伊勢の神宮は日本伝統信仰の結晶
伊勢の神宮は、日本伝統信仰の最尊最貴の聖地であり、日本伝統精神がそこに現実のものとして顕現しているとはいかなるものかを実感するには、伊勢の神宮に来て神を拝ろがめば良いのである。理論理屈はいらない。日本伝統信仰が自然に伊勢の神宮といふ聖地と聖なる建物を生んだのである。それは太陽神への無上の信仰であり、皇室への限りなき尊崇の情であり、稲への限りない感謝の心である。
天武天皇は、壬申の乱の時、朝明郡迹太川(とほかわ)で伊勢の神宮を遥拝された。柿本人麻呂の高市皇子への挽歌では、伊勢の神風を称へてゐる。
西行(平安末期・鎌倉初期の歌人、僧)は、治承四年(一一八〇)六十三歳のときに三十年ほど過ごした高野山から伊勢に移り、伊勢の神宮で
「何ごとのおはしますかはしらねどもかたじけなさになみだこぼるゝ」
と詠んだ。
昭和四十二年の秋、イギリスの歴史学者、アーノルド・J・トインビーが夫人と共に参宮された時、内宮神楽殿の休憩室で「芳名録」に記帳し、
「この聖地において、私は、あらゆる宗教の根底をなすものを感じます」
と書いた。
人類は様々の宗教を信じてゐる。そしてそれらの宗教はそれぞれ特色があり、人類に救いと安穏をもたらしてゐる。しかし半面、人類の歴史は宗教戦争の歴史であったともいへる。それは今日に至るまで続いてゐる。神を拝み神を信じる人々による凄惨なる殺しあひが行はれて来た。
しかし、宗教の根底にあるものは同じなのである。それは、天地自然の中の生きたまふ大いなるものへの畏敬の心である。伊勢の神宮はまさに、最も純粋に最も簡素にその大いなるものをお祭りしてゐる聖地なのである。
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