の独立を維持することができる。

事実、明治維新断行後、天皇を統治者として仰ぎつつ、封建的身分制度は廃止され、廃藩置県によって統一國家が建設され、帝國憲法の発布・議会政治が開始された。そしてわが国は、欧米列強の支配下に置かれることはなかった。

共産支那や南北朝鮮の「傲慢無礼」な反日政策・対日侮蔑外交・侵略策謀が繰り返されている今日、わが國民は、「民族の正気」を回復し、祖国の独立と安全を守り、領土領海を死守し、奪われている領土を奪還し、屈辱と汚名を晴らす行動に出なければならない。外患に当って、神祭神事を盛んにするのは、わが國の伝統である。現代においてこそ、祭祀主日本天皇の真姿が開顕されるべきである。今こそ天皇を中心とした國家の回復を目指す皇道大維新運動を繰り広げねばならない。

 

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千駄木庵日乗四月七日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2013年4月 7日 (日)

父母について

小生の尊皇心や愛国心は、やはり両親の影響といふか教育によるものと思はれます。


ごく幼い頃、外から家に帰って来ると、母が新聞を読みならがら泣いてゐました。気丈な母が泣くなんてあまりなかったものですから、どうしたのかと思ってわけを聞いたら、「貞明皇后様がおかくれになった」といふことでした。
父親にはずいぶん映画に連れて行ってもらひましたが、一番感激したのは、『明治大帝と日露大戦争』でした。橘大隊長戦死の場面を涙を流しながら見ました。あの映画を見てから、私は嵐寛寿郎の大ファンになりました。

父は自衛官でした。中学校一年の時、伊勢湾台風が来ました。社会科の先生が授業で、『被害が大きかったのは十分な防災が行はれなかったからだ。自衛隊なんかに税金を使はず、防災にもっと税金を使ふべきだ』といふことを言ひました。私は、自分の親が馬鹿にされたと思ひ、憤慨しました。それから、左翼偏向教育に対する反撥が強まって行ったと思ひます。

小生が愛国運動に励むやうになったのも、日教組の偏向教育のおかげと言ふこともできます。呵々。

父は、朝早く五時頃に家を出て、制服を来て、常磐線の蒸気機関車に乗って、日暮里から土浦の駐屯地まで通ってゐました。今にして思ふと、随分大変だっただらうなあと思ひます。

昨年一月に亡くなった父、そして今年九十三歳になった母に対して心より感謝してゐます。

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『國體政治研究会』における梅澤昇平氏の講演内容

三月三十日に行われた『國體政治研究会』における梅澤昇平氏の講演内容は次の通り。

            ○

「二十歳の頃から、民社党に入り、何時も気がかりだったのは皇室の問題であった。国柄と民主社会主義はどうからむのか、であった。それがすっきりしたのは、御大喪の礼の時に、民社党の『謹話』を作った時だった。当時の永末英一委員長は、政党党首としてはただ一人武蔵野御陵までお伴をし、陵所の儀まで参列した。

いわゆる『天皇制』と共産党についての論文はたくさんある。共産党以外の社会主義者が『天皇制』と関わったかについてはあまり無い。社会主義という言葉が死語になっている。私がよく訪れる国会図書館の六階食堂から社会文化会館が見える。社民党はひとケタの政党になり、存在感無し。民主党の中に社会党の部分がなだれ込んだ。横路・輿石がまだいる。労働運動では連合の中の日教組・自治労に社民党系・共産党系がある。百万を超える組合員がいる。反原発・沖縄・食の安全などの運動をしている。無視できない。憲法改正反対でも騒ぎ出す。これと戦わねばならない。

日共はコミンテルン日本支部として発足した。昭和六年の満州事変で社会主義者が変わった。民族主義的立場にならざるを得なくなる。さらに昭和二十年の敗戦で変わった。社会主義の定義が問題。共産党から北一輝まで社会主義と言われる。共産党と北一輝は社会主義から排除すべしという意見がある。私は幅広く、日共から北一輝まで入れる。岡本幸治の北一輝論は素晴らしい。北一輝が二十歳代に書いた『改造法案』とベースは昭和三十四年の民主社会党の綱領と似ている。

