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2013年3月31日 (日)

国家的危機に遭遇している今日、「もののふのこころ・やまとうたの精神」を復興せしめるべし

日本國民の草莽の心としての思想・精神とりわけ國體観念は、和歌によって表白せられ傳承されて来た。幕末維新期の志士の歌などを見てもそれは明白である。 

元寇・明治維新・大東亜戦争の時もさうであるが、我が國は國家的危機の時に、國民的な尊皇愛國の精神が燃え上がる。そしてそれ一體ものとして「まごころを歌ひあげる言の葉」としての和歌が勃興する。それが「萬葉集」であり、幕末維新の志士の歌であり、大東亜戦争で散華した英靈たちの歌である。和歌と日本的変革=維新とは切っても切れない関係にある。

「萬葉集」の編者は色々の説があって確定できない。しかし「萬葉集」には大伴一族のことについての記述が多く、大伴家持の歌が「萬葉集」四千五百首の十分の一を占めてゐることから、家持が編纂に大きく関ったことは確実である。

 大伴家持は、天孫邇邇藝命御降臨の時、その前衛を承った天忍日命(アメノオシヒノミコト)、神武天皇に従った第一の功臣・道臣命(ミチオミノミコト)の嫡系である。大伴家持は、國家民族の大変革期において日本國の國柄の素晴らしさを後世に傳へなければいけないといふ使命感を持って、「萬葉集」の編纂に関はり、自らも歌を数多く詠んだのである。 

それは大きな勤皇の志であった。家持が、「大君のへにこそ死なめかへりみはせじ」と歌った勤皇の精神即ち大君の傍らで死にたいといふ「大君への思ひと志」「もののふのこころ」は、後世までずっと草莽の士によって継承され続けた精神である。

和歌・言靈の靈的力によって「まつろはざるもの」を服従せしめるといふ神話時代以来の精神が大伴氏に継承されてきたのである。近代における軍歌も同じであって、軍歌を歌ふことによって自らを奮ひ立たせると共に敵を圧服せしめる力を出すのである。国家的危機に遭遇している今日においても、欺瞞的な「戦後平和主義」を排して、「もののふのこころ・やまとうたの精神」を復興せしめねばならない。

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千駄木庵日乗三月三十日

朝、デイサービスに赴く母を見送る。

この後、在宅して、資料の整理、原稿執筆の準備など。

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2013年3月30日 (土)

『皇室を戴く社会主義』について

本日、國體政治研究会にて講演された梅澤昇平尚美学園大学前教授は、民社党の本部書記、政策審議会事務局長、広報局長などを歴任された民主社会主義の理論家である。河合栄治郎の學統を継ぐ方である。最近展転社より『皇室を戴く社会主義』という著書を刊行された。

梅澤氏は著書の「序文」に、「本書は『革新派』の社会主義者が、『伝統』の中心にある皇室とどう向き合って来たのかを探ったものである。…本書ではそれ(註・共産党)以外の社会主義を幅広く検証し、日本における『革新』と『伝統』の関わり合いを模索している。…この問題は決して過去の問題ではなく、これからも続く問題である」と書いている。

傳統と革新の一致・融合は、日本的変革の原理である。維新とは「復古即革新」である。日本の伝統精神の「核」は言うまでもなく「天皇・皇室」である。天皇中心の國體を明らかにすることによって、国家革新を断行したのが明治維新である。

昭和の御代の革新運動も、明治維新の精神と行動を継承した。所謂社会主義者も、「天皇制打倒」を目指した共産党は別として、「天皇・皇室」を戴く革新を目指した政治勢力は多い。「錦旗革命」「国家社会主義」とはそういう思想であり運動であろう。

二二六事件の将校には「天皇中心社会主義」という事を主張した人があった。北一輝の「国体論及び純正社会主義」の影響を受けたと思われる。また、権藤成卿も橘孝三郎も大川周明も、天皇を変革の中心に置いた国家変革を志向したと思われる。

赤尾敏氏は、戦前は勿論戦後においても「天皇中心社会主義」を主張した。また三島由紀夫氏は全共闘との対話で「君たちか『天皇陛下万歳』と言ったら手を結ぶ」と言った。

強く印象に残っているのは、昭和三十四年四月十日、今上陛下御成婚の賢所(宮中で三種の神器のひとつである八咫鏡を祀る場所。八咫鏡そのものを祀るというより、八咫鏡を天照大御神の神魂として祀るといった方が正しい。かつては内侍が管理したため内侍所(ないしどころ)とも称された。現在は宮中三殿の中央が賢所とされる)の儀に、当時日本社会党の委員長か書記長だった浅沼稲次郎氏が参列し、かしこまって座っていた。梅澤氏の著書によると、浅沼氏は毎朝、神棚を拝み、皇居を遥拝していたという。

梅澤氏の著書によると、戦争直後の「日本社会党結党大会」では、賀川豊彦氏の発声で「聖壽万歳」を三唱し、浅沼氏の先導で「皇居遥拝」を行ったという。今日、国会に議員を送っている政党の党大会で「聖壽万歳」「皇居遥拝」を行うことはない。国旗も掲げず、国歌も斉唱しない政党すらある。

ともかく、日本の傳統の核である天皇・皇室は変革の核でもある。過去から今日において「天皇・皇室」は「無くてはならぬご存在」あった。そしてそれと共に、未来においても「無くてはならないご存在」である。今日においてこそ、「天皇・皇室」を原基とする維新変革を断行しなければならない。

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千駄木庵日乗三月二十九日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後三時より、歯医者に赴き治療を受ける。

日暮里駅近くの茶房で読書。

午後六時半より、文京シビックセンターにて、國體政治研究会(中村信一郎代表幹事)主催「梅澤昇平氏新刊記念研究会」開催。小生が司会。田久保忠衛氏が新刊への祝辞を述べた。そして、荒岩宏奨幹事が西村真悟衆院議員のメッセージ朗読。梅澤昇平尚美学園大学前教授が『皇室を戴く社会主義研究の回顧・展望・課題』と題して講演。活発な質疑応答が行われた。この後、近くの酒房で懇親会。

帰宅後は、諸雑務。

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2013年3月29日 (金)

青山霊園に眠る先人の墓所

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 大久保利通墓所                             斉藤茂吉墓所

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大久保公神道碑

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濱口雄幸墓所

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井上準之助墓所

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頭山満先生ご夫妻墓所

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牧野伸顕夫妻墓所

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樺山資英氏墓所

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桜花爛漫の青山霊園

          ◎

久しぶりに青山霊園を散策した。近代史に登場する多くの人々が共に眠っている。立場を異にしたり、敵味方となった人々の墓所が同じところに眠っている。最高権力者であった大久保利通のお墓のすぐそばに、在野の歌人・斉藤茂吉が眠っているというのも面白い。しかもお墓の形も大きさも対照的である。『大久保公神道碑』とは、大久保利通の功績を刻んだ石碑である。近代書道家の最高峰といわれる日下部鳴鶴書。楷書のお手本になっている。

私宅近くには、谷中墓地がある。そこにも幕末から近代にかけて活躍した多くの人々が眠っている。徳川将軍家の菩提寺である寛永寺に隣接しているためが、谷中霊園にはどちらかというと、德川方あるいは在野で活躍した人の墓所が多い。青山霊園は、明治大正期に位人臣を極めた人々の墓所が多いように思われる。西南戦争で戦死した警視庁所属の巡査たちの墓もあった。川路利良の墓もあった。一方、谷中霊園には、大隈重信に爆弾を投擲した来島恒喜、大久保利通を襲撃し死に至らしめた島田一郎などの墓所がある。

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千駄木庵日乗三月二十八日

朝は、母のお世話。

午前十一時より、青山霊園内外国人墓地・金玉均先生墓前にて、『金玉均先生墓前祭』執行。祭主・頭山興助氏が挨拶。呼掛け人を代表して小生が挨拶。福永武氏が斎主となられ祭事執行。祝詞奏上・玉串奉奠が行われた。そして、近くの会場にて、直会が行われた。談論風発、侃侃諤諤、大音声の議論が展開された。

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金玉均先生墓所

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玉串奉奠・斎主福永武氏

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玉串奉奠・祭主頭山興助氏

この後、頭山興助氏など数人の同志と、頭山満先生の墓所に参拝。そして、近代日本において活躍された多くの方々の墓所巡拝。

帰宅後は、明日行われる國體政治研究会のテキスト『皇室を戴く社会主義』(明日の講師・梅澤昇平氏の近著)を読む。

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2013年3月28日 (木)

「萬葉集」は國家変革・激動・外患の危機の時代の歌集

「萬葉集」は、大化改新・壬申の乱・白村江(はくすきのえ)の戦ひ(唐新羅連合軍と日本百済連合軍の戦ひ)の敗北といふ國家変革・激動・外患の危機の時期の歌集である。「萬葉集」が生まれた時代は、明治維新の時期とよく似てゐる時代であった。また、今日の日本の状況ともよく似てゐる時代であった。

「萬葉集」の時代は、わが國が支那の思想・文化・政治制度・法制度を受容した時代であった。わが國が異質の文化(特に仏教・儒教という精神文化と唐の政治法律制度の受容)に遭遇した激動の時期であった。これに対抗するためにわが國傳統的精神文化が興起した結晶が「萬葉集」である。

権力闘争・皇位継承の争ひもあったが、大和朝廷の基礎が固められた時期である。つまり、天皇中心の國家体制が法律的・制度的に確立した時期である。

当時の日本人が國難の時期に如何に日本國體精神を讚仰し道統を継承し、それを元基として國難を乗り越えたかが、「萬葉集」を読むひしひしと傳はってくる。「萬葉集」には天皇國日本が様々苦難を経ながら國家體制が確立した時期である大和時代から飛鳥奈良時代を経て平安朝初期にかけての「時代精神」「國民精神」が歌はれてゐる。

大陸からの文物輸入時代であり内憂外患交々来たるといった時期に、國體精神を謳歌し天皇國日本の永遠を祝福する歌集が編纂されたことに重大な意義がある。草莽の心としての國體観念は和歌によって傳承されて来た。

「萬葉集」といふ名称は、「葉」とは「言の葉」のことであるとして「多くの人の言葉を集めた」といふ説と、「葉」を時代と解釈して、「萬代まで天皇の御代が続くことを祈る」といふ意味であるといふ説がある。いづれにしても「萬葉集」とは聖寿萬歳・天壤無窮・皇位不滅を祈り奉るために多くの人々の歌を集めた歌集といふ意味である。

折口信夫氏は、「萬葉集といふ命名が、褒めことばであることを強調しておきたい…其は書物の生命を祝福する意味ばかりでなく、主上の生命の長く久しきことを祝福するものと考へられる…。萬葉集の歌は、…天子・皇居の長久であること祝した詞章、或は其等が発達して文學的に洗煉せられたもの…」(全集十二巻)と論じてゐる。

 また、高崎正秀氏は、「萬葉といふことが、そもそも聖寿萬歳を祝福する歌集の謂ひであった。巻第一を雄略天皇、巻第二を磐姫皇后お二方の鎮魂歌にはじまり、家持の神賀詞代の短歌ー賀歌(新しき年の始めの初春の…)を以て結ばれる萬葉集第二0巻ーーそういう意図の下に編纂された。…萬葉集は舒明・皇極斉明両帝に出づる天智・天武両皇統を中心として…聖壽礼讃の呪言ーー賀歌の堆積といふ形をしてゐる。」(全集二巻)と論じてゐる。

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千駄木庵日乗三月二十七日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

午後四時より、虎ノ門のホテルオークラにて、『笹川平和財団中東政治変動シリーズ第十一回講演会』開催。アルシャリーフ・ナーセル・ビン・ナーセル氏が「中東における水資源管理と紛争予防」と対して講演。モデレーターは秋山信将一橋大学法学研究科教授。質疑応答。内容は後日報告します。

帰宅後は、資料の整理、原稿執筆の準備。

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2013年3月27日 (水)

この頃詠みし歌

ベランダから町見下ろせば子供らが列をつくりて歩み行くなり

朝な朝な紅茶を飲みてパン食す母と二人の語らひの時

許せざる心を持ちて夜を過ごす時に拝ろがむ白き観世音

大き寺の屋根の上なる金色の葵の御紋は夕日に光る

のどかなる春の霊園歩み行き朝倉文夫の墓所仰ぎたり

弓張月が浮かぶ夕暮 古き町の人らはせはしなく行き交ひてゐる

大き墓石に刻まれし文字 さわやかに澤田正二郎と書かれゐるなり

その昔慰霊祭に来たりける澤田正二郎の墓前にぞ立つ

島田辰巳久松喜代子の姿ありし澤正の墓前祭を思ひ出しをり

幻となりてはかなき五重塔 谷中霊園に春風ぞ吹く

幼き日に仰ぎし五重塔今は無く幻となりし谷中霊園

幸田露伴旧宅跡に今日立ちて失はれたる五重塔を思ふ

色とりどりの花供へられし墓並ぶ菩提寺の苑に春は来にけり

水で清め線香手向け花供へ先祖の墓に祈り捧げる

坂道をのぼり行きなば息切れてつくづくわが身の重きを思ふ

日の光照り輝ける下にして色とりどりの花美しき

生きてゆくことの尊さかみしめて今日も真向かふ大いなる太陽

夕暮れの枝垂桜が風に揺れ今さはやかに春は来たれり

風の音激しき夜更け國難といふ言葉をぞかみしめてゐる

富士見坂のぼり来りて見返れば富岳は見えず雲棚引けり

咲き盛る桜の花の下に立つ弘法大師のみ像うるはし

旅姿の弘法大師の石像を拝ろがみまつる花の下にて

日暮の里のみ寺の桜花 今を盛りに咲き満ちてをり

築山は藤代峠と名付けられ遠き紀州の景色模しをり

広き庭見はるかし立つ築山に春の光が降りそそぎゐる

やすらけき元禄の世につくられし庭はやまと歌の道傳へゐる

爛漫と咲き満ちてゐる枝垂桜見上げる人らの喜びの声

茶室にて赤毛氈の上に座し庭を眺めて心やすけし

平穏な世にはあらねど春の日に人らぞろぞろ歩く六義園

地下鉄を降りて地上に昇り来ぬ春の光はうららかにして

思ひ出の中の人々の写し絵に向かひて玉串捧げけるかも

日暮の里に桜の花満ちて春の光に照らされてゐる

窓開き遠く眺むれば桜花 日暮里の丘に咲き盛るなり

わが国の独立と自由を守るため仇なす者とは戦はねばならず

古き友と語らふ夕べの酒うまし苦楽一如の人生なれば

志ある友一人わが前に粛々と語る夜の酒房で

美しき女医さんがゐる歯科医院に通ひ行くことは楽しかりけり

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千駄木庵日乗三月二十六日

午前は、母のお世話。

昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。

この後、江戸川公園に赴き、散策。咲き盛る桜を眺める。

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江戸川公園の桜

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関口芭蕉庵

帰宅後は、書状執筆、資料整理、原稿執筆。

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2013年3月26日 (火)

