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2013年3月25日 (月)

日本民族はいかなる困難も神を祭ることによって打開する

「まつり」とは厳粛なる行事ではあるが、苦行ではない。明るく愉快な行事である。神人融和・神人合一の状態は明るく面白いのである。

「阿波礼、阿南於毛志呂、阿南多乃之、阿南佐屋気、於気於気(あはれ、あなおもしろ、 あなたのし、あなさやけ、おけおけ)」

これは、天照大神が天の岩戸からお戻りになり、世界が明るさを取り戻した際、天の岩戸の前で神々が歌い踊って喜ぶ場面の掛け声である。『古語拾遺』(平安時代の神道資料である。官人であった斎部広成が大同二年(八〇七年)に編纂したもので、全1巻。天地開闢から天平年間までのことが記されている)に見られる。

日の神たる天照大御神の再臨は、笑ひによって實現した。日本民族にとって「笑ひ」とは、暗黒や邪気を除去し明るい日の神を迎へる歓びであった。つまり祭りの原義と一體である。

日本人が「まつり」が好きなのは、日本人が本来明るい性格の民族であるからである。「面白い」といふの言葉は、實に天の岩戸開き以来の言葉である。神人合一とは、明るい面白い境地なのである。

我が國民が、祭りが好きであるといふことは、日本人が本来明るい精神を持ってゐるといふことである。厭世的でもなければ逃避的でもないといふのが我が國民性である。いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓ひ清めることができる信じ続けてきてゐるのである。

また「さやけ」といふ言葉には、日本人の清潔好きといふ感覚が表現されてゐる。面白く楽しく清らかいふのが「まつり」なのである。

ここに日本神道=日本傳統信仰の特質がある。一神教や仏教は難行苦行を経なければ神の許しを得ることはできない。そして神は常に人間に対して罪を犯したら裁く、神に背いたら報復すると脅し続ける。神道はさういった恐怖の信仰ではない。

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