大正十四年『普選法』と『治安維持法』がセットで出来る。大正十五年、色々な政党が生まれる。労農党は共産党の隠れ蓑。満州事変から、日本が生き延びるためには、国家や民族を無視できないということになった。満州事変が大きな転機。

『二七年テーゼ』は『ソ連を守れ』というのが最大の目的。『三二年テーゼ』は『天皇制を廃止せよ』というが最大の目的。『天皇制』というのは共産党用語なのであまり使いたくない。

昭和二十年十一月二日に日本社会党がスタート。結党大会では、浅沼稲次郎の先導で皇居遥拝を行い、賀川豊彦の発声で天皇陛下万歳を三唱した。今日、自民党大会すら、皇居遥拝・天皇陛下万歳をしていない。日共がアプローチして来て、社会党の中に隠れ日共党員が入って来た。何とか右派を打倒して人民戦線を作ろうとした。

北一輝と社会主義との決定的違いは、軍部を利用して革命を起こそうとしたこと。麻生久も軍部の革新派と連携し、皇室を利用して錦旗革命を行おうとした。明治維新をもう一回やろうということ。労働運動だけでは駄目で、皇室を担ぐしかないと考えた。

国民共同体が社会主義という言葉の原点。天皇を戴く政治運動のキーワード。社会主義をヨーロッパ的に語っても駄目。日本の伝統の中から語る。日本で皇室が形を変えても存続したのは、征服王としてでなく祭祀王として無私の精神に支えられた皇室の伝統、それに対する国民の畏敬の念が強かったからである。この傳統に社会主義者と言われてきた人々も、その多くは共感し無視できなかった」。

         ○

今朝のテレビ番組で、民主党のバカ幹事長・細野は、憲法に国旗尊重を明記することに反対した。民主党は、結党大会で「皇居遥拝」「聖壽万歳三唱」を行った戦争直後の日本社会党にも劣るという事だ。梅澤氏の著書『皇室を戴く社会主義』によると、民主党は昨年開かれた「第一回衆議院憲法審査会」において第一章の『天皇条項』について「党として個別事項について現時点で意見としてまとまったものはない」と言ったという。民主党は『国歌国旗法』でも党議決定が出来なかった。国家存立の基本にかかわる重要な事柄で党としての意見が無いというのだからあきれ果てた話である。特に重要なのは、これからの民主党を背負って立たねばならぬ男が、「国歌国旗を尊重しない」と言ったのだ。これは絶対に看過できない。民主党は一日も早く雲散霧消すべし。

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千駄木庵日乗四月六日

朝、デイサービスに赴く母を見送る。

午前は、原稿執筆の準備など。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。神田外語大学教授の興梠一郎氏が「習・李体制で中国はどうなる」と題して講演。質疑応答。非常に興味深い内容であった。後日報告します。奥野誠亮・小田村四郎・田久保忠衛の各氏にお会いした。

帰宅後は、原稿執筆の準備など。

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2013年4月 6日 (土)

中華帝国主義の支那こそ二十一世紀の最大の脅威である

共産支那は、一九九〇年代以降、「中華民族の偉大な復興」を旗印にわが国の明治維新をサル真似した「富国強兵」策を実行し、アジアでの覇権確立を図って来た。核開発は四十年前から行っている。

かつて清朝時代に「眠れる獅子」と言われた支那帝国が二十一世紀になっていよいよ暴れ出したのである。アジア最大の軍国主義国家=軍事力によって国家意志を貫徹する国家が、共産支那なのである。また過去の歴史を歪曲している国は共産支那なのである。