『政治文化情報』平成25年4月号のお知らせ

小生が発行しております『政治文化情報』平成254月号(平成25320日発行)の内容は下記の通りです。

見本誌希望の方はメールにてお申込み下さい。m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp

〈皇都の一隅より〉

伊勢の神宮には全ての宗教の根源が現實に生きたのものとして顕現してゐる

日本人は日の神たる天照大神を最尊最貴の神と仰いで来た

太陽神たる天照大神の神靈を招き迎へ天照大神を象徴する「八咫鏡」

「天の岩戸隠れの神話」は、冬至の日に行はれた明るい太陽復活祭である

式年遷宮は「神代即今・今即神代」を實感する祭儀

式年遷宮と明治維新

式年遷宮と皇位継承

千駄木庵日乗

村井友秀防衛大學教授「國家成立の基本三要素たる國民・領土・主権を害する國が一番の敵」

王明理台湾独立建國聯盟日本本部委員長「平和のうちに國共が手を結べば、日米は手が出せない。台湾國家誕生まで努力していきたい」

陳南天台湾独立建國聯盟主席「『台中平和条約』が締結されれば、中國は何もしないで台湾を呑みこむことになる」

但野正弘氏(水戸史學會理事)「井伊直弼は暗殺されたのではない。正々堂々と討ち取ったのだから明殺である」

伊藤祐靖氏「日本は掟を元に戻さねばならない。憲法を変えなければ駄目。合わない掟を守っているから駄目。尖閣衝突事件が起こった。あんなぶつかり方をされたのに無罪放免にして帰したのは誰か」

山崎拓元自民党副総裁「尖閣問題は海保でやるべきであり、自衛隊を出すべきではない。中國も軍は出ていない。軍事衝突は戦争になる。侵略は断固として阻止する。中國には二萬社の日本企業があり、十三萬人の日本人がいる。これを守ることを考えるべし」

この頃詠みし歌

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千駄木庵日乗三月二十五日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、ある出版社の方三人と歌合せ。年末に刊行する書籍についてなり。(歌合せではなく打ち合わせの間違いでした)

この後、谷中墓地散策。続いて谷中にある歯科医院で治療を受ける。

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咲き盛る谷中霊園の桜

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帰宅後は、資料の整理など。

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2013年3月25日 (月)

日本民族はいかなる困難も神を祭ることによって打開する

「まつり」とは厳粛なる行事ではあるが、苦行ではない。明るく愉快な行事である。神人融和・神人合一の状態は明るく面白いのである。

「阿波礼、阿南於毛志呂、阿南多乃之、阿南佐屋気、於気於気(あはれ、あなおもしろ、 あなたのし、あなさやけ、おけおけ)」

これは、天照大神が天の岩戸からお戻りになり、世界が明るさを取り戻した際、天の岩戸の前で神々が歌い踊って喜ぶ場面の掛け声である。『古語拾遺』(平安時代の神道資料である。官人であった斎部広成が大同二年(八〇七年)に編纂したもので、全1巻。天地開闢から天平年間までのことが記されている)に見られる。

日の神たる天照大御神の再臨は、笑ひによって實現した。日本民族にとって「笑ひ」とは、暗黒や邪気を除去し明るい日の神を迎へる歓びであった。つまり祭りの原義と一體である。

日本人が「まつり」が好きなのは、日本人が本来明るい性格の民族であるからである。「面白い」といふの言葉は、實に天の岩戸開き以来の言葉である。神人合一とは、明るい面白い境地なのである。

我が國民が、祭りが好きであるといふことは、日本人が本来明るい精神を持ってゐるといふことである。厭世的でもなければ逃避的でもないといふのが我が國民性である。いかなる困難も罪穢も神を祭ることによってこれを打開し祓ひ清めることができる信じ続けてきてゐるのである。

また「さやけ」といふ言葉には、日本人の清潔好きといふ感覚が表現されてゐる。面白く楽しく清らかいふのが「まつり」なのである。

ここに日本神道=日本傳統信仰の特質がある。一神教や仏教は難行苦行を経なければ神の許しを得ることはできない。そして神は常に人間に対して罪を犯したら裁く、神に背いたら報復すると脅し続ける。神道はさういった恐怖の信仰ではない。

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千駄木庵日乗三月二十四日

午前は、母のお世話。

午後は、書状執筆など。

午後六時より、春日の文京シビックセンターにて、討論会開催。瀬戸弘幸氏と野間易道氏が討論。質疑応答。犬塚博英氏と小生もスピーチを行った。

帰途、犬塚氏と懇談。

帰宅後は、諸雑務。

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2013年3月24日 (日)

祭祀とは、神人合一の行事である

神道の基本行事は、神を祭ること即ち祭祀である。「祭り」とは神に奉仕(仕へ奉る)し、神の御前において自己を無にして神の御心に従ひ奉ることである。つまり神と自己との一體を確認し、神の御心のままに勤めることをお誓ひする行事である。祭祀は、神人合一の行事である。

「祭祀」とは、「始まりの時」に行はれた行事を繰り返し行ふことによって、「始まりの時」に回帰する行事である。日本神道の祭りは、お祓ひ、祝詞奏上、玉串奉奠などを行ふことによって、罪けがれを祓ひ清めて、人としての本来の姿に立ち帰るといふ行事である。言ひ換へると、一切の私利私欲を禊祓ひ去って生成の根源に回帰するといふことである。「無私」になって神に一切を「まつろふ」(従ひ奉る)から「まつり」といふのである。

「祭り」の語義に関しては次のやうな説がある

柳田國男氏は、「祭りごととは、食物を獻上する事に關する行動儀式といふ事であるらしい。…神の命令によって、與へられた種子を田に下して作った結果をば、神に奉り、復命する事がまつろふなのだから、まつりごとは、神に食物を食物を獻上する事である」(『祭りの話』)と論じてゐる。

柳田國男氏はさらに、「神の大前に侍座して暫く時を過ごす意。根本は尊敬せられるものとの対座面會、後世の語で意へば拝謁に近い語であったかと思ふ」(『神社のこと』)「マツルは…マツラフといふ語と別のものではない。今でいふならば『御側に居る』である。奉仕と謂っても良いかも知らぬが、もっと具體的に言へば御様子を伺ひ、何でも仰せごとがあれば皆承はり、思し召しのまゝに勤仕しようといふ態度に他ならぬ。たゞ遠くから敬意を表するといふだけではないのであった」(『先祖の話』)と論じてゐる。

山口悌治氏は、「(まつりとは・四宮註)一切の私利私欲を禊祓ひ去って生成の根源に還ること。…『無私』こそまた『まつり』の本義なのである。したがって『無私』がまた日本の天皇の御本質なのである。…『無私』であるからこそ天意の継承者として天津日嗣にましますのではないか。」(『萬葉の世界と精神』)と論じてゐる。

 人は、はじめから神に生かされ、神と離れた存在ではなく神と一體の存在であった。しかし、様々の罪穢が、神との一體観・神と共に生きる姿勢と心を隠蔽してしまった。禊によって罪穢を祓ひ清め、祭りと直會(神と共に供へ物を食する行事)によって神との一體観を回復する。これが神道行事の基本である。

神祭りは、日本傳統精神の原点であり日本傳統文化の祖型である。神祭りでは、共同飲食=神人共食が非常に重要な意味を持つ。「同じ釜の飯を食ふ」といふ言葉があるやうに、共同飲食は、人と人との共同意識・合一感を形成する。

祭祀において、神饌を神に差し上げて、これを人も頂戴して、飲食する「直會」が不可欠な行事である。座を変えてものをすることを直るといふが、祭祀を終えて座を変え神からのお下がりを頂戴するので直會といふのであらうか。直會とは、「なほり(直)あひ(合)」の変化とも、「なほる(直)」に反復・継続の助動詞「ふ」のついたものの名詞化ともいふ。忌(い)みの状態から平常になほることの意で、そのしるしの飲食をいふ。

直會は神人共食の行事であり、神と同じものを人が食べることによって神の魂・力・生命が人と一體になるといふ信仰である。神人共食=直會には、人の命を神に帰一し奉る意義がある。神に供へた物を人が食することによって、人は神の生命力を身に付け人の生命力を強化する。この神人共食が、日本の祭りの根幹である。

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千駄木庵日乗三月二十三日

朝、デイサービスに赴く母を見送る。

この後、諸雑務。

午後四時より、東陽町の民族革新会議事務所にて、『民族革新会議先人物故同志慰霊祭』執行。斎主・丸川仁氏、祭主・犬塚博英氏。祝詞奏上・祭文奏上・玉串奉奠・直会などが行われた。

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祭文を奏上する犬塚博英氏

この後、近くの弓道場にて、『憂国青年同盟勉強会』開催。犬塚博英氏がスピーチ。談論風発。

帰宅後も、諸雑務。

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2013年3月23日 (土)

朝廷と柳沢吉保

柳沢家伝来の重宝がある。その重宝とは「霊元上皇下賜柳沢吉保愛用硯」、「霊元上皇下賜柳沢吉里拝領霊芝」の二品である。霊元上皇から柳沢吉保に下賜され、門外不出の家宝として伝来してきた品である。

吉保は元禄13年(1700)に北村季吟から「古今伝授」を受けるほど和歌を愛した。六義園は言はば「和歌・王朝文化のテーマパーク」とも言う人もゐる。

吉保は六義園の絵図を霊元上皇に献上しますが、上皇は廷臣に命じて園内の十二境・八景の名所に関する和歌を詠ませ、それを記した巻物が吉保に下賜されるという栄に浴してゐる。

また、吉保の王朝文化への憧れは、側室の一人正親町町子に命じて、『松蔭日記』(岩波文庫に翻刻収録)といふ源氏物語風の吉保伝を書かせることにもあらはれてゐる。

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六義園散策記

六義園(りくぎえん・やまと言葉では、「むくさのその」と言ふ)は、德川幕府五代将軍・徳川綱吉の寵愛を受け、信任が厚かった柳沢吉保が元禄十五年(一七〇二)に築園した和歌の教養と理念を基調とする「回遊式築山泉水」の大名庭園である。

六義園の名は、漢詩の分類法(詩の六義)にならった『古今和歌集仮名序』にある和歌の分類六体(そへ歌・かぞへ歌・なずらへ歌・たとへ歌・ただごと歌・いはひ歌)に由来する。「真名序」では「風・賦・比・興・雅・頌」の六義になってゐる。

『古今和歌集』の「序」は紀貫之が執筆した。紀貫之は、平安前期の歌人、歌學者。三十六歌仙の一人。仮名文日記文學の先駆とされる『土佐日記』の作者である。加賀介、土佐守などを歴任。醍醐天皇の勅命による『古今和歌集』撰進の中心となった。

六義園は、中心に大きな池が配置され、築山(小高い丘)がある。池の周囲を散策する道があり、その外側には深山幽谷を思わせる林の中にも道が作られている。

池は紀州和歌の浦を模してゐる。築山は藤代峠と名付けられている。紀州・和歌山県にある藤代峠がモデルとなってゐる。標高は35m。いただきは「富士見山」と呼ばれ、そこからは素晴らしい展望が開けていて、六義園全体を見渡すことができる。紀州の藤代峠は、有間皇子が謀反の罪で死を賜った悲劇の地として知られる。有間皇子はご自分の死を予感して次の歌を詠まれた。

「磐代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば また還かへりみむ」(141)

「家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る」(142)

『萬葉集』屈指の名歌である。

和歌の浦は、和歌山市の南西部に位置する入り江。国指定の名勝。萬葉の昔から景勝の地として親しまれてきた。小生も一度訪れたことがあるが、空と海と島山とが一体をなす景色であり、しかもきわめて静かで穏やかな雰囲気を持ってゐる地である。『萬葉集』に次の歌がある。

「若の浦に潮滿ち來れば潟を無み葦邊をさして鶴(たづ)鳴き渡る」(和歌の浦に潮が満ちて来ると、干潟が無いので葦辺をさして鶴が鳴き渡る、といふ意)

 聖武天皇が御即位の年に和歌の浦に御巡幸遊ばされた時、供奉した山部赤人が和歌の浦の静かなる景色を歌った歌である。赤人は、『萬葉集』の代表歌人の一人で、素晴らしい叙景歌を詠んでゐる。

 この歌は天皇の御前で朗々と歌われた。日本民族には「海の彼方に常世(永遠の理想郷)がある」といふ伝統的な信仰がある。また、大和地方の住む人々にとって海は憧れの対象であった。それがこういふ海の景色を讃える歌を生んだのである。

