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2013年3月16日 (土)

長州藩・長井雅楽『航海遠略策』の先見性

 長州藩直目付長井雅楽は、文久元年(一八六一)五月に藩主毛利慶親に提出した建言書・『航海遠略策』で、次のような鎖國否定=開國論を論じている。

 「鎖國と申す儀は三百年来の御掟にて、島原一乱後、別して厳重仰せつけられ候事にて、其以前は異人共内地へ滞留差し免(ゆる)され、且つ天朝御隆盛の時は、京師へ鴻臚館(注・外國使節を接待した宿舎)を建て置かれ候事もある由に候へば、全く皇國の御旧法と申すにてもこれなく候はん。伊勢神宮の御宣誓に、天日の照臨する所は皇化を布き及し賜ふ可(べ)しとの御事の由に候へば、…天日の照臨なし賜へる所は悉く知す(統治する仼)可き御事にて、鎖國など申す儀は決して神慮に相叶はず、人の子の子孫たるもの、上下となく其祖先の志を継ぎ、事を述るを以て孝と仕り候儀にて、往昔神后三韓を征伐し賜ひ(神功皇后が朝鮮に遠征されたこと仼)候も、全く神祖の思し召しを継せ賜へる御事にて、莫大の御大孝と今以て称し奉り候。……仰ぎ願はくは、神祖の思し召しを継がせ賜ひ、鎖國の叡慮思し召し替られ、皇威海外に振ひ、五大洲の貢悉く皇國へ捧げ来らずば赦さずとの御國是一旦立たせ賜はば、禍を転じて福と為し、忽ち點夷(小さな外國)の虚喝(虚勢を張った脅かし)を押へ、皇威を海外に振ひ候期も亦遠からずと存じ奉り候…」。

 大和朝廷の頃は、外國との交際も盛んであり、太陽の照るところは全て天皇の統治される地であるというのが日本の神の御心であるから、鎖國政策は、日本の神の御心に反しており日本の伝統ではないから転換すべきである、そして、外圧という禍を転じて福と為し、天皇の御稜威を世界に広めるべきであると論じている。まさに堂々たる八紘為宇・四海同胞論である。

 明治維新後に、新政府が攘夷から一転して開國に踏み切った背景には、幕末期からこうした思想があったからである。表面的には、明治政府が徳川幕府と同じ開國政策を取るのなら、幕府を倒す必要はなかったと思えるかもしれない。しかし、決してそうではなかった。開國政策に転換するにせよしないにせよ、それを実行する主體的力量を日本という國家が持たなければならなかった。徳川将軍家にはそれが最早なくなっていたのである。だから徳川幕府は打倒されねばならなかった。

 天皇中心の國體を正しく開顕し、天皇を國家の中心に仰いでこそ、日本國の主體性の確立が行われ、外國の侵略を撃退し祖國の独立を維持することができたのである。それは明治維新後の日本の歴史を見れば明らかである。            

 歴史は繰り返すと言うが、今日の日本も幕末当時と同じように、内憂外患交々来るといった状況になっている。支那や南北朝鮮から侮りを受け、領土は侵され、國家としての自主独立が侵害されようとしている。しかも、國家防衛はアメリカに依存している。国内的には、偏向メディアは相変わらずエセ平和思想を鼓吹してわが國の安全と独立を國の内部から脅かしている。

 こうした状況を打開するためには、明治維新の精神に回帰し、明治維新と同じように、日本的変革の原理たる「天皇中心の國體の明徴化」の理念を基本とした大変革即ち平成維新を断行しなければならないと信ずる。

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