田中内閣による「日中国交回復」以来、対シナ屈辱外交・土下座外交が行われてきた。日本は経済協力を強いられ、シナの経済発展に貢献した。然るにそのことは全く感謝されず、また、日本の貢献をシナ民衆には知らされることもなかった。そして今日、歴史問題・領土問題・資源問題で恫喝され、軍事的圧迫を受けている。何とも悔しい限りである。

昭和四十七年九月二十九日に 北京で署名された『日中共同声明』には「日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出される日に終了する」と書かれている。しかし、「日中国交樹立」以来のわが国と「中国」との関係こそきわめて「不正常な状態」であり続けている。

問題の根本は、わが国の軟弱さである。このままだと、わが国は共産支那の属国になってしまう。国家の主権・領土・独立・尊厳を固守し、正当なる主張をすることこそ、主権国家の政府としての基本的な外交姿勢である。

共産支那の反日策謀は、共産支那政府の国家戦略に基づいて行なわれていることは申すまでもない。その第一の目的は、共産支那がアジアの覇者となるために日本を押さえこむこと、第二の目的は、共産党一党独裁体制維持のために民衆の不満を外に向けさせること、である。「日中国交正常化」以来の『日中友好』は最早過去のものとなったのである。

日本の経済援助によって軍事的・経済的に強くなった共産支那によって、わが国が危険に晒されている。「日本が支那に経済協力を行えば、支那は経済発展し、経済発展によって民主化する」という考えは全く誤りであったことが証明された。日本のおかげで経済発展した共産支那は、軍事力を増強させ、わが国に牙を剥いてきたのである。これまで、「日中友好」を唱えてきたわが国内の「親中派」の責任はきわめて大きい。

今こそ、日本民族のナショナリズムを興起せしめねばならない。私は共産支那や南北朝鮮と戦争することを期待しているのではない。祖国日本の独立と自由の死守を叫んでいるのである。

巨大な軍事国家・全体主義国家の奴隷になるか、国家の独立と自由と繁栄を守るか、という二者択一の選択が、わが国民に迫られている。中華帝国主義の共産支那こそ二十一世紀の日本及びアジアの最大の脅威である。暴支膺懲の戦いを開始すべきである。

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千駄木庵日乗四月五日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、原稿執筆の準備など。

夕刻、谷中の歯医者に赴き、治療を受ける。帰途、近くの茶房で休息していると、大学時代の同期生に偶然出会う。群馬県の人なので少々驚く。

帰宅後は、資料の整理など。

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2013年4月 5日 (金)

「外交とは華麗に礼装した軍事である」

戦後日本は、経済外交を主軸にして来ました。特にアジア各国に対しては、経済協力を行なふことによって、その関係を良好にしやうと努力して来ました。それをすべて否定するつもりはありません。日本はアジアの発展のために多大な貢献をし、感謝もされてゐます。

しかし、共産支那と韓国は別です。日本は誤れる贖罪意識をさいなまれ、謝罪外交を繰り返し、金と技術を無分別に提供して来ました。ところが、この二つの國は、日本の謝罪を受け入れないだけでなく、経済援助に対して感謝すらせず、その実態を自国民に正しく知らせてゐません。

そして、この二つの國は、ことあるごとに反日姿勢を示し、わが國の国連常任理事国入りにも反対しました。それどころか、韓国はわが国固有の領土を不当に占拠してゐます。支那は尖閣と沖縄に侵略の牙を向けています。金をやり技術を提供しても何の役にも立たなかったといふことです。わが國は戦前から外交は下手です。

共産支那は日本の援助によって経済発展したおかげで、軍事力を増強し、その軍事力でわが国を脅かしています。なんとも許し難いことです。

共産支那と南北朝鮮に対しては毅然たる態度でのぞむべきであります。「外交とは華麗に礼装した軍事である」といふ言葉は正しいと思ひます。

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現代における和歌の復興の重要性

今日の日本は、文字通り内憂外患交々来るといった状況である。かうした状況にあって、我々の維新の情念を傳統的な文學によって訴へる「言靈のさきはへ」が今こそ必要なのである。和歌の復興が大切である。現代日本において短歌を詠む人は多いが、変革の情念、特に日本人の深層精神において継承して来てゐる民族の共同精神を表白し訴へるものとして和歌を詠んでゐる人は少ない。真の意味において和歌が復興した時代こそが維新の時代であるといっても過言ではない。維新を目指す我々は、和歌の力といふものの偉大さを今こそ實感すべきである。