 『萬葉集』の代表的な叙景歌として名高い。鶴が葦辺を飛ぶ姿を絵画的に歌ってゐることは事実であるが、この歌は写生・描写の歌と限定的にとらへてはならない。自然に対する畏敬の念を表白し、神秘的と言へるほどの静寂さが描写され自然との一体感が歌はれてゐる。

 

柳沢吉保自身も吉保がが仕へた徳川綱吉も、「生類憐みの令」や「赤穂事件」などであまり評判が良くない。しかし、綱吉は徳川歴代将軍の中では、尊皇精神の篤い人であったと思はれる。綱吉の将軍時代に、禁裏御料を一万石から三万石に増額して献上し、また大和国河内国一帯の御陵を調査の上、修復が必要なものに巨額な資金をかけて計六十六陵を修復させた。公家達の所領についてもおおむね綱吉時代に倍増してゐる。また、のちに江戸城中松の廊下で吉良上野介義仲に斬りつけた赤穂藩主浅野長矩を大名としては異例の即日切腹に処したのも、勅使・院使を迎へる当日に江戸城を血で汚し、儀式を台無しにされたことへの綱吉の激怒が大きな原因であったとされる。

柳沢吉保も、日本の伝統文化特に和歌には造詣の深い人であった。「六義園」が完成した時、六義園を描いた絵巻を、霊元上皇に献上し、お褒めのお言葉をいただいてゐる。

         ○

今日は実に多くの人々が六義園を訪れてゐた。特に夕刻になると、ライトアップされる枝垂桜を見ようとする人々が続々と入って来た。

和歌の浦を模した池

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藤代峠よりの眺望

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和歌の浦を模した池と、藤代峠を模した築山

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千駄木庵日乗三月二十二日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。また、ケアマネージャー来宅。今後の介護について相談。

午後は、諸雑務。

この後、本駒込の六義園散策。

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枝垂れ桜

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庭園

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庭園

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庭園

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庭園

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庭園

帰宅後は、原稿執筆など。

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2013年3月22日 (金)

現代の混迷打開と日本國體精神

現代日本の混迷は、日本國體を隠蔽し、日本傳統を軽視し、日本の神々を否定する思想が蔓延して来たことがその根本原因である。わが日本民族は、如何なる国難もこれを打開してきた歴史を持つ。今日の国難も打開し、正しき日本の姿を回復するに違いない。そのためには、真に國家の傳統精神を継承する者たちの必死の努力精進が必要である。

わが國の麗しい山河、かけがえのない道統を重んじ、日本の傳統的な文化を大切なものとする姿勢を取り戻し、祖國日本への限り無い愛と、國民同胞意識を回復しなければならない。わが國は天皇の文化的精神的統合精神を基盤として生きてきた。

また日本傳統信仰を基盤として、わが國は、様々の文化・芸術を花咲かせてきた。その文化芸術は今や、世界的に高く尊い価値を持っている。日本文化そしてその基盤である日本傳統信仰が今後の世界に大きな貢献をすると信じる。

日本國體は、神話の精神がその淵源である。神話の再興が現代の救済である。日本天皇は、神話時代からの傳統を継承され、實際に今日唯今も神話時代以来の祭祀を行われている。「天皇の祭祀」は、今に生きる神話である。天皇は、これからの日本と世界の真の平和と再生にとってまことに大切な御存在である。

歴史的に形成されてきた日本傳統精神は永遠に生き続ける。そして、天皇がその体現者であられる日本傳統精神が現代の危機を打開し将来の日本及びアジアそして世界の救済の力となり得る。

天孫降臨の精神=稲穂による統治という絶対平和の精神が重大な意味を持つ。日本傳統精神よって強いもの勝ちの覇道精神を反省し訂正せしめるべきである。天孫降臨の精神=稲穂による統治という絶対平和の精神が重大な意味を持つと確信する。

フランスの哲学者詩人ポール・アントワーヌ・リシャルは『日本の児等に』という詩で、「新しき科学と旧き智慧と、ヨーロッパの思想とアジヤの精神とを自己のうちに統一せる唯一の民! 此等二つの世界、来たるべき世の此等両部を統合するは汝の任なり」「流血の跡なき宗教を有てる唯一の民! 一切の神々を統一して更に神聖なる真理を発揮するは汝なるべし」「建國以来一系の天皇、永遠にわたる一人の天皇を奉戴せる唯一の民! 汝は地上の萬國に向って、人は皆な一天の子にして、天を永遠の君主とする一個の帝國を建設すべきことを教へんが為に生れたり」と歌っている。

日本精神すなわち明朗心・清明心・武の心・慈しみの心・むすびの心・神人合一・すべてに神を観る心・天皇仰慕の心・まつりの心・自然及び祖霊を神として拝む心によってこそ世界の混迷を救済できるのである。

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千駄木庵日乗三月二十一日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務。

この後、日暮里散策。諏方神社参拝。

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桜咲く諏方神社

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真言宗豊山派の名刹・養福寺仁王門

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養福寺本堂  日暮の里は江戸時代、多くの文人たちが訪れたという。なかでも養福寺は「梅翁花樽碑」「雪の碑」「月の碑」などの「談林派歴代の句碑」、江戸四大詩人の一人といわれる柏木如亭を偲んで建てられた「柏木如亭之碑」、妓畸人で知られた自堕落先生こと山崎北華が自ら建てた「自堕落先生之墓」など様々な文人の碑がある。

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養福寺弘法大師像

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昔ながらの棟割長屋。こういう建物も次第に失われていくようです。

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日蓮宗経王寺本堂の屋根と日暮里高層ビル

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歌舞伎に登場する古刹・延命院

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上野戦争で彰義隊が立て籠もった日蓮宗・経王寺

歯科医院に赴き、治療を受ける。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2013年3月21日 (木)

『斎庭の穂の神勅』を拝し奉りて

『斎庭の穂の神勅』に、「吾が高天原(たかあまはら)の所御(きこしめす)す斎庭(ゆにわ)の稲穂を以て、亦吾が兒(みこ)に御(まか)せまつる」(わが高天原につくっている神に捧げる稲を育てる田んぼの稲穂をわが子にまかせよう)と示されている。

 『斎庭の穂の神勅』は、高天原で神々が行われていた米作りをそのまま地上でも行うべしという御命令である。稲の種子を伝えるということは、米作りの生活を伝えることである。『斎庭穂の神勅』は、「米作り」という「くらし」の伝承なのである。これは、米作りを基盤とする文化が日本文化であることを証ししている。

 天照大神から皇孫・邇邇藝命に「斎庭の穂(ゆにわのいなほ)」を授けられたのは、高天原の稲を地上に移し植えて日本國を「豊葦原の瑞穂の國」とするのが、天皇のご使命であり民族の使命であるということを示している。天上から伝えられた斎庭の穂を地上に稔らせることによって、地上と天上とが等しくなると信じた。

 これは、神々の米作りの手振り・くらしを、地上に生きる人々が神習うという信仰である。神々の理想を地上において実現することである。その中心者が天照大神の「生みの子」であらせられる日本天皇なのである。つまり、天皇は神意現成の中心者である。「高天原を地上に」「今を神代に」というのがわが國の國家理想である。こんなすばらしい國は世界に日本しかない。これを萬邦無比の國體という。

 つまり、『斎庭の穂の神勅』は、民族生活の様式が水田耕作の上に立っている史実を物語る。そして、天皇の日本國御統治・國土経営の理想を示している。

 邇邇藝命は正しくは、「天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命」(アメニギシ・クニニギシ・アマツヒコ・ヒコホノ・ニニギノミコト)と申し上げる。この御名は、「天地に賑々しく實っている太陽神の御子であり立派な男児である稲穂の靈の賑々しい命」というほどの意である。邇邇藝命とは、太陽神の御子であるとともに稲穂の神の神格化である。

 穀物を稔らせる根源の力である太陽神の靈力を受けた天邇岐志國邇岐志天津日高日子番能邇邇藝命が、地上に天降り、天上の斎庭の神聖なる稲穂を地上に稔らせるという「天孫降臨神話」は、稲穂がにぎにぎしく稔る國を地上に実現することが天皇のご使命であり日本民族の理想であることを物語っている。「天孫降臨神話」は、まさに日本人の「米作りのくらし」の中から生まれてきたのである。

 言い換えると、皇祖神・天照大神は、稲穂を邇邇藝命に伝持させ、その稲穂を地上において栄えさせるという使命を歴代の天皇に与えたことを示している。それがわが日本の始まりであり、わが日本民族の基本的性格であり、日本という國家と民族の理想である。

 このように日本文化の基盤は稲作を中心とする農耕生活である。「神ながらの道」といわれる日本伝統信仰は、日本民族の稲作生活から生まれてきた。そしてその祭り主が天皇であらせられる。

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千駄木庵日乗三月二十日

午前は、母のお世話。

午後からは、在宅して書状執筆、資料の整理など。

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2013年3月20日 (水)

日の神の御子としてわけへだて無く天下を統治される日本天皇

 <やまとことば>では、「統治」のことを「きこす」「きこしめす」(「聞く」の尊敬語)と言う。天皇が民の心を聞かれるという意味である。

 日本を統治するために天の神の命令により天から天降られた天孫邇邇藝命の父にあたられ、天照大神が邇邇藝命の前に地上に天降らせようとした神を正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと)                                           と申し上げる。さらに、神武天皇の御子・綏靖天皇を神沼河耳命(かむぬなかはみみのみこと)と申し上げる。日本国の統治者・君主は「耳で聞く」ことを大事にされていたので「耳」という御名を持たれたと拝する。

 『古事記』には仁徳天皇の世を「聖帝の世という」と記されている。仁徳天皇は、高い山に登って四方の国をご覧になり、「国の内に炊煙が立たないのは国民が貧しいからだ。これから三年間国民から税金を取るのをやめよう」と仰せられた天皇で、聖帝と讃えられた。

 日本思想体系『古事記』の「補注」において佐伯有清氏は、「(聖帝の・註)『聖』とは、耳と呈(貞即ち正)から成り、耳聡く聞き分ける人、神秘的な洞察力のある人物。農耕社会では時候の推移を洞察して農事を指導することが、対立する主張を聴取して調整することと共に、王たるべき者の責務であるから、聖と王とは結びつきやすい」と論じている。

また『角川当用漢字字源辞典』(加藤常賢・山田勝美著)によれば、「意味を表わす『耳』と『口』と、音を表す『壬』とからなる形声字。…耳の穴がよく開いていて普通人の耳に聞こえない神の声の聞こえる意。…古代社会においては、普通人の聞きえない神の声を聞き分けうる人を『聖』と呼んだものであろう」という。

 一般人が聞きえないことを聞く人というのは、聴覚器官が普通の人より発達している人ということではなく、神霊の声を聞く人ということであり、祭り主ということである。神の声を聞いて民に伝え、民の声を聞いて神に申し上げるという神と人とをつなぐ役目を果たされる祭り主が天皇のなのである。

 また、<やまとことば>の「ひじり」(漢字では聖と書く)とは、「日を知る人」の意であるという。日とは文字通り太陽のことであり、天体の運行に通暁している人のことである。天体の運行即ち暦は農業にとってきわめて重要である。これを知っている人は農耕国家の君主たる資格を持つのである。また「日」は「霊」であり、「ひじり」は「霊力を有する神聖な存在」という意味でもある。

 『萬葉集』に収められた「近江の荒れたる都を過ぎし時、柿本人麿朝臣の作れる歌」という長歌の冒頭に、「玉だすき 畝傍の山の 橿原の 日知の御代ゆ 生れましし 神のことごと つがの木の いやつぎつぎに 天の下 知らしめししを…」とある。これは「(『玉だすき』は畝傍にかかる枕詞・註)畝傍の山の橿原に都を開かれた日知りにまします(神武天皇の・註)御代以来、(『つがの木』はつぎにかかる枕詞・註)この世に降臨された現御神はことこどくみな天下を御統治になられたが…」というほどの意である。ここにも「日知り」という言葉が登場する。

本居宣長は、「日知り」を「日の如くして天下を知らしめすといふ意なるべし」としている。「日の神・太陽の神の如くわけへだて無く天下を統治される天皇の御代」を「日知りの御代」と言ったのである。

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千駄木庵日乗三月十九日

午前は、母のお世話。

午後一時半より、三田の駐健保会館にて、『大行社幹部会』開催。顧問の一人としてスピーチ。

この後、日暮里の本行寺に参詣。小林一茶・山頭火の句碑、満開の枝垂桜を仰ぐ。

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本行寺の枝垂桜

続いて、谷中の歯科医院にて治療を受ける。

帰宅後は、資料の整理など。

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2013年3月19日 (火)

日本貿易振興機構海外調査部アジア大洋州課長・若松勇氏の講演内容

三月九日に行われた『アジア問題懇話会』における日本貿易振興機構海外調査部アジア大洋州課長・若松勇氏の講演内容。

「東南アジアでは日本企業への関心が高まっている。一九九〇年代から二〇〇〇年代は、中国が世界の工場として注目を集め、生産拠点・マーケットとしてプレゼンスが大きくなった。この四、五年、潮目が変わった。中国の人件費の向上が原因。昨年九月の激しい反日運動の影響がいまだに続いている。

東南アジアが見直されている。東南アジアは十カ国あり、国によって発展段階が異なる。リーマンショックの落ち込みからの回復が早かった。安定した成功を続けている。欧州の債務危機の影響が輸出の面である。しかしそれを補って余りある内需がある。国内投資が力強い。過去のように欧米依存していない。

中国は日本の三倍以上のマーケット。インドも経済規模が大きくなっている。インドはあと数年で日本のマーケットを超える。タイの自動車販売台数は、昨年は一四五万台。インドネシアは一〇〇万台を超えた。マレイシアは五〇万台を超えた。人口構成が若いので消費意欲が活発。日本のブランドが評価され、少し高くても買っても良い人が日本企業にとってターゲット。

