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2013年2月19日 (火)

「学として説かれざる学」「言葉に表現されない言葉」で継承されてきたのが「日本の道」

日本傳統信仰は日本民族の生活から生まれて来た。特定の預言者や絶対神の代理人と称する人が説き始めた「教条・教義」に基づく信仰ではない。ここが祭祀宗教とされるわが國傳統信仰=神道と救済宗教とされる教団宗教との根本的差異である。つまり、神道は、まことに大らかにして包容力旺盛な信仰なのである。

わが國傳統信仰の祭り主であらせられる日本天皇は、仏教や儒教をも尊ばれた。わが國において仏教典を講義され、仏教寺院を建立されたのは、聖徳太子であられる。聖武天皇は、日本仏教の中心寺院として東大寺を建立され、さらに全國に國分寺・國分尼寺を建立された。わが國において仏教は、日本傳統信仰の祭り主たる天皇・皇室を通して広まったと言っていい。日本傳統信仰は外来仏教や儒教を大らかに融合してきた。

古代日本人の精神を謳いあげた『萬葉集』に、「葦原の 水穂の國は 神ながら 言擧せぬ國…」という歌がある。日本の傳統精神は、人間が発見したと主張する一つの論理や法則、人間が作りあげ世界を秩序立てて説明する一つの教義を絶対視して、それを信奉し、そうした特定の教義以外を排撃することはあまりしなかった。ここに日本の精神的大らかさがあり、その大らかさが日本民族と日本文化の包摂性の基である。

「学として説かれざる学」「言葉に表現されない言葉」で継承されてきたのが「日本の道」である。日本の傳統たる〈道〉を言葉で表現しなくとも、神々の御事績そして天皇の祭祀という〈現実〉に厳然として存しているのである。

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