そもそも愛國心・尊皇心は抽象的人工的な「理論」「理屈」ではなく、この日本に生を享け、日本に生きる者が抱く素直な感情であり自然な心である。さらに言へば日本人の「道」であり「まごころ」である。したがって愛國心・尊皇心は理論や教条によって表現されるよりも、和歌によってよく表白されてきた。現代に生きる我々は古人の歌によってその志・まごころ・道を學ぶべきである。

今こそ危機を脱出する方途として、単に政治體制の革新のみではなく、國民精神の革新・日本の傳統精神の復興を期さなければならない。そしてその中核が和歌の復興なのである。

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千駄木庵日乗四月四日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、資料の整理、原稿執筆の準備など。

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2013年4月 4日 (木)

言霊の幸はふ國・日本

『御託宣』『神示』は神霊が籠り神威が表白された言葉である。『祝詞』は人間が神への訴へかけた言葉であり、『歌』も人間の魂の他者への訴へである。祝詞にも歌にも霊が込められてゐる。祝詞を唱へ歌を歌ふと、そこに宿る言霊が発動し偉大なる力を発揮すると日本人は信じた。神・人・天地自然にまでその力が及ぶのである。これが「言霊の幸はふ」といふことである。日本文藝の起源はここにある。

折口信夫氏は、「(言霊信仰とは)古くから傳っている言葉の持ってゐる霊力・魂というものを考へてゐるのであり、それが言霊、つまり言語の精霊である。祝詞には勿論これがあると信じてゐた。言葉そのものに威力・霊魂があると考へた。それが言霊である。それは唱辭(トナヘゴト)以外、抒情詩其他のものゝ上に皆あると信じたのである。古い物語を語るとその内の霊魂が動き出す、歌を歌ひかけると、その歌のうちにひそんでゐる霊魂が働きかけると信じてゐたのである。」(『古代人の信仰』)と論じてゐる。

「言霊のさきはふ國」といはれるわが國においては、祝詞や歌は何よりも大切な神への捧げものとされた。日本文藝の起源は、神への訴へかけである。やまとうた・和歌は神聖な文藝であると考へられてゐた。神に対してだけでなく、恋人や親や死者など他者に対する何事かを訴へかけが、日本文藝の起源である。

他者に対して何事かを訴へるものが「歌」であり、何事かを語りかけるものが「物語」である。「うた」の語源は、神様に何事かを「訴へる」といふところから来てゐる。神に自分の心・神への願ひ事を訴へることが歌の起源である。

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千駄木庵日乗四月三日

午前は、母のお世話。

午後は、資料の整理。未整理の新聞・雑誌などはなかなか減りません。

夕刻、地元の後輩が一年位前に谷中寺町に開店した酒房に赴く。思い出話。静かな店。

帰宅後は、書状執筆。

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2013年4月 3日 (水)

愛国心と排外主義

国粋主義・愛国主義と排他主義・排外主義・民族差別とは全く異なるということを確認したい。我々は、中華帝国主義や北朝鮮独裁政権の我が国に対する恫喝や攻撃、韓国の反日行為に対しては厳しく対峙しなければならない。しかしそれは、全ての支那人や韓国朝鮮人を敵視し差別し排除するということではない。無論不良外国人・反日外国人・不法外国人は排除しなければならないが、支那人・朝鮮人だから排除し差別するということではない。

わが民族は本来大らかにして明るい民族である。八紘一宇・四海同胞の精神は大切にしなければならない。自分の主張と異なる主張をする人に対して、「あいつは朝鮮人だ」とか「ユダヤの手先だ」とか言って攻撃する人がいるようだが、これは日本精神ではない。