アジアマーケットの変化とは流通の変化。小売店が増えている。タイは徐々に安定し、日本企業のタイ向け投資も増えている。ベトナムは社会主義の弊害が少ない。仏教信仰が強い。年配者を大切にする。ベトナムへの投資が増えている。

インドネシアは一万七千の島で成立。どうやって数えたのかと思う。ジャワ島に人口の六割が集中。資源が豊富。二〇一四年の選挙が注目される。政治混乱が無ければまだまだ伸びて行く国。しかしポテンシャルを生かしていない。インフラ整備に問題がある。日本からの投資も増えている。

東南アジアは親日的。賄賂がひどい。警察もお金を払わないと捜査してくれない。労働組合活動が活発。上部団体が動いている。突然工場に来て従業員を連れて行ってしまう。法律も労働者保護が強い。犯罪行為をして首を切っても退職金を払わねばならない。

フィリッピンは労働力が豊富で安価。英語が通じる。インフラが未整備。部品調達が出来ないのが問題。ブラザー、セイコー、キャノンが新規工場を造っている。

メコン地域(メコン川が流れているインドシナ半島地域)五か国で、カンボジア・ラオス・ミャンマーは遅れた国で、貧困国。そこが最近フロンティアのように見直されている。中国の人件費が上がっているからこの三国が見直されている。陸路整備が進んでいる。特にミャンマーが注目を集めている。二〇一〇年に民政移管が進み、自由化が進んだ。去年四月、スーチーさんが補欠選挙で国会議員になり、欧米経済制裁が解けた。日本企業は九〇年代から減っていたが、昨年から増え出した。駐在員事務所進出ブーム。しかし手続きや法制度が未整備。

メコンの国々は貧しかったが、所得水準が上がっている。ベトナムには高島屋の進出が決まった。賃金の上昇が共通の課題。

アセアンの環境変化はマーケットの拡大。貿易の自由化も進んでいる。物流も盛ん。日本がインフラ整備に貢献した事に感謝する気持ちがアセアンの人々にはある。

中国の進出が目立つのはメコン地域。ミャンマーは軍事政権だったので、日本はODAが出来なかった、中国の援助は現地で色々問題を起こしている。犯罪者を含む労働者を現地に送り込んで来る。ラオスでは中国人コミュニティが出来ている。日本の援助は時間がかかる。中国はすぐ援助する。

日本にとってアセアンは大事。日本がアセアンと深い関係になることは、中国に対するプレッシャーになる。

コンプライアンスは低い。地元企業は法律をあまり気にしない。労働裁判では必ず日本が負ける。『日本ではこうだ』を連発する企業は成功しない。現地の考え方・やり方を尊重し、現地の人を活用しないと摩擦が起こる。これからは現地の財閥、企業グループと一緒になって仕事をしていかねばならぬ段階。

市場として東南アジアが重要さを増している。台湾企業は、ベトナムとタイに根を張っている。実態面でプレゼンスを持っている」。

          ◎

今日こそ、中華帝国主義のアジア侵略を粉砕し、大東亜共栄圏の理想実現に邁進すべき時である。日本にはその主体的力量がある。

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千駄木庵日乗三月十八日

朝は、母のお世話。

午前十一時より、ラフォーレミュージアム六本木にて、『2013年深見東州作品展開幕式』開催。深見東州氏が挨拶。亀井静香・鳩山邦夫・西村眞悟の各氏、そして駐日カンボジア大使、駐日エジプト大使が祝辞を述べた。この後、深見氏の案内と説明を受けつつ、展示作品を鑑賞。

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この後、丸の内にて、知人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆・資料の整理など。

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2013年3月18日 (月)

「天壌無窮の神勅」について

「天壤無窮」とは、「天地と共に窮(きわ)まりが無く永遠である」という意味である。太陽神であり皇室の祖先神である天照大神の御孫であられる邇邇藝命が地上に天降られる時に、天照大神が邇邇藝命に与えられた<神勅>のひとつである『天壤無窮の神勅』にある聖句である。

「天壌無窮の神勅」には次のように示されている。

「豊葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の國は、これ吾が子孫(うみのこ)の王(きみ)たるべき地(くに)なり。爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)。寶祚(あまつひつぎ)の隆(さか)えまさむこと、當(まさ)に天壤と窮まりなかるべし」(豊かな葦原で秋になると稲穂がたくさん稔る國は私の子孫が統治すべき地である。なんじ子孫よ、これから行って統治しなさい。元気で行きなさい。天の日の神の霊統を継ぐ者が栄えるであろうことは、天地と共に永遠で窮まりないであろう、というほどの意)

「壤」とは「土」のことである。「これ吾が子孫(うみのこ)」とは、邇邇藝命をはじめ神武天皇そして今上天皇に至るまでの御歴代の天皇は、天照大神の「生みの子」であり、御歴代の天皇は天照大神の御神霊と一體であり、同一神格であり、邇邇藝命も神武天皇も御歴代の天皇も今上天皇も、天照大神と同じ関係であるということである。ゆえに天皇を皇御孫尊(すめみまのみこと)と申し上げるのである。今上天皇は、邇邇藝命・神武天皇と不二一體なのである。天皇が現御神・現人神であらせられるとはこういう意味である。 

「爾(いまし)皇孫(すめみま)、就(ゆ)きて治(し)らせ。行矣(さきくませ)」は、天照大神の生みの子よ、日本國を統べ治めよ、つつがなくあれ、という御命令である。 「治(し)らす」とは、「知る」の尊敬語の「知らす」と同じで、「知る」という動詞に尊敬の意を表す「す」のついた語である。天の下を御統治されるという意味である。

 なぜ「知る」という言葉が「統治」を意味するようになったのか。それは祭り主たる天皇は、神の意志を知ることを根本にして國家を統治されるからである。神の意志を君主がよくお知りになることが國家國民を統治することの基本なのである。

 天皇の国家統治の「統治」という言葉は言うまでもなく漢語即ち支那の言葉である。これを<やまとことば>で言えば「しらす」「しろしめす」である。「天皇が民の心を知りたまい民もまた天皇の御心を知る」ということが「統治」なのである。祭り主たる天皇が民の心を知りそれを神に申し上げ、さらに神の心を承って民に知らしめることが天皇の国家統治の本質である。このことによって「君と民とは相対立する存在ではなく、精神的に一体の関係にある信仰共同体」としての日本国が成立する。

 天皇統治は、天の神の御委任により天の神の地上における御代理としての天皇が天の下をお治めになるという雄大なる神話的発想に基づくのである。人為的に権力・武力によって民と国土を治めるのではなく、あくまでも神の御心のままに宗教的権威によって国民と国土を治めるというのが天皇の国家統治である。

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千駄木庵日乗三月十七日

午前は、母のお世話。

午後は、北区にある菩提寺に参詣。四宮家の墓を掃苔、拝礼。親族と共なり。

帰宅後は、資料の整理など。

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2013年3月17日 (日)

徳川幕府老中・堀田正睦の堂々たる八紘為宇論

幕末の徳川幕府中枢部にも、開明的にして柔軟な考え方を持つ人がいた。ペリー来航の翌々年の安政二年(一八五五)に老中首座となり対米交渉に当たった堀田正睦(まさよし・佐倉藩主)は、安政四年(一八五七)十一月に、評定所(徳川幕府最高の司法機関・老中、寺社・町・勘定奉行、大小目付らがここで事件を合議した)に下した意見書に、

 「…広く萬國に航し貿易を通じ、彼が長ずるところを採り、此の足らざるところを補ひ、國力を養ひ、武力を壮にし、漸漸(ようよう)全地球中御威徳に服従致し候様の御國勢に相成り、世界の害を成し候暴國は、同盟与國を率ひ、征伐を加へられ、善良孤弱の國を撫せられ、実に天心に代て天討を行はせられ、世界萬邦恵治の恩沢を蒙り、彼此相犯す事なく、兄弟臣子の情を結び、終に世界萬邦の大盟主と仰がれ、我が國の政教を奉じ、我國の裁判を受け候様相成り候…」(広く萬國と交流し、外國の長所を取り入れて我國の足らざるところを補い、國力を養って、軍事力を増強し、次第次第に全地球が天皇の御威徳に服従するような國の勢いになり、世界の害になる暴虐國家は同盟國を率いて征伐し、善良にして孤独で弱い國を援助し、天の神の心に代わって天の討伐を行い、世界萬國が恵みの政治の恩恵を蒙り、國家同士が互いに侵略し合う事なく、兄弟・君臣・親子の情を結び、終に日本が世界の盟主と仰がれ、萬國が我國の政治の在り方と信仰精神奉じて、我國の裁判を受けるようになる…、というほどの意)

 ここで堀田正睦が論じたことは、明治天皇の『五箇条の御誓文』に示された「智識を世界の求め大に皇基を振起すべし」という御精神、そして明治新政府の「富國強兵・殖産興業」政策と同じであり、先見の明に満ち溢れている。

 堀田正睦はさらに言う。「神州は、天地剖判以来、國祖天神皇統綿々、古往来今に亙り、君臣の名前正敷(ただしく)、國家の綱常明らかにして、其時に九鼎・風教を革(あらたむ)る如き國々と日を同じくして論ずべきにあらざれば、天孫豊葦原の中津國に降誕以来、時々の変革なきを以て、世界萬國第一の旧域、天帝血統の御國にて、天心の眷顧祐護之無き筈之無く、即今乾坤一変の機會に乗じ為されられ、祖宗の御遺法を御変通為されられ、却って御遺志に叶い為され候御処置を以て、世界萬邦の大盟主と仰がれ候様之有りたく。…」(神州日本は、天地が始まったときから、國の祖であられる天照大神の皇統が途絶える事なく続き、昔から今まで、君と民との名分は正しく、國家が守るべき大道は明らかであって、その時その時の状況によって貴重な伝統や事物を改めてしまう國々と同列に論じるべきではないので、天孫邇邇藝命が地上に降臨されて以来、その時その時の変革は無かったがゆえに、日本は世界萬國第一の古き國、天の神の血統を継承する國にて、天の神が日本を心から愛され目にかけられて助け守られないはずはない。今日只今は、天と地とが一変する機會に乗じられて、徳川家康の御遺法(鎖國政策のこと・註)を変えられ、かえって御遺志に叶う処置を以て、世界萬邦の大盟主と仰がれるようでありたく…、というほどの意)

 堀田正睦はここで日本國體と外國との違いを正しく論じ、日本の神への篤き信仰心を表白している。当時は、幕臣といえども、このような正しい國體観を保持していたのである。しかるに今日の日本はいわゆる保守政治家の中にも、皇室を蔑ろにする人間がいるということは実に以て憂えるべきことである。

 

「(アメリカが開國を求めて来た仼)此機會に乗じ、此御國を以て一世界の大盟主と仰がれ候様精忠を抽(ぬきんで)候は、即ち國祖天神えの御忠節、天朝御尊崇の随一、御祖三百年の御恩沢を報じ奉り候も、此時に之有る可く候間、当今外國人御取扱ひの義は、即ち他日宇内統一の御手始めの義に付き、…」(この機會に乗じて日本を世界の盟主と仰がれるように真心を尽くすことは、國の祖である天照大神への忠節であり、最高の皇室への尊崇であり、徳川家康の三百年の恩に報じることも、この時であるべきである。今日只今の外國人取扱いのことは将来日本が世界を統一する手始めのことであるから…、というほどの意)

 堂々たる八紘為宇論であり、皇室の尊厳性を基本にした世界統一を論じている。堀田正睦はこうした考え方に立って開國政策を推し進めようとしたのである。しかし、掘田は将軍継嗣問題で井伊直弼と対立し、井伊直弼が大老に就任した後失脚する。

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千駄木庵日乗三月十六日

朝、デイサービスに赴く母を見送る。

この後、『政治文化情報』発送作業、完了。読者の皆様には週明けにはお届けできると思います。

午後からは、在宅して、原稿執筆・資料の整理など。

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2013年3月16日 (土)

長州藩・長井雅楽『航海遠略策』の先見性

 長州藩直目付長井雅楽は、文久元年(一八六一)五月に藩主毛利慶親に提出した建言書・『航海遠略策』で、次のような鎖國否定=開國論を論じている。

 「鎖國と申す儀は三百年来の御掟にて、島原一乱後、別して厳重仰せつけられ候事にて、其以前は異人共内地へ滞留差し免(ゆる)され、且つ天朝御隆盛の時は、京師へ鴻臚館(注・外國使節を接待した宿舎)を建て置かれ候事もある由に候へば、全く皇國の御旧法と申すにてもこれなく候はん。伊勢神宮の御宣誓に、天日の照臨する所は皇化を布き及し賜ふ可(べ)しとの御事の由に候へば、…天日の照臨なし賜へる所は悉く知す(統治する仼)可き御事にて、鎖國など申す儀は決して神慮に相叶はず、人の子の子孫たるもの、上下となく其祖先の志を継ぎ、事を述るを以て孝と仕り候儀にて、往昔神后三韓を征伐し賜ひ(神功皇后が朝鮮に遠征されたこと仼)候も、全く神祖の思し召しを継せ賜へる御事にて、莫大の御大孝と今以て称し奉り候。……仰ぎ願はくは、神祖の思し召しを継がせ賜ひ、鎖國の叡慮思し召し替られ、皇威海外に振ひ、五大洲の貢悉く皇國へ捧げ来らずば赦さずとの御國是一旦立たせ賜はば、禍を転じて福と為し、忽ち點夷(小さな外國)の虚喝(虚勢を張った脅かし)を押へ、皇威を海外に振ひ候期も亦遠からずと存じ奉り候…」。

