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2013年2月 4日 (月)

国粋精神を謳歌した学者たちこそ外国文化受容に対して積極的だった

平安前期・宇多天皇の御代の右大臣・菅原道真は優れた漢学者であり法華経の学者でもあった。言わば外来の最高の学問を身に付けた人であった。その道真が編纂した歴史書『類聚国史』(二百巻)は神祇・帝王のことが冒頭に記されていて、仏教のことについては外国関係のものとしてはるか後ろの方に輯録されているという。道真はまた遣唐使の廃止を建言した人物でもある。日本の伝統を重んじる精神があったればこそ外国文化を正しく学び自己のものとすることができたのである。道真はまさに主体性と開放性とを併せ有する日本文化のあり方を体現した人物であったと言える。

徳川初期の儒学者・兵学者である山鹿素行は、日本の皇統の正統性と政治の理想が古代において実現されていたと論じた『中朝事実』という歴史書を著した。これは日本の特質を儒教思想によって論じている。「中朝」とは世界の中心に位置する朝廷の意で、日本は神国であり天皇は神種であるとの意見が開陳されている。支那は自国を「中華・中国・中朝」とし、外国をことごとく野蛮な国と断じていた。素行は、その「中華・中国・中朝」は実に日本であるとして、書名を「中朝事実」としたのである。つまり国粋思想を支那の学問を仮りて論じたのである。

室町・戦国時代の神道家である吉田兼倶(かねとも)は、「吾が日本は種子を生じ、震旦(支那注)は林葉を現はし、天竺(注・インド)は花実を開く。故に仏教は万法の花実たり、儒教は万法の枝葉たり、神道は万法の根本たり。彼の二教は皆是れ神道の分化なり。枝葉・花実を以て其の根源を顕はす。花落ちて根に帰るが故に今此の仏法東漸す。吾が国の、三国の根本たることを明さんが為めなり」(唯一神道名法要集)と論じでいる。日本の二大外来宗教・思想たる仏教と儒教が神道から分かれた枝葉・花実であるという日本を中心とする国粋思想である。儒教仏教を包摂した根底にこうした強靱な生命力があったと言える。

江戸前期の陽明学者熊沢蕃山はその経世論『集義外書』において、「天地を父母として生れたる人なれば、中國・日本・戎蠻・北狄の人も、皆兄弟也。……人といへば耳目口鼻かはりなきが如く、心の知仁勇は皆天理の一徳にしてへだてなし」と論じている。支那の中華思想の影響を受けた封建時代の学者としては何と開放的な考え方であることか。こうした考え方を日本人が持っていたからこそ、日本文化は発展したのである。国粋精神を謳歌した学者たちにおいてこそ、外国文化受容に対して積極的だった。こうしたことは、日本が排他的ではない証拠である。日本の神を祭る人は実に寛容にして大らかであった。これが日本文化そのものの包容性の原点であったと思われる。

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