日本民族は、古来極めて柔軟な精神・文化感覚を持ってきた。大らかに外来文化・文明を包容摂取してきた。しかしその根底には、強靭なる国粋精神・民族精神・伝統精神があった。だからこそ、柔軟に外来文化を摂取しそれ日本化し洗練し高度なものにしてきたのである。

ただし、天皇を君主・祭り主と仰ぐ日本國體を破壊せんとする者共は、決してこれを許してはならない。また、我が国の主権・領土を侵し、日本国民に害を及ぼす勢力に対しては、厳しく対峙しなければならない。これは当然のことである。笹川良一氏は、「世界は一家、人類は兄弟」と言われたが、その一方で、「戸締り用心、火の用心」とも言われた。理想と現実というものはよくよくわきまえなければならないということである。

最近、何か日本国民の韓国路支那糾弾活動における行き過ぎだ言動ばかりが批判されているようだ。ソウルや北京・上海などで行われる反日デモにおいて、天皇陛下の御真影、日本の政府要人の写真、そしてわが国の国旗を焼いたり踏みつけたりする行為をしている。品格の無い行動をしているのは韓国民・支那国民であることを忘却してはならない。

また、現実に我が国を侵略せんとし、我が国の主権を侵害し、固有の領土を不法占拠しているのは支那・韓国であることを忘却してはならない。

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萬葉古代史研究會 のお知らせ

小生が講師となりて「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。

日時 四月十日(毎月第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

 

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維新について

「萬葉集」を読んでゐますと、あの時代は現代日本とよく似てゐることを実感します。萬葉の時代は決して平穏無事な時代ではありませんでした。内憂外患交々来たるといった大変な危機の時代でした。また、その危機を乗り越えやうとする大変革・大建設の時代でした。

まず、國體の危機がありました。壬申の乱といふ天智天皇の皇子・弘文天皇と天智天皇の弟君天武天皇との戦ひの勃発です。これは南北朝の争乱以上の危機でした。その前には、大化改新といふ蘇我氏の専横を打倒し天皇を中心の統一国家を建設する大変革がありました。対外関係においても、白村江の戦ひがあり、唐新羅連合軍のわが國への侵攻の危機がありました。

今日の日本もまた、皇室典範改正問題といふ國體の基本に関する問題が起こってゐます。また、共産支那と朝鮮からの外圧が激しくなってゐます。また、内政面では『維新』が叫ばれてゐますが、その維新なるものが如何なるものなのか明確ではなく、果たして日本を良くする維新なのかよく分かりません。

萬葉集の時代即ち白鳳・天平の時代は、日本の國體精神を明確にすることによって国家的危機を乗り越え、やがて平安時代といふ文字通り平安の世を迎へました。明治維新も國體を明らかにすることによって国家的危機を乗り越えた大変革でした。

今日の日本も、天皇を祭祀主と仰ぐ日本国の真姿に開顕する事によって、危機を乗り越えていかねばならないと思ひます。また、必ず乗り越えることができると確信します。それが真の維新です。

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日本伝統信仰の自然観

人類は自然と人間との関係において、自然を征服し支配し造り変へるといふ対し方と、自然に即し自然と共に生きるといふ対し方の二つの立場を持ってゐる。一神教は前者、多神教は後者である。

 自然と共に生きるといふことは、自然の命と人の命を連続したものと見、自然は神から生まれたといふ信仰、自然の中に神を見る信仰から出てくる精神である。

 世界各地の「神話」は、人類最初の男女神はまづ最初に人間を創造してゐる。キリスト教の『創世記』には「はじめに神は天と地とを創造された」「神は自分のかたちに人を創造された。…神は彼らを祝福していはれた。『生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従はせよ、…すべての生き物とを治めよ』」と書かれてゐる。天地自然や人間は全知全能の神が創造された物であるといふことは、神と天地及び人間とは<別個の存在>だといふことである。また、人間は大地を服従させ、すべての生物を支配することを神から許されたのだから、人間が自然をいかに造り変へても構はないし、また生物を生かすも殺すも人間の自由である。近代科學技術による自然の造り変へ・破壊が何らの罪悪感無しに行はれてきた思想的根拠はここにある。