 大和朝廷の頃は、外國との交際も盛んであり、太陽の照るところは全て天皇の統治される地であるというのが日本の神の御心であるから、鎖國政策は、日本の神の御心に反しており日本の伝統ではないから転換すべきである、そして、外圧という禍を転じて福と為し、天皇の御稜威を世界に広めるべきであると論じている。まさに堂々たる八紘為宇・四海同胞論である。

 明治維新後に、新政府が攘夷から一転して開國に踏み切った背景には、幕末期からこうした思想があったからである。表面的には、明治政府が徳川幕府と同じ開國政策を取るのなら、幕府を倒す必要はなかったと思えるかもしれない。しかし、決してそうではなかった。開國政策に転換するにせよしないにせよ、それを実行する主體的力量を日本という國家が持たなければならなかった。徳川将軍家にはそれが最早なくなっていたのである。だから徳川幕府は打倒されねばならなかった。

 天皇中心の國體を正しく開顕し、天皇を國家の中心に仰いでこそ、日本國の主體性の確立が行われ、外國の侵略を撃退し祖國の独立を維持することができたのである。それは明治維新後の日本の歴史を見れば明らかである。            

 歴史は繰り返すと言うが、今日の日本も幕末当時と同じように、内憂外患交々来るといった状況になっている。支那や南北朝鮮から侮りを受け、領土は侵され、國家としての自主独立が侵害されようとしている。しかも、國家防衛はアメリカに依存している。国内的には、偏向メディアは相変わらずエセ平和思想を鼓吹してわが國の安全と独立を國の内部から脅かしている。

 こうした状況を打開するためには、明治維新の精神に回帰し、明治維新と同じように、日本的変革の原理たる「天皇中心の國體の明徴化」の理念を基本とした大変革即ち平成維新を断行しなければならないと信ずる。

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千駄木庵日乗三月十五日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』発送準備。

この後、歯医者に赴き治療を受ける。昨日に続き、谷中寺町散策。朝倉文夫、澤田正二郎などのお墓を仰ぐ。

帰宅後は、資料の整理、『伝統と革新』編集作業。

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2013年3月15日 (金)

日本の道統と易姓革命の排除

わが國においては、易姓革命思想は厳しく排除されてきた。何とかして日本皇室の萬世一系・皇統連綿の伝統を否定したい反日歴史学者は、いろいろ想像を逞しくして、わが國古代に王朝の交替があったと主張する。そして葛城王朝・三輪王朝・河内王朝などという「王朝」なるものを設定している。保守派と目される学者の中にも、「正田王朝」「小和田王朝」などという言辞を平気で弄する人がいる。また、「天皇は字が読めなくても良い」などと不敬千万な事を言う者もいる。さらに最近は、皇太子殿下に退位を求める不敬者も出て来た。

皇統の断絶が案じられた武烈天皇崩御の時も、大伴氏や物部氏という大臣・大連は、大きな権勢を持っていたのであるから、支那などであれば自ら王位を狙い新たな王朝を立てることはできた。にもかかわらず、応神天皇五世の御子孫男大迹尊(おおどののみこと)をお迎えして天皇の御位について頂いた。この事実は、当時すでに萬世一系皇統連綿の道統が継承され続けたことを証ししている。また、葛城氏や蘇我氏の権勢が強かったとしても、それは天皇の権威を背景としたものであった。

また、『日本書紀』には先帝・武烈天皇の御事績を「無道の所業」と記されている。さらに武烈天皇には御子がおられなかった。にもかかわらず、革命という事態にならず、皇統に属する方を求めて、皇位をお継ぎ頂いたことは、萬世一系・皇統連綿の道統がゆるがなかったことを証ししている。

 

支那などの外國ではこういう状況下では革命が起り、臣下の中から力のある者が王者となり新しい王朝が建てられるのが常である。支那においては、「天子」には有徳の人物が天命を受けてなるものであり、天子が徳を失えば位を他の人に譲らねばならなかった。これを易姓革命思想(支那古来の政治思想。徳のある者が徳のない君主を倒し、新しい王朝を立てること)・有徳王君主思想という。

しかし、わが國においては、こうした革命思想は最初から排除されていた。いかなることがあっても天皇・皇室打倒の革命は起らず、たとえご縁が遠くなっていても、皇統に属する御方を求めて「天皇」の位についていただいた。

つまり、繼體天皇の御代において「日本の天皇(スメラミコト)になられる方は、天照大御神の生みの御子たる邇邇藝命そしてその御子孫たる人皇初代・神武天皇の皇統に属する方でなければならない」という考え方が継承され確立していたのである。

言い換えると、わが國にはどのような事態になろうとも、天皇・皇室を排除して自分が日本國の支配者・統治者になろうとする者はいなかったのである。

わが國は、天皇を天照大御神の生みの御子=現御神と仰ぐ。どこまでも皇祖天照大御以来の皇統に属する御方に皇位を継承していただいてきたのである。それは古代から今日にいたるまでのわが國の揺るぎない道統である。

皇室典範改定・皇位継承は、外来思を排除し、あくまでもわが國の歴史と伝統に基いて行なわれなければならない。「皇室典範」の改正など、皇室に関わる重大なる御事は、権力機関である衆参両院や政府が決めるべきではない。祭祀國家の祭祀主たるスメラミコトの御位即ち「天津日嗣の高御座」の御継承については、日本の傳統を継承される祭祀主・上御一人の大御心に従い奉るべきである。

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千駄木庵日乗三月十四日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑雑務。

この後、谷中の歯医者に行って治療を受ける。そして、谷中霊園散策。夕刻、谷中三崎坂にて地元の友人と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備、資料の整理。

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2013年3月14日 (木)

この頃詠みし歌

次第次第に日脚伸び行く日々にして桜の花の咲く時を待つ

わが眠る部屋はしんしんと冷えまさり立春といふは名ばかりのこと

白雲がゆらりゆらりと流れゆく姿を見つつくつろぐ心

毛沢東死にて幾年金日成死にて幾年静まらぬアジア

満月がスカイツリーの上に照る自然の光りの美しきかな

満月が冴え返る下に青き光放ちて立てる人工の塔

鳥鍋を食してうれしき寒き夜友と訪れし古き酒房で

買ひ物袋下げてスーパーに向かひたり母の好める食材を求め

九段下の寿司屋の老女の姿無く年年歳歳人同じからず

光ある道を歩めといふ言葉かみしめて仰ぐまどかなる月

あの人もまたあの人もこれの世を去り行きしかなと友と語らふ

電話にて外つ國に行くと告げて来し友の明るき声に喜ぶ

安らかに過ごしゆきたしこれの世に生まれ来たりて六十有五年 

子供らが列をつくりて登校する姿を見るは嬉しかりけり

カーテンを開けば朝の日の光やはらかにさし春は来にけり

飛行船がゆらりゆらりと動きゆく光あまねき春の空かな

パソコンに向かひて日々を過ごすなり眼いたはること忘れざれ

人ら多く明るき顔で街を行く春の光ののどかなる下

春嵐吹きてたちまち日は蔭り東京の町を砂塵が覆ふ

春嵐吹き荒ぶ夜轟々と音の聞こえて心安からず

春の朝晴れわたる空仰ぎつつ心ゆたかになりにけるかも

陽光に照らされて立つベランダに春の風吹きさやかなる心

春の日のやはらかにさすベランダで窓の拭き掃除するすがしさよ

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千駄木庵日乗三月十三日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

午後六時半より、駒込地域文化創造館にて『萬葉古代史研究会』開催。小生が柿本人麻呂の長歌を講義。質疑応答。

帰宅後は、『政治文化情報』発送準備。

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2013年3月13日 (水)

アジアにおける最大最悪の軍國主義國家・侵略國家は共産支那である

東日本大震災2周年追悼式に参列しなかった共産支那と韓国は、絶対に許すべきではない。分かりきったことだが決して友好国ではないし、東亜同胞でもない。

共産支那代表が出席しなかった理由は、「指名献花」の対象に、昨年は入っていなかった台湾を加えたことだという。何という理不尽な理由であろうか。共産支那は台湾国民党政権を誑し込んで、何とか台湾を反日国家にしようとしている。従って、今回のことは日本に対する言いがかりである。一方、台湾国民党政権は沈黙している。これもおかしい。自分の國の代表が追悼式に参列することに異議を唱えたのだから、台湾政府は支那共産政府に抗議すべきだが、私の知る限りそういうことはしていない。

台湾の国民党政権は今日、共産支那と手を組もうとしている。否、現実に手を組みつつある。これは「第三次国共合作」である。国民党は共産党と手を組んだ後、必ずひどい目に遭っている。その歴史を忘却したのか。国民党は共産支那の台湾侵略支配に利用されているだけである。必ず墓穴を掘る。

また、国民党があれほど敵対していた中共と手を結ぶのは、「光復大陸国土・堅守民主陣容・実践三民主義・復興民族文化」という蒋介石の遺言を踏み躙る行為だ。大陸を支配する共産政権を打倒し、三民主義の国家を実現し、自由民主陣営に属し、民族文化を復興せよ、というのが蒋介石の遺言である。中国共産党との統一とか妥協などということは、蒋介石の頭の片隅にもなかったのである。実際、蒋介石は国共合作によって二回も煮え湯を飲まされている。馬英九は、国民党のかつての誤りを繰り返そうとしている。そして台湾を支那に売り渡そうとしている。

共産支那は、朝鮮戦争・中印戦争・中越戦争・チベット侵略・中ソ武力衝突など数々の戦争を起こし、チベット・内蒙古・満洲・東トルキスタン(新疆ウイグル)に対して侵略支配を行なっている。國内においても國共内戦から大躍進運動、文化大革命、天安門事件まで武力行使が行われ、六千万人以上の自國民を殺戮している。そして、対外膨脹策を取り続け、台湾・尖閣諸島・南沙諸島などへの武力侵攻を企て、東シナ海の支配を確立せんとしている。

「中華思想」とは、國家的民族的規模での「功利主義」「利己主義」「自己中心主義」である。「中華の繁栄」のためなら他國を侵略しても良いし、他國が滅んでも良いという思想である。今日のアジアにおける最大最悪の軍國主義國家・侵略國家は共産支那である。

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千駄木庵日乗三月十二日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、『伝統と革新』の校正・原稿執筆など。

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2013年3月12日 (火)

萬葉古代史研究會 のお知らせ

萬葉古代史研究會

小生が講師となりて「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。


日時 三月十三日(第二水曜日) 午後六時半より

講師  四宮正貴

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

お問い合わせは、四宮政治文化研究所まで。(m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp)

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「現行憲法の平和主義」や「非核三原則」を守って国が滅びしまっていいはずがない

北朝鮮のミサイル発射・核武装を『瀬戸際外交』などと呼んでいるが、全くおかしな事である。これは外交などというものではなく、明らかに戦争準備行為・軍事的恫喝である。わが國が本当に国家国民の安全と独立を維持する意志と力があるのなら、北朝鮮に対し即刻先制攻撃をすべきである。

「臭いトイレは元から断たなきゃダメという」というコマーシャルの文句があったが、北朝鮮によるミサイル攻撃を完全に食い止めるには、北朝鮮のミサイル基地に徹底的に先制攻撃を加える以外にない。経済制裁や国連決議など何の効果もない。

わが国は「非核三原則」「専守防衛」という時代遅れにして現実に合わない政策を破棄すべきである。

北朝鮮のミサイル発射・韓国の竹島占拠・共産シナ尖閣侵略策謀は、近隣三国によるわが国に対する敵対行動である。わが國はまさに国家的危機にある。

『元寇』「四百余州を挙る 十万余騎の敵 国難こゝに見る 弘安四年夏の頃」「いでや進みて忠義に 鍛へしわが腕 此処ぞ国の爲 日本刀をためしみん」という歌詞を想起する。

ところが日本にはミサイル攻撃からわが国を守る何の手段も持っていない。支那・韓国・北朝鮮の不法不当行為に報復する手段もない。戦後日本の平和主義がいかに危険な思想であるかが証明されたのである。

「現行憲法の平和主義」や「非核三原則」を守って国が滅びしまっていいはずがない。この国難を乗り切るためには、敵性国家に効果的に報復できる国防体制の確立以外にあり得ない。

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千駄木庵日乗三月十一日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、『政治文化情報』発送準備、資料の整理など。

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2013年3月11日 (月)

天皇の国家統治こそ真の日本的民主政治

天皇中心の國體を正しく実現する事を目的として断行された明治維新の基本的精神は、慶応四年三月一四日、明治天皇が京都御所南殿で、公家、諸侯や百官を率いて天地神明に誓われた『五箇条の御誓文』に示されている。それには、「広く会議を興し万機公論に決すべし」「上下心を一にして盛に経綸を行ふべし」「官武一途庶民に至る迄各其志を遂げ人心をして倦まざらしめんことを要す」「旧来の陋習を破り天地の公道に基くべし」「智識を世界に求め大に皇基を振起すべし」の五か条であり、國民の幸福を実現する政治の基本が示されている。

葦津珍彦氏は「五箇条の御誓文に見られる政治思想そのものは、決して外國の政治学理論によってはじめて教えられたものではなく、いわゆる幕末時代、約二十年の間に、日本人が政治実践の中から、自然成長的に形成されてきた日本人の政治思想であった。」(『近代民主主義の終末』)と論じている。

昭和天皇は、昭和五十二年八月二三日、那須御用邸で、宮内庁記者団に対して、「(『昭和二十一年元旦の詔書』の)第一の目的は御誓文でした。神格とかは第二の問題でありました。当時アメリカその他の勢力が強かったので、國民が圧倒される心配がありました。民主主義を採用されたのは、明治天皇の思召しであり、それが『五箇条の御誓文』です。大帝が神に誓われたものであり、民主主義が輸入のものではない事を示す必要があった。」と仰せになられた。

