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2013年3月 4日 (月)

日本民族の自然観

自然と人間との関係において人類は大きく二つの立場を持っている思われる。自然を征服し支配し造り変えるという対し方と、自然を離れず自然に即し、自然と共に生きるという対し方である。ユダヤ教・キリスト教・マホメット教という一神教は前者、神道と呼ばれる日本固有の宗教、そして仏教・ヒンズー教などは後者である。

自然と共に生きるということは自然の命と人の命を連続したものと見るということであり、自然は神から生まれたという信仰つまり自然の中に神を見るという信仰から出てくる精神である。

世界各地の神話は、人類最初の男女神はまず最初に人間を創造している。キリスト教の『創世記』には「はじめに神は天と地とを創造された」とあり、「神は自分のかたちに人を創造された。…神は彼らを祝福していわれた。『生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ、…すべての生き物とを治めよ』。」と書かれている。神は創造者であり、天地自然や人間は創造された物であるということは、<神>と<天地及び人間>とは<別個の存在>であるということである。そういう考え方からは、自然は神や精靈が宿る神聖な存在であるという信仰は生まれない。

また、人間は大地を服従させ、すべての生物を支配することを神から許されたのだから、人間が自然をいかに造り変えても構わないし、また生物を生かすも殺すも人間の自由である。近代科學技術・機械文明による自然の造り変え・自然破壊が何らの罪悪感無しに行われてきた思想的根拠は実にここにある。

ところがわが國の神話は、伊耶那岐命と伊耶那美命の「むすび」によって國が生まれたとする。自然も國土も神から生まれたのだから神の命の延長である。また、日本の創世神話は単に「大地の創造」ではなく「國土の生成」である。伊耶那岐命・伊耶那美命がお生みになった大地は、無國籍にして名前もない土の塊としての大地ではなく、國土であり生まれた國には神の名が付けられているのである。大八洲は神の住みたもう國土として把握しているのである。つまり天地自然を神として拝んだのである。

このような信仰は、自然と人とは相対立する存在とは見ない。神と人と自然には命の連続性があると考え、國と人とを一体のものとして把握する。ゆえに、日本人は本来自然を尊び破壊しないという生き方をとってきている。日本人の自然観は、人間が自然を征服し作り替え利用するという西洋の自然観とは断然異なるものである。

日本民族は、神も國土も人も、共に靈妙なる一体的生命存在として把握しているのである。日本民族においては本来、「今」がそのまま「神代」だったのである。「神代」とは遠く遥かな過去の時代のことではなく「今」なのである。現代の混迷と危機を打開するために、「今即神代」の精神を回復すべきである。

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