 日本の天地生成神話では、伊耶那岐命と伊耶那美命の「むすび」によって國が生まれた。自然も國土も神から生まれたのだから神の命の延長である。また、単なる「大地の生成」ではなく「國土の生成」である。伊耶那岐命・伊耶那美命がお生みになった大地は、無國籍にして名前もない土の塊としての大地ではなく、國土である。だから生まれた國には神の名が付けられる。大八洲を神の住みたまふ國土として把握する。つまり天地自然を神として拝んだのである。

 このやうな日本人の自然観は、人間が自然を征服し作り替へるといふ西洋の自然観とは断然異なる。柿本人麿の長歌はかうしたわが國の神話の精神を表現してゐる。自然破壊が進む今日において、日本伝統信仰の自然観は重要な意義を持つと考へる。

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千駄木庵日乗四月二日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、諸雑務。

午後七時より、新九段下沙龍にて、『憲法勉強会』開催。「大日本帝国憲法』議会条項について討論。

帰宅後は、資料の整理。

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2013年4月 2日 (火)

言霊の復活が世の乱れを正す大いなる方途である

言霊の復活が世の乱れを正す大いなる方途である

日本人は神代以来、日本国は「言霊」によって護られる国であると信じて来た

言葉ほど大切なものはない。言葉は人間の心を表現する。言葉のない生活は考へられない。言葉は、共同体において生活する人と人とを結合させ、人と人との間をつなぎ相互に理解を成立させる。言葉は、人間生活そのものを体現し、共同体は基本的に言葉によって成立する。

「言葉の乱れは世の乱れ」といはれる。今の日本は乱れてゐる。乱世である。その原因は、言葉の乱れが重大な要素になってゐると考へる。

日本民族は古来、言葉を大切にし、言葉には不可思議にして靈的な力があると信じ、言葉を神聖視してきた。『萬葉集』の歌に「言霊」といふ言葉がある。「言霊」とは言語精霊、言葉に宿る霊力のことである。古代日本人は言葉に精霊が宿ってゐると信じ、言霊即ち言葉に内在する霊的力が人間生活に大きな影響を与へると信じた。

古代のみならず今日の日本人の多くは、言葉に宿る神秘的な力によって禍福が左右されると信じるのみならず、「言霊」によって護られ栄えゆく国が日本国であると信じてゐる。日本人は、言葉に霊が宿ると信じ、言葉を唱へることによってその霊の力が発揮されると信じてゐる。故に、日本人は言葉を慎み、畏敬する。

神道で「祝詞」を唱へ、仏教で経文・経典を読誦し題目や念仏を唱へるのは、それらの言葉に神秘的にして不可思議な力が宿ってゐると信ずるからである。

悪しき言葉の氾濫が國をおかしくする。今こそ、魂のこもったやまと歌が多くの人々によって歌ひあげられなければならない。言霊の幸はふ國を回復しなければならない。

村上一郎氏は、文学および詩歌を定義して「詩的な言語表現をもってする人間の生き死にの道の表現である」(『明治維新の精神過程』)と語ってゐる。人間の「生き死にの道」の表現を言語で行ふことは、言葉の価値を最高に認めることである。

いのちが枯渇し言靈が失はれた言語が氾濫する情報化時代の現代においてこのことは重要である。現代においても、和歌や俳句といふ日本傳統文藝は多くの人々によって継承され愛好されてゐる。しかし、命ある言葉・言霊は不足してゐるのではないだらうか。