天皇の國家統治は、まさに「輸入のものではない民主政治であり民主主義」なのである。天皇の國家統治をやまとことばで「きこしめす」「しろしめす」と申し上げる。天皇の統治は民の心をお聞きになり、民の心をお知りになる事が基本である。そしてそれは議会によって実現する。ゆえに、明治維新断行後において、帝國議会が開設され『大日本帝國憲法』が施行されたのである。

近代に於いてのみならず、古代日本においても、國民のために政治が天皇の統治によって実現していた。『日本書紀』の「仁徳天皇紀」には次のように記されている。「天皇の曰はく、『其れ天の君を立つるは、是百姓(おほみたから)の爲になり。然れば君は百姓を以て本とす。是を以て、古(いにしへ)の聖王(ひじりのきみ)は、一人(ひとりのひと)も飢ゑ寒()ゆるときには、顧みて身を責む、今百姓貧しきは、朕(われ)が貧しきなり。百姓富めるは朕が富めるなり。未だ有らじ、百姓富みて君貧しといふことは』とのたまふ。」

天皇が國民の幸福を祈られる祭祀を執行され、國民は天皇の大御宝であるという事が正しく実現され、萬機は公論によって決せられるという体制が真に確立する時、國民のための政治即ち民主政治が、言葉の上においてではなく、実際政治に於いて正しく実現するのである。天皇のまつりごと=国家統治こそ、真の日本的民主政治のである。

天皇は常に國民の幸福を祈られておられる。わが國の天皇は民の幸福をわが幸福とされ民の不幸をわが不幸とされてきた。わが國は君民一体の國柄である。これこそ真の民主政治でなくして何であろうか。

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千駄木庵日乗三月

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、書状執筆、資料の整理など。

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2013年3月10日 (日)

支那の楊潔篪外交部長の記者会見の言葉を変えて次のような一文を書きました

39日の共産支那外交部の楊潔篪部長の記者会見の言葉を変えて次のような一文を書きました。

           ○

尖閣諸島は太古以来、日本の領土だ。尖閣問題の根本的な原因は共産支那が日本の領土を不法に窃取・占拠しようとしていることにあり、現在の局面は共産支那側の一方的な行為によるもの。支那側の行為は日本の領有権に対する侵害で、共産帝国主義・中華帝国主義の本格的発動だ。支那外相が「第2次大戦の勝利の成果と戦後の国際秩序に対する挑戦だ」などというのは全く間違いである。支那の侵略行為こそ、大東亜戦争の結果、アジアの諸国諸民族が独立を達成した事への重大な挑戦である。日本は、断固たる措置を講じ、領有権の維持に向けた日本政府・日本国民の強い意志と決意を示すべきである。

支那は、誤りを正し、日本側に謝罪すべきだ。歴史を正しく認識し直視することは、関係発展の重要な基盤だ。中華帝国主義・共産帝国主義が引き起こしている侵略は、東亜の解放者である日本を含むアジア各国の国民に甚大な被害をもたらしつつある。歴史を尊重してこそ未来を勝ち取れることは、事実が何度も証明している。共産支那は中華帝国主義によるアジア侵略の歴史を直視し深く反省し、侵略行為を謝罪してこそ、アジアの隣国と良い関係を築くことができる。

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『新しい憲法をつくる研究会』における保利耕輔憲法審査会会長(衆院議員)の講演内容

二月二十五日に行われた『新しい憲法をつくる研究会』において保利耕輔憲法審査会会長(衆院議員)が行った「憲法改正国民投票とプロセス」と題する講演内容は次の通り。

「夏の参院選で自民党が勝ちたい。参院は現在民主党が第一党。参院民主党幹事長の輿石氏は改憲に後ろ向き。民主党は憲法改正について意見が二分。

自民党衆議院議員は議員数が三倍になった。私たちの改憲への作業の内容がまだ分かっていない人が沢山いる。『日本国憲法改正草案・Q&A』を中心にして説明している。十人を超える議員から意見が出た。安倍総理からきちんと説明した。

国防軍という新しい概念導入について安倍総理総裁から説明があった。自衛軍の英訳は、『セルフディフェンスフォース』。外国に説明しにくい。国防軍の英訳は『ナショナルディフェンスフォース』。国家を守る集団であることを明確にする。戦争経験者には軍が強くなることへの抵抗感がある。しかし国を守る力を保持する必要がある。

私は、衆議院憲法審査会会長であり自民党憲法改正推進本部長でもある。『どんどんやりましょう』というのは自民党憲法改正推進本部長としての役割。衆議院憲法審査会会長は公平に意見を聞く行司役。立場の使い分けが難しい。自民党内には改正しなくていいという人は一人もいない。改憲は党是であり党の綱領に書いてある。

衆議院の憲法審査会は予算審議があるということで開けない。野党の腰が重い。

国民投票法に先立つ三つの宿題がある。①有権者が十八歳以上だと高校在学中の人も含まれる。それで良いのか。十八歳を成人と認めざるを得ない。煙草を吸って良いということになる。選挙権は二十歳以上。②国家公務員が憲法改正運動をすることを許すのかどうか。『全ての国民がたずさわらねばならないのだから許すべし』という意見がある。『公務員は憲法を守る義務がある。特に教育公務員が改憲絶対阻止という運動をされては困るから認めない』というのがわが党の意見。③国民投票を憲法以外のテーマにも広げるかどうか。認めると何でもかんでも国民投票で決めることになりかねない。費用もかかる。代表民主主義を否定につながる可能性がある。憲法審査会の幹事会でこの三つの宿題を検討していかねばならない。

九十六条の『この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする』の讀み方が難しい。

衆参両院に同じ改正案を出さねばならない。そのプロセスをどうするか。衆参両院共同の憲法審査会を作るのかどうか。国会として一本化した改正案を衆参両院で三分の二をクリアしないと国民投票にかけられない。公明党がOKしなければ三分の二にならない。公明党は『加憲』。これも三分の二の承認を得なければならない。『人権条項をしたものにする』『緊急事態に関する条項を作る』など各党の主張がある。それをやりやすくするには三分の二を何とかしなければならない。

改正すべき点が二十項目ある。それをいっぺんに出すと国民は訳が分からなくなる危険がある。国民投票の投票率が十%でも改正して良いのかどうか。普通の選挙でも投票率は六十%。法制局は改正条項一つ一つについて国民投票にかけるという考え方。自民党改正案をそのまま出せば、国民はそれを全部読まねばならない。一項目でも反対だと全体がバツになる。理念的に憲法改正を論ずることは誰でもできるが、改正手続きは如何に難しいか。私は七十八歳。今期で終わり。九十六条改正が改憲の第一歩。私の任期中にやり遂げたい。

夏の参院選で自民党単独過半数は難しい。維新の会がどれだけ伸びるか。改憲発議は議員提案しかない。議員提案には衆議院は百人の賛同者が必要。参議院は五十人以上。建築の足場を整えるのが九十六条改正。国民投票をどういう形で行うのかテストケース。棄権防止をどうするか。最低五十%の投票率が必要」。

           ○

憲法改正手続きが簡単ではないことが分かった。というよりも『現行憲法』の改正条項はきちん整備されていない。法制局の「改正条項一つ一つについて国民投票にかける」のは不可能だ。改正する項目ごとに十回も二十回も衆参両院で発議し決議し、そして国民投票を行わねばならない。その費用が莫大になるばかりでなく、実際には不可能である。

もっと重大なのは、「國體条項」(現行憲法で言えば第一章)を二分の一で改正できるようにするのは危険である。憲法改正の要件を緩和する動きが進んでいるが、國體条項だけは除外すべきだ。というよりも、現行憲法無効宣言・帝国憲法復元が正しい道筋なのだ。何よりも「國體」を正しく継承できる。また、現行憲法改正よりも手続が簡単である。

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千駄木庵日乗三月九日

午前は、デイサービスに赴く母を見送る。『政治文化情報』の原稿脱稿、印刷所に送付。

午後二時より、内幸町の日本プレスセンターにて、『アジア問題懇話会』開催。日本貿易振興機構海外調査部アジア大洋州課長の若松勇氏が講演。質疑応答。130309_1502010001

帰途、日比谷にて古くからの友人と懇談。

帰宅後は、原稿執筆など。

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2013年3月 9日 (土)

在日支那人、来日支那人の動向を厳しく監視すべし

皇居東御苑や靖國神社など東京中心部の日本国にとって極めて神聖なところ・大切なところに支那人を多く見かけるようになっている。そして写真などを撮りまくっている人もいる。この数年その数が増えているように思われる。以前は、「日本という国に関心があるのだなあ」などと呑気に考えていた。しかし、最近は極めて危険なことではないかと思うようになった。

共産支那は、わが国固有の領土那対する軍事侵略の動きを強めている。昨年十二月には、共産支那軍最高幹部が支那共産党中央に対して「戦闘参加申請書」なるものを提出し、日本の対する軍事攻撃の決意を表明した。さらに、支那共産党政治局は、「堅固な軍事闘争の手配りをする」と決議した。

まさに共産支那は、わが国への侵略、軍事攻撃の意図を固め、その準備をしているのだ。

さらに、2010226日には、支那軍が日本などへの侵略を開始した際に、国民に「国防義務」なるものを義務付ける「

動員令」が発令された。この「動員令」の対象者は、18歳から60歳の男性と18歳から55歳の女性で、支那国外に住む支那人即ち日本で生活している支那人も対象となる

すなわち、共産支那軍が日本に対する軍事攻撃を開始すれば、東京のみならず全国で一斉に在日支那人が軍事行動・破壊活動・ゲリラ戦を行うことが義務付けられたのである。極めて危険である。

日本に在住する支那人、来日している支那人の動向を厳しく監視すべきである。

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千駄木庵日乗三月八日

午前は、母のお世話。『政治文化情報』脱稿、印刷所に送付。

お昼は、知人と懇談。内外の諸情勢について意見交換。

午後からは、在宅して、『伝統と革新』編集作業、書状執筆など。

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2013年3月 8日 (金)

『大日本帝國憲法』の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という条文の精神は全く正しい

 西洋法思想・欧米國家観に貫かれた『現行占領憲法』の、「(天皇の地位は・註)國民の総意に基づく」という規定は、日本天皇の御本質を正しく表現していないばかりではなく、天皇及び皇室の尊厳性・神聖性を冒瀆し隠蔽する元凶となっている。

西洋諸國の外國の國家観・君主観・権力論を基本にした『現行占領憲法』は、祭祀國家・信仰共同体日本の國柄の精神を正しく表現していない。『現行憲法』は、天皇の國家統治を、西洋の絶対君主の暴力的支配と同一視し、國家は個人の暴力的抑圧装置であるとし、天皇及び國家は「個人の敵」であるという考え方に立って制定された憲法である。

そして、「民主化」「個人の幸福」「日本の健全な発展」のためには、天皇の「地位」を低め「権能」を弱めることが必要であるという意識のもとに、欧米の政治思想である「國民主権論」が採用されている。

天皇及び皇室は、占領軍によって押し付けられた『占領憲法』の規定などに全く拘束される必要はない。三千年の伝統のある天皇中心の國體及び天皇・皇室を、アメリカから押し付けられた成文法の枠の中、もっといえば欧米から輸入された近代民主主義の中に閉じ込めてしまうことは間違いのである。

成文法は、人間相互の不信の上に成り立つものである。人間同士が信じ合えないから、成文法を作ってお互いにそれを遵守することによって秩序を保つのである。

ところがわが國は天皇を祭祀主と仰ぐ祭祀共同体である。前述した通り、天皇と國民の関係は権力関係・法律関係ではなく、精神的・信仰的関係である。ゆえに、天皇は人間不信の上に作られた成文法の枠外の御存在であられる。

『現行憲法』による建國以来の國柄の隠蔽が、國家の解体・家族の解体・道義の頽廃を招いているのである。

日本の伝統的國家観・君主観とは絶対的に相容れない原理で成り立っている『現行憲法』が長く続けば続くほど、麗しい伝統的な日本の國柄が隠蔽され破壊され続けることとなる。現行占領憲法は一刻も早く破棄し、日本國の建國以来の國柄へ回帰し、現代の混迷を打開しなければならない。

わが國日本及び日本國民が神聖君主・日本天皇にお護り頂いているのであるから、『大日本帝國憲法』の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という条文の精神は全く正しいのである。憲法において、天皇は日本國の統治者であらせられ、神聖不可侵の御存在であられることを明確に規定すべきである。

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千駄木庵日乗三月十四日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。この後、御徒町にて、知人と懇談。

帰宅後は、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2013年3月 7日 (木)

永井荷風の文明批評

現代日本に対する警告・批判となり得る永井荷風の文章を紹介したい。

「丸善明治屋三越白木屋などクリスマスの窓飾を壮麗にす子女またクリスマスとて互に物を贈りて賀すといふ近年人心夷狄の祭祀を重んじ我邦在來の豊かにめでたき行事を忘るゝことを歎ずべしといふ者あり。」(『毎月見聞録」大正五年十二月二十四日)

「若し直に國辱の何たるかを問はば獨り對外交渉のみに止まらず現代の世態人情悉く國辱となすに足る…試みに停車場に入りて掲示を見よ。蟇口を開いて貨幣を見よ。皆外國の文字あり。此の如きは欧米何處の國に至るも決して見る事能はざるものなり。…我邦人もしそれ博愛仁義の意を以て外夷の便宜を圖るものとなさば、世界外交文書の例に倣ひて須らく仏蘭西語を以てすべきなり。…全國停車場掲示の英語は屡々人をして神國六十餘州宛ら英米の植民地たるの思ひあらしむ。そもそも異郷人の異國に遊場むとするや先づその國の言語を習得するの用意なかるべからず。外客の便不便は元来その國人の深く問ふべき處にあらず。」(『麻布寿襍記』・大正十三年)

かかる傾向は、今日のわが國に於いてますますひどくなってゐる。いはゆる横文字の氾濫は、日本國が一体どこの國かと思はしめるやうな状況である。横文字とは英語のことてあるが最近はハングル文字・支那簡体字までもが其処此処に掲示されてゐる。

以前、当時の駐日韓國大使と懇談する機會があり、小生が「ソウルに行くとハングル文字ばかりで漢字が使はれてゐないので、何にもわからない。道路標識などには感じも使ったらどうですか」と言ったら、大使に「日本人に分かってもらふために書かれてゐるのではない」と反駁されたことがある。

日本が支那や南北朝鮮に対して軟弱な外交姿勢をとるに比例してわが国内に支那簡体字やハングル文字の標識や案内板が増えたやうである。

永井荷風はさらに『現行憲法』について次のやうに書いてゐる。「五月初三。雨。米人の作りし日本新憲法今日より實施の由。笑ふべし」(昭和二十二年五月三日の永井荷風の日記『断腸亭日乗』)

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「台湾二・二八時局講演会」における登壇者の発言・その二

オルホドノ・ダイチン氏(モンゴル自由連盟党幹事長)「モンゴルは清朝滅亡後、一九一一年独立宣言をした。中華民国は独立を認めないと宣言して侵略してきた。モンゴルは南モンゴル解放のために中国軍と戦った。中国はロシアと密約して北モンゴルをロシアの支配下に置いた。南モンゴルは東の一部は満州に入り、西は自治連邦制度になった。これが一九四五年まで続いた。日本が大陸から去った後、モンゴル統一独立のために戦った。モンゴルのトップは『ヤルタ会談』を知らなかった。『ヤルタ会談』でモンゴルを二つに分けた。南モンゴルは国民党の弾圧と殺戮を体験した。中共はモンゴルに甘言を弄した。毛沢東は、『チンギスハンの子孫は東ヨーロッパの人々と同じように独立して良い。日本の侵略者を追い出して幸せな国にして良い』と言った。しかしその後中共は、モンゴル人百五十万人の内五十万人を逮捕し十万人殺した。モンゴルは長年中国の下で苦しんで来た。百年間戦って来た。台湾は中華人民共和国のものではない。中国の一部ではない。台湾は事実上独立国家。台湾は台湾人のものだと世界に訴えるべし。モンゴルのように侵略されてしまった後では言うことは出来なくなる」。

イリハム・マハムティ氏(日本ウィグル協会会長)「日本には十二年前に来た。五年前からこういう運動をしている。ウイグルとモンゴル・チベット・台湾の状況は同じ。他民族を完全に支配するまで知識人や影響力のある人を殺すという中国のやり方は同じ。ウイグルでは十万人が逮捕され、その半分は家に戻って来ていない。一九五九年に六十万人の人が旧ソ連に逃げた。中国資本が台湾のメディアを支配。中国は、動物を殺すように反抗する者を殺す。そこに住む人をなくしてその土地を自分のものにする。台湾は本当に危ない。二二八の悲惨な記憶を繰り返さないために台湾人は頑張らねばならない。日本も日本のために台湾を助けるべし。台湾人が自分の国を持てるようにすべし。世界は団結して中華が大きくなることを阻止すべし。中国人には信仰する心がない。無神論を我々に強要する」。

ぺマ・ギャルポ氏(チベット文化研究所名誉所長)「一九六〇年代から七〇年代までチベットは独立を勝ち取るために戦った。チベットでは一二〇万人が殺された。チベットは本来、二四〇万平方キロメートルの領土がある。二千年以上の歴史がある。中国は『多民族国家だ』と言っていた。しかし一年前から『ウイグル自治区やチベット自治区にいるのは中華民族だ』と言い出した。チベット人が独立を放棄し、自治という事を言い出したことに責任がある。鄧小平はベトナムに兵を進めた。習近平は尖閣を餌食にしようとしている。民主主義・法の支配を尊ぶために中国と戦わねばならない。私の友はゲリラ活動を行い亡くなった。その友のためにも独立を勝ち取らねばならない。中国は、建前上は『信教の自由』があることになっているが抑圧している。ダライラマ法王の写真を持つことを禁止している。宗教儀式を観光アトラクションにしている」。

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「台湾二・二八時局講演会」における登壇者の発言・その一

蕭錦文氏(二二八紀念館ボランテイァ)「私は完璧な日本人だった。徴兵制がなく、台湾青年は戦争に行く方法がなかった。一九四一年、日本政府は志願制度を設けた。十七歳から三十七歳まで志願できた。一九四一年に私は国の存亡がかかる戦争だと思い志願し採用された。本当に飛び上がって喜んだ。未成年なので保護者の印鑑が要る。『白人の強国を相手に戦っているのだ。国の存亡はこの一戦にあり』との心構えで出征した。

父は客家人で台北師範学校の助教授だった。幸せな家庭環境だった。私が四歳の時、父が肺病で亡くなった。母は二十五歳で再婚し、私と弟は叔母に引き取られた。一九四七年にシンガポールに行った。シンガポール陥落後の状況を見た。華僑から情報を取った。英国二百年の植民地時代、住民の十%しか教育が受けられなかった。台湾では八十七%が教育を受けた。台湾は良い国に統治されてよかったなあと感動した。日本という国は有難いと感じた。インパール作戦にも参加した。人間と人間との戦いは残酷。あらゆる手段を使ってでも勝利を得るのが目的。戦地にいた時は死にもの狂いだった。日本は負けたけれど無駄な戦争ではなかった。アジアの植民地があの戦争のお蔭で解放された。あの戦争によって豊かな世界がつくられた。

二二八事件は、中国人の文化が低かったから起こった。GHQは蒋介石に台湾の接収を命じた。胡錦濤政権が台湾を接収したのではない。あの戦争に勝ったのはアメリカであって中国ではない。文化の高い民族を文化の低い民族が支配したことに悲劇がある。陳儀が接収に来た。プノンペンから高雄に復員し、祖母と抱き合って涙を流した。新聞社に勤めた。社長は二二八処理委員会の委員になった。三月八日、社長に逃げた方が良いと忠告した。三月九日に私が捕まって拷問を受けた。二人の刑事が私をあお向けにして水を流し込んだ。息が出来ないので卒倒した。白崇禧が視察に来て『裁判にかけていない者は殺すな』と命令して助かった。

一九四九年に出来た中国共産党の国家が台湾を所有する権利無し。一九五二年の『サンフランシスコ講和条約』で日本は台湾を放棄したが、何処に国に渡したという条文は無い。チャーチルもルーズベルトも中国の台湾領有権を承認していない。文書も残っていない。尖閣を中国に取られたら台湾も取られてしまう。台湾人はおとなし過ぎる。教育が大事。正しい歴史を学ぶことが重要」。

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千駄木庵日乗三月六日

午前は、母のお世話。訪問介護の方と共なり。

午後からは、在宅して『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2013年3月 6日 (水)

天皇の国家統治とは

わが國體精神・天皇の國家統治は、民の幸福実現を最高の目標としている。國民の幸福の実現こそが天皇の統治の目的である。わが國においては、古代より國民を「おほみたから(大御宝)」と言ってきた。民を尊ぶことが天皇の御統治の基本である。日本伝統信仰おいては、人は神の分け御霊であり、人間は本来神の子として尊ばれるべき存在である。

御歴代の天皇は、國民の幸福を祈られ、「おほみおや(大御親)」としての仁慈の大御心を以て「おほみたから」であるところの國民に限りない仁政を垂れたもうてきたのである。

天皇中心の國體を正しく実現する事を目的として断行された明治維新の基本的精神は、慶応四年三月一四日、明治天皇が京都御所南殿で、公家、諸侯や百官を率いて天地神明に誓われた『五箇条の御誓文』に示されている。それは、「広く会議を興し万機公論に決すべし」「上下心を一にして盛に経綸を行ふべし」「官武一途庶民に至る迄各其志を遂げ人心をして倦まざらしめんことを要す」「旧来の陋習を破り天地の公道に基くべし」「智識を世界に求め大に皇基を振起すべし」の五か条であり、國民の幸福を実現する政治制度という意味での民主政治の基本が示されている。

葦津珍彦氏は「五箇条の御誓文に見られる政治思想そのものは、決して外國の政治学理論によってはじめて教えられたものではなく、いわゆる幕末時代、約二十年の間に、日本人が政治実践の中から、自然成長的に形成されてきた日本人の政治思想であった。」(『近代民主主義の終末』)と論じている。

昭和天皇は、昭和五十二年八月二三日、那須御用邸で、宮内庁記者団に対して、「(『昭和二十一年元旦の詔書』の)第一の目的は御誓文でした。神格とかは第二の問題でありました。当時アメリカその他の勢力が強かったので、國民が圧倒される心配がありました。民主主義を採用されたのは、明治天皇の思召しであり、それが『五箇条の御誓文』です。大帝が神に誓われたものであり、民主主義が輸入のものではない事を示す必要があった。」と仰せになられた。

近代に於いてのみならず、古代日本においても、國民のために政治が天皇の統治によって実現していたのである。『日本書紀』の「仁徳天皇紀」には次のように記されている。「天皇の曰はく、『其れ天の君を立つるは、是百姓(おほみたから)の爲になり。然れば君は百姓を以て本とす。是を以て、古(いにしへ)の聖王(ひじりのきみ)は、一人(ひとりのひと)も飢ゑ寒()ゆるときには、顧みて身を責む、今百姓貧しきは、朕(われ)が貧しきなり。百姓富めるは朕が富めるなり。未だ有らじ、百姓富みて君貧しといふことは』とのたまふ。」

天皇が國民の幸福を祈られる祭祀を執行され、國民は天皇の大御宝であるという事が正しく実現され、萬機は公論によって決せられるという体制が真に確立する時、國民のための政治が、言葉の上においてではなく、実際政治に於いて正しく実現するのである。

天皇は常に國民の幸福を祈られておられる。天皇統治とは國民の意志をお知りになることが基本である。わが國の天皇は民の幸福をわが幸福とされ民の不幸をわが不幸とされてきた。わが國は建国以来君民一体の國柄である。

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千駄木庵日乗三月五日

午前は、母のお世話。

午後は、『政治文化情報』の原稿執筆。

午後七時より、新九段下沙龍にて『憲法研究会』開催。議会制度について討論。

帰宅後は、諸雑務。

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2013年3月 5日 (火)

萬葉古代史研究會 のお知らせ

萬葉古代史研究會

小生が講師となりて「萬葉集」を勉強する會が次の通り開かれます。主要作品を鑑賞しつつ古代日本の歴史精神と美感覚を學んでおります。多くの方々の御出席をお待ちしております。
日時 三月十三日(第二水曜日) 午後六時半より

會場 豊島区立駒込地域文化創造館

東京都豊島区駒込二の二の二 電話〇三(三九四〇)二四〇〇 山手線駒込駅北口徒歩二分

會費 千円

テキストは、岩波文庫本『萬葉集』(佐佐木信綱編)上巻。

初参加の方は、テキストはなくても結構です。初めての方でも分かりやすい内容です。

お問い合わせは、四宮政治文化研究所まで。(m-shinomiya@max.hi-ho.ne.jp)

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天皇の国家統治の意義

「大日本帝国憲法」において「しらしめす」の漢語表現として「統治」という言葉を用いた。そしてこの「統」という言葉は統べる(統一する)という意であり、「治」は治める(本来の位置に置く)という意である。明治天皇が明治元年三月十四日に発せられた『明治維新の宸翰』に「天下億兆一人も其處を得ざる時は、皆朕が罪なれば…」と仰せになっている。このお言葉こそまさしく「治める」の本質なのである。無私と慈愛というまさに神の如き御心で日本を統治されるお方が日本天皇であらせられるのである。

天皇の國家統治のことを「しらしめす」と申し上げるのは、天皇が天の下の全てを認識され、全てに関係され、領有し支配されることである。それは、天皇が鏡の如く「無私」の御存在であるから可能になるのである。天皇が鏡の如く全てを映し出す「無私の御存在」であればこそ、全てを領知され認識され司られることができるのである。天皇國家統治の「みしるし」である三種の神器の一つが「鏡」であるのはそのことをあらはしてゐるのである。天皇は自己を鏡となして一切のものごとを映し出される御存在である。

「しらしめす」即ち<天皇の統治>とは、天津神の御命令で日本に天降って来られて、天津神の御委任で天津神の日の神の霊統を継承される現御神として、天津神の命令のままに天の下の全てを認識され把握されるという信仰的な意義があるのである。天皇の統治は決して権力行為ではない。

「しる」は単にものごとを知識として知るといふのではなくもっと深く「領知する(領有して支配すること)」の意。天皇の御統治の御事を「しらす」「しろしめす」といふのと同意義。今日でも「そんなことは知りません」といふのは、単に知識として知らないといふ意味以上に、「私には関係がない」といふ意味も含まれる。「知る」とは「関係する」「司る」「支配下に置く」といふ意味である。

天下の一切の物事を「お知りになる」ということは、<無私>の境地であられるということであり、天下の一切の物事に対して深い<慈愛の心>を持たれているということである。<無私>と<慈愛>の心が無くては対象を深く認識し把握する事はできない。

先帝昭和天皇陛下が、よく「あっそう」というお言葉をお発しになられたのは、まさに無私と慈愛の心で相手の言う事をお聞きになられお知りになったということである。有難き限りである。

井上毅・伊藤博文などの先人たちは、日本の国体を根幹としつつ近代成文憲法を実に苦心して作りあげたのである。その努力は素晴らしいものである。「大日本帝国憲法」は決してドイツから輸入した翻訳憲法ではなかった。「大日本帝国憲法」は、明治維新の輝かしい歴史の所産であり、日本国民の政治的良識の結晶であった。

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千駄木庵日乗三月四日

午前は、母のお世話。

午後からは在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2013年3月 4日 (月)