国家的危機に瀕してゐる今こそ、言葉を正さねばならない。やまとことばの復興、言霊の力による国の再生が図られなければならない。一切の改革・変革の基本に、言霊の復興がなければならない。言霊の復活が世の乱れを正す大いなる方途である。言葉の問題は、「品格」とか「ヒューマニズム」と言った次元のことではない。日本民族の道統の問題である。

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谷中霊園にて

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雲井龍雄氏墓表

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川上音二郎像の台座・銅像は戦時に供出された。

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髙橋お傳の墓

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塩谷宕陰顕彰碑

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大原重徳卿神道碑

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大原重徳卿墓

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徳川慶喜公・同夫人の墓

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東叡山寛永寺寺務所・この奥に、徳川慶喜公が謹慎した建物がある。

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東叡山寛永寺根本中堂

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上野戦争碑

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圓珠院山門と桜

            ◎

本日、経巡りました谷中霊園と上野寛永寺において写した写真です。

先日も書きましたように、谷中霊園は、どちらかと言えば、江戸末期から明治時代にかけて、いわば反政府の立場で活躍した人が多く眠っております。(刑法犯の髙橋お傳は別として)

雲井龍雄は、米沢藩士で、戊辰戦争の時、奥羽列藩同盟組織に奔走し、明治の御代になると薩長藩閥政府打倒の密議を凝らし、捕縛され、さらし首となりました。

塩谷宕陰(とういん)は、羽後大館の人で、漢学者、幕府儒官。天保の改革に参画し、海防を唱え、軍艦建造を具申しました。

大原重徳(しげとみ)は、尊皇攘夷・王政復古実現のために活躍した公卿です。水戸徳川家と協力して、文久三年勅使として江戸に下向、幕府に幕政改革の勅諭を伝達しました。慶應三年の小御所会議では、徳川慶喜の辞官・納地決定を推進しました。

川上音二郎は、福岡県の人。俳優。壮士劇の率先者。政談演説を行い、自由民権を唱えて、過激な政府批判を行ったためたびたび獄に投ぜられました。今風に言えば『オッペケペ節』のシンガーソングライターです。新派劇の創始者でもあります。

大原氏を除けば、明治新政府というより薩長藩閥政治と戦った人々のお墓であり石碑であります。

徳川慶喜公のお墓は、神式であるため、寛永寺ではなく、谷中霊園に建てられたということであります。

寛永寺と上野戦争については、機会を改めて書かせていただきます。彰義隊は徳川幕府再興というか死守のために戦ったのですが、結果的に、徳川将軍家の菩提寺である寛永寺を焼失させてしまいました。悲劇というべきでありましょう。

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千駄木庵日乗四月一日

午前は、母のお世話。

午後は、『月刊日本』連載の「萬葉集に歌はれた日本の心」の原稿執筆。

この後、今年の桜の花の見納めのため谷中霊園散策。夕暮時であり、なんとなくさみしい気がする。

帰宅後は、『萬葉集』解釈の原稿執筆・脱稿・送付など。

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2013年4月 1日 (月)

宗教対立の恐ろしさ

私も世界三大宗教といわれる仏教・キリスト教・イスラム教について少しだけですが勉強しました。法華経も聖書もコーランも一応通読しました。この三つの宗教およびユダヤ教は、今日の世界においても絶大なる影響力を持っています。宗教とは人類に平和と安穏をもたらすのがその本来の使命であり役割なのでしょうが、実際にはこの四つの宗教が世界史におけるこれまでの紛争・戦争の原因になっていることも事実です。

中東の紛争はもちろん、北アイルランド紛争など今日唯今起っている戦争や紛争の原因は宗教対立・宗派対立です。ナチス・ヒトラーによるユダヤ人虐殺は、ヒトラーの異常性のみがその原因のように言われていますが、聖書には、イエス・キリストの言葉としてユダヤ人は悪魔の子であると言われています。