日本民族の自然観

自然と人間との関係において人類は大きく二つの立場を持っている思われる。自然を征服し支配し造り変えるという対し方と、自然を離れず自然に即し、自然と共に生きるという対し方である。ユダヤ教・キリスト教・マホメット教という一神教は前者、神道と呼ばれる日本固有の宗教、そして仏教・ヒンズー教などは後者である。

自然と共に生きるということは自然の命と人の命を連続したものと見るということであり、自然は神から生まれたという信仰つまり自然の中に神を見るという信仰から出てくる精神である。

世界各地の神話は、人類最初の男女神はまず最初に人間を創造している。キリスト教の『創世記』には「はじめに神は天と地とを創造された」とあり、「神は自分のかたちに人を創造された。…神は彼らを祝福していわれた。『生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ、…すべての生き物とを治めよ』。」と書かれている。神は創造者であり、天地自然や人間は創造された物であるということは、<神>と<天地及び人間>とは<別個の存在>であるということである。そういう考え方からは、自然は神や精靈が宿る神聖な存在であるという信仰は生まれない。

また、人間は大地を服従させ、すべての生物を支配することを神から許されたのだから、人間が自然をいかに造り変えても構わないし、また生物を生かすも殺すも人間の自由である。近代科學技術・機械文明による自然の造り変え・自然破壊が何らの罪悪感無しに行われてきた思想的根拠は実にここにある。

ところがわが國の神話は、伊耶那岐命と伊耶那美命の「むすび」によって國が生まれたとする。自然も國土も神から生まれたのだから神の命の延長である。また、日本の創世神話は単に「大地の創造」ではなく「國土の生成」である。伊耶那岐命・伊耶那美命がお生みになった大地は、無國籍にして名前もない土の塊としての大地ではなく、國土であり生まれた國には神の名が付けられているのである。大八洲は神の住みたもう國土として把握しているのである。つまり天地自然を神として拝んだのである。

このような信仰は、自然と人とは相対立する存在とは見ない。神と人と自然には命の連続性があると考え、國と人とを一体のものとして把握する。ゆえに、日本人は本来自然を尊び破壊しないという生き方をとってきている。日本人の自然観は、人間が自然を征服し作り替え利用するという西洋の自然観とは断然異なるものである。

日本民族は、神も國土も人も、共に靈妙なる一体的生命存在として把握しているのである。日本民族においては本来、「今」がそのまま「神代」だったのである。「神代」とは遠く遥かな過去の時代のことではなく「今」なのである。現代の混迷と危機を打開するために、「今即神代」の精神を回復すべきである。

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千駄木庵日乗三月三日

午前は、母のお世話。

ネパールに赴く同志から電話あり、無事を祈る。

午後からは、在宅して、『政治文化情報』の原稿執筆など。

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2013年3月 3日 (日)

猪瀬都知事の発言について

東京都の猪瀬直樹知事は1日の定例会見で、平成三十二年夏季五輪招致に絡み「前回の招致活動では、皇室が全く現れなかった。今回はその轍(てつ)を踏まないようにしたい」と語った。つまり、「五輪招致活動」とやらに、皇太子殿下をはじめとした皇族の方々のご協力を仰ぐという事であろう。

五輪招致はまさに他国との競争であり、政治的意味合いも大きい。国際的な競争の世界に、皇室に関与していただくのは厳に慎むべきである。もし招致できなかったら、皇室に対する批判すら起きかねない。偏向メディア・國體破壊勢力による皇室批判の格好の材料になる危険がある。猪瀬氏は以前、「皇室は京都にお帰りいただくべきだ」と主張していた人物である。今回の発言は納得できない。

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『明治十二年明治天皇御下命「人物写真帖」-四五〇〇余名の肖像』展参観

本日参観した『明治十二年明治天皇御下命「人物写真帖」-四五〇〇余名の肖像』展は、「本展で紹介する『人物写真帖』の制作は,明治12年,明治天皇が深く親愛する群臣の肖像写真を座右に備えようと,その蒐集を宮内卿に命じられたことに始まります。そして,宮内省主導のもと,大蔵省印刷局が撮影や写真帖の制作を担当し,この事業は進められました。現存するこの写真帖の総冊数は39冊,有栖川宮幟仁親王を始め皇族15方,諸官省の高等官ら4531名が収められており,そこには,幕末から明治維新にかけて,改革に奔走し,新政府の成立に尽力した人物に加え,各分野で日本の近代化を担った人々の姿があります。また,このうちの15冊には,肖像写真とともに小色紙に記された621名分の詠進歌が収められており,本作品制作の特殊性を示しています」(案内書)との趣旨で開催された。

幕末から明治の時代を担った元勲らの未公開肖像写真を展示する展覧会である。明治初期の皇族、文武百官即ち大臣参議、官僚、軍人、そして民間の学者・文化人・宗教家(神官僧侶)などの肖像写真が展示されていた。

この「写真帖」には肖像写真と共に色紙に記された621名分の詠進歌も収められた。『写真帖』は今回が初公開で、今回は、有栖川宮熾仁親王、北白川宮第二代・能久親王、三條實美、岩倉具視、板垣退助、乃木希典、東郷平八郎、勝海舟、川路利良、松方正義、山県有朋ら近代日本建設に貢献した人々約100人の比較的若き時代の肖像写真が展示されていた。

購入した「図録」には373人の肖像写真と写真帖に掲載された全員の名を収録されていた。小生がよく散策する谷中霊園に眠っている人も多かった。能久親王、榎本武揚、大久保利通はなかなか好男子であった。三島通庸はその逆であった。

残念なのは、私の母校・二松学舎の創立者・三島中洲先生は、重野安繹、川田甕江とともに明治の三大漢学者に数えられ、明治十年まで大審院判事であったが、重野・川田両氏は4531名の中に選ばれていたが、中洲先生は選ばれなかったようで『図録』の名簿にその名は無かった。慶應義塾創立者・福沢諭吉、同人社創立者・中村正直の名もなかった。二松学舎・同人社・慶応義塾は明治初年『東京府下三大私塾』と言われた。西郷隆盛、篠原国幹、桐野利明、江藤新平の名もなかった。また、選ばれた人の半数以上は、薩・長・土・肥出身者と思われる。特に薩摩長州が圧倒的であった。ただし、旧幕臣や旧会津藩士の名もあった。さすがに徳川慶喜はなかった。ところが松平容保の名はあった。どういう基準なのか判然としない。

明治天皇は、この写真帖制作にあたって、准奏任官以上、麝香間祇候(明治維新の功労者である華族または親任官の地位にあった官吏を優遇するため、明治時代の初めに置かれた資格)、華族には、和歌と漢詩を詠進すべきことをお命じになった。明治天皇の和歌を大切にされる大御心と拝する。天皇の国家統治と和歌は一体である。やまと歌は、君民一体の國體の基本である。やまと歌を詠むことは。政治や行政に潤いを与えると共に真の大和心を興起させる基である。今日の官僚・国会議員などにも、「歌会始」の際、和歌か漢詩を詠進させる制度を設けるべきではないかと実感した。

尚蔵館にも、東御苑にも、外國人観光客が多数来ていた。支那人も多かった。写真を撮りまくっている支那人もいた。時期が時期だけに、「日本に関心があるのだなあ」などと喜ぶことはできなかった。何となく反発を感じるのは致し方なきことであろう。

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千駄木庵日乗三月二日

朝、デイサービスに赴く母を見送る。この後、『伝統と革新』編集の仕事。

午後は、皇居東御苑の三の丸尚蔵館にて開催中の『明治十二年明治天皇御下命「人物写真帖」―四五〇〇余名の肖像』展参観。会場にて、参観に来ていた同志ご夫妻に会う。多くの人々が参観に来ていた。外国人も多かった。

帰途、お茶の水にて知人と懇談。

帰宅後は、『月刊日本』連載の「萬葉集に歌はれた日本の心」の原稿執筆・脱稿・送付。

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2013年3月 2日 (土)

『大西郷遺訓』に学ぶ

『大西郷遺訓』に次のやうな言葉があります。

「正道を踏み國を以て斃(たお)るるの精神無くば、外國交際は全かる可からず。彼の強大に畏縮(いしゅく)し、圓滑(えんかつ)を主として、曲げて彼の意に順從する時は、輕侮(けいぶ)を招き、好親却て破れ、終に彼の制を受るに至らん」。

「國の陵辱(りょうじょく)せらるるに當(あた)りては、縱令國を以て斃るる共、正道を踐(ふ)み、義を盡すは政府の本務也。然るに平日金穀理財の事を議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれ共、血の出る事に臨めば、頭を一處に集め、唯目前の苟安(こうあん)を謀るのみ、戰(いくさ)の一字を恐れ、政府の本務を墜(おと)しなば、商法支配所と申すものにて更に政府には非ざる也」。

「大西郷の精神」とは、国家の自主独立の精神であり、皇室を敬い国民に真の平安をもたらす政治の実現です。西洋列強の侵略から祖国を守り天皇中心・四民平等の国を建設するための大変革であった明治維新を戦い、さらに維新後にあってもなお、東洋の平和と理想の道義国家建設のために戦った大西郷の精神こそ、今の日本にもっとも必要なものです。何故なら今の日本は、幕末及び明治初期の我國以上に、外国から侮りを受け、政治は乱れに乱れているからです。

さらに『大西郷遺訓』には次のやうな言葉があります。

「王を尊び民を憐れむは学問の本旨なり」「萬民の上に位する者、己を慎み、品行を正しくし、驕奢を戒め、節儉を行ひ、職務に精勵して、人民の標準となり、下民をしてその勤労を感謝せしむるに至らざれば、政令は行はれ難し」

この言葉も今日の我國政治家が噛み締めなければならないと思います。今日及び将来の日本においても、祭祀主たる日本天皇の信仰的権威が、政治権力を浄化し、権力者にかしこみの心を持たさしめ、国家・国民の幸福をはかることが出来るのであります。これが、わが国建国以来の「祭政一致」の理想であり、万邦無比の日本國體の素晴らしさです。

尊皇精神こそが、日本国安泰の基礎であります。天皇を君主と仰ぐ日本國體の護持とその理想実現こそが、日本国永遠の隆昌の基礎です。従って、尊皇精神希薄な権力者は断じてこれを排除しなければなりません。また、皇室を貶める学者文化人評論家も厳しく糾弾しなければなりません。

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千駄木庵日乗三月一日

午前は、母のお世話。

午後は、『伝統と革新』編集の仕事。

午後五時より、湯島で長年の同志と懇談。

帰宅後は、原稿執筆。

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2013年3月 1日 (金)

全人類を戰爭の慘禍から救ふ道は日本傳統信仰への回歸にある

日本人の神観念には、「神はこんな形だ」といふ一定の相形(すがたかたち)はない。神は無限である。だから、神はありとあらゆる姿に現れる。神は無相であると共に無限の相である。日も月も山も海も大木も風も水も神として拝まれる。神は本来が無相であり無限であり、どんな姿にでも現れ、我々を護りたまふのである。さうした神々の根源神として「造化の三神」がましますのである。日本の神は「多即一・一即多」のお姿をあらはされる。

『古事記』冒頭には、「天地初發の時、高天原になりませる神の名は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。次に高御産巣日神(たかみむすびのかみ)、次に神産巣日神(かみむすびのかみ)。この三柱の神は、みな独神(ひとりがみ)になりまして、身を隠したまひき」と示され、「天地の生成の本源神」たる天之御中主神の次に高御産巣日神、神産巣日神の名が示されてゐる。そして「この三柱の神は、みな独神になりまして、身を隠したまひき」と示されてゐる。

「造化の三神」が「天地初發の時、高天原になりませる神」(天地宇宙の生成と共になりませる神)と仰がれてゐるのは、「造化の三神」が天地宇宙開闢以来天地宇宙と共に存在する神、天地宇宙の中心にまします根源神であるといふことである。ユダヤ神話の神のやうな被造物(つくられたもの)とは全然範疇の異なる存在・被造物と対立する存在たる「天地創造神」ではないのである。

天之御中主神、高御産巣日神、神産巣日神の三神は、天地宇宙の萬物萬生の普遍的根源神であるから、特定の個別化されたお姿を現されることはなく御身を隠されるのである。だから、「独神になりまして、身を隠したまひき」と示されてゐるのである。「中心歸一」「多即一・一即多」「むすび」の原理を神の名として表現してをり、一体の御存在である。天之御中主神と一体の関係にある、高御産巣日神、神産巣日神は、「生(む)す」といふ「天地生成の働き」を神格化し神の御名で表現したのである。

天地・國の生成は、絶対神のうちに内在する“むすびの原理”の展開としてあらはれてくるのであって、日本的思惟においてはすべて“一”をもって“創造の本源”とし、そこから無限の生きとし生けるもの・ありとしあらゆるものが生成するのである。そこに、多神にして一神、一神にして多神であり、多即一・一即多・中心歸一といふ大らかにして無限の包容性を持つ文字通り「大和(やまと)の精神」たる日本的思惟の根元が見出されるのである。

日本はその傳統信仰の靈的精神の偉大なる包容力によって、よく他國の宗教・文化・文明を取り入れてそれを融和せしめ洗練して、強靱にして高度な日本文化として開花せしめる力を持ってきたのである。

闘爭戰爭絶え間なき現代において、日本的思惟である<中心歸一の原理><結びの原理>そして<多即一・一即多の原理>によって、分割する精神=神と人・神と被造物は絶対的に隔絶された関係にあり、人間などの被造物は、神に支配され神に裁かれ神に復讐される存在であるといふ二元論を克服し、さらに唯一絶対神の排他独善性からも解放し、永遠の闘爭から人類を救済すべきである。一神教の対立を解消せしめ全人類を戰爭の慘禍から救ふ道は日本傳統信仰への回歸にある。

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千駄木庵日乗二月二十八日

午前は、母のお世話。

午後は、諸雑務、『伝統と革新』編集の仕事、原稿執筆など。

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