我が国現代の宗教が原因となった紛争は、中東や欧米ほど激しくはありませんが、オウム真理教のテロが起りました。また、政権与党の公明党の母体である創価学会と日蓮正宗の対立紛争も起こっています。池田大作は、自分に逆らった者は地獄に堕ちると罵っています。日蓮自身、他宗派の僧侶の首を由比ヶ浜で斬れと言っています。

萬教帰一を説き、感謝と愛と調和と和解を説いてゐる生長の家も、三代目の指導者が、自分が気に入らない者はたとえ親族と雖も教団から追放しています。

宗教対立の恐ろしさは、相手を悪魔であるとか異端者であるとか言って激しい憎悪の対象として憎み迫害するところにあります。世の中が不安定になればなるほど、そうした宗教対立が激しくなります。

宗教というものが人類に安穏をもたらし、文化の創造に大きな貢献をしてきたことは事実です。世界の美術・芸術・思想史は宗教抜きにしては考えられません。しかし冒頭に述べたように、人類の戦争・闘争・殺戮の原因もまた宗教であったことも事実であります。

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今日における尊皇攘夷

我國は現在、支那・韓国・北朝鮮からなめられ、国家の尊厳性を喪失しています。

 大西郷は、「王を尊び民を憐れむは学問の本旨」「萬民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節儉を行ひ、職務に精勵して、人民の標準となり、下民をしてその勤労を感謝せしむるに至らざれば、政令は行はれ難し」と述べています。この言葉も今日の我國政治家が噛み締めなければならないと思います。

 

また大西郷が遺した言葉以上に彼の歩んだ道、彼の行った偉業そのものにこそ、大西郷が今日の我々に語りかけている大きな教訓があると信じます。

西郷の歩んだ道は「東洋王道路線」(東洋的な帝王が仁徳をもととして国を治めるやりかた)と言われています。何よりも我國伝統の道義精神を根幹とした政治と外交を実行すべしとしたのが西郷隆盛です。     

 

今日の日本において、「政治改革」「教育改革」「行政改革」というように、「改革」ということがうるさいくらいに言われている。しかし、如何なる理念・精神を根本に置いて「改革」を行うかが問題です。

 明治維新が「尊皇攘夷」を基本理念にして戦われたように、現代維新においても、「尊皇攘夷」の精神を根底に置いて戦われなければなりません。「尊皇」とは萬世一系の天皇を中核とする國民的統一・道義心の高揚を図る事であり、「攘夷」とは國家民族の自主独立を回復することです。内憂外患交々来るといった状況にある今こそ、尊皇攘夷の精神が必要な時です。

 民族の傳統への誇りを忘却した民族には未来はありません。しかし、我々は絶望してはなりません。上に天皇おわします限り、民族の命は必ず新生し甦ります。そして、民族の歴史の流れ、民族の道統に立脚した変革が行われなければならなりません。日本國體精神こそが永遠の維新の原理です。

 我々日本國民は誇るべき國體精神を恢弘してわが國の革新と再生そして世界の真の平和実現に邁進すべきであります。 

 西洋から発した唯物文明・強いもの勝ちの覇道精神を反省し訂正せしめるものとして東洋の精神特に農耕生活から発した大自然と人間の共生の精神がある。東洋精神よって西洋唯物文明を克服するべきである。

 ナショナリズムとは将来へ向けて自国・自民族が独立を維持するための精神であって決して回顧的なものではない。これからの日本の独立のために欠くべからざるものなのである。ただし、明治維新の基本精神が神武建国への回帰であったように、インドの反英独立運動=ナショナリズムの思想的基盤が古代精神への回帰であったように、ナショナリズムの基礎にはその国の古代からの伝統精神への回帰があった。これを復古即革新という。

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千駄木庵日乗三月三十一日

午前は、母のお世話。

午後は、今夜行う講演の準備など。

午後六時より、春日の文京区民センターにて、『第三十回日本の心に学ぶ会』開催。渡邉昇氏が挨拶。瀬戸弘幸、犬塚博英両氏及び小生が講演。全員が意見発表。終了後、懇親会。

帰宅後は、原稿執筆。

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